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福田内閣退陣と今後の政局に関する私見

 福田首相の突然の辞意表明は多くの人々にとって青天の霹靂だったようで、いわゆる政治ブログ界隈でもこの時期に退陣する意図や今後の政局の動向について、見事なまでに百家争鳴である。例のごとく私はアンテナが狭いので、その全貌はつかめないが、いくつか論点を整理して、当面の私論を述べておきたい。

 まず福田氏がこのタイミングで退陣を決意したことをどう見るかという点。これに関しては大方が政権運営に自信を喪失した末の無責任な「投げ出し」とみなし、当ブログもそういう見方を示したが、一方で民主党の代表選を埋没させるために、あえてこの時期に退陣表明したという穿った見方や、そもそも先の国会で参院が内閣問責決議を行っている以上、退陣は当然で「投げ出し」ではないとする見方もある。

 民主党云々の件については、私は今回の退陣劇とは関係ないとみている。それというのももともと民主党の代表選には関係者や支持者以外、誰もたいした関心を払っておらず、別に与党側が特別な「花火」を打ち上げずとも、少なくともメディアに大きく取り上げられるようなことはなかっただろうからである。小沢一郎氏の無投票再選ではなく、複数の候補による選挙が行われていても、よほど耳目を集めるような珍事(たとえば姫井由美子氏が出馬するとか)がない限り、無風だっただろう。現在の民主党はあくまで「自民党でない」ということ以外に存在意義がなく、支持者たちにも「誰それを首相に」という積極的な熱意が欠けていることも影響している。

 内閣問責決議の件は私には考え及ばず、なるほど一理あると思うが、しかし、先の問責決議は福田首相への問責というより、自公政権への問責であった以上、単に首がすげ替わる「退陣」では問責に応えたとは言えないとも思う。そもそも問責から相当時間がたっている以上、今回の政変を問責に結びつけ、退陣は当然とするのは無理があると思われる。その立場ならむしろ問責された時点で総辞職か衆院解散を行わなかったことが責められるべきであろう。

 次に衆院の解散時期について。当ブログは昨年から早期解散を主張し、前のエントリでも「即刻」解散すべしと指摘したが、一方で即時解散には否定的な見解も少なくないようである。たとえば今日の「赤旗」は臨時国会での徹底審議を経た上で、主権者の審判を仰ぐべきであると主張し、今月末の臨時国会召集前及び冒頭での解散に反対している。また民主党からは新内閣発足の「御祝儀」相場が生きたままでの早期解散に不安の声が出ていると報道されている。

 臨時国会で国政の争点を主権者に提示した上で総選挙を行うというのは確かに正論ではある。本来ならその方が憲政の常道なのだろうが、私は現実的にはあまり意味がないとも考える。仮に臨時国会の会期中に解散となれば、その時点で成立していない法案はすべて廃案となる。廃案込みで十分な審議ができるとはとうてい思えない。また臨時国会終了後の解散ならば、またしても自公政権の悪法を通してしまうことになりかねない。とにかく衆院で自民・公明両党が再議決可能な3分の2の絶対多数を握っている状態を潰さないことには、抜本的な政策転換は全く望めないと私は考えており、一日でも早く総選挙を行いたいというのが本音である。

 またメディアによる自民党総裁選報道を通して新内閣の支持率が上がり、その余勢をもって解散した場合、総選挙で自民党が有利になるのではないかという問題については、確かに今日も竹中平蔵氏が自民党への支持回復のために「総裁選をドラマティックに盛り上げよ」と入れ知恵していたが、私はそれほど心配していない。その根拠は第一に、自民党に即効的な人気のあるリーダー候補が枯渇していること、第二に、大衆の支持を調達するのに不可欠な明瞭なパフォーマンスをすぐには用意できないことである。

 第一の点については、現在総裁最有力候補と目されている麻生太郎氏にしろ、出馬が囁かれる小池百合子氏にしろ、普遍的な人気を獲得するにはいかにも弱い。麻生氏の場合、「威勢が良くて何か変革してくれそう」という大衆の要求する指導者像に「相対的に」近いから人気があることになっているにすぎず、いわば消去法の結果での支持であるとみている。小池氏の場合、そもそも自民党の中核支持層は「女性首相」を支持するほど成熟していない。もちろんかつて「ほかよりよさそうだから」という消極的理由で支持されていたにすぎない小泉純一郎氏が、「郵政解散」を機に大化けしたような前例はあるが、今回の場合次に述べる第二の点からそれも難しい。

 その第二の点については、自民党が短期間で人気を回復させるためには、自公政権に対する不満や「誰がやっても同じ」というシニシズムを「新政権への期待感」が凌駕する必要があるが、現行の政治的枠組みを前提とする限り、もはや多くの人々に期待をもたせるようなパフォーマンスの材料は存在しない。たとえば「国会議員の数を半分に」とか「公務員給与を一律2割削減」とかぶちあげれば(そんな政策は私はもちろん願い下げだが)、一挙に大衆の支持を調達できるだろうが、現在の自民党ではそれをすぐに党全体の公約にできるほどの政治力学はない。特に新総裁が選挙に向けて「挙党体制」をとろうとすればするほど、既得権益の維持に意を払う必要が生じ、思い切った「改革」はできない。小泉のような芸当はあくまで彼が「すでに首相だった」からできたことで、政権発足当初には困難であろう。

 故に自民党総裁選直後に総選挙が行われても、決して与党に有利にはならない、少なくとも現有議席を大幅に減らすのは確実である以上、私は早期解散を求める次第なのだが、逆に言えば、新内閣はおそらくすぐには衆院を解散できない。私は前のエントリで解散を極限まで引き延ばすとまで言ったが、それは言い過ぎだとしても、与党に有利な材料が出てくるまで(たとえば民主党が「メール」問題の時のようなボロを出すなど)何とかして「衆院3分の2」を手放そうとしないのではないか、というのが当ブログの見立てである。

 正直、こんな政局については、弱小ブログがどうこう言ったところでどうなるものでもなく、主権者としてはひたすら政治に対し「~してほしい」「~をよこせ」と要求するしかない以上、今回の政変についてはもう語りようがないし、語る気もない。実のところ一番心配なのは、この1カ月政局にばかり目を奪われている間に、いろいろな社会問題が見過ごされることであり、その観点からも今後の自民党総裁選やそれに関連する政局の動きはできるだけスルーしつつ、「シラケ」ムードを醸成するのが賢明だろう

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福田内閣退陣~再び政権「投げ出し」の暴挙
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by mahounofuefuki | 2008-09-03 21:28

福田内閣退陣~再び政権「投げ出し」の暴挙

 福田康夫首相が突如辞意を表明した。

 ちょうど約1年前、当時の安倍晋三首相が自ら召集した臨時国会の冒頭で突如退陣した時は、後から振り返れば彼の体調不良をはじめ、「伏線」があったのだが、今回の福田首相の退陣表明は特段前兆があったとは言えず、安倍の時と比べても唐突の感は拭えない。次の総選挙を自民党は福田で戦うことはないだろうということは確信していたが、こうも退陣が早いとは正直予想できなかった。

 「憲政の常道」という観点からすれば、今回の退陣は前内閣に続いてまたしても無責任な「途中放棄」である。確かにずいぶん前から政権はレームダックとなってはいたが、内閣不信任決議が成立したのでも、即時総辞職しなければならないほどの重大な事件があったわけでもない。単に政権が思うように動かないから(すでに報道されているように、退陣の「引き金」は公明党に経済政策や国会会期が左右されてしまっている現状への自信喪失だろう)という理由で、いわば「投げ出した」のである。わずか1カ月前の内閣改造はいったい何だったのか。

 本来は単に首をすげ替える退陣ではなく、即刻衆院を解散して自公政権そのものの是非について主権者の信を問うべきだが、福田内閣は最後まで解散を引き伸ばしてきた。2代続けて衆院の総選挙の洗礼を受けていない内閣が続いたことは、議会制をないがしろにした愚挙であり、もはや憲政史上の完全な汚点となっている。次の首相が誰になってもその内閣は選挙管理内閣でなければならないのだが、残念ながら次期内閣も前二者同様、解散を極限まで引き延ばすだろう。

 これまで福田内閣は、市場化・民営化路線をもっと積極的に推進して欲しい「自由」サイド、対アジア強硬外交路線を望む「保守」サイド、貧困・格差問題への処方を求める「平等」サイドの3方向から批判にさらされていたが、特に最も激しかったのは実は「保守」サイドからの攻撃だった。先月の敗戦の日の靖国神社でも極右団体が福田辞任のアジテーションを行っていた。福田失脚でこれら右翼系統は当面勢いづくだろう。国内の矛盾を対外危機の捏造と扇動で隠蔽するこうした輩の伸長が予想されるのも、不快の種である。

 言うまでもないが、首班が福田だろうと麻生だろう誰だろうとと、巨大企業の利益を何よりも最優先し、弱肉強食社会を推進する「自民党政治」に本質的な変化はない。一時的な人気取りに惑わされることなく、何が真に民衆の利益なのかを見抜く「確かな眼」をもつことが、今後ますます重要となるだろう。
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by mahounofuefuki | 2008-09-01 23:04

新自由主義「漸進」路線を明示した福田改造内閣

 一橋大学大学院教授の渡辺治氏は「新自由主義構造改革と改憲のゆくえ」(『世界』2008年7月号)の中で、小泉政権退陣以後の新自由主義路線は2つの潮流に分岐したことを明らかにしている。第一は「急進改革路線」、第二は「新漸進路線」である。

 第一の「急進改革路線」とは、「改革の『痛み』に対する手当などは行わずに急進改革を続行し、改革実行により達成された成長とパイの増大で格差と貧困に対する不満を吸収しつつ、消費税をあげずに『プライマリーバランス』の回復をめざす」路線で、いわゆる「上げ潮」派と呼ばれる竹中平蔵氏や中川秀直氏らが目指したのがこれである。

 第二の「新漸進路線」とは、「急進改革をこれ以上続行して社会統合を破綻させることに対し、逆にある程度の構造改革に対する手当てが不可欠であると考え、消費税の値上げで対処すべしという路線」で、与謝野馨氏がこの路線の中心人物とされる。

 昨年の参院選以降「急進改革路線」は衰退しはじめ、福田政権下では「新漸進路線」が台頭したというのが渡辺氏の分析だが、今回の内閣改造の陣容を見ると、氏が指摘した傾向はますます強まり、ついに「上げ潮」派は政権内にほとんど居場所をなくして退場を余儀なくされたと言えよう。前内閣を引き継いだ改造前には大田弘子氏や渡邊喜美氏のような「急進色」の濃い閣僚が要職にいたが、今回の改造では目立つ「上げ潮」派の実力者が入閣していない。

 特に経済財政担当大臣にほかでもない与謝野氏が起用されたのが象徴的である。財務大臣に伊吹文明氏、経済産業大臣に二階俊博氏、国土交通大臣に谷垣禎一氏という陣容は一方で派閥領袖の均衡人事の意味合いがあるが、他方政策的には「新漸進路線」を代表する政治家が経済閣僚を占めたと言えよう。福田首相が重視する消費者行政担当に「郵政造反組」だった野田聖子氏が任用されたのも、脱「小泉」色を鮮明にしている。

 「急進改革路線」も「新漸進路線」も、大企業の国際競争力を何よりも優先し「小さな政府」を推進する新自由主義に変わりはないが、これまで「構造改革」の名の下でさんざん「官製貧困」を拡大してきた最大の主犯である「上げ潮」派が消えたのは朗報である。行き過ぎた「改革」路線を修正しようとする昨年来のムーブメントが定着しているのは、少なくとも馬鹿の一つ覚えの規制緩和一辺倒よりはましになっている。

 問題は行き場を失った「上げ潮」路線が民主党に流入する可能性があることである。もともと民主党は新自由主義路線に親和性があるのに加え、確固とした基本理念がなく「自民党の対抗軸」という自己規定以外に党の結集軸がないため、「新漸進路線」に完全に舵を切った福田政権との対抗上、「上げ潮」路線に飛びつく危険がある。「新漸進路線」は何よりも消費税増税を重視しており、単に消費税増税の是非だけが問題になった場合、「消費税引き上げ反対」の立場から民主党が事実上「急進改革路線」を採択しないとも限らない。

 当ブログではもう何度も指摘しているように、消費税増税の対抗軸は歳出削減ではなく、直接税増税による福祉国家への道であるべきなのだが、現況は全国紙すべてが消費税増税の世論誘導を進めるなど、なかなか直接税増税論は税制議論の俎上にも載っていない。今回の政局の転回を機に「上げ潮」派の息の根を止めるためにも、福田改造内閣が進めるであろう消費税増税路線には、所得再分配効果を強化した上での福祉国家路線を対置するよう主張していく必要がある。

 今回の内閣改造についてはもう1点。中山恭子氏が少子化問題・拉致問題担当の国務大臣に起用され、一見「拉致問題」重視の姿勢を示して、強硬外交路線をアピールしているように思えるが、むしろ常時首相官邸に勤務する首相補佐官から外すことで、首相周辺の外交政策決定過程から排除したというのが実態だろう。すでに「拉致家族会」や「救う会」の方が勝手に政府批判色を強めて離反した以上、単なるメッセンジャーだった彼女はもはや用済みになったというのは言い過ぎだろうか。
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by mahounofuefuki | 2008-08-01 20:56

福田内閣にもう怖いものなし!?~今年は医療費を狙い撃ち

 小泉内閣は堂々と「痛みを伴う改革」を掲げたが、これはいわば「これから庶民いじめを強化します」と宣言したも同然で、本来ならば政権への支持を失う自爆である。それにもかかわらず最後まで小泉内閣はこの国の多数派に支持された。その原因は「官」の「既得権益」という「敵」を仕立てることで、あたかも「痛み」を受ける対象が民衆ではなく、「官」であるかのように錯覚させたからで、しかも巧妙な小泉は人々がその錯覚から醒める前に退場した。

 一方、現在の福田内閣は「生活者重視」を掲げているが、小泉政権時代に定められた「歳出削減路線」と「庶民負担増路線」いうルートを一向に修正する気配がない。基礎年金の国庫負担率引き上げに伴い、その財源を増税によって捻出しようとしているのが「歳出削減路線」の修正と言えなくもないが、これも専ら増税対象を消費税に限定して「庶民負担増路線」の方はしっかりと続けている。表看板と実際の中身が相反するという点で、ある意味福田は小泉より卑怯で欺瞞的であると言えよう。

 昨日の経済財政諮問会議で今年の「骨太の方針」の骨子が確定し、社会保障費の自然増加分を毎年約2200億円削減する政策を今年も継続することが確認された。政府・与党内からももう社会保障費の抑制は無理という声が上がり、当の諮問会議でも厚生労働省側から従来の路線の限界が示唆されたほどだが、福田康夫首相は「社会保障も聖域ではない」と断言し、さらなる歳出削減を求める民間議員提案を支持した。引き続き「小泉の宿題」を淡々とこなす意思を改めて明確に示したのである。

 その民間議員提案は、おおむね医療費を狙い撃ちにしており、特に後発医療品の拡充や公立病院の統廃合や開業医の再診料見直しなどは、医療システムの不安定化・不公平化を促進する可能性が高い。また以前当ブログでも書いた雇用保険の国庫負担削減も明示された。厚生労働大臣が提案に対して「現実的ではない」と反論を行っているが、首相の発言から判断するに大枠では民間議員提案がそのまま「骨太の方針」に盛り込まれるだろう。

 今日の北海道新聞の世論調査では福田内閣支持率はついに14%にまで低下しているが、むしろここまで下落するともはや怖いものなしとも言える。もはや自民党は次期総選挙を福田で戦うことはない。福田は選挙を気にせず、衆議院の任期満了までやりたい放題できるのである。「ポスト福田」たちもこの際福田がすべて泥を被ってくれるのを望むだろう。財界にとってこれは願ってもない「好機」である。「財界立法」を次々と押し付けてくるだろう。

 参議院は野党が多数であるが、肝心の民主党が依然として「構造改革」路線に親和性を持っていて、それが最低賃金法改正や労働者派遣法改正などの問題に露呈している。与党にはいざとなればガソリン税の時のように衆院再議決という切り札がある。参院は内閣問責決議を可決するが、時機を逸したと言わざるをえない。何事もなかったように今国会は閉幕してしまうだろう。

 「敗戦処理」と侮っていた福田内閣だが、ある意味「最強」かもしれない。

【関連リンク】
平成20年会議結果 第14回会議 会議レポート:内閣府 経済財政諮問会議
http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2008/0610/report.html
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by mahounofuefuki | 2008-06-11 12:47

福田康夫に同情できるか

 福田康夫首相について、貧乏くじを引かされてかわいそうとか、自公政権は嫌いだが彼本人は実は好きだとか、なぜか同情的な声を時々耳にする。
 こうした見方は私には不可解である。なぜなら森・小泉両内閣で1289日間も内閣官房長官を務めたのは他でもない福田氏で、彼は「構造改革」路線を重要閣僚として推進した第一級の主犯の1人だからだ。小泉政権の政策は内閣官房長官交代前後で変化したわけではない。福田氏を「自分が関与していない政策で責められてかわいそう」という類の同情論は、彼の過去を完全に忘れているとしか思えない妄言である。

 こんな同情論が起きる理由は、小泉や安倍が人間的にあまりにもひどすぎたために、彼が相対的にまともに見えるという事情と、表面的には極端な保守主義や新自由主義と距離をとっているという事情のためである(あくまで表面的)。
 現在の福田内閣は、貧困拡大政策を中止しないことへの「平等」サイドからの批判と、より積極的な市場開放・規制緩和を進めて欲しい「自由」サイドからの不満と、韓国・中国に対する融和姿勢が気に入らない「保守」サイドからの反発が集中して支持率が低下しているのだが、この中で最も苛烈なのは実は「保守」サイドの反発である。その辺の事情が反「保守」の人々の福田同情論に影響しているとも考えられる。
 いずれにせよ、一見「中道」の位置をとっているように錯覚してしまうが、それは「保守」と「自由」の「中道」ではあっても(それも怪しいが)、「平等」と「自由」の「中道」では全くない。小泉内閣以来の「骨太の方針」に従って淡々と社会保障つぶしという「宿題」をこなしている事実だけははっきりしている。

 確かに私も以前、新自由主義の再強化を招く可能性があるゆえに、福田内閣のレームダック化を素直に喜べないと書いたことがあるし、今もその見方は変わっていないが、小泉・麻生と福田の相違はせいぜい「極右」と「右」の相違で、福田を「中道」とはとても言えない。政権の弱体化を「素直に喜べない」が「かわいそう」とは決して思わない
 もともと彼は内閣官房長官時代、いつも「フフン」という冷やかな薄ら笑いを浮かべて、何事にも冷淡な態度をとったことから、非常に冷たい人物と目されていた。私の見る限り彼は当時も今も変わっていない。変わったのは有権者の方である。

【関連記事】
福田内閣のレームダック化を素直に喜べない理由
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by mahounofuefuki | 2008-05-19 20:05

雇用保険の国庫負担全廃へ~社会保障費削減路線を続ける福田内閣

 福田内閣は口先では「生活者重視」とうそぶいているが、実際は後期高齢者医療制度を予定通り実施したことに端的に現れているように、依然として小泉以来の「強きを助け、弱きを挫く」政策を継続している。社会保障費の自然増分を毎年2200億円削減する路線を中止する気配は全くなく、庶民の生活維持のための支出を減らす一方で、さらに消費税増税による貧窮者のジェノサイドを目論んでさえいる。

 額賀福志郎財務大臣が今日の記者会見で、雇用保険の国庫負担を来年度から廃止する意向を表明したが、これは今年の社会保障費削減分を捻出するためで、一昨年から予定されていたことである。2006年の行政改革推進法は第23条で雇用保険の国庫負担について「廃止を含めて検討する」と定め、政府は昨年国庫負担額を55%に引き下げ、1810億円削減した。
 政府は国庫負担を削減する一方で、昨年雇用保険法を改悪し、「自己都合」の離職者の失業給付の受給資格を勤続6か月から1年に伸ばすなど、支出の抑制を図ってきた。そしてついに満を持して2009年度に国庫負担を全廃するというのである。

 政府は失業率が低下したことを国庫負担廃止の理由に挙げているが、今後失業率が再び上昇した時はどうするのか。だいたい雇用保険制度からはじかれた非正規労働者が増大している中で、すべての失業者が給付を受けられるような制度改正が求められているのに、国庫負担の廃止は完全に逆行する。
 派遣会社が雇用保険の適用申請を行っていなかったために、失業給付を受けられない日雇派遣労働者が大勢いる。雇用保険を必要とする人を切り捨てておいて、黒字だの剰余金だのうそぶくのは欺瞞である。これは行政の責任放棄と言わざるをえない。

 政府・与党内からも社会保障費抑制路線に対する不満や批判が出ているにもかかわらず、福田内閣は依然として「小泉が課した宿題」を淡々とこなしている。今年の「骨太の方針」も「構造改革」路線を継続することは間違いない。福田のやっていることは「官製貧困」の拡大である。決して許してはならない。

【関連記事】
生活保護基準引き下げは小泉が与えた「宿題」

【関連リンク】
社会保障予算 ~歳出削減と制度構築の在り方~ 厚生労働委員会調査室 秋葉大輔*PDF
http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/kounyu/20070202/20070202046.pdf
簡素で効率的な政府を実現するための行政改革の推進に関する法律 - 法令データ提供システム
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H18/H18HO047.html
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by mahounofuefuki | 2008-05-09 21:03

福田内閣のレームダック化を素直に喜べない理由

 福田康夫首相は今日緊急記者会見を行い、2009年度から道路特定財源を一般財源化する案を公表し、与野党協議機関の設置を呼び掛けたが、今や福田内閣は断崖絶壁に追い込まれたと言えよう。2008年度予算案は衆院の議決が優先されるため、明日にも成立するが、租税特別措置の方は期限切れが現実味を帯びてきた。何より福田内閣の支持率下落に歯止めがかからなくなっている。今月に入ってからの各報道機関の世論調査はどれも福田内閣がすでに「危険水域」に入ったことを示していた。
 今手元で確認できりデータは次の通り。
毎日新聞(2008/03/03朝刊) 支持30% 不支持51%
時事通信(2008/03/14 15:12) 支持30.0% 不支持47.7%
共同通信(2008/03/16 18:12) 支持33.4% 不支持50.6%
読売新聞(2008/03/17 23:48) 支持33.9% 不支持54.0%
日本経済新聞(2008/03/23 22:05) 支持31% 不支持54%
北海道新聞(2008/03/27 09:25) 支持22% 不支持59%
 おおよそ支持率が3割、不支持率が5割というところだろう(北海道新聞での支持率が極端に低いが、これは北海道限定で行った調査で、もともと北海道は民主党が強いという事情が影響していると思われる)。まだ3割も支持する人がいるのが不思議だが、それでも安倍内閣の末期とほぼ同水準まで低下しており、もはやレームダックになりつつあると言っても過言ではあるまい。

 自公政権にノーサンキューな側にとっては、これで「4月危機」だ、倒閣だ、解散だと喚きたいところだし、実際そういう声も出ているが、冷静に考えればそうは問屋が卸さない。倒閣したところで看板が掛け替えられるだけで自公政権の政策転換は望めない。衆院の解散は切に望むところだが、どうやっても現有議席を維持することができない自公政権が早期解散に打って出ることなどまずあり得ない。
 福田内閣の支持率が急落する一方で、野党各党の支持率はほとんど上昇していないことも問題で、単に福田内閣のみならず、政治全般への不信感が強まっているにすぎないというのが実情だ。しかも「大連立」構想は終始くすぶっており、主権者不在の政争が政治不信に拍車をかけている。
 内閣「不支持」の中身をよく吟味しなければならない。現在の福田内閣への不満は、「貧困と格差」がなかなか是正されないことへの「平等」サイドからの不満と、中国や朝鮮に対する強硬とは言えない姿勢への「保守」サイドからの不満と、規制緩和や「小さな政府」を断固として進めようとしないことへの「自由」サイドからの不満がいわば「雑居」している。仮に福田内閣が倒れても「保守」や「自由」に偏った新政権が出来るのでは元も子もない。

 すでに当ブログでも高まる「平等」「安定」志向~「勤労生活に関する調査」を読むで明らかにしたように、新自由主義による競争万能・成果主義の路線はもはやマジョリティではない。人々は疲れ果て、「終身雇用」「年功賃金」の時代への郷愁が高まっている。しかし、一方で政治意識においては依然として「公的なもの」への忌避感は強く、そこに新自由主義がつけ込む隙がある。
 特にこの国では依然として「強いリーダーシップ」への幻想が肥大化しているのが問題だ。毎日新聞の調査では「首相の指導力に期待できないから」が、時事通信の調査では「リーダーシップがない」がそれぞれ内閣不支持の理由の第2位になっている。政策の中身よりもイメージとしての「毅然とした姿勢」「強力な指導力」に期待する向きが相変わらず存在するのである。
 事実、北海道新聞(2008/03/27朝刊)の世論調査では「次の首相にふさわしい人は誰か」という問いに対し、小泉純一郎氏と麻生太郎氏が16%でトップに並び、小沢一郎氏が15%でこれに続く。一方で「平等」「安定」を望みながら、他方で小沢はともかく小泉や麻生を支持するのは矛盾以外の何物でもないのだが、なかなかそれを自覚できない人が多い。

 実は「毅然とした姿勢」や「強力なリーダーシップ」と「平和と平等」の結節点は1つだけ存在する。それは日本共産党である。日本国憲法第9条の堅持を掲げ、平等社会を目指す一方、下部機関が上部機関に拘束される民主集中制のもと、指導部による「強力なリーダーシップ」で概ね「毅然とした姿勢」をとっている。志位和夫氏の演説を聴いたことがある人ならば、彼のタレント性が小泉や麻生などの比ではないことが理解できるだろう。しかし、強固な「アカの壁」とマスメディアの黙殺が共産党の浸透を妨げている。この問題は本稿の主題から外れるので別の機会に考えたい。

 いずれにせよ、解散前に福田内閣倒閣の動きが強まることは、必ずしも良い結果となるわけではないことを指摘しておきたい。小泉再登板は限りなくゼロに近いと考えているが、新自由主義勢力の完全復帰の危険は依然として存在する。それを回避するためには、来年以降になるだろう衆院解散まで、地道に不満の声を上げ、「新自由主義ノー」の「空気」を持続することが何よりも必要である。
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by mahounofuefuki | 2008-03-27 22:12

「国民」を守れなかった日本政府の責任に口を閉ざす不思議

 沖縄のアメリカ海兵隊所属の下士官が女子中学生を暴行した事件。
 どんな事件であっても警察発表を鵜呑みにせず、初発の報道を疑うのが私の習わしなので、事件の内容について語ることはない。特に強姦罪が適用されている事件ということを考えると、メディアが大々的に報道したり、不特定多数の人々が政治的思惑や好奇心から事件に触れること自体が、被害者へのセカンドレイプなのではないかという思いが私にはあり、口が重くならざるをえない(またしても右翼メディアやシニシズム的大衆による誹謗中傷が始まっているようだし)。

 今回の件で私が気になるのは、日本政府の対応である。
 事件翌日の2月11日、まず外務省北米局長がアメリカ大使館次席公使に電話で抗議を行っている。ドノバン次席公使は「米側としても事態を深刻にとらえており、日本側の捜査に全面的に協力していく」と述べたという。また外務省の沖縄担当大使も海兵隊司令官にやはり電話で再発防止と綱紀粛正を要請し、ジルマー司令官は「綱紀粛正を徹底させたい」と述べたという(時事通信2008/02/11 16:44、朝日新聞2008/02/11 15:12)。さらに防衛省地方協力局長も、在日米軍司令官に同様の申し入れを行ったという(毎日新聞2008/02/12 12:15)。

 閣僚も相次いで今回の事件について「遺憾」の意を発言する。まず11日には岸田文雄沖縄担当大臣が「強い憤りを感じている」「(日米地位協定の見直しについて)まずは綱紀粛正、再発防止の議論をした上で、対応が必要なのかどうか考えなければいけない」と記者団に述べた(朝日2008/02/11 18:06)。岸田氏は翌日も記者会見で、地位協定について「地元の意見をしっかり聞いた上で、運用改善の問題についても考えていきたい」と語った(時事2008/02/12 11:46)。
 翌12日になると次々と閣僚が発言をする。閣議後の閣僚懇談会では福田康夫首相が「過去にも同種の事案があった。大変大きな問題で、しっかりと対応しなければいけない」と閣僚らに指示したという。首相はその後の衆院予算委員会でも「政府としても米側としっかりと交渉していく。事実関係の究明、再発防止のために、できるだけのことをしていく」と述べた(朝日2008/02/12 11:49)。

 閣議後の記者会見では、町村信孝内閣官房長官が「極めて遺憾な事案と言わざるを得ない。法と証拠に基づき適切に処理する」(時事2008/02/12 11:13)、泉信也国家公安委員長が、「沖縄県警で米側の協力を得ながら、法と証拠に基づき捜査を進めている。類似事案は過去にも起きており、外務省などで米軍側に外交上の申し入れをしているが、厳重な対応をしてほしい」(時事2008/02/12 10:19)、石破茂防衛大臣が「日米同盟の根幹にかかわる」(時事2008/02/12 11:46)、渡辺喜美金融・行革担当大臣が「沖縄の皆さんの心を逆なでするような事件で許しがたい」、冬柴鉄三国土交通大臣が「こういう事件は日米関係に大きな影響がある。関係者は肝に銘じてほしい」などと述べた(毎日、前掲)。

 日米関係を所管する高村正彦外務大臣は、日米関係への影響について「県民感情の問題。影響がないことはあり得ない」「綱紀粛正や再発防止により、日米関係への悪い影響を少なく収められるかどうかだ」(毎日、前掲)と述べる一方、地位協定の見直しについては「今回のことと地位協定は直接の関係はない」と否定した(時事 2008/02/12 11:46)。
 一方、外務省の薮中三十二事務次官は、アメリカの臨時代理大使を呼び、「綱紀粛正を再三求めてきたのにも米兵が逮捕されたことは極めて遺憾だ」と強く抗議した。アメリカ側は捜査の全面協力を約束、在日米軍副司令官は「米軍は性的暴力を一切許容しない」と述べたという(共同通信2008/02/12 19:52)。

 こうして並べてみると、何となく日本政府の方向性が見えてくる。
 まず、事件への「怒り」を沖縄と共有しているという姿勢をアピールしていること。これは1995年に、女子小学生暴行事件を機に沖縄で空前の反基地運動が起こったことを念頭に置いて、「反米」が「反政府」に転化するのを防ごうとする意図がある。福田首相らが「過去の類似の事案」に言及したのも、「過去」の苦い記憶を気にしている証である。昨年の教科書検定問題で改めて沖縄の人々の連帯と行動力を思い知ったことも考慮しただろう。沖縄担当大臣に地位協定の見直しに言及させるリップサービスまでやらせている(しかし外務大臣が否定するのも忘れない)。

 次に、事件をあくまでも日米同盟の強化にとって「水を差すものだ」という考え方を前提にしていること。実際は「日米安保体制のせいで事件は起きた」のに、日本政府は「事件が日米安保体制を損なう」という倒錯した論理を用い、アメリカ軍が駐留する体制そのものへの批判が生じるのを避けようとしている。特に米軍再編への影響を恐れているのは、高村外務大臣の発言に顕著で、何とかうまく収まって欲しいという意図が丸見えである。

 そして何よりも問題なのは、事件を起こしたアメリカ軍を批判はするが、「自国民を守れなかった国家責任」については全く触れていないことである。国家が「国民を守る責務」を負っているのならば、駐留軍隊の獰猛な軍人からいたいけな少女を守れなかったのは、国家の名誉にかかわる問題である。それにもかかわらず誰もそのことを問題にしないのは、現行の国家側には「国民」を守る意思などさらさらないことを図らずも示したといえよう。
 首相や防衛大臣の口から、たとえでまかせでも「政府が国民の安全を維持できなかったことは誠に遺憾である」くらいの発言もできないのは、日米安保体制が「日本を守る」という建前とは裏腹に、実際は日本の住民の安全を脅かしていることを認めたくないからである。

 岩国の艦載機移転問題もそうだったが、現在の日米間の安全保障問題の矛盾は、実際に在日米軍が駐留する地域で噴出している。問題はそれらがいずれも個々の地域の特殊な問題として扱われ、全国的な問題に発展しないことである。「地域問題」を「全国の問題」に変えられるかどうかが、日米安保体制の矛盾を是正するための鍵となるだろう。
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by mahounofuefuki | 2008-02-12 22:37

教育再生会議最終報告について

 教育再生会議が最終報告を首相に提出した。同会議設立の主唱者である安倍晋三前首相が退場したことで、その地位はすでに低下し、マスメディアも「尻すぼみ」とみなしているが、そう断定するのは早計であろう。福田康夫首相は教育再生会議の後継機関を今月中にも発足させることを表明しており(共同通信 2008/01/31 22:00)、この最終報告は今後も終始議論のたたき台になる恐れがある。

 全文を読み始めてまず笑ってしまったのは、冒頭で唐突に「生活者重視」というフレーズが登場することで、これは言うまでもなく福田首相の施政方針に沿ったものだが、図らずも報告の政治性を証明してしまった。もし安倍政権が続いていたら、間違いなく「美しい国」というフレーズを強調していたはずだ
 続けて「今、直ちに教育を抜本的に改革しなければ、日本はこの厳しい国際競争から取り残される恐れがあります」という日本の支配階級の本音が述べられている。教育を経済に従属させることが一連の「教育改革」の真の目標であり、堂々と包み隠さず明記したのは、潔ささえ感じた。
 とはいえ提言の内容そのものは、長らく保守勢力が一貫して主張してきたもので、目新しさは全くない。「徳育」の充実、「ゆとり教育」の見直し、子どもの選別、「悪平等」の排除、「校長を中心としたマネジメント体制」、小中一貫校、「飛び級」と、国家主義・新自由主義に立った主張ばかりである。

 教育再生会議はそのメンバーに教育学者や現場の教員をほとんど含まず、いわば「素人」の井戸端会議であったことはしばしば指摘されてきた。そのことも含めて、近年の教育政策の特徴は「教育の専門家」を排除ないしは弱体化することに主眼が置かれている。教員免許更新制の導入や「民間人」校長の起用は、明らかに教員の裁量権を弱め、「素人」が恒常的に学校教育の主導権を握ることを目指したと言ってよい。
 今回の最終報告でも「直ちに実施に取りかかるべき事項」の筆頭に「教員免許更新制、教員評価、指導力不足認定、分限の厳格化、メリハリある教員給与」を挙げ、教員に対する国家統制の強化と競争原理の導入による差別的労務管理を重視している。一方で「社会人等の大量採用」を掲げ、財界人が直接教育現場に乗り込めるような体制づくりを推進している。

 教育再生会議は「国際競争力」の耐えられる「学力」が低下しているという危機意識を前提にしているが、そもそも「学力低下」の原因は文部科学省が教育内容における到達目標を軽視し、学習者の選別を図ったからにほかならない。
 1989年の学習指導要領で指導要録(学校の学籍と指導の記録原簿)に観点別評価が導入され、「知識」や「理解」よりも、「関心」や「態度」や「意欲」を重く評価するようになったのが始まりで、当時「新しい学力観」と喧伝された。「何を理解したか」よりも「やる気」を重視し、すべての学習者に基礎学力を習得させることが軽視された。
 大学時代、私はこの「新しい学力観」を信奉する教師から話を聞いたことがあるが、彼はすべての子どもが同じ到達目標を目指すのではなく、それぞれの「個性」に合わせて、「できる子」にはそれに合わせて高い目標を与え、「できない子」にはそれに見合った低い目標を設定することで、誰もが「意欲」をもてるのが「新しい学力観」だと説明していた。見事なまでの選別・差別主義である。
 この思想の結果、「学ぶ意欲」や「真剣な態度」さえあれば理解の度合いが低くても評価されることになってしまい、総体として学力は低下したのである。
 *本稿では「学力」と無造作に語っているが、そもそも「学力」とは何かというのは長い論争があり、今も定説はない。私も「素人」なのでその辺は突っ込まないが、ここでは取りあえず社会生活に必要な知識や教養と捉えている。

 つまり学力を向上させたかったら、この「新しい学力観」以降の評価制度をやめ、基礎的知識の習得に重点を置き、全員がマスターすべき到達目標を設定するべきなのだが、教育再生会議の方向性はむしろそれまでの文部科学省と同じで、子どもの選別をより重視し、また「徳育」の振興という形で「態度」「意欲」に重きを置いている。これではむしろ「学力低下」に加担しているようなものだ。
 結局、「学力低下」云々というのは、教員や教育学者など教育の専門家にその責任を転嫁して彼らを教育政策決定過程から排除するための口実で、実際は少数のエリートを早期に選抜して彼らには英才教育を施し、残りの「その他大勢」には「徳育」を通して奴隷根性を叩き込み、社会の矛盾を構造的把握する能力が身に付くのを防ぐシステムを作るために持ち出されたのだろう。再生会議は「全員の学力」には関心がなく、「一部のエリートの学力」しか問題にしていないのである。

 ちなみに再生会議の最終報告に先立つ1月24日には、日本経団連が文部科学大臣と懇談会を行っているが、そこでの経団連側の要求は再生会議と方向性が全く同一で、「教育再生会議の提案を教育振興基本計画に反映」するように念を押している。経団連のレポートと再生会議の報告を読み比べれば、「教育改革」の「真の主役」が誰だったか自ずと見えてくるだろう。

【関連リンク】
教育再生会議の最終報告全文-東奥日報
日本経団連タイムス No.2891-02 渡海文科相との懇談会を開催
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by mahounofuefuki | 2008-02-01 12:30

斎木昭隆を6カ国協議の代表に送る愚

 政府が今日(1月17日)の閣議で、外務省高官人事を決定した。先月来報道されている通り、事務次官に外務審議官(政務担当)の薮中三十二氏が昇格し、その後任にアジア大洋州局長の佐々江賢一郎氏を充て、さらにそのアジア大洋州局長に駐米公使の斎木昭隆氏を任じた(読売新聞 2008/01/17 14:28など)。
 留任説も囁かれていた谷内正太郎事務次官は退任した。谷内氏は周知の通り、安倍晋三前首相の肝いりで事務次官に起用された人物であり、安倍去りし現在任期を延ばしてまで留任できる政治力学はないだろう。

 今回の人事について共同通信(2008/01/17 09:18)は「藪中、佐々江両氏は北朝鮮核問題をめぐる6カ国協議の日本政府首席代表を務め、斎木氏はアジア大洋州局参事官、審議官当時、日本人拉致問題などを担当しており、北朝鮮問題を重視したシフトとなった」(太字は引用者による)と指摘しているが、薮中氏の前任の外務審議官だった田中均氏もアジア大洋州局長からの昇格であり、アジア大洋州局長→外務審議官という昇進ルートが3代続いていることを考えると、「北朝鮮問題を重視したシフト」は何も今に始まったことではなく、小泉政権以来ずっと続いているとも言える。
 6カ国協議の現場にいた薮中、佐々江両氏が外交政策決定過程の中枢に座ることで、今回の外務省人事は対外的には従来の強硬路線の継続と映るだろう。日朝ピョンヤン宣言の調印以後、日朝関係は悪化する一方であり、局面の打開には人事の全面刷新という手もあったと思われるが、政権基盤の弱い福田政権はそれができなかった。

 今回の人事で何より問題なのは、斎木氏が6カ国協議の首席代表を兼任するアジア大洋州局長に起用されたことである。
 周知の通り、2002年10月のクアラルンプールでの日朝交渉で、当時アジア大洋州局参事官だった斎木氏は拉致問題で強硬な交渉姿勢を貫いて決裂に導き、テーブルを叩いたパフォーマンスで一躍ナショナリストのスターになった。「拉致被害者家族会」や「拉致被害者を救う会」の信望も厚く、同局審議官に昇進してからも対朝鮮外交を担当し、駐米公使転出の際も「家族会」「救う会」が抵抗したほどだった。外交官は交渉をまとめてこそ評価されるべきだが、交渉を決裂させて絶賛されるのは日本社会の未熟さのあらわれであろう(戦前、国際連盟脱退時の首席全権だった松岡洋右が称賛されたのと何ら変わっていない)。
 今も右翼勢力から「英雄」として絶賛される斎木氏の対朝外交復帰は、国内的には安倍退陣以降迷走するナショナリズムの再興に手を貸す愚策であり、政府の外交オプションを狭めるだろう。対外的には制裁継続と拉致問題優先の一国強硬路線をより強化すると受け取られるのは言うまでもない。

 福田首相は先の臨時国会における所信表明演説で「日朝国交正常化を図るべく、最大限の努力」を公約したが、この外務省人事では国交正常化に本気で取り組んでいるとはとうてい認められない。真剣に日朝関係の局面転換を考えているのならば、右翼勢力の過大な期待を背負わされて身動きのとれない斎木氏を6カ国協議の代表に送るようなまねはしないはずだ。
 当面心配なのは、アメリカ政府に切り捨てられて以来、政治的影響力の低下著しい「家族会」「救う会」が斎木氏の復帰を通して息を吹き返すことである。諸外国に対する差別・侮蔑意識丸出しで、非現実的で好戦的なオピニオンを繰り返す彼らの復活は何としても阻止したい。

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by mahounofuefuki | 2008-01-17 22:21