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いいかげん「キャラの立つ指導者」に期待してはならない

 麻生太郎首相の失態が続いている。「給付金」の迷走、国会答弁等での相次ぐ漢字読み間違い、これまでの政府の医師数抑制政策を無視して医師不足を医師側に転嫁した上に中傷した放言、PTAの親たちを前に当の親を侮蔑した発言、道路特定財源の地方交付税化をめぐる二転三転。元々首相就任前から無責任な「思いつき」と失言・妄言・暴言の類が多いことで知られていたのだから、今さら驚くことではない。すでに就任直後に、集団的自衛権行使を容認する発言をしたり、国会の所信表明演説で「臣」を自称するアナクロニズムを発露していたくらいで、失態が今になって際立つようになったのは、単にこれまで麻生批判を抑えていたマスメディアの「風向き」が変わったからにすぎない。

 今週発売の『週刊新潮』『週刊文春』がともに麻生首相を嘲笑する見出しをトップに持ってきたのは象徴的である。保守系週刊誌でさえ麻生氏を見限ったということである。やはり右傾色の濃いJ-CASTも今日麻生氏を「満身創痍」と突き放す記事を配信した(*)。元来自民党内の支持基盤の弱い麻生首相にとって、頼みの綱は大衆の「人気」と保守的ナショナリズムであったが、前者は「自爆」としか言いようがない失態の連続で名実ともに色あせ、後者は政権維持のためには戦争責任に関する「村山談話」を継承し、「トンデモ空幕長」田母神俊雄氏を更迭し、国籍法改正の既定路線を許容するほかなく、それが結果として的外れな「期待」を麻生氏に寄せていた右翼層の鬱屈を高めている。麻生内閣は早くも「末期症状」の気配すら漂っている。
 *J-CASTニュース:「読み間違え」「軌道修正」「失言」 麻生首相の「満身創痍状態」
  http://www.j-cast.com/2008/11/21030808.html

 明らかに首相として不適格だった麻生氏がその座に就けたのは、自民党にとって「選挙の顔」になるというただ1点のためであった。つまり麻生氏の自己演出が大衆の求めるリーダー像にマッチしていたと(少なくとも自民党内では)考えられたのである。実際福田内閣の時分においては、世論調査では麻生氏は小泉純一郎氏と並んで人気は高かった。その理由も「実行力」「指導力」が期待できそうというもので、「果断で改革に邁進し、大衆が嫌悪感を抱くものと闘う指導者」像が仮託されていたのである。そして、輿望を担って首班の座についたが、麻生氏は大衆の期待には全く応えることができなかった。

 ここで問題になるのは、そもそもこの国のマジョリティが望む「果断で改革に邁進し、大衆が嫌悪感を抱くものと闘う指導者」というものが、実は当の大衆にとって利益をもたらさないという事実である。

 人々は小泉純一郎氏に腐敗した既得権益の解体に果断に取り組むことを求めた。しかし、その結末は「庶民の既得権益」の破壊であり、もともと十分ではない社会保障を崩壊させ、大企業と富裕層への利益供与を増しただけだった。次に人々は安倍晋三氏に果敢な指導力を期待した。なるほど安倍内閣は憲法改定のための国民投票法や改定教育基本法を暴力的に強行した。それはある意味大衆が望んだ「抵抗勢力と闘う実行力」の発露ではあったが、それは大衆の生活に何ら寄与するものではなかった。しかも、当の安倍氏は「坊ちゃん」の馬脚を現し、自己を「強い指導者」として偽ることに心身が持たず、壊れてしまった。もうキャラクターに惑わされるのに懲りたと思いきや、今度もまた麻生太郎氏に「何かを壊してくれる実行力」を求めた。その間、一向に大衆の生活は良くならず、むしろ苦しくなる一方である。

 いいかげん学習しなければならない。話す内容や過去の政策・政治行動を無視して、単に表層的に「面白い」「かっこいい」というイメージで指導者を選ぶととんだしっぺ返しを食らうことを。口のうまさや見た目の威勢の良さは一般の人々には何ら利益をもたらさないことを。「強い指導者」がスケープゴートとして用意した「イヤなやつ」をいくら攻撃しても、自分が救われることはないことを。「麻生」という偶像は倒れたが、懲りずにまたしても似たような「目立つキャラ」に期待しても、必ず裏切られる。キャラではなく、話の中身と具体的行動から「自分の生活上の利害を代弁しうる者」を模索することが何よりも有権者に必要なことである。

 以前言及したように、麻生内閣は失政が続いても延命する力学が働いている。しかし、それも次の衆院選までで、今後政権が迷走を続ければ、自民党は形振り構わずまたしても首をすげ替えることもありえよう。奇しくも今日、その伏線が報道されている。

 東国原知事:国政転身の条件は「初当選、初入閣」・・・講演で(毎日新聞2008/11/21 19:40)*web魚拓
 http://s04.megalodon.jp/2008-1121-2246-14/mainichi.jp/select/today/news/20081122k0000m010051000c.html

 「なるからには閣僚か、トップ(首相)です」と野心を包み隠さないタレント知事。総選挙が延びるほど彼の衆院選出馬、首班候補擁立の可能性は高くなるだろう。非議員で党首となり、衆院当選1回で首相になった細川護煕という先例もある(そう言えば細川氏も知事だった)。この国の大衆はまた同じ失敗を繰り返すのか。いいかげん懲りて、じっくり政策を見極める目を持てるか。長らくふざけた状態が続く日本の憲政の正常化の試金石は、キャラクターを売りにする政治家を拒絶できるかどうかにかかっている
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by mahounofuefuki | 2008-11-21 23:11

失政が続くほど政権が延命するという問題

 麻生内閣が経済対策として打ち出した定額給付金をめぐる右往左往が話題である。すでに多くの人々が指摘しているように、一時的な給付では景気刺激策としても救貧策としても効果に乏しく、消費税増税への地ならしを兼ねた選挙向けパフォーマンスであることはもはや疑いない。今日の報道では、給付にあたって立法措置を採らず、所得制限を含め市町村に委ねるということだが、そもそも給付の具体的方法(銀行振込?窓口申請?)や交付形式(市町村ごとに補正予算を組むのか?)がいまだはっきりしておらず、本当にやれるのかさえ不透明である。

 今回の給付金に対しては、当初よりかつて小渕内閣が実施した「地域振興券」になぞらえる見方があったが、市町村「丸投げ」となると、むしろ竹下内閣の「ふるさと創生」の1億円バラマキを思い出す。これはもはや経済政策ではない。いずれにせよ、このような混乱ぶりでは実際の給付時期は延びるかもしれない。選挙対策である以上、給付時期が延びれば、それだけ総選挙も先送りされることになる。

 どうも最近の麻生首相を見ていると、総選挙をどうにかして先送りすることを何よりも優先し、すべてそれに合わせて行動しているような気がしてならない。今国会冒頭の解散に失敗して以降、常に政治的スケジュールを埋め、あえて選挙に不利な消費税増税をことあるごとに強調し、あたかも選挙で自民党に不利な状況を作ることで、与党内の早期解散要求を封じているかのようである。もともと「選挙の顔」を期待されて首班に擁立された以上、麻生氏が政権の延命を図るためにはその選挙を先送りするほかない。

 わざと混乱させているということはないだろうが、経済対策の実施方法をめぐるゴタゴタが長引けば長引くほど、政権に対する世論の信用が低下するリスクを負う一方で、選挙先送りの「口実」ができて、結果として政権そのものは延命する。麻生氏にとっては総選挙後も首相のイスに座れるという成算がない限り(自公で衆院「3分の2」を維持するか、議席数で「自公」>「民公」となり自民党主導で民主党を連立に加える状況になるか、のどちらか)、解散には踏み切れない。そしてその成算はいまだない。となれば少しでも長く首相でいたかったら、ひたすら選挙を先送りするしかないのである。失政が政権を生きながらえさせるというのは皮肉である。

 失政のツケを払わされることを考えれば、主権者にとってはハタ迷惑でしかないが、残念ながらこれが現実である。与党が衆院で3分の2以上ではなく単なる過半数だったら、昨年の参院選直後の時点でとっくに解散になっていたことを考えると、いかにあの「郵政選挙」が呪うべきものだったか、今こそ痛感させられる。
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by mahounofuefuki | 2008-11-12 21:45

小泉純一郎引退に思うこと

 元首相の小泉純一郎氏が次期衆院選に立候補せず、引退する意思を表明したという。

 実は第一報を聞いた時、頭によぎったのは、子息のタレント小泉孝太郎氏を神奈川11区の後継に据え、次期総選挙の「目玉」として「劇場」のキャラクターに仕立てる作戦の布石なのではないか?と疑ったのだが、時事通信(2008/09/25 19:15)によると、後継者は子息は子息でも二男の小泉進次郎氏だそうなので、私の疑念は単なる思い過ごしだったようだ(とはいえ4代続けて世襲とは本当にこの国の選挙区制は腐りきっている)。

 今のところネット上の反応を見る限りでは、小泉政権が推進してきた「構造改革」路線が破たんし、先の自民党総裁選では小泉氏が支持した小池百合子氏は思ったほど集票できず、もはや自民党内にも居場所がなくなり「逃亡」した、というような見方が多いようである。キャラクターとしての人気は依然高いとされる小泉氏だが、総裁選で存在感を全く示せなかったように、もはや貧困・格差・不況に喘ぐ日本社会において、彼の政策と手法が受け入れられる余地がなくなりつつあるのは確かだろう。小泉氏の「退場」は、ある意味自公政権が推進した新自由主義「急進」路線の終焉を象徴している。

 とはいえ、まさに小泉政権によって生活の安定と希望を奪われた者としては、このまま「逃げ得」を許すこともできない。小泉政権の悪行の数々の総括は必要だし、小泉氏に対する政治責任の追及の場も必要である。議員も引退してオペラ三昧なんて悠々自適を許容する気には全くなれない。引きずり出して地獄の劫火で苦しめてやりたいというのが本音である。
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by mahounofuefuki | 2008-09-25 20:39

私の過去の選挙遍歴

 政界やマスメディアではすっかり早期の衆院解散の流れになっていて、実際には解散は先送りになるだろうとみている私の当ては今のところ分が悪いようである。もともと早く解散して欲しいと思っているので、私の予測など外れても一向に構わないのだが、解散権は首相にある以上、依然として一寸先は闇であり、臨時国会冒頭解散とか11月投開票とか自民党支持率急上昇といった報道を鵜呑みにするのも問題だろう。

 ところでこの機に、これまでの私の各種選挙における投票行動の遍歴を紹介したい。個人的な投票行動を他人に明かすなどもってのほかという批判もあるだろうが(その辺は匿名言論ということでご容赦を)、これまでの弊ブログの主張から読者は、私が全く戦略性も考えず、負け戦ばかり続けていると思われているかもしれないので、この際はっきりさせたいと思った次第である。選挙戦が本格化したらこういったことは書きにくくなるので、今のうちに書いておきたい。

 選挙権を得てからまだ10年ほどなので、それほど多くの選挙を経験しているわけではない。なお一応これまで国政・地方問わず全ての選挙で投票権を行使している。一度などは転居後すぐに国政選挙があって、旧住所の選挙区で投票しなければならなかったのだが、その時は新住所の選管まで出向いて、そこから旧住所の選管への郵送による不在者投票を行ったくらいである。とはいえ選挙に熱意があったわけではなく、1票でどうかなるとは今も全く思っていないし、そもそも議会制民主主義というシステムを信奉してもいないのだが、使える権利は行使しないともったいないという貧乏性が、毎回投票所まで足を運ばせる動因だったりする。

 衆院・参院の比例代表、参院選挙区、都道府県議会、市町村議会の選挙では、これまで全て日本共産党及びその公認・推薦候補に投票している。「やっぱり」という声が聞こえてきそうだが(笑)、この10年共産党との心理的距離は必ずしも一定だったわけではない。共産党支持なんて公言しようものなら進学や就職や人間関係で不利になるのは決まり切っており、完全に隠していた時期もある。実際、直接・間接ともに共産党そのものとは無関係であり、常に違和感を持ちながら支持していたのも事実である(だからいつも「期間限定」の支持と言っている)。なお勝率は市町村議会が全勝、後は五分五分というところ。

 問題は残りの衆院小選挙区、都道府県知事、市町村長であるが、これら「当選者1人」の選挙ではその時々の候補の組み合わせによって、臨機応変の行動をとってきた。誤解している人もいるかもしれないが、私はいつも共産党ばかりに投票していたわけではない。

 まず都道府県・市町村の首長選。自民・民主など各党「相乗り」対共産系の場合は問答無用で共産系候補に投票してきた。また「相乗り」対保守系無所属の場合も何度かあったが、「相乗り」が圧倒的に強くてどうにもならなかった時は、無効票を投じた。「相乗り」と保守系無所属が接戦だった時は、その保守系無所属候補の公約のある1点が高く評価できたので、あえて投票したことがある(そして当選しその公約は守られた)。自民・公明、民主・社民、共産の三つ巴の場合も何度か経験しているが、民主系が高級官僚出身で自民系候補とどっちもどっちだった時は、捨て票になるのがわかっていて共産系に投票した。民主系が個人的にも見知っていた護憲派弁護士だった時は、迷わず民主系に投票した(が敗れた)。

 そして当面の課題であろう衆院小選挙区。自民党のタカ派と民主党の旧社会党系と共産系の三つ巴だった時は、民主党による「落選戦略」(本当に当時地元の連合系労組がそう言っていた)に乗って、民主党候補に投票し、自民党のタカ派有力者を落選させるのに協力したことがある。ただし、同じ三つ巴で、それも民主党の候補は旧社会党系だったにもかかわらず、自民党候補が下馬評から弱く、しかもその民主党候補が特に支持できるような人でもなかった時は、共産系に捨て票を投じた。また、民主党の候補が「新しい歴史教科書をつくる会」と関係しているような輩だった選挙区に住んでいたこともあって、その時は無効票を投じている。ちなみに、これまで私が経験した衆院選すべてで、私の居住選挙区(複数)では民主党が全勝している(!)。

 このように、場合によっては民主党の候補に投票することもあったのである。一応は「戦略的」な選挙行動をとっているのである。その決め手はやはり候補間の「立ち位置」にある。次期総選挙で私が「民主党への政権交代」を期待せず、とりあえず共産党の議席を躍進させる必要があると唱えているのも、要はいかにして新自由主義路線を廃棄させ、貧困解消政策を引き出させるか、という問題意識から「戦略的」に導き出された結果である。今日も民主党の一部議員が国会議員削減を公約に入れるとかほざいていたみたいだが、そういう「小さな政府」路線を続ける限り、仮に民主党が政権を獲得しても「自民党より悪くなる可能性」は常在するだろう。保守政治に本当に対抗できる勢力を育成することが、主権者意識の高い有権者に求められている。
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by mahounofuefuki | 2008-09-08 23:13

「1票の格差」を是正し、「世襲議員」を減らすには比例代表制しかない

 私が「何はともあれ(政策転換がなくても)政権交代」という考え方に抵抗感を抱く要因の1つに、1990年代の政権交代が結果として小選挙区制の導入につながった苦い記憶がある。リクルート事件以降の「政治改革」議論の核心は政界の金権体質の綱紀粛正であり、そのためには企業・団体の政治献金を全面禁止することが必要だったのに、細川連立政権はこれを衆議院の選挙制度改革にすり替え、現行の小選挙区比例代表並立制を導入した。当時まだ10代の少年だった私は、小選挙区制の方が選挙にカネがかからず、安定した保革二大政党制の道が開けるのではないかと漠然と考えていたが、その考えが全く間違いであったことは今や誰の目にも明らかである。

 今日の視点から振り返れば、小選挙区制こそが自民党の政権復帰と延命を可能とし(自民党はこの間得票率では過半数に至っていないのに)、社会党の解体を促進し、公明党が自民党と一蓮托生の関係となることを手伝ったと言えよう。それだけにもはや誰とは言わないが、当時「世界標準」の二大政党制を目指すと称して小選挙区制を推進した人々が、今また「政権交代を!」と叫んでも私は心を動かされないのである。特に現在の民主党の中枢を占める人々―小沢一郎、菅直人、鳩山由紀夫各氏ら―は、いずれも細川政権で小選挙区制導入を推進した「前科」がある。社民党は後に当時の判断の誤りを認めたが、小沢氏らは今も小選挙区制にしがみついている。

 共同通信が今年3月現在の国政選挙における「1票の格差」の試算を公表した。それによれば衆院小選挙区の「格差」は最大で2.277倍で、昨年より0.063ポイント拡大したという。参院選挙区の「格差」は最大で4.868倍で、これも昨年より0.065ポイント拡大したという(共同通信 2008/07/31 17:35)。依然として2倍以上の「格差」があり、法の下の平等に反すると言わなければならない。「1票の格差」は中選挙区制時代からあったが、小選挙区制下でも問題が全く解決していないことは明らかである。

 公職選挙法は毎年のように頻繁に改正を繰り返しているが、結局のところ制度自体に欠陥がある以上、小手先の修正ではいつまでたっても公平な選挙は実現しない。先の「郵政選挙」のように与党が半数に満たない得票率で議席配分では絶対安定多数を獲得するような詐欺のまがいのことを繰り返してはならない。民意ができるだけ反映するような選挙制度は議会政治の成熟のための必要条件である。

 あるべき選挙制度をめぐっては、中選挙区制(1選挙区より複数人選出)の復活やドイツのような小選挙区比例代表併用制(比例代表による議席配分に選挙区当選者を割り振る)の導入や、面白いところでは最近TBをいただいた「平和への結集ブログ」による中選挙区比例代表併用制という提案もあるが、私は衆院に関しては全国をいくつかのブロックに分けた拘束式比例代表制がベターだと考えている。比例代表制の利点は何より死票が少なく、民意を比較的正確に反映することにあるが、やはり選挙制度においてはこれが何よりも重要だからである。

 比例代表制に対しては「人」を選べないという批判があるが、日本の現況を考慮すればむしろそれも利点であると思われる。それというのも現在の日本ではいわゆる「世襲議員」が大きな割合を占めているが、これは各選挙区の議員を頂点とする利権構造を継続・維持するために、「地元」が世襲を要求しているのが一因である。選挙区から議員を切り離し、議員を一地域の利害代表から「国民」すべての代表とするには、選挙区制を廃止するのが最も手っ取り早い。仮に政党が「世襲」候補を比例名簿に入れるとしても、「七光」だけで上位になることは難しいだろうから、落選リスクは上昇する。なお堺屋太一氏が最近指摘しているように、「世襲」は中選挙区制時代の1980年代から急増しており(堺屋太一「二代目の研究」『現代』2008年8月号)、中選挙区制の復活では「世襲」を防ぐことは難しい。

 比例代表制のもう1つの利点は、議員が選挙対策から解放され、議会の仕事に集中できることである。人ではなく政党を選ぶ制度だから、選挙運動の中心は現在の個人後援会から政党に移る。優秀でも選挙区制ではとても当選できないような地味な人でも議員にすることも可能になる。国会審議に出ないで地元の選挙工作ばかりやっているような議員は消えるだろう。

 無所属の立候補ができないという問題はあるが、それは政党の人数条件を設けず、候補1人でも政党を作れるようにすれば憲法上の問題はクリアできる。小党乱立になる可能性はあるが、民意の反映という原則が何よりも重要である以上、些細なことである(実際は資金力の関係でいくつかの勢力に収斂される)。過半数形成は選挙ごとに政党間で政策協定を結び連立すればよい。欧州では普遍的なことである。ポピュリズム的にタレントばかり集めた政党が出てくる危険性はあるが、その危険は現行制度でも同じだし、何度か選挙行えば自ずと政治能力のない政党は淘汰されるだろう。

 現状ではそもそも選挙制度改革を行える客観的情勢にはほど遠く、小選挙区制で「勝利」した多数党が自ら小選挙区制を廃棄することは難しいので、ここで書いたことは単なる「個人的希望」の域を出ないが、少なくとも比例代表枠の拡大は「1票の格差」の是正のためにも必要であることは強調したい。具体的方策は全く手詰まりだが、長期的視野に立てば検討を重ねることは決して無駄にはならないだろう。

【関連リンク】
公職選挙法 - 法令データ提供システム
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO100.html
平和への結集ブログ 中選挙区比例代表併用制を提案する
http://kaze.fm/wordpress/?p=164
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by mahounofuefuki | 2008-07-31 22:34

「せんたく」の唱える「地方分権」に要注意

 北川正恭氏や東国原英夫氏らの「せんたく」と連携する議員連盟が発足することについて、なぜかネット言説ではあまり重視されていないようで、私のアンテナが狭いせいもあるだろうが、これを問題視している人が少ないように思う。
 しかし、「せんたく」の動きは加速を続けていて、京都新聞(2008/02/21滋賀面)によれば、滋賀県の嘉田由紀子知事も参加するようである。「もったいない」のワンフレーズで市場原理主義に疲弊した人々を吸引した彼女の加入は「せんたく」に一層の厚みをもたせるだろう。かつての日本新党と似た軌跡をたどりつつあり、衆院総選挙が限りなく遠のきつつある状況で、無視しえない動きである。

 選挙で社民党の支援を受けた嘉田氏、本質的に歳出削減論者である北川氏、徴兵制の導入を主張する東国原氏、さらに国会議員まで広げると、一種のネオコンといっていい菅義偉氏や石原伸晃氏まで含む「烏合の衆」であり、どう見ても財政や外交や社会政策において一致点はない。前のエントリで「烏合の衆」だからこそ、権力闘争に特化した政策なき野合の「器」に適していると(ある意味自民党や民主党もそうだが)述べたが、それでも選挙においてはたとえタテマエであっても何らかの「主張」が必要である。一見バラバラな彼らをつなぎ、なおかつ有権者に好意的にアピールしうる政策は何か。

 それは「地方分権」をおいてほかにない。北川、東国原、嘉田という現職ないし前職の知事が揃っているということもあるが、すでに露骨な新自由主義を前面に押し出しにくい「空気」の中で、「地方分権」こそが「構造改革」の隠れ蓑に相応しいからである。
 私は基本的に「せんたく」の動きの背後には新自由主義政策の継続を狙う資本の動きがあると疑っているが、そこまでいかずとも、日本経団連など財界は何よりも政局の安定を欲しており、そのためには衆参両院で多数を制する政権が必要となる。民主党票を割るにせよ、自民党へ「構造改革」路線を継続するようプレッシャーをかけるにせよ、常に政界再編を意識させる政治力学を発揮する役割を「せんたく」に期待しているのではないか。

 「地方分権」と「構造改革」は「国の歳出を削減する」という点で一致する。「地方のことは地方に任せる」という「地方分権」と、「民間にできることは民間に任せる」という「構造改革」の類似性に着目しなければならない。
 要するに、一見聞こえが良い「地方分権」というスローガンの実態は、国の責任放棄であり、ただでさえ財政赤字に苦しむ地方自治体への丸投げであり、結局は「構造改革」と変わらない「弱い者いじめ」にしかならない可能性が濃厚である。「地方分権」を口実に行われた小泉政権下の「三位一体の改革」が、結局のところ国の地方への財政支出削減に終わったことを忘れてはならない。
 おそらく嘉田氏や東国原氏は「地方分権」が「構造改革」の隠れ蓑になるなど露知らずに「せんたく」に参加したのだろう。当事者もよくわからないまま新自由主義に操作されているような気がする。当事者でさえそうなのだから、有権者がイメージ操作に流される危険性はもっと高い。

 「せんたく」が選挙前の政界再編を狙って新党結成までいくのか、それとも選挙後の政界再編を睨んで自民・民主両党のシンパ議員を推薦するにとどまるかは、現状では何とも言えないが、「せんたく」には今後石原伸晃つながりで東京都の石原慎太郎知事や、東国原つながりで大阪府の橋下徹知事が参入することもありえよう。船頭には事欠かない。
 私は「できれば民主党左派、共産党、社民党による護憲連合政権を望みたいが、実現性は限りなく低いので、当面は組織がしっかりしている共産党の力を伸ばし、現行政府に対し所得再分配と労働基本権を確立するようプレッシャーをかけるしかない」という考えなので、自民党や民主党がどうなろうと知ったことではないが、自公政権の打倒を目指している人々が「せんたく」のような動きに取り込まれるのも面白くない。用心するに越したことはない。それが私の思いすごしならば、私が嘲笑を受けるだけの話である。

 念のためあらかじめ忠告する。「せんたく」が唱える「地方分権」には要注意すべし。

【関連記事】
「せんたく」議連発足と二大政党制への幻想

【関連リンク】
低気温のエクスタシーbyはなゆー:嘉田由紀子・滋賀県知事が「せんたく」に参加へ
*嘉田氏の「せんたく」参加の件についてはこの記事にご教示を受けた。
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by mahounofuefuki | 2008-02-23 13:56

「橋下ショック」と「ポピュリズム」~反省の弁

 1月27日に書いたブログ記事「既得権益への反発と大衆の「本音」~大阪府知事選挙の結果」は、あまり評判が良くなかったようで(高い評価を与えてくださった方も少なからずいたが)、特にはてなブックマークでは批判的なコメントが多く寄せられた。当該記事は投票締め切りとほぼ同時に(まだ開票が始ってもいないのに)「当確」が出たことに腹を立てながら急ごしらえで書いたもので、普段にも増して粗雑で論理性に欠け、感情的な内容になってしまったのは確かである。
 非難が集中したのは、橋下氏に投票した人々を「深く軽蔑し、絶対に許さない」と罵倒した点で、これは彼の立候補表明時にも顰蹙を買ったので、同じ誤りを繰り返したことになる。とはいえそれが当時の私の正直な感情であったので取り消すつもりはない。そういう憎悪を撒き散らす物言いでは決して有権者には受け入れられないという批判もあったが、当ブログはいわゆる「政治ブログ」ではなく、他者を啓蒙しようなどという思い上がりはないので、全く筋違いである。「彼らが自分の首を絞める愚行だったことに早く気づくことだけを祈っている」というのは文字通り「祈っている」のであって、私の文章に「彼ら」を変える力などないことは、誰よりも自分が知っている。

 その点を誤解して、私に大衆を啓蒙できるような知性がないと批判したブログがあった。
 ネット左派リベラルはポピュリズムの反知性主義批判ができるか-手記
 批判の要点は、「ネット左派」(私を含む)は「知性ある自分ってステキ」と思い込んで「B層とかポピュリズム」を非難するが、「同じ左派であっても、堅牢な左派の知性と軟弱思想のネット左派の知性では雲泥の差がある」ので、ネット左翼には「反知性主義」を批判することはできない、ということである。
 しかし、少なくとも私は知性や理性を重視してはいても、それが「自分に十分な知性や理性がある」ということを意味しないと自覚している。当ブログに論理性も一貫性もなく矛盾もそのままにしているのも、それを修正するだけの能力が私にはないからだ。私が「“知”を忌避するポピュリズム」と指摘したのは、私の当該記事を読めばわかることだが、熊谷貞俊氏のような職業知識人を敬遠する大衆心理について言及した文脈の中であって、「ネット左派」のことは念頭にない。そもそも私はポピュリズム=「反知性主義」とは考えていないので、すべてのポピュリズムを「“知”を忌避するポピュリズム」とみなしてもいない。
 ただし、このブログ主がそう誤読したのは、私が「“左”を忌避するポピュリズム」=「“知”を忌避するポピュリズム」と書いてしまったからで、これは完全に「筆が滑った」と認めざるをえず、非は当方にある。当該記事の「『“左”を忌避するポピュリズム』は『“知”を忌避するポピュリズム』でもあり」という部分は撤回する
 なお、このブログ主は現代思想に詳しく、ミシェル・フーコーを信奉しているようで、「知性」の有無の判断基準はフーコーを読んでいるかどうかだそうだが、残念ながら(?)私は『性の歴史』(ご指摘の「知への意思」を含む)はずいぶん前に読んだ。フーコーの権力論も基本的な内容は知っている。また「言語論的転回」についても「初めて聞いたというネット左派たちばかり」と決めつけているが、こちらも私は歴史認識との関係で一家言ある。もちろん私の場合、ただ知っているという程度で、このブログ主の理解度にはとうてい及ばないだろうから、これで揚げ足をとるつもりはない(ただこのブログの物言いに「フーコーを語る自分ってステキ」という無自覚な自己満足が読み取れてしまうのもまた事実)。

 はてなブックマークでも指摘があったが、本来「ポピュリズム」とはパワーエリートが大衆運動を侮蔑して用いた言葉で、日本でも長らく「左のポピュリズム」が主流だった(社会党の土井たか子ブームなど)。それが変化したのはここ10年くらいで、慶応義塾大学の小熊英二氏が「新しい歴史教科書をつくる会」の動きを「“左”を忌避するポピュリズム」と明快に分析したのもその頃だった。「草の根の保守主義」とかファシズム運動とは明らかに異なる「右」の新しい動きは、その後も紆余曲折を経ながら依然として日本社会の底流に定着しつつあると考えている。
 とはいえ、私も含めて最近のネット言説が「ポピュリズム」概念を濫用しているのは確かで、その歴史的経緯や政治学における研究史に無知のまま、単にアイドル的な政治家が有権者を組織化せずとも大量動員できる状況を「ポピュリズム」と斬って捨ててしまう風潮は反省せねばなるまい。昔の左翼が都合の悪いものを何でも「ファシズム」とレッテルを張ったような真似はしてはならないだろう。この問題は私のような「ネット左翼」の手に余るので、誰か本当の専門家が整理してくれるとありがたいのだが。

 本当は「橋下ショック」で野党も知名度の高いタレントを候補として擁立すべきだという動きが顕在化している状況に疑問を呈したかったのだが(むしろ無名だが実力のある現職を積極的に売り出して有名にする方が理に適っている)、時間も紙幅もなくなったので書かない。今回でもう懲りたので、しばらくは「ポピュリズム」問題には触れるつもりはない。

【関連リンク】
はてなブックマーク-世界の片隅でニュースを読む:既得権益への反発と大衆の「本音」~大阪府知事選挙の結果


《追記 2008/02/03》

 前記のブログ「手記」が拙文を受けて、丁寧なフォローをしてくださっていた。
 野党共闘の一極集中型の権力概念は自滅の道-手記
 いろいろ行き違いはありましたが、nichijo_1氏の真摯な批評に敬意を表します。
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by mahounofuefuki | 2008-02-02 12:54

既得権益への反発と大衆の「本音」~大阪府知事選挙の結果

 今日投票が行われた大阪府知事選挙は、選挙中の下馬評通り、タレントの橋下徹氏の圧勝に終わった(これを書いている時点では「当選確実」だが)。

 告示前の時点では、橋下氏は自民・公明両党の全面支援を受けられず、徒手空拳の選挙戦を強いられると私は予想していたのだが、創価学会の動向が誤算であった。蓋を開けてみれば自民・公明両党の支持者の大半を固め、民主党支持層の一部も取り込んだ。
 正直なところ、各種世論調査が橋下氏の優勢を伝えた時点で、よほど投票率が下がらない限り、橋下氏の勝利は間違いないと覚悟を決めていた。選挙戦終盤になって一部ブログが橋下氏へのネガティブキャンペーンを精力的に行ったが、「左」が騒ぎ立てるほど「“左”を忌避するポピュリズム」が作用して橋下氏に有利に働くという自覚に欠けていたと言わざるをえない(私も橋下氏の立候補表明時にやってしまったが「ネタ」として消費されただけだった)。
 ただし、後述するように橋下氏の勝利には確固たる必然性があり、いずれにせよ新聞やテレビの影響力の足元にも及ばないネット言論にできることはほとんどなかったと認めざるをえない。

 橋下氏の勝利を必然化した第1の要因は、今回の選挙戦の構図が結果として「既得権益」対「非既得権益」の形になったことである。
 民主党推薦の熊谷貞俊氏は既得権益をもつ(と一般の人々が敵視している)連合大阪や部落解放同盟の組織的支援を受け、さらに財界の一部も好意的であったために、橋下氏は利権から疎外されている人々にとって「不当に特権をもつ勢力」と闘うヒーローになりえた。これはかの小泉政権の「郵政選挙」と全く同じ構図であり、橋下氏の新自由主義的言説はすんなりと大衆に浸透したのである。
 昨年の参院選で世論は新自由主義的な考え方にノーを突きつけたとみられていたが、依然として既得権益への不満が噴出した場合には、「コイズミ劇場」のような事態が起こりうることを実証したと言えよう。

 第2の要因は、橋下氏の過去の横暴な発言の数々が実は大衆の「本音」だったことである。
 「買春=ODA」発言は、性産業の需要層たる一般大衆男性にとっては「普通の認識」であるし、売買春と無縁の中産階級女性にとっては「よその世界」の話である。「徴兵制」「皆兵制」発言や「体罰」発言は、自分のことを棚に上げて「最近の若者」の「モラル低下」に鬱屈を抱える中高年の「はけ口」となりえた。「核武装」発言は中川昭一氏や安倍晋三氏の前例があり、橋下氏の特異性を示すことにはならない。闇金融の弁護士をやっていた過去も、借金経験のない人々の多くが「借りる方が悪い」という認識なのが現状であり、橋下氏の威信低下にはなりえなかった。
 要するに、畏まった建前論に飽き飽きしている大衆にとって、橋下氏は「同じ目線」で「自分の言葉」を語る「同類」なのである。この点でも小泉純一郎氏に酷似している。

 第3の要因は、選挙運動の商業化である。
 現在の国政選挙において広告代理店が大きな役割を果たしているのは周知の通りだが、今回の大阪府知事選で橋下陣営を取り仕切ったのは自民党でも創価学会でもなく、橋下氏の所属芸能プロダクションだった。彼らは選挙運動の素人であるが故の基本的なミスもあったが、メディアの使い方と人心掌握には長けていた。この問題については今後各方面から詳報が出るだろう。私からは、日本の選挙における情報操作の在り方をさらに「進化」させる契機となったとだけ指摘しておく。

 第4の、そして最も決定的な要因は、失礼ながら対立候補筆頭の熊谷貞俊氏に知事候補としての魅力がほとんどなかったことである。
 弁舌巧みな橋下氏と比べるとお世辞にも雄弁とは言えず、何より「大阪大学教授」という肩書と隠せないインテリ臭が大衆への浸透を妨げた。前述した「“左”を忌避するポピュリズム」は「“知”を忌避するポピュリズム」でもあり、民主党は現在の世論の実情を完全に見誤ったとしか言いようがない。
 自民党は先の参院選で大敗しつつも「ヤンキー先生」とか「女性アナウンサー」とか「行列ができる弁護士」はしっかりと当選した。今回の橋下氏の勝利で、自民党はますます知名度とキャラクター性を重視した候補者選考を行うだろう。野党側はこれにどう対処するのか真剣に考えなければなるまい(対抗して野党もタレントを擁立するような安易な方法は不快だが)。

 ブログ開設当初から橋下氏の「社会人」としての資質を批判し続けた私としては、今回の結果は残念の一言である。同時に粗暴を好むこの国の大衆への不信感は改めて増した。
 なお以前「橋下徹の名を投票用紙に書くすべての人を私は深く軽蔑し、絶対に許しません」とブログに書いたが、その考えは今も変わっていない。彼らが自分の首を絞める愚行だったことに早く気づくことだけを祈っている。


《追記 2008/02/02》

 本文中の「『“左”を忌避するポピュリズム』は『“知”を忌避するポピュリズム』でもあり」の部分は撤回する。その理由は「橋下ショック」と「ポピュリズム」~反省の弁を参照。
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by mahounofuefuki | 2008-01-27 20:59

「野党共闘」の終焉と「護憲の大連立」構想

 第168回臨時国会は新テロ特措法案の衆議院再可決による成立をもって事実上閉幕した。
 今国会は昨年9月10日に開会したが、その時の首相は安倍晋三氏だった。周知の通り安倍氏は所信表明演説のみを行って突如退陣し、変わって福田康夫内閣が発足した。たった4か月前のことなのに、はるか昔の出来事のように感じる。当時も国会終盤も最大の争点は新テロ特措法であった。原油価格の異常な高騰による灯油やガソリンの急騰に苦しむ人々を尻目に、インド洋で軍事行動を展開するアメリカ軍などへの給油支援を行う現政府の暴挙は許し難い。福田首相は昨日(1月11日)、再可決が「暴挙」ならば何が「暴挙」でないのかと開き直ったと報じられているが、再可決という方法以前に、この特措法の内容そのものが前代未聞の暴挙であることを自覚していないらしい。

 昨日のもう1つの暴挙は民主党の小沢一郎代表が衆院本会議を途中退席し、新テロ特措法案の採決に際して棄権したことである。この件について小沢氏の国会軽視に対する批判や、本音では特措法に賛成しているのではないかという疑念が各方面から指摘されているが、私にはむしろ参院での法案採決をめぐって、当初民主党が主張していた継続審議が他の野党に受け入れられず、結局議決を行ったことに対し、野党間の根回しすら自分の思い通りにならないことに苛立った小沢氏が、へそを曲げふて腐れた結果の幼稚な行動に思える。
 小沢氏は参院であえて採決を行わずに継続審議とし、与党に「60日規定」による衆院再可決を行わせ、与党のイメージダウンを狙ったのだろうが、防衛利権問題を十分に責めることができなかった今となっては成立日が1日違うだけで無意味である。逆に民主党が特措法に明確に反対しなかったという「汚点」になっただろう。額賀財務大臣の証人喚問問題の時もそうだったが、民主党は野党第1党としての驕りからか、他の野党と十分な協議をせず、他党に対し「黙ってついてこい」というような姿勢があった。
 今国会の会期中、小沢氏は福田首相と密室で連立を話し合い、すでに「野党共闘」を破壊しつつあったが、昨日の小沢氏の退席は名実ともに「野党共闘」を終焉させ、「政界再編」への意思を示したような気がしてならない。

 昨年の参院選の民主党の「勝利」は、民主党の政策が支持されたというよりも、自公政権に対する拒絶と政権交代への期待の意思が民主党に集まった結果であった。
 しかし、あえて断言するが、次期衆院選まで民主党は結束を固め続けることはできない。少なくとも小沢氏には現行の民主党の体制のままで総選挙を迎える気はまったくない。
 小沢氏は「大連立」をめぐる騒動が収束した後も、ことあるごとに自民・民主両党の連立を正当化してきた。今の民主党では勝てないというのが表向きの理由だが、実際は共産党や社民党などと組みたくないというのが理由であろう。最近の選挙予測報道はどれも民主党の勝利を予想するが、単独過半数を獲得できる保証はなく、その場合どこと連立するかが問題になる。小沢氏は今国会で改めて現在の野党と組んだのでは自分の思い通りには政権運営できないことを悟っただろう。むしろ政策的に近い(というより同じ)自民党の一部との連携を模索したいはずだ。
 対米追従、巨大企業優先、政官財談合の自民党政治からの脱却を求めて民主党を支持した人々の期待は、次の総選挙までに完全に裏切られるだろう。

 それでは自民党政治を否定し、福祉国家と平和主義を期待する人々は次の衆院選でどう行動するべきなのか。
 この問題について、関西学院大学教授の豊下楢彦氏が北海道新聞(2008/01/09夕刊)で、自民党とかつての自民党出身者による近い将来の「大連立」を予測した上で、「今日の日本政治の深刻な問題は、いわゆる右派の糾合に対抗する左派の“受け皿”が存在しないことにある」と指摘している(太字は引用者による、以下同じ)。豊下氏はさらに次のように続ける。
(前略) 一般の国民、とりわけ若い世代にとっては、共産党と社民党がなぜ一致結束した行動をとることができないのか、全く理解できないであろう。ともに「護憲の党」を名乗り、政策的にもきわめて近い両党が、院内統一会派もつくれず選挙協力もできないという事態は、若い世代からすれば「現代の七不思議」と言っても過言ではないであろう。仮に両党の代表が公の場で、なぜ一致結束して行動できないかについて議論するならば、おそらく多くの国民は、つまらぬ“過去のしがらみ”に今なお囚われている両党の状況を知って、あきれ果てることなるであろう。
 両党の最大の問題点は、ともに政権戦略を持っていないところにある。つまり、いかに多数派を形成して政権を担うか、という戦略構想を保持していないのである。来るべき政界再編や「大連立」の可能性を展望するとき、両党は、こうした動向を批判するばかりではなく、なによりも自ら多数派戦略を国民の前に提示しなければならない。政界再編によって民主党が分裂することを予想するならば、“左派民主党”と共産党、社民党が「護憲の大連立」を形成するような大きな戦略構想を描き出すべきである。(後略)
 豊下氏の念頭にあるのは、イタリアのかつての中道左派連合「オリーブの木」構想だと思われるが、この構想自体は1990年代から幾度となく語られたにもかかわらず、今もって実現には至っていない。
 ただ実現性の可否を別とすれば、福祉国家と平和主義を希求する人々にとっては、この「護憲の大連立」こそベターな選択肢であり、「民主党中心による政権交代」という構想が破綻しつつある現在、小沢氏が民主党を割る前に、民主党の「左派」を引き付けるための「受け皿」を共産党や社民党が用意するというのは、少なくとも方向性としては間違っていない。
 残念ながら「豊下構想」には実現可能性の問題以外の重大な弱点があるのだが、今回の記事で書くには長くなりすぎるので、その件を含めて「左」の結集と拡大のためのハードルについては稿を改めて近日中に書きたい。

【関連記事】
「アカの壁」を越えるために
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by mahounofuefuki | 2008-01-12 17:08

大阪府知事選挙告示を前に

 大阪府知事選挙は明日(1月10日)告示されるが、その行方は混沌としている。
 現在のところ立候補を表明しているのは、弁護士の梅田章二(うめだ・しょうじ)氏、元大阪大学教授の熊谷貞俊(くまがい・さだとし)氏、タレントの橋下徹(はしもと・とおる)氏の3人(正式表明順)だが、ほかにも立候補があるとの報道もあり、選挙戦の見通しは不透明である。
 当初、橋下徹氏は自民・公明両党の推薦を求めていたが、結局自民党は大阪府連の推薦、公明党は大阪府本部の支持にとどまり、両党本部は推薦・支持を見送った。毎日新聞(2008/01/08 19:46)によれば、自民党の選対幹部が「推薦しない方が、無党派層の取り込みに有利だ」と述べたと言うが、実際は与党内に橋下氏の過去の暴言や狂信的な体質へのアレルギーがあることや、大阪の財界主流が民主・国民新両党推薦の熊谷貞俊氏に親近感を示すなど、足並みが崩れているからにほかならない。特に公明党は橋下氏の選対に人員を提供していないとも伝えられ、支持母体の創価学会は事実上の自主投票で臨むようだ。

 昨日(1月8日)、関西経済同友会主催の会員向け政策討論会と市民団体主催の公開討論会が開かれたが、相当激しい応酬が繰り広げられたようだ。
 産経新聞(2008/01/08 22:58)は「テレビのコメンテーターとして活躍してきた橋下氏のペースで、ユーモアを交えて会場の笑いを誘った」と、読売新聞(2008/01/09朝刊)は「コメンテーターとして活躍してきた橋下氏が攻め入り、熊谷、梅田両氏が負けじと対抗する展開が続いた」と、「討論慣れ」している橋下氏が場をリードしたように報じているが、一方で関西経済同友会の討論会では、与党支持のはずの財界人から橋下氏へのツッコミが相次いだという。特に春次メディカルグループ理事長の春次賢太郎氏は「『2万%出ない』はほかに表現方法があったはず。子どもがマネしますよ」と述べたという(日刊スポーツ2008/01/09)。出馬を全面否定していたにもかかわらず、人々を欺いて出馬を強行したことへの反発が未だ根強いことが窺われる。
 各報道を読む限り、どの候補も他の候補の弱点を突くのに終始し、冷静な議論は行えなかったようで、テレビやスポーツ紙のようなメディアが選挙戦をパフォーマンス合戦に煽っている現状の悪影響が出ているといえよう。言うまでもないことだが、選挙において重視しなければならないのは政策であって、それは机上のディベートからは決してわからない。

 今日の日本経済新聞の関西電子版に、関西経済同友会の公開質問状に対する3人の候補者の回答が掲載されており、各候補者の公約を知る上で非常に便利である。表層的な「舌戦」よりも文字の方がわかりやすく、確実である。
 大阪府知事選公開討論会、産業振興策で3候補火花|日経ネット関西版
 http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/news001930.html

 やはりというか、何というか、橋下氏の「投げやり」ぶりが際立っている。
 財政再建に関しては「出資法人を見直し、府有施設も市町村への移譲や売却を進める」、道州制に関しては「住民サービスにかかわる事業は市町村に移譲。府は各市町村に対する投資会社化する」、環境については「市町村レベルで対応してもらい、調整が必要な問題に府が関与する」ととにかく市町村への「丸投げ」を主張する。市町村の財政状況はほとんどどこも苦しく、こんな「丸投げ」を受け入れる余力など全くない。大阪府庁を小さくさえすればすべて解決という非常に安直な「小さな政府」論の地方版であり、市町村の自治を破壊するものだ。
 もっとひどいのは産業政策で、「行政に産業振興の立案能力はない」「民間企業にがんばってもらうしかない」と行政の責任を放棄してこれまた企業に「丸投げ」、関西国際空港の活性化については「伊丹空港とのすみ分けを政策的に行うしかないが、ほぼ不可能」と全くやる気なしである。某厚生労働大臣のように出来もしないことを口約束するよりはましという見方もありうるが、少なくともこれでは財界の支持は得られまい。

 逆に熊谷氏は財界を意識している。表現が抽象的なのも特徴だ。
 産業政策で「産学提携を中心としたネットワークつくり」を提起しているのが、いかにもアカデミズム出身らしいが、後は現状維持的という印象だ。財政再建については「業務の効率化と、施策の選択と集中で歳出削減を徹底する」と典型的な歳出削減によるコストカット論を提唱。関空問題では「関空と阪神港、彩都などを結ぶ物流ネットワークを構築。経済損失の原因の交通渋滞を緩和する」、環境については「府民と問題意識を共有し、事業所や家庭で温暖化ガス削減につながる取り組みを支援する」といかにも抽象的である。
 目立つのは道州制に関する項目で、熊谷氏は「国からの大幅な権限・財源移譲を前提に、議論したい」と道州制推進の立場を鮮明にしている。政策討論会では「府と市の合併に道筋を付けることが大事。関西州として一丸となるなら最後の府知事でいい」とまで言ったという(読売新聞、前記記事)。
 公開質問状への回答にはないが、「府民所得を50万円以上引き上げる」という公約も実現性への疑問はあるが異色と言えよう。

 梅田氏は「貧困と格差」の是正を明言している唯一の候補で、公共性重視の視点が際立っている。
 財政問題では「国に自治体への財源確保を強く求めるとともに、府政の無駄を厳しくチェックする」と一見すると熊谷氏の歳出削減論と通じるが、ここで言う「無駄」とは大企業への補助金やダム建設のような大型開発事業への支出であって、単なる効率化論ではない。道州制にも反対している。産業政策では「大型店の規制」「中小企業向け融資制度を拡充」と地場の中小企業の保護を強く訴えている。関空の2期事業の見直しも唱えている。財界の支持を意識している熊谷氏とは一線を画している。
 一方、橋下氏との決定的相違は教育問題で、橋下氏が「府立高校の学区制の撤廃」やら「低料金の民間塾」やら安倍晋三内閣ばりの「民営化・競争」万能論を唱えるのに対し、梅田氏は「公立学校の教育は民営化・民間委託はしない」「『格差と貧困』解消や教育条件の整備が必要」と公教育を行政が責任を持って維持することを明言している。
 梅田氏の問題は政策の中身よりも、今回の知事選に国政の対立軸が持ち込まれ、与党(自公)対野党(民主)の枠組みで埋没していることにあるだろう。政策の対立軸だけ見れば、むしろ梅田氏と熊谷氏が左右対照的で、橋下氏は政策云々以前の与太話レベルである。

 以上、大阪府知事選の立候補予定者の公約を比較検討してみたが、公職選挙法とブログの利用規約に従い、ここでは特定の候補者への投票を呼びかけるようなことはしない。私は大阪府民ではないので投票権がないということもある。投票権のある人には是非とも熟慮して選挙に臨んで欲しい。
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by mahounofuefuki | 2008-01-09 15:52