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規制で解決しないと言うなら、何だったら解決するんだ!

 政府・厚生労働省が「日雇派遣」の原則禁止方針を打ち出し、次期国会で労働者派遣法改正案が提出される見込みだが、政府案は直接雇用・無期雇用の原則確立には程遠い不十分な内容にもかかわらず、依然として「日雇派遣」の禁止にすら反対する動きが顕在化している。

 「今後の労働者派遣制度の在り方に関する研究会」の報告書答申を受けて、厚労省の諮問機関である労働政策審議会の労働力需給制度部会は派遣労働問題の検討を再開したが、報道によれば先月30日に行われた会議では、経営者側が「日雇派遣」の禁止に反発し、指導監督の強化で十分だと主張したという(時事通信2008/07/30 14:43など)。「指導監督」では一向に違法行為が改まらないから、法改正の必要性を協議しているのに、このような言い草をする厚顔無恥ぶりには呆れるほかないが、それだけ必死であるとも言え、派遣労働見直しに対するバックラッシュは依然侮れない。

 財界の御用新聞と言っていい日本経済新聞は「規制では解決しない派遣労働の問題」と題する社説を出したが(日経2008/08/04朝刊社説)、ここでも「日雇派遣」の禁止に事実上反対する主張を行っている。

 日経の主張は、①法令違反の取り締まり強化による悪質派遣業者の排除、マージン率公開は必要、②「日雇派遣」の禁止は「学生や主婦」などが不便となり、30日以内の短期派遣の全面禁止は経済へのダメージが大きい、③やむなく日雇で生計を立てざるをえない「一部の人」には正社員への雇用を促進する手立てが必要だ、④「専ら派遣」は派遣自体が問題ではなく、正社員と派遣社員との賃金格差が問題だ、⑤派遣労働が「社会に根付いた」以上、派遣を「臨時的・一時的労働力」と位置づけず、「例外扱い」をやめるべきだ、などである。

 ①については、合法・違法にかかわらずピンハネ=「中間搾取」が反社会的であるという問題意識が欠如している。悪質業者さえ排除すれば済むと言うが、「悪質ではない」派遣業者などいるのか? いたら是非教えて欲しい。

 ②については、「学生や主婦」だからと言って「派遣」でいいという根拠はない。今回問題になっているのは「日雇派遣」であって「日雇」ではない。派遣法が拡大する前は短期のアルバイトでも直接雇用で何ら問題がなかった以上、「日雇派遣」を容認する理由にはならない。

 ③については、「日雇」で生計を立てている人が「一部」と決めつけているのは問題だが、正社員化の必要性を認識している点に限れば評価できる。

 ④については、賃金格差を是正するためにこそ、法的規制が必要であることを理解していない。「派遣」という地位自体が差別の理由にされている以上、これを規制するのは当然である。

 ⑤については、「期限のある奴隷」から「無期限の奴隷」にしろという意味で、首相や厚生労働大臣でさえ国会で「派遣」を「臨時的・一時的労働力」と認めざるをえなかった意味を考慮していない。確かに正規雇用を諦めた派遣労働者の中には「派遣」のままで社会に認知されるよう求める切実な声があるが、一方で先日の『労働経済白書』でも明らかなように正社員になることを希望する人が多数おり、間接・有期雇用の永久化はそうした希望と対立する。派遣を恒常的労働力とすれば、企業はますます正規雇用を非正規雇用に転換し、貧困が拡大するだろう。

 日経の社説は「小手先の規制でなく、本質的な議論が必要だ」と結んでいるが、その字面だけは全くその通りだが、「小手先の規制」を主張しているのは現行法の運用改善でお茶を濁そうとしている経営側であり、労働側が主張する派遣法の抜本的改正こそが「本質的な議論」である。今回の「日雇派遣」問題の本質は、まるで「手配師」のような貧者を食い物にするビジネスを公認し続けるのか、ピンハネという非人道的行為を容認するのかどうかである。その点を見誤ってはならない。

【関連記事】
労働者派遣法改正問題リンク集
厚労省「今後の労働者派遣制度の在り方に関する研究会」報告書は不十分

【関連リンク】
厚生労働省:第116回労働政策審議会職業安定分科会労働力需給制度部会資料
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/07/s0730-15.html
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by mahounofuefuki | 2008-08-04 23:05

同調圧力、「他者」の好奇のまなざし、そして「『自殺的』他殺」

 捜査中の事件報道というのはほぼ警察発表がソースで、特に留置・拘置中の容疑者の「供述」の取り扱いは注意を要するので安易に取り上げたくはないのだが、先月埼玉県で女子中学生が父親を殺害した事件で伝えられる話がどうしても気になったので、あえて取り上げる。

 当初、この中学生は父親が母親と弟を殺す夢を見たので殺そうと思ったと「供述」したと伝えられていたのだが、昨日になってそれは作為で、実は父親だけでなく、母親と弟も殺害した上で自殺するつもりだったと「供述」を変化させているという。
 「すべてがいやになった。特に人間関係に疲れ、家族(全員)を殺して自分も死のうと思った」(読売新聞2008/08/03 03:12)、「人に気を使って生きるのに疲れた」(朝日新聞2008/08/03 03:01)と述べ、さらに動機を作為した理由について「自殺すると残った家族が周囲から冷たい目で見られるので、みんな死ぬほうがいいと思った」(毎日新聞2008/08/03朝刊)と語っているという。
 要するに「娘による父殺し」という精神分析家好みの家庭内殺人ではなく、子どもによる一家心中未遂だった可能性が出てきたのである。

 私が思ったのは、15歳で「人に気を使って生きる」ことを悩まねばならない社会とはいったいなんなんだろう?ということである。自分の過去を振り返っても、そんな年頃に果たして他人に気を使っていたかと問われれば、否と答えるほかない。「子ども社会」ならではの人間関係の悩みは当然あったが、彼女の言葉には単なる「悩み」を超えた、人間関係のちょっとした失敗が自己の尊厳を完全に失ってしまうような「恐怖」が読み取れる。どこかで子どもが「教室は地雷原」と喩えていたのを読んだ記憶があるが、「子ども社会」における対人コミュニケーション能力の絶対化を伴った同調圧力はそれほどひどい状態にあるのだろう。

 大澤真幸氏は『不可能性の時代』(岩波書店、2008年)の中で、携帯メール時代には「家族のような親密な関係を食い破って、外部の〈他者〉と直接性の高い関係を結ぼうとする欲望」が生じると指摘しているが、その傾向は若い世代ほど顕著だろう。一方で彼女のようにそのような「直接性の高い関係」に疲れた者はどうすればよいのか。「自分と自分の愛する者が消えてゲームオーバー」以外の行き先を大人たちは提示しているとは言い難い。

 何より「子ども社会」は「大人社会」を反映している。それは彼女が当初虚偽の「供述」をした理由にも現れている。「残った家族が周囲から冷たい目で見られる」ということへの恐れは、まさに日本社会にける「異物」を排除しようとする同調圧力と「異物」への好奇の視線を下敷きにしている。彼女は同調圧力に苦しんで死を決意し、「他者」の好奇のまなざしを恐れて家族を殺そうとしたが、父親のみの殺害に終わり(つまり「失敗」し)、さらになお残された家族が社会から傷つけられるのを恐れて動機を糊塗する。そのナイーヴさはあまりにも痛々しい。

 彼女の思考は決して肥大した被害妄想とは言えない。実際、「被害者」や「加害者」や「自殺者」や、あるいは「障害者」や「外国人」といった「われわれ」とは違う、もっとひどい言い方をすれば「普通」ではない、「異種」の「属性」を付与された者に対する、この国の大衆の扱いは非常に冷たく厳しい。「異種」の烙印を押される者にとって、まさに「他者」は「自己」をひどく傷つけるものとして立ちはだかる場合があり得るのである。

 以前、自殺者の増加の件で、「『空気を読め』とか『日本人の誇りを持て』というような帰属意識を強要する社会風潮、あるいは『死んでお詫びする』とか『名誉の戦死』のような『死』そのものを特権化・美化する文化も、追い詰められた時に行き場を失わせ、自殺でしか自己の存在理由を守れないと考えさせる要因になっている」と述べたが、これは自殺のみならず、今回のような「『自殺的』他殺」とでも言うべき状況にも適応しうるだろう。他方で、帰属意識とか同調圧力とか「死」の特権化といったレベルを超えた「何か」がさらに隠されているような気もしている。

 この社会は病んでいる。しかし、その確実な処方箋は未だ見つかっていない。

【関連記事】
「無間地獄」と「死」の二者択一から逃れるために
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by mahounofuefuki | 2008-08-03 23:15

「インターネット報道協会」結成に思うこと

 インターネット上のニュースサイトを運営する各社がネット報道の質の向上を目指す「日本インターネット報道協会」が発足したという。

 ネットメディアの質向上をめざし、「日本インターネット報道協会」が設立される – JanJan
 http://www.news.janjan.jp/media/0808/0808013515/1.php
 ネット報道の質向上へ、「インターネット報道協会」設立 – Itmedia News
 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0808/01/news103.html

 発足会員はジェイ・キャスト(J-CASTニュース)、日本ビデオニュース(ビデオニュース・ドットコム)、オーマイニュース、日本インターネット新聞(JanJan)、ベリタ(日刊ベリタ)、オフィス元木(元オーマイニュース編集長の元木昌彦氏)で、将来の法人化を目指し、法人・個人を問わず広く会員を募るという。この中ではJ-CASTがなんとなく「浮いている」感じを受けるが(「2ちゃんねる」の流言を垂れ流して、排外主義や差別主義を扇動する姿勢はいいかげんにして欲しい)、「質の向上」という言葉を違えないのならば何も言うまい。

 インターネットが普及しはじめた当初は、既成のメディアの閉塞を打ち破れるのではないかという期待を少なからず抱いてはいたが、実際は依然として既成メディアの壁が立ちはだかっているだけでなく、ネット特有の問題が次から次へと発生していて、ある種の隘路に迷い込んでいる。簡単には問題が解決されるとは思えないが、どうにかしようという志は買いたい。

 素人目には新聞とテレビという二大メディアが聳え立っていて、ネットメディアは主に週刊誌などの雑誌メディアのシェアを侵食して成立しているという印象がある(実際に雑誌はどのジャンルでも売れなくなっている)。ネットの最大の利点である速報性は専ら新聞社や放送局のニュースサイトの専売特許になっていて(掲示板やブログの「速報」の「元ネタ」でもある)、結果としてネット時代になって改めて大手のメディア資本の底力を見せつけられているように感じる。
 他方、掘り下げの深さや記事の完成度の高さという点でも、ネットメディアは活字メディアに水をあけられている。「記者クラブ」という明らかに「取材の自由」を侵害しているいかにも日本的な制度のせいもあるが、むしろ読者との金銭関係の有無の差(活字メディアは購読料を支払わないとならないが、ネットメディアは一部を除いて無料購読である)が出ているような気がする。

 最近話題の「ブログ通信簿」によれば私の「ブログ年齢」は50代だそうなので(笑)、考え方が古いのかもしれないが、何だかんだ言って今も「活字信仰」なところがあって、毎週1回は図書館へ行き、新聞や月刊誌・週刊誌などをチェックしてくる(書籍も含め貧乏で買えないので図書館頼み)。どうしてもネットだけに頼っていると不安になるからである。
 ネットは紙媒体と異なり文章量の制約がないので、既成メディアよりも報道が濃く深くなるのではないかと昔は考えていたが、実際は長時間ディスプレイを見続ける苦痛があるせいか、ネットの方が情報の「数」は圧倒的であっても、「個別の情報の中身」ははるかに薄い。「書き手」になるハードルが低いこともあって、信憑性にも疑問がある(前述の協会加盟社の中にも反科学的な陰謀論を流している場合がある)。
 市民運動や労働運動など新聞やテレビがなかなか報じないニュースはネットが唯一の発信源だし、社会的弱者の「声なき声」が「聴こえる声」になったのはネットの力ではあるが、私の中では既存のメディアへの不信を抱き、その権威を全面否定しつつも、依然としてネットは「B級」なのである。もちろん「B級」であることを捨てる必要はないが、やはりそろそろ「A級」の領域を侵食する「野心」をネット報道に求めたい。

 ちなみにブログも一応は広義の「報道」である以上、ネット報道を下支えするために「質の向上」を図らねばならないのかもしれない。本当はのんびり気楽に書きたいことだけを書いていたいのだけど・・・。
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by mahounofuefuki | 2008-08-02 22:04

新自由主義「漸進」路線を明示した福田改造内閣

 一橋大学大学院教授の渡辺治氏は「新自由主義構造改革と改憲のゆくえ」(『世界』2008年7月号)の中で、小泉政権退陣以後の新自由主義路線は2つの潮流に分岐したことを明らかにしている。第一は「急進改革路線」、第二は「新漸進路線」である。

 第一の「急進改革路線」とは、「改革の『痛み』に対する手当などは行わずに急進改革を続行し、改革実行により達成された成長とパイの増大で格差と貧困に対する不満を吸収しつつ、消費税をあげずに『プライマリーバランス』の回復をめざす」路線で、いわゆる「上げ潮」派と呼ばれる竹中平蔵氏や中川秀直氏らが目指したのがこれである。

 第二の「新漸進路線」とは、「急進改革をこれ以上続行して社会統合を破綻させることに対し、逆にある程度の構造改革に対する手当てが不可欠であると考え、消費税の値上げで対処すべしという路線」で、与謝野馨氏がこの路線の中心人物とされる。

 昨年の参院選以降「急進改革路線」は衰退しはじめ、福田政権下では「新漸進路線」が台頭したというのが渡辺氏の分析だが、今回の内閣改造の陣容を見ると、氏が指摘した傾向はますます強まり、ついに「上げ潮」派は政権内にほとんど居場所をなくして退場を余儀なくされたと言えよう。前内閣を引き継いだ改造前には大田弘子氏や渡邊喜美氏のような「急進色」の濃い閣僚が要職にいたが、今回の改造では目立つ「上げ潮」派の実力者が入閣していない。

 特に経済財政担当大臣にほかでもない与謝野氏が起用されたのが象徴的である。財務大臣に伊吹文明氏、経済産業大臣に二階俊博氏、国土交通大臣に谷垣禎一氏という陣容は一方で派閥領袖の均衡人事の意味合いがあるが、他方政策的には「新漸進路線」を代表する政治家が経済閣僚を占めたと言えよう。福田首相が重視する消費者行政担当に「郵政造反組」だった野田聖子氏が任用されたのも、脱「小泉」色を鮮明にしている。

 「急進改革路線」も「新漸進路線」も、大企業の国際競争力を何よりも優先し「小さな政府」を推進する新自由主義に変わりはないが、これまで「構造改革」の名の下でさんざん「官製貧困」を拡大してきた最大の主犯である「上げ潮」派が消えたのは朗報である。行き過ぎた「改革」路線を修正しようとする昨年来のムーブメントが定着しているのは、少なくとも馬鹿の一つ覚えの規制緩和一辺倒よりはましになっている。

 問題は行き場を失った「上げ潮」路線が民主党に流入する可能性があることである。もともと民主党は新自由主義路線に親和性があるのに加え、確固とした基本理念がなく「自民党の対抗軸」という自己規定以外に党の結集軸がないため、「新漸進路線」に完全に舵を切った福田政権との対抗上、「上げ潮」路線に飛びつく危険がある。「新漸進路線」は何よりも消費税増税を重視しており、単に消費税増税の是非だけが問題になった場合、「消費税引き上げ反対」の立場から民主党が事実上「急進改革路線」を採択しないとも限らない。

 当ブログではもう何度も指摘しているように、消費税増税の対抗軸は歳出削減ではなく、直接税増税による福祉国家への道であるべきなのだが、現況は全国紙すべてが消費税増税の世論誘導を進めるなど、なかなか直接税増税論は税制議論の俎上にも載っていない。今回の政局の転回を機に「上げ潮」派の息の根を止めるためにも、福田改造内閣が進めるであろう消費税増税路線には、所得再分配効果を強化した上での福祉国家路線を対置するよう主張していく必要がある。

 今回の内閣改造についてはもう1点。中山恭子氏が少子化問題・拉致問題担当の国務大臣に起用され、一見「拉致問題」重視の姿勢を示して、強硬外交路線をアピールしているように思えるが、むしろ常時首相官邸に勤務する首相補佐官から外すことで、首相周辺の外交政策決定過程から排除したというのが実態だろう。すでに「拉致家族会」や「救う会」の方が勝手に政府批判色を強めて離反した以上、単なるメッセンジャーだった彼女はもはや用済みになったというのは言い過ぎだろうか。
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by mahounofuefuki | 2008-08-01 20:56