つくばみらい市が右翼勢力の暴力的威嚇によりDV防止の講演会を中止した事件を、以前当ブログでも取り上げたが、この国では今や大きな声で脅かせば、行政も住民も唯々諾々と従ってしまい、全く無抵抗になってしまう風潮が広がっている。つくばみらいと同じ講演者による長岡市での講演会は予定通り混乱もなく行われたが、これとて妨害勢力が街宣に繰り出していればどうなっていたかわからない。
日本教職員組合(日教組)が2月2~4日に予定している教育研究全国集会の全体集会会場としてグランドプリンスホテル新高輪と契約を結んでいたにもかかわらず、ホテル側が一方的に契約解除した問題は、東京高裁が日教組の訴えを容れ、ホテル側の抗告を棄却したことで決着するかと思いきや、ホテル側は裁判所の決定を無視し、会場貸与拒否の姿勢を貫いている。 以下、読売新聞(2008/01/31 14:46)より(太字は引用者による)。 (前略) 2月2~4日に都内で開催される教研集会のうち、2日の全体集会が予定されているのは、国内最大級の宴会場で2000人以上を収容できる同ホテルの「飛天」。日教組は、ホテル側と昨年5月に本契約を結び、7月には、会場費の半額にあたる1155万円を支払っていた。「迷惑がかかる」のは日教組のせいではなく、あくまでも右翼勢力のせいである。街宣への不安があるのならば、まずは警察当局へ厳重取り締まりを要請したり、街宣を予告している団体に対し抗議したりするのが筋であり、日教組の方に会場を貸さないというのは全くアンフェアだ(プリンスホテルの場合、政財界との深い関係を考えれば、契約解除の影には日教組を攻撃している政治家の圧力があるのでは?と勘ぐりたくなるが)。 ホテルにとって会場費を支払った日教組は「客」ではないのか。ホテルが守ろうとする「他の客や周辺住民など」(時事通信2008/01/31 17:09)になぜ日教組は入っていないのか。プリンスホテルの行いは、まるで「いじめ」を「未然に」防ぐために、あらかじめ「いじめられそうな者」を共同体から排除しようとしているに等しい。 問題の根は深い。具体的な威嚇に対する人々の恐怖に加えて、右翼勢力の日教組攻撃のプロパガンダによって、あたかも学校教育の崩壊の責任を日教組に転嫁する「空気」もあるからだ。 何よりこの国では「弱そうな加害者」には徹底したバッシングで過剰なまでに「被害者」に共鳴するが、「加害者」が「右翼」や「暴力団」となると途端に沈黙する人々があまりにも多い。匿名のネット言説は本来そうした威嚇を批判できるにもかかわらず、実態はむしろ加害行為に加担している。 こうした暴力が横行し、人々が沈黙を続けることで、結局暴力者は増長し、ますます暴力に怯える社会になっていくことを私たちは自覚しなければならない。 【関連リンク】 日本教職員組合ホームページ グランドプリンスホテル新高輪 ■
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by mahounofuefuki
| 2008-01-31 22:01
今年7月に予定されている北海道洞爺湖サミット(主要国首脳会議)へ向けて治安維持活動の強化が着々と進んでいる。昨日(1月29日)は、関西で行われる閣僚会合のための警備訓練が堺で行われたが、6府県警、警官1300人、車170台の前代未聞の大規模訓練で(共同通信2008/01/29 17:22)、まるで軍事演習さながらの「剥き出しの暴力」に正直なところ不快感を持った。
近年のサミットでは時に抗議行動が過激に行き過ぎ「暴徒」化することは否定しないが、現在の日本政府の方向性はまるで「反グローバリズム」=「暴徒」=「テロ」と決めつけており、むしろまともなサミット批判の声も封じてしまおうという意図が窺える。そもそもデモ=示威行動とは権力に対する民衆の一種の「威嚇」の意味合いがあり、「平和的」なデモと「暴力的」なデモの線引きは明瞭ではない。結局はどさくさに紛れてあらゆるサミット批判の動きを封じてしまうのではないか非常に心配である。 昨日の訓練では「『サミット反対』と叫びながらジグザグ行進するデモ隊の規制や、火炎瓶や石を投げる暴徒を放水車やガス銃などで鎮圧する」(時事通信2008/01/29 15:51)などしたようだが、これではまるで「サミット反対」を唱えること自体が問題であるかのような印象操作である。近畿管区警察局の伊藤茂男局長は「国際テロや反グローバニズム運動が台頭しており、きちんと対応しないといけない」(共同通信、同前)と訓示したというが、ここでも「テロ」と「反グローバリズム」を同一視している。 近年、サミットに対する不満の声が世界で高まっているのは、実際問題として経済のグローバル化が人々の生活を破壊しているからで、特に自由競争万能の新自由主義が世界を席巻して以来、貧富の格差は拡大する一方で、一握りの大国の集まりであるサミットはその新自由主義の主導者とさえ目されている。そうした背景を無視し、単に「弾圧」一辺倒では世界の人心はますますサミットから離れるだろう。 読売新聞(2008/01/24 03:26)によれば、政府はサミット開催中に航空機がハイジャックされた場合、武力攻撃事態対処法を拡大解釈して撃墜することも検討しているという。「具体的には、ハイジャックが確認された時点で、航空自衛隊のF15戦闘機が千歳基地(北海道)を緊急発進し、ハイジャック機に対し近傍の空港への着陸など警告を繰り返す。それに従わず、ハイジャック機が衝突1分前の地点まで到達した場合には、射撃命令を発して撃墜する」シミュレーションが行われているという。 ハイジャック機がサミット会場に衝突する被害と撃墜による墜落の被害とを天秤にかけた時、常にそれが妥当かという現実問題もあるが、法的に明らかな逸脱ではないのかという疑念が拭えない。北海道の住民にとっては笑って見過ごせることではない。 北海道ではサミットの悪影響がすでに出ていて、サミット期間中に予定されていたイベントが「自粛」させられたりしている。今後、「テロ対策」を口実にますます住民監視と行動規制が強化されるだろう。ここまでしてサミットを開く意味があるのか、G8の一員にしがみつくメリットが本当にあるのかしばし考える必要があるだろう。 ■
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by mahounofuefuki
| 2008-01-30 08:54
インターネットの怖いところは一度書いたものはずっと残ることで、書いた本人が忘れていることも知らないところで批判の俎上に上がっていたりする。知らないところでやられた場合、こちらは批判されていることにも気づかないので、当然反論する機会もなく、全く為す術がない。当ブログはコメントをとっていないので、それは覚悟の上なのだが、さすがによそのブログのコメント欄で書いたことまで批判の対象になるとは思ってもみなかった。今回はたまたま気づいてしまったので弁解を試みる(ほとんどの読者は何のことかわからないと思うが気にしないでください)。
私が沖縄県民大会の直後にブログで教科書調査官を批判した時、伊藤隆氏の門下の研究者群を一括して「伊藤一門」と称したために、まるで「伊藤一門」=歴史修正主義者と誤読する人が多かったのがそもそもの問題であった。私の記事のコピペを回した人が「教科書調査官は皇国史観の持ち主」という誤った解釈を付したことが拍車をかけた(ただし過去の教科書調査官には本当に平泉門下の皇国史観の持ち主がいたのは以前ブログで書いた通り)。 照沼氏のことは知らないが、村瀬氏の論文や著書は過去に読んだことがあって、1人の研究者としてはあくまで実証主義の立場をとる歴史家であることは知っていた。私の基本スタンスは、問題の所在は実証主義を捨て去ってまでも右翼政治運動に傾く伊藤隆氏その人にあり、「一門」は実証史家の立場を維持していても、伊藤氏に「逆らえない」ないしは影響を脱せない構造だという点にある。 もちろん当の伊藤氏は最近「ゼミにいたからといって、思想的な締め付けがあるわけでない」と主張しているし(朝日新聞2008/01/17朝刊「あしたを考える」)、伊藤氏の孫弟子にあたる研究者からも直接同様の批判を私は受けた。それはその通りだろう。しかし、教科書検定で争点となっている日本軍の戦争犯罪に関して、伊藤門下の多くがあいまいな態度をとっているのは事実で、それは実際問題として師との衝突を恐れているとしか私には見えないのである。 戦争犯罪の研究がやりにくい状況を左右両翼の「政治運動」のせいにするのは本末転倒で、もっと多くの職業歴史家がきちんと研究していれば、左翼も右翼も出る幕などないのである。だいたいさも「政治」とは関係ありませんという脱「政治」姿勢は、まるで政治的立場から完全自由な研究が存在することを前提にしているが、戦争犯罪の研究が「研究ではなく運動だ」という姿勢そのものが一定の政治性を帯びていることにあまりにも無自覚である。ちなみに誤解している人もいるようだが私はその種の「運動」とは全く関係がない。 検定審も含めて伊藤門下であるというだけで批判するのは「魔女狩り」だというのは一理あって、実際沖縄の新聞が広瀬氏や有馬氏を「つくる会」関係者と書いた時は「それは違う」と思ったのは確かである。しかし、彼らが伊藤氏の暴走を座視しているのも事実で、「つくる会」(あるいは「教科書改善の会」)のような反歴史学的立場への態度を明確にしないのも伊藤氏への遠慮が働いているとしか考えられないのである。 私自身は学生時代に明治の政治史を勉強した時、佐々木隆氏や坂本一登氏の研究にはずいぶん影響を受けたし、最近も古川隆久氏の著書に感銘を受けたくらいで、「伊藤門下」という色眼鏡で研究業績の善し悪しを判断するようなことは一切していない。結果として「伊藤門下」=「つくる会」という印象を広めたことに加担したことは否定しないが、私自身はこれまでそのように明言したことはない。ただし実際に教科書検定における政治介入に関与したり、無抵抗だった以上、その点に関しては「伊藤一門」への批判は今も変わらない。 【関連リンク】 大物近代史家総合スレpart2-2ちゃんねる ■
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by mahounofuefuki
| 2008-01-29 22:29
日本マクドナルドの直営店の現職店長が、店長を労働基準法第41条の「管理監督者」とみなして残業代を支払わないのは違法だとして同社を訴えていた訴訟で、東京地裁は過去2年間の残業代支払を命じる判決を下した。
店長が管理職かどうかをめぐっては、先日紳士服大手コナカでも店長の残業代支払いを求めていた労働審判が、会社側が和解金を支払うことで合意したが、今回の判決は、管理職の実態がない労働者を管理職に仕立てることで残業代を支払わない企業の手口を断罪した点で、より明確に企業に反省を促したと言えよう。 この訴訟の提訴から今日までの動きやマクドナルドの労働現場の実態については、OhmyNewsの永原一子さんの記事が詳しいので(下記の「関連リンク」参照)、ぜひそちらをお読みいただきたい。 今回の訴訟で注目しなければならないのは、原告が東京管理職ユニオンとともに会社側と団体交渉を行った際、会社側は金銭解決を提示したが、原告はこれを断固拒否して、訴訟に至ったことである。しかも退職せず、あくまでも現職の店長として仕事を続けながら、会社と闘うことがどれだけ厳しいかは想像に難くない。「カネ目当て」という周囲の中傷とも闘い、自己の権利の追求を貫いた原告の意思の強靭さに素直に敬意を表したい。 訴訟の直接の論点はマクドナルドの店長が管理職かそうでないかだが、むしろ問題は月100時間超の「サービス残業」を強いる企業の働かせ方そのものだろう。外食産業の店長やマネージャークラスの社員の過労はつとに指摘されているが、最小限の人員に過重な仕事を担わせ、極端な能力・成果主義で心身を疲弊させる労務管理が、果たして本当に会社のためになっているか大いに疑問だ。数字上のコストカットを至上命題にするあまり、結局は労働の効率性をかえって低下させているとしか思えない。 マクドナルドの店長たちのほとんどが、タイムカードの出退勤の時間を改竄してまで残業をしているという。表向きでも定時内に仕事ができなければ「個人の能力不足」とみなされ、能力主義の査定で低く評価されるからだ。特に2006年夏ごろからは「能力不足」の烙印を押された店長やアシスタントマネージャーの降格が目立つようになったという。そこまでして仮に「利益」を上げても労働者には還元されることはない。労働者に待っているのは病気と「過労死」だけである。 この種の訴訟は過去に何度もあり、勝訴も今回が初めてではない。それにもかかわらず一向に労働環境が改善されないのは、労働基準法が全く機能していないことに起因する。労働行政の強化が何としても必要だ。同時に改めて本当に労働者のためになる労働組合の必要性も痛感した。競争原理で同じ職場の労働者間の連帯が困難になっている現状で、従来の企業内労組を前提にした労働運動ではほとんどの労働者がそこから疎外される。地域ユニオンや職種別労組の伸長に期待したい。 しかし、いつも言っていることだが、なぜ過労問題は政治課題にならないのだろう? ガソリン税の税率なんかよりもずっと切実なのだが・・・。 【関連リンク】 マクドナルドの「店長」は管理監督者か-OhmyNews マクドナルド直営店店長が過労死か?-OhmyNews マクドナルド裁判は原告店長の全面勝訴-OhmyNews 東京管理職ユニオン 労働基準法-法庫 ■
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by mahounofuefuki
| 2008-01-28 21:54
今日投票が行われた大阪府知事選挙は、選挙中の下馬評通り、タレントの橋下徹氏の圧勝に終わった(これを書いている時点では「当選確実」だが)。
告示前の時点では、橋下氏は自民・公明両党の全面支援を受けられず、徒手空拳の選挙戦を強いられると私は予想していたのだが、創価学会の動向が誤算であった。蓋を開けてみれば自民・公明両党の支持者の大半を固め、民主党支持層の一部も取り込んだ。 正直なところ、各種世論調査が橋下氏の優勢を伝えた時点で、よほど投票率が下がらない限り、橋下氏の勝利は間違いないと覚悟を決めていた。選挙戦終盤になって一部ブログが橋下氏へのネガティブキャンペーンを精力的に行ったが、「左」が騒ぎ立てるほど「“左”を忌避するポピュリズム」が作用して橋下氏に有利に働くという自覚に欠けていたと言わざるをえない(私も橋下氏の立候補表明時にやってしまったが「ネタ」として消費されただけだった)。 ただし、後述するように橋下氏の勝利には確固たる必然性があり、いずれにせよ新聞やテレビの影響力の足元にも及ばないネット言論にできることはほとんどなかったと認めざるをえない。 橋下氏の勝利を必然化した第1の要因は、今回の選挙戦の構図が結果として「既得権益」対「非既得権益」の形になったことである。 民主党推薦の熊谷貞俊氏は既得権益をもつ(と一般の人々が敵視している)連合大阪や部落解放同盟の組織的支援を受け、さらに財界の一部も好意的であったために、橋下氏は利権から疎外されている人々にとって「不当に特権をもつ勢力」と闘うヒーローになりえた。これはかの小泉政権の「郵政選挙」と全く同じ構図であり、橋下氏の新自由主義的言説はすんなりと大衆に浸透したのである。 昨年の参院選で世論は新自由主義的な考え方にノーを突きつけたとみられていたが、依然として既得権益への不満が噴出した場合には、「コイズミ劇場」のような事態が起こりうることを実証したと言えよう。 第2の要因は、橋下氏の過去の横暴な発言の数々が実は大衆の「本音」だったことである。 「買春=ODA」発言は、性産業の需要層たる一般大衆男性にとっては「普通の認識」であるし、売買春と無縁の中産階級女性にとっては「よその世界」の話である。「徴兵制」「皆兵制」発言や「体罰」発言は、自分のことを棚に上げて「最近の若者」の「モラル低下」に鬱屈を抱える中高年の「はけ口」となりえた。「核武装」発言は中川昭一氏や安倍晋三氏の前例があり、橋下氏の特異性を示すことにはならない。闇金融の弁護士をやっていた過去も、借金経験のない人々の多くが「借りる方が悪い」という認識なのが現状であり、橋下氏の威信低下にはなりえなかった。 要するに、畏まった建前論に飽き飽きしている大衆にとって、橋下氏は「同じ目線」で「自分の言葉」を語る「同類」なのである。この点でも小泉純一郎氏に酷似している。 第3の要因は、選挙運動の商業化である。 現在の国政選挙において広告代理店が大きな役割を果たしているのは周知の通りだが、今回の大阪府知事選で橋下陣営を取り仕切ったのは自民党でも創価学会でもなく、橋下氏の所属芸能プロダクションだった。彼らは選挙運動の素人であるが故の基本的なミスもあったが、メディアの使い方と人心掌握には長けていた。この問題については今後各方面から詳報が出るだろう。私からは、日本の選挙における情報操作の在り方をさらに「進化」させる契機となったとだけ指摘しておく。 第4の、そして最も決定的な要因は、失礼ながら対立候補筆頭の熊谷貞俊氏に知事候補としての魅力がほとんどなかったことである。 弁舌巧みな橋下氏と比べるとお世辞にも雄弁とは言えず、何より「大阪大学教授」という肩書と隠せないインテリ臭が大衆への浸透を妨げた。前述した「“左”を忌避するポピュリズム」は「“知”を忌避するポピュリズム」でもあり、民主党は現在の世論の実情を完全に見誤ったとしか言いようがない。 自民党は先の参院選で大敗しつつも「ヤンキー先生」とか「女性アナウンサー」とか「行列ができる弁護士」はしっかりと当選した。今回の橋下氏の勝利で、自民党はますます知名度とキャラクター性を重視した候補者選考を行うだろう。野党側はこれにどう対処するのか真剣に考えなければなるまい(対抗して野党もタレントを擁立するような安易な方法は不快だが)。 ブログ開設当初から橋下氏の「社会人」としての資質を批判し続けた私としては、今回の結果は残念の一言である。同時に粗暴を好むこの国の大衆への不信感は改めて増した。 なお以前「橋下徹の名を投票用紙に書くすべての人を私は深く軽蔑し、絶対に許しません」とブログに書いたが、その考えは今も変わっていない。彼らが自分の首を絞める愚行だったことに早く気づくことだけを祈っている。 《追記 2008/02/02》 本文中の「『“左”を忌避するポピュリズム』は『“知”を忌避するポピュリズム』でもあり」の部分は撤回する。その理由は「橋下ショック」と「ポピュリズム」~反省の弁を参照。 ■
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by mahounofuefuki
| 2008-01-27 20:59
東京都杉並区立和田中学校が、「民間人」校長の肝いりで、成績上位者のみを対象に大手進学塾の講師による夜間特別授業を始めた問題。
この特別授業については多くの教育学者や教師らが批判しているように、成績上位者のみを対象とすることで生徒を「できる子」と「できない子」に分断していること、特定の塾の営利活動に与していること、学校教育の多様な目的を「難関高校の受験合格」に矮小化していることなどなど非常に多くの問題がある。 結論から言えば「教育の商業化・市場化」を推進するものであり、すべての子どもの学習権を保障する義務教育の理念にも反する暴挙である。しかし、この問題の難しいところは単にその暴挙を批判するだけでは、当事者たる中学生やその保護者の「潜在的要求」との齟齬を生み、学校教育からの離反を招くだけであることだ。 実際、今回の特別授業を批判しているのは専ら教育の専門家だけで、肝心の子どもや保護者は一様に歓迎ないし黙認している。 「成績上位」の子どもや保護者の多くが何よりも「よい高校・大学」へ入学する(させる)ことを目標としており、彼らの主観に立てば「薄謝」で進学塾の講義を受けられるのは「恩恵」以外の何物でもない。 一方、特別授業を受けられない「できない子」は受験競争から疎外されているため、そもそも学習意欲がなく、わざわざカネを払ってまで夜間補習を受けようとは思わない。故に「授業を受けられない」というフラストレーションは生まれず、むしろこうした差別を先天的に「できが違う」と考えて容認する。学習意欲の「格差」が家庭の経済力の「格差」と密接に関係しているというのは、東京大学大学院教授の苅谷剛彦氏が実証したところだが、その観点に従えば貧しい家の子どもには学習意欲がないので、「学びたい意欲はあるのにカネがなくて学べない」という子どもはほとんどいないことになる。 つまり、「できる子」も「できない子」も今回のような選別・差別的な補習に不満をもつことはなく、むしろ批判者(専門家)は「できる子」からは「上」へ上がる機会を奪う者としか映らず、「できない子」からは何を怒っているのかさっぱり理解できない存在にしか映らないのである。 しかも、東京の場合、すでに公立中学校に通っている時点で「負け組」であるという厳然たる事実がある。私が東京の大学に通っていた頃、家庭教師の面接で中学・高校の学歴の「不足」(地方出身の私は中学・高校とも公立だった)を言われ唖然とさせられたことがあるが(いくら大学が「一流」でも中学受験経験者でないとダメだそうだ)、それほど東京の子どもの進学ルートは複線化しており、その複線を所与の条件とするしかない人々には、むしろ今回のような試みは「教育機会の均等」に寄与するものとさえ考えられるのである。 これは経済格差問題についても言えるが、「平等」をどう捉えるかということについて、この国には合意がないことに起因する。すべての人々が基礎教育を受けられる状態(すべての人々が最低限の生活を保障されている状態)を「平等」とみる人々と、誰もが「階層の上昇」機会がある状態を「平等」とみる人々とに分裂している。教育の専門家は前者であり、多くの子どもや保護者は後者だろう。 この対立は生存権や義務教育を考えるにあたって見過ごせない問題であるが、私自身の中で詰め切れていないので、今回は詳述できない。私自身は「結果の平等」を伴わない「機会の均等」は無意味と考えているが、それを説得的に語る言葉をもっていない。今後も教育の「平等」の問題は考えていきたい。 ■
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by mahounofuefuki
| 2008-01-27 18:31
昨年末に福田康夫首相が公約していた政府の「社会保障国民会議」の設置が閣議決定された。
朝日新聞(2008/01/25 13:27)、毎日新聞(2008/01/25 11:59)によれば、メンバーは次の通り(敬称略)。 吉川洋(東京大学大学院教授)=座長/大森弥(東京大学名誉教授)/奥田碩(トヨタ自動車相談役)/小田与之彦(日本青年会議所会頭)/唐沢祥人(日本医師会長)/神田敏子(全国消費者団体連絡会事務局長)/権丈善一(慶応大学商学部教授)/塩川正十郎(元財務大臣)/清家篤(慶応大学商学部教授)/高木剛(連合会長)/竹中ナミ(社会福祉法人プロップ・ステーション理事長)/中田清(全国老人福祉施設協議会副会長)/樋口恵子(NPO法人高齢社会をよくする女性の会理事長)/南砂(読売新聞編集委員)/山田啓二(京都府知事)自立生活サポートセンター「もやい」の湯浅誠氏を起用するようなサプライズはなく、予想通り既成の圧力団体の関係者と御用文化人ばかりで、官僚がコントロールできる人選である。ワーキングプアやホームレスの代弁者は1人もいない。「国民会議」と称していながら政府・与党にとって壁となるような人物もいない(ただし分科会の方で呼ばれる可能性は残っているが)。 また消費税増税派が多数を占めており、政府・与党の既定路線である消費税の社会保障目的税化と引き上げに「お墨付き」を与えるだけの機関になりそうだ。 現在の日本の社会保障は、こんな人々に任せることができないほど疲弊し、崩壊が進行している。社会保障とは本来、その名の通り社会生活を保障するもので、困っている人や弱っている人が自立できるようになるためのセーフティネットである。しかし、少なくとも日本の社会保障制度は、豊かな人や恵まれた人ほど有利で、本当に困窮している人々を制度の外側に排除するような仕組みになっている。 たとえば年金。 周知の通り、現在すべての「国民」が国民年金への加入を義務づけられているが、公務員や教職員の場合は共済年金、会社員の場合は厚生年金があり、それぞれ国民年金に上乗せされる2階部分がある。使用者(国・企業)負担があり、報酬に比例するこの「2階部分」があるのとないのとでは、世帯当たりの年金給付額に相当大きな開きがあることは従来からよく言われていた。 「2階部分」がある場合と国民年金だけの場合との格差に加え、国民年金は保険料が所得にかかわらず定額(現在は月額14,100円)で低所得者ほど負担が大きいという問題がある。しかも、国民年金の給付は現役時代の年金納入期間によって左右される。未納期間が長ければ長いほど自身の給付額は減る。そもそも国民年金の担い手は自営業者や厚生年金に加入できないパート・アルバイトなどで、ただでさえ所得が不安定なのに、この逆進的な制度のためにますます苦境に追いやられている。 現在、国民年金保険料の未納率は4割に達する。保険料納入の時効はわずか2年。長期未納者は年金給付の権利を喪失する。現在の年金制度は安定した終身雇用を前提にしているため、そうでない不安定雇用の人々を制度の外側に追い出しているのである。 あるいは、医療保険。 これも年金と同様、公務員は共済組合、会社員は組合健保ないし政府管掌健保で、それ以外は国民健康保険というように雇用形態により違いがあるのは言うまでもない。問題は使用者負担のある健保に比べ、自治体が運営する国保はいずれも財政赤字で年々保険料が増加しているため、保険料の未納・滞納者が続出していることである。 国保はこれまた雇用や所得が不安定な人々が主たる担い手になっている。ただでさえ弱い立場にあるのに高額の保険料を負担させられ、滞納が続くと保険証を取り上げられる。厚生労働省の最近の発表によると、国保料の滞納世帯は約474万6000世帯で、国保加入世帯の18.6%にものぼる。そのうち約34万世帯が保険証を取り上げられ、資格証明書の発行を受けている。資格証明書での受診は全額自己負担である。病気になってもカネがなくて治療を受けられない人々が増加している。 その結果、弱者が保険制度の外側にはじかれる→制度の内側に辛うじて残っている人々の負担が増える→負担に耐えられず外側にはじかれる、という悪循環を引き起こしており、ここでも困っている人、弱っている人が社会保障の枠組みから排除されているのである。 年金と医療を例示したが、雇用保険や介護保険や障害年金や生活保護など他の分野でも似たような事態が進行している。あえて言ってしまうが、現在の日本の社会保障制度は、安定した雇用と所得を得られる人々だけの「特権」になっている。本当に保障を必要とする困窮者ほど社会保障制度から排除され、恩恵に与れないのは矛盾以外の何者でもない。 「特権」をすべての主権者が享受できる「当り前の権利」にすることが必要なのは言うまでもない。特に年金と医療については雇用形態による差別をなくしていく方向性が欲しい。 前述の通り、政府と財界は社会保障国民会議で、消費税の社会保障目的税化と引き上げの既定路線化を進めるのは間違いない。 しかし、究極の逆進税である消費税の引き上げは、この国の社会保障の崩壊にとどめを刺す暴挙である。政府は消費税を引き上げようとする一方で、国民年金保険料も国民健康保険料も引き上げを続けている(それでいて給付の方は引き上げられず「現状維持」もしくは「引き下げ」である)。消費税を消費支出を通して強制的に負担させられる分、保険料を負担できなくなり、低所得者はますます社会保障制度の外側へ追いやられる。 そして最後のセーフティネットである生活保護も、政府は今年再び引き下げを図っている。これ以上、政府と財界と自民・公明両党(もしかすると民主党も)による社会保障つぶしが続けば、この国の生活困窮者は増大し続け、結局は消費市場を縮小させ、労働力を失い、社会保障のみならず経済も崩壊するだろう。 社会保障国民会議には全く期待できないが、これを機に在野においても社会保障制度のあるべき姿について提起していくべきであろう。 ■
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by mahounofuefuki
| 2008-01-25 17:07
この国の保守的国家主義者が現在最も目の敵にしているものは2つあって、1つは日本の国家犯罪の史実を明らかにする歴史像・歴史認識、もう1つは近代社会特有の性別役割分業の前提となる「男らしさ」「女らしさ」の在り方を変えようとする動きである。
前者に対する攻撃が戦後ずっと続いているのは周知の通りだが、近年激しい攻撃を受けているのが後者で、特にジェンダーフリーに対する誤認と憎悪に満ちた攻撃はヒステリックで暴力的な様相を呈している。一昨年、国分寺市が東京都からの委託事業の人権学習講座で東京大学大学院教授の上野千鶴子氏の講演を予定していたところ、都教育庁の圧力で委託事業そのものが中止になったのは記憶に新しい。都の判断の背後に家父長制擁護者たる石原慎太郎知事の影響力があるのは確かだが、こうした事態は全国各地に広がりつつあるようだ。 以下、共同通信(2008/01/22 21:51)より(太字は引用者による)。 茨城県つくば市の県立茎崎高校が、28日に予定していたドメスティックバイオレンス(DV)被害者を支援する特定非営利活動法人(NPO法人)による出前授業を中止していたことが22日、分かった。茎崎高校に招かれていたNPOについてはあいにく不明だが、つくばみらい市が講演を予定していた「別の団体」とは、共同通信加盟社配信記事によれば「東京フェミニストセラピィセンター」で、代表の平川和子氏の講演が「抗議の殺到」により中止となったという。 「学校に抗議があったわけではない」のに中止した学校側の弱腰ぶりは問題だが、それだけつくばみらい市への「抗議」がすさまじかったと言える。右翼団体や地域の有力者の影もあったかもしれない。 「東京フェミニストセラピィセンター」のホームページによれば、同団体は「1997年より暴力被害女性のための緊急一時避難所を開設し、長期展望にたった支援に取り組む」とあり、DV被害者のためのシェルターづくりや有料のカウンセリング活動を行っているようである。 言うまでもないことだが、DVについては2001年に「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」(DV防止法)が施行され、国と地方自治体には配偶者による暴力を防止し、被害者を保護する責務を負わせている。行政が同法の趣旨にのっとり啓蒙活動や学習活動を行うのは当然のことであり、これを否定する所以はまったくない。 なお引用記事にある通り、新潟県長岡市に対しても平川代表の講演への抗議活動が行われているようである。ネット上でリサーチしたところ、「DV防止法犠牲家族支援の会」という反フェミニズム団体が平川氏の講演に対する抗議を呼びかけていた(ホームページもあったが不愉快なのでリンクはしない。「家」制度への過剰な依存とフェミニズムに対する「被害妄想」に思わず失笑してしまった)。 前記配信記事によると、今のところ講演の主催者である長岡市教育委員会は「粛々と行いたい」と抗議を意に介していないようだが、今後圧力が強まる可能性は否定できない。講演を決行するよう同市へ請願を行う必要があるかもしれない。 いずれにせよこのような不当なバッシングを座視してはならない。この問題はDV防止法の危機のみならず、この国の言論の自由そのものが脅かされているとみなさねばならない。 《追記》 ここまで書いたところ、多文化・多民族・多国籍社会で「人として」が、つくばみらい市の講演中止事件の詳細を明らかにした記事を上げておられた。 多文化・多民族・多国籍社会で「人として」:つくばみらい市事件で考える、「威嚇」と行政 どうも市役所への威嚇的な街宣活動があったようだ。なお講演の中止に抗議する電子署名活動が行われている。詳細は「多文化~」さんの記事を参照。 《追記 2008/01/24》 トラックバックいただいたGazing at the Celestial Blue経由で、みどりの一期一会の関連エントリを読んだ。私は「出前授業」中止の件が報道されるまで、こんな凶悪な事態が進んでいたことをよく知らなかったので、恥ずかしい限りである。 もしお読みでない方がいたら、ぜひお読みください。 【関連リンク】 配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律-内閣府男女共同参画局 東京フェミニストセラピィセンター 長岡市教育センター ■
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by mahounofuefuki
| 2008-01-23 21:13
放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会が、「スピリチュアルカウンセラー」江原啓之氏を使ったフジテレビの番組に対し、放送倫理に反するとの意見を付した件。
かねがね反科学的な「霊能力」だの「占い」だのを無批判に放送するテレビの在り方に強い疑問をもっていた者としては、ようやくBPOが重い腰を上げたことに安堵している。BPOは最近、長らく黙殺してきた光市母子殺害事件の被告弁護団へのバッシング報道について調査・検証を行うことを決定するなど、にわかに活性化しており、今回の明確な処断もその線上にあるのだろう。政府にメディア規制の口実を与えないためにも、ぜひ業界の「自浄能力」を示してもらいたい。 ところで今回問題になっている江原啓之氏について、私は聞き捨てならない情報を耳にした。 昨年12月28日に北海道文化放送(UHB)が「江原啓之4時間決死のギリギリスペシャル のりゆき驚ガク未来はどっち!?」という年末特番を北海道ローカルで放送したのだが、番組の司会者と江原氏のやりとりの中で、江原氏が2008年春から旭川大学の教員になるという話が出たのである。 私はその時集中してテレビをきちんと観ていたわけではなく、作業中に音声が耳に入ってきていた程度で、講演か何かの聞き間違いだろうと思って特に気にしなかった。 ところが年明けの1月17日にも、同じテレビ局の同じ司会者の番組「のりゆきのトークDE北海道」に江原氏が出演し、そこでもその話が出たという。こちらの番組は全く観ていないが、聞くところによると、やはり今年4月から旭川大学の看護学科の講師に着任するという。 旭川大学のホームページによれば、2008年度から保健福祉学部が新設され、その中に保健看護学科が確かにある。ホームページにはカリキュラムは載っているが、教員の氏名はまだ載っていないので、残念ながら江原氏の正確な職は不明だが(売れっ子の彼の立場を考えると専任教員ではなく、客員教員か非常勤講師だろう)、テレビで堂々と公言している以上、講義を受け持ち教壇に立つのは間違いないようだ。 江原氏の公表されているプロフィールによれば、彼は國學院大学の神道専修の出身で、神社の神職の経験があり、また武蔵野音楽大学の声楽専攻でも学んでいて、バリトンの声楽家としても活動している。しかし、それらは保健師や看護師を育てる保健看護学科で教授できるような学識経験ではない(公表されているカリキュラムにも「神道」「声楽」に相応するものはない)。 となると旭川大学は、江原氏に「スピリチュアルカウンセリング」を看護科で教授させようとしていると考えざるをえない。臨床心理学や精神医学とは明らかに異質の非学問的な思考様式を下敷きにしつつも、表面上は平凡な「人生相談」の域を出ない江原氏の「カウンセリング」は、とてもではないがまともな大学で教えるような代物ではない。大学の見識を疑うほかない。 今回BPOはフジテレビに対し、「民放連の放送基準は、占いや運勢判断、霊視など、科学的根拠に乏しい題材の取扱には、慎重な姿勢を求めている。今回のように、本人が進んでそれを望んでいないケースでは、なおさら霊視などの題材を番組に取り入れることには慎重であるべきである。まして、“おもしろさ”を求めて、スピリチュアルカウンセリングを喧伝するかのような構成・演出は避けられて然るべきである」(太字は引用者による)という意見を出したが、これはそのまま旭川大学にも言える。江原氏のようないかがわしい人物を教壇に立たせるのは、それが単に学生集めの「人寄せパンダ」だとしても、学問に対する冒涜であり、高等教育においても決して許されるものではない。 旭川大学には今からでも江原氏の起用を何とか再考してもらいたい。 【関連リンク】 BPO/放送倫理・番組向上機構 FNS27時間テレビ「ハッピー筋斗雲」に関する意見-放送倫理検証委員会 UHB北海道文化放送 旭川大学 ■
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by mahounofuefuki
| 2008-01-22 22:26
通常国会が開幕したが、なぜか揮発油税の暫定税率の存廃が「最大の争点」ということになっている。3月で暫定税率を定めた租税特措法の期限が切れるからだが、政府・与党は暫定税率の10年延長に固執する一方、民主党は暫定税率の廃止でガソリンの価格が1リットルあたり25円下がると喧伝し、貧困問題も年金問題もそっちのけでこの問題に血眼である。
そもそもこの問題の焦点は小泉政権の頃から道路特定財源の存否だったはずだが、微妙に問題がずらされている。道路特定財源は揮発油税だけではなく、自動車重量税や石油ガス税もあり、それらを包括した議論が必要だがそうはなっていないのが実情だ。 暫定税率廃止によるガソリン値下げはおおむね歓迎されそうだが、地方では道路建設の停滞を心配する声が多いのも事実である。これは何も既得利権の擁護ばかりではない。地方では依然として自動車事故のリスクが高い山道や峠があり、またすでに途中まで建設された自動車道路を放置されるのも困る、というのは地方在住者の正直な思いである。私は道路特定財源の一般財源化には賛成だが、十把ひとかけらで「道路はいらない」という暴論は容認できない。 問題はどの道路が必要でどの道路が必要でないかを公正に決定するプロセスがなく、今も道路族議員の政治的力学関係に左右されていることにある。客観的で合理的な方法をきちんと考えねばならないはずだが、なかなか進まない。 ところで民主党はガソリン価格のことばかり熱心だが、北国に住む者にとってはガソリンよりも道路よりも切実な問題がある。言うまでもなく灯油の高騰である。 原油価格の高騰が今も続くなか、中央の政治やメディアの世界ではガソリン価格のことばかり取り上げているが、北国では何よりも灯油の高騰に悩まされている。札幌市消費者センターの定例調査によれば、灯油1リットルあたりの平均小売価格の最近の変遷は次の通りである。 石油製品小売価格推移表 灯油-札幌市消費者センター*PDF 10/10 80.44円12月以降、値上がり幅は落ち着いたが、それでも一貫して値上がりを続けており、昨年に比べて30%以上も高い。小売店によっては1リットルあたり100円を超えるところも少なくない。札幌は北海道で最も灯油価格が低いので、他の地域ではもっと高いことは言うまでもない。ちなみに北海道では灯油の盗難事件が相次いでいる。 日銀札幌支店は1月8日付で灯油高騰が北海道の家計に及ぼす影響についてレポートを発表している。 北海道金融経済レポート 灯油高が道内家計に及ぼす影響-日本銀行札幌支店*PDF それによると、灯油需要期である昨年11月から今年3月までの1世帯当たりの灯油支出額は13.2万円(1か月あたり2.6万円)で、前年度に比べ4割も増加している。また灯油の家計に占める割合は、消費支出30万円程度の世帯で1割近くに達する(一般に消費支出の低い家計ほど灯油の占める割合が多くなる)。灯油代の分は他の支出を抑制するしかなく、日銀は北海道全体の消費支出抑制額を1か月あたり170億円程度と試算している。 ここでは北海道の資料しか示さないが、他の寒冷地でも家計への圧迫は同様だろう。新テロ特措法審議時、アメリカ軍に給油支援する余裕があるのなら我々の灯油を支援しろという声をずいぶん聞いた。 ガソリンよりも道路よりも、高すぎる灯油をなんとかして欲しい。一部の自治体では生活保護世帯などへの福祉灯油を実施しているが、灯油高は全階層にまたがる切実な課題である。寒冷地以外の人々も他人事として突き放さないで欲しい。 【関連リンク】 札幌市消費者センター|石油製品 日本銀行札幌支店ホームページ ■
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by mahounofuefuki
| 2008-01-21 21:20
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