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福祉国家派の消費税増税論と「北欧モデル」についての私見

 どうも最近、消費税増税を容認する福祉国家を推進する左翼系ブログが目につく。それらの議論はいずれも「高負担・高福祉」の「北欧」モデルの導入を想定している。スウェーデンは付加価値税25%だが、所得の平等度は高い。その事実が消費税増税と引き換えの社会保障給付の充実という政策思想の前提になっている。

 「北欧」モデルについては、今年に入ってから関係書籍を随時読んでいるのだが、知れば知るほど、日本と北欧諸国の「背負っている歴史」の違いを思い知らされる。スウェーデンでは早くも1910年代に社会民主党政権が成立している。2度の大戦にも中立を堅持した。一方、その頃の日本は戦争を繰り返し、社会主義は徹底的に弾圧された。90年以上、終始社会民主主義政党が第1党だった国と、保守政権が140年近く続く国を同列にはできない。
 スウェーデンで売上税(消費税に相当)が導入された時、すでに年金も児童手当も住宅支援も今の日本より充実していた。福祉国家が先にあった上で、消費税は後から導入されたのである。ところが日本では消費税を先に増税して、それを原資に福祉国家の実現を図ろうというのである。この違いは非常に大きい。

 こういうと例えば山口二郎氏(あるいは消費税増税派のブログ書き)あたりは、それではいつまでたっても福祉国家は実現しないと言うのだが、私に言わせれば、消費税増税で貧困層の生活が成り立たなくなることこそ、福祉国家の実現を阻害する。
 福祉国家が持続するためには、できるだけ多くの人々が税を負担しなければならない。そのためには、まず所得の平等度を高めることが必要であり、消費税は当面減税ないし廃止することが望ましいとさえ考える。

 消費税というのは、十分な所得再分配システムができてからならば、国家の構成員全員が負担しうる(人間は生きている限り必ず消費するため)という点で実は民主的な税であるが(国家に納税することで、国家に対する権利は明確になる)、再分配効果を高める政策が何一つ実施されていない現状では、逆進性の極めて高い消費税は完全に有害なのである。
 そして、ここが重要なのだが、国家による富の再分配効果は1年や2年というレベルではなく、2世代くらいの時間がなければ確かめることができない。「平等」とは動態的なものであり、個々人の全生涯を見なければならない。ある1年だけ取り出しても、社会の平等性が高いかどうかは本当のところはわからない。現在の雇用における正規・非正規間格差の問題も、ある時点では中には非正社員の方が正社員より手取り収入が多い場合があるが、生涯所得では大きな開きがある。実際に不平等を是正するには、長期間の取り組みが必要なのである。

 日本の現在の政治状況や社会構造を考えると、消費税を主体とした税制は50年以上先の課題である。今、消費税の引き上げをどんな目的であれ唱えるのは、結局のところ法人税減税の財源として消費税増税を目論む財界に利用されるだけだろう。
 しつこいようだが、必要なのは所得税の最高税率引き上げと累進回復と分離課税廃止、相続税の対象範囲拡大、法人税の復旧である。「歳出削減でもなく、消費税増税でもなく、金持ち増税を!」。貧困からの脱却にはそれしか道がない。

【関連記事】
消費税増税問題に関するリンク

【関連リンク】
消費税論議を吹き飛ばす、相続税改正の大きなパワー/SAFETY JAPAN[森永卓郎氏]/日経BP
森永卓郎氏による相続税改正論。相続額2000万円以上に100%の相続税をかけると国の歳入全てを賄えるという試算。現実的ではなく問題もあるが、財源は消費税以外にいくらでもあるという事実に注目してほしい。
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by mahounofuefuki | 2008-03-09 16:03

「カジノ法案」を目指す自民・民主両党の危険な動き

 なぜか全然問題になっていないようだが、日本でカジノを合法化するための「カジノ法案」の議員立法がいよいよ本格化しているらしい。先月末自民党が素案をまとめ、民主党も勉強会を開始、公明党も検討を始めるという。来年の通常国会への提出を目指しているという。
 産経新聞(2008/02/23 19:49)によると、自民党案は次の通り。
①施行主体は地方公共団体かその一部事務組合。
②当面は2~3カ所に限定。最大10カ所程度に段階的に拡大。
③主務大臣の下に独立行政法人「カジノ管理機構」を設立。合議制の機関「カジノ管理委員会」を設置。
④施行収益は地方公共団体に帰属。国の機関は施行者から施行収益の一定率を交付金として徴収。
⑤カジノ運営やゲームへの参加に犯罪歴などの欠格要件を設ける。
⑥クレジットやATMの設置、金銭貸し付けの禁止。
⑦組織犯罪の介入、風俗環境悪化、依存症の対策のための「地域環境管理委員会」を設置。
 産経はよほどカジノにご執心のようで、3月7日付で「カジノを観光立国の起爆剤に」と題する論説を載せている。要点は、アジアの新興富裕層を観光客として呼び込み、地方財政を強化するためにカジノを合法化するべきということで、専ら経済・財政上の理由からカジノを推進している(同前2008/03/07 20:31)。

 結論から言えば、カジノの合法化などもってのほかである。
 第1に、現行の公営「賭博」が貧困の拡大に手を貸しているからである。
 現在、国や地方自治体が深く関与している事実上の賭博である競輪・競馬・競艇は、いずれも多重債務問題の原因に関係している。多重債務の主たる直接原因は生活難だが、賭博への依存症が生活費の使い込みを引き起こし、借金の蓄積につながっていることは否めない。あるいは所得の減少から「一発逆転」を狙って賭博に入れ込み、どつぼにはまっていくことも多い。競馬や競輪でさえそうなのだから、この上新たにカジノを作るなど、多重債務の増加を招き、貧困を拡大するようなものである。

 第2に、カジノが新たな利権を生み、財政規律を弱める可能性が高いからである。
 国が関与する以上、カジノ設置や事業委託に関する許認可権が当然生じる。運営する民間業者と政治・行政の癒着を防ぐことは難しい。実際、戦前の公娼制度では「遊廓」を巡って政界の汚職が絶えなかった。また、歳入におけるカジノ収入の割合が大きくなるほど、カジノ関係者の政治的発言力が大きくなる。財政の公平性の観点からも危険である。

 第3に、カジノ目当ての観光客など願い下げだからである。
 あまり言いたくないが、賭博を好む人にはろくな人がいない。賭博は常に暴力やシニシズムと密接である。しかも基本的に「労せずに儲けたい」という市場原理主義的価値観とも共通する。そんな連中の「空気」そのものが反社会的である。いくらカネを落とすからと言われても、平穏な市民生活の上で、そういう類の観光客などノーサンキューである。

 この問題では自民・民主両党の「大連立」が進行しているようで、その点でも不愉快だ。まだ先の話だからと油断してはなるまい。カジノ阻止の世論づくりが必要だろう。
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by mahounofuefuki | 2008-03-08 17:59

労働運動の未来

 以前、東京新聞「ハケンの反撃」を読んでというエントリで、私は「資本主義初期の工場法制定前の奴隷労働同然になっている現状を変革するエネルギー」は、個人加盟型ユニオンのような「新しい労働運動からしか生まれないだろう」と書いたが、改めてそれを確信するニュースがあった。
 まず、中日新聞(2008/03/07 08:24)より。
 トヨタ自動車の工場で作業中に急死した内野健一さん=当時(30)=の過労死をめぐり、名古屋地裁で過労死認定を勝ち取った健一さんの妻博子さん(38)に対し、豊田労働基準監督署は6日、QC(品質管理)サークルなどの活動を業務と認めて遺族補償年金と葬祭料を支払う決定をした。同労基署側は地裁判決の後、QC活動を残業と認めずに支給額を算出するとしていたが、「(業務と認めた)判決を尊重した」と姿勢を一転させた。遺族年金の支給額は、健一さんが死亡する直前3カ月(2001年11月-02年1月)の平均賃金を基準にして算出される。(後略)
 当ブログでも裁判所の判決を無視する労基署~トヨタ過労死というエントリを上梓し、名古屋地裁が過労による労災を認定する判決を下し、国が控訴せず判決が確定したにもかかわらず、豊田労基署がトヨタに恐れをなしてか判決に反して残業時間を過少に算出し、遺族補償金を出し渋っていたことを紹介したが、ようやく判決に従ったわけである。
 このトヨタ過労死問題の過程で、トヨタ自動車の御用労組は何一つせず、経営側の言いなりに死んだかつての同僚を見捨てた。中心となって闘ったのは全トヨタ労働組合(ATU)のような新しい雇用形態横断型のユニオンだった。今回トヨタの腰巾着である豊田労基署を動かしたのは、まさに「新しい労働運動」だったと言ってよい。同時に、既成のメディアが覆い隠すトヨタへの憤懣の声がインターネットで溢れかえっていたことも影響しただろう。もはや労使協調型労組に未来がないことははっきりしている。

 もう1つ、奇しくも同じ豊田労基署関連のニュースがある。共同通信(2008/03/07 06:41)より。
 豊田労働基準監督署(愛知県豊田市)は6日、日本マクドナルドの元店長で愛知県内の50代の男性が脳梗塞などで倒れたのは、長時間の残業など過重な労働が原因だったとして、労災を認定した。
 同労基署は勤務記録などから月80時間以上の残業が続いていたと認めた。
 支援する日本マクドナルドユニオンなどによると、男性は1982年に入社。豊田市でマクドナルドの店長として勤務していた2004年11月に大動脈瘤と脳梗塞を発症した。
 男性は昨年1月、豊田労基署に労災を申請。脳梗塞発症前の残業時間について、マクドナルド側は1カ月当たり55時間から67時間前後と主張。これに対し男性は「2店舗の店長を兼務していた時期もあり、月百時間以上だった」と訴えていた。
 マクドナルドと言えば、1月に直営店の店長が偽装管理職による残業代不払いの不当性を訴え、東京地裁が原告勝訴判決を下した(マクドナルド残業代不払い訴訟で勝訴判決参照)。マクドナルド側が控訴したためまだ係争中だが、今回労基署が残業時間の算定において会社側の主張を退けたのは東京地裁判決が影響していると考えられる。
 企業が残業を行わせる時にはできるだけ合法に偽装しようとする。マクドナルドの場合もタイムカードを改竄せざるを得ないように仕向けるような労務管理を行っている。労働行政においてはそうした会社側のやり口を断罪する姿勢が必要である。
 ここでも日本マクドナルドユニオンが闘いを支えた。マクドナルドのような正社員比率が低く、長年労組が存在しなかったような企業では、ますますユニオンの拡大が望まれる。日本の労働運動は今、大きな岐路に立たされていることは明らかだ。

 成果というにはあまりにも小さな動きだし、過労死した人が生き返るわけでも、病気がよくなるわけでもない。しかし、現在の労働環境がもはや「泣き寝入り」することもできないほど追いつめられている以上、こうして局地的でも闘うほかないことをこれらの事例は示している。私は改めて日本の労働運動の未来をユニオンに託したい

【関連リンク】
全トヨタ労働組合(ATU)
日本マクドナルドユニオン
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by mahounofuefuki | 2008-03-07 12:39

「年金一律救済」論と年金改革私論

 天木直人氏のブログ経由で知ったのだが、産経新聞の客員編集委員の花岡信昭氏が年金記録の審査基準緩和による「年金一律救済」を主張している。
 やはり「年金一律救済」が必要だ-MSN産経ニュース

 天木氏も指摘しているように、花岡氏の主張は福田政権の支持率回復のための建策で、しかも消費税を増税の上、年金財源とすることを前提にしているので、その点では経済財政諮問会議や自民党財革研と同じ欺瞞に満ちた「消費税の社会保障目的税化」議論だが、「年金一律救済」という結論だけは注目に値する。花岡氏と言えば、ネット右翼レベルのお粗末な言論で知られる人だが、今回の主張は彼にしてはまともであると言えよう。

 建前はともかく本音ではもう誰も年金記録の完全回復など信じていないだろう。5000万件もの不明記録を洗い出すコストも馬鹿にならない以上、できもしない作業を延々と続けるより、確実に年金を給付することを優先するべきだと私も考えている。はっきり言ってしまえば、現役時代の年金負担額に関わらず一定の年金を公的に保障するべきである。
 その場合、現役時代にきちんと年金保険料を払っていなかった人々にも年金を給付することに、保険料をきちんと払っていた人々からは不満の声が上がるだろう。
 しかし、その不満は実はおかしい。なぜなら年金制度とは積立貯金ではなく、あくまでも負担者はその時の受給者のために支払っているのであって、自分のために払っているわけではないからだ。

 現在の国民年金では所得に関わらず、保険料が定額である。その代わりに給付額も定額だが、実際は「支払期間」によって左右される。その結果、所得が低くて保険料を支払えず、不払い期間が多い人ほど、自身が給付を受ける時には給付額を削られる。
 つまり、現役時代に十分な所得がある(そういう人は貯蓄も多い)人ほど年金受給額が多く、現役時代に所得が低い(貯蓄もない)人ほど給付において不利なのである。いくら給付額が負担額と同様に定額であっても、「支払期間」に左右される限り、国民年金の再分配効果はほとんどないのである。
 厚生年金の場合も2階部分は生涯平均報酬に比例するので、豊かな人ほど給付額が多く、貧しい人ほど給付額が少ない。ここでも「弱者の排除」が行われている。

 現在の年金論議は専ら年金記録問題と財源問題に終始しているが、年金における最大の問題は4割以上にも上る未納者の存在である。
 特に我々「氷河期世代」の非正社員で未納・免除期間のない人は皆無だろう。アルバイトや日雇い派遣のような低賃金・不安定な雇用では、とてもではないが毎月1万4100円もの年金保険料など払えるはずもない。しかも今後10年間は毎年保険料の引き上げが決まっている。
 同世代の人々からはよく「年金制度からの離脱の自由」が欲しいという声を聞くが、そういう主張が出るのも当然だ。

 そうした現状を打開するためには、年金にも所得税制と同様「応能原則」を導入するべきである。負担は支払い能力に応じて課すのである。ついでに言えば給付においても受給時点の資産や収入によって増減することも検討してもよい。この立場に立てば消費税の社会保障目的税化などもってのほかである。消費税は逆進税だからだ。
 これは年金制度のパラダイム転換である。社会保険庁のホームページに「本来、健康で文化的な最低限度の生活は国民の自助努力によって達成されることが基本」と記載されているように、現行制度は要するに「自己責任」を前提としている。しかし、ここまで「貧困と格差」が拡大し、年金制度が空洞化している以上、旧来の「自己責任」では社会の持続可能性はない。思い切った発想の転換が必要だ。

 保険料制度で「応能原則」を導入するのは困難なので、税と年金の一体化が当然必要となるが、そのための具体的方策は残念ながら持ち合わせていない。その点では現実離れした与太話だという批判は甘受したいが、少なくとも方向性としては社会保障への「応能原則」導入は避けられないと考えている。それこそ真の「年金一律救済」だろう。

【関連記事】
現行の社会保障制度は弱者を排除している~「社会保障国民会議」発足を前に
社会保障の財源が消費税でなければならない理由はあるのか
「金持ち増税」論は少数意見ではない~山口二郎・宮本太郎共同論文を読む

【関連リンク】
年金一律救済を主張する産経新聞の論説-[公式]天木直人のブログ
社会保険庁
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by mahounofuefuki | 2008-03-05 20:28

私が禁煙派なのにたばこ増税に反対する理由

 日本学術会議がたばこ税の大幅引き上げを厚生労働省に提言した。以下、毎日新聞(2008/03/05朝刊)より。
(前略) 学術会議は、たばこの規制に関する分科会(大野竜三委員長)で、06年6月から検討してきた。提言では自動販売機の設置禁止、喫煙率削減の数値目標設定のほか、たばこ税(1箱当たり189円)を現在の2倍程度にすることの検討を求めた。この場合、年間消費量は現在の約2700億本から4分の1減少、喫煙者数は少なくとも200万人減少すると試算した。一方、税収は年間約2兆3000億円から約1兆2000億円増えるという。(後略)
 私はたばこを吸わないだけでなく、日頃の実生活で嫌煙権を主張しているくらいなので、日本学術会議が主張する「脱タバコ社会」という目標そのものには全く異論がない。たばこ自動販売機の設置禁止も未成年の喫煙を防止する上で必要だと考えている。

 しかし、たばこ税の増税はいただけない。禁煙派は一般にたばこ増税には無条件で賛成する人が多いが、私は一貫して反対している
 「税が無駄遣いされるから」ではもちろんない。私が基本的に「大きな政府」論者であることは、当ブログの税制や社会保障関係の記事にいつも書いている通りである。私がたばこ税の増税に否定的なのは全く別の理由からである。

 それは喫煙の本質が「依存症」である以上、いくらたばこの価格が上がっても重度の喫煙者がたばこをやめることはないからである。本当のヘビースモーカーはたとえ価格が倍になったところで喫煙をやめることなどできない。ニコチン依存症とはそれほど重い「病気」だからだ。
 たばこ増税論はあくまでも喫煙者=ニコチン依存症患者がたばこをやめないことを前提に、税収を増やそうとする方策である。いわば病人の弱みにつけ込んだ懲罰的な徴税である。税は年貢ではない。税を負担する以上は、当然見返りがなければならない。現在のたばこ税では納税者たる喫煙者に何も恩恵はない。

 むしろ財政に求めるべきは、ニコチン依存症治療促進のための歳出増大である。現在、禁煙は専ら個人の「自助努力」に委ねられている。しかし、本当に「脱タバコ社会」を目指すならば、いつまでも喫煙者任せにはできない。喫煙者が積極的に依存症を治せるよう、財政支出を増やさなければならない。具体的には禁煙治療への医療費助成や保険適用範囲の拡大である。
 ちなみにたばこ税をその財源に使うことはできない。それでは喫煙減少のための財源を増やすために、喫煙を増やすという二律背反になってしまうからだ。たばこ税の税収が大きくなるほど、喫煙者を減らす財政上の必然性がなくなってしまう。故に真の禁煙派はたばこ増税に反対しなければならない。

 禁煙派はたばこに対する憎悪のあまり、つい喫煙者への差別と懲罰に傾きがちだが、喫煙者はあくまでも治療が必要な病人であることを考慮してほしい。私は本気で喫煙習慣を撲滅したいからこそ、たばこ税の増税に反対し、喫煙者の禁煙治療に対する財政出動の強化を求める。

【関連リンク】
要望 脱タバコ社会の実現に向けて-日本学術会議*PDF
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by mahounofuefuki | 2008-03-05 17:22

アメリカ兵のためにも日米安保体制解消への道筋が必要だ

 沖縄での女子中学生暴行事件を機に、在日米軍は2月20日から沖縄在留の軍人・軍属及びその家族の外出禁止措置をとっていたが、その間も米兵の犯罪は後を絶たなかった。2月26日には海軍の将校が乗用車事故を起こし、3月1日には軍属が覚醒剤使用容疑で逮捕、さらに3月2日には空軍の兵士が沖縄県建設業協会の事務所に窓を割って侵入するという事件を起こした。
 これだけ不祥事が続いたということは、外出禁止措置なるものが米兵の犯罪防止に全く実効性がなかったことを証明したようなものだが、沖縄駐留米軍は3日、軍人の夜間外出を除き禁止措置を解除し、「反省の期間」の終結を着々と進めている。一連の展開は小手先の犯罪防止策ではなく、在日米軍の駐留の可否そのものを俎上に上げない限り、米兵犯罪の根絶にはつながらないことをはっきりと示していると言えよう。

  一方で、なぜこんなに在日米軍の犯罪が多発するのか、米軍側の構造的要因も真剣に考えねばなるまい。
 最近発表された外務省・防衛省の資料によると、沖縄駐留米軍だけでも軍人が22,772人、軍属が2,308人で、計2万5000人以上に上る。同じ2万5000人規模の企業で果たして10日余りで3人も逮捕者が出ることがあろうか。米兵の犯罪率は一般社会に比べてあまりにも高い。
 結局のところ米軍の構造に犯罪を誘発するような問題があると結論づけるほかないだろう。よく知られているように、現在アメリカでは徴兵制が停止されていて事実上の志願兵制が採用されている。その結果、兵士の多くは移民系住民をはじめとする貧困層で、軍のリクルート活動も専ら貧困層をターゲットにしている。そうやって集められた兵たちが、日本という見知らぬ地で「公認された殺人者」となるべく訓練を受けている。
 兵たちのストレスや不安は相当なものだろう。それでいて軍隊特有の暴力性と嗜虐性と特権意識、本国ではできないようなことも「占領地」ではできるという気の緩みと日本人への侮蔑意識などがないまぜとなって、酒や薬物や性的暴力に「逃避」しているのではないか。

 ある意味で米兵たちもまた犠牲者であろう。軍隊という檻に囲い込まれ人間性を剥奪されているという点で。もちろんだからと言って彼らの行いを免罪することはできないが、むしろあわれな米軍兵士のためにも日米安保体制は解消しなければならないのではないか。
 在日米軍の問題は現在、基地を抱える地域だけの問題になってしまっていて、全国の人々が問題を共有できていないが、兵を送り出しているアメリカの人々にはそれ以上に在日米軍の実態がほとんど伝わってはいまい。日米安保体制の問題を「地域の問題」から「日本全国の問題」へ、さらに「日米両国の問題」へと市民レベルで広げることが何としても必要だろう。

【関連リンク】
在日米軍の施設・区域内外居住(人数・基準)-外務省・防衛省*PDF
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by mahounofuefuki | 2008-03-04 21:59

アニメキャラを住民登録するくらいなら、外国籍の人々を住民と認めよ

 埼玉県鷲宮町が、アニメ「らき☆すた」の登場人物を「住民登録」するという。以下、J-CASTニュース(2008/03/03 17:43)より。
(前略) 住民登録されるのは、同アニメの主要キャラの柊かがみ、柊つかさの姉妹と、2人の姉と両親の6人。同一家の父親は同町の「鷲宮神社」をモデルとした「鷹宮神社」の宮司。柊姉妹も巫女になって同神社で働いている。同町では「らき☆すた」を使った町興しを進めていて、声優を招いてのイベントや、キャラクターの携帯ストラップ販売などを行っており、今回の「住民登録」もその一環。また、今回の「『らき☆すた』特別住民票」を08年4月7日から平日の8時30分~17時15分、1枚300円で限定1万枚を発売する。取り扱うのは鷲宮町役場住民課のみ。
 「らき☆すた」は美水かがみという人の4コマ漫画で、テレビアニメ化されたことで、一躍「おたく」の間で人気を博した。モデルの鷲宮町がファンの間で「聖地」となり、鷲宮神社への初詣の参拝客が30万人も押し寄せたことも話題になった。
 私は別にアニメや漫画を町おこしに利用するのは構わないと思っている(だいたい私は元アニメおたくだし)。しかし、以前アザラシの「たまちゃん」の時もそうだったが、「住民登録」というのには抵抗がある。その理由はおなじみ多文化・多民族・多国籍社会で「人として」が詳述しているのでリンクする。
 多文化・多民族・多国籍社会で「人として」:「外国人住民台帳制度よりも「住民基本台帳法」の外国籍住民への適用実現を!簡単だし目的達成にはこれで十分!
 多文化・多民族・多国籍社会で「人として」:外国人登録法と住民基本台帳法

 要するに、アニメキャラを住民登録するくらいなら、外国籍住民を住民登録できるようにしろ!ということである。納税義務を負っているのに住民登録されず、住民としての権利がないというのは不合理でしかない。

 ところでこの機会に指摘しておくが、日本の漫画やアニメには在日外国人が登場することがほとんどない。「ガンダム」の富野由悠季監督のアニメ(タイトル忘れた)くらいしか記憶にない。アメリカのアニメとかドラマが、しばしば登場人物の「人種」の割合に敏感なのとは対照的だ。「日本のアニメにおける単一民族幻想」は十分に検討に値するテーマだと思う。
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by mahounofuefuki | 2008-03-03 23:20

ロフトの雇用改革について

 生活雑貨大手のロフトが、今月16日より無期雇用を希望するパート・契約社員全員を正社員とすることが報道されている。
 要点をまとめると、①現在パート社員2650人いるがそのうち2350人が正社員を希望している。②正社員・契約社員・パートの区分を廃止し、代わって「基幹社員」「リーダー」「フロント」の新区分を設け、いずれも無期雇用を希望する人を正社員とする。③新制度では非「基幹社員」からも幹部・専門職を登用する。④パートの時給は3段階だったが、「フロント」は8段階に細分化し、時給の上限と下限を引き上げる。⑤労働時間は「フロント」が週20~40時間、「基幹社員」「リーダー」が週32~40時間から選択可能とする、といったところである(朝日新聞2008/03/02 10:37、読売新聞2008/03/02 19:57、日刊スポーツ2008/03/03 12:34)。

 現在の非正規雇用の最大の問題は何と言っても細切れの有期雇用による生活の不安定であり、職種に関わらず無期雇用とすることは大いに評価してよい。また「パートタイム正社員」を容認したことも大きい。現在一般的な「フルタイムの正社員」か「パートタイムの非正社員」かの二者択一では、何らかの事情でフルタイムでは働けない人は決して正規雇用にはありつけない。過労の正社員と不安定な非正社員の二極化が進む現状に一石を投じていると言えよう。
 職能ランクを細分化し、給与の差を広げるという能力主義を強化している面もあるし、どれほどパート社員が基幹社員に登用されるのか未知数だが、現状では大きな前進と言ってよいだろう。「生活給」の時代が終焉してしまった現在、「職務給」を前提とした制度としては、今回のロフトの新制度はベターだと思う。

 もう1点、このニュースで注目しなければならないのは、パート従業員の8割以上が正社員になることを希望している点である。多くの経営者や新自由主義者は非正社員が好きで非正社員をやっていると喧伝しているが、実際は正社員になりたいのに、仕方なく有期雇用に甘んじているのである。最近の「ハケンの反撃」もそうだが、有期雇用から無期雇用へ、間接雇用から直接雇用へという流れを何としても推進したい。
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by mahounofuefuki | 2008-03-03 22:22

「3月1日」の忘却

 人間の記憶のキャパシティには限界があるので、たくさんのことに関心を持続することは難しいし、忘却してしまうことも多々ある。次々と新しいニュースが登場することで、「古い」ニュースは書き換えられ、私たちの脳裏から消えていく。「ロス疑惑」の話が唐突に出てきた時に、在日米軍基地問題やイージス艦の事件が霧散してしまうのではないかという危惧を抱いた人々が少なくなかったが、そうした危惧を抱くのは、人間が複数のニュースに強い関心を寄せることが難しい事実を知っているからである。

 たかだか数週間前の出来事でさえそうなのだから、本当に「古い」出来事ならばなおさらである。
 私は今朝新聞を読むまで、昨日3月1日が3・1独立運動の記念日であったこと、さらにビキニ環礁で第五福竜丸が被爆した日(ビキニデー)であったことをすっかり失念していた。知識として問われればいつでも答えることができる事柄でも、普段は記憶の片隅に追いやられていることを改めて自覚し、戦慄を覚えた。
 念のため説明すると「3・1独立運動」とは、1919年3月1日に、日本統治下の朝鮮で朝鮮民族代表による独立宣言が発せられたのを機に、朝鮮半島全土に広がった独立運動で、日本帝国主義の植民地支配に対する韓国・朝鮮の抵抗の出発点となった運動である。もう一方の「ビキニデー」とは、1954年3月1日に、アメリカがマーシャル諸島ビキニ環礁で行った水爆実験により、日本の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が危険指定区域外で操業していたにもかかわらず被爆したことから名付けられ、この事件を機に原水爆禁止運動が本格的に始まった。

 いずれも単なる「過去の話」ではなく、すこぶる現代的な課題とリンクしている。3・1独立運動はいまだ日本に根深い韓国・朝鮮に対する侮蔑意識と排外思想の克服を問うているし、ビキニ被爆事件は今も続く核兵器の恐怖とアメリカ国家の「無法と横暴」を示している。決して忘却できない出来事である。
 3月1日は韓国・朝鮮では祝日で、国家的行事も催されるが、日本では全く軽視されている。それは今も多くの日本人が植民地主義的思考に拘束されていることを意味する。日本軍の武力弾圧により殺された3・1独立運動の死者を日本人が公的に追悼しない限り、「帝国日本」を克服することはできないだろう。
 また、ビキニデーは日本にとって広島、長崎に続く3度目の被爆経験である。それにもかかわらず、日本国家は事件当時からアメリカに賠償を求めることもせず、わずかな慰謝料だけで強引に幕引きを図った。「軍」が「民」を押しつぶした典型的事件であり、最近の在日米軍による犯罪や米軍再編に伴う騒音被害、またイージス艦の事件にも通じる。

 忘却を反省しつつ、1日遅れではあるが「3月1日」の意味を熟慮したい。過去を現在に生かすことにこそ歴史を学ぶ意味がある。
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by mahounofuefuki | 2008-03-02 13:42

生活保護と生存権

 小泉政権の「構造改革」の本質は「強きを助け、弱きをくじく」ことにあったが、それが最も如実に表れているのは、「聖域なき歳出削減」をうたい文句に社会保障費を毎年2200億円削減するよう決めたことである。2002年度以降、毎年予算編成のたびに厚生労働省はこの「2200億円」(ただし02年度は3000億円削減)をどうにかして捻り出すことを政府から求められ、その都度給付を削減したり負担を増やしたりしてきた。
 この5年余りの間に国民年金や厚生年金や介護保険の保険料が引き上げられ、医療の自己負担比率が増える一方、年金給付額が引き下げられ、雇用保険や健康保険の国庫負担が削減され、生活保護の老齢加算や母子加算が段階的に廃止され、診療報酬や介護報酬が引き下げられた。特に高齢者、障害者、貧困者といった弱い立場の人々を狙い打ちにし、富裕層優遇の経済政策と合わせて「貧困と格差」を拡大させた。

 今年度予算編成でも当初厚生労働省は生活保護基準の引き下げを行う予定だったが、昨年心ある人々の猛抗議により先送りされた(ただし母子加算の段階的廃止は予定通り実施)。あくまで「先送り」なので、このまま「構造改革」路線が続けば、来年度予算編成で再び生活保護基準引き下げを提起してくるだろう。
 そのための布石としてか、このところ生活保護の不正受給に関するニュースがいやに大きく報道されている。特に北海道滝川市で暴力団関係者が生活保護費を約2億円も詐取していた事件は、生活保護行政への反発を呼び起こし、ひいては生活保護受給者への不信につながっている。政府・厚労省としては生活保護受給者への誹謗中傷は歓迎するところで、生活保護基準引き下げへの世論の支持を調達する思惑がある。

 一方、不正受給問題の陰で、マスメディアがさっぱり大きく取り上げないのが、生活保護受給者らによる「生存権裁判」である。生活保護の老齢加算や母子加算の廃止は、生存権の保証を定めた憲法第25条に違反するとして、高齢者やシングルマザーの女性らが国を訴えている訴訟で、現在北海道、青森、秋田、東京、新潟、京都、兵庫、広島、福岡の各都道府県でそれぞれ進行している。
 ただでさえ少なかった生活保護給付額から加算分を減額されたことにより、基本的な衣食住も賄えなくなった人々が続出している。また母子加算の廃止は、まともな収入を得られる就労機会が少ない「子持ち女性」の生活を圧迫すると同時に、母子家庭に育つ子どもの教育機会を奪い、貧困を再生産させる。「食事を1日1回に減らした」「葬式にも出られない」という叫びに耳を傾けねばならない。
 政府が生活保護基準の引き下げを準備する中で、この訴訟の帰趨は今後の社会保障政策全般に影響するだろう。決して見過ごすことはできない。

 日本国憲法第25条は第1項で「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」、第2項で「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と規定している。これに従い生活保護法は「最低限度の生活は、健康で文化的な生活水準を維持することができるものでなければならない」と定め、国に「国民」の生存権を保障する義務を負わせている。
 当然、国家の側は憲法や法律に従って、貧困者が生存し、社会参加できるよう支援しなければならない。ましてや現在の貧困の主たる原因は、政府の経済政策の失敗にあり、そのツケを支払う責務がある。「生存権裁判」は改めて憲法第25条の重みと国家の社会保障の意味を問うていると言えよう。

 生活保護問題に対しては相変わらず「自己責任論」が幅を利かせており、「生存権裁判」に対しても誹謗中傷が絶えない。貧窮な高齢者に対しては現役時代の「努力」が足りないからだと責め立てたり、子どもを塾に通わせたいという女性原告の言葉じりをとらえて、「塾通いが“最低限度”の生活か」という類の罵声を浴びせたりする。
 これらの輩は、現代社会では貧窮者の多くが生まれた時から貧窮者で教育機会にも就職機会にも恵まれなかったことや、日本の年金制度や医療保険制度が一定規模以上の企業の正社員を標準としているため、その「標準」から外れる人々には圧倒的に不利であることを無視している。「塾通い」云々についても子どもには貧困のスパイラルから抜け出して欲しいという親心を理解しなければならない。
 もっと深刻なのは生活保護を受給していない貧窮者からの受給者への攻撃だが、これも昨年当ブログで繰り返したように、生活保護受給額が非受給者の所得より多いことが問題なのではなく、非受給者が生活保護基準を下回っているのに生活保護を受給しない、あるいはさせないことこそ問題なのである。少なくとも私は貧困ライン以下で「我慢」させられる状態を「美徳」とは思わない。

 そもそも現代における貧困とは、単に食料がなくて肉体的な生存が危機に瀕しているという状態だけを指すのではない。それぞれの属する社会で当然とされる生活習慣や生活様式を維持することができない状態を貧困というのである。
 親族や友人が亡くなれば葬式に出なければならないし、葬式に出れば香典を上げなければならない。冷蔵庫や洗濯機や電気炊飯器は日本社会ではもはや最低必需品である。「健康で文化的な生活」とはまさに日本社会で「常識」とされる生活習慣や生活様式のことである。その観点からすれば現行の生活保護基準は決して高いとは言えない。

 生活保護と生存権の関係をめぐる問題は、特権的エリートを除いて誰しも貧困に陥る可能性を持っている以上、決して見過ごすことができないはずだ。少しでも関心を持ってほしい。

【関連リンク】
日本国憲法-法庫
生活保護法-法庫
全国生活と健康を守る会連合会 【生存権裁判】
生活保護問題対策全国会議
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by mahounofuefuki | 2008-03-01 15:32