人間の記憶のキャパシティには限界があるので、たくさんのことに関心を持続することは難しいし、忘却してしまうことも多々ある。次々と新しいニュースが登場することで、「古い」ニュースは書き換えられ、私たちの脳裏から消えていく。「ロス疑惑」の話が唐突に出てきた時に、在日米軍基地問題やイージス艦の事件が霧散してしまうのではないかという危惧を抱いた人々が少なくなかったが、そうした危惧を抱くのは、人間が複数のニュースに強い関心を寄せることが難しい事実を知っているからである。
たかだか数週間前の出来事でさえそうなのだから、本当に「古い」出来事ならばなおさらである。 私は今朝新聞を読むまで、昨日3月1日が3・1独立運動の記念日であったこと、さらにビキニ環礁で第五福竜丸が被爆した日(ビキニデー)であったことをすっかり失念していた。知識として問われればいつでも答えることができる事柄でも、普段は記憶の片隅に追いやられていることを改めて自覚し、戦慄を覚えた。 念のため説明すると「3・1独立運動」とは、1919年3月1日に、日本統治下の朝鮮で朝鮮民族代表による独立宣言が発せられたのを機に、朝鮮半島全土に広がった独立運動で、日本帝国主義の植民地支配に対する韓国・朝鮮の抵抗の出発点となった運動である。もう一方の「ビキニデー」とは、1954年3月1日に、アメリカがマーシャル諸島ビキニ環礁で行った水爆実験により、日本の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が危険指定区域外で操業していたにもかかわらず被爆したことから名付けられ、この事件を機に原水爆禁止運動が本格的に始まった。 いずれも単なる「過去の話」ではなく、すこぶる現代的な課題とリンクしている。3・1独立運動はいまだ日本に根深い韓国・朝鮮に対する侮蔑意識と排外思想の克服を問うているし、ビキニ被爆事件は今も続く核兵器の恐怖とアメリカ国家の「無法と横暴」を示している。決して忘却できない出来事である。 3月1日は韓国・朝鮮では祝日で、国家的行事も催されるが、日本では全く軽視されている。それは今も多くの日本人が植民地主義的思考に拘束されていることを意味する。日本軍の武力弾圧により殺された3・1独立運動の死者を日本人が公的に追悼しない限り、「帝国日本」を克服することはできないだろう。 また、ビキニデーは日本にとって広島、長崎に続く3度目の被爆経験である。それにもかかわらず、日本国家は事件当時からアメリカに賠償を求めることもせず、わずかな慰謝料だけで強引に幕引きを図った。「軍」が「民」を押しつぶした典型的事件であり、最近の在日米軍による犯罪や米軍再編に伴う騒音被害、またイージス艦の事件にも通じる。 忘却を反省しつつ、1日遅れではあるが「3月1日」の意味を熟慮したい。過去を現在に生かすことにこそ歴史を学ぶ意味がある。
by mahounofuefuki
| 2008-03-02 13:42
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