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「日本版デュアルシステム」で「ネットカフェ難民」対策ができるのか

 これまで弊ブログの労働者派遣法改正問題や『労働経済白書』のエントリで述べたように、昨年末くらいから厚生労働省の労働政策は従来の規制緩和路線を修正しはじめており、最近は「貧困と格差」の是正を目指す施策の準備も伝えられている。その方向性は歓迎すべきことなのだが、問題は出てくる施策が既存の行き詰った制度を「転用」しようとするものばかりで、実効性が疑われることである。

 たとえば「ネットカフェ難民」への「自立支援」策。読売新聞(2008/08/23 14:54)によると、雇用・能力開発機構の「日本版デュアルシステム」受講を条件に、月15万円を住宅・生活費として事実上給付する制度を準備しているようだが、この施策については以下のブログ記事がその実効性の欠如を厳しく批判していている。

 150人分の予算 - 非国民通信
 http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/47ea7402610f1300a8e781626237a493
 政府は何も分かっていない - アフガン・イラク・北朝鮮と日本
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/9f9c7e5024238b7cfd33848660b1cf80

 私から付け加えるとすれば、そもそも「ネットカフェ難民」に受講させようとしている「日本版デュアルシステム」自体がもろもろの問題を抱えている。「デュアルシステム」とは元来ドイツの伝統的な職業訓練システムで、「16歳から18歳の若年者(高校段階)が職業学校の教育と企業内訓練を並行して受講し、修了試験を経て職業資格が付与される。技能の高いマイスター制度を支え、とりわけ高度の職人、熟練工を育成する」ものだが(『日本労働年鑑』第74集、2004年版による)、日本版では専門学校等での座学と企業での職業実習の併用という点は共通するものの、本来は学生向けの職業教育である制度をもって失業者や無業者や非正規労働者の就労対策に充てようとしているため、重大な齟齬が生じている。以下の論文がその問題点を明らかにしている。
(前略)
 厚生労働省は、(独)雇用・能力開発機構を通じてデュアルシステムを実施している。こちらはフリーター対策を主目的としており、おおむね35歳未満で不安定な職業に就いている者や失業している者が対象である。したがって、キャリア教育というより、就業支援か職業訓練といった方が適切である。(中略)
 (独)雇用・能力開発機構では、4カ月から6カ月の短期のデュアルシステムも実施しており、この場合に座学(講義)を担当するのは、民間の専修・専門学校である。通常は、学校での講習が終了した後、1カ月から3カ月の実地訓練が企業で行われる。(中略)
 デュアルシステムにおける訓練の場は、学校と企業である。したがって、デュアルシステムが成立するには企業の協力が欠かせない。ドイツでは企業が職業訓練を行うことは、企業がもつ社会的責任の一つであると認識されているが、日本にはそのような認識はない。(中略)
 しかし、大企業はデュアルシステムに関してまったくといってよいほど関心をもっていない。(中略)大企業は高卒者をコストをかけて採用・育成するよりは、派遣社員や請負社員を活用した方がよいと考えているためであろう。あるいは高卒が必要だとしても独力で採用できるため、デュアルシステムに興味がないのかもしれない。(中略)
 デュアルシステムに中小企業は不可欠であるとしても、中小企業にとってデュアルシステムに協力することはどのようなメリットがあるのだろうか。少なくとも金銭的にはメリットよりデメリットの方が大きい。高校で行われているデュアルシステムの場合、協力企業に対する謝礼は一切ない。職業能力開発大学校等で行っているデュアルシステムの場合は、受け入れ企業に対して訓練生1人につき月24,000円(消費税別)の範囲内で委託費が支払われるが、訓練生に相応の技術をもった人、たとえば工場長や経営者が指導するとなれば、その間彼らは自分の仕事ができない。実際、経営者自らが残業するなどによって訓練時間を捻出している企業もある。それが1カ月も2カ月も続くとなれば、企業の費用負担は無視できないほど大きくなる。訓練によって失われる収益機会は多少の委託費ではカバーされない。(中略)
 (独)雇用・能力開発機構が行っているデュアルシステムも、就職を考慮して訓練先を選択するとはいえ、受け入れた訓練生が就職する保証があるわけではない。(後略) (竹内英二「キャリア教育における中小企業の役割 ―日本版デュアルシステムを中心に―」、国民生活金融公庫『調査季報』2008年2月号より、太字強調は引用者による)
 要するに公的支援が不十分で民間への丸投げなので企業負担が大きく、大企業からはそっぽを向かれ、何よりも「訓練生が就職する保証があるわけではない」のである。しかも、訓練中でも雇用契約が結ばれるドイツとは異なり、日本ではその間は労働者という扱いではないので失業者同様、雇用保険で生活するしかない(雇用保険未加入者は無収入になる)。

 最新のデータを見つけることができなかったので、少し前のデータになるが、2004年度の訓練生の就職状況をみると、正規雇用は49.5%、派遣が15.8%、パート・アルバイトが34.7%となっている(厚労省「日本版デュアルシステムの今後の在り方についての研究会」報告書より)。「デュアルシステム」受講者の過半数が非正規雇用というのは、現在の全雇用の正規・非正規比率(約2:1)を考慮すればあまりにも多すぎる。これを「ネットカフェ難民」の就労対策に転用しても、貧困の解消につながるとはとうてい思えない数字である。

 そして周知の通り、雇用・能力開発機構は現在、独立行政法人「改革」の標的となっていて、昨日の行政減量・効率化有識者会議は同機構の廃止方針を決定した。報道によれば、厚労省は同機構の廃止に抵抗しており、今月中旬にもまとめる予定の厚労省サイドの改革素案では、同機構が行う職業訓練は「年長フリーターやワーキングプアの問題に対応するための雇用のセーフティネット」だと強調するという(朝日新聞2008/09/03 22:43)。「ネットカフェ難民」対策に「日本版デュアルシステム」を転用する真の理由はこれで明らかだろう。注目される社会問題である「ワーキングプア」対策を盾に、機構の存続を図ろうとしているのである。つまり、雇用・能力開発機構の存続こそが目的で、「ネットカフェ難民」対策はそのための手段なのである

 もちろん弊ブログは昨年来一貫して独立行政法人の民営化に反対しており、今回の件も確かに雇用・能力開発機構は多くの問題を抱えているが、民営化や地方委託では単なる行政の責任放棄でしかなく、公共職業訓練はしっかりと国の業務として行われるべきであると考えている。だからこそ厚労省には小細工ではなく、はっきりと憲法第25条に従って最低限の生活を保障するという観点から貧困対策を打ち出して欲しいのだが、実際は貧困問題を専ら就労対策でカバーする一方で、その就労対策自体が生活保護などのセーフティネットを弱める役割を果たしている。自立生活サポートセンター「もやい」の湯浅誠氏は次のように指摘している。
 (前略)東京ではそれ(引用注―野宿者の「自立支援事業」の失敗)に対して2004年からテント対策として新事業を始めました。テントを潰すかわりにアパートに入れるという施策ですが、生活保護が保障するラインより下に、行政自身がネットをつくっている面があります。生活保護の下方修正ではないかというのが私の評価で、それはネットカフェ難民対策として打ち出した東京都のチャレンジネットも同じ性格を持っています。これがどう運用されるのかといえば、生活保護の相談に行った人が、「ネットカフェの人はこっちの施策を利用してもらうことになっている」などと言われて、そっちに流されてしまうのです。(後略) (生田武志・湯浅誠「貧困は見えるようになったか」『世界』2008年9月号より、湯浅の発言、太字強調は引用者による)
 東京都の「ネットカフェ難民」支援事業については、以前弊ブログで比較的高い評価をしてしまったことがあるが、湯浅氏の言葉で目が覚めた。東京都の事例が生活保護基準の実質的な下方修正ならば、似たような事業である今回の厚労省の支援策も、生活保護申請を却下する口実に使われる可能性が高い。

 考えてみれば「月15万円」という額は微妙である。東京都の場合、30代の単身者の生活扶助給付額がだいたい最大で月13~14万円くらいだから、一応ぎりぎり保護基準を上回ってはいるが、職業訓練受講にあたってどの程度自己負担があるのか不明だし(たとえば教材費や交通費は給付に含まれるのか否か)、生活保護受給者が受けられるさまざまな減免措置がないことを考慮すれば、実質的には生活保護基準を下回る可能性もある。これは法的にも問題である。

 シミュレートしてみよう。「ネットカフェ難民」に生活保護を受けさせないために、「日本版デュアルシステム」を利用した新事業へ回す。「非国民通信」が指摘するように150人分の予算しかないとすれば、新事業を利用できる人は限られるので選別される。選ばれなかった人は「難民」のままである。運よく選ばれると、生活保護基準ぎりぎりか、それを下回る水準の現金給付を受けながら、指定された専門学校へ通い、協力企業で職業訓練を受ける。すべて終えても安定雇用に就ける保障はなく、過半数が非正規雇用になる。「ネットカフェ難民」だった履歴があること自体不利に働くのに、具体的な就職支援はない。再び不安定雇用にしかありつけなくとも、受講終了と同時に給付は打ち切られる。その時点で、家賃を支払えるだけの収入がなければ、再び「ネットカフェ難民」へと戻る。政府は「やるだけのことはやったので、後の貧困状態は自己責任」とうそぶく。これでは貧困解消に程遠い上に、政府に貧困対策を行わない口実すら与えかねない。

 抜本的な貧困対策としては、生活保護基準以下の収入しかもたらさない状態を一切認めず、それらをすべて公的給付でフォローしなければならないが、先日弊ブログで紹介した、生活保護行政の担当者がホームレスに生活保護基準を下回る住み込みの派遣の職を斡旋していた事例のように、行政は今も生活保護の骨抜きを続けている。貧困解消にあたっては就労対策に限定するのではなく、実効性のあるセーフティネットの確立が必要不可欠である。そのためには「小さな政府」だの「ムダ・ゼロ」などやめて社会保障費の大幅増が必要であることも自明であろう。

【関連記事】
生活保護行政が「生活保護以下」の職をあっせんする矛盾

【関連リンク】
厚生労働省:日本版デュアルシステムホームページ
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/syokunou/dual/index.html
厚生労働省:「日本版デュアルシステムの今後の在り方についての研究会」報告書について
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2005/11/h1129-3.html
独立行政法人 雇用・能力開発機構
http://www.ehdo.go.jp/
法政大学大原社会問題研究所_若年労働者の就業促進に向けての対策 [日本労働年鑑第74集057]
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/2004/rn2004-057.html
竹内英二「キャリア教育における中小企業の役割 ―日本版デュアルシステムを中心に―」、国民生活金融公庫『調査季報』2008年2月号*PDF
http://www.kokukin.go.jp/pfcj/pdf/kihou2008_02b.pdf
by mahounofuefuki | 2008-09-04 20:33


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