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「あいつらなら殺して構わない」という「空気」と「いつか来た道」

 厚生省(厚生労働省)の元事務次官らに対する殺傷事件の件。今日の新聞はどれも浦和の事件と中野の事件を同一犯による連続犯行と推定して、元厚生官僚を狙った「連続テロ」と報じているが、そもそも本当に「テロ」なのか、目的が何なのか現時点では何とも言えず、ましてや現在進行の犯罪となれば普段以上に警察発表に対するリテラシーが求められるところであり、発言を慎むべきかもしれない。しかし、どうしても述べておきたいことがある。

 犯人が何者で何を目的にしているのかは不明だが、厚生官僚とその家族が標的されたのは、一連の年金不安や相次ぐ不正に乗じたマスメディアによる「厚労省バッシング」が、厚生官僚を「攻撃してもよい公認の敵」に仕立てたことが影響しているのではないか、ということである。もちろん厚生省の年金制度設計や社会保険庁の不正は問題であり、ほかにも薬害問題や後期高齢者医療制度や生活保護抑圧などなど数えきれないほど矛盾を抱えていて、これをマスメディアが批判的に取り上げるのは当然で、むしろ私は批判を推奨しているくらいである。しかし、マスメディア、特に決定的な影響力のあるテレビのワイドショーや「政治バラエティ」番組はひたすら不安を煽り、官僚に人格的攻撃を浴びせるだけで、ただ大衆の鬱憤のはけ口を提供していたにすぎなかった。

 政治構造や制度に対する冷静な分析を無視して、単に「天下り官僚」を排除せよとか、「官から民へ」とか、公務員への嫉みを煽る言説が、キャリア官僚に対し「あいつらなら殺して構わない」と考えさせる「空気」を社会に醸成させているのではないか。以前、日朝首脳会談を実現させたと言われる外務省高官に対するテロがあった時に、東京都知事の石原慎太郎氏が「やられて当然」と言わんばかりにテロを擁護したが、あの時と同じ「論理」を高級官僚、特に厚生省に対し適用する者がいても不思議ではない。

 もう1点。前述のように実際のところは政治的テロなのかどうかは不明だが、「元高官の暗殺」という事態はどうしても1930年代に相次いだ右翼によるテロを彷彿とさせる。最近の「田母神問題」が戦前の軍部の政治介入と思想的偏向を彷彿とさせたことと併せて、嫌でも「いつか来た道」を意識せざるをえなくなる。過剰に過去の例を引き合いに出して社会不安を高めるのはかえって危険であるが、当時以来の世界恐慌が囁かれる中で、今後貧困と不安の拡大に対する鬱屈がますます暴力的に噴出する恐れはなきにしもあらずである。それが誤った方向で発揮されるのを危惧する。

 いまだよくわからない事件についてこれ以上語るのは控えたい。私は根がネガティヴなので、必要以上に事件に意味を与えてしまうのだが、少なくともバッシングが人々の悪意を高めていることは改めて強調しておきたい。
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by mahounofuefuki | 2008-11-19 17:23

「羞恥や不安を与えるまなざし」をめぐって

 買い物中の女性の臀部をカメラ付き携帯電話で撮影した男が、迷惑防止条例違反に問われていた裁判で、最高裁は被告の上告を棄却し、有罪判決が確定するという。共同通信(2008/11/13 12:38)より。
(前略) 被告側は「条例で禁じられる『みだらな言動』の内容が不明確」と主張したが、藤田宙靖裁判長は「社会通念上、性的道義観念に反する下品でみだらな言動と解釈できる。ズボンの上からの撮影でも被害者が気付けば恥ずかしがり、不安を覚える行為で、条例違反は明白だ」と指摘した。(後略)

 なお5人の裁判中、1人は「のぞき見」などとは「全く質的に異なる」、撮られた写真は「卑猥」な印象はないと判断して、無罪判決を求める少数意見を出したという(朝日新聞2008/11/13 11:10)。

 この訴訟ではズボン姿でも撮影が「みだらな言動」「卑猥な動作」なのかどうかが争点だったわけだが、それ以前に、見ず知らずの人を背後から無断で「約5分間、約40メートルにわたり付け狙い」(共同、同前)撮影するという時点で、被写体が着衣だったか、スカートだったか、あるいは身体のどこを映したのかにかかわらず、すでに被写対象の人格を損ねる行為とみなさざるをえず、条令が定める「みだらな言動」だったかどうかは別として、道義的に問題のある行為だったことは確かだ。法的な合理性の是非は留保したいが、心情的には「そりゃまずいだろう」というところである。

 ところで今回の判決は、報道を読む限りでは「被害者が気付けば恥ずかしがり、不安を覚える行為」だから有罪だという論理展開のようだが、これに従えば、たとえば「監視カメラ」はどうなるのだろう。時と場合によっては街中・建造物中あちこちに散在する「監視カメラ」も同様の問題を抱えているのではないか。

 今回の事件は、撮る側の「まなざし」や「動作」に対し、撮られる側が羞恥と不安を感じたことが問題なので、それ自体は「まなざし」を発しない「監視カメラ」には今回の判例は適用できないのかもしれない。しかし、そのカメラが誰かに遠隔操作されていたり、撮影後に誰かが映像をチェックして偶然「卑猥」とみなせる映像があるなどで、いわば被写対象には可視化されない「性的なまなざし」があった場合はどうなるか。判決は「被害者が気付けば」と断っているので、要は被写対象が気付かなければ問題にはならないとも読み取れる。しかし、それが倫理的によいのか?と頭を抱えざるをえない。

 問題は「表現の自由」やプライバシーの保護と関係しているだけに非常にデリケートであり、こうすべきだ!という明快な結論は私には全然出せないが、今回の最高裁判決は期せずして氾濫する「監視カメラ」の危険性について考える材料を提供しているのではないか。

 もう1点。今回の件が有罪となると、よく新聞やテレビのニュースで恣意的に「若い女性」や「肌の露出の多い女性」ばかり撮っているのはどうなるのだろう。海水浴の報道では必ずと言っていいほど映るのは若い水着姿の女性である。台風の時にはこれまた必ずと言っていいほど短めのスカートを必死に抑える若い女性(たいていは女子中高生)が映る。最近もたまたま某私立大学の学生が大麻所持で逮捕されたというテレビニュースを見ていたら、資料映像としてミニスカート姿の女子学生が歩く様子を脚部だけ十数秒にわたって映していたのに出くわした。これらにエロティシズムを感じるのは、言うまでもなく既存の「男らしさ」に拘束された私の視線に起因するが、撮影者やその種の写真・映像を使用した関係者も同様の視線を持っていることは間違いない。これらが無断撮影で、かつ被写対象が羞恥や不安を覚えたなら、やはり有罪になるのではないだろうか。

 小さなニュースだが、いろいろな問題を考える素材になると言えよう。
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by mahounofuefuki | 2008-11-13 22:47

「造反有理」

 東京で27歳の男が派遣会社「インテリジェンス」に「殺害予告」のメールを送ったとされる件。賢明な読者なら当ブログの過去ログから私の言いたいことは容易に推測できるだろうから、多くは語るまい。

 「『日雇い』禁止に反対しているようだがてめぇじゃ絶対働かないシステムだろ?一度そこまで行った人がどうやって立ち直って飯食っていくんだ?」(毎日新聞2008/08/19 13:24)までだったら喝采ものだったのに。あと派遣会社だけでなく、派遣先の企業にも言及していたら良かったのだが。

 いずれにせよ、本当に特定の標的を狙う気があったら「予告」などしないのもまた事実。

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by mahounofuefuki | 2008-08-19 17:59

同調圧力、「他者」の好奇のまなざし、そして「『自殺的』他殺」

 捜査中の事件報道というのはほぼ警察発表がソースで、特に留置・拘置中の容疑者の「供述」の取り扱いは注意を要するので安易に取り上げたくはないのだが、先月埼玉県で女子中学生が父親を殺害した事件で伝えられる話がどうしても気になったので、あえて取り上げる。

 当初、この中学生は父親が母親と弟を殺す夢を見たので殺そうと思ったと「供述」したと伝えられていたのだが、昨日になってそれは作為で、実は父親だけでなく、母親と弟も殺害した上で自殺するつもりだったと「供述」を変化させているという。
 「すべてがいやになった。特に人間関係に疲れ、家族(全員)を殺して自分も死のうと思った」(読売新聞2008/08/03 03:12)、「人に気を使って生きるのに疲れた」(朝日新聞2008/08/03 03:01)と述べ、さらに動機を作為した理由について「自殺すると残った家族が周囲から冷たい目で見られるので、みんな死ぬほうがいいと思った」(毎日新聞2008/08/03朝刊)と語っているという。
 要するに「娘による父殺し」という精神分析家好みの家庭内殺人ではなく、子どもによる一家心中未遂だった可能性が出てきたのである。

 私が思ったのは、15歳で「人に気を使って生きる」ことを悩まねばならない社会とはいったいなんなんだろう?ということである。自分の過去を振り返っても、そんな年頃に果たして他人に気を使っていたかと問われれば、否と答えるほかない。「子ども社会」ならではの人間関係の悩みは当然あったが、彼女の言葉には単なる「悩み」を超えた、人間関係のちょっとした失敗が自己の尊厳を完全に失ってしまうような「恐怖」が読み取れる。どこかで子どもが「教室は地雷原」と喩えていたのを読んだ記憶があるが、「子ども社会」における対人コミュニケーション能力の絶対化を伴った同調圧力はそれほどひどい状態にあるのだろう。

 大澤真幸氏は『不可能性の時代』(岩波書店、2008年)の中で、携帯メール時代には「家族のような親密な関係を食い破って、外部の〈他者〉と直接性の高い関係を結ぼうとする欲望」が生じると指摘しているが、その傾向は若い世代ほど顕著だろう。一方で彼女のようにそのような「直接性の高い関係」に疲れた者はどうすればよいのか。「自分と自分の愛する者が消えてゲームオーバー」以外の行き先を大人たちは提示しているとは言い難い。

 何より「子ども社会」は「大人社会」を反映している。それは彼女が当初虚偽の「供述」をした理由にも現れている。「残った家族が周囲から冷たい目で見られる」ということへの恐れは、まさに日本社会にける「異物」を排除しようとする同調圧力と「異物」への好奇の視線を下敷きにしている。彼女は同調圧力に苦しんで死を決意し、「他者」の好奇のまなざしを恐れて家族を殺そうとしたが、父親のみの殺害に終わり(つまり「失敗」し)、さらになお残された家族が社会から傷つけられるのを恐れて動機を糊塗する。そのナイーヴさはあまりにも痛々しい。

 彼女の思考は決して肥大した被害妄想とは言えない。実際、「被害者」や「加害者」や「自殺者」や、あるいは「障害者」や「外国人」といった「われわれ」とは違う、もっとひどい言い方をすれば「普通」ではない、「異種」の「属性」を付与された者に対する、この国の大衆の扱いは非常に冷たく厳しい。「異種」の烙印を押される者にとって、まさに「他者」は「自己」をひどく傷つけるものとして立ちはだかる場合があり得るのである。

 以前、自殺者の増加の件で、「『空気を読め』とか『日本人の誇りを持て』というような帰属意識を強要する社会風潮、あるいは『死んでお詫びする』とか『名誉の戦死』のような『死』そのものを特権化・美化する文化も、追い詰められた時に行き場を失わせ、自殺でしか自己の存在理由を守れないと考えさせる要因になっている」と述べたが、これは自殺のみならず、今回のような「『自殺的』他殺」とでも言うべき状況にも適応しうるだろう。他方で、帰属意識とか同調圧力とか「死」の特権化といったレベルを超えた「何か」がさらに隠されているような気もしている。

 この社会は病んでいる。しかし、その確実な処方箋は未だ見つかっていない。

【関連記事】
「無間地獄」と「死」の二者択一から逃れるために
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by mahounofuefuki | 2008-08-03 23:15

教員採用・人事汚職の背景

 大分県の教員採用をめぐる汚職がにわかにクローズアップされている。新規教員の採用や管理職への昇格など県教委所管の人事において、教育委員会幹部や学校管理職らとの間に金品の贈収賄や口利きが常態化していたことが明らかになりつつある。県議会議員の口利きも表面化し、もはや問題は底なしに拡大している。

 教員や公務員の採用をめぐっては、特に地方に行けば行くほど「縁故採用」の噂が従来から絶えなかった。詳細は私にも実生活上の立場があるので述べられないが、地方の教員採用・異動でいくつか縁故優遇の具体的な疑惑を実際に見聞きしたこともある。私が大学時代、周りの教員採用試験合格者に小学校や中学校の校長の子弟が少なくなかったという事実もある。今回の大分県の場合はやり方があまりにも露骨で異常と言うしかないが、ここまで露骨ではない方法での口利きや工作は全国どこでも行われているのは間違いない。

 元来、地方の小中学校の教員採用は、ほぼ地元の旧師範学校系の教員養成大学出身者で固められていた。大学の教員養成課程を出ればまず間違いなく地元の教員に採用されていた時代は、受験の競争率も低く、採用過程では不正が行われる可能性は低かった(ただし臨時採用や非常勤講師の採用で縁故がモノを言ったり、採用後の人事をめぐり人事権をもつ校長が縁故者を優遇したことはあったと思われる)。

 しかし、少子化と学校統廃合の拡大による教員採用数の抑制と、長期不況による民間の就職難により、一般大学出身の志願者や地元以外からの越境受験者が増加して競争率が上がると、縁故を頼る傾向が高まった。実力主義を前提とする競争原理が強くなるほど、むしろコネの威力が発揮されるという新自由主義のパラドックスはここでも現れたのである。

 一方、教育行政の構造的な歪みも見逃せない。都道府県や市町村の教育委員は一応議会同意人事であるがほとんど仕事をしておらず、実際は都道府県庁や市町村役場の行政マンや文部科学省からの出向官僚から起用される教育長が教育行政の実権を握っている。教育長は都道府県の場合、知事・副知事・出納長に次ぐ幹部であることが多く、教育委員会は自治体の行政機構の枠内に組み込まれている。

 かつてGHQの占領改革で地方の教育委員会は民選となり、文部省や自治体からの独立を担保されていたが、「逆コース」下の1956年に地方教育行政組織法が施行されて以降は、文部大臣を頂点とする上意下達の命令系統が整備され、教委は独立性を失った。その結果、教委幹部の官僚化が進み、同時に政府や自治体からの介入や議員の口利きに対する耐性も弱まった。

 もう1点、不正の温床として、教職員組合の弱体化も挙げなければならない。教育委員会や管理職と強力な教職員組合が緊張感のある対抗関係を保っていれば、相互に不正に対する抑止機能や監視機能が働くが、周知の通り現在の組合は組織率が低下する一方で、教育行政の抑圧に対する抵抗力はほとんどなくなってしまっている。近年は末端の教員に至るまで上意下達の命令系統に組み込まれており、「日の丸」「君が代」を踏み絵とした教員統制も強まっている。実は教委幹部や管理職の子弟の縁故採用には組合弱体化策としての機能があり(縁故採用者は教委にとって「安全分子」であり、さらには「管理職予備軍」となる)、その点でも教育行政の構造的な歪みは深刻である。

 いずれにせよ大分県はもちろん、他の都道府県も含めこの際は膿を出し切り、抜本的な是正策を行う必要あるのは言うまでもない。こういう事態が起きると、単に教育関係者の地位を貶めて、厳罰を与えることに自己満足したり、民営化万能論でかえって教育行政の非合理を進めたりしがちだが、これまで述べたように問題の本質は、教員採用試験の競争率の異常な高さと教育委員会の独立性の剥奪と教職員組合の弱体化にある。つまり、問題の解決には、教員資格取得の厳格化や試験選抜方法の改善、教育委員会の独立性回復、教職員組合の復活が必要である。特に組合は今や大衆の「公認の敵」扱いだが、大衆がバッシングで組合の弱体化に加担したことが不正の原因の1つになっていることを、きちんと理解してほしい。

【関連リンク】
地方教育行政の組織及び運営に関する法律 - 法令データ提供システム
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S31/S31HO162.html
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by mahounofuefuki | 2008-07-09 17:40

朝日新聞が「あすの会」に謝罪する必要はない

 朝日新聞2008年6月18日付夕刊「素粒子」が、「永世死刑執行人 鳩山法相。『自信と責任』に胸を張り、2か月間隔でゴールサイン出して新記録達成。またの名を、死に神」と記述したことに対し、「全国犯罪被害者の会」(「あすの会」)が朝日新聞社に抗議の上、公開質問状を提出していた問題で、朝日側が「厳粛に受け止める」という趣旨の回答を行っていたことが報じられた。

 一連の「死に神」問題に対しては、いつもの「朝日たたき」(もはやかの新聞には何の権威もないのに、いまだに朝日を中傷することでしか自己の存在意義を確認できない情けない輩が大勢いる)の一環で、ネット遊民の「ネタ」(それもかなり不謹慎な)以上でも以下でもなく、私は全くフォローしていなかったが、「あすの会」の抗議とそれに対する朝日の回答については、重大な問題をはらんでいるので問題とせざるをえない。

 問題の朝日の記事は一言も「犯罪被害者」に触れておらず、鳩山氏による「大量処刑」への揶揄はあっても、死刑制度や死刑執行自体への賛否すら読みとれない。質問状では「本記事は、法務大臣だけでなく、死刑求刑した検察官、死刑判決した裁判官、執行に関与した関係者等すべてを侮辱するもの」と決めつけているが、どうしてそんな解釈になるのか全く理解できない。

 鳩山氏が「死に神」と呼ばれたことに抗議するのは正当性があるが(ただし私は「死に神」が中傷だとは思わないが)、「あすの会」や犯罪被害者を侮辱したり、彼らの活動を否定するような文言が全くない以上、「あすの会」の抗議は私には単なる言いがかりにしか思えないのである。

 当然、朝日は「記事はあなた方について一切触れておらず、抗議を受けるいわれも、質問に答える必要もない」と回答して構わないのだが、社会の「空気」に敏感にならざるをえない商業新聞らしく、実際は「(被害者の)お気持ちに思いが至らなかった」「ご批判を厳粛に受け止め」(朝日新聞2008/07/02 03:14)などとピントの外れた回答をしてしまった。これではまるで、やってもいないことで謝っているようなものだ。

 犯罪被害者(正確には「被害者」ではなく「被害者の遺族」がほとんどだが)だからと言って、その考えがすべて正しいわけではない。この国では国家や企業の不法に異議申し立てをする被害者はむしろバッシングの対象になる一方、国家の暴力装置と同一化したがる「タカ派」的な「被害者」は過剰なまでに「英雄」扱いされる傾向がある。近年の「あすの会」は死刑制度に批判的ないし懐疑的な被害者を排除するなど政治性を強めている。今回の件も死刑に対する異論を一切認めないという専制的な同調圧力の匂いがする。

 共同通信(2008/07/02 16:25)によれば、「あすの会」は今回の回答に満足せず、再度抗議書を送るそうだが、この国の熱しやすく冷めやすい「空気」を恃んで無理をしすぎると、かえって傷を負うことになるのではないかと心配している。一方、朝日新聞はあまり弱腰にならず毅然と対応した方が長期的には得策である。世論のマジョリティーはなにしろ「毅然」が大好きなのだから。


《追記 2008/07/04》

 この問題に関してネット上では、法務大臣として刑事訴訟法に基づいた職務を遂行しているだけの鳩山氏への批判はおかしい、という意見があるそうだが、噴飯ものである。光市母子殺害事件の弁護団も「法律に基づいた職務を遂行しているだけ」だったのに、雨あられのような非難を浴びた。今回「素粒子」を批判している連中はほとんどが光市事件で弁護団バッシングに加担していた者たちだが、この矛盾をどう捉えているのだろうか。

 この国のマジョリティーは「安心して攻撃できる“公認の敵”」を求め、それらに苦役を与えることが「自己の救済」だと錯覚している。「被害者」に共鳴しているようで、実際は国家がお墨付きを与えた「敵」をいたぶることに快楽を見出しているにすぎない。改めて日本社会の病理の深さを痛感した次第である。


《追記 2008/08/01》

 結局、朝日新聞は「あすの会」に事実上謝罪したらしい。「被害者」をだしに凶暴化した大衆のバッシングに屈したと言えよう。鳩山氏にならともかく、なぜ関係のない「あすの会」に謝罪する必要があるのか。朝日の腰の弱さと同時に、やってもいないことを謝罪させられるこの国の現況に暗澹たる気分にさせられる。

【関連リンク】
【朝日新聞社に公開質問状提出】- 全国犯罪被害者の会 NAVS
http://www.navs.jp/2008_6_25.html
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by mahounofuefuki | 2008-07-02 22:23

本当に暗殺したかったらネットに「予告」などしない

 大阪府の橋下徹知事の「暗殺予告」をネット上で書き込んだ容疑で東京の会社員が逮捕された件。

 近代日本においては幕末の「桜田門外の変」(井伊直弼の暗殺)以来、政治指導者に対する暗殺が非常に多く、近年も長崎市長の伊藤一長氏が射殺された事件が記憶に新しいが、「成功した」暗殺というのは、総じて日本社会を危険な道に導こうとする輩によるものばかりである。いや正確には暗殺によって危険な道への抑制が失われたというべきか。

 明治維新期の横井小楠、広沢真臣、大久保利通、森有礼らの暗殺犯はいずれも復古的・国粋的立場であって、「近代化推進派による暗殺」は皆無だった。原敬や山本宣治や浜口雄幸を暗殺したのも狂信的ナショナリストだった。戦後の暗殺・暗殺未遂事件もすべて「右翼」系統の仕業である。「左翼」系統のテロは一般に「階級」や「組織」を対象とするため、個人をねらった「暗殺」という手法は本来とられない。そもそも暗殺というもの自体が日本では極めて右翼的な現象なのである。

 それ故に王道(?)に反した「左」による暗殺計画は「成功」したためしがない。「大逆事件」として知られる明治天皇暗殺計画はあまりにも稚拙な上に、何よりよく知られているように幸徳秋水ら被告のほとんどが冤罪であった。「虎ノ門事件」として知られる昭和天皇(事件当時は皇太子)狙撃未遂事件も「失敗」だった。戦後は極左過激派が警察関係者個人を狙った殺傷テロを起こしたことがあるが、政治家個人の殺害に「成功」したことがない。

 容疑者は「府の財政再建案に反感を持っていた」(毎日新聞2008/06/22 20:10)と言っているようだが、それだけではどのような政治的立場なのかわからない。ただし、本当に暗殺を「成功」させたかったらネットに「予告」などしない。「橋下を暗殺できたらいいな」という妄想が肥大化したというところだろう。もし実際に暗殺を実行するための「具体的な準備」を行っていないのならば、単なるいたずらで起訴するに値しない。橋下氏は知事になる前にもネットで脅迫されたことがあったが、結局何もなかった。

 今回のような事件で大衆の耳目を集めれば集めるほどポピュリストには有利に働く。橋下氏は「被害者」を演じることで、敵対する勢力を「悪役」に仕立て、無知な人々のルサンチマンを「悪役」に振り向けるのが得意な御仁である。暗殺対象ともなればますます彼の思うつぼだろう。それだけにこのような幼稚ないたずらは非常に残念である。
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by mahounofuefuki | 2008-06-22 22:45

世論の矛盾~「空気」に惑わされるな

 常々思うのだが、この国の大衆世論というのは一貫性を欠いている。

 社会保障費の抑制を継続すべきかと問われれば、大半の人々がノーと答えるが、他方で「無駄遣い」を減らせという叫びには同調し、社会保障費の削減を許容してきた。それでいて「本当の無駄遣い」である軍事費に対してはダンマリを決め込む。支配層にとっての「無駄」とは「社会保障」のことだといいかげん気づかないのか(金持ちの立場からすれば「なんで俺が稼いだ富を貧民どもに回さなければならないのだ!社会保障は無駄だ!」となる。労働者を搾取したり消費者を騙しても「俺の稼ぎ」なのが欺瞞だが)。政治用語としての「無駄遣いを減らす」とは、「庶民の生活維持のための支出を減らす」という意味である。

 あるいは次の例。社会保障の充実や福祉国家の実現を目指す人々でも、「特殊法人を全廃しろ!」と叫ぶ場合が多い。小泉政権の「改革」でほとんどの特殊法人が独立行政法人に代わり、多くは「非公務員型」で「市場化テスト」にさらされているが、残った国民生活金融公庫や中小企業金融公庫なども近く日本政策金融公庫に統廃合される。まさに大衆のご期待通りになったのだが、統廃合の最初の直接の影響が何だか知っているのだろうか。

 それは国民生活金融公庫の教育ローン貸し出しの所得上限切り下げである。今回の統廃合により教育ローン利用の資格制限が強化されるのである。奨学金事業の方も「無駄遣い」の名の下に縮小させられつつある中で、ますます家計の教育費負担は増大するだろう。独法も廃止しろと呼号していた左翼ジャーナリストが以前いたが、それは「奨学金を廃止しろ」と同義だとわかっているのだろうか。

 「無駄遣い」をなくせ、公務員を減らせ、天下りをつぶせと普段叫んでいるくせに、これが捕鯨問題となると一転して典型的な天下り公益法人である日本鯨類研究所を擁護して、「捕鯨利権」を暴こうとしたグリーンピースをバッシングする。検察が「喧嘩両成敗」にしたならばともかく、グリーンピースの方だけを逮捕し、西濃運輸の横領容疑の方は不問というのは、あまりにも露骨な政治的判断である。サミットを前に国際的な反グローバル化運動を牽制しようとしているのが見え透く。

 あるいは、秋葉原事件の場合。私の予想以上に容疑者への同調ないし同情意見が多い。それは彼が「派遣社員」という弱者で、理不尽な雇用待遇を受けていたことに、同じような境遇の人々が支持を与えているからだが、それならばなぜやはり社会的弱者が引き起こした光市母子殺害事件ではあれほど犯人がバッシングされたのか。見方によっては光市事件は、虐待を受け深い「心の傷」を負ってまともな職につけない「負け組」による、一流大学を出て大手企業のエリート正社員となり家庭にも恵まれた「勝ち組」への復讐劇である。殺害対象が無差別だった「秋葉原」よりも、「光市」の方がよほど階級闘争的である。「光市」と「秋葉原」の落差が私には不可解だ。

 こうした矛盾の原因は一貫した思想や倫理ではなく、その時々の「空気」が価値判断の基準になってしまっているからだろうが、こんなことを繰り返していては結局のところ自分の首を絞めることになる。国家や巨大企業やマスメディアが流布する「イメージ」を冷静に受け流す術を誰もが身に付ける必要がある。
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by mahounofuefuki | 2008-06-21 15:59

鳩山邦夫の愚行は「秋葉原事件の結果としての宮崎勤の死」という「物語」を形成した

 法務省は今日3人の死刑囚に対し死刑を執行したが、その中の1人が連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤死刑囚(私は基本的にブログでは一般人の実名を書かないようにしているが、死亡した以上もはや匿名にする意味はないので実名をあげる)だったことは、結果として先日の秋葉原での連続殺人事件に、正確にはその事件を引き起こした容疑者(本稿では以下「K」と呼称する)に特別の「意味」を付与してしまった愚行と言わざるをえない。

 鳩山法相やそれに追随する法務官僚の意図は不明だが、結果として「おたく」の犯罪者の嚆矢とされる宮崎の処刑が、「おたく」の街=秋葉原で起こされた事件に対する政府のリアクションとして位置づけられる可能性を形成してしまった。要するに政府は秋葉原事件を「おたく」にかかわる犯罪とみなし、「おたく」犯罪の祖である宮崎を「みせしめ」的に犠牲にした、というストーリーが成立してしまうのである。

 鳩山法相下ではほぼ2カ月に1度のハイペースで死刑執行が繰り返されており、実際には宮崎の処刑決定も秋葉原事件より前に行われたかもしれないが(私はその可能性が高いと考えているが)、そうであっても秋葉原事件があったにもかかわらず、「予定」通り宮崎を血祭りにあげることで、本来まったく無関係の2つの事件に関係性を与えてしまった。Kの犯罪の結果としての宮崎の処刑という「作られた因果」は、Kと宮崎とが歴史的に等価交換の可能な存在であると公認したも同然である。その政治的効果は、Kを「異常犯罪者の系譜」に組み込むことで、事件の引き金になった派遣労働の非人道性を見えなくさせると同時に(ただし私は以前も述べたように秋葉原事件を雇用問題だけに一元化する見方には否定的である)、「おたく」=「犯罪」という錯覚を広げることである。

 今回と類似の事例は過去にもあった。1997年の神戸連続児童殺傷事件である。「酒鬼薔薇聖斗」を自称した容疑者が逮捕されたのは同年6月28日。その1か月余り後の8月1日、連続ピストル射殺事件で死刑判決が確定していた永山則夫死刑囚に対し死刑が執行された。事件の原因も質も異なる永山と「酒鬼薔薇」には「犯行時に未成年」という共通点があった。当時永山の処刑は、犯行時14歳で通常の裁判で裁けない「酒鬼薔薇」の「身代わり」として「生贄」を求める大衆の欲求に従ったのではないかという説がささやかれた。その当否は私にはわからないが、問題は法務大臣の意図に関わらず、残された「結果」は「少年犯罪」に対する「報復」(ただしその「報復」を求める人々には本来「報復の資格」はない)を国家が代行したという意味を持ってしまったことにある。

 今回の場合は「おたくの犯罪」に対する「報復」を国家が代行することで、「生贄」を求める大衆の欲望に応えたと言えるのではないか。Kが果たして本当に「おたく」と言えるのかどうか議論が分かれているにもかかわらず、法務省は強引に「職場に不満を持つ派遣社員の犯罪」から「異常な精神をもつおたくの犯罪」に価値転換を行ってしまった。私自身は再三述べているように、雇用問題は秋葉原事件の重要なピースではあるが「すべて」ではないとみている。依然として「謎」が残る中で、思考停止のような「回答」を法務省が示したことに深い怒りを感じざるをえない。

 鳩山法相の愚行の結果、Kは「犯罪者の格」として宮崎勤と「同格」になってしまった。私は以前、Kはダークヒーローになり損ねたと指摘したが、国家の側が図らずもKを「宮崎を生贄にするだけの価値がある」と烙印を押してしまった。宮崎の場合、事件後の知識人たちの「語り」が彼をある意味で歴史的存在に押し上げてしまったが、今後宮崎を語る時には鳩山によって彼の「死」と関係づけられた「秋葉原のK」のことが必ず連想されるだろう。Kは「特別」になってしまった。ダークヒーローKがどのような効果を社会に与えるかは私には未知の領域である。

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by mahounofuefuki | 2008-06-17 16:57

日雇派遣禁止方針と秋葉原事件に因果関係はない

 「陰謀論」の本質は、実際には因果関係のないものに因果関係があるのでは?と勝手に類推することだと思っている。これには「左」であるか「右」であるか、あるいは拠って立つ思想が何であるかは全く関係ない。たとえばかつて幕末の孝明天皇の死に対して「毒殺説」が有力だった。「毒殺説」を採っていた研究者にはマルクス主義系の人もいた。原口清氏の詳細な研究が「毒殺説」を論破してからは「病死」が通説になっているが、これなど「科学的」であろうとしても「陰謀論」に絡めとられた実例である。

 かくいう私も安倍晋三首相が退陣した時、アメリカに引導を渡されたのかという疑いを書いた前歴があるので、偉そうなことは言えないのだが、不透明なことがあると「○○の謀略」とか「○○の陰謀」と考えてしまう思考様式は常に自省せねばなるまい。世の中には確かに「本当の陰謀」もあるのだが、因果関係を見出せないものを、無理に関係があるように錯覚することは厳に慎みたい。

 厚生労働省が日雇派遣の原則禁止を打ち出した件について、秋葉原の事件の影響を疑い、真っ当な政治運動をチマチマとやるよりも、インパクトのあるテロで衆目を集めた方が実効性があるのではないかという見方があるようだが、これは誤った見立てである。日雇派遣禁止方針と秋葉原事件には因果関係はない

 もともと厚生労働省は今春の通常国会で労働者派遣法改正案を成立させる予定だった。ところが昨年の労働政策審議会での議論がまとまらなかったため、翌年への先送りを決めた。これは少なくとも財界が要求する規制緩和一辺倒の「改正」案が作られるような政治力学が、昨年末の時点でなくなっていたことを意味する。厚労省がその時点で何らかの規制を行わなければならないと政策転換したのは間違いない。

 昨年末、規制改革会議がさらなる労働法制の解体を促す答申を出した時も、厚労省はやや厳しい反論を行った。そして、今春厚労省は「改正」先送りの代替措置として「緊急違法派遣一掃プラン」を実施し、新たに「日雇派遣指針」を派遣元と派遣先に課した。これは実施前から実効性に疑問がもたれ、現に今のところ全く効果がないが、秋葉原事件のはるか前から厚労省は派遣労働の「改善」方針に舵を切っていたことは確かである(ただし「改善」では不十分であるのは言うまでもない)。

 つまり、日雇派遣禁止方針は秋葉原事件にショックを受けて唐突に登場したものではなく、マスメディアによる「ワーキングプア」に関する報道や、個人加盟型のユニオンなどの新しい労働運動が注目されたことなどを背景に、昨年からの派遣労働見直しの大きな流れの中で現れたのである。確かに秋葉原事件を受けて、厚労省は法令を遵守するよう緊急通達を出したのだが、これは前述の「緊急違法派遣一掃プラン」の延長線上にあるもので、事件がきっかけで政策転換したわけではない。そしてこの通達もおそらく実効性はないだろう。

 事件の容疑者は派遣社員ではあるが、日雇ではない。その1点からも日雇派遣禁止方針の決定と秋葉原事件との間に因果関係を認めることはできない。時と場合によってはちまちました運動よりも、瞬間芸的なテロが社会を動かす事実を私は否定しないが、今回の件はそうではない。秋葉原事件をあまり雇用問題だけに絞りすぎると、「派遣社員=アブナイ」という偏見を生じ、かえって労働者間の分断を深め、派遣労働者に対する社会的排除を招く恐れがあることも指摘しておきたい。

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by mahounofuefuki | 2008-06-16 22:07