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『めぞん一刻』は「格差恋愛」ではない

 今朝、新聞のテレビ番組欄に目を通していたら、次の一文が視野に入った。
「めぞん一刻~お金はないが愛はある!貧乏な就職浪人生と美しい管理人さんとの笑って泣ける“格差恋愛”!!」
 『めぞん一刻』は高橋留美子氏の1980年代の漫画で、「一刻館」という老朽アパートを舞台に、住人のさえない学生(当初は大学浪人)五代裕作と、美貌の管理人(20歳そこそこで「未亡人」になってしまったという設定)音無響子とのぎこちない恋愛を軸にしたラブコメディである。これまで何度かアニメ化や実写化がなされてきたが、今回はどうやら作品後半の実写ドラマ化らしい。作中の裕作は就職戦線で脱落し、大学卒業後「フリーター」を続けるので、そのあたりを指して番組欄の担当者はこのような惹句を書いたのだろうが、私には納得できない。なぜなら少なくとも原作は「お金はないが愛はある」という内容でもなければ、響子と裕作の恋愛は「格差恋愛」でもないからだ。

 作中、裕作と響子の恋は四角関係、五角関係が絡まり、それぞれの優柔不断のせいもあって、なかなか進展しないが、作品終盤最大の「障害」は裕作が「フリーター」で、定職に就いていないことにあった。一応はアパートの管理人という職にある響子が無職の裕作を食わせるという展開にはならない。裕作は保育士資格(当時の公式名称は男でも「保母」だった)を取り、(結果として)過去のコネで保育所に就職を決めてから響子にプロポーズする。響子はストーリーの序盤から経済面にシビアなところを見せている。作品を客観的に分析すれば「お金はないが愛はある」と言えるほど夢想的ではない。

 「格差恋愛」という「評価」は、そんな「負け組」だった裕作と「美貌」のヒロインである響子との立場の「格差」を前提にしているが、実は響子はその「美貌」以外には特に何のとりえもなく、「貧困リスク」さえ抱えている。実際、響子は母親に「あんたみたいに未亡人で若くもなくて、学歴も技術もないわがままな子をもらってくれる男なんて、これから先鐘や太鼓で捜したって、金輪際未来永劫現れない」とまで言われていたように、前夫とは高校卒業後すぐに結婚したために学歴も社会経験もなく、しかもサラリーマンの1人娘なので将来の「親の介護」というリスクを抱えている。漫画の終盤では20代後半にさしかかり、唯一の「利点」であった「顔面偏差値」も怪しくなっている。「一刻館」はいつまで存続できるかどうかわからないほど老朽化しており、大家である前夫の父親(かなり老齢)の死後の生活は極めて不透明である。「格差」と言えるほど裕作に対して優位に立っているわけではないのだ。

 ところで、現在の視点で『めぞん一刻』を読み返すと、雇用問題や「貧困」をめぐる環境の変化が読み取れる。作中で裕作が大学を卒業したのは1985年(この漫画の時間軸設定は雑誌連載時とほぼ一致する)だが、この年の雇用者の非正規率は16.4%で、昨年の33.7%のおおよそ半分である(『労働経済白書』2008年版)。現在新卒で正規雇用に就けないということは珍しくも何ともないにもかかわらず、非正規労働者に対する「差別のまなざし」は依然として厳しいが、当時は量的に今よりもはるかに少数派だったから今以上にみじめで肩身の狭い思いを強いられていたはずである。実際、作中の裕作はアルバイト時代にみじめな姿を響子に見られたくないと悩んでいる。その点で『めぞん一刻』は今日の雇用における「尊厳」社会の貧窮者への「差別のまなざし」の問題を先取りしている。

 一方で裕作は「人とのつながり」には恵まれている。彼の実家は新潟の定食屋だが、店は姉婿が継ぐことになっているため、地元に帰ることができない。しかし、彼の祖母は時々上京するなど常に裕作を気にかけていて、響子との結婚が決まった時も自らの預金を結婚費用として裕作に貸したりしている。裕作は大学時代に教育実習先を「一刻館」の大家に紹介してもらったり、就職先やアルバイト先を大学時代の先輩や友人に紹介してもらったり、変人ぞろいの住人には何だかんだ言って愚痴や悩みを聞いてもらっている。何より女性にもてている。つまり、彼は浪人時代も含めて孤独であったことがない。作中の裕作はホームレスになるかどうかというような瀬戸際までは行っていないが、仮にそうなっても何とかなるのではないかという感じがする。湯浅誠氏の貧困論に従えば「溜め」があるのである。この点は現在の貧窮者との決定的な差である。

 そして最大の問題は、作中の裕作は貧しく不安定な非正規労働者から経済的に自立しうる社会人になり得たが、現在は一度貧困に陥るとそこから抜け出すことが困難であるということだ。裕作は保育士になったが、現在この職業は専門職にもかかわらず、保育所の民営化や外部委託など規制緩和政策のせいで派遣のような間接雇用やアルバイトのような有期雇用が増加し、低賃金(特に派遣はピンハネがすさまじい)で不安定かつ過酷な仕事になっている。介護業界もそうだが、本来公営事業として公費を投入して経営すべき福祉・教育分野に市場原理を導入した結果、これらの分野の労働者は不当に低く扱われるようになった。保育士で食べていけた『めぞん一刻』の時代と現在の相違は、この20年間の労働者の地位低下を象徴している。

 現代は一見、五代裕作のような男性は大勢いて、音無響子のような女性はほとんどいないように見えるかもしれないが(今回の番組欄を書いた人はそう考えて「格差恋愛」と指摘したのだろう)、本当のところは、自分を食わせてくれる都合のよい男をただ待っているだけの音無響子の方こそ大勢いて、貧困から抜け出してまともな仕事にありつき結婚もできた五代裕作の方こそ天然記念物並みの少数なのではないか。『めぞん一刻』は今日ではいろいろと読み替えが必要なようである。
by mahounofuefuki | 2008-07-26 18:18


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