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「ネットカフェ難民」排除の動き

日本複合カフェ協会が7日、記者会見を開き、「ネットカフェ難民」という言葉の使用を中止するよう求める声明を発表した。同協会はすでに、7月17日にも文書で同様の声明を発表していたが、一向に「改善」される気配がないため、改めて周知を図った格好だ。

日本社会では、これまで「不都合な事実」に直面すると、見て見ぬふりをするか、事実を矮小化するのが常であったが、「ネットカフェ難民」問題も同様らしい。

協会は7月17日の声明で、「そもそも、「難民」とは『戦禍・政難を避けて流浪する亡命者』(「広辞苑」より)と定義されているように、国際社会における深刻な人権問題として位置づけられています」と、「難民」の語義と「ネットカフェ難民」の実態の乖離を指摘しているが、「ネットカフェ難民」はまさしく「構造改革」「規制緩和」という「政難」によって発生したものであり、国家から見捨てられた人々、という点では「戦禍」をくぐり抜けた「難民」と同じである。「ネットカフェ難民」という語は、その実態を反映した適切な造語である。

協会は「お客様」は「難民ではない」と言いながら、他方「健全な複合カフェ市場の形成に努力」という言い方で、「ネットカフェ難民」を「不健全」とみなしてもいる。協会の詭弁は明らかであろう。

「ネットカフェ難民」に対しては、「もてる者」たちから、労働意欲が低い、能力が低いといった批判があるが、こうした批判は社会の厳しい現状に対する無知をさらけだしているようなものだ。
現在の日本では、経済的に自立でき、人間らしい社会生活を営める仕事は限られている。どうしても「狭き門」からあぶれる人々がいるのだ。資産がなく、家賃を払えるだけの収入がなく、住居を追われた人々にとって、ネットカフェしか雨露をしのげる場はないのである。

「努力が足りない」という非難もあるが、はじめから資産やコネをもっている人と、そうでない人との差は「努力」では埋められないほど大きい。まれに「成り上がる」人がいても、競争社会は「イス取りゲーム」である以上、その分、別の誰かがイスを失っているのである。

労働意欲を失くすのも、意欲がもてるような労働環境にないからだ。労働者が長時間労働と低賃金で喘ぐ一方、巨大企業家は政府の優遇政策によって、ますます儲けを増やし、それを下で支えている労働者に還元しないのでは、意欲など持てない人々が続出するのも当然だ。特に非正規雇用ではキャリアアップも昇給もない場合が多く、失業に怯えながら明日なき今日を奴隷のように生きている。意欲など持てないよう仕向けておきながら、意欲を持てと言うのは矛盾している。

一連のネットカフェ業界の動きではっきりしてきたのは、業界が「ネットカフェ難民」を排除する方向に踏み出したことである。

ネットカフェは、「自立生活サポートセンター・もやい」の湯浅誠さんが言うところの「貧困ビジネス」として、これまでさんざん「ネットカフェ難民」からの売り上げで儲けておきながら、イメージの悪化が商売に影響するようになると、手のひらを返すように「健全化」に踏み出した。身勝手な話だが、ネットカフェすら追われた「難民」はホームレス=路上生活者になるしかない。

ホームレスに待っているのは、行政による排除と大衆の冷めた視線である。現代の「弱肉強食」社会は、「弱者」を自殺か餓死に追い込もうとしている。強欲な「強者」にとってはまさにそれこそ願ってもない結末だ。自分の手を汚さずに邪魔な「弱者」を抹殺できるのだから。

当面早急に必要なのは、賃貸アパートの高すぎる敷金・礼金をどうにかすることだ。
「ネットカフェ難民」には入居したくとも、まとまったカネを用意できない。行政による援助(無利子の貸付など)を拡充する必要があろう。政府は、財政難を理由に社会保障費を出し渋っているが、こうしたことにはどんどん支出するべきだ。税金も払えないような人々が増えることは、政府にとっても得策ではないだろう。
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by mahounofuefuki | 2007-09-08 12:18

新たな「棄民政策」

厚生労働省が、生活保護給付の大幅削減を検討しているという。
先日、北九州で生活保護を無理やり打ち切られた(表向きは「辞退」)人が、日記に「おにぎり食べたい」と書き残して餓死したのは記憶に新しい。
そんな事件があったにもかかわらず、政府は反省するどころか、新たな「棄民政策」を準備しているのだ。

生活保護受給者に対しては、昔から「働かないで金だけもらう」「ずるい」という攻撃があった。特に長時間労働に苛まれている「会社人間」や、自分の努力だけで「成功」したと思い込んでいる「成金」ほど、そういう中傷を繰り返していた。
しかし、もろに就職氷河期にぶつかり、まともな仕事に就けるのは、実は「能力」のある者ではなく、「コネ」と「見た目の押し出しの強さ」のある者であることを熟知している「難民世代」の私には、そうした中傷は「持てる者」の傲慢以外の何物でもない。
「会社人間」は過労を強いる企業と闘う勇気のない己の小心さを誤魔化し、「成金」は自分の「成功」が他者の「失敗」を踏み台にしていることに無頓着なだけだ。

この国では、新卒で就職できなかったり、1度失業したり、あるいは病気になったりすると、もはや復活はできず、坂を転げ落ちるように転落する。はじめから貧しい家庭に生まれた者、高い教育を受ける機会がなかった者なら、なおさらだ。
生活保護を受けるのは「他人に食わせてもらっている」という点で屈辱である。そんな屈辱に甘んじても、生活保護がなければ生きられない人々が大勢いるのだ。
そして、何より現代社会は誰しも(特権階級をのぞいて)生活保護受給者になる可能性がある。ある日突然、職を失うリスクは常に存在するからだ。この国は失業保険給付も期間が短いので、失業が長引けば生活保護に頼るしかないのが現状だ。

国家は、大企業や富裕層の減税を繰り返す一方で、庶民を競わせ、貧困に追い込み、切り捨てようとしている。労働力と税金と公共料金だけはテイクし、何もギブしないのは、あからさまな「搾取」でしかない。

生活保護給付の削減は、受給者だけの問題ではない。
「明日の受給者」になるかもしれない私たち全員の問題である。
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by mahounofuefuki | 2007-09-01 10:54