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日雇派遣禁止方針と秋葉原事件に因果関係はない

 「陰謀論」の本質は、実際には因果関係のないものに因果関係があるのでは?と勝手に類推することだと思っている。これには「左」であるか「右」であるか、あるいは拠って立つ思想が何であるかは全く関係ない。たとえばかつて幕末の孝明天皇の死に対して「毒殺説」が有力だった。「毒殺説」を採っていた研究者にはマルクス主義系の人もいた。原口清氏の詳細な研究が「毒殺説」を論破してからは「病死」が通説になっているが、これなど「科学的」であろうとしても「陰謀論」に絡めとられた実例である。

 かくいう私も安倍晋三首相が退陣した時、アメリカに引導を渡されたのかという疑いを書いた前歴があるので、偉そうなことは言えないのだが、不透明なことがあると「○○の謀略」とか「○○の陰謀」と考えてしまう思考様式は常に自省せねばなるまい。世の中には確かに「本当の陰謀」もあるのだが、因果関係を見出せないものを、無理に関係があるように錯覚することは厳に慎みたい。

 厚生労働省が日雇派遣の原則禁止を打ち出した件について、秋葉原の事件の影響を疑い、真っ当な政治運動をチマチマとやるよりも、インパクトのあるテロで衆目を集めた方が実効性があるのではないかという見方があるようだが、これは誤った見立てである。日雇派遣禁止方針と秋葉原事件には因果関係はない

 もともと厚生労働省は今春の通常国会で労働者派遣法改正案を成立させる予定だった。ところが昨年の労働政策審議会での議論がまとまらなかったため、翌年への先送りを決めた。これは少なくとも財界が要求する規制緩和一辺倒の「改正」案が作られるような政治力学が、昨年末の時点でなくなっていたことを意味する。厚労省がその時点で何らかの規制を行わなければならないと政策転換したのは間違いない。

 昨年末、規制改革会議がさらなる労働法制の解体を促す答申を出した時も、厚労省はやや厳しい反論を行った。そして、今春厚労省は「改正」先送りの代替措置として「緊急違法派遣一掃プラン」を実施し、新たに「日雇派遣指針」を派遣元と派遣先に課した。これは実施前から実効性に疑問がもたれ、現に今のところ全く効果がないが、秋葉原事件のはるか前から厚労省は派遣労働の「改善」方針に舵を切っていたことは確かである(ただし「改善」では不十分であるのは言うまでもない)。

 つまり、日雇派遣禁止方針は秋葉原事件にショックを受けて唐突に登場したものではなく、マスメディアによる「ワーキングプア」に関する報道や、個人加盟型のユニオンなどの新しい労働運動が注目されたことなどを背景に、昨年からの派遣労働見直しの大きな流れの中で現れたのである。確かに秋葉原事件を受けて、厚労省は法令を遵守するよう緊急通達を出したのだが、これは前述の「緊急違法派遣一掃プラン」の延長線上にあるもので、事件がきっかけで政策転換したわけではない。そしてこの通達もおそらく実効性はないだろう。

 事件の容疑者は派遣社員ではあるが、日雇ではない。その1点からも日雇派遣禁止方針の決定と秋葉原事件との間に因果関係を認めることはできない。時と場合によってはちまちました運動よりも、瞬間芸的なテロが社会を動かす事実を私は否定しないが、今回の件はそうではない。秋葉原事件をあまり雇用問題だけに絞りすぎると、「派遣社員=アブナイ」という偏見を生じ、かえって労働者間の分断を深め、派遣労働者に対する社会的排除を招く恐れがあることも指摘しておきたい。

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日雇派遣禁止は当たり前。問題はそのあと。
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by mahounofuefuki | 2008-06-16 22:07

日雇派遣禁止は当たり前。問題はそのあと。

 舛添要一厚生労働大臣が今日の閣議後の記者会見で、日雇派遣を原則として禁止する労働者派遣法改正案を次の臨時国会に提出する意向を示したという。これまでは厚労省が進めている改正作業が来春の通常国会を目途にしていると伝えられていたが、大臣の発言はこれを前倒しすることを示唆したと言えよう。舛添氏はこれまで口先では「~をやる」と言いながら、根回し不足で前言を反故にすることが多く、今回の件も省内や政府内の合意があるとは思えないが、少なくとも悪い話ではない。

 ただし、日雇派遣の禁止は、偽装請負や多重派遣など相次ぐ派遣会社の違法行為や「格差問題」に対する厳しい世論の高まりもあって、ほぼ既定路線だったとも言える。グッドウィルやフルキャストが事業停止処分を受けるなど派遣会社はかなり追い込まれている。最近の厚労省は労働法制の解体を目指す経済財政諮問会議や規制改革会議などとは明らかに距離をとっており、また今国会では提出に至らなかったが、野党が労働者派遣法改正案の政策協議を続けており、与党の改正案も近く出るとみられている。少なくとも日雇派遣の原則禁止とマージン率規制については実行される客観的情勢が存在する。

 問題は日雇派遣禁止で終わってしまうのでは困るということだ。最低でも同一労働の均等待遇を義務づけ、不安定な登録型派遣を廃し、派遣対象業種を制限するところまでやらなければ、雇用待遇差別の解消のスタートラインにすら立てない。何より依然として財界側は日雇派遣の禁止も含めあらゆる見直しに抵抗していて、のみならずさらなる規制緩和さえ要求しており、一方で日雇派遣を禁止しながら、他方でたとえば企業の直接雇用義務を撤廃するような、労使の要求を折衷した抱き合わせの「改正」が行われることを危惧している。

 現在、厚労省職業安定局が設置した「今後の労働者派遣制度の在り方に関する研究会」が派遣法改正の方向性を検討しているが、企業の直接雇用義務の「みなし規定」導入など、当初の想像以上に調査範囲は広がっており、派遣法の抜本的改正を求める声を無視できなくなっている。それだけに今後資本側の反撃も強くなるだろうが、まだまだ勝負は続いている。今国会で民主党が中途半端な改正案しか出さず、野党共闘が失敗した時は、正直かなり失望させられたが、派遣労働見直しへの道はまだ閉ざされてはいないと確信した。

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労働者派遣法改正問題における民主党の「使えなさ」
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by mahounofuefuki | 2008-06-13 20:59

そして「漠然とした不安」だけが残る

 秋葉原の殺人事件について「難民世代」を標榜するブログとして何か書かなければと思ってはいるのだが、何を言ってもウソくさい気がして、うまく論点をまとめることができない。

 実際、巷に行き交う言説を通観してみても、「犯人が病気だから」「犯人がオタクだから」といった専ら心理的要因に帰する議論や、犯行の社会的要因を考えようともせずに単に「許せない」と連呼するだけの能天気なもの言いは論外としても、派遣社員としての差別的待遇や解雇通告、ひいては非正規雇用全般の「不安」をもって事件のすべてを説明できるとは私には思えない。それらは事件の重要な引き金ではあるが、犯人が携帯サイトに残した書き込みを読む限り、もっと深刻な自意識の「傷」を抱えているように思う。

 岡山の突き落とし事件の時は、金持ちしか上等な教育を受ける機会がないという構造的要因が明確で、それだけに私はすんなりと容疑者の少年に共振できたが、今回の場合、犯人も私もある種の「転落」を経験しているという共通項がありながら、犯人の挫折が実社会に出る前の高校時代における偏差値秩序の中での「敗北」に始まる点や、彼が「自己責任論」を完全に内面化していて、社会に対する憎悪というより、「不細工な自己」という自画像への破壊願望を強烈に抱えている点が、私の鬱屈とは明らかに異なり(私は幸か不幸か学校の成績階級で「下」になったことがなく、何より「自己責任論」を完全否定していて自分を「不細工」などと考えたこともない)、理解を困難にしている。

 これが会社の経営者を殺したとか、会社に火をつけたとか、要するに彼を搾取していた企業社会への攻撃だったら、私はおそらく喝采を送っていたかもしれないし、犯行の原因も雇用待遇差別であると断言して、改めて派遣労働を含むあらゆる間接・有期雇用の廃止を訴えることができたが、被害者の中には非正規労働者や無職者もおり、しかも新橋でも丸の内でも六本木でもなく、秋葉原というどう贔屓目に見ても「勝ち組」カラーのない街を「舞台」に選んだことが、この事件をアンダークラスによる階級闘争的な社会的テロとみなすことを躊躇させる。

 それでもこの事件が派遣労働の絶望的な実態に人々の目を向ける契機になれば、まだ被害者も浮かばれようが、おそらくまたしても政府やマスメディアや能天気な人々によって論点のすり替えが行われ、ナイフの販売規制とネット掲示板の書き込み規制でお茶を濁し、数ヶ月後には何事もなかったように忘れ去られてしまうのだろう。模倣犯なんて現れたら目も当てられない。「1番目」がダークヒーローになり損ねたのに、二番煎じなんて恥ずかしすぎる。

 そして最大の問題は、社会全般に「漠然とした不安」だけが残ってしまうことだ。不安が「漠然」としている限り、すべての人々が平等に自立できる社会への希求にはつながらず、国家という「檻」の中で「羊」として管理されることを望むだろう。その傾向を食い止めるのは非常に難しい。
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by mahounofuefuki | 2008-06-10 20:22

『蟹工船』ブームという不幸

 小林多喜二の『蟹工船』がブームになっているとよく言われるが、私の行きつけの書店では特に平積みになってもいないし、実際に最近初めて読んだという同世代の声も聞かない。「中央」と「地方」の相違なのかもしれないが、正直なところ今の若者が「あの」文体をすらすらと読めるのか疑問だし、専らイメージだけが独り歩きしている可能性もあるのではないか、というのは穿ち過ぎだろうか。

 本当に「氷河期世代」でブームになっているとすれば、あまりにも悲痛である。労働法制と言えば工場法くらいしかなく、労働運動は治安警察法や治安維持法などで厳しく制限され、労働争議の鎮圧に軍隊が出動するような『蟹工船』の時代と、労働基準法も労働組合法もある現在の労働環境が同じであるというのは、いかにこの国の労働行政や労働運動が貧弱であるかを実証しているようなものだ。

 確かに『蟹工船』が提示する経済構造は現在の「ルールなき資本主義」の状況とクロスしている。たとえば次の箇所。
 ――蟹工船はどれもボロ船だった。労働者が北オホッツクの海で死ぬことなどは、丸ビルにいる重役には、どうでもいいことだった。資本主義がきまりきった所だけの利潤では行き詰まり、金利が下がって金がだぶついてくると、「文字どおり」どんなことでもするし、どんな所へでも、死に物狂いで血路を求め出してくる。そこへもってきて、船一艘でマンマと何十万円が手にはいる蟹工船、――彼らの夢中になるのは無理がない。
 丸ビルを「六本木ヒルズ」とでも言いかえれば、そのまま現在の大企業にあてはまる。作中では斡旋屋の搾取や蟹工船間の成果競争や安全・衛生管理の無視や「監督」のリンチなどが描かれるが、いずれも現在いたる所で普通に起こっていることである(営業職などで上司が部下に文字通り鉄拳制裁を下すのはよくあることである)。こうした描写にリアリティを感じて共感することは十分にありうる。

 とはいえ『蟹工船』は、出自も性格も異なる労働者たちが心身ともに追い込まれサボタージュをはじめるあたりまでは臨場感のある描写が光るが、その後団結して立ち上がっていく過程ははっきり言って「革命ファンタジー」である。『蟹工船』がプロレタリア文学として傑作である所以は、社会主義運動の弱点も厳しく抽出している(たとえば民主集中制を「それはそうたやすくは行われなかったが」と指摘)からだと私は考えているが、それでも戦前の日本共産党が大衆的基盤を得られないまま強力な弾圧で潰され、さらに戦後の社会主義運動は冷戦の枠組みを抜け出すことができなかった上に分裂と抗争を繰り返し、社会主義自体が失敗に終わった現在の視点から見れば、『蟹工船』に「革命のリアリティ」も「現在の希望」も見出すことは至難である。

 実際、少なくとも私は10代の頃『蟹工船』を「敗北の書」と解釈していた。そして特高による拷問の傷跡が痛々しい小林多喜二の遺体写真と合わせて、時の権力に正面から反抗すればどうなるか「見せしめ」の役割を果たしていた。反抗すれば必ずむごたらしい暴力を受けて虐殺されるが、抵抗せずに我慢すればやはり過労死に至る可能性はあるが、何とか生き残ってわずかばかりとは言えカネをもらえる可能性が残る。ほとんどの人間は後者を選ぶだろう。本当に苦境にある人ほど『蟹工船』によって絶望感を促進されるのではないか。

 そんな問題を抱えているにもかかわらず、『蟹工船』が読まれているとすれば、一時期の「癒し」ブームなんかと同じように、「革命ファンタジー」への現実逃避があるのではないか。実際には孤立している「わたし」が、「仲間」とともに立ち上がり、非人間的な職場を変革していくという「夢」。「夢」を見るだけでなく実際に行動できる人は少ないし、ましてや現実的な成果を勝ち取れる人はもっともっと少ない。毎日新聞2008/06/03朝刊「記者の目」で、「『蟹工船』の世界は、結婚している労働者がいるなど、今のフリーターより恵まれて見える面もある」という赤木智弘氏の言葉が紹介されているが、私も同感である。個々の労働者が個別にノルマが課せられ競争にさらされている現在、同一職場内の「横の連帯」は非常に困難になっている。連帯の可能性があった「蟹工船の時代」をうらやましく、憧れさえ抱いてしまう。ただし憧憬だけでは地に足のついた抵抗にはつながらない。

 『蟹工船』ブームに対する既成のコミュニストやそのシンパの反応も不可解だ。『蟹工船』が売れているのを「共産主義が理解されている」と喜んでいるようでは、他人の不幸を喜んでいるのと変わらない。労働環境が今ほどひどくなければ『蟹工船』など読まれはしない。『蟹工船』など読まれない社会の方がよほど幸福である。もし社会の矛盾の拡大が「革命」の早道などと考えていたら本末転倒だ。さらに『蟹工船』から80年間、これを超える「貧困を語るリアリティのある言葉」を生み出せなかったことを恥じなければならない。

 『蟹工船』がブームになる社会はあまりに不幸である。『蟹工船』が「昔話」になる時代は私の眼の黒いうちに到来するだろうか。このブームに私は「希望」を見出すことができない。

*現在ベストセラーになっているのは新潮文庫版らしいが、私の手持ちの『蟹工船』は十数年前に古書で購入した角川文庫版で、奥付は1985年刊行の「改版30版」となっている。本文の引用は同版によった。
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by mahounofuefuki | 2008-06-08 16:45

労働者派遣法改正問題における民主党の「使えなさ」

 今日の貧困拡大の原因については、長期不況のせいだとか、労働者にそもそもやる気がないからだといった全く的外れの議論がいまだにあるが、1990年代の「リストラの嵐」こそ長期の構造不況に起因するものの、2000年前後から顕在化した「若者の貧困」に関しては断じてそんなことはない。
 本当の原因は相次ぐ労働法制の規制緩和、特に1999年の労働者派遣法改悪による派遣労働の原則「自由化」であり、これが不安定な非正規雇用を際限なく拡大させ、企業が容易に労働者を使い捨てできる状況を生んだ。貧困の原因が不況ならば、景気回復とともに問題は減少していなければならない。しかし、実際は大企業の景気回復と反比例するように、労働分配率は2003年以降急低下し、非正規労働者の割合は昨年33.5%に達した(総務省「労働力調査」)。
 つまり、政府と財界による人為的な労働力搾取・収奪強化が貧困を引き起こしたのであって、まさしく現在の貧困は「官製貧困」なのである。

 故に貧困解消のためには、まず何よりも貧困拡大の直接の引き金となった労働者派遣法の規制緩和を中止し、事実上常用雇用の代替手段となっている現行の派遣労働を、一部の専門業種に限定していた元来の状態に復旧することが必要である。
 政府は昨年の時点では、今期の通常国会でさらなる規制緩和を求める財界の要求に応えた労働者派遣法改悪案を成立させる予定だったが、昨年の参院選による与党大敗の結果、その目論見は打ち砕かれた。昨年はまたマスメディアを通して日本社会の貧困の実態がかなり報道され、「ワーキングプア」という言葉が流通するようになった。追い込まれた派遣労働者による労働運動が注目を集め、これらの声を政府も無視するわけにはいかなくなった。

 政府が労働者派遣法改正を1年先送りする一方、野党サイドは政府の機先を制して今国会に独自の労働者派遣法改正案を提出する算段だった。この問題を何とかしなければならないという問題意識は全野党(さらには与党の一部も)に共有されていたはずだった。少なくとも「日雇派遣」の禁止やマージン率の制限については一致していた。
 しかし、結局今国会では改正案は提出されなかった。その原因は民主党が現場の労働運動などの声を無視して、抜本的な改正案を用意せず、さらには他党との政策協議を行わずに単独で改正案を提出する構えさえ見せたことにある。昨日、4野党の国対委員長会談で民主党案の単独提出は見送られ(毎日新聞2008/06/04朝刊)、野党の政策協議の継続は確認されたが(しんぶん赤旗2008/06/04)、改めて民主党の貧困問題へのやる気の欠如が顕わになったと言えよう。

 民主党を除く共産・社民・国民新各党の改正案は微妙な異同はあるが、日雇派遣を原則禁止すること、マージン率を制限すること、登録型派遣を一部の専門業種に限定すること、常用代替機能を防止すること、派遣先の直接雇用義務を強化する(みなし規定など)こと、社会保障を拡充することなどの点でおおよその一致は得られていた。実はこれでも法律など端から守る気のない企業に実際に履行させられるか疑問が出ていたほどだが、派遣法を1999年以前に引き戻すという方向性は明らかだった。
 ところが、民主党案は登録型派遣の禁止も、対象業務の制限もなく、派遣労働の常用代替機能を継続するものだった。4月17日に国会内で行われた「さあつくろう派遣法改正案、各党の改正案を聞く院内集会」で、民主党のネクストキャビネットの厚生労働担当である山田正彦衆院議員は民主党内に「厳しすぎるとの声もある中、ここまでなんとかまとめた。賛否がある、なんとか調整を取って法案を出そうとしている」と述べていたが、要するに民主党にはそもそも派遣労働の全面見直しに抵抗する議員が少なからずいて、まともな改正案をまとめることができないのである。
 あえて忖度すれば、民主党は野党共闘による法案の完成度よりも、自民・公明両党との共同提出を模索しているのだろう。そのために玉虫色の改正案でお茶を濁しているのだ。確かに野党提案は黙っていれば衆院で否決され成立しない。しかし、はっきりと抜本的改正の姿勢を見せることで、政府の無策を際立たせ、現在進んでいる厚生労働省の立法作業にも影響を与えることができる。むしろ先に器を用意して政府・与党の方が歩み寄らざるをえない状況を作らねばならない。だいたい規制緩和と抱き合わせの小細工を施した改正を望む労働者などいないのだ。

 派遣業界が与野党の議員へのロビー活動を強化しているようなので、その影響もあろうが、より本質的な問題として民主党が依然として規制緩和・市場開放路線と決別していないことを指摘しなければならない。すでに昨年の最低賃金法改正や労働契約法での「裏切り」で、この党の「生活第一」が口先だけであることは露呈していたが、一連の労働者派遣法改正を巡る動揺はますます新自由主義路線との親和性を疑わせるに十分である。
 非正規雇用比率の高い「氷河期世代」における共産党支持率の急増や、じわじわと広がる「蟹工船」ブーム(「ブーム」と言うにはあまりに悲痛で、80年も前の「敗者」の文学に縋らざるを得ないのは不幸なことだと私は考えているが)の背景には、劣悪な労働環境を何とかして欲しいという人々の悲鳴がある。民主党が本当に貧困問題を解決する気があるのならば、こうした声を無視してはならない。次期総選挙を「政権選択選挙」といくらうそぶいても、非人間的な雇用待遇に苦しむ人々は民主党の欺瞞を見抜いて決して支持することはないだろう。この際、はっきりと労働者の側に立ち位置を移すこと、共産党や社民党に歩み寄ることが民主党には求められている。

 そう言いながらも私はこの党が手紙やメールやファックスを出したくらいでは変わることがないことを知っている。政治献金をくれるわけでもない貧しい労働者群より、潤沢な利権を望める資本サイドの方を選ぶことも知っている。与党の「敵失」でしか何もできないことも知っている。土壇場での腰の弱さはもはや周知の通り。
 民主党よ、ここまで言われて悔しいと思ったら、貧しき者の声を聞いて、自己変革を遂げてみろ!

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4・17院内集会での各党の労働者派遣法改正案 – mahounofuefukiのメモ
http://d.hatena.ne.jp/mahounofuefuki/20080604/1212531786
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by mahounofuefuki | 2008-06-04 23:21

夕張市が自衛隊の市街戦演習地を誘致

 北海道夕張市の商工会議所が、陸上自衛隊の市街地戦闘訓練用の演習地を誘致する準備を進めているという。北海道新聞(2008/05/24 06:34)によれば「山間部に分散する集落から候補地を選び、住民を市中心部に移転させた後、老朽化した元炭鉱住宅のアパートや民家を演習用に提供」する計画で、国からの周辺整備費交付や自衛隊員滞在による消費効果を見込んでいるという。

 周知の通り、夕張市は財政破綻により財政再建団体となり、厳しい債務返済を課せられているが、もはやカネになるものなら何でも誘致しようと形振り構わぬ姿勢を示していると言えよう。発想としては原発や刑務所の誘致工作と同じで、国の側からすれば住民にとってリスクの高い施設を交付金をエサに地元の方から進んで誘致するよう仕向けたに等しい。
 記事によれば地元関係者が4月に防衛省陸上幕僚監部を訪問して打診したというが、そもそも陸自が市街戦用の演習地を欲しているという情報を夕張に流したのは誰か。これは素人の思いつきでは出てこない。表向きは夕張側の、それも地元財界の要請だが、実際は防衛省・自衛隊側の発案ではないかという疑問が拭えない。

 ところでこの件で私が思ったのは、ある意味で貧困と戦争の関係性を如実に表しているということである。アメリカ軍が貧困層から兵士のリクルートを強化したり、市民権をエサに移民層の志願兵を促進しているように、現代の戦争は「貧困が軍隊を支える」状態にあるが、夕張の件も広い意味で「貧困自治体」の弱みが戦争準備と結びついている。
 貧困地域が増えれば、その分軍隊にとっては「使い勝手の良い基地・施設」を手に入れられるという関係は非常にいびつだ。戦争で儲かる人々にとっては、貧困が増えた方が望ましいということになる。

 もう1点。この問題は自衛隊にとっては、従来の演習地内の模擬市街地では満足できないところに、本物の住宅や道路でドンパチできますよという「嬉しい」申し出である。かつて現実に人が生活していた市街地で「実戦」さながらの訓練ができるというのは、自衛隊の「実戦」への「渇望」を高める。
 これは東映の特撮戦隊モノが採石場で「戦闘」しているような滑稽さと同時に、ある種のうすら寒さを感じる。すでに専守防衛を事実上脱ぎ去り、海外でアメリカ軍の下請け部隊として活動することを予定している自衛隊にとって、想定する市街戦はアジアやアフリカのどこかでのものだろう。あるいは日本国内の「敵」を制圧する治安出動。「テロとの戦い」を口実にその銃口は国内の平和主義にも向いている。演習が「本物」に近いほど、戦争のリアリティは高まる。

 夕張の財界はテーマパークの誘致のような気楽な感覚を持っているのかもしれないが、これは慎重を要する問題である。

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グリーンカード兵士から見える軍隊の変容~「国民軍」から「グローバル軍隊」へ
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by mahounofuefuki | 2008-05-24 21:53

学歴と結婚と階級社会

 私は子どもの頃から「世界は不自由で不平等で不条理である」という意識を持っていたが、そんなひねくれ者になった原因の1つは、子どもの学力が親の「資力」と「教育意欲」と「文化的素養」に左右され、往々にして学歴は親子間で再生産されるという事実を経験的に知っていたことだった。
 私の周りの成績の良い児童は誰もが大学出の裕福なホワイトカラー(具体的には医師、弁護士、宝石商、建築士、教師などだった)の子であり、低学歴で経済的に零細なブルーカラーの子どもで成績が良かったのは私くらいだった。故に、勉強は誰でも努力すればできるようになるという教師の言葉を私は蔑んでいた(実際私は「運」が良かっただけで、「努力」だけでは進学できなかった)。貧乏人の子どもはたいてい下品で、頭も悪かった。そして裕福な連中は言葉にできない「何か」があった。小学生の時にはすでに人間の能力は育った環境によって決定されるという「真理」に到達していた。
 それだけに大学時代にピエール・ブルデューの「文化的再生産」論を知り、長年疑問だった裕福な連中だけが持っていた「何か」の答えがわかった時は泣くほど感動したし、戦後教育の「平等神話」を実証的に否定した苅谷剛彦氏の研究が出た時は、自分の直感の正しさがようやく証明されて安堵したものだ。「自己責任」論を全く支持できなかったのも、幼少時からの経験が生きていたからである。

 唐突にこんな話を書いたのは、次のようなニュースを目にしたからである。
 母親が高学歴の男性、結婚相手の学歴も高い傾向=米調査|世界のこぼれ話|Reuters
 http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-31685320080508
 アメリカの大学が20-30代男性のうち収入の高い層を対象に調査したところ、母親が大卒だと大卒の女性と結婚する傾向が、母親が大学院卒だとやはり大学院卒の女性と結婚する傾向が高いことがわかったという。
 記事では男は結婚相手を選ぶにあたって、自分の母親と同じ学歴水準の女性を選ぶということに力点を置いているが、この調査はむしろ高学歴の親の子どもは高収入の職に就く可能性が高く、それだけでなく高学歴の配偶者を得る傾向が高いという事実を示していることが重要である。

 つまり「結婚」というものが階級の固定化を促進しているということである。これは本田透氏あたりが主張している「恋愛資本主義」とも関係するが、結婚は自由であればあるほど市場原理が働き、付加価値の多い配偶者を得ようとする。収入が多い、顔がいい、コミュニケーション能力が高い、といった要素が多いほど「結婚市場」で有利になる。問題なのはそうした付加価値は親子間で再生産されることである。
 容姿は遺伝なので言うまでもないが、経済力や学歴も親子間で「世襲」され、なおかつ付加価値の高い配偶者と結婚し、その間に生まれる子どもは両親から恵まれた付加価値を受け継いで、またしても高いステータスを得る、ということが繰り返されることで、階級は実質的には「身分」へと変貌する。本来、身分社会を解体する機能を持っていた「恋愛結婚」が市場原理というスパイスが加わることで、むしろ「身分」を復活させているのである。

 ロイターの記事はアメリカの例だが、日本も同様の事態が進行しているはずである。階級社会を流動化させるためには、階級間の結婚が増えることが望ましいが、現実はそうなっていない。現代の「貧困と格差」を考える上で、経済的な所得格差や待遇差別だけでなく、結婚を通した階級の強化という問題を見落とすことはできまい。
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by mahounofuefuki | 2008-05-08 22:07

東京都の「ネットカフェ難民」支援

 東京都が運営する「ネットカフェ難民」相談センター「TOKYOチャレンジネット」が今日から本格始動した。行政の対策と言えばこれまで生活保護くらいしかなく、それも窓口での「水際作戦」や「辞退」強制などにより十分な機能を果たしていなかったが、ようやく行政がこの問題へ本格的に取り組み始めたと評価できよう。
 共同通信(2008/04/25 10:26)によれば、東京都内での生活時間が半年以上ある成人を対象に、住宅資金40万円まで、生活資金20万円までの貸付を行うという。「日雇派遣」のような不安定かつ低賃金の雇用で、預貯金もできず、家賃を滞納したり、住居の契約更新時にカネを払えなかったりして、住むところを追われるという例が後をたたない中、今回の事業の成否は日本の貧困の行方を左右するとさえ考えている。

 ところでマイコミジャーナルの記事に「TOKYOチャレンジネット」の所長の「ネットカフェ難民に甘いのではないかという声があるのも承知しているが」という言葉が載っているが、一昨年ごろからマスメディアがずいぶんと実態を告発する報道をしているにもかかわらず、いまだに「自己責任」論を盾に「甘い」と非難する人がいることに驚かされた。
 この点については昨年ブログで次のように述べたことがある。
 「ネットカフェ難民」に対しては、「もてる者」たちから、労働意欲が低い、能力が低いといった批判があるが、こうした批判は社会の厳しい現状に対する無知をさらけだしているようなものだ。
 現在の日本では、経済的に自立でき、人間らしい社会生活を営める仕事は限られている。どうしても「狭き門」からあぶれる人々がいるのだ。資産がなく、家賃を払えるだけの収入がなく、住居を追われた人々にとって、ネットカフェしか雨露をしのげる場はないのである。

 「努力が足りない」という非難もあるが、はじめから資産やコネをもっている人と、そうでない人との差は「努力」では埋められないほど大きい。まれに「成り上がる」人がいても、競争社会は「イス取りゲーム」である以上、その分、別の誰かがイスを失っているのである。
 労働意欲を失くすのも、意欲がもてるような労働環境にないからだ。労働者が長時間労働と低賃金で喘ぐ一方、巨大企業家は政府の優遇政策によって、ますます儲けを増やし、それを下で支えている労働者に還元しないのでは、意欲など持てない人々が続出するのも当然だ。特に非正規雇用ではキャリアアップも昇給もない場合が多く、失業に怯えながら明日なき今日を奴隷のように生きている。意欲など持てないよう仕向けておきながら、意欲を持てと言うのは矛盾している。
 「TOKYOチャレンジネット」は、「チャレンジ」という名の通り「努力主義」を前提にしていること、支援対象を「日本国籍」に限定していること(永住外国人を含まない)、住居も仕事もない人を想定していないことなど問題もある。ネットカフェに「宿泊」する日銭もなくて、ホームレスになってしまう人ももはや珍しくも何ともない現在、「仕事はあるが住居がない」という人に支援を限定する理由はないはずだ。
 同時に地方レベルの対症療法のみならず、貧窮者を食い物にする「貧困ビジネス」自体にメスを入れない限り、常に「転落」のリスクは続く。これで終わりではなく、あくまでも貧困対策の始まりにすぎないことを我々は自覚しなければならないだろう。

【関連記事】
「ネットカフェ難民」排除の動き

【関連リンク】
日雇い派遣ネットカフェ暮らしの味方TOKYOチャレンジネット
ネットカフェ難民救済センター、初日は電話相談が殺到 - 「甘い」の声も|ネット|マイコミジャーナル
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by mahounofuefuki | 2008-04-25 20:40

経済財政諮問会議の問題は「組織」ではなく「人選」だ

 北海道新聞2008/04/13朝刊に「経済財政諮問会議 高まる不要論」という記事が載っていた(このエントリを書いている時点では電子版に上がっていない)。
 最近、経済財政諮問会議について、民主党の議員が国会質問で廃止論を唱えたり、国民新党が廃止法案を準備しているが、自民党からも同会議の民間議員の任免が国会の同意案件ではないことを批判する声があるという。

 経済財政諮問会議は2001年の設置以来、毎年「骨太の方針」を通して新自由主義路線を強要し、金持ち優遇と庶民いじめの経済・財政政策を強力に推進してきた。まさに今日の貧困と差別の元凶である。最近は竹中平蔵氏が経済財政担当大臣だった小泉内閣時代ほどの威勢はないが、依然として予算編成の大枠の配分決定に大きな力を有し、首相官邸や与党中枢ですらコントロールできているとは言い難い。
 故に新自由主義路線の打倒を目指す側が廃止を持ち出すのは当然と言えるし、私も同会議の、特に財界が送り込んだ歴代の民間議員に対してはほとんど憎悪すら感じているので、廃止論は心情的には理解できる。

 しかし、冷静に考えれば、問題は経済財政諮問会議という組織にあるのではなく、その人選にあるのではないか。閣僚は別として、現行法では会議構成員の4割以上を占めることを定めている民間議員の人選を改めることが何よりも重要なのではないか。
 仮に経済財政諮問会議を廃止するとしよう。そうなれば新自由主義の司令塔は消えるが、同時に再び縦割りの各省付随の「族議員」の威力が増し、大胆な予算配分の変更や分野横断的な政策を実現することが難しくなる。それでは経済・財政政策に公平性を持たせることができない。
 経済財政諮問会議に新自由主義路線を推進する力があるのなら、それをやめる力もあるはずである。経済財政諮問会議を廃止するのではなく、そのまま存続させながら人選において新自由主義者を排斥し、貧困解消を目指す人々を入れる方が理に適っている。

 経済財政諮問会議の民間議員の資格について、内閣府設置法第22条は「経済又は財政に関する政策について優れた識見を有する者」としか定めていない。現在、何ら法的根拠もなく大企業経営者から2名、新自由主義派の学者から2名という枠が既成事実になっているが、これを改めることが必要だろう。野党は政権獲得の暁には経済財政諮問会議を廃止するのではなく、その権限を使って社会的公正を重視した経済・財政政策を実現することを目指すべきである。
 わかりやすく言えば、御手洗冨士夫氏や八代尚宏氏のような連中がいるから問題なのであって、その席に内橋克人氏や神野直彦氏や森永卓郎氏がいれば、経済財政諮問会議に強力な権限があるのはむしろ望ましいのである。そこを見誤ってはならない。

【関連リンク】
内閣府 経済財政諮問会議
内閣府設置法-法令データ提供システム
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by mahounofuefuki | 2008-04-13 11:41

「反貧困フェスタ2008」のweb記事のまとめ

 3月29日に東京で開催された「反貧困フェスタ2008」に関するリンクをまとめる。

 地方在住の私は行けなかったが、今年のフェスタはもしかすると後世日本の労働運動史の転換点として記録されるかもしれない。
 貧困の最大の原因である非正規雇用の拡大を長らく黙認し、正規労働者と非正規労働者の分断に図らずも与した連合が参加したことは大きな意味をもつ。連合は昨年秋に非正規労働センターを設立し、ようやく雇用形態の差別問題に本腰を上げる姿勢を見せるようになった。もう1つのナショナル・センターである共産党系の全労連も参加した。全労連も遅ればせながら今年に入ってから非正規雇用労働者全国センターの設立準備を始めている。
 反貧困運動をリードする各種のユニオンやNPOは熱意と行動力はあるが、いかんせん財政基盤やブレーンが弱く、人員が少ない。既成の労働運動の協力は必要不可欠である。職種や雇用形態や勤務企業の規模などの壁を超えて労働者が連帯するための結節点は「反貧困」をおいてほかにない。不公平な税制や社会保障、競争原理や成果主義による心身の疲弊などは、いずれも貧困の前提であり、これらは正規・非正規の枠を超えた問題である。貧困の存在が社会を蝕み、現在貧困でない人にも影響することを訴えていく必要がある。

 写真速報:反貧困フェスタに1600人集まる-レイバーネット
 ブルーシートをつくっていこう@反貧困フェスタ「貧困と労働」シンポジウム-UnionTube
 「貧困」の実態をきちんと伝えよう!-OhmyNews
 反貧困でつながろう:反貧困フェスタに1600人!
 *同ブログには報道記事のまとめもある。
 反貧困フェスタに1600人!反貧困たすけあいネットワーク
 自由と生存の花見-Spider's Nest::フリーター全般労働組合
 「反貧困フェスタ2008」開催~連合非正規労働センターも参加~-フェアワーク つながるネット
 非正規雇用労働者全国センター CWAC-net:”貧困フェスタ”に1600人、非正規センターで労働相談コーナー
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by mahounofuefuki | 2008-04-02 20:16