《2007/10/23 改稿》
《2008/04/12 一部削除、改行》 靖国神社は17日から20日まで、恒例の秋季例大祭を行った。 18日の「当日祭」には全国から靖国関係者・支持者が参集し、天皇の「勅使」も例年どおりやって来た。そんな「当日祭」の日に、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」所属の議員67人が靖国神社を参拝した。 当ブログではこれまで靖国問題について書いたことがなかったが、この機会に靖国神社の何が問題なのか私なりに整理し、私の靖国問題に対する立場を明示したい。 現在、靖国問題と言えば、もっぱら「首相の公式参拝」の可否をめぐる議論になっている。 戦争を直接体験し、身近に戦没者が大勢いた高齢者は、靖国問題をあくまで戦没者追悼のあり方をめぐる議論として捉えている場合が多いが、戦後生まれの人々の多くは、靖国問題を対外関係、特に韓国・中国との関係の文脈で語りたがる傾向が強い。 その結果、「首相の参拝」に賛成する側は、韓国や中国に言われて参拝をやめるのは内政干渉だからという理由で参拝を支持し、反対する側は、韓国や中国との関係を良好にするためという理由で参拝を支持しない。 しかし、靖国問題を外交問題として捉えると、逆説的な問題に突き当たる。 つまり、もし韓国や中国が靖国参拝に何も言わなくなれば、対外関係を理由に参拝を支持した人々は、別に参拝を支持する理由はなくなる(正確には参拝して韓国や中国の人々が嫌がる姿を見て「日本人」としての自尊心を確認する楽しみが消える)。一方、参拝に反対する人々は、参拝しても韓国や中国との関係が悪化しなければ、参拝に反対する根拠を失う。 要するに靖国問題を外交問題として考える限り、靖国神社の本質とは何なのか、あるいは日本に住む個々人にとって靖国神社とは何なのか、まったく見えてこないのである。 やはり靖国問題はあくまでも戦没者追悼の問題として、ひいては戦争の歴史に対する認識の問題として捉えるべきなのである。 対外関係というファクターを取り除き、「一般の日本人」にとって靖国神社とは何なのかを考察すると、4つの要点にまとめることができる。 第1に、靖国神社は「天皇のために戦争で死んだ人々」を「顕彰」する施設である。 靖国神社は原則として日本軍の軍人・軍属の戦死者・戦傷病死者を祀る神社である。外国人(日本軍の軍人・軍属だった旧植民地出身者を除く)や民間人は祀られていない。その基準は「天皇のために戦ったかどうか」である。たとえば戊辰戦争の場合、政府軍の戦没者は靖国神社の祭神になっているが、旧幕府軍の戦没者は今も含まれていない。あるいは軍人でも、たとえば敵前逃亡など軍法に違反して処分された人は含まれない。 そして靖国神社の特色は、合祀した祭神を「天皇のために死んだ忠臣」として誉め称えるところにある。「天皇を護るためによくぞ死んでくれた」「天皇のために死んでくれてありがとう」という立場なのである。間違っても、国家が彼らを犬死させたという認識はない。 第2に、靖国神社は日本の戦争をすべて「正しい戦争」と認識している。 靖国神社の戦争観は、究極のところ「天皇の名で行われた行為」は絶対に正しい、天皇の命令は無謬であるということを前提にしている。 たとえば日露戦争を正当化するステロタイプな論理は、「朝鮮半島をロシアが領有すれば日本の安全保障が危うくなるから開戦せざるをえなかった」とか、「当時の韓国(大韓帝国)は自力で独立を維持する力がなかったから日本が近代化してやった」といったものである。靖国神社もそうした論理を支持してはいるが、それらの論理はあくまで「補強材料」にすぎず、究極的には戦争を正当化する論理がまったく無くても、「天皇に間違いはない」という価値観であらゆる言説を超越してしまうのである。 靖国の立場に立てば「天皇をいただく特別な国」である日本の戦争は侵略戦争でありえず、日本が何をやっても正当化してしまうのである。 第3に、靖国神社は神道の宗教施設である。 靖国神社は現在、宗教法人である。大日本帝国下では、国家神道はすべての宗教を超越した「国家の祭祀」であったが、戦後の神社神道はたくさんある宗教の中の1つにすぎない。戦前の靖国神社は特に軍が管理し、軍人が宮司を務める軍事施設という性格を有していたが、現在は単なる宗教団体である。 占領期に、靖国神社を非宗教化することで「国家の戦没者追悼施設」として存続する動きがあったが、靖国側は「国営施設」であることよりも「宗教施設」であることを選んだ。つまり、靖国神社は国家の保護を失ってでも、宗教性を維持することに固執したのである。 ただし、一法人になったはずの靖国神社だが、実態は戦後も政府がさまざまな便宜を図っている。1956年に厚生省は引揚援護局長名で「靖国神社合祀事務に対する協力について」という通牒を発し、戦没者の身上事項の調査や遺族への合祀通知を国の負担で行うことを指示しており、以来現在まで続いている (赤澤史朗 『靖国神社』 岩波書店、2005年)。政府の靖国神社への協力行為は、軍人恩給事務とリンクしており、依然として靖国神社が実質的には国家の影響下にあることを示している。 第4に、靖国神社は戦没者ではない戦犯を「昭和殉難者」として合祀している。 第1の要点として靖国神社は戦死者・戦傷病死者だけを祀っていると述べたが、例外は東京裁判をはじめとする戦犯裁判の戦犯たちである。特に東京裁判のA級戦犯は「昭和殉難者」として、1978年に合祀された。言うまでもなく、戦犯は刑死者や獄死者であって戦死者ではない。それにもかかわらず戦犯の死を「戦死」と扱うのは、靖国神社が東京裁判を不当なものと認識し、裁判の結果としての処刑を、戦場での「敵」による殺害と同等に考えているからである。 日本政府は、サンフランシスコ講和条約で東京裁判の判決を受諾している。正確には判決を受諾することが講和の条件だったのだが、いずれにせよ日本政府は公式には東京裁判の正当性を否定していない。しかし、一方で東京裁判を「勝者の裁き」とし、日本の戦争犯罪を否定して正当化する言説が、終始日本政府を構成するエリートたちから発せられている。いわばホンネとタテマエの使い分けが、戦犯を「殉難者」として美化する力学を形成しているのである。 以上の4点を踏まえて、靖国問題について私見を述べると、次の通りである。 第1に、さまざまな戦没者の中で、軍人・軍属の戦死者だけを特権化し、民間人の戦没者を軽視するのは、戦没者の中に差別を持ち込む行為であり、極めていびつである。しかも国家の不当な政策の責任を無視して、戦死を顕彰するなど、死者への冒涜でしかない。国家が言うべき言葉は「死んでくれてありがとう」ではなく、「くだらない国策のために死なせてしまって申しわけありません」である。 第2に、日本の戦争に限らず、あらゆる戦争はすべて害悪である。民衆にとって、侵略戦争だろうと自衛戦争だろうと、戦争は戦争である。ましてや近代の日本の戦争は、すべて他国の領土に侵攻した侵略戦争である。その一点だけで戦争の不当性の証明は十分である。 第3に、憲法は政教分離を定めており、国家が特定の宗教を保護してはならない。政府が特定の宗教のために国費を支出することは、信教の自由を侵害している。自分が信仰していない宗教に税金が使われるのを許すことはできない。 第4に、東京裁判は「勝者の裁き」で正当性に疑念があるが、それが事実としての戦争犯罪を否定するものではない。裁判が不当だから戦争犯罪もないことにはならない。A級戦犯の多くは日本の主権者の立場からも戦争犯罪人であり、東京裁判の本当の不当性は、戦争犯罪の追及が極めて不十分で、多くの戦犯に列すべき犯罪者を野に放ったことである。 要するに、靖国神社は普遍的な戦没者追悼施設には絶対になりえない。 A級戦犯を分祀しようが、首相が参拝を中止しようが、韓国や中国が靖国参拝に何も言わなくなろうが、日本の主権者として靖国神社の現在のあり方を決して認めることはできない。 靖国問題の解決には、すべての戦没者を追悼して平和を祈願する無宗教の公共施設の建設が必要である。同時に政府は靖国神社への協力・支援を一切中止しなければならない。宗教法人法を厳密に適用し、宗教団体としての活動を逸脱する場合には厳重な処罰が必要であることは言うまでもない。 【関連リンク】 JanJan 靖国参拝問題リンク集
by mahounofuefuki
| 2007-10-19 21:21
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