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福田内閣にもう怖いものなし!?~今年は医療費を狙い撃ち

 小泉内閣は堂々と「痛みを伴う改革」を掲げたが、これはいわば「これから庶民いじめを強化します」と宣言したも同然で、本来ならば政権への支持を失う自爆である。それにもかかわらず最後まで小泉内閣はこの国の多数派に支持された。その原因は「官」の「既得権益」という「敵」を仕立てることで、あたかも「痛み」を受ける対象が民衆ではなく、「官」であるかのように錯覚させたからで、しかも巧妙な小泉は人々がその錯覚から醒める前に退場した。

 一方、現在の福田内閣は「生活者重視」を掲げているが、小泉政権時代に定められた「歳出削減路線」と「庶民負担増路線」いうルートを一向に修正する気配がない。基礎年金の国庫負担率引き上げに伴い、その財源を増税によって捻出しようとしているのが「歳出削減路線」の修正と言えなくもないが、これも専ら増税対象を消費税に限定して「庶民負担増路線」の方はしっかりと続けている。表看板と実際の中身が相反するという点で、ある意味福田は小泉より卑怯で欺瞞的であると言えよう。

 昨日の経済財政諮問会議で今年の「骨太の方針」の骨子が確定し、社会保障費の自然増加分を毎年約2200億円削減する政策を今年も継続することが確認された。政府・与党内からももう社会保障費の抑制は無理という声が上がり、当の諮問会議でも厚生労働省側から従来の路線の限界が示唆されたほどだが、福田康夫首相は「社会保障も聖域ではない」と断言し、さらなる歳出削減を求める民間議員提案を支持した。引き続き「小泉の宿題」を淡々とこなす意思を改めて明確に示したのである。

 その民間議員提案は、おおむね医療費を狙い撃ちにしており、特に後発医療品の拡充や公立病院の統廃合や開業医の再診料見直しなどは、医療システムの不安定化・不公平化を促進する可能性が高い。また以前当ブログでも書いた雇用保険の国庫負担削減も明示された。厚生労働大臣が提案に対して「現実的ではない」と反論を行っているが、首相の発言から判断するに大枠では民間議員提案がそのまま「骨太の方針」に盛り込まれるだろう。

 今日の北海道新聞の世論調査では福田内閣支持率はついに14%にまで低下しているが、むしろここまで下落するともはや怖いものなしとも言える。もはや自民党は次期総選挙を福田で戦うことはない。福田は選挙を気にせず、衆議院の任期満了までやりたい放題できるのである。「ポスト福田」たちもこの際福田がすべて泥を被ってくれるのを望むだろう。財界にとってこれは願ってもない「好機」である。「財界立法」を次々と押し付けてくるだろう。

 参議院は野党が多数であるが、肝心の民主党が依然として「構造改革」路線に親和性を持っていて、それが最低賃金法改正や労働者派遣法改正などの問題に露呈している。与党にはいざとなればガソリン税の時のように衆院再議決という切り札がある。参院は内閣問責決議を可決するが、時機を逸したと言わざるをえない。何事もなかったように今国会は閉幕してしまうだろう。

 「敗戦処理」と侮っていた福田内閣だが、ある意味「最強」かもしれない。

【関連リンク】
平成20年会議結果 第14回会議 会議レポート:内閣府 経済財政諮問会議
http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2008/0610/report.html
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by mahounofuefuki | 2008-06-11 12:47

「無駄遣いがある限り増税はだめ」では消費税増税論に対抗できない

 政府の社会保障国民会議が基礎年金と消費税の応益に関する試算を発表したことにより、にわかに消費税増税反対論が活性化しているようだが、相変わらず右を見ても左を見ても「官僚や政治家が無駄遣いをしているのに増税は言語道断」という類の声ばかりで、正直なところ同じ消費税増税反対派としては失望している。

 現在の増税議論の直接の引き金は、来年度から基礎年金の国庫負担率が3分の1から2分の1に引き上げられることであり、少なくとも4兆円ほどの財源がすぐにでも必要である。議員の数を減らせ、公務員の給与を減らせと騒いでいる人々は、議員や公務員を叩けば数兆円レベルのカネが出てくると本気で信じているのだろうか。
 貧乏な野党議員が活動するにはある程度の歳費は確保されなければならない。公務員の給与削減はすぐに民間の賃下げを誘発する上に、人件費削減は行政サービスの低下と公務員の非正規化を招く。「天下り法人」の問題は「天下り」であって、「法人」そのものは多くが国営でやるべき仕事であることは何度も当ブログで指摘した。毎年歳出削減を続けるとどうなるか、すでに私たちは小泉以来の社会保障費抑制政策で学習したのではなかったか。
 私も宇宙基本法のエントリで宇宙開発を「無駄遣い」と断じたし、軍事費のような「本当の無駄遣い」を削減する必要性は再三指摘したが、現在世情に流布している「官僚や政治家の無駄遣い」論は単なる思い込みと嫉みで、しかもそんなものを正したところで年金の財源には到底足りない。

 ふだん小泉純一郎や橋下徹の歳出削減政策に熱狂している連中が「官僚や政治家の無駄遣い」を叫ぶのはある意味で筋が通っているが、郵政など公営事業の民営化に反対し、少数政党の議席を確保するために議員定数の削減に反対し、公務員を含む労働者の生存権を重視しているような人々までが「無駄遣いがある限り増税はだめ」と言うのは矛盾である。
 だいたい「無駄遣いがある限り消費税の増税はだめ」ということは、「無駄遣いがなければ消費税の増税も仕方ない」という意味である。私に言わせれば、「無駄遣い」があろうとなかろうと、再分配効果のないまま消費税を増税することなど到底容認できない。消費税に「無駄遣い」を対置している限り、それは「構造改革」論者の主張と何ら変わりはない。歳出削減を否定し福祉国家を目指すなら、消費税増税に対置すべきはちまちました「無駄遣い」の削減などではなく、大胆な直接税(所得税・法人税・相続税)の増税である。

 最大18%の消費税増税を示した社会保障国民会議の試算を「インチキ」と非難する向きもあるが(主に基礎年金全額税方式論者から)、試算そのものは間違っていない。間違っているのは増税対象を消費税だけに限定していることで、「増税が必要である」という結論は正しい。
 現在、基礎年金の給付総額は約19兆円だが、急速な高齢化の進行により、今後給付総額は毎年増加していく。この数年、毎年のように社会的弱者対象の社会保障給付を狙い撃ちにして削減したり、後期高齢者医療制度のような無茶な制度を導入したりして、その都度財源を捻出してきたが、そんな方法が著しく不正義であることは言うまでもない。政府・与党内からも歳出削減はもう限界であるという声が出ているのは当然で、もはや「歳出削減か、増税か」という二者択一から「庶民増税か、金持ち増税か」という二者択一に移行すべきである。

 社会保障国民会議の議論は財務省や厚生労働省の誘導で保険料制度の維持を目指しているのは明らかだが(だから今回の試算に与野党の保険料廃止派が激高した)、すでに国民年金保険料の未納・滞納率が実質4割に達し、ワーキングプアの多くが年金制度からはじかれている現状を考えれば、現行の超逆進的な保険料制度をそのままにはできない。
 経団連あたりが目論んでいる基礎年金を全額消費税で賄う案は、単に企業の保険料負担を廃止するだけのとんでもない代物で、とても容認できないが、少なくとも国民年金保険料の定額制の廃止やさらなる国庫負担率の引き上げは検討しなければならない。また保険料制度を廃止し、全額税方式に移行する場合、企業負担分廃止の代償は当然企業への増税でなければ不合理である。

 繰り返しになるが「消費税増税か歳出削減か」という枠組みから脱すること、はっきりと直接税の増税を主張することが消費税増税反対派に求められる。もう消費税増税反対論を「構造改革」に利用されるのはごめんである。
 なお当面必要な4兆円は、たとえば法人税率を現行の30%から1990年度までの37.5%に引き戻せば確保できる(しんぶん赤旗2008/05/21)。ただ「無駄遣いを減らせ」ではなく、はっきりと「法人税を7.5%引き上げろ」という方がずっと説得力がある。そこを見誤ってはならない。

【関連記事】
消費税増税問題リンク集
消費税増税の不当性
私の財政論に誤解があるようなので改めて説明

【関連リンク】
社会保障国民会議
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/syakaihosyoukokuminkaigi/index.html
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by mahounofuefuki | 2008-05-23 21:45

消費税増税の不当性

 日本経団連が基礎年金の全額税方式を打ち出したり、消費税=社会保障目的税論者の与謝野馨氏がやたらとメディアに露出したりするなど、いよいよ年金目的を口実にした消費税増税への動きは不可避の状況を迎えている。
 この問題は支配層において「消費税増税と大企業の負担の軽減」というゴールだけはとっくに決まっていて、あとはどうやって有権者を騙していくかという方法論の相違と、企業負担の軽減方法の相違(全額税方式にして企業の保険料負担を廃止するか、消費税増税で浮いた財源を法人税減税に使うか)があるにすぎない。与謝野氏は『週刊東洋経済』3月29日号で「法人税を低める圧力はあっても、税率を引き上げる理屈は見つからない」と断言しており、その点では竹中平蔵氏ら「上げ潮」派と全く変わらない。大企業の負担を庶民に転嫁するという点では完全一致しているのである。

 以前某所で、収入にかかわらず月額固定という超逆進的な国民年金の保険料を廃止して消費税に切り替えた方がましではないかという意見があったが、この見解は年収の14%強一律負担の(つまり定額ではない)厚生年金を考慮していないだけでなく、現在消費税の4割以上を地方に回していることや、消費税の使途が基礎年金だけではないことを失念しているという問題がある。実際、現在出ている年金=消費税論は「保険料を廃止して消費税で基礎年金すべてをまかなう」か「保険料を維持して国庫負担分(現行3分の1、来年度以降は2分の1)をすべて消費税でまかなう」かのどちらかである。
 昨年度の場合、地方消費税を除く消費税収が約10兆6000億円、うち地方へ回した分を除いて国に残ったのは約7兆5000億円。対して基礎年金給付総額は約19兆円、うち国庫負担は約6兆6000億円。しかもほかに老人医療に約4兆2000億円、介護に約1兆9000億円かかっていて、これらの主要な財源が消費税である。仮に消費税を10%にしても基礎年金を全額賄うことなどできない。無理に「基礎年金=消費税のみ」を断行すれば、よほどの大増税になるか年金以外の社会保障の歳出を削減することになりかねない。一方、現行の保険料を維持したまま、国庫負担分に消費税を充てる場合、逆進性が強化されるのは言うまでもない。

 そしてここが重要なのだが、増税しても1人当たりの給付は増えない。増税する一方で給付を増やす予定が全くないのである。ましてや現在年金保険料を支払えない貧困層にとっては、消費税増税はいわば「強制徴収」と同じ役割を果たす。それでいて貧困層は支払期間の不足により、受給年齢に達しても年金の給付を受けることができないか、雀の涙ほどの給付しか受けられない。非正規労働者の大半が高齢者になった時に生活保護受給者になると言われる所以である。
 保険料制度維持派も全額税方式派もこの問題について今のところ何ひとつ有効な方策を提示していない。たとえば加入履歴を無視して全員に年金給付を保障するというような案を出す気はさらさらないのである。そもそも年収200万円とか100万円の貧困層にとっては、消費税が1%引き上がるだけでも死活問題である。消費税増税は新たな「官製貧困」の拡大でしかない。

 現在の景気後退の主因は、原油や穀物の世界的な高騰に端を発した物価上昇によるコスト増だが、それを考慮すれば最大の景気対策は消費税の減税もしくは廃止である。法人税の減税では一部の企業にしか恩恵はないが、消費税の減税はすべての企業に波及し、家計にも恩恵がある。減税分は所得税の総合課税化及び累進強化と相続税の課税ベースの大幅拡大でいくらでもフォローできる。
 消費税問題の本質は、「大企業が応分に税負担」対「経済的・社会的弱者ほど重い負担」という対立である。しつこいようだが「歳出削減でも消費税増税でもなく、金持ち増税を」である。まずは「財源が消費税しかない」というウソを見破ること。

【関連記事】
消費税増税問題リンク集
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by mahounofuefuki | 2008-05-16 20:18

雇用保険の国庫負担全廃へ~社会保障費削減路線を続ける福田内閣

 福田内閣は口先では「生活者重視」とうそぶいているが、実際は後期高齢者医療制度を予定通り実施したことに端的に現れているように、依然として小泉以来の「強きを助け、弱きを挫く」政策を継続している。社会保障費の自然増分を毎年2200億円削減する路線を中止する気配は全くなく、庶民の生活維持のための支出を減らす一方で、さらに消費税増税による貧窮者のジェノサイドを目論んでさえいる。

 額賀福志郎財務大臣が今日の記者会見で、雇用保険の国庫負担を来年度から廃止する意向を表明したが、これは今年の社会保障費削減分を捻出するためで、一昨年から予定されていたことである。2006年の行政改革推進法は第23条で雇用保険の国庫負担について「廃止を含めて検討する」と定め、政府は昨年国庫負担額を55%に引き下げ、1810億円削減した。
 政府は国庫負担を削減する一方で、昨年雇用保険法を改悪し、「自己都合」の離職者の失業給付の受給資格を勤続6か月から1年に伸ばすなど、支出の抑制を図ってきた。そしてついに満を持して2009年度に国庫負担を全廃するというのである。

 政府は失業率が低下したことを国庫負担廃止の理由に挙げているが、今後失業率が再び上昇した時はどうするのか。だいたい雇用保険制度からはじかれた非正規労働者が増大している中で、すべての失業者が給付を受けられるような制度改正が求められているのに、国庫負担の廃止は完全に逆行する。
 派遣会社が雇用保険の適用申請を行っていなかったために、失業給付を受けられない日雇派遣労働者が大勢いる。雇用保険を必要とする人を切り捨てておいて、黒字だの剰余金だのうそぶくのは欺瞞である。これは行政の責任放棄と言わざるをえない。

 政府・与党内からも社会保障費抑制路線に対する不満や批判が出ているにもかかわらず、福田内閣は依然として「小泉が課した宿題」を淡々とこなしている。今年の「骨太の方針」も「構造改革」路線を継続することは間違いない。福田のやっていることは「官製貧困」の拡大である。決して許してはならない。

【関連記事】
生活保護基準引き下げは小泉が与えた「宿題」

【関連リンク】
社会保障予算 ~歳出削減と制度構築の在り方~ 厚生労働委員会調査室 秋葉大輔*PDF
http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/kounyu/20070202/20070202046.pdf
簡素で効率的な政府を実現するための行政改革の推進に関する法律 - 法令データ提供システム
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H18/H18HO047.html
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by mahounofuefuki | 2008-05-09 21:03

高まる「平等」「安定」志向~「勤労生活に関する調査」を読む

 労働政策研究・研修機構が「第5回勤労生活に関する調査」の結果を発表した。
 この調査は勤労生活に対する意識について、1999年から同一の調査法(訪問面接)と同一の質問項目で継続して行っていること、調査対象がすべての世代、就業形態(労働者だけでなく、経営者や自営業者なども含む)にわたっていることに特徴があり、ほぼ日本社会を構成する人々の縮図と言ってよい。今回の調査は2007年に行われた。
 詳細はweb上で公開された資料を参照していただきたいが(下記関連リンク参照)、私が注目するのは次の4点である。

「平等社会」への志向が高まった。
 今回の調査結果で何よりも注目すべきは、これからの日本が目指すべき社会についての問いで、初めて「貧富の差が少ない平等社会」がトップに躍り出て(43.2%)、「意欲や能力に応じ自由に競争できる社会」(31.1%)を抜いたことである。1999年から2004年までは一貫して「競争できる社会」がトップで4割を超えていただけに、この数年で人々が新自由主義イデオロギーに嫌気を持ち始めたことをはっきりと実証している。

「終身雇用」「年功賃金」への志向が高まった。
 日本型雇用慣行への問いでは、「終身雇用」への支持が初めて8割を超えた(86.1%)。「年功賃金」への支持も初めて7割を超え(71.7%)、旧来の年功序列賃金体系への郷愁が強いことを如実に示している。ここでも成果主義を重視するイデオロギーが完全否定されつつあることがわかる。
 また、キャリア形成に関する問いでも、1つの企業に長く勤めキャリアアップするルートへの支持が過去最高となり(49.0%)、「独立して仕事をするコース」への支持は過去最低となった(11.7%)。もはや誰もが起業できるという「夢」が単なる欺瞞にすぎないことに気づき始めていると言えよう。「夢追い」型から「安定・堅実」型への変化を読み取れる。

「自由になるカネ」と「自由になる時間」への欲求が高い。
 「終身雇用」「年功賃金」を志向する一方で、企業の福利厚生の充実よりも給与を増やして欲しいという見解は一貫して増え続けている(64.5%)。これはますます企業福祉への不信が高まっていることを示すが、おそらく国家の福祉への不信も高いだろう。「平等」「安定」を志向しつつも、公的な福祉給付への不信は依然として強く、それよりは給与を増やして欲しいと考える人々が多いようである。
 また、どのような時間を増やしたいかという問いでは、「趣味やレジャーなどの自由時間」「家庭生活に費やす時間」が多く、「ボランティアや町内会活動など社会活動」はかなり低い。ここでも「公的なもの」への忌避感は強く、自己の個人生活の充実を至上とする傾向が強いことが窺える。
 これらから導けるのは「自由になるカネ」「自由になる時間」への渇望である。北欧型福祉国家の大前提である「社会参加による高負担・高福祉」は現状では受け入れられる見込みが低いことがわかる。

職場の人間関係に苦労している。
 勤務先を選べるとしたら何を最も重視するかという問いでは、「職場の人間関係」がダントツで高く(31.7%)、「仕事と家庭生活の両立支援」(18.0%)、「賃金」(13.6%)よりも上位である。これは職場の人間関係に苦労している人々が多いことを示す。賃金や社会保障の問題とは異なり、職場の人間関係の悩みは正社員も非正社員も、あるいは管理職やもしかすると経営者も共通して抱えているとみられる以上、この問題はもっと社会問題として取り上げられてしかるべきである。

 今回の調査から改めて新自由主義による競争社会がもはや支持されていないことは明らかになった。人々の「安定」志向を簡単には止めることができないだろう。一方で、「公」への不信が強すぎて、福祉国家確立の前提条件も依然として存在しないことも読み取れる。大阪府知事選挙のように「公」への不信を前面に押し出した場合、実際の投票においては「安定」を志向しながら新自由主義を支持するという矛盾した行動をとる可能性が依然として強い。
 福祉国家を目指すにあたっては、いきなり「高負担・高福祉」を提示するのではなく、まず所得再分配により「自由になるカネ」へ、長時間労働の法的規制の強化により「自由になる時間」への欲求に応える必要があることを示唆している。消費税の社会保障目的税化などの議論では、新自由主義への対抗軸にならないことはここでも明らかだろう。

【関連リンク】
「第5回勤労生活に関する調査」結果*PDF
独立行政法人 労働政策研究・研修機構
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by mahounofuefuki | 2008-03-25 12:15

行政は市民が厄介になるために存在する

 私たちは「主権者」であって、「臣民」ではない。故に国家に対してさまざまな権利を行使するし、国家からは納税の見返りにさまざまなサービスを受ける。国家の存在価値は主権者が生存できるよう保障することにあり、「民」のために国家があるのであって、その逆ではない。
 イラク人質事件の際に、人質たちが「国家に迷惑をかけた」と非難した輩がたくさんいたが、そもそも国家とは主権者が「迷惑をかける」ものであり、その「迷惑」を快く受け入れない国家は責任を果たしていないのである。

 こんなことを書くのは、次のニュースを目にしたからである。毎日新聞(2008/03/12朝刊)より(太字強調は引用者による)。
 離婚後300日規定で「前夫の子」となるのを避け、無戸籍となった男児への児童手当などの支給に当たり、三重県亀山市が母親(37)に対し「前夫または現夫から異議が出た場合は市に迷惑をかけない」などとする「念書」を提出させていたことが分かった。無戸籍でも手当などを支給できると自治体に通知している厚生労働省は「書面を出さないから支給しないというなら問題」としている。

 母親は、家庭内暴力などを理由に前夫と離婚し、243日たった昨年7月16日に現夫との間の男児を出産。前夫を巻き込んでの裁判は困難なため、子供は今も無戸籍だ。

 書面は同30日付で「確認書」と題したA4判1枚。「児童の健康・福祉の観点からやむを得ず制度の資格認定の取り扱いをするもので、父親を仮定するものではありません」などと記し、受けられるサービスとして(1)亀山市国民健康保険制度(出産育児一時金35万円の支給など)(2)市乳幼児医療助成制度(生後4、10カ月での無料健康診断など)(3)児童手当支給制度(一定所得以下なら月1万円支給)を挙げている。

 そのうえで「市には一切ご迷惑はおかけいたしません。前夫または現夫より異議が出た場合、私の責任で処理をします」と記し、市の求めで署名・押印している。母親は「一時金などが受け取れなくなると思い、しぶしぶ交わした」と話す。(後略)
 「書面を出さないから支給しないというのなら問題」なのではなく、こんな念書を出させたことこそ問題である。市民が困っている時に何とかするのが行政の役割であり、それを「迷惑」と位置づけるのは、全く筋が通らない。「児童の健康・福祉の観点」を口にするのなら、「前夫または現夫より異議」があろうとなかろうと、市は自信をもって公的給付を行うべきである。だいたいそんな念書に法的根拠があるのか。

 私がこの問題に過敏になるのは、この国ではあまりにも「お上」に対する「臣民」意識(奴隷根性とも言ってよい)が強く、行政に負担をかけることをあたかも「罪悪」と感じる人が多いからだ。生活保護を受けると財政難の自治体に迷惑だとか、沈没した漁船の捜索に自衛隊を使うと「お国」に迷惑だとか、あまりにも権利に無自覚だ。
 行政は厄介をかけるために存在する。何でも「自己責任」で抱え込んで自滅するのではなく、行政の厄介になる方が正しい。

 このニュースの本筋は民法の「離婚後300日規定」だが、私は「戸籍を廃止して“個人籍”にしろ」という立場なので、当然無意味な削除すべき規定だと考えている。たとえ現行の戸籍制度を前提にしても、現代ではDNA鑑定で血縁関係は明らかになる以上、特例を容認するべきである。

【関連リンク】
戸籍法-法庫
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by mahounofuefuki | 2008-03-12 20:27

福祉国家派の消費税増税論と「北欧モデル」についての私見

 どうも最近、消費税増税を容認する福祉国家を推進する左翼系ブログが目につく。それらの議論はいずれも「高負担・高福祉」の「北欧」モデルの導入を想定している。スウェーデンは付加価値税25%だが、所得の平等度は高い。その事実が消費税増税と引き換えの社会保障給付の充実という政策思想の前提になっている。

 「北欧」モデルについては、今年に入ってから関係書籍を随時読んでいるのだが、知れば知るほど、日本と北欧諸国の「背負っている歴史」の違いを思い知らされる。スウェーデンでは早くも1910年代に社会民主党政権が成立している。2度の大戦にも中立を堅持した。一方、その頃の日本は戦争を繰り返し、社会主義は徹底的に弾圧された。90年以上、終始社会民主主義政党が第1党だった国と、保守政権が140年近く続く国を同列にはできない。
 スウェーデンで売上税(消費税に相当)が導入された時、すでに年金も児童手当も住宅支援も今の日本より充実していた。福祉国家が先にあった上で、消費税は後から導入されたのである。ところが日本では消費税を先に増税して、それを原資に福祉国家の実現を図ろうというのである。この違いは非常に大きい。

 こういうと例えば山口二郎氏(あるいは消費税増税派のブログ書き)あたりは、それではいつまでたっても福祉国家は実現しないと言うのだが、私に言わせれば、消費税増税で貧困層の生活が成り立たなくなることこそ、福祉国家の実現を阻害する。
 福祉国家が持続するためには、できるだけ多くの人々が税を負担しなければならない。そのためには、まず所得の平等度を高めることが必要であり、消費税は当面減税ないし廃止することが望ましいとさえ考える。

 消費税というのは、十分な所得再分配システムができてからならば、国家の構成員全員が負担しうる(人間は生きている限り必ず消費するため)という点で実は民主的な税であるが(国家に納税することで、国家に対する権利は明確になる)、再分配効果を高める政策が何一つ実施されていない現状では、逆進性の極めて高い消費税は完全に有害なのである。
 そして、ここが重要なのだが、国家による富の再分配効果は1年や2年というレベルではなく、2世代くらいの時間がなければ確かめることができない。「平等」とは動態的なものであり、個々人の全生涯を見なければならない。ある1年だけ取り出しても、社会の平等性が高いかどうかは本当のところはわからない。現在の雇用における正規・非正規間格差の問題も、ある時点では中には非正社員の方が正社員より手取り収入が多い場合があるが、生涯所得では大きな開きがある。実際に不平等を是正するには、長期間の取り組みが必要なのである。

 日本の現在の政治状況や社会構造を考えると、消費税を主体とした税制は50年以上先の課題である。今、消費税の引き上げをどんな目的であれ唱えるのは、結局のところ法人税減税の財源として消費税増税を目論む財界に利用されるだけだろう。
 しつこいようだが、必要なのは所得税の最高税率引き上げと累進回復と分離課税廃止、相続税の対象範囲拡大、法人税の復旧である。「歳出削減でもなく、消費税増税でもなく、金持ち増税を!」。貧困からの脱却にはそれしか道がない。

【関連記事】
消費税増税問題に関するリンク

【関連リンク】
消費税論議を吹き飛ばす、相続税改正の大きなパワー/SAFETY JAPAN[森永卓郎氏]/日経BP
森永卓郎氏による相続税改正論。相続額2000万円以上に100%の相続税をかけると国の歳入全てを賄えるという試算。現実的ではなく問題もあるが、財源は消費税以外にいくらでもあるという事実に注目してほしい。
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by mahounofuefuki | 2008-03-09 16:03

「年金一律救済」論と年金改革私論

 天木直人氏のブログ経由で知ったのだが、産経新聞の客員編集委員の花岡信昭氏が年金記録の審査基準緩和による「年金一律救済」を主張している。
 やはり「年金一律救済」が必要だ-MSN産経ニュース

 天木氏も指摘しているように、花岡氏の主張は福田政権の支持率回復のための建策で、しかも消費税を増税の上、年金財源とすることを前提にしているので、その点では経済財政諮問会議や自民党財革研と同じ欺瞞に満ちた「消費税の社会保障目的税化」議論だが、「年金一律救済」という結論だけは注目に値する。花岡氏と言えば、ネット右翼レベルのお粗末な言論で知られる人だが、今回の主張は彼にしてはまともであると言えよう。

 建前はともかく本音ではもう誰も年金記録の完全回復など信じていないだろう。5000万件もの不明記録を洗い出すコストも馬鹿にならない以上、できもしない作業を延々と続けるより、確実に年金を給付することを優先するべきだと私も考えている。はっきり言ってしまえば、現役時代の年金負担額に関わらず一定の年金を公的に保障するべきである。
 その場合、現役時代にきちんと年金保険料を払っていなかった人々にも年金を給付することに、保険料をきちんと払っていた人々からは不満の声が上がるだろう。
 しかし、その不満は実はおかしい。なぜなら年金制度とは積立貯金ではなく、あくまでも負担者はその時の受給者のために支払っているのであって、自分のために払っているわけではないからだ。

 現在の国民年金では所得に関わらず、保険料が定額である。その代わりに給付額も定額だが、実際は「支払期間」によって左右される。その結果、所得が低くて保険料を支払えず、不払い期間が多い人ほど、自身が給付を受ける時には給付額を削られる。
 つまり、現役時代に十分な所得がある(そういう人は貯蓄も多い)人ほど年金受給額が多く、現役時代に所得が低い(貯蓄もない)人ほど給付において不利なのである。いくら給付額が負担額と同様に定額であっても、「支払期間」に左右される限り、国民年金の再分配効果はほとんどないのである。
 厚生年金の場合も2階部分は生涯平均報酬に比例するので、豊かな人ほど給付額が多く、貧しい人ほど給付額が少ない。ここでも「弱者の排除」が行われている。

 現在の年金論議は専ら年金記録問題と財源問題に終始しているが、年金における最大の問題は4割以上にも上る未納者の存在である。
 特に我々「氷河期世代」の非正社員で未納・免除期間のない人は皆無だろう。アルバイトや日雇い派遣のような低賃金・不安定な雇用では、とてもではないが毎月1万4100円もの年金保険料など払えるはずもない。しかも今後10年間は毎年保険料の引き上げが決まっている。
 同世代の人々からはよく「年金制度からの離脱の自由」が欲しいという声を聞くが、そういう主張が出るのも当然だ。

 そうした現状を打開するためには、年金にも所得税制と同様「応能原則」を導入するべきである。負担は支払い能力に応じて課すのである。ついでに言えば給付においても受給時点の資産や収入によって増減することも検討してもよい。この立場に立てば消費税の社会保障目的税化などもってのほかである。消費税は逆進税だからだ。
 これは年金制度のパラダイム転換である。社会保険庁のホームページに「本来、健康で文化的な最低限度の生活は国民の自助努力によって達成されることが基本」と記載されているように、現行制度は要するに「自己責任」を前提としている。しかし、ここまで「貧困と格差」が拡大し、年金制度が空洞化している以上、旧来の「自己責任」では社会の持続可能性はない。思い切った発想の転換が必要だ。

 保険料制度で「応能原則」を導入するのは困難なので、税と年金の一体化が当然必要となるが、そのための具体的方策は残念ながら持ち合わせていない。その点では現実離れした与太話だという批判は甘受したいが、少なくとも方向性としては社会保障への「応能原則」導入は避けられないと考えている。それこそ真の「年金一律救済」だろう。

【関連記事】
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「金持ち増税」論は少数意見ではない~山口二郎・宮本太郎共同論文を読む

【関連リンク】
年金一律救済を主張する産経新聞の論説-[公式]天木直人のブログ
社会保険庁
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by mahounofuefuki | 2008-03-05 20:28

生活保護と生存権

 小泉政権の「構造改革」の本質は「強きを助け、弱きをくじく」ことにあったが、それが最も如実に表れているのは、「聖域なき歳出削減」をうたい文句に社会保障費を毎年2200億円削減するよう決めたことである。2002年度以降、毎年予算編成のたびに厚生労働省はこの「2200億円」(ただし02年度は3000億円削減)をどうにかして捻り出すことを政府から求められ、その都度給付を削減したり負担を増やしたりしてきた。
 この5年余りの間に国民年金や厚生年金や介護保険の保険料が引き上げられ、医療の自己負担比率が増える一方、年金給付額が引き下げられ、雇用保険や健康保険の国庫負担が削減され、生活保護の老齢加算や母子加算が段階的に廃止され、診療報酬や介護報酬が引き下げられた。特に高齢者、障害者、貧困者といった弱い立場の人々を狙い打ちにし、富裕層優遇の経済政策と合わせて「貧困と格差」を拡大させた。

 今年度予算編成でも当初厚生労働省は生活保護基準の引き下げを行う予定だったが、昨年心ある人々の猛抗議により先送りされた(ただし母子加算の段階的廃止は予定通り実施)。あくまで「先送り」なので、このまま「構造改革」路線が続けば、来年度予算編成で再び生活保護基準引き下げを提起してくるだろう。
 そのための布石としてか、このところ生活保護の不正受給に関するニュースがいやに大きく報道されている。特に北海道滝川市で暴力団関係者が生活保護費を約2億円も詐取していた事件は、生活保護行政への反発を呼び起こし、ひいては生活保護受給者への不信につながっている。政府・厚労省としては生活保護受給者への誹謗中傷は歓迎するところで、生活保護基準引き下げへの世論の支持を調達する思惑がある。

 一方、不正受給問題の陰で、マスメディアがさっぱり大きく取り上げないのが、生活保護受給者らによる「生存権裁判」である。生活保護の老齢加算や母子加算の廃止は、生存権の保証を定めた憲法第25条に違反するとして、高齢者やシングルマザーの女性らが国を訴えている訴訟で、現在北海道、青森、秋田、東京、新潟、京都、兵庫、広島、福岡の各都道府県でそれぞれ進行している。
 ただでさえ少なかった生活保護給付額から加算分を減額されたことにより、基本的な衣食住も賄えなくなった人々が続出している。また母子加算の廃止は、まともな収入を得られる就労機会が少ない「子持ち女性」の生活を圧迫すると同時に、母子家庭に育つ子どもの教育機会を奪い、貧困を再生産させる。「食事を1日1回に減らした」「葬式にも出られない」という叫びに耳を傾けねばならない。
 政府が生活保護基準の引き下げを準備する中で、この訴訟の帰趨は今後の社会保障政策全般に影響するだろう。決して見過ごすことはできない。

 日本国憲法第25条は第1項で「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」、第2項で「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と規定している。これに従い生活保護法は「最低限度の生活は、健康で文化的な生活水準を維持することができるものでなければならない」と定め、国に「国民」の生存権を保障する義務を負わせている。
 当然、国家の側は憲法や法律に従って、貧困者が生存し、社会参加できるよう支援しなければならない。ましてや現在の貧困の主たる原因は、政府の経済政策の失敗にあり、そのツケを支払う責務がある。「生存権裁判」は改めて憲法第25条の重みと国家の社会保障の意味を問うていると言えよう。

 生活保護問題に対しては相変わらず「自己責任論」が幅を利かせており、「生存権裁判」に対しても誹謗中傷が絶えない。貧窮な高齢者に対しては現役時代の「努力」が足りないからだと責め立てたり、子どもを塾に通わせたいという女性原告の言葉じりをとらえて、「塾通いが“最低限度”の生活か」という類の罵声を浴びせたりする。
 これらの輩は、現代社会では貧窮者の多くが生まれた時から貧窮者で教育機会にも就職機会にも恵まれなかったことや、日本の年金制度や医療保険制度が一定規模以上の企業の正社員を標準としているため、その「標準」から外れる人々には圧倒的に不利であることを無視している。「塾通い」云々についても子どもには貧困のスパイラルから抜け出して欲しいという親心を理解しなければならない。
 もっと深刻なのは生活保護を受給していない貧窮者からの受給者への攻撃だが、これも昨年当ブログで繰り返したように、生活保護受給額が非受給者の所得より多いことが問題なのではなく、非受給者が生活保護基準を下回っているのに生活保護を受給しない、あるいはさせないことこそ問題なのである。少なくとも私は貧困ライン以下で「我慢」させられる状態を「美徳」とは思わない。

 そもそも現代における貧困とは、単に食料がなくて肉体的な生存が危機に瀕しているという状態だけを指すのではない。それぞれの属する社会で当然とされる生活習慣や生活様式を維持することができない状態を貧困というのである。
 親族や友人が亡くなれば葬式に出なければならないし、葬式に出れば香典を上げなければならない。冷蔵庫や洗濯機や電気炊飯器は日本社会ではもはや最低必需品である。「健康で文化的な生活」とはまさに日本社会で「常識」とされる生活習慣や生活様式のことである。その観点からすれば現行の生活保護基準は決して高いとは言えない。

 生活保護と生存権の関係をめぐる問題は、特権的エリートを除いて誰しも貧困に陥る可能性を持っている以上、決して見過ごすことができないはずだ。少しでも関心を持ってほしい。

【関連リンク】
日本国憲法-法庫
生活保護法-法庫
全国生活と健康を守る会連合会 【生存権裁判】
生活保護問題対策全国会議
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by mahounofuefuki | 2008-03-01 15:32

ハローワークさらに削減へ~公務員減らしは行政サービスを悪化させるだけ

 この国では行政不信があまりにも深いため、「役所は小さければ小さいほどよい」という信仰が今も幅を利かせている。何かというと「民営化」「公務員削減」で、右も左も「行政改革」というと無条件で喜ぶ。昨年の独立行政法人「改革」の際も真っ向から反対した人が何人いたか。民営化=効率が上がるという「神話」が成立しないことは、すでに郵政民営化で学習済みである。
 「行革」の現実を如実に示すニュースがある。以下、日本経済新聞(2008/02/26 07:00)より(太字強調は引用者による)。
 厚生労働省は公共職業安定所(ハローワーク)を2008年度中に26カ所廃止する方針を決めた。廃止の内訳は安定所が8カ所、より規模の小さい出張所と分室が合わせて18カ所。また、16カ所を安定所から出張所に格下げする。ハローワークの数とともに職員の定員も減らし、人件費の削減につなげる。(後略)
 全国にハローワークは600か所以上あったが、小泉・安倍時代の2005-07年度に32か所が廃止された。そして「生活者重視」を掲げる福田政権になっても職安切り捨て路線を続けることが明らかになったのである。まさに看板に偽りありである。

 インターネットで求人を検索できるようになったため、職安の規模は縮小するべきであるという見方があるが、職安の仕事は職業紹介だけではない。企業側への行政指導や雇用保険業務や労働者からの相談に応じる仕事もある。「貧困と格差」が拡大し、有期雇用が増える中で、ハローワークの役割はかつてよりも重要になっている。
 ハローワークの削減は何より弱い立場にある人々のことを全く考慮していない。たとえば雇用保険による失業給付を受ける手続きを行うには、必ず職安へ足を運ばねばならない。削減されるエリアの失業者は今までよりも遠方の職安まで行かなければなくなる。交通費が支給されるわけでもないのに、とんだ理不尽な仕打ちだ。

 「行政の無駄を省く」という美名のもとで実際に進行しているのは、行政サービスの悪化である。主権者は行政のコスト削減を要求するのではなく、コストに見合った行政サービスの充実を要求するのが筋である。いいかげん公務員が少ないほどよいという「行革神話」から目を覚ましてほしい。

【関連リンク】
ハローワークインターネットサービス
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by mahounofuefuki | 2008-02-27 13:18