<   2008年 07月 ( 17 )   > この月の画像一覧

自衛隊、こわれてる?

 なぜか今日は自衛隊関係の不祥事が次々と報道されている。いつもお世話になっている「エキサイトニュース」を「自衛隊」で検索すると、いずれも7月11日付で「同僚の現金窃盗、陸士長を懲戒免」「<痴漢>女性の体触った1等陸佐を逮捕、容疑を否認」「<変死>1等陸佐が誤って侵入、水のないプールに転落か」「<石破防衛相>護衛艦放火取材で墜落『申し訳ない』」といった見出しが並ぶ。それぞれの事件は独立しているので、偶然重なっただけではあるが、こうも不祥事が続出するのは、あたかも最近の自衛隊を象徴しているかのようである。

 自衛隊をめぐっては近年、海自の給油量虚偽報告や航海日誌破棄のようないかにも「官庁的」な不祥事や、イージス艦「あたご」が漁船に衝突した事件のような惨事に加え、隊員の自殺者・変死者の増加パワハラ・セクハラの表面化など隊内における人権侵害問題が相次いで表面化している。先日の護衛艦「さわゆき」内での放火事件の容疑者は、仕事がきつかったことを動機として話していると伝えられている。「痴漢」や「泥酔の末の住居侵入」もストレス過重によるモラルハザードが容易に推測しうる。いずれにせよ心身ともにかなり追いつめられている自衛隊員が相当いるのではないかと疑うに十分だ。

 特に自衛隊員の自殺の多さは深刻である。防衛省人事教育局の発表によれば、事務官を含む自衛隊員の自殺者数は2003年度までは50~70人程度で推移していたが、04年度に94人へ急増し、さらに05年度と06年度はいずれも101人、07年度は89人と高止まりが続いている(「急増する自衛隊の自殺者とホットライン」、北海道新聞2008/04/16 16:06ほか)。日本経済新聞2008/04/16夕刊によれば、10万人あたりの自殺者数は、一般職公務員が17.7人、民間人が27.8人に対して、自衛隊員は38.7人と突出している。年齢を考慮すれば自衛隊の自殺率の高さは驚異的とさえ言えよう。これでも氷山の一角の可能性がなきにしもあらずである。

 自殺の増加は閉鎖的組織内での暴力と密接に結びついている。すでに自殺した自衛官の遺族による損害賠償請求訴訟がいくつか起こされているが、それらの自殺の原因は隊内でのいじめに求められている。前記日経の記事には、元航空自衛官の須賀雅則氏の「いじめは自衛隊では深刻な問題で、自分の在籍時にも自殺者は出ていた」「(いじめによる自殺は)管理責任に直結する。階級社会の自衛隊では上司が処分を嫌い、上層部に報告する際に(原因特定を)うやむやに済ませる傾向があった」というコメントがあるが、軍事組織に普遍的な暴力性に加え、旧軍の陰湿さを受け継いでいる自衛隊においていじめは相当深刻であるとみて良いだろう。

 元来からあった「体質」も問題だが、近年自殺者が急増している要因としては、「専守防衛」の防衛組織から日米軍事一体化の下での海外派兵を前提とする「外征」型の軍隊への変貌が挙げられる。テロ特措法とイラク特措法によりインド洋やイラクなどに派遣された経験のある自衛隊員のうち35人が死亡、うち自殺が16人、「事故・死因不明」(おそらく実際は自殺である者を含む)が12人にも上ることが昨年国会で明らかにあり、以前当ブログでも取り上げたことがあるが、過酷な海外勤務が隊員の心身を疲弊させていることが考えられる。また海外派兵が中心任務となって以降、従来よりも訓練が厳しくなったり、隊内の締め付けが強化されているとも言われている。

 個々の自衛隊員の「人権」という観点から、自衛隊の在り方やそれを事実上規定している日米安保体制の「逸脱」を批判的に検討する必要があるだろう。今後、イラク特措法の延長の可否が政治問題化することも考えれば、自衛隊の「いじめ」と自殺はもっと追及されて然るべきである。

【関連リンク】
『自衛隊員が死んでいく』暫定ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/jieijieitaitai
米兵・自衛官人権ホットライン
http://www.jca.apc.org/gi-heisi/
急増する自衛隊の自殺者とホットライン - 米兵・自衛官人権ホットライン
http://www.jca.apc.org/gi-heisi/news/no.007/007-02.html
NPJ 護衛艦たちかぜ 自衛官いじめ自殺事件
http://www.news-pj.net/npj/2007/tachikaze-20071115.html
自衛隊員の自殺が止まらない – Internet Zone::WordPressでBlog生活
http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2008/04/17212331/
衆議院議員照屋寛徳君提出イラク帰還自衛隊員の自殺に関する質問に対する答弁書
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b168182.htm
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-07-11 23:28

教員採用・人事汚職の背景

 大分県の教員採用をめぐる汚職がにわかにクローズアップされている。新規教員の採用や管理職への昇格など県教委所管の人事において、教育委員会幹部や学校管理職らとの間に金品の贈収賄や口利きが常態化していたことが明らかになりつつある。県議会議員の口利きも表面化し、もはや問題は底なしに拡大している。

 教員や公務員の採用をめぐっては、特に地方に行けば行くほど「縁故採用」の噂が従来から絶えなかった。詳細は私にも実生活上の立場があるので述べられないが、地方の教員採用・異動でいくつか縁故優遇の具体的な疑惑を実際に見聞きしたこともある。私が大学時代、周りの教員採用試験合格者に小学校や中学校の校長の子弟が少なくなかったという事実もある。今回の大分県の場合はやり方があまりにも露骨で異常と言うしかないが、ここまで露骨ではない方法での口利きや工作は全国どこでも行われているのは間違いない。

 元来、地方の小中学校の教員採用は、ほぼ地元の旧師範学校系の教員養成大学出身者で固められていた。大学の教員養成課程を出ればまず間違いなく地元の教員に採用されていた時代は、受験の競争率も低く、採用過程では不正が行われる可能性は低かった(ただし臨時採用や非常勤講師の採用で縁故がモノを言ったり、採用後の人事をめぐり人事権をもつ校長が縁故者を優遇したことはあったと思われる)。

 しかし、少子化と学校統廃合の拡大による教員採用数の抑制と、長期不況による民間の就職難により、一般大学出身の志願者や地元以外からの越境受験者が増加して競争率が上がると、縁故を頼る傾向が高まった。実力主義を前提とする競争原理が強くなるほど、むしろコネの威力が発揮されるという新自由主義のパラドックスはここでも現れたのである。

 一方、教育行政の構造的な歪みも見逃せない。都道府県や市町村の教育委員は一応議会同意人事であるがほとんど仕事をしておらず、実際は都道府県庁や市町村役場の行政マンや文部科学省からの出向官僚から起用される教育長が教育行政の実権を握っている。教育長は都道府県の場合、知事・副知事・出納長に次ぐ幹部であることが多く、教育委員会は自治体の行政機構の枠内に組み込まれている。

 かつてGHQの占領改革で地方の教育委員会は民選となり、文部省や自治体からの独立を担保されていたが、「逆コース」下の1956年に地方教育行政組織法が施行されて以降は、文部大臣を頂点とする上意下達の命令系統が整備され、教委は独立性を失った。その結果、教委幹部の官僚化が進み、同時に政府や自治体からの介入や議員の口利きに対する耐性も弱まった。

 もう1点、不正の温床として、教職員組合の弱体化も挙げなければならない。教育委員会や管理職と強力な教職員組合が緊張感のある対抗関係を保っていれば、相互に不正に対する抑止機能や監視機能が働くが、周知の通り現在の組合は組織率が低下する一方で、教育行政の抑圧に対する抵抗力はほとんどなくなってしまっている。近年は末端の教員に至るまで上意下達の命令系統に組み込まれており、「日の丸」「君が代」を踏み絵とした教員統制も強まっている。実は教委幹部や管理職の子弟の縁故採用には組合弱体化策としての機能があり(縁故採用者は教委にとって「安全分子」であり、さらには「管理職予備軍」となる)、その点でも教育行政の構造的な歪みは深刻である。

 いずれにせよ大分県はもちろん、他の都道府県も含めこの際は膿を出し切り、抜本的な是正策を行う必要あるのは言うまでもない。こういう事態が起きると、単に教育関係者の地位を貶めて、厳罰を与えることに自己満足したり、民営化万能論でかえって教育行政の非合理を進めたりしがちだが、これまで述べたように問題の本質は、教員採用試験の競争率の異常な高さと教育委員会の独立性の剥奪と教職員組合の弱体化にある。つまり、問題の解決には、教員資格取得の厳格化や試験選抜方法の改善、教育委員会の独立性回復、教職員組合の復活が必要である。特に組合は今や大衆の「公認の敵」扱いだが、大衆がバッシングで組合の弱体化に加担したことが不正の原因の1つになっていることを、きちんと理解してほしい。

【関連リンク】
地方教育行政の組織及び運営に関する法律 - 法令データ提供システム
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S31/S31HO162.html
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-07-09 17:40

派遣労働見直しへのバックラッシュと「抱き合わせ」改正への警戒

 派遣労働をめぐっては昨年来、「ワーキングプア」拡大に対する世論の厳しい視線を背景に、政府・与党内の風向きが変わりはじめ、従来の規制緩和一辺倒から何らかの規制強化策を打ち出すことで、問題の緩和を図ろうとする流れが確立しつつある。厚生労働省が日雇派遣の禁止方針を打ち出し、自民・公明両党のプロジェクトチームがやはり日雇派遣の禁止、マージン開示義務、「専ら派遣」への規制強化を骨子とする労働者派遣法改正案を公表したのも、そうした流れの中に位置する。これらは先の国会会期中に民主党が用意した改正案と同様、派遣労働の抜本的見直しからははるかに遠い不十分極まりない案だが、少なくとも現状のままではいけないという問題意識だけは共有されていると言えよう。

 *与党の労働者派遣法改正案の問題点については、以前TBいただいた「エム・クルー ユニオン」のブログエントリを参照いただきたい。
 声明 与党PT「日雇派遣禁止案」に関する派遣ユニオンの見解 – エム・クルー ユニオン
 http://blog.goo.ne.jp/m_crew_union/e/316e7a940f7cf83ebfc79a3e638c88ab

 一方で、こうした流れに対するバックラッシュも最近強まっている。労働法制の解体を推進してきた規制改革会議は今月2日に第3次答申の「中間とりまとめ」を発表したが、非正規雇用に対する雇用待遇差別の存在を認識しつつも、相変わらず派遣労働の恒常化を求め、派遣法改正にあたっても派遣期間を超えた労働者に対する派遣先の雇用申込義務の廃止や派遣業種規制のさらなる緩和を示唆するなど、最近の流れに完全に逆行する内容となっている。

 また、これに呼応するかのように、日本経済新聞と読売新聞が相次いで日雇派遣禁止に疑義を示す社説を出した(日経は7月7日付、読売は7月8日付)。いずれも日雇派遣に対する労働者側のニーズの存在を口実に、企業の「使い勝手の良さ」を弁護する内容となっており、政府・与党に配慮してか日雇派遣の可否自体に触れなかった規制改革会議の中間答申を補完する役割を果たしている。これら社説には日雇派遣が貧困を生み、その貧困が日本社会を荒廃させ、貧民の人間性を剥奪していることへの問題意識は全くない。政府を監視すべきマスメディアが政府機関よりも鈍感なのには改めて驚かされる。派遣労働見直しの機運の高まりにはマスメディアの果たした役割が大きかったが、それだけにマスメディアがバックラッシュに加担することになればダメージは計り知れない。

 バックラッシュのねらいは実ははっきりしている。それは製造業における「2009年問題」を目前に控え、メーカー側は何としても現行の労働者派遣法第40条2~5項を改めて、できれば派遣先の直接雇用申込義務の廃止、最低でも現行3年の派遣期限の延長を実現したいのである。実態は派遣先の指示で働く「派遣」を、雇用期限のない「請負」に偽装していた「偽装請負」問題がクローズアップされたのが2006年。その「偽装請負」を糊塗するために、多くの製造業で請負から派遣への切り替えが行われたが、現行法が続けば3年後に当たる2009年に多くの派遣労働者が雇用期限を迎える。メーカー側は大量の派遣社員を直接雇用にするか、契約解除するしかない。いずれも経営上回避したい事態なのである。

 以前にも民主党の腰砕けの時に指摘したが、労働者派遣法改正問題で今後警戒しなければならないのは、一方で日雇派遣の禁止やマージン開示義務を前面に押し出しながら、他方で直接雇用申込義務の廃止や派遣期間の規制緩和を盛り込む「抱き合わせ」の「改正」である。与党は予定を前倒しして次の臨時国会で派遣法改正案を提出すると伝えられているが、先に日雇派遣禁止で世論を欺き、後から規制緩和条項を盛り込むことも考えられよう。財界としては日雇派遣業界を切り捨ててでも、有期雇用・間接雇用の恒常化を推進したいはずである。

 すでにキャノンが世論の批判と国会の猛攻を受けて、派遣社員を直接雇用の期間社員と業務請負に転換する方針を表明し、実際に転換を進めているようだが、一方で「偽装請負」表面化後も企業によってはさまざまな「抜け道」を「開拓」して、事実上間接雇用の永久化を図っている。キャノンの例も依然として有期雇用の不安定性という問題は何ら解決していない。真の解決には何としても労働者派遣法の抜本的改正を足掛かりにして、直接雇用・無期雇用の原則を確立しなければならない。ここでさらなる規制緩和や「抱き合わせ」を容認しては日本社会に未来はないと断言しよう。

【関連記事】
労働者派遣法改正問題リンク集

【関連リンク】
規制改革会議「中間とりまとめ―年末答申に向けての問題提起― 5 社会基盤」*PDF
http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/publication/2008/0702/item080702_09.pdf
規制改革会議「中間とりまとめ」/派遣労働是正に抵抗/流れが見えない異質の存在 – しんぶん赤旗
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-07-08/2008070805_02_0.html
規制改革会議の孤立化:五十嵐仁の転成仁語
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2008-07-06
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-07-08 17:28

「北海道洞爺湖サミット」という悪夢

 北海道洞爺湖サミットが始まった。

 私は現在北海道在住だが正直悪夢をみているようである。

 動員させられ作り笑顔で「歓迎」する子どもたち。某国の大統領夫人の写真を撮ったとはしゃぐ若い人。夕食会の献立だの、某ホテルの装飾など、どうでもいいことに時間を割くテレビ。自画自賛の観光案内を垂れ流す地元メディア。どの報道も「食糧」や「環境」が問題だと伝えるが、普段にも増してつっこみが甘い。自らは手を下さずに何十万人も殺してきた権力者への批判もない。

 一応、サミットとグローバリズムに抗議するデモや集会も報道されているが、あくまでもそれは「われわれ」ではない「外部」の出来事というスタンス。地元の老人のデモ見る眼差しはまるで盆踊りを見ているかのよう。街中に溢れる警察官、それも他府県の制服が目立つ。検問や荷物検査で服まで脱がされていても、これを人権侵害だと認識すら人はほんのわずか。多くの住民は過剰警備の不自由さを感じているが、その不満を公には口に出すことが憚れている。

 北海道には「YOSAKOIソーラン祭り」という、企業利権まみれで運営が腐敗しきった、ただうるさいだけの下品なイベントが毎年あるが(余談だがこのイベントの発案者が次期衆院選で自民党から出馬する)、その時に匹敵する不愉快さを私は感じている。アリの入る隙間もないような檻に入れられ、歓迎せざる来客に無理やり付き合わせられている感覚。先行して行われた「先住民族サミット」や「市民サミット」の成果には敬意を持ちつつも、日常生活の息苦しさの代価としては安すぎる。

 わざわざ1カ所に、それも片田舎に集まって会議をやる必要性など本当にあるのか? 国際会議の場としては国連という常設の場があるではないか。そういう根本的なことを考えなければならない時が来ている。
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-07-07 20:41

物価高騰と貧困問題

 1990年代以降、日本では長らく物価の下落傾向が続き、一時はデフレスパイラルとさえ言われていたのだが、このところは物価の高騰が急速に進んでいる。昨日発表された日銀の生活意識アンケートでも、物価の上昇を回答した割合が92%を超え、過去最高を記録した(東京新聞2008/07/05朝刊ほか)。最近『エコノミスト』誌が「インフレ炎上」という強迫的なタイトルの特集を組んでいたが、これは必ずしも誇張ではなく、現実にインフレの進行で生活が「炎上」する不安を多くの人々が感じているだろう。

 2000年代前半の好況は、大企業の労働分配率の低下が端的に示しているように、人件費を削減した分が企業収益に回っただけの「見せかけの好況」だったが、その「好況」の踏み台になった非正規労働者や「周辺的正社員」が辛うじて生活できたのは、生活必需品が安かったからにほかならない。私はよく「100円ショップ」に行くのだが、その度に中国や東南アジア諸国の低賃金労働者の「犠牲」に心を痛めつつ、「こういう廉価品があるおかげで生きていられるのだな」という感慨を抱いていた。

 もちろん客観的に考えれば、モノが安すぎるが故にまわり巡って所得も低くなるのであって、異常なデフレ状況が完全に終焉して物価が上昇に転じるのは本来悪いことではない。しかし、今回の物価高騰は、新興工業国の台頭とサブプライムローン問題に端を発した原油や穀物相場の急騰という外部要因が基軸であり、どの産業にとってもコストは上昇するが収益が上がる要素はない。むしろ物価は上がる一方で、企業がさらなる人件費削減を進めることで、家計はますます苦しくなることが予想される。

 特に人間生活の基本である「食」において矛盾は顕著である。全国漁業協同組合連合会など漁業者団体は今月15日に、燃料高騰への対策を求めるために全国一斉休漁を行うことを予告している。北海道新聞(2008/07/05 07:42)によれば、北海道の農協連合組織である「ホクレン」は化学肥料の販売価格を昨年比75%も値上げするという。類似の事態は他の地方でも起きているだろう。農産物や水産物の価格高騰が当面続くのは間違いない。

 貧困や不平等税制の解消を訴えてきた側にとっては、物価高騰が貧困拡大や税制改悪に利用されるのを何よりも恐れている。政府や財界は好況時にはさんざん「痛みを伴う構造改革」やら「国際競争力の強化」といった題目を唱えては貧困と不平等を拡大してきたが、今後は物価高騰によるコストアップを理由に労働者への「痛み」を正当化するだろう。特に非正規雇用の拡大がさらに進むことを警戒しなければならない。庶民の側も「不況だから仕方ない」という奴隷根性が広がる可能性がある。さらには「仕方ない」という思考が一種の政治的マゾヒズムとなり、進んで「痛み」を受け入れる素地すらあると言わざるをえない。

 今後、日本の貧困の解決を図る上で、現在進行中の物価高騰は暗い影を落としている。物価高騰そのものが貧窮者の生活を破壊することは言うまでもないが、それだけでなく貧困解消のための施策を要求・実施する上で、物価高騰がある種の「抵抗要因」となることも念頭に置かねばなるまい。物価問題は政治状況の変容の重要な因子ともなるだろう。
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-07-05 16:23

朝日新聞が「あすの会」に謝罪する必要はない

 朝日新聞2008年6月18日付夕刊「素粒子」が、「永世死刑執行人 鳩山法相。『自信と責任』に胸を張り、2か月間隔でゴールサイン出して新記録達成。またの名を、死に神」と記述したことに対し、「全国犯罪被害者の会」(「あすの会」)が朝日新聞社に抗議の上、公開質問状を提出していた問題で、朝日側が「厳粛に受け止める」という趣旨の回答を行っていたことが報じられた。

 一連の「死に神」問題に対しては、いつもの「朝日たたき」(もはやかの新聞には何の権威もないのに、いまだに朝日を中傷することでしか自己の存在意義を確認できない情けない輩が大勢いる)の一環で、ネット遊民の「ネタ」(それもかなり不謹慎な)以上でも以下でもなく、私は全くフォローしていなかったが、「あすの会」の抗議とそれに対する朝日の回答については、重大な問題をはらんでいるので問題とせざるをえない。

 問題の朝日の記事は一言も「犯罪被害者」に触れておらず、鳩山氏による「大量処刑」への揶揄はあっても、死刑制度や死刑執行自体への賛否すら読みとれない。質問状では「本記事は、法務大臣だけでなく、死刑求刑した検察官、死刑判決した裁判官、執行に関与した関係者等すべてを侮辱するもの」と決めつけているが、どうしてそんな解釈になるのか全く理解できない。

 鳩山氏が「死に神」と呼ばれたことに抗議するのは正当性があるが(ただし私は「死に神」が中傷だとは思わないが)、「あすの会」や犯罪被害者を侮辱したり、彼らの活動を否定するような文言が全くない以上、「あすの会」の抗議は私には単なる言いがかりにしか思えないのである。

 当然、朝日は「記事はあなた方について一切触れておらず、抗議を受けるいわれも、質問に答える必要もない」と回答して構わないのだが、社会の「空気」に敏感にならざるをえない商業新聞らしく、実際は「(被害者の)お気持ちに思いが至らなかった」「ご批判を厳粛に受け止め」(朝日新聞2008/07/02 03:14)などとピントの外れた回答をしてしまった。これではまるで、やってもいないことで謝っているようなものだ。

 犯罪被害者(正確には「被害者」ではなく「被害者の遺族」がほとんどだが)だからと言って、その考えがすべて正しいわけではない。この国では国家や企業の不法に異議申し立てをする被害者はむしろバッシングの対象になる一方、国家の暴力装置と同一化したがる「タカ派」的な「被害者」は過剰なまでに「英雄」扱いされる傾向がある。近年の「あすの会」は死刑制度に批判的ないし懐疑的な被害者を排除するなど政治性を強めている。今回の件も死刑に対する異論を一切認めないという専制的な同調圧力の匂いがする。

 共同通信(2008/07/02 16:25)によれば、「あすの会」は今回の回答に満足せず、再度抗議書を送るそうだが、この国の熱しやすく冷めやすい「空気」を恃んで無理をしすぎると、かえって傷を負うことになるのではないかと心配している。一方、朝日新聞はあまり弱腰にならず毅然と対応した方が長期的には得策である。世論のマジョリティーはなにしろ「毅然」が大好きなのだから。


《追記 2008/07/04》

 この問題に関してネット上では、法務大臣として刑事訴訟法に基づいた職務を遂行しているだけの鳩山氏への批判はおかしい、という意見があるそうだが、噴飯ものである。光市母子殺害事件の弁護団も「法律に基づいた職務を遂行しているだけ」だったのに、雨あられのような非難を浴びた。今回「素粒子」を批判している連中はほとんどが光市事件で弁護団バッシングに加担していた者たちだが、この矛盾をどう捉えているのだろうか。

 この国のマジョリティーは「安心して攻撃できる“公認の敵”」を求め、それらに苦役を与えることが「自己の救済」だと錯覚している。「被害者」に共鳴しているようで、実際は国家がお墨付きを与えた「敵」をいたぶることに快楽を見出しているにすぎない。改めて日本社会の病理の深さを痛感した次第である。


《追記 2008/08/01》

 結局、朝日新聞は「あすの会」に事実上謝罪したらしい。「被害者」をだしに凶暴化した大衆のバッシングに屈したと言えよう。鳩山氏にならともかく、なぜ関係のない「あすの会」に謝罪する必要があるのか。朝日の腰の弱さと同時に、やってもいないことを謝罪させられるこの国の現況に暗澹たる気分にさせられる。

【関連リンク】
【朝日新聞社に公開質問状提出】- 全国犯罪被害者の会 NAVS
http://www.navs.jp/2008_6_25.html
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-07-02 22:23

「金持ち減税のための消費税増税」という真実

 自民党税制調査会は今日総会を開き、来年度税制改正の議論を始めた。すでに福田康夫首相が来年度の消費税引き上げ先送りを示唆し、与党内でも次期衆院選を睨んで消費税増税には手をつけない方向が大勢となっているようだが、先送りはあくまで先送りでしかなく、依然として社会保障目的化を口実とした消費税増税路線は変わっていない。

 今回の消費税増税議論の引き金は、来年度から基礎年金の国庫負担率が3分の1から2分の1に引き上がることだが、一方でずっと伏在しているのは、大企業の法人税と富裕層の所得税を減税しようという目論みである。「上げ潮」派の理論的支柱である竹中平蔵氏も、「消費税増税」派の代表格である与謝野馨氏も、法人税減税を主張しているという点では全く同じだ。庶民にはさらなる負担増を押し付け、巨大企業はますます優遇というわけである。

 額賀福志郎財務大臣は最近テレビ番組で「消費税率を20%前後とし、所得税や法人税を下げてバランスを取っているのが世界の姿だ」「働く人に(社会保障の)負担を任せたら日本経済は沈没する」などと言ったというが(共同通信2008/06/29 12:21)、これなど典型的なデマゴーグである。

 法人税率・負担額だけ見れば、確かに日本は欧米各国に比べて高いが、社会保険や年金など社会保障負担も含めれば、日本の大企業の負担はむしろ低すぎるくらいだ。垣内亮「法人税の空洞化に歯止めを」(『経済』2006年5月号)が国内総生産(GDP)に占める民間企業の税・社会保障負担の国際比較を提示しているが、スウェーデンが13.3%、フランスが12.7%、ドイツが10.2%、イギリスでさえ10.0%で、これらに対し日本は7.7%にすぎない(浦野広明「社会保障目的税を理由とした消費税増税のウソ」『週刊金曜日』2008年6月27日号)。

 また浦野論文によれば、消費税も日本の税率自体は欧州諸国に比べて極端に低いが、国税全体に占める消費税収の割合は23.0%で、イギリスの21.8%よりも高い。よく直間比率が直接税に偏っていると言われるが、実際は日本の直接税負担は決して高くはないのである。

 「日本経済が沈没」発言はさらに輪をかけて噴飯ものである。すでに目に見えて物価が高騰している中で、むしろ消費税増税の方が景気に悪影響を与えるのは確実だ。これはネット左翼の戯言ではない。民間シンクタンクのエコノミストが次のように指摘している。
(前略) 今後、消費税率を引き上げた場合の成長率押し下げ効果はどの程度見込まれるだろうか。三菱UFJ証券景気循環研究所の試算によると、2%引き上げでマイナス0.6%、3%の場合にはマイナス0.9%となり、駆け込み需要の反動減も加えると、1%前後、成長率が押し下げられる計算となる。(後略) (鹿野達史「消費税率アップへの検討開始 3%引き上げならGDP1%マイナス」『エコノミスト』2008年7月1日号)
 だいたい額賀氏はあたかも消費税が現役世代の負担を抑制するかのような詐術を用いているが、政府・与党は消費税率を引き上げる一方で、国民年金保険料を毎年のように引き上げ、厚生年金の保険料率も現行約14%から2017年度までに約18%まで引き上げようとしている。現実は消費税率にかかわらず、現役世代の負担は増えているのである。

 当ブログでは何度も主張しているが、現在の日本に必要なのは、社会保障給付削減でも保険料増額でも消費税増税でもなく、所得再分配効果を強化するための直接税(法人・所得・相続各税)増税である。一方で社会保障費抑制路線に対する反抗、もう一方で逆進税である消費税増税への批判を行うことで、直接税増税を議論の俎上に上げなければならない。朝日新聞(2008/07/01 03:01)によれば、相続税の増税を消費税の増税と合わせて行うことで、貧困層の不満をそらそうとする動きもあるようだが、消費税増税の露払いではなく、消費税増税の対案として真剣に検討するべきである。相続税が潜在的な財源たりうることは森永卓郎氏が指摘している(関連リンク参照)。

 税制問題はある意味、日本社会が新自由主義路線を継続するか、福祉国家路線へ転換するかの決定的岐路であると言っても過言ではない。まず経済的平等度を高めない限り、「高負担・高福祉」など夢のまた夢である。そこを見誤ってはならない。

【関連記事】
消費税増税問題リンク集

【関連リンク】
消費税増税論議を吹き飛ばす、相続税改正の大きなパワー / SAFETY JAPAN [森永卓郎氏] / 日経BP社
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/122/
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-07-01 22:54