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JR岡山駅での突き落とし殺人事件について

 JR岡山駅で少年が列車待ちの人を線路に突き落して殺した事件。
 今や若者の犯罪に関する報道は大衆ののぞき見趣味を満たし、日常の鬱憤を晴らせる「公認の敵」を提供するための「娯楽」になっているのが現状であるが、私は被害者をダシにして「弱そうな加害者」(この国のチキン大衆たちは「強そうな加害者」には沈黙する。米兵とか、「ヤクザ」とか、自民党議員とか)をバッシングする趣味は全くないので、本来ならこんな事件はスルーするところである。
 しかし、この岡山の事件ではどうしても気になることがあるので発言せざるをえない。それは次の個所である(太字強調は引用者による、以下同じ)。
(前略) 成績はクラスで1、2番。「経理関係の資格を取りたい」と話していた。進学希望だったが、「大学に通うお金がない」と言っていったんあきらめたという。その際に成績が少し下がったものの、落ち込んだ様子はなかったという。年明けには担任が就職先の紹介を提案した。しかし、「自分で働いてお金を稼いで大学に行きたい」といって断ったという。(後略) (朝日新聞 2008/03/26 15:05)

(前略) 学校関係者によると、少年は大阪北部の府立高校を今春卒業したばかり。おとなしく真面目な性格で、放送部に所属し、高校3年間で欠席はわずか2日しかなく、高校から「精勤賞」をもらっていた。日ごろから問題行動はなく、2月29日に行われた卒業式に出席した際も特に変わったところはなかったという。成績もよく、大学への進学を希望していた。しかし、家庭の経済的な理由で断念し、「自分で仕事を探してお金をためてから、大学に進学したい」と前向きに話していたという。(後略) (毎日新聞 2008/03/26 15:00)
 要するに、成績優秀だったのに家庭が貧乏なため大学進学を断念したのである。真偽不明だが東京大学を志望していたという情報もある。「貧困と格差」の拡大により貧困層が学業を放棄させられたり、進学を断念させられる事例が近年増加しているが、岡山の少年もまさに「金持ち優遇」の新自由主義の犠牲者なのである。
 マスメディアは「殺せば刑務所に行ける」「誰でもよかった」という点を強調して犯行の卑劣さを印象付けようと躍起だが、これらは「刑務所に入りたくなるほど社会に疎外感を持っている」「殺す相手が誰でもよいほど社会全般を憎んでいる」という意味であり、貧しく恵まれない(しかし奴隷の身に甘んじるほどの諦念はない)若者が幸福に生きる権利を日本社会が閉ざしたことを読み取らねばならない。

 私がこの少年の表出されない悲鳴に対し敏感に反応するのは、自分が下層のブルーカラーの子として生まれ、しかしながら幾許の「努力」と「運」で「一流大学」に進むことができた幸福な過去を有しているからに他ならない。時と場所が違えば私は彼だったかもしれないが故に、とても他人ごととは思えないのだ。
 報道では彼が中学校時代にいじめに遭った経験があるとか、キレやすくて「殺してやる」と叫んだとか、彼の履歴から「犯罪者」になる必然性を探そうと躍起だが、そんな経験は誰にでもある。少なくとも私はいじめに遭ったこともあれば、キレて教室で暴れて備品を破壊したこともあるが、殺人を行ったことも行おうと思ったこともない。今後も決してないだろう。
 犯罪の原因は彼の履歴にはない。それは日本社会の仕組みの中にこそある。この国が教育費を全額国庫で負担するような福祉国家だったら、彼が今回のような凶行に及ぶことはなかったと断言できる。この事件の「真犯人」は、貧乏人が進学できないような不平等社会を作り上げた財界・政府・自民党・公明党などのハイエナたちであり、それらを支持した有権者である。

 罪なくして殺された被害者は本当にあわれだ。被害者は竹中平蔵や小泉純一郎や宮内義彦や奥田碩や御手洗冨士夫や八代尚宏らの罪を背負わされて死んだのだ。彼は地方公務員だったという。今は「かわいそうな人」として同情を集めているが、場面が異なれば大衆の「公務員バッシング」の餌食になっていたかもしれない。弱者が弱者を殺す。「四角いジャングル」。罪と罰。絶望。線路に突き落した者、線路に突き落された者。線路に突き落されるべき者。
 被害者の父親の言葉が胸に響く。
(前略)「はらわたが煮えくりかえる思い。孫たちは泣くばかりで、どう慰めていいのかわからない。このような事件は息子で最後にし、少年は罪を償って社会復帰したら、世の中のためになるような人になってほしい」と話した。(後略) (読売新聞 2008/03/26 16:04)
 事件直後で相当なショックがあるだろうに、少年に罪を償う機会を与えようというのである。「少年を死刑に」と叫ぶ方がよほど楽だろう。この言葉が少年に届いているだろうか。
 「真犯人」たちに問いたい。あなたがたは「世の中のためになるような人」かと。おそらく厚顔無恥な彼らは「世の中のために働いている」と答えるのだろう。彼らの「世の中」は六本木ヒルズの中なのだろうか。

 涙でディスプレイが曇って見える。怒りと悲しみで今宵は眠れそうにない。
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by mahounofuefuki | 2008-03-27 00:22

広がる「結婚・出産格差」~「21世紀成年者縦断調査」を読む

 厚生労働省が「第5回21世紀成年者縦断調査(国民の生活に関する継続調査)」の概要を発表した。
 この調査は「男女の結婚、出産、就業等の実態及び意識の経年変化の状況を継続的に観察する」ために、2002年10月末時点で20~34歳だった全国の男女を対象に、2002年以降毎年継続して行っているもので、同一の標本による動態調査なので信頼性が高い。「氷河期世代」の結婚・出産事情を究明する上で最も基本的なデータであり、少子化問題を考えるには欠かせない重要な調査と言えよう。

 調査の詳細は厚生労働省のホームページの当該資料(下記関連リンク参照)を参照されたいが、この調査結果から私が注目するのは次の4点である。

男性では正規雇用と非正規雇用の、あるいは中間層と貧困層の「結婚格差」が著しい。
 2002年の第1回調査時点で独身だった男性のうち、その後4年間で結婚した人の割合は、正規雇用では18.0%、非正規雇用では9.1%と2倍近く離れている。非正規雇用では家族生活を維持するだけの経済力がないために、正規雇用に比べて結婚がより困難になっていることを実証したと言えよう。
 また、2004年の第3回調査時点で独身だった男性のうち、その後2年間で結婚した人を所得階級別に見ると、年間所得500万円までは所得が高くなるほど結婚した人の割合も高い。これも低所得者の結婚が難しくなっていることを示している。一方で、年間所得500万円以上では300~500万円の層よりも結婚した人の割合が微減しているのは、富裕層の男性においては自発的な「独身貴族」が増えていることを示唆している。

女性の「結婚退職」が依然として多い。
 2005年の第4回調査から翌年の第5回(今回)調査までの1年間に結婚した有業の(仕事をもっている)女性のうち、31.7%が離職している。特に非正規雇用では37.7%にのぼる。3人に1人近くの割合で女性は「結婚退職」している
 また、第4回調査で「結婚を考えている相手や家族が退職することを望んだり、あるいは、会社に働き続けにくい雰囲気がある」と回答した女性のうち、実際に結婚を機に離職した人は55.9%にのぼる。依然として夫が妻の就労を嫌ったり、企業が既婚女性の雇用に消極的な場合が少なくないことを示唆している。

妻の就労と子どもの出産には全く関係性がない。むしろ女性の労働環境や家庭環境が出産に影響している。
 第4回調査までに結婚した女性のうち、第1回調査から第4回調査までの4年間に子どもを出産した人の割合は、正規雇用が37.3%、非正規雇用が19.3%、無職(専業主婦)が38.6%で、正規雇用の女性と専業主婦の女性とでは出産の有無の割合にほとんど差がない。女性が仕事に出て家庭にいないから少子化が進むという俗論がよく言われるが、それが全く根拠のない妄説であることを改めて実証したと言える。むしろ、正規雇用と非正規雇用の間に大きな差があることが問題であり、非正規雇用の女性が正規雇用の女性に比べて、出産や育児のために休業できにくいことが影響していると思われる。
 また、夫の休日における家事・育児時間と子どもの出産の割合が比例しているのも興味深い。4年間で子どもが出生した割合は、夫の家事・育児時間がゼロの場合が25.7%、1日8時間以上の場合が40.3%と相当な開きがある。この点でも性別役割分業がもはや少子化の解決に何ら役立たないことを証明している。

貧困層ほど子どもの出生率が高い。
 今回の調査である意味最も衝撃的な数字はこれで、夫婦の年間所得額が低いほど子どもの出生率が高い。今回調査までの3年間で第1子が出生した夫婦の割合は、夫婦の年間合計所得額が100万円未満で57.1%、100~200万円未満で52.9%、200~300万円未満で44.8%で、年間合計所得600万円までは所得が低いほど出生率が高い。
 ①と合わせて考えると、貧困層は結婚するのがそもそも難しいが、少数の結婚した夫婦もいわゆる「できちゃった婚」が多いと推定しうる。しかし、第2子の出生率も年間合計所得100~200万円未満の層が突出して多く、別の要因もあると考えざるを得ない。かつて高度成長前は貧困家庭ほど子どもが多い傾向があり、現在でも貧しい国ではそうした状況が存在するが、日本でも再び貧困カップルの「子沢山」が進行している可能性がある。さらなる調査と検討が必要だろう。

 以上の点から、この国では「結婚格差」「出産格差」が確実に拡大・進行していることが明らかになったと言える。男女とも正規・非正規雇用間の差別がそのまま結婚や出産の「格差」につながっている。非正規雇用問題は少子化問題としても考慮しなければなるまい。非正規雇用の正規化はこの点でも急務である。

 また「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業が「結婚格差」「出産格差」を促進していることも明らかだ。この意識と事実がある限り、女性を養えない男性はいつまでも結婚できず、仕事をしたい女性も結婚しにくい。結婚できても子どもを産むことはもっと難しい。「女性の社会進出が少子化を招いた」という俗説を打ち消すためにも、女性正社員と専業主婦の出産率はほぼ同じという事実を周知する必要があるだろう。

 一方で、貧困層の一部に「貧乏の子沢山」が進行している可能性があるのも問題だ。かつて自民党のある国会議員が、貧乏人は結婚もできず子どもも作れないので貧困は再生産されないと放言したことがあったが、貧困の再生産は現実に起きている。言うまでもないことだが、少子化問題を真に解決する気があるのならば、「貧乏人は子どもを産むな」ではなく、貧乏人を貧乏でなくする施策を行わねばならない。

 *本稿は少子化が問題であるという前提で立論したが、私が考える「少子化問題」とは、世間一般における「人口の減少は国家の衰退を招く」「少子化が進めば社会保障が崩壊する」という意味の国家戦略的問題ではなく、「結婚したいのに結婚できない」「子どもを産みたいのに産めない」といった「結婚する権利」「出産する権利」の侵害問題である。単なる人口問題ならば、移民の受け入れを増やし、公民権を持った住民として迎えれば、すぐにでも解決する。権利が十分に保障された結果(自発的にシングルライフや子どものいない生活を選び取った結果)としての「少子化」ならば問題だと考えていない。

【関連記事】
山田昌弘『少子社会日本』(岩波書店、2007年)- mahounofuefukiのメモ

【関連リンク】
厚生労働省:第5回21世紀成年者縦断調査(国民の生活に関する継続調査)結果の概要
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by mahounofuefuki | 2008-03-21 20:18

「ロスト・ジェネレーション」という呼称は無神経か

 1990年代半ばから2000年代初頭のいわゆる「就職氷河期」に学卒期が当たった、1970年代から80年代初頭生まれの世代を何と呼ぶか、今も呼称は一定していない。ある人は「氷河期世代」と呼び、ある人は「難民世代」と呼び、ある人は「貧乏くじ世代」と呼ぶ。
 そんな呼称の1つに「ロスト・ジェネレーション」というのがある。一昨年あたりから特に朝日新聞がこの「ロスト・ジェネレーション」という言葉を多用しはじめ、「ロスジェネ」という略称もしばしば用いられるようになっている。
 この「ロスト・ジェネレーション」に、メディア研究者の桂敬一氏が「『ロスト・ジェネレーション』というな!ひとりよがりで無神経な朝日の言葉の使い方」というコラムでかみついている。
 NPJ通信 メディアは今 何を問われているか 桂敬一

 桂氏の主張の要点をまとめると次のようになる。
①「ロスト・ジェネレーション」とは元々、第1次世界大戦により伝統的価値観が崩壊した1920年代のヨーロッパで青年期を迎えた世代による文学的潮流を指す。
②ヘミングウェイ、スタインベック、フォークナーらこれらの世代は「伝統から断ち切られ、不安に投げ込まれはしたけれど、自力でなにかが選び取れる、大きな自由に飛び込んでいった若者たち」だった。
③朝日新聞が「就職難、派遣・請負などの非正規雇用、オタク、引きこもり、ニート、加速する格差社会のなかの差別など」を総括するために「ロスト・ジェネレーション」と呼ぶのは、「安直な風俗的世代論」への「援用」であり「悪用」「不見識」である。
④当該世代に対する不当な扱いは「単なる差別というより、不公正な社会的排除というべきもの」だ。「後期高齢者」への社会的排除のように、現在の社会問題は「世代論ごときものの対応では間に合わなくなっている」。
⑤「貧乏人たちのジャンヌ・ダルク」雨宮処凛さんが提唱している「プレカリアート」の方が、「ロスト・ジェネレーション」より実態に合っていて「安易な世代論がつけ込む隙もない」。
 結論から言えば「この人は何もわかっていない」と言わざるをえない。要するに桂氏は現代日本の氷河期世代に、反体制のエネルギーに溢れていた「ロスト・ジェネレーション」の呼び名は相応しくない、「世代」で切り取るのはやめろと言っているのだが、そうした発想は我々の世代の苦しみを全く理解していないから出てくるのである。

 桂氏が「本来の『ロスト・ジェネレーション』には、もっと大きな歴史の混沌のなかに進んで身を投じていくエネルギーや、そこで不正に立ち向かっていく勇気」があったと強調する時、明らかに今の氷河期世代にはそれがないという非難を含んでいる。「お前らは本当の『ロスト・ジェネレーション』じゃない、なぜなら不正と闘う勇気がないからだ!」という意味を含んでいる。
 彼のような恵まれたインテリゲンチャ(「左翼」をやっていても生活できる職業知識人)には、なぜ氷河期世代の、それも社会的弱者の多くが「自己責任」論を受容させられ、堀江貴文を「革命家」とみなし、郵政選挙でコイズミを支持したかは全く理解できないのだろう。「エネルギー」も「勇気」もないのは、そんなものを持てばますます社会から排除されるからだということが全くわかっていない。
 学生運動の闘士が大蔵官僚や商社の経営者になれる時代はとっくに過ぎ去った。日本社会をそんな息の詰まったものにしてしまったのは誰か。少なくとも我々の世代ではない。

 桂氏は「ロスト」には「迷子」「行き場がない」という含意もあると指摘するが、それならばまさに今の氷河期世代にぴったりの表現である。
 終身雇用でない非正社員には中高年になる時に仕事に就いている保障は全くない。正社員は正社員で過労のために生きているかどうかの保障がない。「ニート」や「引きこもり」(いずれも差別用語だと私は考えているので「」つきで用いる)はなおさらだ。いつ社会との関係を断ち切られるか皆が不安を抱えている。まさに私たちの世代はよほどの特権的エリートでもない限り「迷子」なのである。
 後期高齢者医療保険制度は高齢の年金生活者に保険料を負担させるというとんでもない制度だが、75歳まで生きられただけ氷河期世代よりはましである。我々の世代の非正規労働者は大半が社会保障制度から排除されている。国民年金や国民健康保険は低賃金のため払えず、雇用保険も機能していない。今のままでは75歳どころか、パラサイトしている親世代が死ねば氷河期世代もジ・エンドである。

 旧来の左翼は「階級内階級」が存在する事実を認めたくないのか「世代」で区切るのを嫌う。中高年の雇用を守るために氷河期世代が犠牲になったと言われるのを避けるためもあろう。しかし、そんな机上の理論とは別に、現実に「安定」や「希望」や「生きがい」を「ロスト」させられ「迷子」であるのを余儀なくされている「世代」が存在するのである。まずはそれを認めて欲しい。
 昔から貧困はあった、辛いのは氷河期世代だけでないというかもしれない。近代日本には一貫して貧困が存在したのは事実である。しかし貧困がミニマムであった時代と、現在のように大学を出てもまともな職に就けなかったり、「家族」「親族」「地域」「会社」のような社会的紐帯(さまざまな矛盾を抱えてはいても)が崩壊した時代とでは、やはり大きく異なる。我々は無防備にジャングルに投げ出されたようなものなのだ。

 確かに我々の世代にはヘミングウェイやスタインベックがいない(さすがに佐藤友哉や乙一を彼らと同列にはできん)。そこで問われるべきは「なぜヘミングウェイがいないか」であって、「ヘミングウェイに比べてお前らは甘い」ということではない。
 ヘミングウェイやフィッツジェラルドにはガートルード・スタインという庇護者がいた。しかし、今の氷河期世代にはスタインがいない。スタインたるべき人たちは、一介のコンビニ店員が「こんなみじめな人生を強要させられるくらいなら戦争でも起きないかな」と言っただけで袋たたき。これでは我々は本当に「行き場」がない。民衆の「分裂」を避け「統一」を目指すならば、氷河期世代の悲鳴を真摯に聞かねばならない。

 私は「ロスト・ジェネレーション」という呼称自体は、好き嫌いは別として悪くはないと思っている。「プレカリアート」という造語も巧いが、これだと終身雇用を得られた層は含まれない。元の意味はどうあれ、桂氏のように忌み嫌う必要を全く感じない。
 むしろ朝日新聞が批判されるべきは、そんな言葉の使い方ではなく、当の朝日新聞社が非正規労働を用い、不当な処遇を与えていることだろう。朝日に限らず新聞社は非正規労働の不安定性を問題にするのならば、まずは足元の問題に誠実に対応してもらいたいものだ。特に販売店の労働環境は相当ひどい状態にあるのは周知の事実である。

 なお揚げ足とりになるが、雨宮さんを「貧乏人たちのジャンヌ・ダルク」と呼ぶ方がよほど無神経に感じる。ジャンヌ・ダルクはフランスの「救国のヒロイン」と目され、いわば「体制」を救ったということを讃美される人である。国家の犠牲者の側に立つ彼女に、国家側の象徴の名を与えるのはおかしい。朝日を批判する前に自分の言葉の使い方を反省して欲しい。
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by mahounofuefuki | 2008-03-13 21:21

「正社員のイス」をめぐって

 現在の日本の雇用における最大の問題は、非正規雇用の拡大であることはもはや言うまでもない。昨日の夜のNHKニュースはトップで総務省の「労働力調査」の結果を伝えたが、それによれば昨年の非正規労働者の数は前年より55万人も増え、過去最高の1730万人余りに上り、全労働者に占める割合も33.5%にもなっている。3人に1人が不安定な有期雇用や中間搾取のある間接雇用なのである。

 今回の「労働力調査」については、Internet Zone::WordPressでBlog生活 非正規労働者が3分の1を超えるがわかりやすく紹介しているので、そちらに譲りたいが、特に男性非正規労働者の55%が年収200万円未満というのは、もはや非常事態である。労働者の「生きる権利」という観点のみならず、日本社会の持続可能性や国内市場の活性化といった観点からも現状を座視することはできない。

 一方で今日は、大手企業の次年度の採用計画に関するニュースも伝えられている。たとえばトヨタ自動車は新卒・中途採用計3629人を採用するという。4年連続で採用人員が3000人を超え、好調な業績を反映している(共同通信2008/03/10 18:24)。また、日立製作所は新卒・中途採用計1450人で、こちらも5年連続の採用増で、1400人台の採用は15年ぶりだという(毎日新聞2008/03/10 18:04)。
 長期不況を脱した数年前から新卒の就職市場は「売り手市場」が続いているが、今後も「団塊の世代」の退職増加により、しばらくはこうした状況が続くのだろう。

 この2つのニュースを見比べた時、我々「氷河期世代」の不遇が改めて浮き彫りになる。
 いくら景気が回復しようが、採用が増えようが、企業の採用は新卒中心である。今も企業は非正規労働の経験を全く評価しない。故に新卒で正規雇用にありつけなければ、ほとんどは生涯非正規雇用に甘んじなければならない状況にある。この「不遇」は決して「運命」でも「災難」でもなく、政府の政策と財界の人為的な行動によってもたらされたものである。

 こうした状況を是正するためという口実で、最近財界やその御用文化人が「優秀な非正社員を正社員にするには、今いる無能な正社員を解雇しないとイスが空かない」という論理で正社員の解雇自由化への世論誘導を始めている。日本経済新聞や週刊ダイヤモンドなどの財界の腰巾着たちが「新しい雇用ルール」などと言って解雇規制の緩和を主張している。
 ダイヤモンド社論説委員の辻広雅文氏が解雇自由化を唱えていることは以前紹介した(下記関連記事を参照)。これに続いて国際基督教大学教授で経済財政諮問会議のメンバーでもある八代尚宏氏が、やはり「同一労働・同一賃金」を口実に同様の主張を行っている(八代尚宏、堂々と解雇規制緩和を求める。-花・髪切と思考の浮遊空間参照)。

 新卒当時に「運とチャンス」に恵まれなかったと考える「氷河期世代」の非正規労働者の中には、正社員のイスの数が決まっている以上、今いる正社員がイスをどかない限り、自分が這い上がる機会がないと考え、正社員の解雇自由化を支持する人も多いだろう。あるいは、そんな問題以前に、自分たちを「差別のまなざし」で見つめる彼らが「没落」することを単純に願う人も少なくないだろう。その気持ちはよくわかる。
 しかし、現実の企業は「正社員のイス」を減らすことしか考えていない。解雇自由化の実現までは、あたかも非正規労働者のために正社員のクビを切るというポーズをとるが、いざ実現したら正社員のクビを切っても、非正社員を正社員に登用することはない。たとえあっても能力主義と成果主義で徹底的に競わせ、過酷なサバイバルに勝ち残った者だけにしか「恩賞」を与えない。しかも、仮に正社員になれても、解雇が自由化されているのだから、今度は自分がいつでもクビを切られるのである。

 解雇規制緩和の真の目的は労働法制の完全解体である。
 すでに昨年、就業規則を労働契約とする労働契約法が成立した。財界はこれを足掛かりに、労働基準法を事実上解体し、あらゆる労働条件を公的な規制なしに、労使間の契約だけで決めてしまえるよう目論んでいる。
 国の規制によらず労使間の話し合いで「雇用ルール」を決めるというのは、一見民主的なように見えるかもしれないが、実際は労使が対等になることは絶対にありえない。特に労働組合が弱い(というよりもはや存在しないに等しい)日本では必ず企業側の一方的な強制になる。何の法的規制もなければ企業が24時間労働を命じることも、タダ働きを強制することも合法化される。

 現在でも労働法制はほとんど守られず、長時間労働や残業代の不払いや偽装管理職が後を絶たないのに、その法制さえなくなってしまえば、企業はいつでもどこでも労働者を好きなだけ働かせることができ、いつでも解雇でき、過労で病気になろうが死のうが企業の責任は問われない。まさにやりたい放題であり、労働者は正規・非正規にかかわらず本当の「奴隷」となるだろう。
 正社員の解雇自由化は、「奴隷」が「市民」になれるどころか、「市民」の「奴隷」化を招き、「貴族」たちを喜ばせるだけの方策であることを肝に銘じるべきだろう。

 結局のところ、残された道は「正社員のイス」を増やすよう要求することしかない。財界や御用メディアは必ず「右肩上がりの経済成長の時代は終わったので、全員を正社員にすることはできない」と言うが、実際は少なくとも大企業は史上最高の収益を上げていることが明らかになっている。昨年発表された2006事務年度の法人申告所得は57兆円と過去最高を記録している。株主や役員が独占している「ぼろ儲け」を吐き出せばいくらでも「正社員のイス」を増やせるのである。
 正規雇用を増やす余裕が本当にない中小企業の場合は、公的な支援が必要だろう。国に中小企業への支援を強化させなければならない。

 なお「正社員と同じ労働内容の非正社員」は企業の決断があれば正社員にできるが、そうでない「日雇い派遣」のような「高齢の未熟練労働者」については「金持ち増税で公務員を増やし、ワーキングプアを年齢にかかわらず優先的に採用する」くらいの革命的な施策が必要だと考えている。企業だけでなく政府が非正規雇用の正規化に本腰を上げない限り、問題は決して解決することはないだろう。

【関連記事】
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by mahounofuefuki | 2008-03-10 22:44

生活保護と生存権

 小泉政権の「構造改革」の本質は「強きを助け、弱きをくじく」ことにあったが、それが最も如実に表れているのは、「聖域なき歳出削減」をうたい文句に社会保障費を毎年2200億円削減するよう決めたことである。2002年度以降、毎年予算編成のたびに厚生労働省はこの「2200億円」(ただし02年度は3000億円削減)をどうにかして捻り出すことを政府から求められ、その都度給付を削減したり負担を増やしたりしてきた。
 この5年余りの間に国民年金や厚生年金や介護保険の保険料が引き上げられ、医療の自己負担比率が増える一方、年金給付額が引き下げられ、雇用保険や健康保険の国庫負担が削減され、生活保護の老齢加算や母子加算が段階的に廃止され、診療報酬や介護報酬が引き下げられた。特に高齢者、障害者、貧困者といった弱い立場の人々を狙い打ちにし、富裕層優遇の経済政策と合わせて「貧困と格差」を拡大させた。

 今年度予算編成でも当初厚生労働省は生活保護基準の引き下げを行う予定だったが、昨年心ある人々の猛抗議により先送りされた(ただし母子加算の段階的廃止は予定通り実施)。あくまで「先送り」なので、このまま「構造改革」路線が続けば、来年度予算編成で再び生活保護基準引き下げを提起してくるだろう。
 そのための布石としてか、このところ生活保護の不正受給に関するニュースがいやに大きく報道されている。特に北海道滝川市で暴力団関係者が生活保護費を約2億円も詐取していた事件は、生活保護行政への反発を呼び起こし、ひいては生活保護受給者への不信につながっている。政府・厚労省としては生活保護受給者への誹謗中傷は歓迎するところで、生活保護基準引き下げへの世論の支持を調達する思惑がある。

 一方、不正受給問題の陰で、マスメディアがさっぱり大きく取り上げないのが、生活保護受給者らによる「生存権裁判」である。生活保護の老齢加算や母子加算の廃止は、生存権の保証を定めた憲法第25条に違反するとして、高齢者やシングルマザーの女性らが国を訴えている訴訟で、現在北海道、青森、秋田、東京、新潟、京都、兵庫、広島、福岡の各都道府県でそれぞれ進行している。
 ただでさえ少なかった生活保護給付額から加算分を減額されたことにより、基本的な衣食住も賄えなくなった人々が続出している。また母子加算の廃止は、まともな収入を得られる就労機会が少ない「子持ち女性」の生活を圧迫すると同時に、母子家庭に育つ子どもの教育機会を奪い、貧困を再生産させる。「食事を1日1回に減らした」「葬式にも出られない」という叫びに耳を傾けねばならない。
 政府が生活保護基準の引き下げを準備する中で、この訴訟の帰趨は今後の社会保障政策全般に影響するだろう。決して見過ごすことはできない。

 日本国憲法第25条は第1項で「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」、第2項で「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と規定している。これに従い生活保護法は「最低限度の生活は、健康で文化的な生活水準を維持することができるものでなければならない」と定め、国に「国民」の生存権を保障する義務を負わせている。
 当然、国家の側は憲法や法律に従って、貧困者が生存し、社会参加できるよう支援しなければならない。ましてや現在の貧困の主たる原因は、政府の経済政策の失敗にあり、そのツケを支払う責務がある。「生存権裁判」は改めて憲法第25条の重みと国家の社会保障の意味を問うていると言えよう。

 生活保護問題に対しては相変わらず「自己責任論」が幅を利かせており、「生存権裁判」に対しても誹謗中傷が絶えない。貧窮な高齢者に対しては現役時代の「努力」が足りないからだと責め立てたり、子どもを塾に通わせたいという女性原告の言葉じりをとらえて、「塾通いが“最低限度”の生活か」という類の罵声を浴びせたりする。
 これらの輩は、現代社会では貧窮者の多くが生まれた時から貧窮者で教育機会にも就職機会にも恵まれなかったことや、日本の年金制度や医療保険制度が一定規模以上の企業の正社員を標準としているため、その「標準」から外れる人々には圧倒的に不利であることを無視している。「塾通い」云々についても子どもには貧困のスパイラルから抜け出して欲しいという親心を理解しなければならない。
 もっと深刻なのは生活保護を受給していない貧窮者からの受給者への攻撃だが、これも昨年当ブログで繰り返したように、生活保護受給額が非受給者の所得より多いことが問題なのではなく、非受給者が生活保護基準を下回っているのに生活保護を受給しない、あるいはさせないことこそ問題なのである。少なくとも私は貧困ライン以下で「我慢」させられる状態を「美徳」とは思わない。

 そもそも現代における貧困とは、単に食料がなくて肉体的な生存が危機に瀕しているという状態だけを指すのではない。それぞれの属する社会で当然とされる生活習慣や生活様式を維持することができない状態を貧困というのである。
 親族や友人が亡くなれば葬式に出なければならないし、葬式に出れば香典を上げなければならない。冷蔵庫や洗濯機や電気炊飯器は日本社会ではもはや最低必需品である。「健康で文化的な生活」とはまさに日本社会で「常識」とされる生活習慣や生活様式のことである。その観点からすれば現行の生活保護基準は決して高いとは言えない。

 生活保護と生存権の関係をめぐる問題は、特権的エリートを除いて誰しも貧困に陥る可能性を持っている以上、決して見過ごすことができないはずだ。少しでも関心を持ってほしい。

【関連リンク】
日本国憲法-法庫
生活保護法-法庫
全国生活と健康を守る会連合会 【生存権裁判】
生活保護問題対策全国会議
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by mahounofuefuki | 2008-03-01 15:32

東京新聞「ハケンの反撃」を読んで

 マスメディアが社会問題を報じる際、たいてい「こんなひどいことが起きている」「表向きはそうだけど実際はこうだ」という実態の暴露と告発に終始しがちで、もちろんそれは十分に意義があるのだが、取り上げる問題があまりにも深刻だと、個々人の力ではどうにもできないという無力感や絶望感を深める役割を担ってしまうことも少なくない。
 それを打破するためには、問題を実際に解決した実例や解決する希望が見出せる道筋を提示するしかないが、その点で東京新聞が2月10、11、14、17日(日付は電子版による)の4回にわたって連載した「ハケンの反撃」は、その名の通り派遣労働者の「反撃」の「勝利」の実例を紹介し、希望を与える好企画だった。
 ハケンの反撃<1> 広がる連帯の輪 武器はユニオン(東京新聞2008/02/10)
 ハケンの反撃<2> 『手口をあばく』 もう だまされない(東京新聞2008/02/11)
 ハケンの反撃<3> “サイバー連帯”進化(東京新聞2008/02/14)
 ハケンの反撃<4> 勤務記録で対抗(東京新聞2008/02/17)
 昨年来「貧困」「格差」「ワーキングプア」の実態は広く報道され、問題の存在自体は社会の共通認識になった以上、これから必要なのはどうすれば問題解決の糸口をつかめるか模索することであり、マスメディアにはこうした報道をどんどん続けてほしい。

 「ハケンの反撃」が伝える「希望」は労働運動の「新しいカタチ」である。旧来の正社員中心で労使協調型の企業内労働組合ではこぼれおちてしまう非正規労働者による連帯の動きが始まっている。

 昨年、人材派遣大手フルキャストの個人加盟労組フルキャストユニオンが不当な給与ピンハネ分の全額返還を勝ち取ったことで、他の派遣会社でも返還を求める団体交渉や労基への申し立てが広がっている。グッドウィルやエムクルーの動きについては以前当ブログでも紹介した。日雇い派遣に限らず、個人加盟型のユニオンは急速に増えており、全国ユニオンによれば現在約3300団体あるという。
 記事が紹介したマイワークのユニオンの委員長は50代の元自営業者で、「派遣=若者」という世間一般のイメージとは異なり、派遣労働者には「構造改革」で失業した元正社員や倒産・廃業した元自営業者も少なくないことを示すと同時に、社会経験を積んだ「人生のベテラン」の役割が労働運動においても必要であることを示唆している。

 こうした動きに「格差社会」の「共同正犯」(by佐高信氏)である連合も重い腰を上げて、昨秋「非正規労働センター」を立ち上げ、今春闘では非正規労働の待遇改善、特にパート労働者の賃上げを要求している。「正社員中心の壁を越えていこうという連合の自己改革宣言」が単なる掛け声倒れにならないようにしてほしい。

 「ハケンの反撃」はインターネットを通した「サイバー連帯」の可能性も伝えている。とにかく現代は「団結」や「連帯」を敬遠する意識が強く(そういう私も個別の問題に絞らない連帯を嫌う傾向がある)、それ以上に表立って労組になど加入して会社側から攻撃を受けることを何よりも恐れており、労働運動の敷居は高い。ここではサイバーユニオンの草分け「ジャパンユニオン」が紹介されているが、「匿名性や双方向性というサイバーの特徴で、労組加入の垣根が低くなっている」というのは注目すべきだろう。
 また私も最近アンテナに加えた労組専門動画投稿サイト「ユニオンチューブ」は、実際の団交の様子や労働関係のイベントの映像を全世界から見ることができる。特に団交は労組の最大の見せ場であるにもかかわらず、マスメディアが報道することはまずないので、その記録は貴重だ。それぞれの職場で孤立している労働者に労組へ加入するメリットを伝えていくことが必要だろう。

 「希望は、連帯。」というにはまだまだ前途多難であるが、この10年余りで労働基本権は極限まで失墜し、資本主義初期の工場法制定前の奴隷労働同然になっている現状を変革するエネルギーは、これら新しい労働運動からしか生まれないだろう。

【関連記事】
「生きのびるための労働法」手帳
エム・クルーの偽装請負・賃金ピンハネ問題と「成金」イデオロギー
労働者派遣法改正問題の行方
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「非正社員が正社員になりたかったら、正社員の解雇自由化に賛成しろ」という悪魔の囁き
厚生労働省「日雇い派遣指針」をめぐって~労働者派遣法改正問題

【関連リンク】(「ハケンの反撃」に登場した団体など)
My work Union 【マイワーク ユニオン】
フルキャストユニオン HP
フェアワーク つながるネット
全国ユニオン
ガテン系連帯-派遣・請負者の為のNPO-
GU-NET -労働組合 東京ユニオン
インターネット労働組合ジャパンユニオン
労働相談センター・スタッフ日記
NPO法人労働相談センター
首都圏青年ユニオン
UnionTube
NPO POSSE
NPO法人・職場の権利教育ネットワーク
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by mahounofuefuki | 2008-02-18 21:02

「協同労働の協同組合」法制化の動き

 「協同労働の協同組合」の法制化を目指す超党派の議員連盟が2月20日に発足するという。
 以下、読売新聞(2008/02/10 09:32)より。
 参加者が生活するために必要な利益だけ確保する非営利団体「協同労働の協同組合」の法制化を目指し、20日に超党派の議員連盟が発足することが9日、明らかになった。
 フリーター、働いても収入が少ない「ワーキングプア」、既に退職した高齢者などが働くための受け皿となることを期待して、法的根拠を明確にしようというもので、「脱貧困」対策として、今後の取り組みが注目される。
 協同組合はNPO(非営利組織)法人と民間企業の中間的な位置付けの団体。働く人が出資者と経営者も兼ねる形となっており、一口5万円程度の出資金を出して「組合員」として働く事例が多い。出資額に関係なく組合員は平等な権利を持ち、企業のように「雇用者と被雇用者」という関係が存在しない。生活協同組合(生協)の労働版とも言われる。行政からの補助金など、公的支援に頼らない点も特徴だ。
 全国には「協同労働の協同組合」の理念で活動している人が約3万人おり、事業規模は年300億円程度に上るとされる。事業内容は、介護・福祉サービスや子育て支援、オフィスビルの総合管理など幅広い。企業で正規に雇用されない若者や、退職した高齢者などが集まって、働きやすい職場を自分たちの手で作り、生計を立てられるようにすることが最大の利点で、フリーターなどの新しい働き方として期待されている。
 しかし、協同組合の根拠法がないため、形式的にNPO法人などとして活動している事例が多い。協同組合の法制化が実現すれば、寄付に頼るNPO法人よりも財政基盤が強固となり、参入できる事業の規模や種類が拡大すると見られている。また、地方自治体の行政サービスを民営化する際の委託先などになることも想定されている。(後略)
 この「協同労働の協同組合」については、そういうものがあるということは聞いたことがあるが、詳細はよくわからない。ネットでとりあえず調べたところでは、この議員連盟の発起人会が2月1日に行われており、自民、公明、民主、社民、国民新各党の議員が出席している。共産党がいないのは、この「協同労働の協同組合」の法制化を目指している「協同労働法制化市民会議」の会長が前連合会長の笹森清氏であることと関係しているのだろう(共産党が敬遠しているのか、「市民会議」が共産党を排除しているのかは不明だが)。

 貧困問題の背景として、労働者の人間性を否定する厳しい労働環境があるのは確かで、それだけに「雇用者と被雇用者」という関係がないというのは注目に値すると思う。何であれ「日雇い派遣」のような「貧困ビジネス」に頼る働き方から抜け出す機会が創出されることは良いことだ。
 ただし、「公的支援に頼らない」「行政サービスを民営化する際の委託先などになる」というのが気になる。行政が何もやらないのを免罪したり、民営化の道具になってしまうようでは困る。

 いずれにせよ私はよく知らないので、とりあえず検索にかかった関連サイトをリンクしておく。まだきちんと読んでいないので、この件の論評は保留する。


《追記 2008/02/21》

 「協同労働の協同組合」の法制化を目指す超党派による「協同出資・協同経営で働く協同組合法を考える議員連盟」の発会式が20日国会内で行われた。しんぶん赤旗(2008/02/21)によれば、共産党からも複数の国会議員が出席し、国会の全会派が参加することになったようだ。
 故に本文の「共産党が敬遠しているのか、『市民会議』が共産党を排除しているのかは不明だが」の部分は撤回する。関係者及び読者の皆様におわび申し上げます。

【関連リンク】
協同労働法制化市民会議 オープンフォーラム
協同労働法市民会議だより
日本労働者協同組合連合会
ワーカーズコープ労協センター事業団
NPOワーカーズコープ
協同総合研究所
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by mahounofuefuki | 2008-02-10 11:30

「非正社員が正社員になりたかったら、正社員の解雇自由化に賛成しろ」という悪魔の囁き

 「ニュースを読む」と銘打ったブログを書いている以上、できるだけいろいろなニュースソースを把握しておきたいのだが、実際は私ほどアンテナの狭いブログ書きはいないのでは?と自問してしまうほど、ネット上の巡回先が少ない。特に財界べったりのビジネス系のニュースサイトなんかは読むのが苦痛でしかなく、普段は無理して読まないのだが、今日たまたま読んだら、やはりというか何というか、血圧が上がりそうなとんでもない記事を見つけてしまった。
 正社員のクビを切りやすくする改革は受け入れられるか|辻広雅文 プリズム+one|ダイヤモンド・オンライン
 筆者の辻広雅文氏はダイヤモンド社の論説委員で、「週刊ダイヤモンド」の元編集長である(以下、引用文の太字強調は引用者による)。

 書き始めは穏当である。最近の株価下落は外国人投資家が「改革」の「後退」に「失望」したからだという新自由主義勢力の説に疑問を呈し、外資が「評価し、株を買いたくなるような改革が果たして日本の国民にとっていい改革かどうかも怪しい」という指摘はもっともである。外資が「イベントやサクセスストーリーを欲しがっているだけ」とまで言っている。
 それを踏まえて辻広氏は、「最優先で取り組むべき改革」は「財政問題」でも「社会保障問題」でもなく「労働市場改革」であり、「正社員と非正社員の処遇格差問題の解決」だと主張する。社会保障と切り離した労働政策があり得るのかという疑問はさておき、正規・非正規雇用間の待遇差別は今日の「貧困と格差」の決定的要因であり、その「解決」が重要であるというのは首肯できる。

 「その格差問題のなかで最も深刻なのは、正社員と非正社員の処遇格差であろう。同じ仕事をしているにも関わらず、片方にしか昇給昇進の道は開かれていない」「彼らは好きこのんで非正社員を選んだのではない。とりわけ、1990年代半ばから10年ほどの間に出た若者にとって就職氷河期が続いた。それは明らかに政府のマクロ経済政策の失敗で、彼らの責任ではない」「こうした状況を放置すれば、ワーキングプアたちの生活の荒廃から社会の劣化が進むだろう」というくだりは、我々「氷河期世代」には涙が出るほど真っ当な現状認識である。
 上の世代からも下の世代からも「努力が足りない」「能力がない」「甘えている」と罵倒され続けている中で、はっきりと「政府のマクロ経済政策の失敗」のせいであると言ってくれるのは本当に心強い。

 ところがである。この男が「氷河期世代」の非正規労働者に優しい言葉をかけたのには別の思惑があることが次第に明らかになる。

 彼は語る。「では、どうすればいいか。現在雇用している正社員を抱えたままで、非正社員の正社員化を進められるほど体力のある企業はまれである。経営者に非正社員の社員化の実行を促す仕組み、つまり正社員と非正社員を入れ替えることができる仕組みが必要だろう。要は、正社員を整理解雇できるようにするのである」と。要するに正規・非正規雇用間の不均等待遇を均等にするためには、非正社員の待遇を正社員並みに引き上げるのではなく、正社員と非正社員が入れ替わるような雇用の流動性が必要だと言うのである。
 以前、和田中学校の夜間補習の件の時にも指摘したが、この国では「平等」の定義について「横並び」派(すべての人々が等しい)と「機会均等」派(誰もが上昇の機会がある)の間にコンセンサスがない。辻広氏は明らかに後者で、非正社員が正社員になる機会を作るためには、正社員を自由に解雇できる制度が望ましいと主張するのである。
 言うまでもなく現行の労働法制や労働関係の判例では正当な理由がない限り解雇はできない(ことになっている)。故に彼は「労働法制の大転換」を唱える。ここで真実ははっきりする。正規・非正規雇用間の差別解消はあくまでも「解雇の自由化」の口実にすぎないのだ。

 「虐げられた人びと、ワーキングプアたちを救えという声は多く聞こえるが、正社員の雇用に手をつけるという視点は、世の中のどこにもない。それは、メディアを含めて影響力のある人びとの多くが正社員という既得権益者であるからだ」という本人も正社員じゃないの?という予想されるツッコミに対しては、「自分自身が抵抗勢力である」と言うだけ。そう言いつつ彼は最後まで終身雇用に守られ、そこそこの退職金をもらい厚生年金+α(どうせ資産運用しているだろう)で生活できる老後を迎えるのだろう。
 労働法制の解体を唱えるようなエリートは不思議と想像力に欠けていて、自分が実際に非正規雇用になって、昇給もボーナスもなく、場合によっては社会保険も厚生年金もない状態を考えはしない。あるいは考えても「実力」に自信があるためか軽視したがる。ましてや「ワーキングプア」やホームレスに自分がなる可能性など絶対に考えたことがない。考えたことがあれば、こんな暴論を唱えるはずがないからだ。

 辻広氏の記事の目的は明瞭だ。正社員を「既得権益」と称すことで、正社員と非正社員を分断し、非正社員が「正社員の解雇の自由化」に賛成するよう仕向けることである。これは「正社員を自由に解雇できるようになれば、あなたたちが正社員になれるチャンスが広がりますよ」という悪魔の囁きだ。今まで自分を見下していた正社員が没落する様を思い描いてカタルシスを得る者もいるだろう。
 しかし、それは問題のすり替えである。「正社員の既得権益」は本来「権益」ではなく「労働者の当たり前の権利」である。正社員に昇給やボーナスや社会保険があるのがおかしいのではなく、非正社員にそれらがないことがおかしいのである。それを修正するには正社員の待遇を引き下げるのではなく、非正社員の待遇を引き上げるほかない。
 非正社員が叫ぶべきは「既得権益を解体しろ」ではなく、「既得権益をおれにもよこせ」である。単に「上」と「下」が入れ替わるだけでは、差別そのものは存続する。「正社員の解雇の自由化」は「貧困と格差」の解消どころか、「全労働者の奴隷化」さえ招くだろう

 だいたい正社員と言っても、現在ほとんどが成果主義による競争と過労で苦しんでいる。大企業と中小企業の格差や地域間格差も深刻だ。「既得権益」と言えるほど正社員が恵まれた状況にあるわけではない。最近は「ワーキングプア」化した「周辺的正社員」がクローズアップされているほどだ。
 正規・非正規雇用間には確かに矛盾はある。しかし、その解決は正規雇用の解体ではなく、非正規雇用の「正規」化と非人間的な労働環境の是正によってしかもたらされない。財界や御用メディアが目論む労働法制の解体は矛盾を拡大するだけだ。「本当の敵」を決して見誤ってはならない。
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by mahounofuefuki | 2008-02-05 22:29

グッドウィル事業停止

 相次ぐ労働者派遣法違反行為により、東京労働局から最長4カ月の事業停止命令を受けた日雇い派遣大手のグッドウィルは、今日(1月18日)から全国708の全事業所の事業を停止している。昨年やはり禁止業種への派遣事業が発覚したフルキャストに続いて、派遣大手が重い処分を受けたことは、改めて「日雇い派遣」という雇用形態の全面的な見直しを問うていると言えよう。
 偽装請負、二重派遣、給与からの不透明なピンハネなどなど、グッドウィルはやりたい放題であった以上、この処分は当然ではあるが、問題は事業停止によってグッドウィルに登録している派遣労働者は完全に失業してしまうことだ。経営者の罪を労働者が負う不合理はあってはならないが、実際には労働者は放り出されている。

 厚生労働省の資料によるとグッドウィルの派遣労働者数は、先月の時点で1日平均約3万4000人。日雇い派遣の場合、複数の派遣会社に登録している人々が多いだろうが、それにしても万単位の労働者が職を失うことには変わりはない。
 厚生労働省職業安定局は1月11日、事業停止命令に際して雇用対策を発表しているが、各都道府県労働局への相談窓口の設置とハローワークの強化くらいで目ぼしい対策はない。
 株式会社グッドウィルに対する行政処分に伴う派遣労働者の雇用対策について-厚生労働省*PDF

 一方、派遣ユニオングッドウィルユニオンは、17日付で緊急声明を発している。
 見殺しにするな~グッドウィル事業停止に伴う緊急声明-レイバーネット
 以前当ブログでも書いたが、昨年から日雇い派遣にも雇用保険が適用され、失業の場合にはいわゆる「アブレ手当」が出るはずなのだが、なんとグッドウィルは雇用保険の適用事業所申請を行っていないのである。しかも、ユニオン側は厚労省に対し日雇い雇用保険への遡及加入を要求したが、厚労省はこれを拒否したという。
 グッドウィルユニオンはこの声明で、労働基準法第26条等に従いグッドウィルが賃金を全額保障し、厚労省には日雇い雇用保険の遡及加入措置を講じるよう改めて要求している。両者はすみやかに要求に従うべきである。
 *なおグッドウィルユニオンは今日(1月18日)より1週間、「失業ホットライン」を設けて日雇い派遣労働者の電話相談を受け付けている。前記レイバーネットのリンク及び下記「関連リンク」のグッドウィルユニオンのブログを参照。

 厚労省はすでに今年度中の労働者派遣法改正を見送り、当面現行法の枠内で日雇い派遣の規制を強化する指針案を労働政策審議会に提示しているが、報道によればその内容は派遣先への「管理台帳」作成義務づけや派遣元による派遣先の巡回確認などで(時事通信 2008/01/16 19:00)、いくらでも偽装可能な小手先の改善策でしかない。
 以前も指摘したが、労働者派遣法を派遣労働者保護法に変える抜本的な改正が必要であり、何よりも非正規雇用から正規雇用への転換と、正規・非正規にかかわらず人間らしい扱いを受ける労働環境づくりという大枠がなければ、今回のグッドウィルのようなことは繰り返されるだろう。この問題は誰にとっても他人事ではありえない。

【関連記事】
日雇い派遣にアブレ手当
労働者派遣法改正問題の行方

【関連リンク】
東京労働局
グッドウィルユニオン
全国ユニオン
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by mahounofuefuki | 2008-01-18 17:07

あるホームレスの死

 今日の毎日新聞が、昨年11月に浜松市で70歳のホームレス女性が死亡した事件を伝えていた。この国の貧弱な福祉と人々の冷たさを絵に描いたような事件である。
 以下、毎日新聞(2008/01/16 02:30)より、コメントを差し挟みつつ引用する(太字は引用者による)。
(前略) 市によると、11月22日昼ごろ、以前から浜松駅周辺で野宿していた70歳の女性が駅地下街で弱っているのを警察官が見つけ、119番通報。救急隊は女性から「4日間食事していない。ご飯が食べたい」と聞き、病気の症状や外傷も見られないことから、中区社会福祉課のある市役所へ運んだ。
 女性は救急車から自力で降り、花壇に腰を下ろしたが、間もなくアスファルト上に身を横たえた。連絡を受けていた同課は、常備する非常用の乾燥米を渡した。食べるには袋を開け、熱湯を入れて20~30分、水では60~70分待つ必要がある。
 警察官が黙殺していれば、彼女は誰にも看取られることなく死んでいただろう。おそらくは誰にも気づかれないまま消えていくホームレスの方が圧倒的に多いだろう。水と火がなくては食べられない非常食だけを渡して事足れりという役所の怠慢は言うまでもない。水をどこで手に入れるのか(水道水は無料ではない)、ポッドも薬缶もないでどうしろと?
 守衛が常時見守り、同課の職員や別の課の保健師らが様子を見に訪れた。市の高齢者施設への短期収容も検討されたが、担当課に難色を示され、対応方針を決めかねた。
 運ばれて1時間後、野宿者の支援団体のメンバーが偶然通りかかった。近寄って女性の体に触れ、呼び掛けたが、目を見開いたままほとんど無反応だったという。職員に119番通報を依頼したが、手遅れだった。メンバーは職員に頼まれ、救急搬送に付き添った。
 「職員が路上の女性を囲み、見下ろす異様な光景でした」とメンバーは振り返る。「保健師もいたのに私が来るまで誰も体に触れて容体を調べなかった。建物内に入れたり、せめて路上に毛布を敷く配慮もないのでしょうか」。女性に近寄った時、非常食は未開封のまま胸の上に置かれていたという。
 この国の「小市民」の処世術は「面倒事は見て見ぬふり」であるが、ついに「ただ見ているだけ」にまで堕ちてしまったようだ。彼女は市役所の敷地内の路上で「木偶の坊」たちに見守られながら心肺停止状態になっていたのである。
 最初に病院ではなく市役所へ運んだことについて、市消防本部中消防署の青木紀一朗副署長は「業務規定に従って血圧や体温などを調べ、急患ではないと判断した。隊員によると女性は病院へ行きたくないそぶりを示した。搬送は純粋な行政サービスで、強制的に病院へ運ぶことはできない」と話す。
 市の一連の対応について、社会福祉部の野中敬専門官は「与えられた権限の範囲内ですべきことはやった。職員たちの目に衰弱している様子はなかった。容体急変は医師ではないので予想できない」と話す。
 病院はタダではない。健康保険からもはじかれていただろう。抵抗感があるのは当然だ。福田首相、これでもこの国を「国民皆保険」と言い切るのか?
 死因は急性心不全だった。女性の死亡後、市民団体などから抗議された市は、内部調査を実施。中区社会福祉課の対応について「空腹を訴える女性に非常食を渡し、収容可能な福祉施設を検討した。2回目の救急車も要請した。職務逸脱や法的な義務を果たさなかった不作為は認められない」と結論付けた。
 医師は死因がわからない時「急性心不全」で片づける。結局どんな病気だったのか藪の中だ。市役所はお得意の自己免罪だが、野宿者支援の活動家が通りかからなければ「2回目の救急車」はなかった。路上放置が「職務」や「法的な義務」なのか!?

 貧困は自己責任ではない。腐敗した官僚と無能な政治家と強欲な資本家と愚昧な大衆の合作による作為である。自分もそんな愚昧な大衆の1人にすぎず、そして何よりこの見捨てられたホームレスは、未来の自分の姿なのかもしれないと思う時、暗澹たる気分になる。
 誰もが安心して生活できる社会はそれほど困難で遠いものなのだろうか?
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by mahounofuefuki | 2008-01-16 17:26