平沼赳夫衆院議員の新党構想が話題になっている。
私は「政界再編」には全く期待していないし、ましてや平沼氏のような歴史改竄主義者にして極端なレイシストを許容することもできないので(なにしろ皇室典範改正議論の時に「愛子さまが『青い目の外人』と恋に落ちて結婚し、その子が天皇になってもいいのか」と発言するような二重・三重の意味で無茶苦茶な差別主義者だ)、そんな新党などどうでもいいのだが、興味を引かれたのは新党の名前を「侍(サムライ)」にするというくだりである。 この話で真っ先に思い出したのは氏家幹人氏の『サムライとヤクザ』(筑摩書房、2007年)という本である。中世から近代までの「武士道」の変遷を豊富な史料で跡付けた本だが、それによれば「武士道」の本質は自己の「男らしさ」を貫くことであり、近世初期までは「男伊達」「かぶき」などの表層に現れていたが、幕藩体制が文治主義へ転換していく中でそれらが「逸脱」として公儀の弾圧を受けるようになると、実際の武士=サムライにとって命を賭けても「男らしさ」を貫くことはむしろ御家を危うくするものとさえ捉えられるようになった。 一方で、武士が失った戦闘的で刹那的な「男らしさ」は、大名や幕臣に雇われた駕籠かきなど町人階級の「荒くれもの」に受け継がれ(氏家氏はこれを「武威」の下請けと位置づけている)、さらには盗賊や博徒に広がっていく。近世も後期になるとむしろ武士の側が、そうした「荒くれもの」への「引け目」を感じるようになり(たとえば川路聖謨は盗賊の「男らしさ」を称賛していた)、それが近代以降の「武士道」の誤認と礼賛の前提となるという。この系譜が「男」であることを何よりも重んじる「任侠道」や「ヤクザ」へと連なる。 平沼氏は「ブレない政治家」を永田町に送りたいと言ったそうだから(スポニチ2008/05/12)、彼の想定する「サムライ」は、紛争やもめ事を敬遠し「空気」を読むことを重視した現実の武士とは不適合である。むしろ彼が過剰なまでに信仰する「サムライ」像は「ヤクザ」の方に受け継がれているのである。 そうとなれば、新党「サムライ」はいっそのこと新党「ヤクザ」と名乗るべきだろう。平沼氏や彼に近い政治家たちの女性差別、民族差別、戦争賛美などに彩られた言動は、下手な「ヤクザ」よりも暴力的で威圧的である。「サムライ」より「ヤクザ」の方がよほど彼らの目指す「男」の姿に近いと思うのだがどうだろう。 とはいえ実際には今や「サムライ」も「ヤクザ」も、「ニンジャ」や「ゲイシャ」と同じように、欧米の「偏向した日本像」に消費されるキャラクターでしかないのも事実。「Samurai Party」と英訳された時、国際的にどういうまなざしを受けるかを考えれば、新党「侍」という党名の浅はかさは容易に浮き彫りになるだろう。 【関連リンク】 筑摩書房 サムライとヤクザ -「男」の来た道 / 氏家幹人 著 http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480063816
by mahounofuefuki
| 2008-05-12 15:36
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