金融危機以降、連日製造業を中心に有期雇用の派遣社員や期間社員の雇い止めが報じられ、11月22日時点で「ガテン系連帯」ブログがまとめたところでは約1万8000人余り(*)、報道されていない事例も含めると数万人単位が職を失っているとみられる。減益だ何だと騒いでいても依然として大きな内部留保を抱え、儲けを出しているにもかかわらず、容易に労働者を切り捨てる大企業のやり口は閉口させられるが、他方で恐慌となれば弱いところから打撃を受けるのは市場経済の必然的帰結でもあり、このままでは今後もますます雇用情勢は悪化の一途をたどるだろう。
*「派遣・期間工切り」1万8千人 ガテン系連帯☆ブログ http://gatenkei2006.blog81.fc2.com/blog-entry-213.html その点で場当たりでない国家的な雇用対策はもはや待ったなしなのだが、政治の世界では金融機関への予防的資金注入には熱心なのに、肝心の雇用対策・生活支援政策は全くと言っていいほど行われていない。はっきり言って今何より必要なのは、国内の雇用を増やすことと消費を増やすことであり、先の金融サミットでも内需の拡大を各国に求めていた以上、最優先で取り組まねばならない。 雇用を増やす案はすでに出ている。全労連系の労働運動総合研究所が先月末に、総務省資料を元に雇用増加と経済効果の試算を公表している。 《試算》非正規雇用の正規化と働くルールの厳守による雇用増で日本経済の体質改善を*PDF http://www.yuiyuidori.net/soken/ape/2008/data/081104-01.pdf ① 「正規雇用を希望する派遣労働者」と「正規雇用と同等の労働をする契約労働者」の正規化による360万人。 このうち、少なくとも②の「サービス残業」根絶による118万人あまりの正規雇用創出については、経済誌『週刊東洋経済』が「日本経済の足腰の強化につながる一過性ではない有望な景気対策といえる」と評しており(『週刊東洋経済』2008年11月22日号、p.26)、特段突拍子もない提案ではないという目安になるだろう。試算ではこれらにより国内生産24.3兆円、GDP2.52%の増加を見込んでいる。必要な原資は21.3兆円で、企業の内部留保5.28%を吐き出させれば難なく調達できる。 安定雇用が増えれば消費も増えるが、消費振興策としては消費税の減税も考慮されるべきだろう。イギリス政府が最近、1年間の暫定措置ではあるが、消費税率の引き下げを表明した。代替財源として国債増発のほか「年収15万ポンド超の富裕層に新たな税収枠を設定し、12億ポンドを徴収する」という(毎日新聞2008/11/24 22:40)。本当に実行するのかどうか不透明とは言え、アメリカのオバマ次期大統領も富裕層への課税強化を公約していたことを考えると、自民党はもちろん民主党も一向に大企業・富裕層への課税強化と庶民の税負担の軽減を課題としないのは、もはや怠慢を通り越して悪質である。 本当に必要な景気対策は、労働法制遵守による雇用創出と消費税減税であると強調したい。 《追記 2008/11/28》 「数万人単位が職を失っているとみられる」と書いたが、奇しくも厚生労働省が今日、今年度下半期で3万人以上の非正規労働者が、雇用契約の中途解除や更新停止などに遭っているという調査結果を公表した(*)。本格的な雇用対策はもう一刻の猶予もない。企業任せではなく、国が積極的に関与しない限り、問題は悪化するばかりであり、「無駄遣い厨」や「小さな政府」論を断固として排除しなければならない。 *東京新聞:『非正規切り』3万人 景気後退でしわ寄せ 厚労省調査(2008/11/28夕刊)*web魚拓 http://s01.megalodon.jp/2008-1128-2106-49/www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008112802000222.html ■
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by mahounofuefuki
| 2008-11-27 22:49
今日の日本テレビ系列のテレビニュースが、メキシコシティ国際空港内で3か月寝泊まりしている日本人男性について報じているのをたまたま観た。ホームレスに対する「まなざし」や貧困者の社会関係について考えさせられたので、紹介したい。
空港で3か月生活する日本人男性、メキシコ – 日テレNEWS24(2008/11/25 15:21)*web魚拓 http://s04.megalodon.jp/2008-1125-2059-19/www.news24.jp/123794.html (前略) 東京都出身のフリーター・野原弘司さん(41)は、観光目的でメキシコを訪れた。最初はホテル暮らしをしていたが、所持金が少なくなってきたため、空港で寝泊まりしているうちに3か月が経過した。 空港で生活している男というとスティーブン・スピルバーグの映画「ターミナル」みたいだが(といっても私は映画をあまり観ないので詳細はよく知らない)、日本の排除型社会に慣れてしまった眼で見るとメキシコの人々の「温かさ」が新鮮である。事実上、空港を根城にするホームレスを「クール」と形容し、食事を差し入れる人がいて、警察も黙認する。引用記事では言及されていないが、私が観た地上波のニュースによれば、空港の利用客らの間で彼は「友達」と呼ばれているという。空港での長期滞在を禁止する規則はないのでそのままにしているという空港当局者の談話も伝えていた。 当然次のようなことを考える。日本の成田空港で、髭が伸び放題、髪もボサボサの外国人が同じように生活できるだろうか、と。あいにく日本の空港の法制について全く知らないので、法的にどうなのかはわからないが、間違いなく何らかの方法で逮捕→強制送還となるだろう。仮に空港内での長期滞在が可能になったとしても、日本人は「友達」とは決して思わず、「よそ者」「不審者」とみなして近づくことすらしないだろう。日本では「外国人」で「ホームレス」というのは二重の排除対象となる。 事実、前記引用記事には続きがある。「日本大使館は『ビザも持っており、不法滞在ではないが、健康も心配だ。今後も空港暮らしをやめるよう説得を続ける』とコメントしている」。現地の当局も住民も利用客も容認しているのに(人気ぶりからするとむしろ「歓迎」している?)、我が「祖国」は空港から出ていくよう勧告しているのである。「健康も心配だ」なんて言っているが、ふだん保険料滞納で国民健康保険証を取り上げている国家がよく言えたものだ。旅行中に武装勢力に拉致された日本人を「自己責任」と称して見殺しにしたのはどこの国だったか? 今回も「自己責任」を貫かないのか? 日本政府が心配しているのは「当人の健康」ではなく、自意識上の「国家の体面」であろう。 地上波のニュースではこの件について、コメンテーターやキャスターが「勤勉で実直な日本人のイメージが崩れる」「早く出て行って欲しい」などなど口々に批判していた。全くげんなりである。空港の彼は現地で人気者なのだから「日本人のイメージ」はむしろ良くなっているのではないか。よく排除を正当化する際に「迷惑だから」という理由づけが使われるが、今回の例は異邦の地のことで日本の住民の誰の「迷惑」にもなっていなければ、現地でも当局すら「迷惑」とは考えていない以上、日本にいる者が「出て行って欲しい」などと言う権利はない。伝えられる現地の温かさと、伝える側の冷たさの対比は、そのまま彼我の「貧困者へのまなざし」の落差である。 さて彼は現地で人気者とは言え、もともとは「観光目的」での入国だそうだから、観光ビザの期限が来れば出ていかなければならない。本人の希望通り南米に行ければそれに越したことはないが、寒風の吹く日本へ帰国することになるかもしれない。日本ではまともな雇用のイスを減らしておいて、イスからあぶれた者を徹底的に差別し排撃する。「41歳フリーター」を「友達」として受け入れる素地はこの国にあるだろうか。・・・・やるせない。 ■
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by mahounofuefuki
| 2008-11-25 21:18
弊ブログはよく「政治ブログ」と呼ばれるのだが、もともとは気になるニュースについて考えたことを書くという、よくありがちな体裁で始めたもので、当初は別に社会問題や政治問題に限定していなかったし、特にこれという意図もなく続けているので、書いている本人は「政治ブログ」という自覚はない。とはいえ過去のエントリを読み返すと、なるほどこれは「政治ブログ」と言われても仕方ないなと認めざるをえないのも確かで、かと言って今さら方向性を変えることもできず、だらだらと続けているのが実情である。
実を言うと自分でブログを始めるまでは、他人のブログをあまり読んでいなくて、始めてから必要に応じてアンテナを広げたり、トラックバックのやりとりを繰り返しているうちに、いつのまにか「左派」とか「市民派」とか「リベラル」(「左翼」と「リベラル」は本来相対するので一緒にされるのは変な話だが)とか称される一群の片隅に辿り着いていたのであって、いわば受け身の形で「政治ブログ」界隈に生息していると自分では思っている。その過程で尊敬すべきいくつかの優秀なブログに出会うこともできたが、一方でブログを続けるにつれて、「左派」「リベラル」系ブログシーンに違和感を覚えることも増えてきた。 その違和感はおおむね3つある。第1は、「小さな政府」「大きな政府」をめぐる認識の相違で、反自民を称しながら新自由主義者ばりの歳出削減政策に与する者が少なくないことである。福祉国家とか社会民主主義を志向しながら財政出動に否定的というのは、ヨーロッパでは考えられない。最近も欧州社会党(PES)が雇用創出のための公共投資増加を提言していたのと対照的である。 第2は、民主党に対する姿勢である。反自公を標榜するブログの大半が民主党への政権交代を程度の差こそあれ支持しているが、現在の民主党は主に官業切り捨てを中心とする歳出削減による財源捻出という「構造改革」路線を踏襲し、他方で再分配効果を弱める消費税増税を容認、さらに安全保障政策においては集団的自衛権の行使に積極的で、自衛隊の恒久派遣法も自民党以上に推進しているという、決して見過ごすことのできない問題を抱えている。しかも、この1年余りだけでも最低賃金法、労働契約法、公務員制度改革、宇宙基本法など政府案に抵抗すべき課題で自公と歩調を合わせており、事実上「自公民」協力体制になっている。本当にそれでよいのか?という疑問が拭えない。 第3に、いわゆる陰謀論が浸透していることである。何かと「ユダヤ資本が・・・」とか「フリーメーソンが・・・」とか言い出したり、地球温暖化はデマだとか、9・11は自作自演だとか、疑似科学的思考が相当はびこっている。これらはわかりやすい例でさすがに少数派だろうが、ほかにも例えば「年次改革要望書」をあたかも「黙示録」のように扱っている例は少なくない。確かに「要望書」は問題なのだが、影響力という点ではむしろ日本経団連とかの財界団体が普段出している意見書類の方がよほど重要なのではないかということである。「裏」ばかりに気を取られて「表」の重要物件をスルーするのは、陰謀論的思考への嗜好に起因する。また過度の被害妄想も見受けられる。この問題については、過去の弊ブログでも時に根拠薄弱な推論を提示したことがあるので自己批判を含むが、正直なところちょっと度が過ぎてやしないか?と思うことが多々ある。 ほかにも私は当事者ではないが「わけわかめ」なことを見ることは多く、実はしばらく前から嫌気がさして、過去にトラックバックをもらった所を含む「政治ブログ」を巡回先から大幅に外し、研究者や専門家、あるいは私とは考えが異なるがきちんとした論を展開しているところをむしろ読むようにしている。今までも独立独歩で書きたいことを遠慮せず書いてきたつもりだが、もう少し党派的言説や「政治ブログ」的言説にとらわれず、マイペースで書きたいと思う。このところブログを連日書くのが肉体的に辛くなっているので(もっと本も読みたいし)、更新頻度もペースダウンして気ままに書こうとも思う。 なんかまた敵を増やしそうな文章になってしまった・・・。 ■
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by mahounofuefuki
| 2008-11-24 00:06
麻生太郎首相の失態が続いている。「給付金」の迷走、国会答弁等での相次ぐ漢字読み間違い、これまでの政府の医師数抑制政策を無視して医師不足を医師側に転嫁した上に中傷した放言、PTAの親たちを前に当の親を侮蔑した発言、道路特定財源の地方交付税化をめぐる二転三転。元々首相就任前から無責任な「思いつき」と失言・妄言・暴言の類が多いことで知られていたのだから、今さら驚くことではない。すでに就任直後に、集団的自衛権行使を容認する発言をしたり、国会の所信表明演説で「臣」を自称するアナクロニズムを発露していたくらいで、失態が今になって際立つようになったのは、単にこれまで麻生批判を抑えていたマスメディアの「風向き」が変わったからにすぎない。
今週発売の『週刊新潮』『週刊文春』がともに麻生首相を嘲笑する見出しをトップに持ってきたのは象徴的である。保守系週刊誌でさえ麻生氏を見限ったということである。やはり右傾色の濃いJ-CASTも今日麻生氏を「満身創痍」と突き放す記事を配信した(*)。元来自民党内の支持基盤の弱い麻生首相にとって、頼みの綱は大衆の「人気」と保守的ナショナリズムであったが、前者は「自爆」としか言いようがない失態の連続で名実ともに色あせ、後者は政権維持のためには戦争責任に関する「村山談話」を継承し、「トンデモ空幕長」田母神俊雄氏を更迭し、国籍法改正の既定路線を許容するほかなく、それが結果として的外れな「期待」を麻生氏に寄せていた右翼層の鬱屈を高めている。麻生内閣は早くも「末期症状」の気配すら漂っている。 *J-CASTニュース:「読み間違え」「軌道修正」「失言」 麻生首相の「満身創痍状態」 http://www.j-cast.com/2008/11/21030808.html 明らかに首相として不適格だった麻生氏がその座に就けたのは、自民党にとって「選挙の顔」になるというただ1点のためであった。つまり麻生氏の自己演出が大衆の求めるリーダー像にマッチしていたと(少なくとも自民党内では)考えられたのである。実際福田内閣の時分においては、世論調査では麻生氏は小泉純一郎氏と並んで人気は高かった。その理由も「実行力」「指導力」が期待できそうというもので、「果断で改革に邁進し、大衆が嫌悪感を抱くものと闘う指導者」像が仮託されていたのである。そして、輿望を担って首班の座についたが、麻生氏は大衆の期待には全く応えることができなかった。 ここで問題になるのは、そもそもこの国のマジョリティが望む「果断で改革に邁進し、大衆が嫌悪感を抱くものと闘う指導者」というものが、実は当の大衆にとって利益をもたらさないという事実である。 人々は小泉純一郎氏に腐敗した既得権益の解体に果断に取り組むことを求めた。しかし、その結末は「庶民の既得権益」の破壊であり、もともと十分ではない社会保障を崩壊させ、大企業と富裕層への利益供与を増しただけだった。次に人々は安倍晋三氏に果敢な指導力を期待した。なるほど安倍内閣は憲法改定のための国民投票法や改定教育基本法を暴力的に強行した。それはある意味大衆が望んだ「抵抗勢力と闘う実行力」の発露ではあったが、それは大衆の生活に何ら寄与するものではなかった。しかも、当の安倍氏は「坊ちゃん」の馬脚を現し、自己を「強い指導者」として偽ることに心身が持たず、壊れてしまった。もうキャラクターに惑わされるのに懲りたと思いきや、今度もまた麻生太郎氏に「何かを壊してくれる実行力」を求めた。その間、一向に大衆の生活は良くならず、むしろ苦しくなる一方である。 いいかげん学習しなければならない。話す内容や過去の政策・政治行動を無視して、単に表層的に「面白い」「かっこいい」というイメージで指導者を選ぶととんだしっぺ返しを食らうことを。口のうまさや見た目の威勢の良さは一般の人々には何ら利益をもたらさないことを。「強い指導者」がスケープゴートとして用意した「イヤなやつ」をいくら攻撃しても、自分が救われることはないことを。「麻生」という偶像は倒れたが、懲りずにまたしても似たような「目立つキャラ」に期待しても、必ず裏切られる。キャラではなく、話の中身と具体的行動から「自分の生活上の利害を代弁しうる者」を模索することが何よりも有権者に必要なことである。 以前言及したように、麻生内閣は失政が続いても延命する力学が働いている。しかし、それも次の衆院選までで、今後政権が迷走を続ければ、自民党は形振り構わずまたしても首をすげ替えることもありえよう。奇しくも今日、その伏線が報道されている。 東国原知事:国政転身の条件は「初当選、初入閣」・・・講演で(毎日新聞2008/11/21 19:40)*web魚拓 http://s04.megalodon.jp/2008-1121-2246-14/mainichi.jp/select/today/news/20081122k0000m010051000c.html 「なるからには閣僚か、トップ(首相)です」と野心を包み隠さないタレント知事。総選挙が延びるほど彼の衆院選出馬、首班候補擁立の可能性は高くなるだろう。非議員で党首となり、衆院当選1回で首相になった細川護煕という先例もある(そう言えば細川氏も知事だった)。この国の大衆はまた同じ失敗を繰り返すのか。いいかげん懲りて、じっくり政策を見極める目を持てるか。長らくふざけた状態が続く日本の憲政の正常化の試金石は、キャラクターを売りにする政治家を拒絶できるかどうかにかかっている。 ■
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by mahounofuefuki
| 2008-11-21 23:11
自民党税制調査会が来年度税制改正での相続税強化を見送る方針を決めたという。
相続税:課税強化見送り 景気悪化に配慮(毎日新聞2008/11/20 02:30)*web魚拓 http://s04.megalodon.jp/2008-1120-2048-47/mainichi.jp/select/seiji/news/20081120k0000m010137000c.html 「しかし、秋以降、景気が一段と悪化。麻生政権が『景気最優先』を掲げていることを踏まえ、自民党税調は『相続税も当面、(税収を上下させない)税制中立でいくしかない』(幹部)との判断を固めた」 貧富の差を本当に縮小するためには、所得の再分配のみならず、資産の再分配が必要なのは言うまでもない。いわゆる「結果の平等」を考慮せず、「機会の平等」を重視する立場であっても(いやむしろそういう立場こそ)、「競争」のスタートラインを等しくするために、相続税は強化しなければ辻褄が合わない。現在最大の社会問題である貧困の再生産の是正策として、相続税の増税は避けて通れないはずだ。 ところが自民党は「景気対策」のために相続税の課税ベース拡大を行わないという。全く不可解な理由づけである。なぜ相続税を据え置くことが景気対策なのか。景気が悪いから企業への課税を弱める、というならまだ理解できるが(ただし実際は金融危機だ減益だと騒いでいても、大企業に関しては依然として内部留保を相当抱えているので、応能原則により法人税や保険料の企業負担分を減らす必要は全くないが)、死亡した個人の資産継承への課税を弱めても、相続後の「二世」が有効な経済活動を行うかどうか全く不確定である以上、景気を左右するようなことにはなりえない。 本当のところは一連の金融危機で金融資産が目減りした富裕層の単なるエゴであって、どさくさに紛れて「景気対策」という名目でごり押ししているのだろう。雇用の保護規制緩和、公共投資・公務員の削減、法人税減税、教育・医療の民間委託推進など市場原理主義的政策を要求したOECDの「対日経済審査報告書」でさえ、「死亡件数の4%しか課税されない相続税を強化する」ことを求めていたことを想起すれば、今回の自民党の判断の特異性が浮かび上がる。 税制をめぐっては専ら再分配効果のない消費税の増税ばかりが議論され、相変わらず直接税は蚊帳の外に置かれている。所得の捕捉が難しいというような技術問題は、再分配機能の強化と言う正当な大目的を否定する根拠にはならない。特に相続税は「金持ちの子は何もしなくても金持ち」という不条理を修正するために絶対に強化しなければならない。残念ながら自民党のみならず野党も含め、ほとんどまともに議論されていないが、理論上は相続額2000万円以上に100%の相続税を課すと国の歳入を全て賄えるという試算(*)すらある以上、政治課題に載せるべきである。 *消費税論議を吹き飛ばす、相続税改正の大きなパワー/SAFETY JAPAN [森永卓郎氏] http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/122/ ■
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by mahounofuefuki
| 2008-11-20 20:53
厚生省(厚生労働省)の元事務次官らに対する殺傷事件の件。今日の新聞はどれも浦和の事件と中野の事件を同一犯による連続犯行と推定して、元厚生官僚を狙った「連続テロ」と報じているが、そもそも本当に「テロ」なのか、目的が何なのか現時点では何とも言えず、ましてや現在進行の犯罪となれば普段以上に警察発表に対するリテラシーが求められるところであり、発言を慎むべきかもしれない。しかし、どうしても述べておきたいことがある。
犯人が何者で何を目的にしているのかは不明だが、厚生官僚とその家族が標的されたのは、一連の年金不安や相次ぐ不正に乗じたマスメディアによる「厚労省バッシング」が、厚生官僚を「攻撃してもよい公認の敵」に仕立てたことが影響しているのではないか、ということである。もちろん厚生省の年金制度設計や社会保険庁の不正は問題であり、ほかにも薬害問題や後期高齢者医療制度や生活保護抑圧などなど数えきれないほど矛盾を抱えていて、これをマスメディアが批判的に取り上げるのは当然で、むしろ私は批判を推奨しているくらいである。しかし、マスメディア、特に決定的な影響力のあるテレビのワイドショーや「政治バラエティ」番組はひたすら不安を煽り、官僚に人格的攻撃を浴びせるだけで、ただ大衆の鬱憤のはけ口を提供していたにすぎなかった。 政治構造や制度に対する冷静な分析を無視して、単に「天下り官僚」を排除せよとか、「官から民へ」とか、公務員への嫉みを煽る言説が、キャリア官僚に対し「あいつらなら殺して構わない」と考えさせる「空気」を社会に醸成させているのではないか。以前、日朝首脳会談を実現させたと言われる外務省高官に対するテロがあった時に、東京都知事の石原慎太郎氏が「やられて当然」と言わんばかりにテロを擁護したが、あの時と同じ「論理」を高級官僚、特に厚生省に対し適用する者がいても不思議ではない。 もう1点。前述のように実際のところは政治的テロなのかどうかは不明だが、「元高官の暗殺」という事態はどうしても1930年代に相次いだ右翼によるテロを彷彿とさせる。最近の「田母神問題」が戦前の軍部の政治介入と思想的偏向を彷彿とさせたことと併せて、嫌でも「いつか来た道」を意識せざるをえなくなる。過剰に過去の例を引き合いに出して社会不安を高めるのはかえって危険であるが、当時以来の世界恐慌が囁かれる中で、今後貧困と不安の拡大に対する鬱屈がますます暴力的に噴出する恐れはなきにしもあらずである。それが誤った方向で発揮されるのを危惧する。 いまだよくわからない事件についてこれ以上語るのは控えたい。私は根がネガティヴなので、必要以上に事件に意味を与えてしまうのだが、少なくともバッシングが人々の悪意を高めていることは改めて強調しておきたい。 ■
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by mahounofuefuki
| 2008-11-19 17:23
G20による「金融サミット」は16日に首脳宣言を採択したが、今朝の新聞各紙やweb上の専門家筋の議論を読むとあまり評価されていないようで、「具体策なし」「成果なし」「問題先送り」という批判も多い。しかし私は、はて今回の宣言がそれほど期待外れだったか? むしろ世界的な市場放任路線の終焉を完全に決定づけたこと自体に意味があるのではないか? と考えるのだがどうだろう。
そもそもずいぶん前から首脳レベルの国際会議では具体策は話し合われないのが通例で、実務レベルで合意した内容を追認することで何よりも国際協調を優先してきたのは、今回に限ったことではない。突然首脳会議の場で「想定外」の提案が出てきても場を混乱させるだけだろう。その点で「具体策なし」というマスコミの評価は厳しすぎるし、その批判はあらゆる首脳会議に向けられるのではなければ公平性を欠く。 今回の宣言は、「即効的な内需刺激の財政政策」を各国に求め、「すべての金融市場、商品、参加者が適切に規制」されることを原則として明らかにした。特に国際的な金融権力の最も重要な要素と目される格付け会社へ「強力な監督を実施」すると明記したのは、非常に意味のあることだ。国際社会が市場万能と緊縮財政を至上とするこれまでの政策基調から、市場への規制・監視強化と財政出動を容認する方向へはっきりと舵を切ったのである。それだけでも歴史的な転換ではないのか。 会議では、ドル基軸通貨体制の変革すら射程に入れる欧州勢や、もはやその存在を軽視できなくなった「新興国」の発言力が高まる一方、アメリカ政府の威信低下は覆うべくもなかった。日本政府は依然としてアメリカの主導権を前提として行動したために、会議では全くと言っていいほど存在感はなかった。IMFへ10兆円もの資金を提供したのも、国際的には例の如く「便利な財布」扱いされている疑念なきにしもあらずである。麻生首相は自画自賛しているが、むしろ今回のサミットの結果は日本政府の対米追従路線に対し、完全な政策転換を迫ったとさえ言えよう。少なくとも今後の日本の経済政策を制約するのは間違いない。 元経済企画庁長官の宮崎勇氏は最近次のように述べている。 私は財政政策も金融政策も、過去10年以上、日本では機能してこなかったと思うのです。財政というのは、本来、景気調整の役割もあるし、社会資本の充実という役割もあるし、最も重要な役割として所得の再分配機能があります。この3つがほとんど機能しなかった。それに引っ張られて、金融政策のほうもまったく動けずに、低金利政策をずっと続けていたわけでしょう。 (宮崎勇「必要なのは内需拡大とセーフティネット」『世界』2008年12月号、p.89) 今回の首脳宣言は、そのような政府が何もしない、財政政策や金融政策が機能しない状況を否定したと言える。今後は反対に景気調整や社会資本の充実や所得再分配を強化するための政策が必要だということになる。「内需拡大」には国内市場の立て直しが急務であり、その点でも雇用待遇差別や低賃金は抜本的に是正されなければならない。 【関連リンク】 金融サミット首脳宣言の要旨 – 47NEWS(共同通信2008/11/16 15:50) http://www.47news.jp/CN/200811/CN2008111601000240.html ■
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by mahounofuefuki
| 2008-11-17 20:59
読売新聞電子版の「ジョブサーチ」に、奇しくも同じ日付で雇用保険に関するニュースが並んでいた。ある意味、日本の社会保障崩壊の実情を戯画化しているようである。
失業給付国庫負担ゼロに(読売新聞2008/11/14)*web魚拓 http://s04.megalodon.jp/2008-1115-2051-18/job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_08111401.cfm 「2009年度予算案で、雇用保険の失業給付金に対する国庫負担を初めてゼロとする方向」 雇用保険漏れ1006万人の恐れ(読売新聞2008/11/14)*web魚拓 http://s02.megalodon.jp/2008-1115-2050-26/job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_08111402.cfm 「雇用保険の適用対象者にもかかわらず、申請していない恐れのある労働者が最大1006万人に上る」 前者によれば「景気の回復局面で給付額が減った」ことで、失業給付の積立金に余裕ができたため、国庫負担を止めるということになっているが、実際はそうではないだろう。小泉政権以来、政府の「骨太の方針」は毎年の社会保障費自然増分を2200億円ずつ削減することを義務づけているが、2009年度予算では雇用保険の国庫負担廃止をもって削減枠に充てることはあらかじめ決まっていた(雇用保険の国庫負担全廃へ~社会保障費削減路線を続ける福田内閣参照)。そもそも雇用保険の国庫負担廃止方針は、すでに2006年の行政改革推進法で予告されていたことであり、「景気の回復」云々というのは後付けにすぎない。 しかも、その失業給付額の減少も、後者の記事が伝えるように、非正規労働者を中心に1000万人以上が雇用保険から排除されている可能性があるとすると、失業しても捕捉されずに給付を受けることができていない人々が相当いることになる。給付を受けるべき失業者を排除しておいて、保険財政に余裕があるというのは全くの欺瞞である。こうやってまたしても政府の社会保障支出は減らされ、「貧困と格差」は拡大していくのである。 社会保障費の「2200億円」削減枠をめぐっては、自民党の中からさえも「厚生族」を中心に廃止を訴える声があるが、何だかんだ言って政府は依然として継続している。ある意味「2200億円」枠は「小さな政府」の象徴であり、この改廃が政策転換の目安の1つとなろう。 ■
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by mahounofuefuki
| 2008-11-15 21:03
「世間」一般のイメージとして「官」=非効率、「民」=効率というイメージが流布し、行政の「無駄遣い」削減には民営化や民間資本の活用が必要であるという言説が後を絶たないが、そうした一般的なイメージの再考を迫るニュースを東京新聞が報じている。
東京新聞:民活病院 青息 コスト減のはずが・・・赤字(2008/11/12朝刊)*web魚拓 http://s03.megalodon.jp/2008-1112-1017-44/www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008111202000079.html 民間資本を活用して公共施設を建設、運営する「PFI方式」を導入した公共病院が、経営難や赤字に陥っている。(中略) 要するに、黒字だった公立病院が、医療業務を除く施設管理等を民間委託したところ、かえって赤字になってしまい、さらに委託した業務への投入税金も倍以上になってしまったということである。この事例の場合、赤字そのものは病床利用率の見通しのミスに起因するようなので、民間委託のせいとは必ずしも言えないが、委託業務に投入する税金が完全公営時代の倍以上に膨れ上がったのは、間違いなく民間委託に起因する。事実は小説より奇なり。「官」よりも「民」にやらせた方がコスト増になったのである。 記事を読む限り、今回の場合は病院施設の建設自体が大手ゼネコンへの利益誘導であり、受託した特別目的会社も当該ゼネコンの丸抱え、整備費は30年という長期の割賦払い、もちろん金利も税金で支払われる。これでは地方債を使った方がましじゃないのかとさえ思うのだが、民間委託がかえって自治体財政を圧迫しているという事例の存在は重い。大企業への利益誘導のために医療が食い物にされたと言っても過言ではないだろう。まさに「民による無駄遣い」である。 同記事には同様の方式の他病院についても言及されているが、どこもうまくいってはいないようである。PFI=Private Finance Initiativeは、日本では「民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律」に基づいて実施され、特に小泉政権以降、さまざまな公共施設に用いられ、特に最近ではこの方式による半官半民の刑務所が話題になった。全部の例を調べていないので、もしかすると「成功例」があるのかもしれないが、少なくとも医療分野では完全に失敗しているのではないか。かえって官民癒着を招く危険性も増すだろう。 市場原理をどこまでも信奉し、民営化を至上とみなす人々ならば、失敗したのは全部民営化しないからだとか、民間へのリスク転移が足りないからだとか言いそうだが、そんなことではあるまい。根本的に市場原理にそわない医療をビジネスとして捉える視点自体が、問題を引き起こしていると見るべきだ。誰もが安心して医療を受けられるようにするためには、きちんと税金ですべてを賄い、利権狙いの企業を排除することが必要だと思われる。 【関連リンク】 民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律 - 法令データ提供システム http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H11/H11HO117.html ■
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by mahounofuefuki
| 2008-11-14 21:29
買い物中の女性の臀部をカメラ付き携帯電話で撮影した男が、迷惑防止条例違反に問われていた裁判で、最高裁は被告の上告を棄却し、有罪判決が確定するという。共同通信(2008/11/13 12:38)より。
(前略) 被告側は「条例で禁じられる『みだらな言動』の内容が不明確」と主張したが、藤田宙靖裁判長は「社会通念上、性的道義観念に反する下品でみだらな言動と解釈できる。ズボンの上からの撮影でも被害者が気付けば恥ずかしがり、不安を覚える行為で、条例違反は明白だ」と指摘した。(後略) なお5人の裁判中、1人は「のぞき見」などとは「全く質的に異なる」、撮られた写真は「卑猥」な印象はないと判断して、無罪判決を求める少数意見を出したという(朝日新聞2008/11/13 11:10)。 この訴訟ではズボン姿でも撮影が「みだらな言動」「卑猥な動作」なのかどうかが争点だったわけだが、それ以前に、見ず知らずの人を背後から無断で「約5分間、約40メートルにわたり付け狙い」(共同、同前)撮影するという時点で、被写体が着衣だったか、スカートだったか、あるいは身体のどこを映したのかにかかわらず、すでに被写対象の人格を損ねる行為とみなさざるをえず、条令が定める「みだらな言動」だったかどうかは別として、道義的に問題のある行為だったことは確かだ。法的な合理性の是非は留保したいが、心情的には「そりゃまずいだろう」というところである。 ところで今回の判決は、報道を読む限りでは「被害者が気付けば恥ずかしがり、不安を覚える行為」だから有罪だという論理展開のようだが、これに従えば、たとえば「監視カメラ」はどうなるのだろう。時と場合によっては街中・建造物中あちこちに散在する「監視カメラ」も同様の問題を抱えているのではないか。 今回の事件は、撮る側の「まなざし」や「動作」に対し、撮られる側が羞恥と不安を感じたことが問題なので、それ自体は「まなざし」を発しない「監視カメラ」には今回の判例は適用できないのかもしれない。しかし、そのカメラが誰かに遠隔操作されていたり、撮影後に誰かが映像をチェックして偶然「卑猥」とみなせる映像があるなどで、いわば被写対象には可視化されない「性的なまなざし」があった場合はどうなるか。判決は「被害者が気付けば」と断っているので、要は被写対象が気付かなければ問題にはならないとも読み取れる。しかし、それが倫理的によいのか?と頭を抱えざるをえない。 問題は「表現の自由」やプライバシーの保護と関係しているだけに非常にデリケートであり、こうすべきだ!という明快な結論は私には全然出せないが、今回の最高裁判決は期せずして氾濫する「監視カメラ」の危険性について考える材料を提供しているのではないか。 もう1点。今回の件が有罪となると、よく新聞やテレビのニュースで恣意的に「若い女性」や「肌の露出の多い女性」ばかり撮っているのはどうなるのだろう。海水浴の報道では必ずと言っていいほど映るのは若い水着姿の女性である。台風の時にはこれまた必ずと言っていいほど短めのスカートを必死に抑える若い女性(たいていは女子中高生)が映る。最近もたまたま某私立大学の学生が大麻所持で逮捕されたというテレビニュースを見ていたら、資料映像としてミニスカート姿の女子学生が歩く様子を脚部だけ十数秒にわたって映していたのに出くわした。これらにエロティシズムを感じるのは、言うまでもなく既存の「男らしさ」に拘束された私の視線に起因するが、撮影者やその種の写真・映像を使用した関係者も同様の視線を持っていることは間違いない。これらが無断撮影で、かつ被写対象が羞恥や不安を覚えたなら、やはり有罪になるのではないだろうか。 小さなニュースだが、いろいろな問題を考える素材になると言えよう。 ■
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by mahounofuefuki
| 2008-11-13 22:47
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