秋葉原の殺人事件について「難民世代」を標榜するブログとして何か書かなければと思ってはいるのだが、何を言ってもウソくさい気がして、うまく論点をまとめることができない。
実際、巷に行き交う言説を通観してみても、「犯人が病気だから」「犯人がオタクだから」といった専ら心理的要因に帰する議論や、犯行の社会的要因を考えようともせずに単に「許せない」と連呼するだけの能天気なもの言いは論外としても、派遣社員としての差別的待遇や解雇通告、ひいては非正規雇用全般の「不安」をもって事件のすべてを説明できるとは私には思えない。それらは事件の重要な引き金ではあるが、犯人が携帯サイトに残した書き込みを読む限り、もっと深刻な自意識の「傷」を抱えているように思う。 岡山の突き落とし事件の時は、金持ちしか上等な教育を受ける機会がないという構造的要因が明確で、それだけに私はすんなりと容疑者の少年に共振できたが、今回の場合、犯人も私もある種の「転落」を経験しているという共通項がありながら、犯人の挫折が実社会に出る前の高校時代における偏差値秩序の中での「敗北」に始まる点や、彼が「自己責任論」を完全に内面化していて、社会に対する憎悪というより、「不細工な自己」という自画像への破壊願望を強烈に抱えている点が、私の鬱屈とは明らかに異なり(私は幸か不幸か学校の成績階級で「下」になったことがなく、何より「自己責任論」を完全否定していて自分を「不細工」などと考えたこともない)、理解を困難にしている。 これが会社の経営者を殺したとか、会社に火をつけたとか、要するに彼を搾取していた企業社会への攻撃だったら、私はおそらく喝采を送っていたかもしれないし、犯行の原因も雇用待遇差別であると断言して、改めて派遣労働を含むあらゆる間接・有期雇用の廃止を訴えることができたが、被害者の中には非正規労働者や無職者もおり、しかも新橋でも丸の内でも六本木でもなく、秋葉原というどう贔屓目に見ても「勝ち組」カラーのない街を「舞台」に選んだことが、この事件をアンダークラスによる階級闘争的な社会的テロとみなすことを躊躇させる。 それでもこの事件が派遣労働の絶望的な実態に人々の目を向ける契機になれば、まだ被害者も浮かばれようが、おそらくまたしても政府やマスメディアや能天気な人々によって論点のすり替えが行われ、ナイフの販売規制とネット掲示板の書き込み規制でお茶を濁し、数ヶ月後には何事もなかったように忘れ去られてしまうのだろう。模倣犯なんて現れたら目も当てられない。「1番目」がダークヒーローになり損ねたのに、二番煎じなんて恥ずかしすぎる。 そして最大の問題は、社会全般に「漠然とした不安」だけが残ってしまうことだ。不安が「漠然」としている限り、すべての人々が平等に自立できる社会への希求にはつながらず、国家という「檻」の中で「羊」として管理されることを望むだろう。その傾向を食い止めるのは非常に難しい。
by mahounofuefuki
| 2008-06-10 20:22
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