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鳩山邦夫の愚行は「秋葉原事件の結果としての宮崎勤の死」という「物語」を形成した

 法務省は今日3人の死刑囚に対し死刑を執行したが、その中の1人が連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤死刑囚(私は基本的にブログでは一般人の実名を書かないようにしているが、死亡した以上もはや匿名にする意味はないので実名をあげる)だったことは、結果として先日の秋葉原での連続殺人事件に、正確にはその事件を引き起こした容疑者(本稿では以下「K」と呼称する)に特別の「意味」を付与してしまった愚行と言わざるをえない。

 鳩山法相やそれに追随する法務官僚の意図は不明だが、結果として「おたく」の犯罪者の嚆矢とされる宮崎の処刑が、「おたく」の街=秋葉原で起こされた事件に対する政府のリアクションとして位置づけられる可能性を形成してしまった。要するに政府は秋葉原事件を「おたく」にかかわる犯罪とみなし、「おたく」犯罪の祖である宮崎を「みせしめ」的に犠牲にした、というストーリーが成立してしまうのである。

 鳩山法相下ではほぼ2カ月に1度のハイペースで死刑執行が繰り返されており、実際には宮崎の処刑決定も秋葉原事件より前に行われたかもしれないが(私はその可能性が高いと考えているが)、そうであっても秋葉原事件があったにもかかわらず、「予定」通り宮崎を血祭りにあげることで、本来まったく無関係の2つの事件に関係性を与えてしまった。Kの犯罪の結果としての宮崎の処刑という「作られた因果」は、Kと宮崎とが歴史的に等価交換の可能な存在であると公認したも同然である。その政治的効果は、Kを「異常犯罪者の系譜」に組み込むことで、事件の引き金になった派遣労働の非人道性を見えなくさせると同時に(ただし私は以前も述べたように秋葉原事件を雇用問題だけに一元化する見方には否定的である)、「おたく」=「犯罪」という錯覚を広げることである。

 今回と類似の事例は過去にもあった。1997年の神戸連続児童殺傷事件である。「酒鬼薔薇聖斗」を自称した容疑者が逮捕されたのは同年6月28日。その1か月余り後の8月1日、連続ピストル射殺事件で死刑判決が確定していた永山則夫死刑囚に対し死刑が執行された。事件の原因も質も異なる永山と「酒鬼薔薇」には「犯行時に未成年」という共通点があった。当時永山の処刑は、犯行時14歳で通常の裁判で裁けない「酒鬼薔薇」の「身代わり」として「生贄」を求める大衆の欲求に従ったのではないかという説がささやかれた。その当否は私にはわからないが、問題は法務大臣の意図に関わらず、残された「結果」は「少年犯罪」に対する「報復」(ただしその「報復」を求める人々には本来「報復の資格」はない)を国家が代行したという意味を持ってしまったことにある。

 今回の場合は「おたくの犯罪」に対する「報復」を国家が代行することで、「生贄」を求める大衆の欲望に応えたと言えるのではないか。Kが果たして本当に「おたく」と言えるのかどうか議論が分かれているにもかかわらず、法務省は強引に「職場に不満を持つ派遣社員の犯罪」から「異常な精神をもつおたくの犯罪」に価値転換を行ってしまった。私自身は再三述べているように、雇用問題は秋葉原事件の重要なピースではあるが「すべて」ではないとみている。依然として「謎」が残る中で、思考停止のような「回答」を法務省が示したことに深い怒りを感じざるをえない。

 鳩山法相の愚行の結果、Kは「犯罪者の格」として宮崎勤と「同格」になってしまった。私は以前、Kはダークヒーローになり損ねたと指摘したが、国家の側が図らずもKを「宮崎を生贄にするだけの価値がある」と烙印を押してしまった。宮崎の場合、事件後の知識人たちの「語り」が彼をある意味で歴史的存在に押し上げてしまったが、今後宮崎を語る時には鳩山によって彼の「死」と関係づけられた「秋葉原のK」のことが必ず連想されるだろう。Kは「特別」になってしまった。ダークヒーローKがどのような効果を社会に与えるかは私には未知の領域である。

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そして「漠然とした不安」だけが残る
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by mahounofuefuki | 2008-06-17 16:57

日雇派遣禁止方針と秋葉原事件に因果関係はない

 「陰謀論」の本質は、実際には因果関係のないものに因果関係があるのでは?と勝手に類推することだと思っている。これには「左」であるか「右」であるか、あるいは拠って立つ思想が何であるかは全く関係ない。たとえばかつて幕末の孝明天皇の死に対して「毒殺説」が有力だった。「毒殺説」を採っていた研究者にはマルクス主義系の人もいた。原口清氏の詳細な研究が「毒殺説」を論破してからは「病死」が通説になっているが、これなど「科学的」であろうとしても「陰謀論」に絡めとられた実例である。

 かくいう私も安倍晋三首相が退陣した時、アメリカに引導を渡されたのかという疑いを書いた前歴があるので、偉そうなことは言えないのだが、不透明なことがあると「○○の謀略」とか「○○の陰謀」と考えてしまう思考様式は常に自省せねばなるまい。世の中には確かに「本当の陰謀」もあるのだが、因果関係を見出せないものを、無理に関係があるように錯覚することは厳に慎みたい。

 厚生労働省が日雇派遣の原則禁止を打ち出した件について、秋葉原の事件の影響を疑い、真っ当な政治運動をチマチマとやるよりも、インパクトのあるテロで衆目を集めた方が実効性があるのではないかという見方があるようだが、これは誤った見立てである。日雇派遣禁止方針と秋葉原事件には因果関係はない

 もともと厚生労働省は今春の通常国会で労働者派遣法改正案を成立させる予定だった。ところが昨年の労働政策審議会での議論がまとまらなかったため、翌年への先送りを決めた。これは少なくとも財界が要求する規制緩和一辺倒の「改正」案が作られるような政治力学が、昨年末の時点でなくなっていたことを意味する。厚労省がその時点で何らかの規制を行わなければならないと政策転換したのは間違いない。

 昨年末、規制改革会議がさらなる労働法制の解体を促す答申を出した時も、厚労省はやや厳しい反論を行った。そして、今春厚労省は「改正」先送りの代替措置として「緊急違法派遣一掃プラン」を実施し、新たに「日雇派遣指針」を派遣元と派遣先に課した。これは実施前から実効性に疑問がもたれ、現に今のところ全く効果がないが、秋葉原事件のはるか前から厚労省は派遣労働の「改善」方針に舵を切っていたことは確かである(ただし「改善」では不十分であるのは言うまでもない)。

 つまり、日雇派遣禁止方針は秋葉原事件にショックを受けて唐突に登場したものではなく、マスメディアによる「ワーキングプア」に関する報道や、個人加盟型のユニオンなどの新しい労働運動が注目されたことなどを背景に、昨年からの派遣労働見直しの大きな流れの中で現れたのである。確かに秋葉原事件を受けて、厚労省は法令を遵守するよう緊急通達を出したのだが、これは前述の「緊急違法派遣一掃プラン」の延長線上にあるもので、事件がきっかけで政策転換したわけではない。そしてこの通達もおそらく実効性はないだろう。

 事件の容疑者は派遣社員ではあるが、日雇ではない。その1点からも日雇派遣禁止方針の決定と秋葉原事件との間に因果関係を認めることはできない。時と場合によってはちまちました運動よりも、瞬間芸的なテロが社会を動かす事実を私は否定しないが、今回の件はそうではない。秋葉原事件をあまり雇用問題だけに絞りすぎると、「派遣社員=アブナイ」という偏見を生じ、かえって労働者間の分断を深め、派遣労働者に対する社会的排除を招く恐れがあることも指摘しておきたい。

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労働者派遣法改正問題リンク集
日雇派遣禁止は当たり前。問題はそのあと。
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by mahounofuefuki | 2008-06-16 22:07

日雇派遣禁止は当たり前。問題はそのあと。

 舛添要一厚生労働大臣が今日の閣議後の記者会見で、日雇派遣を原則として禁止する労働者派遣法改正案を次の臨時国会に提出する意向を示したという。これまでは厚労省が進めている改正作業が来春の通常国会を目途にしていると伝えられていたが、大臣の発言はこれを前倒しすることを示唆したと言えよう。舛添氏はこれまで口先では「~をやる」と言いながら、根回し不足で前言を反故にすることが多く、今回の件も省内や政府内の合意があるとは思えないが、少なくとも悪い話ではない。

 ただし、日雇派遣の禁止は、偽装請負や多重派遣など相次ぐ派遣会社の違法行為や「格差問題」に対する厳しい世論の高まりもあって、ほぼ既定路線だったとも言える。グッドウィルやフルキャストが事業停止処分を受けるなど派遣会社はかなり追い込まれている。最近の厚労省は労働法制の解体を目指す経済財政諮問会議や規制改革会議などとは明らかに距離をとっており、また今国会では提出に至らなかったが、野党が労働者派遣法改正案の政策協議を続けており、与党の改正案も近く出るとみられている。少なくとも日雇派遣の原則禁止とマージン率規制については実行される客観的情勢が存在する。

 問題は日雇派遣禁止で終わってしまうのでは困るということだ。最低でも同一労働の均等待遇を義務づけ、不安定な登録型派遣を廃し、派遣対象業種を制限するところまでやらなければ、雇用待遇差別の解消のスタートラインにすら立てない。何より依然として財界側は日雇派遣の禁止も含めあらゆる見直しに抵抗していて、のみならずさらなる規制緩和さえ要求しており、一方で日雇派遣を禁止しながら、他方でたとえば企業の直接雇用義務を撤廃するような、労使の要求を折衷した抱き合わせの「改正」が行われることを危惧している。

 現在、厚労省職業安定局が設置した「今後の労働者派遣制度の在り方に関する研究会」が派遣法改正の方向性を検討しているが、企業の直接雇用義務の「みなし規定」導入など、当初の想像以上に調査範囲は広がっており、派遣法の抜本的改正を求める声を無視できなくなっている。それだけに今後資本側の反撃も強くなるだろうが、まだまだ勝負は続いている。今国会で民主党が中途半端な改正案しか出さず、野党共闘が失敗した時は、正直かなり失望させられたが、派遣労働見直しへの道はまだ閉ざされてはいないと確信した。

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労働者派遣法改正問題における民主党の「使えなさ」
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by mahounofuefuki | 2008-06-13 20:59

要するに「現場」の「表現の自由」より「お偉いさん」の「表現しない自由」を優先するという判決

 「従軍慰安婦問題」を民間で裁いた「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」を取材したNHK教育テレビのドキュメンタリー番組(2001年1月放送)の内容が、NHK上層部の指示で改変された問題をめぐって、取材対象・協力者だった「戦争と女性への暴力」日本ネットワークが「番組への期待・信頼を裏切られた」としてNHKを訴えていた訴訟で、最高裁は原告一部勝訴の控訴審判決を破棄する判決を下した。

 今回の最高裁判決の問題性については、管見の限りでは東京大学大学院教授の醍醐聡氏のブログが最も要領よく整理されており、そちらを参照したい。
 醍醐聡のブログ:まれにみる稚拙で悪質な最高裁判決――ETV番組改編事件に対する最高裁判決への論評
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/etv_b991.html
 今回の判決について「国民の知る権利に背く番組改編を憲法が保障した『表現の自由』の名の下に免罪した支離滅裂な判断」、「政治介入に起因する番組改編をNHK内部の検討にすり替える歪んだ事実認定」と評しているが、おおむね肯定できる評価である。

 訴訟の争点は取材協力者の「期待権」であったが、私見では問題の本質は「報道現場の『表現する自由』」と「政治権力に影響されたメディア上層部の『表現しない自由(編集する自由)』」の対抗にあったと解釈していた。判決は「法律上、放送事業者がどのような内容の放送をするか、すなわち、どのように番組の編集をするかは、表現の自由の保障の下、公共の福祉の適合性に配慮した放送事業者の自立的判断にゆだねられている」ということを前提に(その前提は正しい)、放送事業者の編集権を「期待権」より優先したのだが、むしろ現実問題としては「報道現場の『表現する自由』」より「上層部の『表現しない自由』」を優先する効果を与えたことが問題である。

 それ以上に問題なのは、そもそもNHKの上層部が番組を改編させたきっかけが、放送直前の2001年1月末に、自民党の歴史修正主義派の国会議員が番組内容に注文をつけたこと、特に当時内閣官房副長官だった安倍晋三氏にNHKの放送総局長と国会担当役員が面会し、その場で安倍氏が番組内容にケチをつけたことにあったにもかかわらず、最高裁の判決は控訴審判決とは異なりこの件を完全無視したことである。いわば「上層部の『表現しない自由』」の背後には予算編成への影響力をもつ国会議員の影があったことを全く問題にしていないのである。

 歴史修正主義派の国会議員による「表現の自由」への介入といえば、映画「靖国」に対する稲田朋美衆院議員らの事前検閲要求と上映妨害が記憶に新しいが、NHK問題はそうした「政治介入」を恒常化させた重要な事件である。今回の最高裁判決が「政治介入」を黙殺したのは「表現の自由」が危機的状況にある現状を鑑みればあまりにも不当である。
 *ただし、「政治介入」を「否定」したわけではないので、「政治介入」は「捏造」だという安倍氏の強弁は判例に根拠をもたない。少なくとも安倍氏の影響を指摘した控訴審判決は歴史的記録として残る。

 今回の件に対する右翼系統のリアクションは忙しくて未確認だが、おそらく「勝利」に沸いているのだろう。しかし、マスメディア上層部の「表現しない自由」が過剰に容認されれば、その影響は歴史認識の報道にとどまらない。たとえばテレビに限っても、民放がスポンサーに配慮して「自粛」したり、ワイドショーが大手芸能プロダクションに配慮して「隠蔽」したりすることは日常茶飯事であるが、このように「企業としてのマスメディア」の「編集権」が専ら権力への迎合を正当化する方向に無制限に拡大すれば、結局は「左」も「右」もなくすべての視聴者にとって「知る権利」の侵害となり、多大な不利益をもたらすだろう。

【関連リンク】
平成19(受)808 損害賠償請求事件 平成20年06月12日 最高裁判所第一小法廷判決 – 裁判所
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=02&hanreiNo=36444&hanreiKbn=01
NHK番組改変 東京高裁判決文 全文 – News for the People in Japan
http://www.news-pj.net/siryou/2007/nhk-kousai_zenbun20070129.html
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by mahounofuefuki | 2008-06-13 12:26

福田内閣にもう怖いものなし!?~今年は医療費を狙い撃ち

 小泉内閣は堂々と「痛みを伴う改革」を掲げたが、これはいわば「これから庶民いじめを強化します」と宣言したも同然で、本来ならば政権への支持を失う自爆である。それにもかかわらず最後まで小泉内閣はこの国の多数派に支持された。その原因は「官」の「既得権益」という「敵」を仕立てることで、あたかも「痛み」を受ける対象が民衆ではなく、「官」であるかのように錯覚させたからで、しかも巧妙な小泉は人々がその錯覚から醒める前に退場した。

 一方、現在の福田内閣は「生活者重視」を掲げているが、小泉政権時代に定められた「歳出削減路線」と「庶民負担増路線」いうルートを一向に修正する気配がない。基礎年金の国庫負担率引き上げに伴い、その財源を増税によって捻出しようとしているのが「歳出削減路線」の修正と言えなくもないが、これも専ら増税対象を消費税に限定して「庶民負担増路線」の方はしっかりと続けている。表看板と実際の中身が相反するという点で、ある意味福田は小泉より卑怯で欺瞞的であると言えよう。

 昨日の経済財政諮問会議で今年の「骨太の方針」の骨子が確定し、社会保障費の自然増加分を毎年約2200億円削減する政策を今年も継続することが確認された。政府・与党内からももう社会保障費の抑制は無理という声が上がり、当の諮問会議でも厚生労働省側から従来の路線の限界が示唆されたほどだが、福田康夫首相は「社会保障も聖域ではない」と断言し、さらなる歳出削減を求める民間議員提案を支持した。引き続き「小泉の宿題」を淡々とこなす意思を改めて明確に示したのである。

 その民間議員提案は、おおむね医療費を狙い撃ちにしており、特に後発医療品の拡充や公立病院の統廃合や開業医の再診料見直しなどは、医療システムの不安定化・不公平化を促進する可能性が高い。また以前当ブログでも書いた雇用保険の国庫負担削減も明示された。厚生労働大臣が提案に対して「現実的ではない」と反論を行っているが、首相の発言から判断するに大枠では民間議員提案がそのまま「骨太の方針」に盛り込まれるだろう。

 今日の北海道新聞の世論調査では福田内閣支持率はついに14%にまで低下しているが、むしろここまで下落するともはや怖いものなしとも言える。もはや自民党は次期総選挙を福田で戦うことはない。福田は選挙を気にせず、衆議院の任期満了までやりたい放題できるのである。「ポスト福田」たちもこの際福田がすべて泥を被ってくれるのを望むだろう。財界にとってこれは願ってもない「好機」である。「財界立法」を次々と押し付けてくるだろう。

 参議院は野党が多数であるが、肝心の民主党が依然として「構造改革」路線に親和性を持っていて、それが最低賃金法改正や労働者派遣法改正などの問題に露呈している。与党にはいざとなればガソリン税の時のように衆院再議決という切り札がある。参院は内閣問責決議を可決するが、時機を逸したと言わざるをえない。何事もなかったように今国会は閉幕してしまうだろう。

 「敗戦処理」と侮っていた福田内閣だが、ある意味「最強」かもしれない。

【関連リンク】
平成20年会議結果 第14回会議 会議レポート:内閣府 経済財政諮問会議
http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2008/0610/report.html
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by mahounofuefuki | 2008-06-11 12:47

そして「漠然とした不安」だけが残る

 秋葉原の殺人事件について「難民世代」を標榜するブログとして何か書かなければと思ってはいるのだが、何を言ってもウソくさい気がして、うまく論点をまとめることができない。

 実際、巷に行き交う言説を通観してみても、「犯人が病気だから」「犯人がオタクだから」といった専ら心理的要因に帰する議論や、犯行の社会的要因を考えようともせずに単に「許せない」と連呼するだけの能天気なもの言いは論外としても、派遣社員としての差別的待遇や解雇通告、ひいては非正規雇用全般の「不安」をもって事件のすべてを説明できるとは私には思えない。それらは事件の重要な引き金ではあるが、犯人が携帯サイトに残した書き込みを読む限り、もっと深刻な自意識の「傷」を抱えているように思う。

 岡山の突き落とし事件の時は、金持ちしか上等な教育を受ける機会がないという構造的要因が明確で、それだけに私はすんなりと容疑者の少年に共振できたが、今回の場合、犯人も私もある種の「転落」を経験しているという共通項がありながら、犯人の挫折が実社会に出る前の高校時代における偏差値秩序の中での「敗北」に始まる点や、彼が「自己責任論」を完全に内面化していて、社会に対する憎悪というより、「不細工な自己」という自画像への破壊願望を強烈に抱えている点が、私の鬱屈とは明らかに異なり(私は幸か不幸か学校の成績階級で「下」になったことがなく、何より「自己責任論」を完全否定していて自分を「不細工」などと考えたこともない)、理解を困難にしている。

 これが会社の経営者を殺したとか、会社に火をつけたとか、要するに彼を搾取していた企業社会への攻撃だったら、私はおそらく喝采を送っていたかもしれないし、犯行の原因も雇用待遇差別であると断言して、改めて派遣労働を含むあらゆる間接・有期雇用の廃止を訴えることができたが、被害者の中には非正規労働者や無職者もおり、しかも新橋でも丸の内でも六本木でもなく、秋葉原というどう贔屓目に見ても「勝ち組」カラーのない街を「舞台」に選んだことが、この事件をアンダークラスによる階級闘争的な社会的テロとみなすことを躊躇させる。

 それでもこの事件が派遣労働の絶望的な実態に人々の目を向ける契機になれば、まだ被害者も浮かばれようが、おそらくまたしても政府やマスメディアや能天気な人々によって論点のすり替えが行われ、ナイフの販売規制とネット掲示板の書き込み規制でお茶を濁し、数ヶ月後には何事もなかったように忘れ去られてしまうのだろう。模倣犯なんて現れたら目も当てられない。「1番目」がダークヒーローになり損ねたのに、二番煎じなんて恥ずかしすぎる。

 そして最大の問題は、社会全般に「漠然とした不安」だけが残ってしまうことだ。不安が「漠然」としている限り、すべての人々が平等に自立できる社会への希求にはつながらず、国家という「檻」の中で「羊」として管理されることを望むだろう。その傾向を食い止めるのは非常に難しい。
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by mahounofuefuki | 2008-06-10 20:22

『蟹工船』ブームという不幸

 小林多喜二の『蟹工船』がブームになっているとよく言われるが、私の行きつけの書店では特に平積みになってもいないし、実際に最近初めて読んだという同世代の声も聞かない。「中央」と「地方」の相違なのかもしれないが、正直なところ今の若者が「あの」文体をすらすらと読めるのか疑問だし、専らイメージだけが独り歩きしている可能性もあるのではないか、というのは穿ち過ぎだろうか。

 本当に「氷河期世代」でブームになっているとすれば、あまりにも悲痛である。労働法制と言えば工場法くらいしかなく、労働運動は治安警察法や治安維持法などで厳しく制限され、労働争議の鎮圧に軍隊が出動するような『蟹工船』の時代と、労働基準法も労働組合法もある現在の労働環境が同じであるというのは、いかにこの国の労働行政や労働運動が貧弱であるかを実証しているようなものだ。

 確かに『蟹工船』が提示する経済構造は現在の「ルールなき資本主義」の状況とクロスしている。たとえば次の箇所。
 ――蟹工船はどれもボロ船だった。労働者が北オホッツクの海で死ぬことなどは、丸ビルにいる重役には、どうでもいいことだった。資本主義がきまりきった所だけの利潤では行き詰まり、金利が下がって金がだぶついてくると、「文字どおり」どんなことでもするし、どんな所へでも、死に物狂いで血路を求め出してくる。そこへもってきて、船一艘でマンマと何十万円が手にはいる蟹工船、――彼らの夢中になるのは無理がない。
 丸ビルを「六本木ヒルズ」とでも言いかえれば、そのまま現在の大企業にあてはまる。作中では斡旋屋の搾取や蟹工船間の成果競争や安全・衛生管理の無視や「監督」のリンチなどが描かれるが、いずれも現在いたる所で普通に起こっていることである(営業職などで上司が部下に文字通り鉄拳制裁を下すのはよくあることである)。こうした描写にリアリティを感じて共感することは十分にありうる。

 とはいえ『蟹工船』は、出自も性格も異なる労働者たちが心身ともに追い込まれサボタージュをはじめるあたりまでは臨場感のある描写が光るが、その後団結して立ち上がっていく過程ははっきり言って「革命ファンタジー」である。『蟹工船』がプロレタリア文学として傑作である所以は、社会主義運動の弱点も厳しく抽出している(たとえば民主集中制を「それはそうたやすくは行われなかったが」と指摘)からだと私は考えているが、それでも戦前の日本共産党が大衆的基盤を得られないまま強力な弾圧で潰され、さらに戦後の社会主義運動は冷戦の枠組みを抜け出すことができなかった上に分裂と抗争を繰り返し、社会主義自体が失敗に終わった現在の視点から見れば、『蟹工船』に「革命のリアリティ」も「現在の希望」も見出すことは至難である。

 実際、少なくとも私は10代の頃『蟹工船』を「敗北の書」と解釈していた。そして特高による拷問の傷跡が痛々しい小林多喜二の遺体写真と合わせて、時の権力に正面から反抗すればどうなるか「見せしめ」の役割を果たしていた。反抗すれば必ずむごたらしい暴力を受けて虐殺されるが、抵抗せずに我慢すればやはり過労死に至る可能性はあるが、何とか生き残ってわずかばかりとは言えカネをもらえる可能性が残る。ほとんどの人間は後者を選ぶだろう。本当に苦境にある人ほど『蟹工船』によって絶望感を促進されるのではないか。

 そんな問題を抱えているにもかかわらず、『蟹工船』が読まれているとすれば、一時期の「癒し」ブームなんかと同じように、「革命ファンタジー」への現実逃避があるのではないか。実際には孤立している「わたし」が、「仲間」とともに立ち上がり、非人間的な職場を変革していくという「夢」。「夢」を見るだけでなく実際に行動できる人は少ないし、ましてや現実的な成果を勝ち取れる人はもっともっと少ない。毎日新聞2008/06/03朝刊「記者の目」で、「『蟹工船』の世界は、結婚している労働者がいるなど、今のフリーターより恵まれて見える面もある」という赤木智弘氏の言葉が紹介されているが、私も同感である。個々の労働者が個別にノルマが課せられ競争にさらされている現在、同一職場内の「横の連帯」は非常に困難になっている。連帯の可能性があった「蟹工船の時代」をうらやましく、憧れさえ抱いてしまう。ただし憧憬だけでは地に足のついた抵抗にはつながらない。

 『蟹工船』ブームに対する既成のコミュニストやそのシンパの反応も不可解だ。『蟹工船』が売れているのを「共産主義が理解されている」と喜んでいるようでは、他人の不幸を喜んでいるのと変わらない。労働環境が今ほどひどくなければ『蟹工船』など読まれはしない。『蟹工船』など読まれない社会の方がよほど幸福である。もし社会の矛盾の拡大が「革命」の早道などと考えていたら本末転倒だ。さらに『蟹工船』から80年間、これを超える「貧困を語るリアリティのある言葉」を生み出せなかったことを恥じなければならない。

 『蟹工船』がブームになる社会はあまりに不幸である。『蟹工船』が「昔話」になる時代は私の眼の黒いうちに到来するだろうか。このブームに私は「希望」を見出すことができない。

*現在ベストセラーになっているのは新潮文庫版らしいが、私の手持ちの『蟹工船』は十数年前に古書で購入した角川文庫版で、奥付は1985年刊行の「改版30版」となっている。本文の引用は同版によった。
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by mahounofuefuki | 2008-06-08 16:45

藤沢市の中学校教師による「9・11自作自演」発言について

 「言語論的転回」以後、物事にはtruthもfactもないという考え方が主流になっているようだが、私はその点では保守的であって、実証可能で、すべての人々が共有する可能性を有する確固たる事実と個々のパースペクティヴに規定される解釈との間には、(両者の関係が相対的ではあっても)一線が引かれるべきで、解釈の多様性はあっても、共通認識としての「最も信頼できる真実」が存在しうると考えている。

 そして「多様な解釈」も「解釈の土台となる事実」の下敷きがあってはじめて成立するものであって、「捏造した『事実』」を下敷きにした解釈は決して容認しえないとみなしている。もちろん常にそうした厳しい姿勢を貫徹することは実際には難しいし、私自身も必ずしもできていないことは当ブログのこれまでのあやふやな記述が示している通りだが、少なくとも「解釈」で「事実」を歪めるようなことはしないという意思は持っている。

 藤沢市の中学校教師が授業で9・11テロを「自作自演」と発言した件について、藤沢市教委の学校教育課長は「教諭本人は、物事の見方は一つじゃない、と説明する例」として挙げたとフォローしているが(毎日新聞2008/06/05朝刊)、「9・11自作自演」説は「解釈の土台となる事実」さえ否定している以上、「物事の見方」以前の「1+1=3」というような話で、公教育においてこれをまともに取り上げるのは「ウソつき」の誹りを受けるのを避けられない。

 今回、たまたま問題が9・11陰謀論だったから表面化したが、この種の事例はたくさんあるだろう。「明治維新は無血革命だ」とか「ホロコーストはなかった」とか「南京大虐殺はまぼろし」とか「真珠湾攻撃はアメリカが仕組んだ」とか「沖縄の住民は自らの意思で集団自決した」といった「偽史」を振りまいている歴史改竄主義派の教師はかなりいるし、「血液型で性格がわかる」とか「ゲーム脳の恐怖」とか平気で教えている教師はさらに多いだろう。今回の教師が保護者に謝罪したのなら、そんな連中はみな同様に謝罪しなければならなくなる。

 一見たいした事件ではないが、「陰謀論」の根深さと浸透ぶりが改めて明らかになったという点で重要である。
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by mahounofuefuki | 2008-06-05 17:19

労働者派遣法改正問題における民主党の「使えなさ」

 今日の貧困拡大の原因については、長期不況のせいだとか、労働者にそもそもやる気がないからだといった全く的外れの議論がいまだにあるが、1990年代の「リストラの嵐」こそ長期の構造不況に起因するものの、2000年前後から顕在化した「若者の貧困」に関しては断じてそんなことはない。
 本当の原因は相次ぐ労働法制の規制緩和、特に1999年の労働者派遣法改悪による派遣労働の原則「自由化」であり、これが不安定な非正規雇用を際限なく拡大させ、企業が容易に労働者を使い捨てできる状況を生んだ。貧困の原因が不況ならば、景気回復とともに問題は減少していなければならない。しかし、実際は大企業の景気回復と反比例するように、労働分配率は2003年以降急低下し、非正規労働者の割合は昨年33.5%に達した(総務省「労働力調査」)。
 つまり、政府と財界による人為的な労働力搾取・収奪強化が貧困を引き起こしたのであって、まさしく現在の貧困は「官製貧困」なのである。

 故に貧困解消のためには、まず何よりも貧困拡大の直接の引き金となった労働者派遣法の規制緩和を中止し、事実上常用雇用の代替手段となっている現行の派遣労働を、一部の専門業種に限定していた元来の状態に復旧することが必要である。
 政府は昨年の時点では、今期の通常国会でさらなる規制緩和を求める財界の要求に応えた労働者派遣法改悪案を成立させる予定だったが、昨年の参院選による与党大敗の結果、その目論見は打ち砕かれた。昨年はまたマスメディアを通して日本社会の貧困の実態がかなり報道され、「ワーキングプア」という言葉が流通するようになった。追い込まれた派遣労働者による労働運動が注目を集め、これらの声を政府も無視するわけにはいかなくなった。

 政府が労働者派遣法改正を1年先送りする一方、野党サイドは政府の機先を制して今国会に独自の労働者派遣法改正案を提出する算段だった。この問題を何とかしなければならないという問題意識は全野党(さらには与党の一部も)に共有されていたはずだった。少なくとも「日雇派遣」の禁止やマージン率の制限については一致していた。
 しかし、結局今国会では改正案は提出されなかった。その原因は民主党が現場の労働運動などの声を無視して、抜本的な改正案を用意せず、さらには他党との政策協議を行わずに単独で改正案を提出する構えさえ見せたことにある。昨日、4野党の国対委員長会談で民主党案の単独提出は見送られ(毎日新聞2008/06/04朝刊)、野党の政策協議の継続は確認されたが(しんぶん赤旗2008/06/04)、改めて民主党の貧困問題へのやる気の欠如が顕わになったと言えよう。

 民主党を除く共産・社民・国民新各党の改正案は微妙な異同はあるが、日雇派遣を原則禁止すること、マージン率を制限すること、登録型派遣を一部の専門業種に限定すること、常用代替機能を防止すること、派遣先の直接雇用義務を強化する(みなし規定など)こと、社会保障を拡充することなどの点でおおよその一致は得られていた。実はこれでも法律など端から守る気のない企業に実際に履行させられるか疑問が出ていたほどだが、派遣法を1999年以前に引き戻すという方向性は明らかだった。
 ところが、民主党案は登録型派遣の禁止も、対象業務の制限もなく、派遣労働の常用代替機能を継続するものだった。4月17日に国会内で行われた「さあつくろう派遣法改正案、各党の改正案を聞く院内集会」で、民主党のネクストキャビネットの厚生労働担当である山田正彦衆院議員は民主党内に「厳しすぎるとの声もある中、ここまでなんとかまとめた。賛否がある、なんとか調整を取って法案を出そうとしている」と述べていたが、要するに民主党にはそもそも派遣労働の全面見直しに抵抗する議員が少なからずいて、まともな改正案をまとめることができないのである。
 あえて忖度すれば、民主党は野党共闘による法案の完成度よりも、自民・公明両党との共同提出を模索しているのだろう。そのために玉虫色の改正案でお茶を濁しているのだ。確かに野党提案は黙っていれば衆院で否決され成立しない。しかし、はっきりと抜本的改正の姿勢を見せることで、政府の無策を際立たせ、現在進んでいる厚生労働省の立法作業にも影響を与えることができる。むしろ先に器を用意して政府・与党の方が歩み寄らざるをえない状況を作らねばならない。だいたい規制緩和と抱き合わせの小細工を施した改正を望む労働者などいないのだ。

 派遣業界が与野党の議員へのロビー活動を強化しているようなので、その影響もあろうが、より本質的な問題として民主党が依然として規制緩和・市場開放路線と決別していないことを指摘しなければならない。すでに昨年の最低賃金法改正や労働契約法での「裏切り」で、この党の「生活第一」が口先だけであることは露呈していたが、一連の労働者派遣法改正を巡る動揺はますます新自由主義路線との親和性を疑わせるに十分である。
 非正規雇用比率の高い「氷河期世代」における共産党支持率の急増や、じわじわと広がる「蟹工船」ブーム(「ブーム」と言うにはあまりに悲痛で、80年も前の「敗者」の文学に縋らざるを得ないのは不幸なことだと私は考えているが)の背景には、劣悪な労働環境を何とかして欲しいという人々の悲鳴がある。民主党が本当に貧困問題を解決する気があるのならば、こうした声を無視してはならない。次期総選挙を「政権選択選挙」といくらうそぶいても、非人間的な雇用待遇に苦しむ人々は民主党の欺瞞を見抜いて決して支持することはないだろう。この際、はっきりと労働者の側に立ち位置を移すこと、共産党や社民党に歩み寄ることが民主党には求められている。

 そう言いながらも私はこの党が手紙やメールやファックスを出したくらいでは変わることがないことを知っている。政治献金をくれるわけでもない貧しい労働者群より、潤沢な利権を望める資本サイドの方を選ぶことも知っている。与党の「敵失」でしか何もできないことも知っている。土壇場での腰の弱さはもはや周知の通り。
 民主党よ、ここまで言われて悔しいと思ったら、貧しき者の声を聞いて、自己変革を遂げてみろ!

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労働者派遣法改正問題リンク集
4・17院内集会での各党の労働者派遣法改正案 – mahounofuefukiのメモ
http://d.hatena.ne.jp/mahounofuefuki/20080604/1212531786
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by mahounofuefuki | 2008-06-04 23:21

中間管理職の逮捕で済む問題ではない

 グッドウィルの二重派遣問題で管理職が逮捕された件。
 昨年来、相次ぐ不正の発覚で現行の派遣労働の無法状態が誰の目にもわかるようになったが、違法行為に対して責任者が刑事上のペナルティを受けたことは大きなメルクマークである。特に二重派遣はいわば二重の「中間搾取」という点で、派遣労働の不正の中でも最もえげつない脱法行為の1つであり、必ず根絶しなければならない。今回の立件が派遣業界に対する圧力として機能することを期待する。

 一方で、今回の件を含め、派遣業界の不正は単に何人かの中間管理職を逮捕すれば済む問題ではない。こう言っては何だが、今回の逮捕者のようなマネージャークラスの社員もまた「会社のために不正を行った」という点である意味犠牲者である。経営サイドからはノルマを課せられ、とにかく業績を上げることを求められる。それをやりすごしたり、不正を拒否すれば管理職といえども(というよりむしろ管理職だからこそ)ただでは済まない。企業組織の中で不正な経営者に抵抗するのは、生命を賭けて生活を捨てない限り困難なのが現状である。
 報道によれば、警視庁はグッドウィル経営陣への訴追も準備しているようだが、トカゲの尻尾切りに終わらず、必ず経営者の責任をはっきりさせなければならない。すでにグッドウィルのオーナーだった折口雅博は経営者の座を退き、アメリカのグリーンカードを取得して事実上亡命しているようだが、「逃げ得」を許してはならない。

 問題は企業だけではない。「中間搾取」を公認する雇用政策を問わなければ、いつまでたっても労働者を食い物にするやり方はなくなることはない。派遣労働者を正規雇用にし、直接雇用・無期雇用の原則を再確立しなければならない。そのための第一歩が労働者派遣法改正である。派遣業界のロビー活動が強化されているのか、野党間の一致すら得られず、今国会の派遣法改正案提出は失敗したようだが、これは喫緊の課題である以上、できるだけ早くやり遂げなければならない。

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by mahounofuefuki | 2008-06-03 19:50