2007年 09月 13日 ( 1 )

さようなら、アベ

昨日退陣を表明した安倍内閣。
1年あまりの短命政権であったが、この1年でこの内閣の残した傷跡はあまりにも深い。

安倍晋三は、もともと従来の政治力学では、とても首相になれる器ではなかった。
国会の当選回数、閣僚経験、政策実績いずれも浅く、健康不安も早くから囁かれていた。
それにもかかわらず、首相になれたのは、小泉政権時代のポピュリズム状況のためであった。
2002年の歴史的な日朝首脳会談と、それに続く「拉致ヒステリー」の喧噪のなかで、当時内閣官房副長官だったアベは対朝強硬姿勢を貫き、拉致問題を国交正常化交渉のなかで解決するという小泉首相の当初路線を転換させたことで、一躍マスメディアの寵児となった。
情報操作とイメージ戦術を重視する小泉はアベを重用し、自らの後継に据えるようになった。

小泉とメディアの力で政権の座に就いたアベを待っていたのは、「構造改革」による貧富や地域間格差の拡大による民衆の疲弊であった。前政権のいわば「尻拭い」をさせられたのである。
アベは「再チャレンジ」というコイズミ流のワンフレーズの掛け声で乗り切ろうとしたが、もはや日本社会はそんな中身のないスローガンに騙されるほど愚かではなかった。
小泉政権が先送りした所得税や住民税の定率減税の打ち切りで、庶民の負担増大は誰の目にも見えるようになった。もはや「再チャレンジ」どころではなかった。
しかし、アベは政策転換することなく、巨大企業の言いなりに、市場原理主義政策を続け、貧困と格差はさらに拡大し続けた。

一方、アベは彼本来のイデオロギーで、独自色を出そうとした。それが「教育再生」であった。
もともと自民党は日本国憲法とともに、民主的主権者の育成を目指す教育基本法を邪魔に考えており、憲法改悪の露払いとして、教基法の改悪を行った。
情報操作により、教職員を「公認の敵」に仕立て上げ、「教育再生会議」なる素人の井戸端会議に教育政策を丸投げし、子どもを権力に従順な奴隷にするため、国家による教育統制の強化を図った。
アベは歴史認識においても、保守派の歴史観そのままに、日本のアジア侵略の史実を歪め、ついには沖縄戦の「集団自決」強制の事実までも歴史教科書から消し去ろうとした。
これらのアベ「独自の政策」は、50年は修復できないほどの傷になった。

巨大企業とアメリカの利益を最優先する市場原理主義と、主権在民を否定する国家主義という2本柱で、強引な政治運営を続けたアベだが、内外の情勢はアベの足元を揺さぶった。

まず、アメリカのブッシュ政権が、対朝「封じ込め」政策を転換し、米朝2国間交渉に切り替えた。強硬姿勢1点張りのアベ外交は、国際社会のなかで孤立化しはじめた。アベの1枚看板である拉致問題は解決の見通しを失った。
日本国内では、相次ぐ閣僚の不祥事に見舞われた。柳沢厚労相や久間防衛相の失言とその後処理のまずさは、アベの未熟さを印象づけた。
そして、松岡農水相の自殺。現職閣僚の自殺という過去に例のない異常な事態は、それまでメディアに操作されてアベを支持してきた人々も、なんとなくアベ政権の「きな臭さ」を感じるようになった。
さらに追い打ちをかけるように、年金不安が再浮上した。かつて清新なイメージで売ったアベも日に日に憔悴ぶりが目立つようになった。

今年8月の参院選で、アベ自民党は大敗を喫したが、アベは民意を無視し、政権に居座り続けた。しかし、口先だけの政策転換を信じる者はもはや誰もいなかった。
身も心もボロボロになったアベはついに、政権から「逃げ出した」。

安倍内閣の施策で評価できるのは、中国との関係改善くらいで、あとは最悪のタカ派路線を突っ走り、大きな禍根を残した。
最後まで内閣支持率が、なかなか落ちなかったのも、アベに憲法改悪を期待する右翼勢力が支持し続けたからにほかならない。アベの最大の罪は、これら右翼勢力を陽のあたる場に引き出したことだろう。
しかし、もはやアベの再登場はあるまい。
あまりにも情けない引き際は、「美しさ」のかけらもなかった。「美しくない人」に「美しい国」を語る資格などない。今にも泣きだしそうな子どもみたいなアベの顔に、右翼も失望したのではないか。

もうあの顔を見なくてすむのは、とりあえず嬉しい。
さようなら、アベ
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by mahounofuefuki | 2007-09-13 12:36