「言語論的転回」以後、物事にはtruthもfactもないという考え方が主流になっているようだが、私はその点では保守的であって、実証可能で、すべての人々が共有する可能性を有する確固たる事実と個々のパースペクティヴに規定される解釈との間には、(両者の関係が相対的ではあっても)一線が引かれるべきで、解釈の多様性はあっても、共通認識としての「最も信頼できる真実」が存在しうると考えている。
そして「多様な解釈」も「解釈の土台となる事実」の下敷きがあってはじめて成立するものであって、「捏造した『事実』」を下敷きにした解釈は決して容認しえないとみなしている。もちろん常にそうした厳しい姿勢を貫徹することは実際には難しいし、私自身も必ずしもできていないことは当ブログのこれまでのあやふやな記述が示している通りだが、少なくとも「解釈」で「事実」を歪めるようなことはしないという意思は持っている。 藤沢市の中学校教師が授業で9・11テロを「自作自演」と発言した件について、藤沢市教委の学校教育課長は「教諭本人は、物事の見方は一つじゃない、と説明する例」として挙げたとフォローしているが(毎日新聞2008/06/05朝刊)、「9・11自作自演」説は「解釈の土台となる事実」さえ否定している以上、「物事の見方」以前の「1+1=3」というような話で、公教育においてこれをまともに取り上げるのは「ウソつき」の誹りを受けるのを避けられない。 今回、たまたま問題が9・11陰謀論だったから表面化したが、この種の事例はたくさんあるだろう。「明治維新は無血革命だ」とか「ホロコーストはなかった」とか「南京大虐殺はまぼろし」とか「真珠湾攻撃はアメリカが仕組んだ」とか「沖縄の住民は自らの意思で集団自決した」といった「偽史」を振りまいている歴史改竄主義派の教師はかなりいるし、「血液型で性格がわかる」とか「ゲーム脳の恐怖」とか平気で教えている教師はさらに多いだろう。今回の教師が保護者に謝罪したのなら、そんな連中はみな同様に謝罪しなければならなくなる。 一見たいした事件ではないが、「陰謀論」の根深さと浸透ぶりが改めて明らかになったという点で重要である。
by mahounofuefuki
| 2008-06-05 17:19
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