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広がる「結婚・出産格差」~「21世紀成年者縦断調査」を読む

 厚生労働省が「第5回21世紀成年者縦断調査(国民の生活に関する継続調査)」の概要を発表した。
 この調査は「男女の結婚、出産、就業等の実態及び意識の経年変化の状況を継続的に観察する」ために、2002年10月末時点で20~34歳だった全国の男女を対象に、2002年以降毎年継続して行っているもので、同一の標本による動態調査なので信頼性が高い。「氷河期世代」の結婚・出産事情を究明する上で最も基本的なデータであり、少子化問題を考えるには欠かせない重要な調査と言えよう。

 調査の詳細は厚生労働省のホームページの当該資料(下記関連リンク参照)を参照されたいが、この調査結果から私が注目するのは次の4点である。

男性では正規雇用と非正規雇用の、あるいは中間層と貧困層の「結婚格差」が著しい。
 2002年の第1回調査時点で独身だった男性のうち、その後4年間で結婚した人の割合は、正規雇用では18.0%、非正規雇用では9.1%と2倍近く離れている。非正規雇用では家族生活を維持するだけの経済力がないために、正規雇用に比べて結婚がより困難になっていることを実証したと言えよう。
 また、2004年の第3回調査時点で独身だった男性のうち、その後2年間で結婚した人を所得階級別に見ると、年間所得500万円までは所得が高くなるほど結婚した人の割合も高い。これも低所得者の結婚が難しくなっていることを示している。一方で、年間所得500万円以上では300~500万円の層よりも結婚した人の割合が微減しているのは、富裕層の男性においては自発的な「独身貴族」が増えていることを示唆している。

女性の「結婚退職」が依然として多い。
 2005年の第4回調査から翌年の第5回(今回)調査までの1年間に結婚した有業の(仕事をもっている)女性のうち、31.7%が離職している。特に非正規雇用では37.7%にのぼる。3人に1人近くの割合で女性は「結婚退職」している
 また、第4回調査で「結婚を考えている相手や家族が退職することを望んだり、あるいは、会社に働き続けにくい雰囲気がある」と回答した女性のうち、実際に結婚を機に離職した人は55.9%にのぼる。依然として夫が妻の就労を嫌ったり、企業が既婚女性の雇用に消極的な場合が少なくないことを示唆している。

妻の就労と子どもの出産には全く関係性がない。むしろ女性の労働環境や家庭環境が出産に影響している。
 第4回調査までに結婚した女性のうち、第1回調査から第4回調査までの4年間に子どもを出産した人の割合は、正規雇用が37.3%、非正規雇用が19.3%、無職(専業主婦)が38.6%で、正規雇用の女性と専業主婦の女性とでは出産の有無の割合にほとんど差がない。女性が仕事に出て家庭にいないから少子化が進むという俗論がよく言われるが、それが全く根拠のない妄説であることを改めて実証したと言える。むしろ、正規雇用と非正規雇用の間に大きな差があることが問題であり、非正規雇用の女性が正規雇用の女性に比べて、出産や育児のために休業できにくいことが影響していると思われる。
 また、夫の休日における家事・育児時間と子どもの出産の割合が比例しているのも興味深い。4年間で子どもが出生した割合は、夫の家事・育児時間がゼロの場合が25.7%、1日8時間以上の場合が40.3%と相当な開きがある。この点でも性別役割分業がもはや少子化の解決に何ら役立たないことを証明している。

貧困層ほど子どもの出生率が高い。
 今回の調査である意味最も衝撃的な数字はこれで、夫婦の年間所得額が低いほど子どもの出生率が高い。今回調査までの3年間で第1子が出生した夫婦の割合は、夫婦の年間合計所得額が100万円未満で57.1%、100~200万円未満で52.9%、200~300万円未満で44.8%で、年間合計所得600万円までは所得が低いほど出生率が高い。
 ①と合わせて考えると、貧困層は結婚するのがそもそも難しいが、少数の結婚した夫婦もいわゆる「できちゃった婚」が多いと推定しうる。しかし、第2子の出生率も年間合計所得100~200万円未満の層が突出して多く、別の要因もあると考えざるを得ない。かつて高度成長前は貧困家庭ほど子どもが多い傾向があり、現在でも貧しい国ではそうした状況が存在するが、日本でも再び貧困カップルの「子沢山」が進行している可能性がある。さらなる調査と検討が必要だろう。

 以上の点から、この国では「結婚格差」「出産格差」が確実に拡大・進行していることが明らかになったと言える。男女とも正規・非正規雇用間の差別がそのまま結婚や出産の「格差」につながっている。非正規雇用問題は少子化問題としても考慮しなければなるまい。非正規雇用の正規化はこの点でも急務である。

 また「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業が「結婚格差」「出産格差」を促進していることも明らかだ。この意識と事実がある限り、女性を養えない男性はいつまでも結婚できず、仕事をしたい女性も結婚しにくい。結婚できても子どもを産むことはもっと難しい。「女性の社会進出が少子化を招いた」という俗説を打ち消すためにも、女性正社員と専業主婦の出産率はほぼ同じという事実を周知する必要があるだろう。

 一方で、貧困層の一部に「貧乏の子沢山」が進行している可能性があるのも問題だ。かつて自民党のある国会議員が、貧乏人は結婚もできず子どもも作れないので貧困は再生産されないと放言したことがあったが、貧困の再生産は現実に起きている。言うまでもないことだが、少子化問題を真に解決する気があるのならば、「貧乏人は子どもを産むな」ではなく、貧乏人を貧乏でなくする施策を行わねばならない。

 *本稿は少子化が問題であるという前提で立論したが、私が考える「少子化問題」とは、世間一般における「人口の減少は国家の衰退を招く」「少子化が進めば社会保障が崩壊する」という意味の国家戦略的問題ではなく、「結婚したいのに結婚できない」「子どもを産みたいのに産めない」といった「結婚する権利」「出産する権利」の侵害問題である。単なる人口問題ならば、移民の受け入れを増やし、公民権を持った住民として迎えれば、すぐにでも解決する。権利が十分に保障された結果(自発的にシングルライフや子どものいない生活を選び取った結果)としての「少子化」ならば問題だと考えていない。

【関連記事】
山田昌弘『少子社会日本』(岩波書店、2007年)- mahounofuefukiのメモ

【関連リンク】
厚生労働省:第5回21世紀成年者縦断調査(国民の生活に関する継続調査)結果の概要
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by mahounofuefuki | 2008-03-21 20:18

映画「靖国」上映妨害問題 (追記あり)

 来月公開予定のドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」(李纓監督)をめぐっては、以前から保守系メディアが観もせずに「反日」とのレッテルをはったり、自民党の稲田朋美衆院議員ら歴史修正主義派の国会議員が国政調査権を盾に文化庁へ事前試写をごり押ししようとし、結局配給元が国会議員向けの特別試写会を開くなど、上映妨害の動きが続いていたが、ついに上映館のうち1館が上映の取りやめを決めていたことが明らかになった。

 朝日新聞(2008/03/18 09:03)によれば、上映中止を決めた映画館の運営会社側は「色々と問題になっている作品。問題が起きればビルの他のテナントの方への影響や迷惑もある」と右翼団体などの威嚇的・暴力的妨害を恐れて上映予定を中止したことを示唆している。この弁明は日教組教研集会への会場貸与契約を一方的に破棄したプリンスホテルの言い分と似ている。実際に暴力を受けたわけでもないのに、易々とテロの脅しに屈する事例がこうも立て続けに起きるのは、この国においてはもはや言論・表現の自由を社会的に保障する地盤が崩壊していることを端的に示していよう。

 ただし今回の映画上映妨害問題はプリンスホテル問題と決定的に異なる点がある。それはプリンスホテル問題では、在野の反社会的右翼団体の「潜在的な威嚇」(実際に脅迫を受けたわけではないというプリンスホテルの言い分を信じれば)が問題の原因であるのに対し、今回は国会議員という公職者が妨害を行っていることである。テロリストが威嚇するのと、憲法遵守義務(日本国憲法第99条による)がある国会議員が威嚇するのではまるで次元が異なる。
 12日に行われた国会議員向け試写会は、文化庁が配給元に要請して行われたという(朝日2008/03/14 13:13など)。当初稲田氏ら一部の議員が事前試写を要求していたのを、配給元はすべての国会議員向けに試写を行うことで「検閲」にならないようにしたというが、議員限定という時点で事実上の検閲にほかならない。そもそも本来は配給元に伝えるまでもなく文化庁が議員らの検閲圧力をはっきりと拒否しなければならない。与党の国会議員の威力がいかに絶大であるかが改めてわかる。

 稲田氏らの介入の根拠は、文化庁所管の独立行政法人「日本芸術文化振興会」が「靖国」に助成金を出したことに対する国政調査である。稲田氏は13日に「憲法で保障された『表現の自由』があるので、映画の内容を論評する気はないが、靖国神社という政治的な題材を扱った映画に政府関係機関が助成したことは疑問だ」と述べ(産経新聞2008/03/13 18:57)、上映中止という本音を隠しつつ、当面は公的助成の是非に問題を絞ることを示唆している。
 *「論評する気はない」と言いながら、試写会後には「靖国神社が侵略戦争に国民を駆り立てる装置だったというイデオロギー的メッセージを感じた」(朝日2008/03/13朝刊)と「論評」しているのが相変わらず支離滅裂だが。

 「靖国」は2006年度に日本芸術文化振興会の「芸術文化振興基金」より750万円の助成金を受けている。同振興会の公表資料によれば、助成の適否は、芸術文化振興基金運営委員会の各専門委員会が「芸術文化振興基金助成金交付の基本方針」と各部門の募集案内を踏まえて「専門的見地から調査審議を行」って決定するという。「靖国」は記録映画なので記録映画専門委員会が審査する。
 現行の「芸術文化振興基金助成金交付の基本方針」は、第1項で助成にあたっては「政治的、宗教的宣伝意図を有するものは除く」と明記している。「政治的宣伝」とは特定の政党・政治団体の宣伝と解するほかない(もし「政治的宣伝」を「政治問題を取り上げること」と解したら、どんな社会問題も政治と無縁でない以上、ほとんどの記録映画が該当してしまう)が、稲田氏らは「靖国」の内容がその「政治的宣伝」に該当するのではないかとの疑念を抱いているようだ。
 しかし、これまで稲田氏を含め、試写を実見した議員の誰からも「靖国」が特定の政党や政治団体の宣伝を含むという発言はなされていない。製作が日中共同である(産経、前掲)とか、南京大虐殺の写真を使っている(朝日 2008/03/13 20:25)といった非難は上がっているが、「靖国」が特定の政党や政治団体の政策を伝えているという話は今のところない。むしろ「内容は意外と穏やか」「反靖国とか反日とか神経質になるのか理解出来ない」(増子輝彦参院議員、映画「靖国」-ましこノートより)という評があるほどである。

 「靖国」が「政治的宣伝」に当たるのかどうか、一般の主権者が確認するには映画が公開されなければならない。芸術文化振興基金の助成が正当なのかどうか議論するには、とにもかくにも映画を観ないことには始まらない。それなのにほとんどの人が観られない公開前の段階で、助成の取り消しを議員が勝手に言い出すのは、事前検閲による上映妨害以外のなにものでもない。上演中止になれば、かえって自己の主張の「正当性」を一般の人々に示す機会を失うことを稲田氏らは自覚するべきである。
 いずれにせよ、こうした一部国会議員の行為が暴力的ナショナリズムを扇動し、上映そのものが危うくなっている。これは映画製作者の「表現の自由」のみならず、観衆の「映画を観る自由」が脅かされていると看做さざるをえない。


《追記 2008/03/31》

 毎日新聞(2008/03/31 21:28)などによると、「靖国 YASUKUNI」の上映を予定していた東京の映画館3館と大阪の映画館1館が上映中止を決定したという。これで事実上の公開中止となってしまった。産経新聞(2008/03/31 18:46)によると、一部の「政治団体」が上映妨害の動きを見せていたというから、完全に右翼テロに屈したと言わざるをえない。もはや日本は暴力が支配する無法地帯であることを実証してしまった。
 製作者は上映妨害を主導した稲田朋美衆院議員ら国会議員及び実際に威嚇の動きを見せたという右翼団体を提訴すべきである。この問題をウヤムヤにしてはならない。「映画を観る自由」が脅かされていることを我々は自覚せねばならない。

【関連記事】
プリンスホテルのお粗末~「イドメネオ」事件と比較する

【関連リンク】
独立行政法人 日本芸術文化振興会
芸術文化振興基金
芸術文化振興基金助成金交付の基本方針*PDF
芸術文化振興基金 平成18年度助成対象活動の決定について(映画の製作活動:第2回募集分)*PDF
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by mahounofuefuki | 2008-03-19 21:52

「道州制」は新自由主義の隠れ蓑

 日本経団連が18日付で「道州制の導入に向けた第2次提言 -中間とりまとめ-」を公表した。昨年の第1次提言に続くもので、政府が策定を進めている「道州制ビジョン」を先取りしたものと言えよう。
 「道州制」については「地方分権」を具現化するものとして、何となくプラスのイメージをもって語られることが多く、新自由主義の「構造改革」路線に批判的な人や福祉国家派でも支持する場合が多い。しかし、今回の提言を読む限り、「道州制」も「地方分権」も弱肉強食の新自由主義の隠れ蓑にすぎないと言わざるをえない。

 経団連は「道州制」による地方自治体の再編像を次のように描いている(太字強調は引用者による、以下同じ)。
① 現在の都道府県を廃止し、これに替わる広域自治体として全国を10 程度に区分する「道州」を新たに設置する。
② 地方公共団体を道州および市区町村などの基礎自治体という二層制とし、道州、基礎自治体それぞれの自治権を活用し、真の住民自治を実現するために必要な権限と財源もあわせて備えさせる。
 47ある都道府県を10程度に統合し、市区町村も1000程度に統廃合するべきだという。今回の提言では「今すぐ着手すべき」改革として、国の出先機関の「地方支分部局の職員定数の大幅削減」を挙げており、統廃合を通して公務員を削減しようという意図が窺える。
 行政不信の根深い人々は、行政の規模や人員を縮小・削減すると聞くと無条件で賛成しがちだが、現在の日本は世界の中でも「国民」に占める公務員比率が最も低い水準の国である。公務員の数が減るということは、それだけ行政サービスが質量ともに低下することを意味する。医療や教育や福祉をはじめ行政の役割はむしろ増大している。行政がきちんと住民のニーズに応えようとするならば、公務員は減らすどころか大幅な増員が必要なのが現実だ。

 経団連は「道州制」導入の前提として、9万人以上の公務員の民間への転出(要するに解雇)すら提言しているが、労働市場に公務員出身者が溢れることは、結局雇用の需給において非公務員の立場を弱くする。もっとわかりやすく言えば、就職において公務員出身者が非公務員のライバルになるということである。しかも公務員の民間転出は一種の「天下り」とも言える。「公務員を減らせ」という主張は「公務員を天下りさせろ」と言っているようなものである。
 ついでに言えば、現在公務員の世界でも非正規雇用が増大している。特に地方出先機関や地方自治体に多い。真っ先にクビを切られるのは彼らである。非正規公務員は民間に行っても新卒でないので非正社員にしかなれない。労働市場における非正規雇用の増加は「貧困と格差」の拡大に手を貸す愚行である。

 都道府県や市町村の数が減ると、それだけ住民からそれらが遠くなる。単に役所に用があって通う場合の距離が長くなり不便になるというだけにとどまらない。役所が遠くなることで地域住民の声が届きにくくなり、役所の方も住民の「顔」が見えにくくなる。いくら権限や財源を譲渡しても、住民が見える所でそれらを行使できなければ意味がない。「道州制」は「地方分権」を促進しても「地方自治」を破壊するのである。
 「道州制」が新自由主義の隠れ蓑であるということは次の箇所に最もよく現れている。
道州制の導入に伴い国、道州、基礎自治体の役割を定める前に、これまで官が担ってきた公の領域において民が活動できる範囲を拡げ、小さな政府、民主導の経済社会運営を目指すことが重要な課題となる。そのため、官の役割をゼロベースで見直し、規制改革の推進官業の民間開放、PFIによる事業実施などを徹底する。あわせて、官の肥大化を防ぎ、公務部門においても生産性、効率性の向上を図る観点から、公務員制度改革をはじめとする各種の行政改革を断行することが必要である。
 まさに小泉政権が行った「構造改革」と同じ、「何でも民営化」「企業やりたい放題」の公認である。「規制緩和」が資本による労働者からの搾取強化を促進し、「効率性」が極端な競争原理を導入して人間をモノのように扱うことを進めたのが実情である。それなのに「構造改革」で疲弊しきった地方に、今度は「道州制」という名のムチを与えようとしているのだ。

 経団連の提言は「道州制」のメリットとして、防災・消防体制の強化、警察再編による治安向上、子育て支援と人材育成、地域医療・介護の充実、独自の産業振興と雇用の創出、観光振興などを挙げているが、それらは「地方分権」とは無関係である。国がきちんと予算を配分すれば「地方分権」などせずとも実現できることばかりである。
 「国・地方あわせて800 兆円近い債務を抱えるわが国の行政が、このままの体制を維持できると考えるのは非現実的」と言うが、日本は外国に対して債務を抱えているわけではない。国の借金は国債保有者に課税を強化すればすぐにでもなくなる。地方の債務は専ら国に対するもので、これも国の決断でどうとでもなる。その方が都道府県を10程度に減らすという案よりよほど現実的だ。そもそも債務を増やさせたのは、経団連を含む財界への利益誘導が主因である。経団連にまるで他人事のように言う資格はない。

 経団連の提言は他にも「現在12 府省ある中央省庁を半数程度に解体・再編する」「地方交付税と国庫支出金の廃止」「地方消費税の活用」「地方債の起債を自由化」など無茶苦茶な案が目白押しである。ツッコミどころが多すぎて今回だけではとてもまとめられないので別の機会に譲るが、とにかく「道州制」は日本社会を崩壊させる愚策であることを改めて強調しておきたい。


《追記 2008/03/24》

 政府の道州制ビジョン懇談会が、中間報告を総務大臣に提出した。2018年までに道州制を導入するよう求めている。主旨は経団連の提言とほぼ同じで、同懇談会の性格を如実に示している。
 今後、新自由主義政策は「地方分権」「道州制」の皮をかぶって行われるだろう。繰り返しになるが、それは地方切り捨ての「構造改革」路線の継続である。注意しなければならない。

【関連リンク】
社団法人 日本経済団体連合会
道州制の導入に向けた第2次提言 -中間とりまとめ-*PDF
道州制ビジョン懇談会-内閣官房
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by mahounofuefuki | 2008-03-18 21:17

米軍の年間性犯罪2700件から見えるもの

 沖縄の在日米軍軍人による中学生暴行事件は、被害者に対する中傷の嵐と日米両政府のおざなりの「防止策」で幕引きされ、過去の類似の事件と同様、多くの人々の記憶から消えつつあるが、我々が忘却しても被害者が負った傷は癒えるわけでもないし、何より中途半端な幕引きにより今後も同様の事件が引き起こされるのは確実である。
 そんな中、アメリカ国防総省がアメリカ軍の軍人による性暴力事件が1年間で2700件近くに上るという報告書を議会に提出したという。以下、時事通信(2008/03/15 14:41)より(太字強調は引用者による)。
 米国防総省は14日、2006年10月から07年9月までの1年間で、米軍兵士によるレイプなど性暴力事件が2688件に上ったとの報告書をまとめ、議会に提出した。米軍当局は将兵の性暴力防止対策を強化しているが、発生件数はほぼ前年並みだった。
 国防総省は性暴力事件の扱いについて、プライバシーに配慮して被害者の身元を所属司令部にも報告しない「匿名事案」と「非匿名事案」の2つに分類。非匿名事案は2085件に上り、そのうち6割の1259件がレイプ事件だった。その被害者は米兵が868人、米兵以外の被害者は391人となっている。
 また、性暴力事件全体の加害者のうち、181人が軍法会議に掛けられたほか、201人が司法手続きを伴わない軍紀による罰則を科せられるなどした。
 こういう問題ではたいてい表面化するのは「氷山の一角」なので、実際はもっと多いだろう。しかも事件数に比べて処罰対象者数がかなり少なく、「未解決」の事件が相当多いことやそもそも軍による処分が甘いことが窺える。また、アメリカ兵の被害者も多く、軍の外だけでなく軍の中でも性暴力が後を絶たないこともわかる。
 年間少なくとも2700件の性暴力という事実からは、在日米軍に限らずアメリカ軍全体が風紀に問題を抱えていることが見えてくる。記事では事件発生地域の詳細が不明だが、アメリカ軍は全世界に展開しているので、アメリカ軍による性暴力も世界各地に拡散していると考えなければならない。

 現在、日本の米軍基地問題は、専ら基地を抱える個々の地域の「特殊な問題」として扱われ、全国的な問題になりにくい。沖縄で何かあればそれは「沖縄の問題」とされ、岩国で何かあればそれは「岩国の問題」とされる。佐世保でも横須賀でも横田でも座間でも米軍基地・演習地などを抱える地域はすべてそうである。
 そしてこの状況は日本だけではなく、アメリカ国内も含む米軍基地を抱える各国でも同様なのではないか。私も含め一般に在日米軍に問題が起きると、それを日米安保体制に起因すると考える人々が多いし、それは事実ではあるが、同時に在日米軍に限らずアメリカ軍が世界各地で問題を引き起こしていることを常に念頭に置く必要があるだろう。

 日本国内でさえ基地を抱える諸地域が分断されて、問題を共有するのが難しい中では非常に困難だが、世界各地に散らばる米軍基地を抱える諸地域の連帯が必要だと思う。少なくとも情報交換ができる状況を作ることは決して不可能ではないと考える。
 市民運動レベルではそういう動きがわずかながら存在するようだが、これを地方行政レベルで行えるのが望ましい。単に「米軍は母国へ帰れ」では仮に米軍が帰国しても米軍による性暴力はアメリカ国内では続く。アメリカを含む全世界の「基地の街」で何が起きているか情報を共有し、そこから共通する問題で共闘することもできるのではないか。

 基地問題を根本的に解決するには、日本の基地の実態をアメリカを含む国際社会へ訴えていくことで、問題を「国際化」する必要があると思っている。それは同時に外国の基地問題を日本の市民が共有する必要があることを意味する。
 あまりに抽象的で、私には具体的な手立ては全くないが、グローバルな情報伝達が可能になった現在だからこそ「基地の街のネットワーク」の形成は可能なのではないか。こうした試みが本当の意味で戦争抑止につながるとも考えている。
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by mahounofuefuki | 2008-03-17 17:47

「コイズミ」的な「空気」が拡大する危険は続く

 どの世論調査でも生活・医療・教育などへの不安や福祉国家への待望が高まっているし、だからこそ明確に「構造改革」路線を放棄しない福田内閣の支持率は下落を続けているのだが、一方で今も「構造改革」=新自由主義路線の張本人である小泉純一郎元首相への人気は高い。いや正確には人気がメディアによって煽られていると言うべきだろう。

 13日に静岡7区選出の片山さつき衆院議員への応援のために小泉氏が浜松市を訪れたが、翌日のスポーツ紙やワイドショーが一斉に大きく報じた。仮に福田康夫首相が応援に行っても一般紙はともかくスポーツ紙やワイドショーが報じることはあるまい。これは今も「コイズミ」がメディアで「数字(売上部数や視聴率)を取れる」キャラクターであることを意味する。
 当の本人は浜松での講演で「私は総理を辞めたんですよ。次の総裁選挙に出る気なんて、まったくありません」と「再登板」を否定したという(神奈川新聞2008/03/13)。小泉傘下に復帰したと言われる元首相秘書官の飯島勲氏や「構造改革」派の政治屋たちの思惑は別として、その言葉自体に偽りはないと私は思っている。小賢しい彼がわざわざ火中の栗を拾うような真似をすることはないからである。

 問題は本人に登板の意思がなくとも、「コイズミ」がメディアに露出することで、あたかも「改革が道半ば」とか「コイズミのようなやり方でないと危機を突破できない」というような認識が常に有権者の頭にインプットされることにある。
 実際は「コイズミのせいで社会保障は崩壊し、経済も弱体化した」し、前述のように有権者の多くも「構造改革はもうノーサンキュー」と考えるようになっているのだが、一方で依然として「小さな政府」論=「政府の役割は小さいほどよい」という信仰が未だに根強く、「既得権益の解体」を小泉、あるいは「コイズミ」的なもの(たとえば宮崎県の東国原英夫知事あたりが危ない)に託そうとする可能性は残存している。

 「貧弱な坊や」安倍晋三氏や「陰気なツンデレ」福田康夫氏に比べて、「陽気な独裁者」(by辺見庸氏)である小泉氏は、キャラクターとしては依然としてプラスのイメージを保有している。「政界再編」云々といった生臭いレベルではなく、もっと大きな社会を覆う「空気」として「コイズミ」的なものが再拡大する危険は依然として存在する。
 差別と競争を旨とする新自由主義の廃棄と、社会的公平の確立を希求する側は「コイズミ」対策を真剣に考えねばなるまい。その際、単に対抗馬として知名度の高いキャラクターを用意するというレベルの方法では、広告代理店を握る新自由主義勢力に返り討ちにされるだろう。真の勝負は有権者にそれぞれの自己の生活を見つめ直すことを促せるかどうかにかかっているような気がする。
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by mahounofuefuki | 2008-03-15 14:36

「自分の職場に橋下のような上司が来たら嫌だ」が正解

 大阪府の橋下徹知事が府庁の朝礼で職員批判を行ったところ、30歳の女性職員が猛反論したことが話題になっている。
 知事は朝令を「僕は9時からやりたいと言ったが『(準備で)9時より前に働くと超過勤務になります』と(言われた)。普通は始業の20~30分前に来て準備してから仕事するんじゃないですか?」「きょうの幹部会で『始業から終業まで私語、たばこ休憩は一切なし』と言おうと思ってる。吸った時間は減額ですよ」と放言したという(スポーツ報知 2008/03/14 06:01)。

 この放言に対して職員は「みんなどれだけサービス残業してると思いますか」と反論し、職員いじめを続ける知事を批判したわけだが、やはりというか「世間」は橋下の味方で彼女はバッシングに遭っているようだ。
 橋下信者はそんなにタダ働きが好きなのだろうか。私語も休憩もない奴隷労働がそんなに好きなのだろうか。公務員の労働待遇が下がれば、今度は「公務員でさえ努力している」という口実で民間の労働待遇もどんどん引き下げられることがわからないのか。労働条件を悪化させようとする者を支持するのは自分の首を絞める行為だとなぜ気づかないのか?
 自分の職場に橋下のような上司が来たらどうなるか想像してみて欲しい。誰もが「あんな上司嫌だ」と思うはずだ。

 もう1点。橋下がヒステリックにキレると喝采を送るのに、橋下を批判する者がキレるとバッシングするのはどう考えても矛盾だ。府議会でも論理性も誠実さも全くないバカ丸出しの答弁を続けているが、いまだにこの国の大衆の多くはああいう粗暴な輩を好む。粗暴な犯罪者を嫌うのに、粗暴なタレントを好む。自分の首を絞めるのはよほど自尊心がないのか。
 まあこう言っても信者は最後まで橋下についていくのだろう。「バカは死なないと治らない」は真理かも。


《追記》

 J-CASTニュース(2008/03/14 19:16)によると、この問題で府庁に女性職員を非難する意見が400件も寄せられたらしい。
 「民間ならサービス残業なんて当たり前や」という意見は、権利に無自覚な奴隷根性丸出しである。自分が経営者と闘う勇気も労基署に訴える勇気もないのを公務員を攻撃することで憂さ晴らしするのは、人間として恥ずべき愚行だ。「サービス残業」=残業代不払いはれっきとした労基法違反だということがわからないのか。「世間では殺人なんて当たり前だ」と言っているのと同じだ。
 橋下の腰巾着J-CASTらしく、記事には「橋下知事を『あんた』呼ばわり」というタイトルを付しているが、女性職員は「あんた」とは一言も言っていない。「あなた」と言っている。「あなた」=「貴方」は敬語である。この呼び名のどこが問題なのか。
 メディアの偏向報道に断固抗議する。
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by mahounofuefuki | 2008-03-14 11:23

「ロスト・ジェネレーション」という呼称は無神経か

 1990年代半ばから2000年代初頭のいわゆる「就職氷河期」に学卒期が当たった、1970年代から80年代初頭生まれの世代を何と呼ぶか、今も呼称は一定していない。ある人は「氷河期世代」と呼び、ある人は「難民世代」と呼び、ある人は「貧乏くじ世代」と呼ぶ。
 そんな呼称の1つに「ロスト・ジェネレーション」というのがある。一昨年あたりから特に朝日新聞がこの「ロスト・ジェネレーション」という言葉を多用しはじめ、「ロスジェネ」という略称もしばしば用いられるようになっている。
 この「ロスト・ジェネレーション」に、メディア研究者の桂敬一氏が「『ロスト・ジェネレーション』というな!ひとりよがりで無神経な朝日の言葉の使い方」というコラムでかみついている。
 NPJ通信 メディアは今 何を問われているか 桂敬一

 桂氏の主張の要点をまとめると次のようになる。
①「ロスト・ジェネレーション」とは元々、第1次世界大戦により伝統的価値観が崩壊した1920年代のヨーロッパで青年期を迎えた世代による文学的潮流を指す。
②ヘミングウェイ、スタインベック、フォークナーらこれらの世代は「伝統から断ち切られ、不安に投げ込まれはしたけれど、自力でなにかが選び取れる、大きな自由に飛び込んでいった若者たち」だった。
③朝日新聞が「就職難、派遣・請負などの非正規雇用、オタク、引きこもり、ニート、加速する格差社会のなかの差別など」を総括するために「ロスト・ジェネレーション」と呼ぶのは、「安直な風俗的世代論」への「援用」であり「悪用」「不見識」である。
④当該世代に対する不当な扱いは「単なる差別というより、不公正な社会的排除というべきもの」だ。「後期高齢者」への社会的排除のように、現在の社会問題は「世代論ごときものの対応では間に合わなくなっている」。
⑤「貧乏人たちのジャンヌ・ダルク」雨宮処凛さんが提唱している「プレカリアート」の方が、「ロスト・ジェネレーション」より実態に合っていて「安易な世代論がつけ込む隙もない」。
 結論から言えば「この人は何もわかっていない」と言わざるをえない。要するに桂氏は現代日本の氷河期世代に、反体制のエネルギーに溢れていた「ロスト・ジェネレーション」の呼び名は相応しくない、「世代」で切り取るのはやめろと言っているのだが、そうした発想は我々の世代の苦しみを全く理解していないから出てくるのである。

 桂氏が「本来の『ロスト・ジェネレーション』には、もっと大きな歴史の混沌のなかに進んで身を投じていくエネルギーや、そこで不正に立ち向かっていく勇気」があったと強調する時、明らかに今の氷河期世代にはそれがないという非難を含んでいる。「お前らは本当の『ロスト・ジェネレーション』じゃない、なぜなら不正と闘う勇気がないからだ!」という意味を含んでいる。
 彼のような恵まれたインテリゲンチャ(「左翼」をやっていても生活できる職業知識人)には、なぜ氷河期世代の、それも社会的弱者の多くが「自己責任」論を受容させられ、堀江貴文を「革命家」とみなし、郵政選挙でコイズミを支持したかは全く理解できないのだろう。「エネルギー」も「勇気」もないのは、そんなものを持てばますます社会から排除されるからだということが全くわかっていない。
 学生運動の闘士が大蔵官僚や商社の経営者になれる時代はとっくに過ぎ去った。日本社会をそんな息の詰まったものにしてしまったのは誰か。少なくとも我々の世代ではない。

 桂氏は「ロスト」には「迷子」「行き場がない」という含意もあると指摘するが、それならばまさに今の氷河期世代にぴったりの表現である。
 終身雇用でない非正社員には中高年になる時に仕事に就いている保障は全くない。正社員は正社員で過労のために生きているかどうかの保障がない。「ニート」や「引きこもり」(いずれも差別用語だと私は考えているので「」つきで用いる)はなおさらだ。いつ社会との関係を断ち切られるか皆が不安を抱えている。まさに私たちの世代はよほどの特権的エリートでもない限り「迷子」なのである。
 後期高齢者医療保険制度は高齢の年金生活者に保険料を負担させるというとんでもない制度だが、75歳まで生きられただけ氷河期世代よりはましである。我々の世代の非正規労働者は大半が社会保障制度から排除されている。国民年金や国民健康保険は低賃金のため払えず、雇用保険も機能していない。今のままでは75歳どころか、パラサイトしている親世代が死ねば氷河期世代もジ・エンドである。

 旧来の左翼は「階級内階級」が存在する事実を認めたくないのか「世代」で区切るのを嫌う。中高年の雇用を守るために氷河期世代が犠牲になったと言われるのを避けるためもあろう。しかし、そんな机上の理論とは別に、現実に「安定」や「希望」や「生きがい」を「ロスト」させられ「迷子」であるのを余儀なくされている「世代」が存在するのである。まずはそれを認めて欲しい。
 昔から貧困はあった、辛いのは氷河期世代だけでないというかもしれない。近代日本には一貫して貧困が存在したのは事実である。しかし貧困がミニマムであった時代と、現在のように大学を出てもまともな職に就けなかったり、「家族」「親族」「地域」「会社」のような社会的紐帯(さまざまな矛盾を抱えてはいても)が崩壊した時代とでは、やはり大きく異なる。我々は無防備にジャングルに投げ出されたようなものなのだ。

 確かに我々の世代にはヘミングウェイやスタインベックがいない(さすがに佐藤友哉や乙一を彼らと同列にはできん)。そこで問われるべきは「なぜヘミングウェイがいないか」であって、「ヘミングウェイに比べてお前らは甘い」ということではない。
 ヘミングウェイやフィッツジェラルドにはガートルード・スタインという庇護者がいた。しかし、今の氷河期世代にはスタインがいない。スタインたるべき人たちは、一介のコンビニ店員が「こんなみじめな人生を強要させられるくらいなら戦争でも起きないかな」と言っただけで袋たたき。これでは我々は本当に「行き場」がない。民衆の「分裂」を避け「統一」を目指すならば、氷河期世代の悲鳴を真摯に聞かねばならない。

 私は「ロスト・ジェネレーション」という呼称自体は、好き嫌いは別として悪くはないと思っている。「プレカリアート」という造語も巧いが、これだと終身雇用を得られた層は含まれない。元の意味はどうあれ、桂氏のように忌み嫌う必要を全く感じない。
 むしろ朝日新聞が批判されるべきは、そんな言葉の使い方ではなく、当の朝日新聞社が非正規労働を用い、不当な処遇を与えていることだろう。朝日に限らず新聞社は非正規労働の不安定性を問題にするのならば、まずは足元の問題に誠実に対応してもらいたいものだ。特に販売店の労働環境は相当ひどい状態にあるのは周知の事実である。

 なお揚げ足とりになるが、雨宮さんを「貧乏人たちのジャンヌ・ダルク」と呼ぶ方がよほど無神経に感じる。ジャンヌ・ダルクはフランスの「救国のヒロイン」と目され、いわば「体制」を救ったということを讃美される人である。国家の犠牲者の側に立つ彼女に、国家側の象徴の名を与えるのはおかしい。朝日を批判する前に自分の言葉の使い方を反省して欲しい。
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by mahounofuefuki | 2008-03-13 21:21

行政は市民が厄介になるために存在する

 私たちは「主権者」であって、「臣民」ではない。故に国家に対してさまざまな権利を行使するし、国家からは納税の見返りにさまざまなサービスを受ける。国家の存在価値は主権者が生存できるよう保障することにあり、「民」のために国家があるのであって、その逆ではない。
 イラク人質事件の際に、人質たちが「国家に迷惑をかけた」と非難した輩がたくさんいたが、そもそも国家とは主権者が「迷惑をかける」ものであり、その「迷惑」を快く受け入れない国家は責任を果たしていないのである。

 こんなことを書くのは、次のニュースを目にしたからである。毎日新聞(2008/03/12朝刊)より(太字強調は引用者による)。
 離婚後300日規定で「前夫の子」となるのを避け、無戸籍となった男児への児童手当などの支給に当たり、三重県亀山市が母親(37)に対し「前夫または現夫から異議が出た場合は市に迷惑をかけない」などとする「念書」を提出させていたことが分かった。無戸籍でも手当などを支給できると自治体に通知している厚生労働省は「書面を出さないから支給しないというなら問題」としている。

 母親は、家庭内暴力などを理由に前夫と離婚し、243日たった昨年7月16日に現夫との間の男児を出産。前夫を巻き込んでの裁判は困難なため、子供は今も無戸籍だ。

 書面は同30日付で「確認書」と題したA4判1枚。「児童の健康・福祉の観点からやむを得ず制度の資格認定の取り扱いをするもので、父親を仮定するものではありません」などと記し、受けられるサービスとして(1)亀山市国民健康保険制度(出産育児一時金35万円の支給など)(2)市乳幼児医療助成制度(生後4、10カ月での無料健康診断など)(3)児童手当支給制度(一定所得以下なら月1万円支給)を挙げている。

 そのうえで「市には一切ご迷惑はおかけいたしません。前夫または現夫より異議が出た場合、私の責任で処理をします」と記し、市の求めで署名・押印している。母親は「一時金などが受け取れなくなると思い、しぶしぶ交わした」と話す。(後略)
 「書面を出さないから支給しないというのなら問題」なのではなく、こんな念書を出させたことこそ問題である。市民が困っている時に何とかするのが行政の役割であり、それを「迷惑」と位置づけるのは、全く筋が通らない。「児童の健康・福祉の観点」を口にするのなら、「前夫または現夫より異議」があろうとなかろうと、市は自信をもって公的給付を行うべきである。だいたいそんな念書に法的根拠があるのか。

 私がこの問題に過敏になるのは、この国ではあまりにも「お上」に対する「臣民」意識(奴隷根性とも言ってよい)が強く、行政に負担をかけることをあたかも「罪悪」と感じる人が多いからだ。生活保護を受けると財政難の自治体に迷惑だとか、沈没した漁船の捜索に自衛隊を使うと「お国」に迷惑だとか、あまりにも権利に無自覚だ。
 行政は厄介をかけるために存在する。何でも「自己責任」で抱え込んで自滅するのではなく、行政の厄介になる方が正しい。

 このニュースの本筋は民法の「離婚後300日規定」だが、私は「戸籍を廃止して“個人籍”にしろ」という立場なので、当然無意味な削除すべき規定だと考えている。たとえ現行の戸籍制度を前提にしても、現代ではDNA鑑定で血縁関係は明らかになる以上、特例を容認するべきである。

【関連リンク】
戸籍法-法庫
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by mahounofuefuki | 2008-03-12 20:27

田中良太氏のコラムがなかなか良い

 私はいくつかメルマガを購読しているのだが、そのうちの1つに「余計者にも五分の魂」というのがあった。
 田中良太さんという元某全国紙の政治記者だった人の時評なのだが、その見識の高さと今の新聞記者にはない気骨に感服していた。かつて小泉純一郎を礼賛する本を出していたらしいので、そのあたりに疑問がないではないが、少なくとも私が購読してからは至極真っ当な時評が多く、しかもイデオロギー色やインテリ臭がなく、豊富なキャリアに裏打ちされた確かな分析に毎回唸っていた。当然私とは考えが違うことも多々あるが、それでも「そういう考え方もあるな」と思わせる説得力があった。

 その「余計者にも五分の魂」は昨年9月を最後に長らく配信されず、ホームページも閉鎖され、著者が高齢なだけに心配していたのだが、今月に入って復活をとげた。メルマガのタイトルも「空気を読まない」に変わり、さらにインターネット新聞JANJANで「大気圏外」という日刊コラム(内容はメルマガと同じ)も始めたのである。筆鋒に衰えはなく、その名の通り日本を支配する「空気」に屈しない姿勢は相変わらずで、人生経験がにじみ出る言葉の「厚み」は、私のような「青臭いネット左翼」(自分で言うのも変だが)には羨ましい限りだ。

 今日も政府・与党が日銀次期総裁に指名している武藤敏郎氏の過去について論じているが、すでに私が(そしておそらく大多数の人々が)忘却していた1995年の二信組破綻問題や98年の大蔵省接待問題当時における武藤氏の「遊泳術」に注目している。管見の限りこうした視点で現在の日銀総裁人事問題を論じた例はない。武藤という人物が到底日銀総裁の器にないことが容易に想像できる。

 今さら私のような者が紹介するのも恐縮だが、知らない人もいると思うのであえてブログに取り上げた。お勧めです。
 メルマガ → 空気を読まない-まぐまぐ!
 Webコラム → コラム・大気圏外-JANJAN
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by mahounofuefuki | 2008-03-11 22:00

「正社員のイス」をめぐって

 現在の日本の雇用における最大の問題は、非正規雇用の拡大であることはもはや言うまでもない。昨日の夜のNHKニュースはトップで総務省の「労働力調査」の結果を伝えたが、それによれば昨年の非正規労働者の数は前年より55万人も増え、過去最高の1730万人余りに上り、全労働者に占める割合も33.5%にもなっている。3人に1人が不安定な有期雇用や中間搾取のある間接雇用なのである。

 今回の「労働力調査」については、Internet Zone::WordPressでBlog生活 非正規労働者が3分の1を超えるがわかりやすく紹介しているので、そちらに譲りたいが、特に男性非正規労働者の55%が年収200万円未満というのは、もはや非常事態である。労働者の「生きる権利」という観点のみならず、日本社会の持続可能性や国内市場の活性化といった観点からも現状を座視することはできない。

 一方で今日は、大手企業の次年度の採用計画に関するニュースも伝えられている。たとえばトヨタ自動車は新卒・中途採用計3629人を採用するという。4年連続で採用人員が3000人を超え、好調な業績を反映している(共同通信2008/03/10 18:24)。また、日立製作所は新卒・中途採用計1450人で、こちらも5年連続の採用増で、1400人台の採用は15年ぶりだという(毎日新聞2008/03/10 18:04)。
 長期不況を脱した数年前から新卒の就職市場は「売り手市場」が続いているが、今後も「団塊の世代」の退職増加により、しばらくはこうした状況が続くのだろう。

 この2つのニュースを見比べた時、我々「氷河期世代」の不遇が改めて浮き彫りになる。
 いくら景気が回復しようが、採用が増えようが、企業の採用は新卒中心である。今も企業は非正規労働の経験を全く評価しない。故に新卒で正規雇用にありつけなければ、ほとんどは生涯非正規雇用に甘んじなければならない状況にある。この「不遇」は決して「運命」でも「災難」でもなく、政府の政策と財界の人為的な行動によってもたらされたものである。

 こうした状況を是正するためという口実で、最近財界やその御用文化人が「優秀な非正社員を正社員にするには、今いる無能な正社員を解雇しないとイスが空かない」という論理で正社員の解雇自由化への世論誘導を始めている。日本経済新聞や週刊ダイヤモンドなどの財界の腰巾着たちが「新しい雇用ルール」などと言って解雇規制の緩和を主張している。
 ダイヤモンド社論説委員の辻広雅文氏が解雇自由化を唱えていることは以前紹介した(下記関連記事を参照)。これに続いて国際基督教大学教授で経済財政諮問会議のメンバーでもある八代尚宏氏が、やはり「同一労働・同一賃金」を口実に同様の主張を行っている(八代尚宏、堂々と解雇規制緩和を求める。-花・髪切と思考の浮遊空間参照)。

 新卒当時に「運とチャンス」に恵まれなかったと考える「氷河期世代」の非正規労働者の中には、正社員のイスの数が決まっている以上、今いる正社員がイスをどかない限り、自分が這い上がる機会がないと考え、正社員の解雇自由化を支持する人も多いだろう。あるいは、そんな問題以前に、自分たちを「差別のまなざし」で見つめる彼らが「没落」することを単純に願う人も少なくないだろう。その気持ちはよくわかる。
 しかし、現実の企業は「正社員のイス」を減らすことしか考えていない。解雇自由化の実現までは、あたかも非正規労働者のために正社員のクビを切るというポーズをとるが、いざ実現したら正社員のクビを切っても、非正社員を正社員に登用することはない。たとえあっても能力主義と成果主義で徹底的に競わせ、過酷なサバイバルに勝ち残った者だけにしか「恩賞」を与えない。しかも、仮に正社員になれても、解雇が自由化されているのだから、今度は自分がいつでもクビを切られるのである。

 解雇規制緩和の真の目的は労働法制の完全解体である。
 すでに昨年、就業規則を労働契約とする労働契約法が成立した。財界はこれを足掛かりに、労働基準法を事実上解体し、あらゆる労働条件を公的な規制なしに、労使間の契約だけで決めてしまえるよう目論んでいる。
 国の規制によらず労使間の話し合いで「雇用ルール」を決めるというのは、一見民主的なように見えるかもしれないが、実際は労使が対等になることは絶対にありえない。特に労働組合が弱い(というよりもはや存在しないに等しい)日本では必ず企業側の一方的な強制になる。何の法的規制もなければ企業が24時間労働を命じることも、タダ働きを強制することも合法化される。

 現在でも労働法制はほとんど守られず、長時間労働や残業代の不払いや偽装管理職が後を絶たないのに、その法制さえなくなってしまえば、企業はいつでもどこでも労働者を好きなだけ働かせることができ、いつでも解雇でき、過労で病気になろうが死のうが企業の責任は問われない。まさにやりたい放題であり、労働者は正規・非正規にかかわらず本当の「奴隷」となるだろう。
 正社員の解雇自由化は、「奴隷」が「市民」になれるどころか、「市民」の「奴隷」化を招き、「貴族」たちを喜ばせるだけの方策であることを肝に銘じるべきだろう。

 結局のところ、残された道は「正社員のイス」を増やすよう要求することしかない。財界や御用メディアは必ず「右肩上がりの経済成長の時代は終わったので、全員を正社員にすることはできない」と言うが、実際は少なくとも大企業は史上最高の収益を上げていることが明らかになっている。昨年発表された2006事務年度の法人申告所得は57兆円と過去最高を記録している。株主や役員が独占している「ぼろ儲け」を吐き出せばいくらでも「正社員のイス」を増やせるのである。
 正規雇用を増やす余裕が本当にない中小企業の場合は、公的な支援が必要だろう。国に中小企業への支援を強化させなければならない。

 なお「正社員と同じ労働内容の非正社員」は企業の決断があれば正社員にできるが、そうでない「日雇い派遣」のような「高齢の未熟練労働者」については「金持ち増税で公務員を増やし、ワーキングプアを年齢にかかわらず優先的に採用する」くらいの革命的な施策が必要だと考えている。企業だけでなく政府が非正規雇用の正規化に本腰を上げない限り、問題は決して解決することはないだろう。

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by mahounofuefuki | 2008-03-10 22:44