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光市母子殺害事件の被告弁護団に対する懲戒請求却下

まだ詳細は不明なのだが、東京弁護士会が、光市母子殺害事件の被告弁護団の弁護士に対する懲戒請求を認めない決定をしたようだ(NHKニュース 2007/11/27 06:14)。

周知のとおり、タレントで弁護士の橋下徹氏が、テレビ番組で同弁護団に対する懲戒請求を扇動したせいで、一般の人々による約4000件もの請求が各地の弁護士会に集まっていた。
今回初めて東京弁護士会が懲戒請求の正当性を認めなかったことで、他の弁護士会の審議や、光市事件弁護団の弁護士らが橋下氏を訴えている訴訟にも影響するだろう。

《追記》

毎日新聞(2007/11/27 12:16)によると、東京弁護士会は「社会全体から指弾されている被告であっても、被告の弁明を受け止めて法的主張をするのは正当な弁護活動。仮に関係者の感情が傷つけられても正当性は変わらない」という理由で懲戒請求を退けたという。

まさに私が弁護団を擁護する理由はそこで、本当にまっとうな議決である。
弁護人が「世間」とは異なる考えで弁護を行ったからという理由で懲戒されるようになったら、もはや司法は独立を保てない。ましてやほとんどの人々が懲戒要件の何たるかも知らず、テレビの言うがままに請求を行ったのだから、却下は当然である。
事が大きくなり、今になって怖くなって請求を取り下げようとしている人々も多いようだが、請求者には自分がどれだけとんでもないことを仕出かしたかきちんと反省してほしい。
私たちはいつでも刑事・民事を問わず「弁護される側」になる可能性があることを理解してほしい。

ところで私はNHKの報道をもとに、一連の懲戒請求の議決が「今回初めて」と書いたが、毎日新聞電子版には、請求が「東京や広島など各地の弁護士会で計約7500件に達しているが、これまでに弁護士会が結論を出した十数件はいずれも「懲戒しない」と議決している」と書いており、毎日の方が正確なようである。

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【関連リンク】
光市事件懲戒請求扇動問題 弁護団広報ページ
東京弁護士会
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by mahounofuefuki | 2007-11-27 13:19

日本航空の「監視ファイル」問題

日本航空の客室乗務員の個人情報をJAL労働組合(JALFIO)が無断で収集していた問題で、日本航空キャビンクルーユニオンの組合員らが会社側とJALFIOに対し損害賠償訴訟を起こした。

私は航空業界についてよく知らないのだが、各報道や両労組のホームページから判断すればおおよそ問題は次のように展開したようである。

日航最大の労組で「労使協調」路線を採るJALFIOが、密かにキャビンクルーユニオンに加入する乗務員などの個人情報(病歴や性格や容姿や思想傾向など)を収集して「監視ファイル」を作成し、会社の人事部や労務部などと情報を共有して、脱退工作や昇格差別に利用していた。
ところが、そのリストが何者かに外部へ持ち出され、『週刊朝日』に報道されたことから、「監視ファイル」の存在が明るみになった。
JALFIOは情報漏洩による個人情報保護法違反だけは認め、会社側は関与を否定し、25名の社員(氏名は非公表)を処分して問題の幕引きを図った。
それに対してキャビンクルーユニオン側は、情報収集活動が人格権や団結権の侵害にあたるとして提訴に踏み切った。
なお漏洩したリストはいまだ回収できていない。

このニュースを知って感じたのは、労働組合の存在意義とは何なのだろう?ということだ。
私たちの世代は総じて労組への強い不信を抱いているが、それは労組が労働者の本当の利益に役立っていないことに起因している。巨大な労組ほど経営側と「協調」して、人員整理に協力したり、正社員の既得権益を守るために、非正社員の待遇劣化に同調したり、能力主義・成果主義を受け入れて競争を煽っている。
古くは過剰な政治主義(労働問題に特化せず、イデオロギーを重視する)で組合離れを引き起こし、今度は弱体化すると経営者の提灯持ちになる、というのでは労組の存在価値はまったくない。

かつて華やかに見えた客室乗務員も、不安定な有期雇用が恒常化し、早期退職圧力や非人道的な「日勤教育」が横行していると聞く。
普通に考えれば、わざわざ会社側に敵対して目立つよりも、「空気」に乗っかって御用組合に入って、適当に我慢しながら上司の覚えをめでたくした方が安楽に暮らせる。それにもかかわらず、会社に戦いを挑まざるをえないのは、それだけ待遇が悪化して追い込まれているからである。

現代の大衆は「お上」に刃向かうことを過剰に忌避し、権力に迎合して生きるのが世渡り上手だと考えがちだが、そんなことを言っていられないほど、追い込まれている人々がいることを忘れてはならない。
長いものに巻かれる生き方を続ければ続けるほど、同調圧力が強まり、結局は我慢できないほどひどい待遇になってしまうものだ。どこかで勇気を出さなければ、自分の首を絞め続けることになる。

今回のような社員監視活動は一定の規模以上の企業ならどこでもやっているはずだ。
今回の訴訟が企業の違法な労務管理に歯止めをかけるきっかけになれば幸いである。

【関連リンク】
JAL労働組合/JALFIO
日本航空キャビンクルーユニオン
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by mahounofuefuki | 2007-11-26 22:17

『昭和財政史』所引の沖縄返還関係文書の公開を求める訴訟

この国の官僚たちは、公文書を「国民共有の財産」とは考えず、各官庁の所有物と考えがちである。
情報公開法はあるが、開示の可否は依然として政府のさじ加減次第であり、何より公文書保存に関するルールは各官庁ばらばらで、包括的な文書管理・保存のための法令がきちんと整備されていない。現用でなくなった公文書が主権者の知らぬ間に廃棄されているなんてことが日常茶飯事なのである。
そんな現状に一石を投じるニュースがある。以下、共同通信(2007/11/21 20:34)より。
 旧大蔵省編さんの「昭和財政史」で引用された沖縄返還の関係文書を情報公開請求したのに、財務省が「不存在」を理由に不開示としたのは不当として、特定非営利活動法人「情報公開クリアリングハウス」(東京)の三木由希子室長が21日、処分取り消しを求め東京地裁に提訴した。
 三木室長は「文書が開示されれば沖縄返還密約の解明に示唆を与えてくれるものも出てくるはず。国は説明責任を果たすべきだ」と訴えている。
 訴状などによると、対象は「大蔵省資料Z27-381」の文書。財政史の沖縄返還の章で、日米交渉時の大蔵省の主張などに関連して計57カ所が引用されている。昨年7月に開示請求したが退けられた。(後略)
『昭和財政史』は大蔵省昭和財政史編集室(現・財務省財務総合政策研究所情報システム部財政史室)が編纂した公刊の「正史」である。大蔵省文書をはじめ膨大な資料をもとに書かれ、財政史のみならず経済史・政治史全般の研究に有用な著作である。
しかし、いかに有用であっても、典拠に上げた史料を確認できないのでは問題である。歴史研究の場合、史料を引用するにあたって、必ずどの史料のどこの部分なのか明記しなければならない。そうでなくては他者が検証できないからである。他者が検証できなければ、極端な例では史料を改竄していてもわからない(かつて南京大虐殺否定派が史料を改竄して発表したことがあった)。

今回の件で財務省は、財務省文書管理規則が定める保存期間30年を過ぎたため、廃棄した可能性が高いと回答しているが、もし事実なら公刊書に引用された文書を平気で捨ててしまえる感覚は、情報公開の軽視であり、歴史研究に対する侮辱である。
本来、現用でなくなった文書は国立公文書館へ移管し、随時公開されるべきだが、実際は人件費の不足や官庁の隠蔽体質のためにスムーズに行われていない。移管と廃棄の選別を各官庁に委ねてしまっていることが、今回の問題の原因である。日本の公文書管理の在り方は非常に杜撰なのだ。

ただ、事が沖縄返還の密約にかかわるとなると、そう簡単に廃棄しているとも思えない。
財務省には財政史室のほかにも非公開資料を集積した倉庫があるという噂を聞いたことがある。財務省は今回の件で関係全部局を探索したと言っているが、にわかには信じがたい。厚生労働省が薬害肝炎患者のリストを倉庫に放置していたようなことが、財務省にも十分にありうる。
訴訟となれば行政の審査よりも厳密に調査が行われ、『財政史』の執筆者や当時の担当者への証人尋問もありうるだろうから、少しでも進展を期待したい。

改めて情報公開法の強化と、包括的な公文書管理法の制定が必要であると痛感させられる。

【関連リンク】
財政史-財務省 財務総合政策研究所
特定非営利活動法人 情報クリアリングハウス
理由説明書に対する意見書-三木由希子*PDF
答申書-「大蔵省資料Z27-381」等の不開示決定(不存在)に関する件*PDF
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by mahounofuefuki | 2007-11-22 13:01

NOVA前社長と「俗物」の境地

「構造改革」の最大の罪は、とても何千人、何万人もの従業員を抱える能力などない、自分のエゴを無限に満たすことしか考えない腐った経営者を野放しにしたことである。
最近経営破たんした英会話学校「NOVA」のオーナー猿橋望も、そんな生ゴミのひとりで、心底腐りきった最低のモンスターである。
10月30日に保全管財人がNOVAの社長室を公開したが、恥ずかしくなるほど「俗物」の欲望が詰まった部屋で、ただただあきれるばかりだ。

朝日新聞(2007/10/30 22:10)には、社長室の見取り図と写真が数枚掲載されているが、赤じゅうたんや革張りのソファーはまだいいとして、なぜかバーカウンターがあり、高級酒が並んでいる。大阪市内を一望できるというテラスや豪華なシャンデリアにも驚かされるが、何より問題なのは奥に「隠し部屋」があることで、猿橋専用の茶室(!)と寝室と浴室が隠されていることである。趣味の悪い掛け軸がかかった茶室は、なぜ会社にこんなものがあるのか全く理解不能の代物であるし、やはり趣味の悪いカーテンがかかった寝室は、どう見ても「愛人」がいそうなオーラに満ちており、公私混同もはなはだしい。

どこにも「知性」や「教養」はなく(あの茶室に文化の香りはまったくない)、「カネ」と「酒」と「女」しか極められない「俗物」の境地が、猿橋の社長室といえよう。
安給料と有期雇用で不安に怯えながら過労を強いられている英会話講師たちのことなど、微塵も考えていないことが明白である。

ところで今日(11月5日)になって猿橋側の弁護士が、一連の疑惑に反論する「上申書」を大阪地裁に提出し、この社長室についても弁明した。それによれば「報道された部屋はネットワークを使えば家を出ずに仕事ができる『職住一体』をデモンストレーションするための『モデルルーム』で社長室ではな」く、茶室は「テレビ電話によるお茶のレッスンを実験する予定だった」という(産経新聞 2007/11/05 17:09)。
しかし、それでは「モデルルーム」なのになぜ非公開だったのか、なぜ茶室が寝室と同じエリアに「隠し部屋」としてあるのか、説明がつかない。会社内では「社長室」と把握されていたのだから、これは単なる言い逃れだろう。

現在、猿橋に対しては、関係会社が購入したテレビ電話機材を数倍の価格でNOVAに売りつけた容疑や、株価操作の容疑がかけられている。前者は土地ころがしや企業ころがしの延長線上のやり口であり、後者は一種のインサイダー取引であり、現代の金持ちたちの典型的な利殖法である。
しかも、経営破たんし、裁判所が保全命令を出した前後に、猿橋とその親族が保有していた関連会社の株式を、保全管財人に委ねず、全て同一人物に売却していたことも明らかになっている(毎日新聞 2007/10/31 05:37)。最後の最後まで、経営責任を放棄し、自分のことしか考えない姿に強い憤りを覚える。

前記上申書は、一連の容疑も全面否定しており、猿橋は訴訟で争うようである。
今後もNOVA問題は目が離せないだろう。
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by mahounofuefuki | 2007-11-05 21:11

陸自情報保全隊の監視活動をめぐって

*2007/10/06に投稿した記事ですが、再掲します。理由は追記に。

陸上自衛隊の情報保全隊が、イラク派遣に反対する市民の動きなどを「情報収集」していた問題で、仙台の自衛隊派遣差し止め訴訟の原告らが自衛隊の「情報収集」活動の中止と損害賠償を求めて提訴した。
今年6月に自衛隊資料(とされる書類)を共産党が入手し公表して以来、この問題での訴訟は初めてという。
共産党のホームページで公開された資料は、極めて詳細かつ具体的、そして広範囲で、陸自の市民監視活動が常態化していることを窺わせた。もちろん憲法違反であり、主権者に対する背信行為である。提訴は当然であり、訴訟を通して少しでも実態の解明が進めば幸いである。

ただ、私はこの問題については、資料公表以来、ある「疑念」をもっている。
それは自衛隊サイドが故意に問題の資料を漏らしたのではないか、という疑念である。
共産党の情報力を疑うわけではないが、正直なところあんな第1級の機密資料(としか思えない)が簡単に漏洩するだろうかという疑いが消えない。むしろ防衛省・自衛隊側がある意図をもって外部の手に渡るように仕組んだのではないか。

その意図とは、主権者としての自覚をもって政治行動する市民と、そうではない「普通の」大衆とを分断することである。
実際、この問題が発覚した時、ジャーナリストや法曹関係者や社会運動家は抗議の声をあげたが、一般の反応は冷ややかであった。市民運動と特に関わりがなく、集会にもデモにも参加したことのない人々(それはこの国の多数派である)は、「自分とは関係ない」で済ませた。そして改めて平和運動や労働運動などに参加すると「国に睨まれる」と「学習」したのではないか。
平穏に生活したければ国に逆らわず、多少の不満は我慢して、せいぜい権力が用意した「公認の敵」をバッシングして日常の欝憤を解消する。残念ながらそうした「小市民的保守主義」が現在の日本社会の主流である。
自衛隊はまさにその現実を突き、「反体制分子」を一般の人々から孤立させることを狙ったのではないか。すでにイラク人質事件の時に、相当な数の人々が人質らを「プロ市民」と攻撃したという事態があったが、そうした状況を促進するために、わざと監視資料を外部に流したという見方は穿ちすぎだろうか。

もちろん、実際は監視活動を「プロ市民」に限っているという保障は何もないし、たとえ今は少数の人々しか監視していなくても、そういう活動が長く続けば諜報まがいのやり方が一般の住民にも拡大することは、戦前の治安維持法で経験済みである。
ゆえに、自衛隊の監視問題は日本に住むすべての人々に関わる問題なのだが、そこまで危機感をもっている人がいったいどれだけいるか心もとない。
さらに、自衛隊でさえこれだけの「情報収集」を行っているのだから、公安調査庁や警察の公安セクションはまだ強力な活動を行っているのではないか、という想像も働く。いずれにせよ手遅れになる前に、世論を喚起するための知恵と工夫を編み出さねばなるまい。

《追記》
日弁連が2007/10/31付で、陸上自衛隊の情報保全隊による監視活動を中止するよう求める意見書を防衛大臣らに提出したそうだ。
薔薇、または陽だまりの猫 陸上自衛隊による市民監視についての意見書/日弁連
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by mahounofuefuki | 2007-11-03 00:26

今枝仁弁護士の解任について

光市母子殺害事件の被告弁護団の1人である今枝仁弁護士が解任された。
弁護方針をめぐる対立が原因と報じられているが、当ブログでこれまで何度も言っているように、私は事件そのものにはあまり関心がないので、弁護方針について特にコメントすることはない。
解任に至る経過は、今枝氏自身のブログ「弁護士・未熟な人間・今枝仁」や「元検弁護士のつぶやき」や「弁護士のため息」が詳しいので参照していただきたい。

私から言えるのは、今枝氏は世論を気にしすぎた、ということだけである。
最高裁の弁論欠席について釈明が必要であるとか、法医学的見地に偏りすぎであるといった今枝氏の主張は、要するにマスコミ報道による世論の誤解を解こうという意図から発していると思われる。

しかし、私に言わせれば、そんな努力はまったく無駄である。この国では権力やマスメディアが「公認の敵」として認定した者には、どんな些細なことでも攻撃する。中途半端な小細工は火に油を注ぐようなものである。
むしろ「世間」なるものに余計な「弁明」などせず、毅然と堂々と行動した方がいい。人々は光市事件に憤っているように見えて、その実「安心して攻撃できる絶対悪」をいじめることを楽しんでいるだけなので、余計な「弁明」はかえって弱みになり、いじめの対象となる。

弁護団の内部の議論を外部に漏らして、マスメディアが曲解した報道をする隙を見せてしまったのは、たしかに今枝氏の非である。
しかし、仮に今回の事がなくても世論の風向きが変わるとも思えないので、今枝氏が深く悩むこともないだろう。
橋下徹弁護士による懲戒請求扇動問題の原告としての活動は続くだろうから、これからも私は微力ながら応援したい。

【関連記事】
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by mahounofuefuki | 2007-10-18 13:49

企業による「殺人」

上司の暴言に耐えかねて2003年に自殺した日研化学(現・興和創薬)の30代の男性社員に労災を認定するよう妻が求めた訴訟で、東京地裁は暴言と自殺の因果関係を認め、労災給付金の不支給処分を取り消す判決を下した。

新聞各社の報道を総合すると、自殺した男性社員は日研化学名古屋支店静岡営業所で医療情報担当者として勤務し、沼津地方の病院への営業を担当していたが、2002年4月に営業成績向上のために送り込まれた係長が、同年秋頃から厳しい暴言を繰り返したため、男性社員はうつ病を発症し、2003年3月に首つり自殺した。死後、残された妻は労災を申請したが、静岡労働基準監督署は労災を認めず、給付金の不支給処分を下していた。

自殺した男性の遺書は次の通り(毎日新聞 2007/10/15 20:27)。

 悩みましたが、自殺という結果を選びました。仕事の上で悩んでいました。入社して13年程になりましたが、係長に教えてもらうには手遅れで、雑談すら無くなりもうどうにもならなくなっていました。恥ずかしながら最後には「存在が目障りだ、居るだけでみんなが迷惑している、御願いだから消えてくれ!」とか「車のガソリン代ももったいない」「何処へ飛ばされようと俺が仕事しない奴だと言いふらしたる!」等、言われてしまいました。情けなくてどうしていいものかわからなくなり、元気もなくなり自分の欠点ばかり考えてしまい、そんな自分が大嫌いになってしまいました。先月からふと「死にたい」と感じ、家族の事や「このまま終わるか!」と考えると「見返してやる」思っていたのですが、突破口も無く係長とはどんどん話が出来る環境になりませんでした。しかし、自分の努力とやる気が足りないのだと、痛切に感じました。係長には「お前は会社をクイモノにしている、給料泥棒!」と言われました。このままだと本当にみんなに迷惑かけっぱなしになってしまいます。
 転職等、選択肢もあるし家族の事を考えると大馬鹿者ですが、もう自分自身気力がなくなりどうにもなりませんでした。
判決によれば、この係長は遺書に記された暴言のほか、「お前は会社を食い物にしている。給料泥棒だ」(朝日新聞 2007/10/15 19:57)とか「対人恐怖症やろ」(共同通信 2007/10/15 19:30)などとも発言していたという。判決はさらに「係長の態度には男性への嫌悪の感情があった」「男性の立場を配慮せずに大声で傍若無人に発言していた」とも指摘している(読売新聞 2007/10/15 22:15)。ヤクザ風の関西弁で大声で怒鳴り散らす姿が目に浮かぶ。

労働者の人間性を奪う企業社会にあって、中でも営業職は最も厳しい状況に置かれている。成果が売り上げという具体的な数字として現れるため、ノルマを課しやすく、競争を強要しやすいからだ。
この会社の場合も営業成績の悪い営業所に「敏腕」の管理職を送り込み、ノルマを徹底し、社員間の競争を煽ったのは間違いない。成果主義と競争原理が支配する職場において、成果の上がらないものを暴力的に攻撃するのは、他の社員への威嚇と見せしめのためである。さらにスケープゴートを用意することで、社員の不満をガス抜きする「効果」もある。スケープゴートにされた方はたまったものではない。
現代の企業はもはや人間らしさのかけらもない殺伐とした「ジャングル」なのだ。

成果主義・能力主義は成果や能力の上下を「自己責任」に転嫁する。
実際は単にその企業の商品に魅力がなかったり、市場の需給バランスが供給過剰だったり、営業の努力ではどうにもならない要因で成果が出なくても、個々の社員の責任にされる。
問題なのは、企業という狭い世界しか知らず、企業が与える成果主義以外の価値意識に触れる機会がない労働者は、この「自己責任」を全面的に受け入れ、うまくいかないと自分を責めてしまうことだ。
自殺した男性も遺書で、「自分の努力とやる気が足りないのだと、痛切に感じました」と自分を責め、会社を責める言葉はない。「自己責任」思想にどっぷりと洗脳されていたことがわかる。

この自殺は「自殺」ではなく、企業による「殺人」である。
そして氷山の一角にすぎない。今回の件は残された妻が泣き寝入りせず、立ち上がったからこそ明るみに出たのであって、実際は企業からのわずかな「見舞金」で口を封じられたり、遺書も何もなくて闇に葬られている事例の方が圧倒的に多い。
葬られた事件を発掘し告発するのが、残された私たちの責務なのだろう。
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by mahounofuefuki | 2007-10-16 13:04

「自白偏重主義」の危険性

最近の日本の世論はとにかく「犯罪者」に厳しい。
犯罪の社会的・経済的背景を考える余裕もなく、被害者でもないくせに、憎悪の炎を燃やし、復讐を扇動し、時には本当の被害者に「悲劇のヒーロー」の役割を強要する。それも犯罪を憎み、正義感をもってやっているのではなく、単に優越した立場からバッシングして自尊心を満たすために、「安心して攻撃できる絶対悪」を求めているにすぎないから始末に終えない。そういう人々に限って、同じ犯罪でも経済犯罪とか不当労働行為には寛容で、「騙されるほうが悪い」「仕方がない」と逆に被害者を攻撃する。彼らの「好み」は殺人や暴行や強姦といった事件で、難しいことを考えずに済む「勧善懲悪」物語を要求しているのである。

しかし、その「犯罪者」が本当は「犯罪者」ではなかったら? 警察の誤認逮捕だったら? あるいは自白を強要されていたら? 証拠が捏造されていたら? もしかすれば事件そのものが架空のでっち上げだったら? 
まさにそういう事例が、今日再審の判決が出た富山での冤罪事件である。

2002年に富山県で起きた強姦と強姦未遂事件で、タクシー運転手が逮捕・起訴され、「自白」により懲役3年の実刑判決が確定、刑務所に服役した。ところが、その後別の事件で逮捕された人が富山の事件の犯行を自供し「真犯人」であることがわかった。服役までした人はまったくの無実だったのである。
検察が無罪を求刑するという異例の再審となり、今日ようやく富山地裁から無罪判決が出た。判決は犯行現場の足跡やDNA鑑定などの物証から「自白」の信用性を否定したが、逆に言えばそこまで物証がありながら、最初の裁判で有罪だったのは、日本の刑事訴訟が依然として「自白」を偏重していることを示している。しかも「真犯人」がわかったのも「自白」である。もし「真犯人」が「自白」していなければ真相は闇に葬られていた可能性が極めて高い。地道な捜査を行わず、「自白」に頼るやり方がいかに危険であるかが明白だ。
それにもかかわらず、今日の判決は「自白」を誘導した検察の取調手法について不問にしたのが残念だ。以下、毎日新聞より一部引用しよう。
「納得いかない」。富山地裁高岡支部で10日あった富山冤罪事件の判決公判。逮捕から5年半ぶりに無罪判決を手にした柳原浩さん(40)は、ぶぜんとした表情を浮かべた。再審には、自らが「容疑者」「犯人」とされた理由の解明こそを望んだ。この日の法廷で得たものは、わずか10分で読み上げられた判決と、心に響かない藤田敏裁判長の付言だけ。柳原さんの声は、またも司法に届かなかった。
 午後3時。紺のスーツ姿で入廷した柳原さんは被告席に着き、緊張をほぐすように肩を1度回した。裁判長が読み上げる判決を、じっと座って聴き入った。判決は、不適切な捜査には触れず、誤審への謝罪もなかった。
 判決後、柳原さんと弁護団は、富山市の県弁護士会館で記者会見した。裁判長が「無実であるのに服役し誠にお気の毒に思う」などと、人ごとのように付け加えた言葉に対し、柳原さんは「当時、いいかげんな裁判をしなければ、こういうことにはならなかった」と、怒りをあらわにした。
 ただ、取調官の証人申請が2度にわたり却下されていたことから「裁判官には期待していなかった」との本音も漏らした。
 弁護団は「検察が請求して行われる現行の再審では、事実上、冤罪の原因究明のための活動が何もできなかった」と、悔しさをにじませた。
あくまでも自らの誤りを認めない裁判所の姿は実に醜い。日本の刑事訴訟では1度証拠採用された供述調書はなかなか覆らない。たとえ矛盾する物証があっても、「自白」が優先される傾向がいまだに続いている。しかし、裁判所も検察も警察も「自白偏重主義」をやめるつもりは当分ないらしい。
日弁連は取り調べの完全録音・録画を要求しているが、何としても実現する必要があるだろう(それも問題がないわけではないが、その件はまた別の機会に)。

こういうことは他にもきっとあるのだろう。
安易に逮捕=「犯人」と決めつけバッシングする行為がいかに危険であるか、深く自省を促す事件である。
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by mahounofuefuki | 2007-10-10 23:10

橋下発言はツッコミどころ満載

以前も書いたが、私は光市母子殺害事件の訴訟そのものにはもはや関心がない。
たくさんある殺人事件の中でこの事件に特別な興味を抱く理由が私にはない。
極端な話、被告が死刑になろうとそうでなかろうとも私の生活には関係ない。彼が処刑されてもされなくても、私には何のメリットもない(関係者以外のほかの人々にもあるとは思えないが)。コンコルド広場にて国王や王妃をギロチンで斬首する光景に熱狂したパリ市民のようなグロテスクな趣味も持ち合わせていない。
だから、もう結果が決まったようなものである光市事件の訴訟については語る言葉はない。
しかし、光市事件に異様に熱狂し、拘置所ですでに自由を奪われている被告や、自らの職務に忠実な弁護士をバッシングする人々の動きには関心をもたざるをえない。それは、この騒動が司法権の独立や訴訟の公平な進行を損ねているからで、1度でもこんな前例ができると、今後の刑事訴訟全体に悪影響を及ぼすことを危惧している。
仮に将来、誰かが(私やあなたかも)無実の罪で逮捕・起訴された時、検察側の誘導でバッシングが行われ、被害者が無実の人を犯人と思い込み、弁護人の活動が阻害され、罪をなすりつけられるのを心配している。日本はただでさえ冤罪が多い。特に「痴漢」の冤罪は後をたたない。「それでも僕はやっていない」なんて映画が売れるくらいだ。
光市事件は冤罪ではない。しかし、味をしめた検察が被害者を利用する可能性は否めない。それに何よりも、世論の関心度によって量刑が左右されることなどあってはならない。世論の関心の高い事件は刑が重いとなると、そうでない事案との不公平性が問題になる。
それゆえ、光市事件そのものは私の関知するところではないが、バッシング現象の方は私の(そして多くの人々の)利害にかかわるのである。だから、面倒でも発言せざるをえないのだ。

さて、光市事件の被告弁護団に対する懲戒請求を扇動した(しかし自分は請求していない)橋下徹弁護士を提訴した民事訴訟の第1回口頭弁論が広島地裁で行われた。
何よりも驚いたのは、橋下氏がこの弁論に出廷せず、書面提出による擬制陳述で済ませたことである。しかも、今後の弁論も電話会議で行い、被告尋問までは出廷しないという。 
彼の言い分は次の通り(以下、引用はすべて橋下徹のLawyer’s EYEより)。

あのね、民事の裁判で傍聴人を呼んでも、
争点が整理されるまでは事務的なやり取りなんだから、
傍聴人も何をやってるんだかさっぱりわからない。
わざわざ足を運んでもらって、あの民事の手続きだけを見せたら、
その方が傍聴人に怒られるんだよ。分からないのかね。
原告らは公開の法廷で、何か大弁論を展開したいのか知りませんが、
僕は、そんな原告らの趣味に付き合うほど暇ではありません。

「事務的なやり取り」を軽視しているとしか思えない暴言だ。
どうやら彼は、テレビカメラが入り味方の群衆が大勢いるところでなら「大弁論」をやりたいが、野次馬がわざわざ足を運ぶことのない地方の法廷ではやりたくないようだ。
ついでに言っておくが、ブログでの彼の言葉遣いはとても社会人とは思えないほど汚い

彼の弁明は続く。

原告らは、今回の裁判が社会にとって必要不可欠な裁判で、自分たちはその正義のために闘っているとまたもや勘違い。
今回の裁判は、光市母子殺害事件の被害者遺族に対して、非常に迷惑のかかる、
もし違う方法があるのであれば、本当は避けなければならない裁判だったんだ。
世間だって、こんな裁判があろうとなかろうと、全く影響ない。
たまたまメディアが取り上げてくれているけど、本質的には、弁護士間の大人げないくだらない痴話げんかなんだよ!!
分からないのか!!
もっと謙虚になれよ。俺たちは刑事弁護人の在り方を論じる重要な裁判をやってるんだって堂々と胸を張るんじゃねーよ。
ほんとしょうもないことやってすみませんっていうのが、今回の、
俺たち弁護士がとらなきゃならない態度だろ!!

「大人げないくだらない痴話げんか」を仕掛けたのはほかでもない橋下氏だったはずだ。大人げないと自覚しているなら、懲戒請求の扇動なんかしなければいいのである。自分の播いた種でありながら、他人のせいにするのは全く許しがたい。
「もっと謙虚に」なるべきなのは、こんな横柄な口の利き方をする橋下氏の方だろう。

重要な裁判なのかどうかは世間が決めること、俺たちが決めることではない。
俺たちが自分で重要な裁判だと言った時点で、もう周囲が見えなくなる。
自分が絶対的な正義だと勘違いする。

「世間」!? そんなあいまいなものによりかからないでほしい。多数派がいつも正しいのか? 「世間」に丸投げするなど、思考停止でしかない。
「自分が絶対的正義だと勘違い」しているのは橋下氏の方であろう

このような感覚だから、日弁連の模擬裁判のリハーサルなんて、くだらない鼻くそイベントに出席するために、
光市母子殺害事件最高裁の弁論期日を欠席しちゃうんだよね。

自分が被告になっている訴訟の口頭弁論に出ない者が言っていい言葉ではない。出席の可否は彼の判断基準が絶対だという独善以外の何物でもない。橋下氏は自分を「神」だとでも思っているのだろうか

彼の発言はまだまだツッコミどころ満載なのだが(この程度の論述力でよく弁護士ができるものだ)、「場外乱闘」のさらに「場外乱闘」なんて自慢できることでもないし、これ以上自分のブログを汚したくないのでもうやめておく。
(しかし、本当に彼の言葉遣いはひどい。この横暴さが支持されるなんて世も末だ。)
いいかげん、この下品な男をまるで「英雄」扱いするのをやめてほしい。
「テレビに出ている=正義」なんて今どき思っていたら、ちょっと恥ずかしい。
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by mahounofuefuki | 2007-09-28 23:52

無題

「光市母子殺害事件」の差し戻し控訴審は、3日間の集中審理を終えた。
無期懲役の判決を最高裁が差し戻している以上、裁判所の慣例により、この訴訟は死刑判決で終わるだろう。
結果がわかっている訴訟は茶番でしかない。
その茶番を少しでも公正な裁判にしようと、あえて「貧乏クジ」を引いた弁護団に深く同情し、敬意を表する。

実のところ、私は事件や訴訟そのものにはさしたる関心がない。
たくさんある殺人事件のなかで、光市事件だけに関心を寄せる理由はないからだ。
本ブログは私個人が「気になるニュース」を読み解く(というより、単につっこみを入れてるだけだが)ことを目的としているため、その基準に従えば、特に述べることもない。

私が気になるのは、多くの人々が光市事件に大きな関心を寄せ、特に被害者の夫に過剰なまでに共感して、被告やその弁護団をバッシングしている「現象」である。
以前も大衆の「狂気」で述べたように、被告や弁護団をバッシングしている人々は、「義憤」にかられてというより、実際のところは「安心して攻撃できる"絶対悪"」を求めているとしか、私には思えないのだ。
繰り返しになるが、この事件の被告が「元少年」ではなく、「暴力団員」だったらここまで世論は高まっただろうか? 実際、関西で大学院生が暴力団員に虐殺された事件に、世論は沈黙した。光市事件の場合、被害者の夫がより戦闘的であることを差し引いても、ここまで人々が関心を寄せるのは、「犯人」が「少年」だったという点が大きい。
つまり、自分より「絶対的下位」にいるべき「少年」の「横暴」に普段何もできないのを誤魔化し、他者(この場合は、被害者の夫)が自己の「代わりに」攻撃してくれることに喝采を送っているのだ。
電車内で警察官が高校生に暴行を働いた事件も、事実関係をよく調べもせずに、警察官をまるで「英雄」として扱い、高校生をバッシングした。この事件のとき、私は報道だけでは詳細がわからないので(今もわからない)、ノーコメントを貫いてきたが、残念ながら、多くの人々にはそういう慎重さがまるでない。

日常のうっぷんを晴らすために、光市事件を利用するのはもういいかげんやめて欲しい。
まあ、そうは言ってもやめないんだろうけど(苦笑)。
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by mahounofuefuki | 2007-09-21 08:12