日本政府が1953年に、在日米軍の将兵による刑事事件に対する裁判権を放棄する密約をアメリカ政府と結んでいた、という報道を覚えているだろうか。
同年締結の日米行政協定第17条は、米兵の「公務中」の犯罪はアメリカ側が、「公務外」の犯罪は日本側が1次裁判権を有すると定めていたが、実際の運用にあたっては「公務外」の場合でも衆目の集まる「重要」な事件を除き、日本政府は裁判権を行使していなかったことがアメリカの公文書公開で明らかになった件である(なお安保改定に際し、日米行政協定は日米地位協定に変わったが、裁判権条項は同じ17条に残っている)。 今年5月に共同通信(2008/05/17 19:15)は次のように報じていた(太字引用は引用者による、以下同じ)。 日本に駐留する米兵らの事件をめぐり、日米両国政府が1953年に「重要な案件以外、日本側は裁判権を放棄する」との密約に合意し、日本側がその後約5年間に起きた事件の97%の第1次裁判権を放棄していたことが、17日までに機密解除された複数の米側公文書で分かった。安保改定に際してアメリカ側は「密約」を公にするよう要求したが、当時の岸信介首相は拒否、つまりあくまで内外に秘密にし続ける意思を示したという内容で、ここからその後も「密約」は効力を持ち続けていたことが容易に推定できよう。 この件は他の「密約」と同様、アメリカの情報公開で明らかになったもので、文書管理と情報公開の遅れる日本側の関係文書はこの時点では一般には明らかにはなっていなかったが、先日、この裁判権放棄の「密約」の存在証明を補強する法務省の内部資料が明らかになった。 以下、共同通信(2008/08/04 13:43)より。 日本に駐留する米兵の事件をめぐり、1953年に法務省刑事局が「実質的に重要と認められる事件のみ裁判権を行使する」との通達を全国の地検など関係当局に送付、事実上、裁判権を放棄するよう指示していたことが、同省などが作成した複数の内部資料で分かった。しんぶん赤旗(2008/08/05)によれば、問題の通達は法務省刑事局長が1953年10月7日付で全国の検事長・検事正に宛てたもので、1972年3月に同局が作成した「合衆国軍隊構成員等に対する刑事裁判権関係実務資料」(マル秘指定)に収録されていたという。つまり、少なくとも1972年の時点でも「密約」は有効だったことがわかる。 ところが、今日になって次のようなニュースが明らかになった。 以下、しんぶん赤旗(2008/08/11)より(引用にあたり漢数字をアラビア数字に変換した)。 日本に駐留する米兵の犯罪に関する日米間の密約を裏付ける法務省資料が、これまで国立国会図書館で閲覧可能でしたが、政府の圧力で6月下旬から閲覧禁止になったことが10日までに明らかになりました。まず、5月の報道では不明だったマル秘資料の入手経路が明らかになった。1990年3月より以前に法務省(あるいは警察庁)もしくはその関係者から問題の資料が古書店に流出し、それを国立国会図書館が入手し、蔵書として登録したことがわかる。新原昭治氏らは国会図書館で正規の手続きを踏んで当該資料の複写を入手したのは間違いない。 一方、新たな謎もある。アメリカ側文書の存在が報じられたのは5月17日。政府が国会図書館に非公開通知を行ったのは「5月下旬」。閲覧禁止が6月23日。政府の動きがいかにも早い。18年間も放置されていたのだから、政府が法務省資料の流出を知ったのは5月17日以降だろうが、どうやって国会図書館の資料の存在に気づいたのか。新原氏と共同通信の動きを知った上で、すぐさま隠匿工作を指示したと考えられるが、その具体的経過がよくわからない。 一連の流れから、私が注意するのは次の2点である。 第1に、政府がすぐさま閲覧禁止措置にしたように、この日米地位協定違反の「密約」は政府にとって何としても日本の主権者の目から隠したいもので、そして現在も効力を持っているということである。実際、現在も米兵の事件は相当数が不起訴となっている。問題の刑事局長通達が指示しているように、不起訴によって事実上裁判権を放棄する方法が一般的に行われているのは間違いのないところだろう。 第2に、「廃棄された公文書」の扱いである。今回の場合、文書を所持していた関係者から流れたか(たとえば関係者本人の死後、遺族が保有文書を売りに出すことは多い)、法務省(あるいは警察庁)自体が現用でなくなって廃棄したのが古書市場に出たのかのどちらかだろうが、いったん廃棄ないし売却された文書を、いかに発行者とはいえ「閲覧禁止」を要求することが果たして正当なのかどうか。以前、ある歴史研究者が防衛省防衛研究所の所蔵資料で論文を書いたら、それが旧軍にとって不都合な内容だったために、その資料が閲覧停止になったという話を聞いたことがあるが、今回の場合、すでに法務省の手を離れた文書なのだから、より悪質である。 現在公文書問題については、この問題をライフワークとする福田康夫首相の肝いりで、担当の国務大臣が置かれ、「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」が設置され、現行では事実上各省庁の恣意に任されている文書管理と情報公開の改革が検討されている。ここで想定されている中心課題は公文書の管理と公開の一元化で、省庁から文書館への移管を確実にする方策が重視されているが、今回の法務省の場合のようなケースはどうなのか。福田首相は今回の件を黙って見過ごすようでは、言行不一致の誹りを免れない。 日米関係の「闇」の深さに戦慄を覚えると同時に、日本国家の文書管理の不透明さに改めて驚きを禁じ得ない「事件」である。 【関連リンク】 日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定 – 外務省*PDF http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/sfa/pdfs/fulltext.pdf 国立国会図書館 http://www.ndl.go.jp/ 公文書管理の在り方等に関する有識者会議 - 内閣官房 http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/koubun/index.html 《追記》 本稿執筆後、「情報流通促進計画」が別のソースを用いて、法務省文書閲覧禁止の件についてのエントリを上げておられるのを確認した。 てえへんだ、てえへんだ・・・国会図書館が裁判権放棄を裏付ける文書を急きょ閲覧禁止に! - 情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊) http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/39e42e5f941390a2fe28e0ca6fb7a1dd なお、ヤメ蚊氏の記事では、国立国会図書館の資料制限措置の内規が問題になっているが、そもそも国立国会図書館法が第21条で「両議院、委員会及び議員並びに行政及び司法の各部門からの要求を妨げない限り」とその活動に制限が加えられており、法律自体に問題があると言うべきだろう。 国立国会図書館法 - 法令データ提供システム http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO005.html
by mahounofuefuki
| 2008-08-11 21:42
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