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夢のマツタケ!?

前々から疑問に思っているのだが、マツタケとはそんなに高い値がつくほど「うまい」ものなのだろうか?
「本当にうまいマツタケを食べたことがないからだ」と言われれば、それまでだが、私には他のキノコと比較を絶するほどの「特別なキノコ」とは思えないのである。
実のところ私たちは、〈高価=美味しい〉という思考をインプットされてしまっているのではないか。一度、その等式が成立すると、需要が高くなり、ますます価格が上昇する、そしてまた高価だから「美味しい」と錯覚する、という循環にはまっているのではないか。そんな気がするのである。

ところで、ここでも中国産はイメージが悪くなっているようだ。中国の衛生管理や品質管理が杜撰なのは事実だろうが、今になって急に中国産品の危険性を、それも特にアメリカのメディアが大々的に報道しだしたのは、非常に不自然である。
おそらく中国産のシェア拡大を危惧する、競合する他国(日本を含む)の企業が、情報操作の背後にいるのだろう。報道が企業間や国家間の市場における熾烈な競争に煽られた形だ。
中国産は危険だが、カナダ産は安全、というわけでもあるまい。食の安全に対する疑念は、日本のミートホープ事件やアメリカ産牛肉のBSE問題を挙げるまでもなく、万国共通だからである。どこの国の産物であっても、消費者は注意を払わなければならない。

私の場合、根っからの貧乏根性のためか、「マツタケ1本買うより、その分でシイタケをたくさん買った方が得だな」などと考えてしまう。いずれにせよ、「難民世代」の私には、おかげで安くなった中国産マツタケまでしか手が届かないのだが(笑)。
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by mahounofuefuki | 2007-09-06 10:34

橋下さん、バカはあなたの方です

光市母子殺害事件の被告の弁護士4人が、テレビで彼らへの懲戒請求を煽動した橋下徹弁護士を提訴した件で、橋下氏が反論の記者会見を行った。
なんで、こんな男が弁護士なのか、テレビでもてはやされるのか、そして、今も圧倒的多数の大衆の支持を受けるのか、疑問が増すばかりのお粗末な主張である。

「差し戻し審で新たな証拠が出てくれば、新たな主張をするのは当然のことだと思う」と司法の常識を言いながら、「何ゆえ主張を変更したのか、きちんと被害者なり社会に対して分かるような形で説明しないといけない」と言うのはまったく不可解だ。
被害者はともかく、なぜ社会に対していちいちそんなことを説明しなければならないのだ?
毎日たくさんの訴訟がある。そのすべての事案で新証拠が出るたびに、法廷外で説明しなければならないのか(説明したって誰も聞くまい)。あるいは光市事件は「特別」とでも言うのだろうか。それなら、なぜ光市事件に限り特別扱いするのか、という問題が生じる。
大衆ののぞき見的関心に答えるのが弁護士の仕事ではない。

「被告人のためだけに活動すればいいんだ、という弁護活動は『品位を失うべき非行』に僕は当たると思っている」 被告人に不利益な活動をすることが、「品位のある行動」なのか!?
私にはむしろ橋下氏の方が、テレビタレントとしての「特権」を利用して、大衆を煽動しているという点で、「品位を失うべき非行」を行っているように感じる。

「(弁護士は)免許業であるにもかかわらず国の監督権限を受けない。この言いわけのために『懲戒請求』の制度がある。いわば『弁明の具』だった」 まるで弁護士は国の監督権限を受けるべきとでも言ってるような暴論だ。弁護士でありながら、弁護士の独立を否定するのは、もはや弁護士としての最低の資格すらない。そんなに国家に管理されたいのなら、選ぶ職業を間違っている。検事にでもなればいい。

何より許せないのは、橋下氏が自分で懲戒請求を行わず、いわば「自分の手を汚さず」に大衆を利用したことだ。そんなことが可能なのは、彼が弁護士というよりも、レギュラーをいくつも持つテレビタレントだからであり、その「特権」を最大限使った。極めて卑怯である。

被告の弁護団は、今やマスメディアの偏向報道と、橋下氏のような卑怯者と、それらに乗じる愚劣な大衆によって「公認の敵」に仕立て上げられた。しかし、私は断固、弁護団を支持し、司法の独立を擁護する。
改めて言おう。橋下さん、バカはあなたの方ですよ、と。
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by mahounofuefuki | 2007-09-05 20:55

軍事教練とマスゲーム

中教審が、中学校の保健体育科で「武道」を必修とする、学習指導要領改訂原案をまとめたという。

教育基本法改悪の直接の影響である。
生来身体虚弱で、運動能力が極度に低かった私には、悪夢のような話だ。
政府の狙いは、武道を通して、子どもの身体の規律化を強化し、
権力に従順で、不正にも異議申し立てできない、ロボットのような人間をつくることにある。
まさしく軍事教練の復活である。
しかも「ダンス」まで必修化するというのだから呆れる。某国のマスゲームでも目指すのか。

今回の改訂は、改悪法の「伝統と文化を尊重」という条項に従ったのだが、日本の「伝統」は何も柔道や剣道ばかりでない。
「世直し」も「民主主義」も日本の過去からの遺産である。
つまるところ、「伝統」とは単に現代人が自己の都合に合わせて、過去の多様な事物から「つまみぐい」して形成されたものにすぎない。そんなものが教育内容の選別基準になってしまったことに、強い憤りを覚える。

地域の道場や体育系大学との連携に予算を支出する、というのも問題だ。
これら道場はたいてい自民党の国会議員と密接な関係がある。体育系大学は保守的知識人の牙城だ。神社との関係も深い。まさに安倍政権を支える国家主義勢力に対する新たな利権である。しかも、彼らが学校に出向して、教員や生徒に指導するようなことになれば、それこそ、職業軍人が学校に配置された軍事教練の再現である。

体育の重視が、病気や障害のある人々を差別、選別するおそれもある。
兵役復活への第一歩とさえなるかもしれない。
今回の改訂を断固空洞化させる必要があるだろう。
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by mahounofuefuki | 2007-09-05 08:50

独力で高利貸に勝訴!

消費者金融から利息上限法の上限を超える利息を違法に払わされた女性が、金融業者12社を提訴し、弁護士なしの独力で全面勝訴し、過払い金を全額取り戻した。
泣き寝入りする人々が多いなかで、この女性の不屈の闘志は、まさにあっぱれ、どんなに称賛してもしすぎることはない。この判例が金融業者に搾取されている人々にとって希望の光となろう。

現代社会の多重債務者への眼差しは冷たい。
「騙されるほうが悪い」という「自己責任」論(殺人で「殺されるほうが悪い」と言っているに等しい)や、「借りなければいい」という当事者の経済的苦境を無視した突き放した見方が多い。そして、金融業者のあの手この手の詐欺まがいの貸金行為には無批判で、彼らの暴力的な取り立てに対して沈黙するばかりだ。
しかも、国選弁護がつく刑事訴訟と異なり、民事訴訟の場合、弁護士に相談するだけでもカネがかかる。ただでさえ借金で苦しんでいるのに、そんなカネは出てこない。この国では、裁判を起こす権利を憲法で保障しているといっても、実態はザル法で、貧乏人が訴訟を起こせないよう仕組まれているのだ。

そんな二重三重の包囲網のなか、独学で法律を学び、独力で提訴し、しかも最後まで諦めず、全被告からカネを取り返した。もちろん取り返せるのは、違法な過払い分だけで、現行法では異常な高金利での貸出そのものを責めることができないのだが。それでも正しい者が負け続けているこの国で、こんな痛快な出来事は本当に久々だ。

痛快に思うと同時に、私も彼女の姿勢に見習わなければ、と思わず襟を正したくなるニュースである。
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by mahounofuefuki | 2007-09-04 20:51

大衆の「狂気」

光市母子殺害事件の被告の弁護士らが、彼らに対する懲戒請求をテレビで扇動したタレント弁護士の橋下徹氏を、弁護活動妨害のかどで提訴した。

殺人事件があまたある中で、この光市母子殺害事件は、異様な展開をたどった。
まず、事件そのものが口にするのもおぞましいものであったこと。
被害者女性の夫が極めて攻撃的で堂々と復讐を宣言したこと(記者会見で、被告を死刑にできなければ自分が殺す、とまで言っていた)。
マスコミが事件を興味本位で偏向した報道をしたこと。
その結果、多くの大衆が被害者の夫に過剰なほど共鳴し、被告の死刑を求める世論が高まったこと。
さらに、大衆の攻撃は被告にとどまらず、被告の弁護団や死刑反対論者にまで及び、ついには新聞社に弁護団への脅迫状が送られる事態になったこと。
このようにまさに「狂気」の連続である。
橋下氏の被告弁護団への中傷もこの文脈でとらえるべき事柄である。

実は私も事件当初は、なんてひどい事件だと憤りを感じていた1人であった。
しかし、マスメディアや大衆世論の過剰なまでの凶暴性に、犯人とされる被告の「狂気」とは別種の「狂気」を感じるようになり、今は被害者の夫にまったく共感できなくなった。
しかも、こともあろうに最高裁判所が、大衆の攻撃に恐れをなしてか、無期懲役の控訴審判決を差し戻してしまった。裁判が報道や世論に左右されることなど、あってはならないのに。

私は一連の群衆心理に、排外主義と同じものを感じる。
つまり、弱そうな「公認の敵」、いくら攻撃しても反撃されることはなく、権力も認めている「敵」を攻撃することで、絶対的優越感を得るという点で、両者は共通するのである。
もし、これが犯人が「少年」でなく、「暴力団員」だったら、ここまで世論は高まっただろうか? メディアは報道しただろうか? 
否である。この国の大衆が「少年犯罪」となると、大人の犯罪以上に激昂するのは、自己より絶対的下位にあるべき「少年」が、自己の存在を脅かしていると感じるからだ。
これは、あえて断言してもよいが、「少年法はいらない」「少年を死刑」にと叫んでる人ほど、街中で未成年が不法行為をしていても注意のひとつもできず、内心で苦々しく思っているだけの臆病者だ。自分の弱さを誤魔化すために、「少年犯罪」をだしに使っているにすぎない。

ましてや弁護士を攻撃するなど、もってのほかだ。
もし、冤罪で逮捕・起訴された時、実際に助けてくれるのは誰か。橋下氏のような権力迎合的な男ではなく、今や大衆の憎悪を一身に浴びる「人権派」弁護士である。自分は逮捕されることがない、などといくら自信をもっていても、無実の罪で検挙される例はあとをたたない。最近、最高検察庁でさえ冤罪防止機能が不十分であると認めていたではないか。

はっきり言ってしまえば、光市事件の被告が死刑になろうと、そうでなかろうと、被害者ではない私たちの生活に影響はまったくない。厳罰にして見せしめにすれば、犯罪はなくなると本気で信じているとすれば、ずいぶんお目出度い話だ。この事件に直接関係のない人間が拘る理由は何もない。

今回の提訴で、橋下氏が何らかのペナルティを受けることを強く望みたい。
それでも、大半の人々の目が覚めることはないだろうが・・・。
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by mahounofuefuki | 2007-09-03 21:06

「任命責任」を語るならすぐ総辞職せよ

遠藤武彦農水大臣が辞任した。
彼が組合長の農業共済組合が国からの補助金を不正受給していたからだが、
そのカラクリはあまりにも杜撰極まりなく、
こんな男をよりにもよって農業を管轄する農水大臣に起用した、安倍首相の見識を疑う。

不正受給のカラクリと放置された原因については、以下を参照。
農業共済組合の不正受給は、こうして見逃された(オーマイニュース)

アベは「任命責任は私にすべてある」と言ったそうだが、それならば、すみやかに内閣総辞職するべきだ
口先だけで「責任がある」と言いながら、その座に居座るのは、欺瞞でしかない。
こんなバカボンでもまだ、支持する輩がいるのが、非常に不快だ。
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by mahounofuefuki | 2007-09-03 18:20

「空気を読む」ということ

爆笑問題・太田光「『空気読む』って何だよ? 周りの人間に振り回されるな!(livedoorニュース)
空気を読む」とは?爆笑問題・太田光さんの発言に関して(livedoorニュース)

私はテレビをほとんど観ないので、爆笑問題の太田光さんが普段どんな言動をしているのか、あまりよく知らない。この記事で取り上げられている「空気を読むな」という発言も、当のテレビ番組を観ていないので、詳細は不明だが、記事の通りだとすれば、まさしく「我が意を得たり」という発言である。

私は子どもの頃から「空気を読めない」人間だった。
小学生の時、担任教師が母親を亡くし、数日間忌引欠勤したことがあった。その日、私を含む数人の児童が掃除当番だったのだが、当番の中の1人が「先生が悲しんでいる時だからこそ、念入りに掃除しよう」と言い出し、私を除く子どもたちがそれに同調した。私には「先生の悲しみ」と「掃除」がどうつながるのかまったく理解できず、普通どおりの掃除をし、決められた時間に下校しようとしたが、他の子どもは帰ろうとする私を「薄情者」と非難し、罵倒した。私はそれを無視して学校を出て、連れ戻そうと追ってくる同級生を振り切り、家に帰った。つまり私は「空気を読めなかった」のである。
(ただし、この話には続きがある。私が下校した後も、遅くまで学校に残っていた同級生たちは、代理担任の教師に見つかり、叱られて帰された。翌日登校すると、その教師は事の顛末をただし、1人規則を守った私を褒め、他の子どもたちは「掃除」を口実に単に学校に居残りたかっただけだと喝破した。)

その後も、「空気が読めず」孤立したり、白眼視されることがままあった。今なら間違いなく「いじめ」の対象として迫害されていたであろう。私が子どもの頃は、今ほどコミュニケーションの巧緻が人間関係の決定的要因ではなかったから、何とか生きながらえて来れたが、「空気を読む」ことが絶対化している現在ならば、死に追い込まれていたかもしれない。

「空気を読む」ということは、「強者に従順」「多数派に迎合」ということである。
どんな不当なことでも、周りがみなやってたり、見逃しているから、という理由で容認したり、我慢する現代日本の病理の本質はここにある。
実際はそこに「空気を作り出す者」がいるのにもかかわらず、その姿は隠され、「なんとなく」流されている。しかも、たちの悪いことに、「空気を作り出す者」は無自覚である場合が少なくない。結果として無責任と無知と無抵抗が蔓延していくのである。

言いたいことを言い、やりたいことをやる、どんな権力にもはっきりものを言う。
そういうことを徹底しないと、それこそ「戦争」や「愛国」が「空気」になりかねない(そうなりつつあるが)。
「空気を読まない」人々がそれこそ多数になれば、「空気を読まない」のが「空気」になるのだが・・・。
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by mahounofuefuki | 2007-09-03 10:14

同性愛はいけないのか?

同性愛に反対していたアメリカの上院議員が、よりにもよって同性に対する猥褻行為を問われ、辞職に追い込まれた。
このニュースに対する私の感想は、「同性愛はいけないのか?」である。
アメリカでは、キリスト教保守派を中心に同性愛を認めない人々が依然多いが、それは余計なお世話というものだろう。人類の歴史上、古くからあったものだし、正直他人に迷惑を及ぼさない限り、別にどうでもよいではないか。

むしろ問題なのは、この議員が今まで自分を偽り、同性愛を批判していたことである。これは、内では愛人を囲いながら、外では「家族」やら「貞操」やらを説くのと同じことである。支持者に迎合して、ウソをつき続けたことの責任は問われるべきだ。何も無理にカンミングアウトせよと言うのではない。せめて同性愛に対し、肯定も否定もしない態度をとっていれば良かったのである。

ところで、問題の発覚は「おとり捜査」であった。つまり「罠にはめられた」のである。ことが議員だけに、なんとなく陰謀くささを感じるのは私だけだろうか。
日本でも政府に批判的な学者や、「改憲派」の主張を否定した内容の番組を制作したテレビディレクターや、アメリカと距離をとる官僚らが、「痴漢」容疑で逮捕された。これらも何となく「くさい」と思うのだが、真相はいかに!?
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by mahounofuefuki | 2007-09-02 12:55

関東大震災から84年

9月1日は「防災の日」である。
米軍まで参加した軍事訓練さながらの防災訓練は、戦時動員の予行演習か?との疑問がつきまとうが、それはひとまず置いておく。

「防災の日」の由来は、1923年9月1日の関東大震災である。
10万人前後の人々が死亡し、日本に経済的打撃を与えた未曾有の大災害は、同時に忌まわしい事件を引き起こした。
朝鮮人・中国人虐殺事件である。特に朝鮮人の虐殺犠牲者は約6000人にのぼる。

当時、朝鮮半島は日本の植民地であり、朝鮮人は「日本国民」であったが、差別と蔑視にさらされていた。地震が起きると、警察・地方官庁などの官憲や新聞、そして一般の民衆は、朝鮮人が「蜂起」したとか、「放火」したとか、「井戸に毒をまいた」などの流言を発したり、信じたりし、特に自警団をはじめとする一般住民が、進んで朝鮮人を殺害した。地域によっては、軍隊が(地震翌日の戒厳令により強大な権限があった)加担したことも近年明らかにされている。日常的な差別の裏返しとしての恐怖が、人々を凶行に駆ったのである。

虐殺事件について、日本政府はこの84年間、調査も補償も謝罪も行っていない。
歴史学界も長らく、朝鮮人虐殺事件を、日本人社会運動家が官憲に謀殺された亀戸事件や甘粕事件と並列し、相対化していた。虐殺事件と亀戸・甘粕事件では、まったく次元が異なるという批判は、30年以上も前に、一橋大学教授だった姜徳相さんが名著『関東大震災』(中央公論社、1975年)で行っているにもかかわらず。一般の民衆が手を下した(朝鮮人を「保護」した警察署を住民が襲撃した所さえあった)という事実から目を逸らしていたのである。中国人虐殺に至っては、近年までまったく無視されていた。

この虐殺事件を反省せず、うやむやにしてしまえば、再び似たような事態を引き起こす危険がある。特に近年、排外主義世論が高まっており、韓国・朝鮮人や中国人に対する侮蔑意識は、戦後最高潮に達している。しかも、そうした世論を煽動している人間が、首相や東京都知事になってしまっている。今、外国籍の人々が多い関東や関西で、大規模災害が起きた時、大丈夫と言えるだろうか。

「9月1日」の意味をしっかり吟味し、ヒステリックな行動に走らないよう自省したい。
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by mahounofuefuki | 2007-09-01 22:09

新たな「棄民政策」

厚生労働省が、生活保護給付の大幅削減を検討しているという。
先日、北九州で生活保護を無理やり打ち切られた(表向きは「辞退」)人が、日記に「おにぎり食べたい」と書き残して餓死したのは記憶に新しい。
そんな事件があったにもかかわらず、政府は反省するどころか、新たな「棄民政策」を準備しているのだ。

生活保護受給者に対しては、昔から「働かないで金だけもらう」「ずるい」という攻撃があった。特に長時間労働に苛まれている「会社人間」や、自分の努力だけで「成功」したと思い込んでいる「成金」ほど、そういう中傷を繰り返していた。
しかし、もろに就職氷河期にぶつかり、まともな仕事に就けるのは、実は「能力」のある者ではなく、「コネ」と「見た目の押し出しの強さ」のある者であることを熟知している「難民世代」の私には、そうした中傷は「持てる者」の傲慢以外の何物でもない。
「会社人間」は過労を強いる企業と闘う勇気のない己の小心さを誤魔化し、「成金」は自分の「成功」が他者の「失敗」を踏み台にしていることに無頓着なだけだ。

この国では、新卒で就職できなかったり、1度失業したり、あるいは病気になったりすると、もはや復活はできず、坂を転げ落ちるように転落する。はじめから貧しい家庭に生まれた者、高い教育を受ける機会がなかった者なら、なおさらだ。
生活保護を受けるのは「他人に食わせてもらっている」という点で屈辱である。そんな屈辱に甘んじても、生活保護がなければ生きられない人々が大勢いるのだ。
そして、何より現代社会は誰しも(特権階級をのぞいて)生活保護受給者になる可能性がある。ある日突然、職を失うリスクは常に存在するからだ。この国は失業保険給付も期間が短いので、失業が長引けば生活保護に頼るしかないのが現状だ。

国家は、大企業や富裕層の減税を繰り返す一方で、庶民を競わせ、貧困に追い込み、切り捨てようとしている。労働力と税金と公共料金だけはテイクし、何もギブしないのは、あからさまな「搾取」でしかない。

生活保護給付の削減は、受給者だけの問題ではない。
「明日の受給者」になるかもしれない私たち全員の問題である。
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by mahounofuefuki | 2007-09-01 10:54