私は実に幸運なことに幼稚園、小学校、中学校、高校、大学のいずれにおいても入学式や卒業式で「日の丸」への拝礼や「君が代」の斉唱を強要されることがなかった。
私が中学生くらいまではまだ教職員組合に一定の力があり、「上」からの締め付けも今ほどではなかった。高校の時には地元の公立校のほとんどが「日の丸」を掲揚し、「君が代」を演奏するようになっていたが、私が通っていた学校では校長が教育委員会の圧力に抗して「日の丸」を式場に掲揚せず、「君が代」も演奏させなかった(校長はキリスト教徒だったらしい)。大学は私立で校旗や校歌の方を重んじ国旗や国歌を歯牙にもかけない校風だったし、社会人になってからも「日の丸」「君が代」と全く無縁である。 そんな私からすると、重要な公的行事で「日の丸」が掲揚されたり、「君が代」を起立して斉唱する光景は非常に奇異に映り、まるで朝鮮のマスゲームで「金正日将軍万歳」と歌っているのと大差ないように感じる。1999年の国旗・国歌法施行後、「日の丸」「君が代」の強制はどんどん進んでいるが、一般の人々は本当に「日の丸」「君が代」に疑問を持っていないのだろうか。 共同通信(2008/03/31 19:33)によると、東京都教育委員会は今年の公立校の卒業式で「君が代」斉唱時に起立しなかったなどの理由で、教員20人をそれぞれ停職・減給・戒告に処した。この中には5回目の処分となる南大沢学園養護学校の根津公子教諭も含まれる。根津さんは昨年に続き停職6か月という重い処分だが、懲戒免職も取り沙汰されていただけに、彼女への熱心な支援活動が都教委にプレッシャーを与えたと言えよう。 ただ、こうした処分が毎回重なることで、生活を賭けてまで抵抗することができない人々との分断が進むのも事実で、根津さんの存在自体がいわば見せしめとして同調圧力の道具になるという一面は否定できない。多くの人々は「日の丸」「君が代」の来歴を学ぶ機会もなく、何だかよくわからないけどトラブルは面倒なのでとりあえず歌っておこう、という消極的な理由で「君が代」を歌っていると思われるが、この「何だかよくわからないけど」ということこそ「国家の奴隷」の第1歩であり、どんな理不尽な命令にも唯々諾々と従う前提となる。 「日の丸」も「君が代」も古来存在したわけではない。日本の伝統どころか、むしろその歴史はかなり浅い。 「日の丸」が国旗として法制化されたのは、1870年の郵船商船規則(太政官布告57号)と海軍御旗章国旗章並諸旗章(太政官布告651号)が初例で、しかも前者は寸法が縦横比7:10で旗面の丸が竿側に少し寄っていて、後者は寸法が縦横比2:3で旗面の丸が中央にあるという違いがあり、その後長らく両者が併存した。これが統一するのは何と1930年まで下り、文部次官の照会に対する内閣書記官長(現在の内閣官房長官に相当)の回答は前者の太政官布告57号を妥当とした。 ところが、1999年の国旗・国歌法では太政官布告57号の廃止を明記し、寸法と赤丸の位置は651号の方を採用している。この事実が意味するところは、「日の丸」を明治以来一貫した国旗だと考えている向きには悪いが、「日の丸」はその基本デザインからして一定せず、非常にあやふやな代物だということである。この問題はほとんど取り上げられることはないが、特に赤丸の位置の相違はそれぞれ思想的根拠も異なり、本来簡単には決定できないはずである。 一方、「君が代」は当初イギリス人の曲を用いていた。また1882年刊行の『小学唱歌集』の「君が代」はやはりイギリスの古い民謡が原曲で、これは1900年頃まで歌われていた。日本の国歌であるはずの「君が代」の出発点は外国人の作曲だったのである。 現行の「君が代」は1880年に宮内省雅楽課の林広守が作曲した(とされる)ものだが、これも長い間、調性やテンポやブレスが一定していない。1891年文部省学務局長が通知した「祝祭日用歌詞及楽譜」ではハ調と定めていたが、その後も実際の歌唱では歌い手によってバラバラであった。「君が代」のスコアが最終的に確定するのは、これまた1936年まで下り、『文部省撰定 祝祭日儀式用唱歌』でようやく現行の楽譜になった。 以上のように「日の丸」も「君が代」も本格的に国旗・国歌として確立するのは15年戦争期になってからで、日本の伝統でも何でもないのである。また歴史が浅いだけに両者とも侵略戦争と密接な関係にある。国際的には依然として「日の丸」はドイツ・ナチスの「鉤十字旗」と同類の専制イメージを持つ人も少なくない。 実際、「日の丸」の赤丸は日本や天皇を象徴し、日本や天皇が世界の中心であるという思想を表しているとされる。「君が代」の歌詞はどう読んでも「天皇の支配の永続」を願っていると解釈するほかない。戦争と専制に彩られた「日の丸」「君が代」が民主国家のシンボルとして相応しいだろうか。 「日の丸」「君が代」については戦後長らく、国旗・国歌を利用した民衆の奴隷化を目論むパワーエリートや頭の悪い右翼を除いて、「正直ダサい」というイメージが潜在していた。「日の丸」の白地に赤丸という単純なデザインはともかく、「君が代」のあの沈鬱なメロディはあまり受け入れられているとは言えなかった。 ところが、今や「ダサい」と言うのも憚れる世の中になってしまった。権力による強制で若い世代ほど「日の丸」「君が代」に疑問を持たなくなっている。プロ野球やプロサッカーの試合の度に「君が代」は演奏されるが、最近はすっかり起立して斉唱しなければならない雰囲気が醸成されてしまっている。私は今でも「『君が代』なんてカッコ悪い歌なんか歌えねーよ」と放言しているが、顔をしかめられることが多くなった。 「日の丸」「君が代」の強制は、中華人民共和国がチベットなどで五星紅旗を押し付けているのと全く同じだということに気づかなければならない。私は日本が多種多様な文化の共存する国であって欲しいからこそ、「日の丸」「君が代」を踏み絵のように使うことに抵抗する。 *本稿執筆にあたり、籠谷次郎「日の丸・君が代」(原武史、吉田裕編『岩波 天皇・皇室辞典』岩波書店、2005年)を参照した。ただし、文責が当ブログ管理人にあることは言うまでもない。 【関連リンク】 国旗及び国歌に関する法律-法令データ提供システム
by mahounofuefuki
| 2008-03-31 22:53
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