<   2008年 04月 ( 27 )   > この月の画像一覧

OECD「対日経済審査報告書2008」について

 経済協力開発機構(OECD)が2008年の「対日経済審査報告書」を発表した。
 新聞報道では正規・非正規雇用差別の是正を促進したことが強調されていたので(たとえば東京新聞2008/04/07夕刊)、てっきり新自由主義路線の修正を促す内容なのかと思って原文の要旨を読んだらたまげた。まるで竹中平蔵氏と与謝野馨氏のそれぞれの議論をつまみ食いしたような内容だったからだ。

 全6章から成る報告書のうち、労働市場について述べているのは最後の第6章だけで、後は専ら規制緩和と財政再建の立場からの「庶民の痛み」を伴う提言ばかりである。
 その労働市場改革の提言も非正規雇用の増大が「公平と効率の面で深刻な懸念を惹起している」としつつ、「正規労働者の雇用弾力化」(正規雇用の保護規制の柔軟化)を主張しており、非正規雇用待遇の正規化=「引き上げ」による均等化ではなく、正規雇用待遇の非正規化=「引き下げ」による均等化を容認している。これでは雇用待遇差別の根本的解消につながらないことは言うまでもない。

 財政再建問題については依然として「均衡財政のドグマ」(東京大学大学院教授の神野直彦氏による)にはまった徹底した歳出削減を提唱している。
 公共投資や公務員人件費の削減を高く評価し、さらなる削減を求めている。公共投資の減少が地方経済を疲弊させ、公務員人件費の削減が非正規雇用の公務員を増やし、生活を不安定にさせると同時に行政サービスの低下を招いたことは、もはや常識の範疇に含まれるのにもかかわらず。
 また、公的医療支出を抑制するために、「民間部門の関与をこれまでより広く認めるといった規制改革」を要求している。現在の医師不足や国民健康保険の赤字財政の原因は公的医療支出の減少にあることを全く理解していない。これが「国民皆保険制度」の崩壊をより悪化させることも言うまでもない。

 税制については、所得税と消費税の増税を促す一方、法人税率の引き下げを提起している。
 消費税増税の問題性は当ブログでは何度も書いているのでここでは繰り返さない。OECDは法人税の課税ベースを拡大した上で税率の引き下げを提起しているが、これは実質的には中小企業の負担を増やし、大企業の負担を減らすことを意味する。現在、法人収入が史上最高とはいえ、大企業と中小企業の格差は拡大している。大企業からのコスト削減要求のために中小企業の経営はいっぱいいっぱいであり、その上税制でも不公正を拡大すれば、とても立ち行かない。
 OECDは財政再建路線と法人税引き下げの矛盾について「法人税率引き下げによる税の減収は、投資の伸びと企業部門の拡大といったサプライサイドからの効果によって一部は相殺できる」と、相殺効果が「一部」にすぎないことを認めている。

 サービス部門の競争強化を要求しているのも問題だ。大規模小売店舗の「参入障壁」の排除、電力やガスのような公共企業間の競争促進、空港の民営化、教育・医療における民間委託の推進などを求めている。郵政民営化のプロセスも計画通り進めるべきだと主張している。ここまで来ると、もはや経済財政諮問会議や規制改革会議の議論と変わらない。

 評価できるのは「死亡件数の4%しか課税されない相続税を強化する」という部分くらいである。少なくとも今回の報告書に関して新聞報道は当てにならない。OECD報告書を雇用待遇問題の資料として使うのは危険を伴うことを指摘しておきたい。

【関連リンク】
Economic survey of Japan 2008-OECD
OECD対日経済審査報告書2008年版*PDF
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-04-08 13:10

よもやま話

 今日ブログの累計アクセス数を見たら、いつのまにかユニークユーザー数で10万を超えていた。よく知らないが1日に何万もアクセスがあるようなブログもあるそうだから、ブログを始めて7か月余り、記事数238本(そんなに書いていたことに今日まで気づかなかった)での達成で喜んでいては恥ずかしいのかもしれないが、何となく1つの山を登ったという感じはする。

 当ブログのこれまでを振り返ると、エントリをたくさんあげてはいるが、アクセスは特定のテーマの記事に非常に偏っている。昨年10月は「教科書検定」関係、11~12月は「生活保護引き下げ」と「トヨタ過労死」、今年1~2月は「大阪府知事選」と「日教組教研集会」、3月は「江原啓之」、そして今月は断然「靖国」。あと全ての時期を通して「光市母子殺害事件」と「橋下徹」に関連する記事を書いた日はアクセスが多い。
 自信のある渋い記事ほどあまり読んでもらえず、感情的に怒りを爆発させたような記事とか調査不十分の手抜き記事の方が読まれる傾向には正直困りものなのだが、まあぜいたくは言えない。

 そんなわけで、今までご訪問いただいた皆様には心より御礼申し上げます。いつまで続けることができるかわかりませんが、今後もよろしくお願いします。
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-04-07 21:19

犯罪報道は本当に変わったのか

 今日の朝日新聞電子版に「事件報道、扇情・過熱減る 『ロス疑惑』四半世紀」と題する記事が載っていた(朝日新聞2008/04/06 03:02)。1980年代と現在の「ロス疑惑」報道を比較し、センセーショナルな見出しが躍った四半世紀前から、容疑者を「犯人視」せず関係者のプライバシーに配慮するようになった現在への変容を取材する側が「自画自賛」した内容だ。以下、同記事より。
(前略) 「ロス疑惑」以降も大きな事件が起きるたびに、報道と人権の問題がクローズアップされる。
 ロス事件当時、既に容疑者呼称を始めていたNHKを除き、朝日を含む多くの報道機関は逮捕された人を呼び捨てにしていた。
 転機は89年。都内で起きた女子高校生コンクリート詰め殺人事件や、首都圏で4人の女児が殺害された連続幼女誘拐殺人事件を巡り、「過剰報道」批判が再び巻き起こった。東京都足立区の母子強盗殺人事件では、逮捕された3少年の「非行ぶり」がしきりに報道されたが、東京家裁は結局不処分の決定を言い渡す。
 この年に死刑囚の再審無罪もあり、朝日新聞の警視庁クラブサブキャップだった清水建宇さん(60)は「容疑者呼称は不要だと主張していたのが根拠を失った」と振り返る。この年から多くのメディアが容疑者呼称に踏み切る。容疑者を「犯人視」しない報道への取り組みも本格化した。
 しかし94年、松本サリン事件では、各社が被害者の河野義行さんを容疑者のように報じる問題が生じた。98年の和歌山カレー事件では逮捕前の容疑者の自宅を報道陣が40日間も取り囲んだ。
 メディア側では00年以降、報道検証の第三者機関を設ける試みが広がった。日本新聞協会は01年、集団的過熱取材(メディアスクラム)対策の見解を出した。
 三浦元社長の今回の逮捕報道は、四半世紀にわたる報道の変化を反映している。(後略)
 記事中で弁護士の喜田村洋一氏が指摘するように、容疑者だった三浦和義氏がマスメディア各社を名誉棄損で提訴し、多くの勝訴を勝ち取ったことで、事件報道の質がこの四半世紀である程度変化したのは確かだろう。
 しかし、推定無罪原則の無視関係者(被害者や容疑者やそれらの家族など)の戯画化集団的過熱取材(メディアスクラム)捜査当局発表への無批判など事件報道の問題の根幹は、「ロス疑惑」の頃から何も変わっていないように思う。光市母子殺害事件などの報道に至っては「ロス疑惑」よりも悪質になってさえいる。
 冷めた見方をすれば、今回の「ロス疑惑」再燃報道がかつてほど過熱していないのは、もはや三浦氏のキャラクターとしての賞味期限が切れる一方、新たな「エサ」もなく(何しろ今さらジミー佐古田氏のような「老兵」が引っ張り出される始末だ)、数字が取れる要素に不足しているからにすぎないのではないか。

 朝日の記事は触れていないが、この四半世紀で変わったのはむしろインターネットのような「報道の受け手」側が発信できる手段が存在するようになったことで、それらに露出した大衆のナマの欲求がマスメディアのセンセーショナリズムと共鳴していることである。 
 不特定多数が共時性を持ってコミュニケーションしうるインターネットは、一種の「祝祭」空間である。そこで大衆がメディアに求めるのは、「みんな」が「楽しめる」あるいは「泣ける」ような「ネタ」を提供してくれることである。そして単純な犯罪報道ほど「祝祭」的な「ネタ」はない。被害者でも加害者でもない「絶対的な第三者」として安心して楽しめるからだ。
 このような構造の下では、客観的な報道や冷静な報道は「祝祭」に水を差す「空気の読めない」行為としか映らない。マスメディアが大衆の要求に応えようとすれば、容易に過熱報道は激化する。

 容疑者の呼び捨てをやめたとか、自主規制機関が作られたといった形式的な事象の水面下では、むしろ事件報道を単なる「ネタ」として消費する社会状況が進行しているのである。「何のために事件報道があるのか、根本的に議論すべき」(青山学院大学教授の大石泰彦氏、前記記事より)であるなら、このことを見落としてはなるまい。
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-04-06 13:22

グリーンカード兵士から見える軍隊の変容~「国民軍」から「グローバル軍隊」へ

 フランス革命前夜のヴェルサイユ宮廷を舞台とする池田理代子さんの漫画『ベルサイユのばら』で、フランス王妃マリー・アントワネットの愛人として登場するハンス・アクセル・フォン・フェルゼンは「スウェーデン軽騎兵大佐」という肩書で、スウェーデンの軍事貴族だった。
 ヨーロッパの封建王権において軍隊の主力は外国人傭兵であり、それ故に市民革命は「封建体制VS近代民主主義」という対立軸と同時に「世界宗教(キリスト教)的・国際的王権VSナショナリズム」という構図を兼ねていた。『ベルばら』でもフランス人の部隊は王権から離反しバスティーユ蜂起に参加する一方、王権に最も忠実だったのは外国人傭兵だった様子が描かれている。

 この挿話は前近代から近代への軍隊の変容を示している。外国人傭兵が王権を守る封建軍隊から、自国民が国家を防衛する近代軍隊への変容である。そして近代軍隊の「理念型」は「国民皆兵」であり、兵役は「国民の権利」を保障する代償としての「国民の義務」と捉えられていた。
 もちろんあくまでも「理念」なので、実際はフランスでは「外人部隊」が現在に至るまで存在するし、イギリスは最も早く市民革命を経験したのに長らく均質な徴兵軍隊を実現できなかったように、現実とのギャップはあるのだが、近代国家の軍隊は「国民軍」であるというのが少なくとも建前上の大原則であった。
 *ちなみに日本でも普通選挙導入後に兵役と選挙権を交換関係とする考え方が出てくる。アジア・太平洋戦争末期まで植民地で徴兵を実施しなかった理由の1つに選挙権問題がある。

 近代国家を構成する最も重要な要素であった「国民軍」は現在新たな段階へ移行しつつある。特に唯一の超大国アメリカでそれは顕著である。
 アメリカは現在徴兵制を停止し、志願兵制を採っている。問題は志願兵に占める移民系住民の割合が急増していることだ。アメリカ軍にはアメリカ国籍や市民権がなくともグリーンカードと呼ばれる永住権があれば志願できる。しかも、ブッシュ政権がグリーンカード兵士の市民権取得を優遇する措置を実施した結果、市民権の欲しい移民による軍への志願が増大した。
 軍隊勤務と「国民の権利」が交換関係にあるという点で「国民軍」の基本構造は変わっていないが、その交換関係が移民と貧困層だけに課せられているという点が徴兵制時代と決定的に異なる。いわば黙っていても「アメリカ国民」になれる「一流国民」と、軍隊を志願しないと「アメリカ国民」になれない「二流国民」の厳然たる差別が存在するのである。これがヴェトナム戦争における兵役忌避を軸とした反戦運動の帰結と考えると皮肉な話である。

 横須賀で起きたタクシー運転手殺人事件で、神奈川県警に逮捕されたアメリカ海軍の兵士はナイジェリア国籍のグリーンカード兵士だった。現在海軍の兵員の3分の1近くが彼らのようなアメリカ国籍を持たない人々だと言われている。今やアメリカ軍は「国民軍」ではなく、多国籍の兵員から成る「グローバル軍隊」と言っても過言ではない。
 この「グローバル軍隊」はアメリカの支配層にとって非常に「おいしい」システムである。巨大資本は搾取と収奪によって世界的に貧困を作り出し、貧者を軍隊に送り込む。その貧者の軍隊を巨大資本の利権拡大のための戦争に動員する。兵士がいくら死のうが痛くも痒くもない。しかも貧者は「自発的」に「喜んで」軍を志願してくれる。まさに新自由主義時代の軍隊の姿である。
 逮捕されたナイジェリア人兵士が本当に事件の犯人なのか、彼が脱走した原因は何なのか現時点では何とも言えないが、少なくとも彼もまたグローバリズムの犠牲者であることは確かだ。市民権目当てで軍に入隊したはいいが、厳しい仕事と暴力的な環境に苦痛を感じていたかもしれない。

 「傭兵軍」→「国民軍」→「グローバル軍隊」と変遷してはいるが、軍隊が「公認された殺人集団」であるという1点は不変である。またそこには「戦争のプロ」と「一般民衆」、「国民」と「非国民」、「貧しい人」と「豊かな人」という差別が必ず存在する。アメリカのグリーンカード兵士問題から見えてくるのは、どのような形態であっても軍隊は非人間的な存在であるという厳然たる事実である。
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-04-04 19:57

チベット問題に関する志位書簡について

 チベット問題はよほど日本人の心をつかむのか、日本のネット言説は一時期チベット一色だった。
 トルコでクルド人が虐殺されても、ブータンでチベット系の王権がネパール系住民を「民族浄化」しても、パレスチナでイスラエル軍が暴虐の限りを尽くしても、日本ではほとんど話題にならない。チベットの暴動だけが関心を呼ぶのは、それが「中国による弾圧」であるからにほかならない。日本の現代ナショナリズムの最も重要なファクターは中国への蔑視と敵視であり、チベット問題は低俗なナショナリズムの自己満足の道具に成り下がっているのが実情である。
 日本政府や日本軍による国家犯罪をどんな手を使ってでも正当化し、普段「人権」「自由」といった価値を攻撃している右翼ナショナリストが、チベットに限って国家の弾圧に抗しているのは失笑するしかないが、他方で左翼系のネット言説でも右翼に隙を見せたくないのか、この問題ではナイーヴなリアクションが目立った。

 ちなみに私は正当な政治活動に対する弾圧に右も左もなく、そもそも中華人民共和国は「平和と平等」という「左」の価値から全く縁遠い国家だと考えているので、一連の問題で中国政府を批判するのにやぶさかではないが、当ブログではあえて沈黙を続けた。
 その理由は私がチベットの政情に関する知識に不足すること、外国の問題よりも自国の問題を優先していること(日本国家に納税する主権者として)、現実問題として中国批判が日本の国家犯罪を相対化する政治的効果を与えることなどもあるが、決定的理由は当ブログが日本語を解する人々を対象にしているからで、チベット語でチベット人の自治・独立運動を励ますことも、中国語で中国市民に問題を提起することも、私の語学力ではできないことにある(当ブログにはなぜか時折海外からのアクセスがあるが、それも外国在住の日本系の人だろう)。

 右翼系のネット言説の中には、チベット問題に沈黙する左翼を攻撃する向きが強いが、中国政府の行動を正当化しているのならばともかく、「沈黙」まで攻撃されてはたまったものではない。特に個人ブログの場合、取り上げることのできるテーマは自ずと限定されるわけで、何でもかんでも主張することなど不可能である。たとえば私はブログで「従軍慰安婦」問題を本格的に取り上げたことがないが、それは問題を無視しているのでも、正当化しているのでもないことは、当ブログの方向性から容易に類推できるだろう。
 左翼系の言説でも、たとえば日本共産党がチベット問題で「沈黙」していることを批判する声があった。しかし、国会に議席を持つれっきとした政党である以上、その言論にある種の戦略性があるのは当然で、少なくとも「沈黙」は容認しうると私は考えていた。中国共産党と日本共産党が同一視されることを危惧する向きもあるが、一般の世論では「冷凍ギョーザ」は話題になっても、「チベット」はネットの政治ブロガーほど問題になっていない。選挙の頃には忘れているだろう(それはそれで問題なのだが)。

 前置きが長くなった。本題はここからである。日本共産党が4月3日付で、志位和夫委員長が中国の胡錦濤国家主席に宛てたチベット問題に関する書簡を公表した。
 チベット問題――対話による平和的解決を/志位委員長が胡錦濤主席に書簡-日本共産党
 チベット問題をめぐって、騒乱・暴動の拡大と、それへの制圧行動によって、犠牲者が拡大することを、憂慮しています。
 事態悪化のエスカレーションを防ぐために、わが党は、中国政府と、ダライ・ラマ側の代表との対話による平和的解決を求めるものです。
 そのさい、双方が認めている、チベットは中国の一部であるという立場で対話をはかることが、道理ある解決にとって重要であると考えます。
 だれであれ、オリンピックをこの問題に関連づけ、政治的に利用することは、「スポーツの祭典」であるオリンピックの精神とは相容れないものであり、賛成できないということが、わが党の立場であることも、お伝えするものです。 
*宛名、差出人名省略。
 この書簡の内容には次のような問題がある。

 ①中国政府と「ダライ・ラマ側」との対話を望んでいるが、それはすなわち今回の暴動にダライ・ラマ亡命政権が関与しているという中国側主張を支持することを前提としている。
 ②「チベットは中国の一部であるという立場」を支持することで、自治権論の立場をとるダライ・ラマとは異なる勢力(チベット人の独立派)の発言権を認めていない。
 ③北京オリンピックでの抗議行動を「政治的利用」とみなしている。

 おそらくチベット問題での態度を明確にするよう求める党内外の声に応えた結果なのだろうが、はっきり言ってこんな書簡を出すくらいなら「沈黙」を貫いた方がよほど理に適っている。これでは中国共産党の弾圧行動を支持したと受け取られる危険性が強い。
 民族自決は本来共産党の一大原則であり、ダライ・ラマだけをチベットの代表者とする根拠もない。「チベットが中国の一部」かどうかはチベット住民が決めることであって、外国にどうこう言う権利はない。
 オリンピックについても戦前ナチス・ドイツの下で行われたベルリン五輪が第2次世界大戦を準備したように、決して政治性から逃れられるものではなく、一般論としては何らかの抗議行動(ボイコットなど)をとることは、経済制裁などと同様ありうることである(北京五輪でやれという意味ではない)。

 宛名の肩書きが「中国共産党総書記」ではなく「中華人民共和国国家主席」であるところに、これが「友党」としての忠告ではなく、抗議の意を含んでいると解釈できないこともないが、そんな腹芸はいらざる誤解の元である。
 もう出してしまった書簡をどうすることもできないが、日本国内の反共主義者や民主党信者に攻撃材料を与えてしまったと言わざるをえない。非常に残念である。
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-04-03 23:07

「反貧困フェスタ2008」のweb記事のまとめ

 3月29日に東京で開催された「反貧困フェスタ2008」に関するリンクをまとめる。

 地方在住の私は行けなかったが、今年のフェスタはもしかすると後世日本の労働運動史の転換点として記録されるかもしれない。
 貧困の最大の原因である非正規雇用の拡大を長らく黙認し、正規労働者と非正規労働者の分断に図らずも与した連合が参加したことは大きな意味をもつ。連合は昨年秋に非正規労働センターを設立し、ようやく雇用形態の差別問題に本腰を上げる姿勢を見せるようになった。もう1つのナショナル・センターである共産党系の全労連も参加した。全労連も遅ればせながら今年に入ってから非正規雇用労働者全国センターの設立準備を始めている。
 反貧困運動をリードする各種のユニオンやNPOは熱意と行動力はあるが、いかんせん財政基盤やブレーンが弱く、人員が少ない。既成の労働運動の協力は必要不可欠である。職種や雇用形態や勤務企業の規模などの壁を超えて労働者が連帯するための結節点は「反貧困」をおいてほかにない。不公平な税制や社会保障、競争原理や成果主義による心身の疲弊などは、いずれも貧困の前提であり、これらは正規・非正規の枠を超えた問題である。貧困の存在が社会を蝕み、現在貧困でない人にも影響することを訴えていく必要がある。

 写真速報:反貧困フェスタに1600人集まる-レイバーネット
 ブルーシートをつくっていこう@反貧困フェスタ「貧困と労働」シンポジウム-UnionTube
 「貧困」の実態をきちんと伝えよう!-OhmyNews
 反貧困でつながろう:反貧困フェスタに1600人!
 *同ブログには報道記事のまとめもある。
 反貧困フェスタに1600人!反貧困たすけあいネットワーク
 自由と生存の花見-Spider's Nest::フリーター全般労働組合
 「反貧困フェスタ2008」開催~連合非正規労働センターも参加~-フェアワーク つながるネット
 非正規雇用労働者全国センター CWAC-net:”貧困フェスタ”に1600人、非正規センターで労働相談コーナー
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-04-02 20:16

在日米軍駐留経費負担特別協定の「空白」~「思いやり予算」を再考する好機

 日本では4月1日は新年度がスタートする日である。エイプリルフールということでブログに何か仕掛けようかとも思ったが、ユーモアセンスのない私には何も思いつかないので、平常通り記事を書く。
 今日のマスメディアの関心は専らガソリン税の暫定措置の期限切れに集中しているようだが、今日はもう1つ期限切れになった「暫定措置」がある。在日米軍駐留経費負担特別協定である。

 日米地位協定は第24条で、日本側がアメリカ軍に基地や港湾や飛行場などを無償提供する一方で、「合衆国軍隊を維持することに伴うすべての経費」について「日本国に負担をかけないで合衆国が負担する」と定めている。
 ところが周知の通り、1978年以降日本側が「思いやり予算」と称して駐留経費の一部を負担するようになり、当初は在日米軍が雇用する日本人労働者の労務費などに限定されていたが、年を重ねるごとに負担額と負担用途は増大し、ピーク時には労務費・光熱費・訓練移転費合わせて歳出ベースで2700億円を超えた。近年は微減を続けているが、それでも今年度予算では2083億円(特別協定相当分は1416億円)と依然として2000億円規模を維持している。

 地位協定との矛盾が拡大しているのを糊塗するために、1987年以降は数年ごとに駐留経費負担のための特別協定を結ぶようになり、日米両政府は今年も1月に3年期限の特別協定を締結した。この新協定が現行協定の期限が切れる3月31日までに国会承認が得られなかったために、「思いやり予算」史上初めて「空白」が生じることになったのである。国会の与野党逆転による思わぬ「効果」である。
 新協定の承認案件は衆院外務委員会が明日採決し、その後本会議の採決も近日中に行われる見通しで、憲法の規定により外国との条約類は衆院可決後30日で自然成立となるので、「空白」は長くても1か月強の短期間にすぎないが、それでも「思いやり予算」という地位協定にも違反する行為が一時的でも掣肘を受けるのは歴史的快挙である。

 「思いやり予算」の使途については、従来から米軍将兵の高級住宅や娯楽施設への使用が問題になっていたが、最近も共産党の赤嶺政賢衆院議員の要求で防衛省が提示した資料から、警備員やコックに加えてバーテンダー、観光ガイド、さらには宴会のマネージャーの労務費に至るまで使われていたことが明らかになっている(しんぶん赤旗2008/03/17)。もはや「思いやり予算」は在日米軍にとって格好の「金づる」でしかないのである。
 アメリカの軍事プレゼンスを得るためには「思いやり予算」も仕方ないという思考が、あたかもリアリズムであるかのように錯覚しがちだが、あくまでも日本が基地を提供する代わりに米軍が日本を防衛するという関係が日米安保体制の本筋である。すでに基地を提供している以上「思いやり予算」は余計な隷属行為以外の何ものでもない。労務費と光熱費については日本人労働者を雇用したり、日本企業に事業を委託している見返りであるという見方もあるが、その見方は日本側が直接雇用ないし直接委託していない限り成立しない。米軍が雇用し、米軍が委託している以上、アメリカ政府が財政負担するのが当然である。

 今回の駐留経費負担協定の「空白」を機に「思いやり予算」には果たして正当性があるのか再考するべきだろう。最近、米軍軍人による相次ぐ刑事事件により日米地位協定の改正を求める声が高まっているが、「思いやり予算」と地位協定の矛盾についても政治課題とする必要があるだろう。

【関連記事】
商船を追い払ってまでアメリカ軍艦を寄港させる外務省
ナショナリストが在日米軍に期待するもの
もはや日米地位協定すら守られていない現実
米軍の年間性犯罪2700件から見えるもの

【関連リンク】
日米地位協定全文(日・英文対照)-外務省*PDF
在日米軍駐留経費負担特別協定の署名について-外務省
防衛省・自衛隊:在日米軍駐留経費負担について
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-04-01 12:32