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「道州制」はやっぱり危険

 自民党総務会が昨日、同党道州制推進本部の「第3次中間報告」を了承した。次期衆院選の政権公約にもなるという。都道府県をいくつかの「道州」に再編し、市町村を「基礎自治体」とする「道州制」については政府や財界も導入を目指しているが、ついに政権与党の政策の目玉にまで「出世」したようである。

 「道州制」に対しては、自民党政治に批判的な人々の中でも、地方自治の拡大による行政の民主化に期待して支持ないし高評価する向きがあるが、当ブログでは「道州制」は衣替えした新自由主義政策の継続であるという見方を以前にも提示してきた。今回の中間報告を読むと、改めてその危険性がわかる。

 問題の第1は、「道州制」が「小さな政府」を前提としていることである。報告は国の仕事を「国家戦略」と「危機管理」に限り、現在国が担っている業務を「道州」に、都道府県が担っている業務を「基礎自治体」にいわば「下げ渡す」ことを明記している。一応、財源の移譲も示してはいるが、そもそも国―地方を貫いたコストカットを大前提にしている以上、これまでの「無駄の削減」と同様、社会保障つぶしになる可能性が高い。国の業務のうち外交と軍事という「夜警」機能以外を事実上地方に「押し付ける」のが実情だろう。

 問題の第2は、自治体に「自己責任」を課し、「改革」の競争を行わせようとしていることである。課税自主権といえば聞こえがいいが、要するに財政基盤の相違によって自治体間の歳入歳出に落差が生じるということである。報告では各道州の経済力の「格差」を埋めるために、「知的・社会的インフラ整備」の必要性を指摘しているが、これは経済力の弱い地域の「開発」を意味し、「道州の自立」を名目にした大型開発の乱発すら予想される。実際問題として関東や関西のような大都市圏を含む道州とそうでない道州との「格差」はそうやすやすと埋められるとは思えず、結局は弱いところほど増税やコストカットで無理をしてでも「成果」を上げざるをえなくなるだろう。

 今後考えられる最悪のシナリオは、国政レベルでは「無駄をなくす」の掛け声で「道州制」を既成事実とし、他方地方レベルでは大阪府の橋下徹知事や宮崎県の東国原英夫知事のようなポピュリストが先頭に立って目くらましを行って、あたかも「道州制」にすれば社会不安から逃れられるような幻想を大衆に与えることである。また、報告でも道州に議院内閣制を持ち込むための憲法改正の可能性を提示しているように、9条改憲との「抱き合わせ」に利用される恐れもある。ある意味「道州制」は「構造改革」と「改憲」の結節点とも言えよう。

 すでに後期高齢者医療制度が自治体の広域連合を主体としたり、それと連動した「メタボ健診」で受診率が低かった場合に自治体へ財政的ペナルティを与えるなど、あたかも「道州制」を先取りしたような制度がすでに始まっている。新自由主義を拒否するのならば、「道州制」も拒否しなければならない。

【関連記事】
「道州制」は新自由主義の隠れ蓑
「国の財政は夕張より悪い」は欺瞞

【関連リンク】
道州制に関する第3次報告 – 自民党
http://www.jimin.jp/jimin/seisaku/2008/seisaku-021.html


《追記 2008/07/31》

 日本経団連の御手洗冨士夫会長が仙台での講演で、「道州制」は「究極の構造改革」と述べたという。これは文字通り受け取るべきだろう。「道州制」は「構造改革」と同じ「被害」をもたらすということである。
 日本経団連タイムス No.2915-05 道州制シンポジウムを仙台で開催
 http://www.keidanren.or.jp/japanese/journal/times/2008/0731/05.html
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by mahounofuefuki | 2008-07-30 19:51

教員採用・人事汚職の背景

 大分県の教員採用をめぐる汚職がにわかにクローズアップされている。新規教員の採用や管理職への昇格など県教委所管の人事において、教育委員会幹部や学校管理職らとの間に金品の贈収賄や口利きが常態化していたことが明らかになりつつある。県議会議員の口利きも表面化し、もはや問題は底なしに拡大している。

 教員や公務員の採用をめぐっては、特に地方に行けば行くほど「縁故採用」の噂が従来から絶えなかった。詳細は私にも実生活上の立場があるので述べられないが、地方の教員採用・異動でいくつか縁故優遇の具体的な疑惑を実際に見聞きしたこともある。私が大学時代、周りの教員採用試験合格者に小学校や中学校の校長の子弟が少なくなかったという事実もある。今回の大分県の場合はやり方があまりにも露骨で異常と言うしかないが、ここまで露骨ではない方法での口利きや工作は全国どこでも行われているのは間違いない。

 元来、地方の小中学校の教員採用は、ほぼ地元の旧師範学校系の教員養成大学出身者で固められていた。大学の教員養成課程を出ればまず間違いなく地元の教員に採用されていた時代は、受験の競争率も低く、採用過程では不正が行われる可能性は低かった(ただし臨時採用や非常勤講師の採用で縁故がモノを言ったり、採用後の人事をめぐり人事権をもつ校長が縁故者を優遇したことはあったと思われる)。

 しかし、少子化と学校統廃合の拡大による教員採用数の抑制と、長期不況による民間の就職難により、一般大学出身の志願者や地元以外からの越境受験者が増加して競争率が上がると、縁故を頼る傾向が高まった。実力主義を前提とする競争原理が強くなるほど、むしろコネの威力が発揮されるという新自由主義のパラドックスはここでも現れたのである。

 一方、教育行政の構造的な歪みも見逃せない。都道府県や市町村の教育委員は一応議会同意人事であるがほとんど仕事をしておらず、実際は都道府県庁や市町村役場の行政マンや文部科学省からの出向官僚から起用される教育長が教育行政の実権を握っている。教育長は都道府県の場合、知事・副知事・出納長に次ぐ幹部であることが多く、教育委員会は自治体の行政機構の枠内に組み込まれている。

 かつてGHQの占領改革で地方の教育委員会は民選となり、文部省や自治体からの独立を担保されていたが、「逆コース」下の1956年に地方教育行政組織法が施行されて以降は、文部大臣を頂点とする上意下達の命令系統が整備され、教委は独立性を失った。その結果、教委幹部の官僚化が進み、同時に政府や自治体からの介入や議員の口利きに対する耐性も弱まった。

 もう1点、不正の温床として、教職員組合の弱体化も挙げなければならない。教育委員会や管理職と強力な教職員組合が緊張感のある対抗関係を保っていれば、相互に不正に対する抑止機能や監視機能が働くが、周知の通り現在の組合は組織率が低下する一方で、教育行政の抑圧に対する抵抗力はほとんどなくなってしまっている。近年は末端の教員に至るまで上意下達の命令系統に組み込まれており、「日の丸」「君が代」を踏み絵とした教員統制も強まっている。実は教委幹部や管理職の子弟の縁故採用には組合弱体化策としての機能があり(縁故採用者は教委にとって「安全分子」であり、さらには「管理職予備軍」となる)、その点でも教育行政の構造的な歪みは深刻である。

 いずれにせよ大分県はもちろん、他の都道府県も含めこの際は膿を出し切り、抜本的な是正策を行う必要あるのは言うまでもない。こういう事態が起きると、単に教育関係者の地位を貶めて、厳罰を与えることに自己満足したり、民営化万能論でかえって教育行政の非合理を進めたりしがちだが、これまで述べたように問題の本質は、教員採用試験の競争率の異常な高さと教育委員会の独立性の剥奪と教職員組合の弱体化にある。つまり、問題の解決には、教員資格取得の厳格化や試験選抜方法の改善、教育委員会の独立性回復、教職員組合の復活が必要である。特に組合は今や大衆の「公認の敵」扱いだが、大衆がバッシングで組合の弱体化に加担したことが不正の原因の1つになっていることを、きちんと理解してほしい。

【関連リンク】
地方教育行政の組織及び運営に関する法律 - 法令データ提供システム
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S31/S31HO162.html
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by mahounofuefuki | 2008-07-09 17:40

世論の矛盾~「空気」に惑わされるな

 常々思うのだが、この国の大衆世論というのは一貫性を欠いている。

 社会保障費の抑制を継続すべきかと問われれば、大半の人々がノーと答えるが、他方で「無駄遣い」を減らせという叫びには同調し、社会保障費の削減を許容してきた。それでいて「本当の無駄遣い」である軍事費に対してはダンマリを決め込む。支配層にとっての「無駄」とは「社会保障」のことだといいかげん気づかないのか(金持ちの立場からすれば「なんで俺が稼いだ富を貧民どもに回さなければならないのだ!社会保障は無駄だ!」となる。労働者を搾取したり消費者を騙しても「俺の稼ぎ」なのが欺瞞だが)。政治用語としての「無駄遣いを減らす」とは、「庶民の生活維持のための支出を減らす」という意味である。

 あるいは次の例。社会保障の充実や福祉国家の実現を目指す人々でも、「特殊法人を全廃しろ!」と叫ぶ場合が多い。小泉政権の「改革」でほとんどの特殊法人が独立行政法人に代わり、多くは「非公務員型」で「市場化テスト」にさらされているが、残った国民生活金融公庫や中小企業金融公庫なども近く日本政策金融公庫に統廃合される。まさに大衆のご期待通りになったのだが、統廃合の最初の直接の影響が何だか知っているのだろうか。

 それは国民生活金融公庫の教育ローン貸し出しの所得上限切り下げである。今回の統廃合により教育ローン利用の資格制限が強化されるのである。奨学金事業の方も「無駄遣い」の名の下に縮小させられつつある中で、ますます家計の教育費負担は増大するだろう。独法も廃止しろと呼号していた左翼ジャーナリストが以前いたが、それは「奨学金を廃止しろ」と同義だとわかっているのだろうか。

 「無駄遣い」をなくせ、公務員を減らせ、天下りをつぶせと普段叫んでいるくせに、これが捕鯨問題となると一転して典型的な天下り公益法人である日本鯨類研究所を擁護して、「捕鯨利権」を暴こうとしたグリーンピースをバッシングする。検察が「喧嘩両成敗」にしたならばともかく、グリーンピースの方だけを逮捕し、西濃運輸の横領容疑の方は不問というのは、あまりにも露骨な政治的判断である。サミットを前に国際的な反グローバル化運動を牽制しようとしているのが見え透く。

 あるいは、秋葉原事件の場合。私の予想以上に容疑者への同調ないし同情意見が多い。それは彼が「派遣社員」という弱者で、理不尽な雇用待遇を受けていたことに、同じような境遇の人々が支持を与えているからだが、それならばなぜやはり社会的弱者が引き起こした光市母子殺害事件ではあれほど犯人がバッシングされたのか。見方によっては光市事件は、虐待を受け深い「心の傷」を負ってまともな職につけない「負け組」による、一流大学を出て大手企業のエリート正社員となり家庭にも恵まれた「勝ち組」への復讐劇である。殺害対象が無差別だった「秋葉原」よりも、「光市」の方がよほど階級闘争的である。「光市」と「秋葉原」の落差が私には不可解だ。

 こうした矛盾の原因は一貫した思想や倫理ではなく、その時々の「空気」が価値判断の基準になってしまっているからだろうが、こんなことを繰り返していては結局のところ自分の首を絞めることになる。国家や巨大企業やマスメディアが流布する「イメージ」を冷静に受け流す術を誰もが身に付ける必要がある。
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by mahounofuefuki | 2008-06-21 15:59

私の財政論に誤解があるようなので改めて説明

 5月14日付国に「無駄遣い」を義務付ける宇宙基本法と16日付消費税増税の不当性について、一部で誤解があるようなので改めて説明。

 私の持論は何度も繰り返しているように「歳出削減でも消費税増税でもなく金持ち増税」で、消費税の増税については貧困と所得格差を拡大し、景気を悪化させるので全面反対だが、再分配効果を強化する直接税の増税には賛成している。
 要するに消費税の増税は不合理だが、国家財政の歳出を拡大するために、増税そのものは必要であるという立場で、基本的には「高負担・高福祉」「大きな政府」論者である。「増税か、歳出削減か」と問われたら「増税」と答えるが、庶民への増税ではなく、この20年さんざん甘やかされた富裕層への大増税を行えという意味である。究極のところ敗戦直後にやったような財産税の導入すら考慮すべきだとさえ考えている。そこのところを間違わないように。

 また歳出については、「思いやり予算」を含む軍事費(防衛費)や需要の少ない大型事業への支出のような「本当の無駄遣い」は削減するべきだが、政府が行うべき仕事にかかわる予算はきちんと確保するべきであると考えている。
 よく公務員の無駄を減らせとか、天下り法人を廃止しろとかいう声があるが、そうした発言は要注意である。人件費の削減は人員不足による行政サービスの低下や公務員の非正規化(ワーキングプア化)を招く。天下りにかかるカネなどは「本当の無駄遣い」に比べれば微々たるものにすぎない。「行政に無駄が多い」というプロパガンダが社会保障費削減や、本来行政が責任を持って行うべき業務の民営化に利用されたことを忘れてはならない。

 それから以前某ブログのコメント欄で指摘したことがあるが、特殊法人は大半が小泉政権の「構造改革」で独立行政法人などに移行し、現在残っているのは国民生活金融公庫や中小企業金融公庫などで、これらも今秋には統廃合されてしまう。これらの民営化は郵政民営化と同じで大銀行や外国資本を喜ばせるだけで、庶民や中小企業には何らメリットはない。
 また独立行政法人も、国立病院や公団住宅や奨学金をはじめ、本来は国営できちんとやるべき領域がほとんどである。昨年、よく調べもせずにただ天下りが多いという理由で独法を全部廃止しろと放言した左派系のジャーナリストを批判したことがある。行政のコストという点ではもはや「無駄」などないと思ったほうがよい。
 宇宙基本法案が危険なのは、宇宙開発という極めて軍事色が強く、しかも納税者への見返りが薄い分野への支出増加を義務付けていることで、これは「本当の無駄遣い」なので私は反対しているのである。

 少し前に国家財政に「埋蔵金」があるかどうか論争があったが、前述した軍事費のようなものを除けば、「埋蔵金」と言えるものはないというのが私の立場である。最近は「地方分権」とか「道州制」を口実にさらなる歳出削減路線が進行しつつあるが、主権者の側がただ「増税反対」とか「行政のコストカット」とか言っている限り、これらの策謀を破ることはできない。
 「もう歳出を減らすな、金持ちに増税しろ!」と言うのが唯一の正解である。

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by mahounofuefuki | 2008-05-17 22:41

消費者行政強化への一抹の不安

 福田内閣はもともと前政権が参院選での惨敗を経て突然退陣した後を受けて、急きょ登板した「敗戦処理」政権で、それ故に小泉・安倍時代のツケを支払うのに手一杯なのだが、その中で福田康夫首相は自らの独自色を専ら「消費者行政一元化」に見出しているようである。
 今日開かれた消費者行政推進会議で、首相は各省庁の消費者行政部門を統合した「消費者庁」を来年度に新設する意思を正式に表明した。読売新聞(2008/04/23 11:34)によれば「業者に対する立ち入り調査や是正勧告の権限を持たせ、他省庁への勧告も可能とする」ようにし、地方の消費者行政に対する「交付金などによる支援策」を検討するという。各省庁の機構改革という官僚の既得権益との「闘い」を演出することで、レームダックからの再起を図っていると言えよう。

 一方、民主党はこの「消費者庁」案への対案として、「消費者保護官」を新設する法案を準備している。
 毎日新聞(2008/04/23 02:30)によれば、「消費者保護官」は「人選は政府が国会に提案する同意人事方式ではなく、首相指名選挙と同様に国会が議決し、天皇が認証する方式。任期は6年で再任はしない」「各省庁に資料提供や強制調査権限の行使などを要請でき、省庁側が応じない場合などは勧告権限も与える」「消費者の利益侵害を続ける業者に行為の停止を直接勧告する権限も持たせる」という。強力なオンブズマンを想定しているようである。

 どちらも本決まりではないので詳細な論評を避けるが、政府案も民主党案も少なくとも、小泉時代の「民間にできることは民間へ」と言いつつ、ただ一方的に行政の役割を放棄し続けた路線とは一線を画している点は評価したい。昨年来の相次ぐ偽装表示問題がきっかけではあるが、何でも規制緩和というバカの一つ覚えの思考から、市場にはルールとジャッジが不可欠であるというまともな思考への転換である。

 とは言え一抹の不安があるのも事実である。与野党が「消費者保護」を競い合うために、それが行き過ぎて「消費者主権」にまで進んでしまうことを危惧している。
 モノを「作る」側、「売る」側、「買う」側がそれぞれ対等な関係こそ望ましいのだが、これが極端に「買う」側=消費者に傾くと、結局は生産者や労働者は無理なコストダウンを求められる恐れがある。消費者=善、事業者=悪というわけではない。1990年代に主に「リベラル」系の識者が「消費者主権」論を主唱したことがあったが、これが新自由主義流のコストカット至上主義に道を開いた過去を忘れてはなるまい。

 読売の前掲記事によれば、悪質商法の取り締まり強化のための新法も検討するというが、行政機構の制度をいじくるより、むしろこちらの方が優先課題のような気がする。こうした問題は権力闘争の具にすることなく、超党派で実効性のある法制化を目指して欲しい。
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by mahounofuefuki | 2008-04-23 21:07

「ムダ・ゼロ政府」構想は行政の責任放棄

 この国では小泉政権で痛い目を見たはずなのに、相変わらず「小さな政府」「民営化万能」信仰が根強く、行政の「ムダ」をなくするという掛声には右も左も賛成する。
 すでにOECD加盟国中で公務員数が最低水準なのに、まだ公務員を減らそうとする。郵政民営化にはあれだけ反対した人々も、独立行政法人や公益法人の統廃合や民営化にはまるで新自由主義者と同じように賛成する。昨年の独法整理の時、その不当性を指摘した左翼ブロガーが私以外に何人いたか。国立病院も奨学金も公団住宅も消費生活相談も独法なのに。

 そんな「空気」を利用して、経済財政諮問会議は今年もさらなる「行革」という名の生活行政切り捨てを進めている。先週には「国民本位の『ムダ・ゼロ』政府を目指して」なるプログラムを提示している。副題は「民間経営ベストプラクティスの政府への導入」といういかにも新自由主義好みの「民尊官卑」の内容だ。利潤を生みだすことを目的とする企業経営を、利潤など発生しない住民の福利厚生を担う行政に導入するということは矛盾している。
 今日の毎日新聞の社説が不十分ながら、この「ムダ・ゼロ政府」構想の問題性を突いている。以下、毎日新聞2008/04/21朝刊社説より(太字強調は引用者による)。
(前略) 日本の政府は、国、地方を問わず、無駄が多過ぎるといわれてきた。そこで、中曽根康弘政権以来の行革では小さな政府の実現を目指してきた。その動きが加速したのが小泉純一郎政権時だった。「民間でできることは民間に」との掛け声で、行政サービスの民間開放や民営化が推進された。
(中略)
 ただ、政府は小さければ小さいほど望ましいという新自由主義に基づいた改革一本やりでは、適正な水準の公共サービスの確保や不公正や不平等のない供給に支障が生じることは明らかになっている。仕事の見直しでは、行政がやるべき業務を明確にし、国民に示さなければならない。行政が担ってきた各種サービスの中には民間が担当した場合、質の低下や供給の不公正が生まれかねないものも少なくない。コスト意識だけでは割り切れないのが公共サービスなのである。
 市場メカニズムを使った方が、質、量の両面で水準を維持でき、効率も高められる分野では、行政が責任を持ちつつ民間参入を進めていけばいい。ただ、市場化テストなどではその基準が必ずしも明確とはいえない。これまでは、ある程度サービスが低下しても行政の効率化を達成できればいいという発想が優勢だった。コスト削減第一ということだ。
 国民の安心を高めることは福田政権も掲げている。国民は国、地方いずれにもサービスの維持や向上を求めている。そのすべてに応えることは不可能だが、行政に固有の仕事は必ずやる。それが政府の信認を高めることにつながる。そうした仕事は無駄なのではない。必要なのだ。
 中曾根内閣が行った医師数抑制と国民健康保険への国庫負担削減が回り巡って、現在の医師不足や国保財政の悪化を招いたように、一度行政規模を縮小すると数十年は回復できない取り返しのつかない事態になるのである。
 我々はつい嫉みから「天下り」や「退職金」のようなわかりやすい攻撃対象に目を奪われがちで、行政の「市場化」「民営化」が住民生活にダメージを与えることをなかなか自覚できない。在日米軍への「思いやり予算」のような「本当の無駄」に比べれば、天下り官僚の退職金などたかだかしれている。「小さな無駄」に目を奪われて、「大きな給付」を失っては元も子もない。

 税金を国家に支払っている以上、主権者たる我々には国家から給付をうける権利がある。「小さな政府」とは税金だけとられて給付はもらえないというシステムである。税金も減らして給付も減らせばいいという人もいるだろうが、それは完全弱肉強食の無法なジャングルでいいという意味である。それでもいいという人は私の「敵」であって「さよなら」である。
 十分な教育、十分な医療、十分な福祉を受けたかったら、「小さな政府」を支持してはならない。「財政再建」「行政改革」「地方分権」という美名はだいたい公的な社会保障機能の切り捨てだと考えた方がよい。

【関連記事】
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【関連リンク】
平成20年会議結果 第8回会議 配布資料:内閣府 経済財政諮問会議
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by mahounofuefuki | 2008-04-21 21:08

経済財政諮問会議の問題は「組織」ではなく「人選」だ

 北海道新聞2008/04/13朝刊に「経済財政諮問会議 高まる不要論」という記事が載っていた(このエントリを書いている時点では電子版に上がっていない)。
 最近、経済財政諮問会議について、民主党の議員が国会質問で廃止論を唱えたり、国民新党が廃止法案を準備しているが、自民党からも同会議の民間議員の任免が国会の同意案件ではないことを批判する声があるという。

 経済財政諮問会議は2001年の設置以来、毎年「骨太の方針」を通して新自由主義路線を強要し、金持ち優遇と庶民いじめの経済・財政政策を強力に推進してきた。まさに今日の貧困と差別の元凶である。最近は竹中平蔵氏が経済財政担当大臣だった小泉内閣時代ほどの威勢はないが、依然として予算編成の大枠の配分決定に大きな力を有し、首相官邸や与党中枢ですらコントロールできているとは言い難い。
 故に新自由主義路線の打倒を目指す側が廃止を持ち出すのは当然と言えるし、私も同会議の、特に財界が送り込んだ歴代の民間議員に対してはほとんど憎悪すら感じているので、廃止論は心情的には理解できる。

 しかし、冷静に考えれば、問題は経済財政諮問会議という組織にあるのではなく、その人選にあるのではないか。閣僚は別として、現行法では会議構成員の4割以上を占めることを定めている民間議員の人選を改めることが何よりも重要なのではないか。
 仮に経済財政諮問会議を廃止するとしよう。そうなれば新自由主義の司令塔は消えるが、同時に再び縦割りの各省付随の「族議員」の威力が増し、大胆な予算配分の変更や分野横断的な政策を実現することが難しくなる。それでは経済・財政政策に公平性を持たせることができない。
 経済財政諮問会議に新自由主義路線を推進する力があるのなら、それをやめる力もあるはずである。経済財政諮問会議を廃止するのではなく、そのまま存続させながら人選において新自由主義者を排斥し、貧困解消を目指す人々を入れる方が理に適っている。

 経済財政諮問会議の民間議員の資格について、内閣府設置法第22条は「経済又は財政に関する政策について優れた識見を有する者」としか定めていない。現在、何ら法的根拠もなく大企業経営者から2名、新自由主義派の学者から2名という枠が既成事実になっているが、これを改めることが必要だろう。野党は政権獲得の暁には経済財政諮問会議を廃止するのではなく、その権限を使って社会的公正を重視した経済・財政政策を実現することを目指すべきである。
 わかりやすく言えば、御手洗冨士夫氏や八代尚宏氏のような連中がいるから問題なのであって、その席に内橋克人氏や神野直彦氏や森永卓郎氏がいれば、経済財政諮問会議に強力な権限があるのはむしろ望ましいのである。そこを見誤ってはならない。

【関連リンク】
内閣府 経済財政諮問会議
内閣府設置法-法令データ提供システム
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by mahounofuefuki | 2008-04-13 11:41

「道州制」は新自由主義の隠れ蓑

 日本経団連が18日付で「道州制の導入に向けた第2次提言 -中間とりまとめ-」を公表した。昨年の第1次提言に続くもので、政府が策定を進めている「道州制ビジョン」を先取りしたものと言えよう。
 「道州制」については「地方分権」を具現化するものとして、何となくプラスのイメージをもって語られることが多く、新自由主義の「構造改革」路線に批判的な人や福祉国家派でも支持する場合が多い。しかし、今回の提言を読む限り、「道州制」も「地方分権」も弱肉強食の新自由主義の隠れ蓑にすぎないと言わざるをえない。

 経団連は「道州制」による地方自治体の再編像を次のように描いている(太字強調は引用者による、以下同じ)。
① 現在の都道府県を廃止し、これに替わる広域自治体として全国を10 程度に区分する「道州」を新たに設置する。
② 地方公共団体を道州および市区町村などの基礎自治体という二層制とし、道州、基礎自治体それぞれの自治権を活用し、真の住民自治を実現するために必要な権限と財源もあわせて備えさせる。
 47ある都道府県を10程度に統合し、市区町村も1000程度に統廃合するべきだという。今回の提言では「今すぐ着手すべき」改革として、国の出先機関の「地方支分部局の職員定数の大幅削減」を挙げており、統廃合を通して公務員を削減しようという意図が窺える。
 行政不信の根深い人々は、行政の規模や人員を縮小・削減すると聞くと無条件で賛成しがちだが、現在の日本は世界の中でも「国民」に占める公務員比率が最も低い水準の国である。公務員の数が減るということは、それだけ行政サービスが質量ともに低下することを意味する。医療や教育や福祉をはじめ行政の役割はむしろ増大している。行政がきちんと住民のニーズに応えようとするならば、公務員は減らすどころか大幅な増員が必要なのが現実だ。

 経団連は「道州制」導入の前提として、9万人以上の公務員の民間への転出(要するに解雇)すら提言しているが、労働市場に公務員出身者が溢れることは、結局雇用の需給において非公務員の立場を弱くする。もっとわかりやすく言えば、就職において公務員出身者が非公務員のライバルになるということである。しかも公務員の民間転出は一種の「天下り」とも言える。「公務員を減らせ」という主張は「公務員を天下りさせろ」と言っているようなものである。
 ついでに言えば、現在公務員の世界でも非正規雇用が増大している。特に地方出先機関や地方自治体に多い。真っ先にクビを切られるのは彼らである。非正規公務員は民間に行っても新卒でないので非正社員にしかなれない。労働市場における非正規雇用の増加は「貧困と格差」の拡大に手を貸す愚行である。

 都道府県や市町村の数が減ると、それだけ住民からそれらが遠くなる。単に役所に用があって通う場合の距離が長くなり不便になるというだけにとどまらない。役所が遠くなることで地域住民の声が届きにくくなり、役所の方も住民の「顔」が見えにくくなる。いくら権限や財源を譲渡しても、住民が見える所でそれらを行使できなければ意味がない。「道州制」は「地方分権」を促進しても「地方自治」を破壊するのである。
 「道州制」が新自由主義の隠れ蓑であるということは次の箇所に最もよく現れている。
道州制の導入に伴い国、道州、基礎自治体の役割を定める前に、これまで官が担ってきた公の領域において民が活動できる範囲を拡げ、小さな政府、民主導の経済社会運営を目指すことが重要な課題となる。そのため、官の役割をゼロベースで見直し、規制改革の推進官業の民間開放、PFIによる事業実施などを徹底する。あわせて、官の肥大化を防ぎ、公務部門においても生産性、効率性の向上を図る観点から、公務員制度改革をはじめとする各種の行政改革を断行することが必要である。
 まさに小泉政権が行った「構造改革」と同じ、「何でも民営化」「企業やりたい放題」の公認である。「規制緩和」が資本による労働者からの搾取強化を促進し、「効率性」が極端な競争原理を導入して人間をモノのように扱うことを進めたのが実情である。それなのに「構造改革」で疲弊しきった地方に、今度は「道州制」という名のムチを与えようとしているのだ。

 経団連の提言は「道州制」のメリットとして、防災・消防体制の強化、警察再編による治安向上、子育て支援と人材育成、地域医療・介護の充実、独自の産業振興と雇用の創出、観光振興などを挙げているが、それらは「地方分権」とは無関係である。国がきちんと予算を配分すれば「地方分権」などせずとも実現できることばかりである。
 「国・地方あわせて800 兆円近い債務を抱えるわが国の行政が、このままの体制を維持できると考えるのは非現実的」と言うが、日本は外国に対して債務を抱えているわけではない。国の借金は国債保有者に課税を強化すればすぐにでもなくなる。地方の債務は専ら国に対するもので、これも国の決断でどうとでもなる。その方が都道府県を10程度に減らすという案よりよほど現実的だ。そもそも債務を増やさせたのは、経団連を含む財界への利益誘導が主因である。経団連にまるで他人事のように言う資格はない。

 経団連の提言は他にも「現在12 府省ある中央省庁を半数程度に解体・再編する」「地方交付税と国庫支出金の廃止」「地方消費税の活用」「地方債の起債を自由化」など無茶苦茶な案が目白押しである。ツッコミどころが多すぎて今回だけではとてもまとめられないので別の機会に譲るが、とにかく「道州制」は日本社会を崩壊させる愚策であることを改めて強調しておきたい。


《追記 2008/03/24》

 政府の道州制ビジョン懇談会が、中間報告を総務大臣に提出した。2018年までに道州制を導入するよう求めている。主旨は経団連の提言とほぼ同じで、同懇談会の性格を如実に示している。
 今後、新自由主義政策は「地方分権」「道州制」の皮をかぶって行われるだろう。繰り返しになるが、それは地方切り捨ての「構造改革」路線の継続である。注意しなければならない。

【関連リンク】
社団法人 日本経済団体連合会
道州制の導入に向けた第2次提言 -中間とりまとめ-*PDF
道州制ビジョン懇談会-内閣官房
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by mahounofuefuki | 2008-03-18 21:17

「自分の職場に橋下のような上司が来たら嫌だ」が正解

 大阪府の橋下徹知事が府庁の朝礼で職員批判を行ったところ、30歳の女性職員が猛反論したことが話題になっている。
 知事は朝令を「僕は9時からやりたいと言ったが『(準備で)9時より前に働くと超過勤務になります』と(言われた)。普通は始業の20~30分前に来て準備してから仕事するんじゃないですか?」「きょうの幹部会で『始業から終業まで私語、たばこ休憩は一切なし』と言おうと思ってる。吸った時間は減額ですよ」と放言したという(スポーツ報知 2008/03/14 06:01)。

 この放言に対して職員は「みんなどれだけサービス残業してると思いますか」と反論し、職員いじめを続ける知事を批判したわけだが、やはりというか「世間」は橋下の味方で彼女はバッシングに遭っているようだ。
 橋下信者はそんなにタダ働きが好きなのだろうか。私語も休憩もない奴隷労働がそんなに好きなのだろうか。公務員の労働待遇が下がれば、今度は「公務員でさえ努力している」という口実で民間の労働待遇もどんどん引き下げられることがわからないのか。労働条件を悪化させようとする者を支持するのは自分の首を絞める行為だとなぜ気づかないのか?
 自分の職場に橋下のような上司が来たらどうなるか想像してみて欲しい。誰もが「あんな上司嫌だ」と思うはずだ。

 もう1点。橋下がヒステリックにキレると喝采を送るのに、橋下を批判する者がキレるとバッシングするのはどう考えても矛盾だ。府議会でも論理性も誠実さも全くないバカ丸出しの答弁を続けているが、いまだにこの国の大衆の多くはああいう粗暴な輩を好む。粗暴な犯罪者を嫌うのに、粗暴なタレントを好む。自分の首を絞めるのはよほど自尊心がないのか。
 まあこう言っても信者は最後まで橋下についていくのだろう。「バカは死なないと治らない」は真理かも。


《追記》

 J-CASTニュース(2008/03/14 19:16)によると、この問題で府庁に女性職員を非難する意見が400件も寄せられたらしい。
 「民間ならサービス残業なんて当たり前や」という意見は、権利に無自覚な奴隷根性丸出しである。自分が経営者と闘う勇気も労基署に訴える勇気もないのを公務員を攻撃することで憂さ晴らしするのは、人間として恥ずべき愚行だ。「サービス残業」=残業代不払いはれっきとした労基法違反だということがわからないのか。「世間では殺人なんて当たり前だ」と言っているのと同じだ。
 橋下の腰巾着J-CASTらしく、記事には「橋下知事を『あんた』呼ばわり」というタイトルを付しているが、女性職員は「あんた」とは一言も言っていない。「あなた」と言っている。「あなた」=「貴方」は敬語である。この呼び名のどこが問題なのか。
 メディアの偏向報道に断固抗議する。
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by mahounofuefuki | 2008-03-14 11:23

ハローワークさらに削減へ~公務員減らしは行政サービスを悪化させるだけ

 この国では行政不信があまりにも深いため、「役所は小さければ小さいほどよい」という信仰が今も幅を利かせている。何かというと「民営化」「公務員削減」で、右も左も「行政改革」というと無条件で喜ぶ。昨年の独立行政法人「改革」の際も真っ向から反対した人が何人いたか。民営化=効率が上がるという「神話」が成立しないことは、すでに郵政民営化で学習済みである。
 「行革」の現実を如実に示すニュースがある。以下、日本経済新聞(2008/02/26 07:00)より(太字強調は引用者による)。
 厚生労働省は公共職業安定所(ハローワーク)を2008年度中に26カ所廃止する方針を決めた。廃止の内訳は安定所が8カ所、より規模の小さい出張所と分室が合わせて18カ所。また、16カ所を安定所から出張所に格下げする。ハローワークの数とともに職員の定員も減らし、人件費の削減につなげる。(後略)
 全国にハローワークは600か所以上あったが、小泉・安倍時代の2005-07年度に32か所が廃止された。そして「生活者重視」を掲げる福田政権になっても職安切り捨て路線を続けることが明らかになったのである。まさに看板に偽りありである。

 インターネットで求人を検索できるようになったため、職安の規模は縮小するべきであるという見方があるが、職安の仕事は職業紹介だけではない。企業側への行政指導や雇用保険業務や労働者からの相談に応じる仕事もある。「貧困と格差」が拡大し、有期雇用が増える中で、ハローワークの役割はかつてよりも重要になっている。
 ハローワークの削減は何より弱い立場にある人々のことを全く考慮していない。たとえば雇用保険による失業給付を受ける手続きを行うには、必ず職安へ足を運ばねばならない。削減されるエリアの失業者は今までよりも遠方の職安まで行かなければなくなる。交通費が支給されるわけでもないのに、とんだ理不尽な仕打ちだ。

 「行政の無駄を省く」という美名のもとで実際に進行しているのは、行政サービスの悪化である。主権者は行政のコスト削減を要求するのではなく、コストに見合った行政サービスの充実を要求するのが筋である。いいかげん公務員が少ないほどよいという「行革神話」から目を覚ましてほしい。

【関連リンク】
ハローワークインターネットサービス
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by mahounofuefuki | 2008-02-27 13:18