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「インターネット報道協会」結成に思うこと

 インターネット上のニュースサイトを運営する各社がネット報道の質の向上を目指す「日本インターネット報道協会」が発足したという。

 ネットメディアの質向上をめざし、「日本インターネット報道協会」が設立される – JanJan
 http://www.news.janjan.jp/media/0808/0808013515/1.php
 ネット報道の質向上へ、「インターネット報道協会」設立 – Itmedia News
 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0808/01/news103.html

 発足会員はジェイ・キャスト(J-CASTニュース)、日本ビデオニュース(ビデオニュース・ドットコム)、オーマイニュース、日本インターネット新聞(JanJan)、ベリタ(日刊ベリタ)、オフィス元木(元オーマイニュース編集長の元木昌彦氏)で、将来の法人化を目指し、法人・個人を問わず広く会員を募るという。この中ではJ-CASTがなんとなく「浮いている」感じを受けるが(「2ちゃんねる」の流言を垂れ流して、排外主義や差別主義を扇動する姿勢はいいかげんにして欲しい)、「質の向上」という言葉を違えないのならば何も言うまい。

 インターネットが普及しはじめた当初は、既成のメディアの閉塞を打ち破れるのではないかという期待を少なからず抱いてはいたが、実際は依然として既成メディアの壁が立ちはだかっているだけでなく、ネット特有の問題が次から次へと発生していて、ある種の隘路に迷い込んでいる。簡単には問題が解決されるとは思えないが、どうにかしようという志は買いたい。

 素人目には新聞とテレビという二大メディアが聳え立っていて、ネットメディアは主に週刊誌などの雑誌メディアのシェアを侵食して成立しているという印象がある(実際に雑誌はどのジャンルでも売れなくなっている)。ネットの最大の利点である速報性は専ら新聞社や放送局のニュースサイトの専売特許になっていて(掲示板やブログの「速報」の「元ネタ」でもある)、結果としてネット時代になって改めて大手のメディア資本の底力を見せつけられているように感じる。
 他方、掘り下げの深さや記事の完成度の高さという点でも、ネットメディアは活字メディアに水をあけられている。「記者クラブ」という明らかに「取材の自由」を侵害しているいかにも日本的な制度のせいもあるが、むしろ読者との金銭関係の有無の差(活字メディアは購読料を支払わないとならないが、ネットメディアは一部を除いて無料購読である)が出ているような気がする。

 最近話題の「ブログ通信簿」によれば私の「ブログ年齢」は50代だそうなので(笑)、考え方が古いのかもしれないが、何だかんだ言って今も「活字信仰」なところがあって、毎週1回は図書館へ行き、新聞や月刊誌・週刊誌などをチェックしてくる(書籍も含め貧乏で買えないので図書館頼み)。どうしてもネットだけに頼っていると不安になるからである。
 ネットは紙媒体と異なり文章量の制約がないので、既成メディアよりも報道が濃く深くなるのではないかと昔は考えていたが、実際は長時間ディスプレイを見続ける苦痛があるせいか、ネットの方が情報の「数」は圧倒的であっても、「個別の情報の中身」ははるかに薄い。「書き手」になるハードルが低いこともあって、信憑性にも疑問がある(前述の協会加盟社の中にも反科学的な陰謀論を流している場合がある)。
 市民運動や労働運動など新聞やテレビがなかなか報じないニュースはネットが唯一の発信源だし、社会的弱者の「声なき声」が「聴こえる声」になったのはネットの力ではあるが、私の中では既存のメディアへの不信を抱き、その権威を全面否定しつつも、依然としてネットは「B級」なのである。もちろん「B級」であることを捨てる必要はないが、やはりそろそろ「A級」の領域を侵食する「野心」をネット報道に求めたい。

 ちなみにブログも一応は広義の「報道」である以上、ネット報道を下支えするために「質の向上」を図らねばならないのかもしれない。本当はのんびり気楽に書きたいことだけを書いていたいのだけど・・・。
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by mahounofuefuki | 2008-08-02 22:04

要するに「現場」の「表現の自由」より「お偉いさん」の「表現しない自由」を優先するという判決

 「従軍慰安婦問題」を民間で裁いた「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」を取材したNHK教育テレビのドキュメンタリー番組(2001年1月放送)の内容が、NHK上層部の指示で改変された問題をめぐって、取材対象・協力者だった「戦争と女性への暴力」日本ネットワークが「番組への期待・信頼を裏切られた」としてNHKを訴えていた訴訟で、最高裁は原告一部勝訴の控訴審判決を破棄する判決を下した。

 今回の最高裁判決の問題性については、管見の限りでは東京大学大学院教授の醍醐聡氏のブログが最も要領よく整理されており、そちらを参照したい。
 醍醐聡のブログ:まれにみる稚拙で悪質な最高裁判決――ETV番組改編事件に対する最高裁判決への論評
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/etv_b991.html
 今回の判決について「国民の知る権利に背く番組改編を憲法が保障した『表現の自由』の名の下に免罪した支離滅裂な判断」、「政治介入に起因する番組改編をNHK内部の検討にすり替える歪んだ事実認定」と評しているが、おおむね肯定できる評価である。

 訴訟の争点は取材協力者の「期待権」であったが、私見では問題の本質は「報道現場の『表現する自由』」と「政治権力に影響されたメディア上層部の『表現しない自由(編集する自由)』」の対抗にあったと解釈していた。判決は「法律上、放送事業者がどのような内容の放送をするか、すなわち、どのように番組の編集をするかは、表現の自由の保障の下、公共の福祉の適合性に配慮した放送事業者の自立的判断にゆだねられている」ということを前提に(その前提は正しい)、放送事業者の編集権を「期待権」より優先したのだが、むしろ現実問題としては「報道現場の『表現する自由』」より「上層部の『表現しない自由』」を優先する効果を与えたことが問題である。

 それ以上に問題なのは、そもそもNHKの上層部が番組を改編させたきっかけが、放送直前の2001年1月末に、自民党の歴史修正主義派の国会議員が番組内容に注文をつけたこと、特に当時内閣官房副長官だった安倍晋三氏にNHKの放送総局長と国会担当役員が面会し、その場で安倍氏が番組内容にケチをつけたことにあったにもかかわらず、最高裁の判決は控訴審判決とは異なりこの件を完全無視したことである。いわば「上層部の『表現しない自由』」の背後には予算編成への影響力をもつ国会議員の影があったことを全く問題にしていないのである。

 歴史修正主義派の国会議員による「表現の自由」への介入といえば、映画「靖国」に対する稲田朋美衆院議員らの事前検閲要求と上映妨害が記憶に新しいが、NHK問題はそうした「政治介入」を恒常化させた重要な事件である。今回の最高裁判決が「政治介入」を黙殺したのは「表現の自由」が危機的状況にある現状を鑑みればあまりにも不当である。
 *ただし、「政治介入」を「否定」したわけではないので、「政治介入」は「捏造」だという安倍氏の強弁は判例に根拠をもたない。少なくとも安倍氏の影響を指摘した控訴審判決は歴史的記録として残る。

 今回の件に対する右翼系統のリアクションは忙しくて未確認だが、おそらく「勝利」に沸いているのだろう。しかし、マスメディア上層部の「表現しない自由」が過剰に容認されれば、その影響は歴史認識の報道にとどまらない。たとえばテレビに限っても、民放がスポンサーに配慮して「自粛」したり、ワイドショーが大手芸能プロダクションに配慮して「隠蔽」したりすることは日常茶飯事であるが、このように「企業としてのマスメディア」の「編集権」が専ら権力への迎合を正当化する方向に無制限に拡大すれば、結局は「左」も「右」もなくすべての視聴者にとって「知る権利」の侵害となり、多大な不利益をもたらすだろう。

【関連リンク】
平成19(受)808 損害賠償請求事件 平成20年06月12日 最高裁判所第一小法廷判決 – 裁判所
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=02&hanreiNo=36444&hanreiKbn=01
NHK番組改変 東京高裁判決文 全文 – News for the People in Japan
http://www.news-pj.net/siryou/2007/nhk-kousai_zenbun20070129.html
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by mahounofuefuki | 2008-06-13 12:26

フィルタリングをめぐる政治力学

 「村野瀬玲奈の秘書課広報室」より、政府のネット接続規制問題に関し行動を求める記事のTBをいただいた。
 この問題は以前から総務省や自民党などが内部で研究を進めていることは知っていたが、私の能力では全くフォローできず、ブログでは全く触れたことがなかった。よって今回もたいしたことは書けない。ただ労働契約法や宇宙基本法などと同様、またしても自民・民主両党の事前の合意で、未成年の携帯電話からのネット接続を規制するための法案が提出されそうだというのは、改めて肝心な問題に限って両党が容易に談合してしまう体質を露呈したと言えよう。

 読売新聞の教育電子版(2008/05/29)によれば、「携帯電話会社は今年1~2月、総務省の要請で、18歳未満の契約者には選別サービスの原則加入に踏み切った」ということだから、今回の法制化はすでに実施しているフィルタリング対策を法的に追認することが主目的で、いきなり言論統制が可能になるわけではない。
 しかし、伝えられる自民党原案は有害サイトを認定する「第三者機関」を「政府が審査・登録」すると指定しており、今後こうした政府の息のかかった機関が有害認定を行うことで、政府が人々に触れさせたくない情報を遮断することを可能とする恐れがある。古今東西、権力による言論統制は性表現や犯罪を促す言説への規制からスタートするのが常なので、十二分に警戒するのは当然である。

 ところで、あえて冷めた見方をすれば、今回の規制法案をめぐる政治力学は、フィルタリングを強化することで失う経済的損失フィルタリングを強化することで得られる経済的効果が天秤にかかっている。
 インターネット関連の大手企業が政府の有害認定への関与に反対する声明を出したのは、ネット規制強化により広告収益をはじめ相当なダメージを受けると判断しているからにほかならない。一方、自民や民主の国会議員が政治献金提供者であるこれら企業の損失を容認してまで規制強化に邁進するのは、フィルタリング技術の開発やその売買、及び有害認定事業そのものが生み出す利権にうま味を感じているからである。
 つまり、「ネット業界の損失<フィルタリングの利権・経済効果」となる限り、ネット規制を推進する力学が働き、その逆ならば推進力は弱まるのである。このことは念頭に置いておいた方がよい。

 すでに規制法案そのものを覆すことは困難で、いかに国の関与を弱めるかという条件闘争に入っている以上、「表現・言論の自由」を下敷きにしつつも(対外的な大義名分としてはもちろん重要である)、現実の政治的リアクションにおいては、ネット業界の経済的損失とそれが景気に与える影響を強調するのもひとつの手だろう。

【関連リンク】
村野瀬玲奈の秘書課広報室|政府主導の情報統制ではなくて、民間側の有害サイト対策の自主的努力を優先すべき。 (+引き続き緊急行動のお願い)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-749.html
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by mahounofuefuki | 2008-06-01 23:43

映画「靖国 YASUKUNI」の情報をまとめる特設サイト開設

 ドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」をめぐるさまざまな動きや情報をまとめる特設サイトが開設されたので、紹介する。
 映画『靖国』特設サイト
 http://www.eigayasukuni.net/

 映画の方は数々の妨害にもかかわらず、東京では今日から上映されるので、まずは重畳。以後各地で上映予定が組まれている(私の住んでいるところでは上映予定は伝えられているが、日時が未定で、いつ観られるのか不明だが)。
 しかし、上映妨害の動きがかえって映画の「宣伝」になってしまったのは皮肉な話である。

【関連リンク】
映画『靖国 YASUKUNI』公式サイト
http://www.yasukuni-movie.com/
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by mahounofuefuki | 2008-05-03 11:11

靖国神社が妨害開始~映画「靖国 YASUKUNI」上映妨害問題

 ドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」(以下「靖国」と略す)に対する上映妨害問題は、映画の上映を求める世論の声と表現・言論の自由を擁護しようとする心ある人々の尽力で、来月にも各地で上映の見通しがついたことで、とりあえず落着するかと思いきや、守勢に立たされた妨害勢力が論点をすり替えて反撃に打って出ている。

 この問題の焦点は、自民党の稲田朋美衆院議員らが何ら法的根拠も道義的正当性もなく文化庁に映画の事前試写を要求し、正当な手続きで支出された芸術文化振興基金の助成にケチをつけたことにある。この件では単なる議員個人の圧力を国政調査権と称した稲田氏を文部科学大臣が批判したほどで、稲田氏の弁明も二転三転し、引き際を知らない政治経験の浅さを露骨に示した。
 基金の助成要件については以前当ブログでも指摘したが、「政治的、宗教的宣伝意図を有するものは除く」とは特定の政党・政治団体の宣伝と解するほかなく、実際文化庁の文化部長は国会でそのように答弁していた。審査を行った専門委員会に「9条の会」に参加している人がいたと噛みついている人がいるようだが、「9条の会」は政党でも宗教団体でもない上に、委員の全員ないし多数がそうならばともかく、1人や2人いることがどれほどの影響があるというのか。全くばかばかしい。

 一方、追い込まれた稲田氏に代わって前面に出てきたのは有村治子参院議員である。
 有村氏は3月27日の参議院内閣委員会における質疑で、「靖国」の中心的出演者である刀匠が映画の「キャストになることを了承していらっしゃいません」(参議院会議録情報 第169回国会 内閣委員会 第3号)と主張、当の刀匠夫妻が「出演場面と名前を(映画から)切ってほしい」「だまされた」(高知新聞2008/04/10 13:50)などと「靖国」製作サイドへの不信感を表明するに至り、上映妨害勢力は刀匠の「肖像権」を前面に押し出すようになった。

 刀匠が今になってこう言い出したのは、よりにもよって自分が映された映画が「反日」とのレッテルを張られていることに不安を覚えたからだろう。言うまでもなく彼は長年靖国神社に深く関わってきた人間で、その歴史観や政治意識において保守主義と親和的であるとみられ、「反日」と言われるのは我慢がならないはずだからだ。
 妨害勢力は刀匠が李纓監督らにだまされたと主張し、上映擁護側は有村氏が刀匠を変心させたと批判しているが、「だまされた」と言うのは撮影を応諾した当時の刀匠をあまりにも馬鹿にしているし、「変心」というのも刀匠がもともと靖国サイドの人であることを考えれば正確ではない。あまりにも問題が大きくなりすぎたために自己保身を図っているというのが本当のところだろう。
 はっきりしておきたいのは、仮に刀匠が肖像権の侵害を主張しても、稲田氏らの「検閲」の罪は消えないということである。実際、稲田氏らは議員向け上映を要求した時も、出演者の権利のことなど一言も触れていない。出演当事者が承諾していないことと、「検閲」の正当性は全く別の次元の話である。

 出演許諾問題以上に重大な結果を招きそうなのが、これまで事態を静観していた(ように見えた)靖国神社が、突如境内の撮影許可手続が遵守されていないなどと主張し、映像の削除を要求しはじめたことである。
 これも李纓氏は10年もの間、神社を撮影していたのだから、今になって茶々を入れたのは明らかに不自然で、何らかの政治的思惑を推測しうるが、問題は靖国神社を支持する保守派・右翼の中にも「靖国」を高く評価したり、上映を求めている人々が少なくないのにもかかわらず、神社側が稲田氏や有村氏のような妨害勢力に肩入れをした点にある。
 私のような「左翼」が言うのも何だが、靖国神社の「権威」は今回の映画が上映されても何ら揺るぐことはない。本来は「そんな映画がいくら広がっても神社はびくともしません」と余裕を見せた方が戦略的には得策である。ところが、何を焦っているのか映像削除要求という無茶な行動に出たのである。これは靖国神社がその社会的支持基盤の維持に自信を失っているとも読み取れる。

 共同通信(2008/04/14 19:21)によれば、配給元は法的に問題がないと判断し、上映を中止しないとの意向を示しているというので、とりあえずは大丈夫のようだが、靖国神社本体が動き出したことで、妨害活動は今後ますます組織的に強化されるだろう。「映画をみせろ」とはっきりとアピールし続けることが必要である。

【関連記事】
映画「靖国」上映妨害問題 (追記あり)
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by mahounofuefuki | 2008-04-14 21:30

立川反戦ビラ事件で不当判決

 2004年に立川市の自衛隊官舎へ自衛隊のイラク派遣に反対するビラを配布した市民団体「立川自衛隊監視テント村」のメンバーが住居侵入罪に問われていた刑事訴訟で、最高裁は被告の上告を棄却した。これにより一審無罪判決を破棄して被告を有罪とした控訴審判決が確定する。

 この事件は表向き住居侵入罪だが、多数の商用チラシや与党の宣伝ビラなどを不問に付して、「テント村」のビラだけを検挙した点で、明らかにイラク派遣反対運動への政治的弾圧である。直接的な弾圧法規ではなく、刑法が定める一般的な容疑で、時の国家権力にとって邪魔な者を有罪に処すのは、戦前からしばしば行われた常套手段であり、こうしたことが平然とまかり通るのは、現在この国には正当な政治活動の自由を社会的に保障する地盤が失われていることを如実に示していよう。

 とはいえ訴訟の争点はあくまでも住居侵入罪なので、被告のビラ配布が住居侵入に当たるのかどうかを検討しなければならない。
 今回確定する判決の問題は次の2点である。①被告らが立ち入った自衛隊官舎の敷地と共用通路を刑法第130条の「人の看守する邸宅」とみなしていること。②自衛隊官舎の管理者が関係者以外の敷地内立ち入りを禁止していたことを「侵入」の要件としていること。

 ①については、居住空間ではない敷地や通路は個々の住人の居住権が及ぶのかという疑問が生じる。一個人の邸宅ならば、その敷地には居住権が生じるだろう。しかし、集合住宅ではそれぞれの住人の部屋にはもちろん個々人の居住権は生じるが、敷地や通路は個々人の占有物ではない以上、それを「邸宅」とみなすのは無理があるのではないか。これでは例えば新聞配達のためにアパートの通路を通るのも「住居侵入」になりかねない。
 ②については、管理者の意思が居住者の意思とは限らないという問題がある。判決では管理者が官舎の出入り口に掲示した「禁止事項」に居住者の意思が反映しているか確認を行っていない。いくら自衛隊でも個々の隊員に特定のビラを読むことを禁じることはできない。管理者(自衛隊)が示した「禁止事項」そのものの正当性を問わねばならないはずだが、裁判所はこれを行っていない。

 いずれにせよ、最高裁が「お墨付き」を与えた判例は他の類似の訴訟に影響することになる。以前、当ブログで紹介した葛飾の共産党ビラ配布弾圧事件も控訴審が有罪判決を下し、現在最高裁で係争中だが、悪影響が心配される。また、政権批判的な政治活動に委縮効果を生む危険もある。
 政治活動において戸別訪問とビラ・チラシ配布は世界のスタンダードである。日本がこれを認めないのは、現在世界の普遍的原則である立憲主義・民主主義の否定にほかならない。これがどれほど恥ずかしいことか最高裁は理解していないと言わざるをえない。

【関連記事】
共産党のビラ配布に対し不当判決

【関連リンク】
判決要旨 住居侵入被告事件(平成17年(う)第351号)-立川・反戦ビラ弾圧救援会
立川・反戦ビラ弾圧救援会
村野瀬玲奈の秘書課広報室|ビラのポスティングを有罪と考える人に説明。(立川反戦ビラ入れ裁判をめぐって)
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by mahounofuefuki | 2008-04-11 20:23

映画「靖国」上映妨害問題 (追記あり)

 来月公開予定のドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」(李纓監督)をめぐっては、以前から保守系メディアが観もせずに「反日」とのレッテルをはったり、自民党の稲田朋美衆院議員ら歴史修正主義派の国会議員が国政調査権を盾に文化庁へ事前試写をごり押ししようとし、結局配給元が国会議員向けの特別試写会を開くなど、上映妨害の動きが続いていたが、ついに上映館のうち1館が上映の取りやめを決めていたことが明らかになった。

 朝日新聞(2008/03/18 09:03)によれば、上映中止を決めた映画館の運営会社側は「色々と問題になっている作品。問題が起きればビルの他のテナントの方への影響や迷惑もある」と右翼団体などの威嚇的・暴力的妨害を恐れて上映予定を中止したことを示唆している。この弁明は日教組教研集会への会場貸与契約を一方的に破棄したプリンスホテルの言い分と似ている。実際に暴力を受けたわけでもないのに、易々とテロの脅しに屈する事例がこうも立て続けに起きるのは、この国においてはもはや言論・表現の自由を社会的に保障する地盤が崩壊していることを端的に示していよう。

 ただし今回の映画上映妨害問題はプリンスホテル問題と決定的に異なる点がある。それはプリンスホテル問題では、在野の反社会的右翼団体の「潜在的な威嚇」(実際に脅迫を受けたわけではないというプリンスホテルの言い分を信じれば)が問題の原因であるのに対し、今回は国会議員という公職者が妨害を行っていることである。テロリストが威嚇するのと、憲法遵守義務(日本国憲法第99条による)がある国会議員が威嚇するのではまるで次元が異なる。
 12日に行われた国会議員向け試写会は、文化庁が配給元に要請して行われたという(朝日2008/03/14 13:13など)。当初稲田氏ら一部の議員が事前試写を要求していたのを、配給元はすべての国会議員向けに試写を行うことで「検閲」にならないようにしたというが、議員限定という時点で事実上の検閲にほかならない。そもそも本来は配給元に伝えるまでもなく文化庁が議員らの検閲圧力をはっきりと拒否しなければならない。与党の国会議員の威力がいかに絶大であるかが改めてわかる。

 稲田氏らの介入の根拠は、文化庁所管の独立行政法人「日本芸術文化振興会」が「靖国」に助成金を出したことに対する国政調査である。稲田氏は13日に「憲法で保障された『表現の自由』があるので、映画の内容を論評する気はないが、靖国神社という政治的な題材を扱った映画に政府関係機関が助成したことは疑問だ」と述べ(産経新聞2008/03/13 18:57)、上映中止という本音を隠しつつ、当面は公的助成の是非に問題を絞ることを示唆している。
 *「論評する気はない」と言いながら、試写会後には「靖国神社が侵略戦争に国民を駆り立てる装置だったというイデオロギー的メッセージを感じた」(朝日2008/03/13朝刊)と「論評」しているのが相変わらず支離滅裂だが。

 「靖国」は2006年度に日本芸術文化振興会の「芸術文化振興基金」より750万円の助成金を受けている。同振興会の公表資料によれば、助成の適否は、芸術文化振興基金運営委員会の各専門委員会が「芸術文化振興基金助成金交付の基本方針」と各部門の募集案内を踏まえて「専門的見地から調査審議を行」って決定するという。「靖国」は記録映画なので記録映画専門委員会が審査する。
 現行の「芸術文化振興基金助成金交付の基本方針」は、第1項で助成にあたっては「政治的、宗教的宣伝意図を有するものは除く」と明記している。「政治的宣伝」とは特定の政党・政治団体の宣伝と解するほかない(もし「政治的宣伝」を「政治問題を取り上げること」と解したら、どんな社会問題も政治と無縁でない以上、ほとんどの記録映画が該当してしまう)が、稲田氏らは「靖国」の内容がその「政治的宣伝」に該当するのではないかとの疑念を抱いているようだ。
 しかし、これまで稲田氏を含め、試写を実見した議員の誰からも「靖国」が特定の政党や政治団体の宣伝を含むという発言はなされていない。製作が日中共同である(産経、前掲)とか、南京大虐殺の写真を使っている(朝日 2008/03/13 20:25)といった非難は上がっているが、「靖国」が特定の政党や政治団体の政策を伝えているという話は今のところない。むしろ「内容は意外と穏やか」「反靖国とか反日とか神経質になるのか理解出来ない」(増子輝彦参院議員、映画「靖国」-ましこノートより)という評があるほどである。

 「靖国」が「政治的宣伝」に当たるのかどうか、一般の主権者が確認するには映画が公開されなければならない。芸術文化振興基金の助成が正当なのかどうか議論するには、とにもかくにも映画を観ないことには始まらない。それなのにほとんどの人が観られない公開前の段階で、助成の取り消しを議員が勝手に言い出すのは、事前検閲による上映妨害以外のなにものでもない。上演中止になれば、かえって自己の主張の「正当性」を一般の人々に示す機会を失うことを稲田氏らは自覚するべきである。
 いずれにせよ、こうした一部国会議員の行為が暴力的ナショナリズムを扇動し、上映そのものが危うくなっている。これは映画製作者の「表現の自由」のみならず、観衆の「映画を観る自由」が脅かされていると看做さざるをえない。


《追記 2008/03/31》

 毎日新聞(2008/03/31 21:28)などによると、「靖国 YASUKUNI」の上映を予定していた東京の映画館3館と大阪の映画館1館が上映中止を決定したという。これで事実上の公開中止となってしまった。産経新聞(2008/03/31 18:46)によると、一部の「政治団体」が上映妨害の動きを見せていたというから、完全に右翼テロに屈したと言わざるをえない。もはや日本は暴力が支配する無法地帯であることを実証してしまった。
 製作者は上映妨害を主導した稲田朋美衆院議員ら国会議員及び実際に威嚇の動きを見せたという右翼団体を提訴すべきである。この問題をウヤムヤにしてはならない。「映画を観る自由」が脅かされていることを我々は自覚せねばならない。

【関連記事】
プリンスホテルのお粗末~「イドメネオ」事件と比較する

【関連リンク】
独立行政法人 日本芸術文化振興会
芸術文化振興基金
芸術文化振興基金助成金交付の基本方針*PDF
芸術文化振興基金 平成18年度助成対象活動の決定について(映画の製作活動:第2回募集分)*PDF
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by mahounofuefuki | 2008-03-19 21:52

プリンスホテルのお粗末~「イドメネオ」事件と比較する

 2006年9月、ドイツのベルリン・ドイツ・オペラがその年の11月に予定していたモーツァルトの歌劇「イドメネオ」の上演を中止することを決定して、大問題になったことがあった。この上演では最終場でブッダ、キリスト、ムハンマドの切られた「首」を並べるという演出があり、2003年に同劇場で初上演した時は芸術的な評価においては賛否両論だった。
 (*本来の台本ではそんな演出を指示していないが、現在の特にドイツ語圏のオペラ上演はいわゆる「読みかえ」が行われるのが普通で、問題の上演の演出家ハンス・ノイエンフェルスは前衛的(というより過激)な演出で知られている。)

 2006年の再演中止の理由は、ベルリンの警察当局から問題の場面をイスラムの創始者ムハンマドを冒涜していると考える「イスラム過激派」によるテロの危険があるという警告を受けた自主規制だった。当時、デンマークの新聞がムハンマドを風刺する漫画を載せたことが、イスラム教徒の反発を呼び、国際問題になっていたことも影響していた。
 中止が報道されるやいなや、ドイツでは大きな議論を呼び、その多くは歌劇場が潜在的暴力に「屈伏」して、表現の自由を曲げたことへの抗議であった。特に政治家たちが歌劇場の判断を強く批判した。メルケル首相も当時「中止は間違いであると思う。イスラム教の下で暴力を使いたがる人々と戦うためには、自己検閲は助けにはならない」「暴力を使おうとする過激主義者たちを怖がって、どんどん譲歩していくようにならないために注意すべきだ」と「テロとの戦い」の観点から自粛を批判した(ベルリンのオペラの臆病?-OhmyNewsによる)。また何よりドイツ国内のイスラム指導者らが上演中止を批判したことも注目に値する。

 ここからが日本とは異なり民主主義の成熟した国らしいのだが、歌劇場は上演中止の是非に関する公開討論会を開き(テレビで中継された)、そこでの議論を経て、結局歌劇場側は中止を撤回し、年内に「イドメネオ」の上演は混乱なく(警備が通常よりかなり厳重ではあったが)行われた。ドイツでは「目の前の聴衆が負うリスク」よりも「テロに屈して表現の自由を失うリスク」の方を重視したのである。


 日本教職員組合(日教組)の教育研究全国集会の会場に予定していたグランドプリンスホテル新高輪が、日教組との使用契約を一方的に破棄し、東京高裁がホテル側に契約の履行を命じる判決を下したにもかかわらず、ホテル側は判決を無視し、結局集会が中止になった問題について、ホテルの経営陣が記者会見を行った。
 毎日新聞(2008/02/26 19:55)によれば、プリンスホテルの親会社である西武ホールディングスの後藤高志社長は「憲法は集会の自由を保障しているが、個人の尊重もうたっている。集会当日には周辺の学校で7000人が受験に臨んでおり、街宣車が押し寄せたら取り返しのつかぬ事態になった」と述べたという。日教組に対する右翼団体の「街宣」という名のテロに屈したことを改めて正当化したと言えよう。
 法を破り、裁判所の命令も無視し、「7000人の受験生」をダシに使う。暴力団は宿泊させているくせに。とんだ無法者で卑怯者だ。

 ドイツの「イドメネオ」事件と比較する時、言論・集会・表現の自由の重要性に対するこの国の人々の認識の低さに呆然としてしまう。前にも述べたが、問題を引き起こしているのは右翼団体の方であって、日教組ではない。街宣は言論活動ではなく、純然たる暴力であり、今国際社会がそれこそ目の敵にしている「テロ」そのものである。この国では「テロとの戦い」というとなぜかアメリカに従属して派兵することだと勘違いしている輩が多いが、むしろ本当のテロリストはわれらの足元に巣食う暴力的右翼ではないのか。
 ドイツの政治家は与野党、左右を問わず、「イドメネオ」の上演中止を非難するメッセージを発した。ところが日本の政治家はどうだ。政府サイドからは例えば法務大臣がプリンスホテルを批判する発言をしたが、ほとんどの政治家は黙殺している。日教組が支援する民主党もとてもこの問題に本腰を入れているとは言い難い。こうしたテロに対しては、本来与党も野党も右も左もなく、言論の自由を擁護するためのリアクションをとらなければならない。それができない国家は民主主義国家ではない。

 政界の暴力に対する消極姿勢がテロに勢いを与え、プリンスホテル側の弱腰を誘ったとも言える。後藤氏の言葉に引き付ければ、集会の自由や貸借契約の履行義務は「7000人の受験生」を犠牲にしてでも守らねばならない価値だ。これを理解できないうちはこの国はいつまでたっても保守専制国家のままだろう。
 プリンスホテルは集会参加者の宿泊予約を一方的に解除した件で、旅館業法違反に問われている。当然営業停止処分を下すべきであるが、ホテルだけでなく、街宣のテロリストにもペナルティを課さないと同じ事が繰り返されるだろう。自民党や公明党や民主党の政権には無理だろうけど。

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by mahounofuefuki | 2008-02-26 23:46

暴力的威嚇に屈するということ~日教組教研集会会場問題

 つくばみらい市が右翼勢力の暴力的威嚇によりDV防止の講演会を中止した事件を、以前当ブログでも取り上げたが、この国では今や大きな声で脅かせば、行政も住民も唯々諾々と従ってしまい、全く無抵抗になってしまう風潮が広がっている。つくばみらいと同じ講演者による長岡市での講演会は予定通り混乱もなく行われたが、これとて妨害勢力が街宣に繰り出していればどうなっていたかわからない。
 日本教職員組合(日教組)が2月2~4日に予定している教育研究全国集会の全体集会会場としてグランドプリンスホテル新高輪と契約を結んでいたにもかかわらず、ホテル側が一方的に契約解除した問題は、東京高裁が日教組の訴えを容れ、ホテル側の抗告を棄却したことで決着するかと思いきや、ホテル側は裁判所の決定を無視し、会場貸与拒否の姿勢を貫いている。
 以下、読売新聞(2008/01/31 14:46)より(太字は引用者による)。
(前略) 2月2~4日に都内で開催される教研集会のうち、2日の全体集会が予定されているのは、国内最大級の宴会場で2000人以上を収容できる同ホテルの「飛天」。日教組は、ホテル側と昨年5月に本契約を結び、7月には、会場費の半額にあたる1155万円を支払っていた
 ところが同11月になって、ホテル側が契約の解除を通告。これに対し、日教組が同年12月、東京地裁に契約解除の無効を求める仮処分を申請したことから、会場問題は法廷闘争に持ち込まれ、東京高裁は今月30日、日教組の会場使用を認め、ホテル側の抗告を棄却した。この中で、東京高裁は「(ホテル側が)日教組や警察当局と十分に打ち合わせをすることで混乱は防止出来る」と指摘している。
(中略)
 全国各地で毎年開催される教研集会を巡っては、会場周辺で、右翼団体が街宣活動を行うため、警察による厳重な警備体制が敷かれている。ホテル側の説明によると、今回突如、契約解除を通告したのは、「周辺に迷惑がかかると判断した」ため。契約後に前回の開催地の大分県別府市に社員を派遣するなどして調査した結果、100台以上の街宣車が出ることや警備、道路封鎖、検問などで1000人以上の警察官が出動することが判明したという。
 教研集会を巡っては、会場側が使用を拒否したことにより、過去にも4回、裁判に持ち込まれ、いずれも日教組の主張が認められて全体集会は開催されている。しかし、同ホテル側は、あくまで会場を貸さない方針で、「日教組の方々が来ても、お帰りいただくしかない」(広報担当者)と話している。
 「迷惑がかかる」のは日教組のせいではなく、あくまでも右翼勢力のせいである。街宣への不安があるのならば、まずは警察当局へ厳重取り締まりを要請したり、街宣を予告している団体に対し抗議したりするのが筋であり、日教組の方に会場を貸さないというのは全くアンフェアだ(プリンスホテルの場合、政財界との深い関係を考えれば、契約解除の影には日教組を攻撃している政治家の圧力があるのでは?と勘ぐりたくなるが)。
 ホテルにとって会場費を支払った日教組は「客」ではないのか。ホテルが守ろうとする「他の客や周辺住民など」(時事通信2008/01/31 17:09)になぜ日教組は入っていないのか。プリンスホテルの行いは、まるで「いじめ」を「未然に」防ぐために、あらかじめ「いじめられそうな者」を共同体から排除しようとしているに等しい。

 問題の根は深い。具体的な威嚇に対する人々の恐怖に加えて、右翼勢力の日教組攻撃のプロパガンダによって、あたかも学校教育の崩壊の責任を日教組に転嫁する「空気」もあるからだ。
 何よりこの国では「弱そうな加害者」には徹底したバッシングで過剰なまでに「被害者」に共鳴するが、「加害者」が「右翼」や「暴力団」となると途端に沈黙する人々があまりにも多い。匿名のネット言説は本来そうした威嚇を批判できるにもかかわらず、実態はむしろ加害行為に加担している。
 こうした暴力が横行し、人々が沈黙を続けることで、結局暴力者は増長し、ますます暴力に怯える社会になっていくことを私たちは自覚しなければならない。

【関連リンク】
日本教職員組合ホームページ
グランドプリンスホテル新高輪
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by mahounofuefuki | 2008-01-31 22:01

DV防止法「出前授業」をつぶした「凶悪な力」

 この国の保守的国家主義者が現在最も目の敵にしているものは2つあって、1つは日本の国家犯罪の史実を明らかにする歴史像・歴史認識、もう1つは近代社会特有の性別役割分業の前提となる「男らしさ」「女らしさ」の在り方を変えようとする動きである。

 前者に対する攻撃が戦後ずっと続いているのは周知の通りだが、近年激しい攻撃を受けているのが後者で、特にジェンダーフリーに対する誤認と憎悪に満ちた攻撃はヒステリックで暴力的な様相を呈している。一昨年、国分寺市が東京都からの委託事業の人権学習講座で東京大学大学院教授の上野千鶴子氏の講演を予定していたところ、都教育庁の圧力で委託事業そのものが中止になったのは記憶に新しい。都の判断の背後に家父長制擁護者たる石原慎太郎知事の影響力があるのは確かだが、こうした事態は全国各地に広がりつつあるようだ。
 以下、共同通信(2008/01/22 21:51)より(太字は引用者による)。
 茨城県つくば市の県立茎崎高校が、28日に予定していたドメスティックバイオレンス(DV)被害者を支援する特定非営利活動法人(NPO法人)による出前授業を中止していたことが22日、分かった。

 隣のつくばみらい市が別の団体代表によるDV講演会を、抗議が殺到したのを理由に中止したのを受けた決定。この代表の講演を予定する新潟県長岡市にも多数の抗議が寄せられ、影響が広がり始めている。識者から「DV防止法の根幹にかかわる事態」と危惧する声が出ている。
 
 茎崎高校によると、茨城県内のNPO法人が1年生約60人を対象に、若い世代で多発している「デートDV」についての知識を広め、予防するための講義を予定していた。
 
 松井泰寿教頭は「学校に抗議があったわけではないが、公的機関であるつくばみらい市の判断を重視し、生徒の混乱を避けるため中止した」と説明した。
 茎崎高校に招かれていたNPOについてはあいにく不明だが、つくばみらい市が講演を予定していた「別の団体」とは、共同通信加盟社配信記事によれば「東京フェミニストセラピィセンター」で、代表の平川和子氏の講演が「抗議の殺到」により中止となったという。
 「学校に抗議があったわけではない」のに中止した学校側の弱腰ぶりは問題だが、それだけつくばみらい市への「抗議」がすさまじかったと言える。右翼団体や地域の有力者の影もあったかもしれない。

 「東京フェミニストセラピィセンター」のホームページによれば、同団体は「1997年より暴力被害女性のための緊急一時避難所を開設し、長期展望にたった支援に取り組む」とあり、DV被害者のためのシェルターづくりや有料のカウンセリング活動を行っているようである。
 言うまでもないことだが、DVについては2001年に「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」(DV防止法)が施行され、国と地方自治体には配偶者による暴力を防止し、被害者を保護する責務を負わせている。行政が同法の趣旨にのっとり啓蒙活動や学習活動を行うのは当然のことであり、これを否定する所以はまったくない。

 なお引用記事にある通り、新潟県長岡市に対しても平川代表の講演への抗議活動が行われているようである。ネット上でリサーチしたところ、「DV防止法犠牲家族支援の会」という反フェミニズム団体が平川氏の講演に対する抗議を呼びかけていた(ホームページもあったが不愉快なのでリンクはしない。「家」制度への過剰な依存とフェミニズムに対する「被害妄想」に思わず失笑してしまった)。
 前記配信記事によると、今のところ講演の主催者である長岡市教育委員会は「粛々と行いたい」と抗議を意に介していないようだが、今後圧力が強まる可能性は否定できない。講演を決行するよう同市へ請願を行う必要があるかもしれない。

 いずれにせよこのような不当なバッシングを座視してはならない。この問題はDV防止法の危機のみならず、この国の言論の自由そのものが脅かされているとみなさねばならない。


《追記》

 ここまで書いたところ、多文化・多民族・多国籍社会で「人として」が、つくばみらい市の講演中止事件の詳細を明らかにした記事を上げておられた。
 多文化・多民族・多国籍社会で「人として」:つくばみらい市事件で考える、「威嚇」と行政
 どうも市役所への威嚇的な街宣活動があったようだ。なお講演の中止に抗議する電子署名活動が行われている。詳細は「多文化~」さんの記事を参照。


《追記 2008/01/24》

 トラックバックいただいたGazing at the Celestial Blue経由で、みどりの一期一会の関連エントリを読んだ。私は「出前授業」中止の件が報道されるまで、こんな凶悪な事態が進んでいたことをよく知らなかったので、恥ずかしい限りである。
 もしお読みでない方がいたら、ぜひお読みください。

【関連リンク】
配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律-内閣府男女共同参画局
東京フェミニストセラピィセンター
長岡市教育センター
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by mahounofuefuki | 2008-01-23 21:13