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【転載】沖縄戦検定にかかわる訂正申請提出にあたっての声明-社会科教科書執筆者懇談会

http://susumerukai.web.fc2.com/appeal15.pdf

沖縄戦検定にかかわる訂正申請提出にあたっての声明

1.私たちは、社会科教科書執筆者として、沖縄戦に関する今回の不法な検定によって歪められた教科書記述を回復する方法について模索してきた。そのなかで去る9 月25 日に歴史学・歴史教育関係者17 人の呼びかけによって開かれた社会科教科書執筆者懇談会において、一つの方法として、困難ではあるが訂正申請を提出する方向で各社それぞれに努力することを申し合わせた。その結果、今回の検定意見の対象になったすべての教科書で訂正申請にむけての準備が進むことになった。
 ところがその後、沖縄県民大会で示された意思を受け、政府は訂正申請が出されれば対応するむねをにわかに表明するにいたった。しかしながら検定意見の撤回はあくまで拒否する姿勢であることから、訂正申請受理によって、問題の本質的根本的解決をうやむやにしたまま政治的決着をはかるのではないかとの疑念が沖縄県民はじめ関係者のなかに生まれることになった。私たちはこのようなあいまいな決着に組みすることは本意ではないので、しばらく状況の推移を見守りつつ訂正申請を保留し熟慮してきたところである。
 しかし11 月をむかえようとするなかで、以下の4に述べる理由によって、訂正申請を行うことに決した。その結果、おおむね11 月1 日から5 日の間に、すべての教科書の訂正申請が文科省に提出されることになった。提出された訂正申請の内容は、少なくとも検定前の記述の回復を実現しようとするものであり、さらに若干の改善を含むものもあることをこの間の執筆者懇談会における協議で確認している。本年4 月以降にさらに明らかになった「集団自決」をめぐる歴史事実や沖縄戦検定問題の経緯をふまえ執筆者の学問的・教育的良心にもとづいて行われたこれらの訂正申請を、文科省は当然受け入れるべきである。
 訂正申請の提出がほぼ完了するにあたり、このことについての私たちの真意をいっそう明らかにするため、ここに声明を発表する。

2.今回の検定意見が担当の教科書調査官によって執筆者と教科書会社に口頭で説明されたとき、林博史氏の著書『沖縄戦と民衆』の記述が根拠にあげられた。たしかに林氏の著書には、慶良間諸島の事例について、軍からの明示の自決命令はなかったと書いた箇所がある。しかし林氏の著書全体の趣旨は、さまざまな形での軍からの強制がなければ「集団自決」は起こりえなかったと、「自決」が起こらなかった地域との対比のなかで結論づけている。教科書調査官は初歩的かつ明白な誤読をしており、検定審議会委員もそれを追認した。このような初歩的な誤読にもとづく検定意見が、文科省のいうように、学問的立場から公正に審議した結論だなどとはいえない。
 林氏の著書はすでに2001 年に刊行されたものである。なぜそれが突然今回の検定で持ち出されたのか。今回、軍による強制を削除する結論が先にあって、それにあわせて急遽この数年前の著書を持ち出したのではないかとの疑いが消せない。
 文科省は、執筆者・教科書会社への説明では言わなかった別の根拠を、記者への説明で明らかにした。執筆者への説明と記者への説明が異なるということ自体、きわめて不正常であるが、その別の根拠が、座間味島駐屯の梅沢元戦隊長らが大江健三郎氏らを名誉毀損で訴えた裁判での梅沢氏自身の陳述書である。係争中の裁判の一方の側の主張を検定意見の根拠にしたものであり、係争中の裁判での一方の側の主張を教科書に記述してはならないと言ってきた文科省自身のこれまでの言明とも明らかに反するものである。しかもそれすら検定審議会はなんらの疑問を呈することなく、そのまま通してしまった。なぜこのようなことがおこったのか、強い疑問をもたざるを得ないが、この点も文科省によってなんら説明されていない。
 以上から明らかなように、そもそも今回の検定意見自体が、内容的にも、手続き的にもきわめて不正常なものである。
 このようなきわめて不正常な検定意見はただちに撤回されるべきである。同時にこのような検定意見が付された経過と原因、およびそれに対する責任を明らかにすべきであり、そのためにも今回の沖縄戦に関する検定意見は撤回するしかないと考える。

3.訂正申請にもとづく記述の回復・訂正も、本来検定意見撤回という前提のもとに行われるべきものである。検定意見が撤回されないもとで、訂正申請に対して何を基準にその内容を審査するのかを、文科省はまったく明らかにしていない。このような不明朗な審査を行うべきではない。その意味で、訂正申請のみによって問題が正しく解決されるとは到底考えられない。よって私たちは、問題の根本的解決のために検定意見の撤回をあくまでも求める立場に変わりはない。

4.けれども一方で、来年4 月に高校生に教科書が手渡される前になんとしても記述の回復・改善を実現したいという思いを私たちは強く持っている。いまだ検定意見が撤回されないため、記述の回復・改善のための条件が十分に整っているとはいえないが、今後の検定意見撤回に向けた動きのなかで、文字通りの記述の回復・改善の実現をさらに追求していくことを前提にしつつ、来年4 月の教科書の供給に間に合わせることを考え、記述の回復・改善のための一つの方法として、この時点での訂正申請の提出に踏み切った。

5.3でも述べたように、検定意見が撤回されないもとでは、今後、訂正申請に対しても恣意的な修正要求が文科省・検定審議会から出される可能性がある。ここでも文科省・検定審議会が沖縄県民や各研究者などから示された具体的歴史事実、とくに最近続々とあらわれている新しい証言などにどれだけ真摯に対応するのかが問われることになる。
 このような状況のもとで、私たちは訂正申請の内容およびその後の経過について、できるかぎり公開することにより、市民の監視と健全なる批判のもとで訂正申請が処理されることを期したい。
 そのさい文科省の不当な対応があればただちに批判の声をあげてくださることをすべての人々にお願いしたい。また、執筆者としても、市民の皆さまの適切な批判・助言を仰ぎつつ、今後のさまざまな動きに対応していきたいと考えている。
 訂正申請の内容とその処理の過程が公開されることは、これだけの大きな社会問題となった沖縄戦検定についての市民の知る権利を保障するためにも重要である。

6.さらに、今回の検定問題を通じて明らかになった、次のような検定制度の改善すべき点についても検討し取り組んでいく所存である。
1)教科書調査官、検定審議会委員の人選を透明化、公正化すること。
2)検定審議会の審議を公開すること。
3)検定意見に対する不服申し立てについては、実際に機能する制度にすること。
4)検定基準に沖縄条項を設け、それに対応して検定審議会委員に沖縄近現代史の専門家を任命すること。
5)教科書調査官制度について、その権限の縮小ないしは廃止を検討すること。
6)検定審議会を文科省から独立した機関とするよう検討すること。

2007 年11 月7 日
 社会科教科書執筆者懇談会
   呼びかけ人
     荒井信一 石山久男 宇佐美ミサ子 大日方純夫 木畑洋一 木村茂光 高嶋伸欣
     田港朝昭 中野 聡 西川正雄 浜林正夫 広川禎秀 服藤早苗 峰岸純夫
     宮地正人 山口剛史 米田佐代子
      連絡責任者 石山久男 170-0005 豊島区南大塚2-13-8 歴史教育者協議会内
                     TEL 080-3023-6880 03-3947-5701

【関連リンク】
沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会
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by mahounofuefuki | 2007-11-18 20:30

沖縄戦の「集団自決」に関する教科書検定問題の資料

2007/10/07に投稿した記事ですが、一部編集して再掲します。
*2007/12/07 記事の一部を削除しました。

文部科学省「平成18年度に検定を経た教科用図書(高等学校)について」
文部科学省「高等学校歴史教科書に関する検定結果(平成18年度)」
衆議院議員赤嶺政賢君提出沖縄戦の強制集団死(「集団自決」)をめぐる文部科学省の検定意見に関する質問に対する答弁書
各教科書出版社のホームページ  などより作成


《検定による教科書本文の修正前後の比較》
上:申請教科書の原文 下:検定合格した修正文 赤字は削除・修正箇所

①東京書籍「日本史A 現代からの歴史」
「沖縄県民の犠牲者は、戦争終結前後の餓死やマラリアなどによる死者を加えると、15万人をこえた。そのなかには、日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民や、集団で「自決」を強いられたものもあった。」

「沖縄県民の犠牲者は、戦争終結前後の餓死やマラリアなどによる死者を加えると、15万人をこえた。そのなかには、「集団自決」においこまれたり、日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民もあった。」

②実教出版「高校日本史B 新訂版」
③実教出版「日本史B 新訂版」
「日本軍は、県民を壕から追い出し、スパイ容疑で殺害し、日本軍のくばった手榴弾で集団自害と殺しあいをさせ、800人以上の犠牲者を出した。」
「6月までつづいた戦闘で、鉄血勤皇隊・ひめゆり隊などに編成された少年・少女を含む一般住民多数が戦闘にまきこまれ、マラリア・飢餓による死者も少なくなく、約15万人の県民が犠牲となった。また日本軍により、県民が戦闘の妨げになるなどで集団自決に追いやられたり、幼児を殺されたり、スパイ容疑などの理由で殺害されたりする事件が多発した。」

「日本軍は、県民を壕から追い出したり、スパイ容疑で殺害したりした。また、日本軍のくばった手榴弾で集団自害と殺しあいがおこった。犠牲者はあわせて800人以上にのぼった。」
「6月までつづいた戦闘で、鉄血勤皇隊・ひめゆり隊などに編成された少年・少女を含む一般住民多数が戦闘にまきこまれ、マラリア・飢餓による死者も少なくなく、約15万人の県民が犠牲となった。また、県民が日本軍の戦闘の妨げになるなどで集団自決に追いやられたり、日本軍により幼児を殺されたり、スパイ容疑などの理由で殺害されたりする事件が多発した。」

④三省堂「日本史A 改訂版」
「沖縄では、1945年3月にアメリカ軍が上陸し、日本国内で住民をまきこんだ地上戦がおよそ3か月間にわたって行なわれ、戦死者は日本側で約18万8000人、そのうち12万人以上は沖縄県民であった。さらに日本軍に「集団自決」を強いられたり、戦闘の邪魔になるとか、スパイ容疑をかけられて殺害された人も多く、沖縄戦は悲惨をきわめた。」

「沖縄では、1945年3月にアメリカ軍が上陸し、日本国内で住民をまきこんだ地上戦がおよそ3か月間にわたって行なわれ、戦死者と戦闘による犠牲者は日本側で約18万8000人、このうち、沖縄県民は一二万人以上の数にのぼった。さらに、追いつめられて「集団自決」した人や、戦闘の邪魔になるとかスパイ容疑を理由に殺害された人も多く、沖縄戦は悲惨をきわめた。」

⑤三省堂「日本史B 改訂版」
「沖縄では、1945年3月にアメリカ軍が上陸し、約3か月間にわたった日本国内で住民をまきこんだ地上戦が行なわれ、戦死者は日本側で約18万8000人、このうち、沖縄県民は12万人以上の数にのぼった。さらに日本軍に「集団自決」を強いられたり、戦闘の邪魔になるとか、スパイ容疑をかけられて殺害された人も多く、沖縄戦は悲惨をきわめた。」

「沖縄では、1945年3月にアメリカ軍が上陸し、約3か月にわたった日本国内で住民をまきこんだ地上戦が行なわれ、戦死者と戦闘による犠牲者は日本側で約18万8000人、このうち、沖縄県民は12万人以上の数にのぼった。追いつめられて「集団自決」した人や、戦闘の邪魔になるとかスパイ容疑を理由に殺害された人も多く、沖縄戦は悲惨をきわめた。」

⑥清水書院「高等学校 日本史B 改訂版」
「現地召集の郷土防衛隊、鉄血勤皇隊、ひめゆり隊など非戦闘員の犠牲者も多かった。なかには日本軍に集団自決を強制された人もいた。」

「現地召集の郷土防衛隊、鉄血勤皇隊、ひめゆり隊など非戦闘員の犠牲者も多かった。なかには集団自決に追い込まれた人々もいた。この沖縄戦ではおよそ12万の沖縄県民(軍人・軍属、一般住民)が死亡した。」

⑦山川出版社「日本史A 改訂版」
「島の南部では両軍の死闘に巻き込まれて住民多数が死んだが、日本軍によって壕を追い出され、あるいは集団自決に追い込まれた住民もあった。」

「島の南部では両軍の死闘に巻き込まれて住民多数が死んだが、そのなかには日本軍に壕から追い出されたり、自決した住民もいた。」


《2006年度教科書検定当時の教科用図書検定審議会委員及び臨時委員》
文部科学省「教科用図書検定調査審議会 委員名簿・臨時委員名簿」

《2006年度教科書検定経過を報告した教科用図書検定調査審議会の議事録》
教科用図書検定調査審議会総会(18年度第1回)議事録


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by mahounofuefuki | 2007-11-03 00:05

歴史修正主義について

村野瀬玲奈の秘書課広報室で、10月にパリで行われた南京虐殺70周年国際シンポジウムのことが紹介されていた(レイバーネット13日の水曜日と転載されてきたそうだが)。
昔取った杵柄で沖縄戦の教科書検定問題について書き散らしてきた身としては、全く恥ずかしい話だが、そのシンポジウムのことは全然知らなくてノーチェックだった。
以下、レイバーネットの元記事(飛幡祐規さんの執筆)より一部引用。

(前略)10月1日、フランスの国立科学研究所(CNRS)に属する現代史研究所(IHTP)という戦争の歴史・記憶や植民地支配、歴史修正主義の研究を進める機関が主催し、パリのドイツ歴史研究所(IH AP)の共催による会議が催され、都留文科大学の笠原十九司教授、慶応大学の松村高夫教授、家永裁判弁護団長を勤めた尾山宏弁護士が発表しました。現代史研究所のアンリ・ルーソ氏(ナチスに協力したヴィシー政権の研究など)が議長を務め、パリ第3大学東洋語学校のミカエル・リュケン教授(日本の近代・現代史、美術史研究家)も参加して、2時間の同時通訳をとおして、とても密度の高い会議でした。笠原教授は「南京大虐殺事件と日本政治における否定の構造」というタイトルで、南京事件の概要を述べたあと、現代日本の政治家が侵略戦争の指導者・推進者の直系・傍系の継承者である状況を「政治的DNA」と形容し、政界・財界・マスメディアで歴主修正主義が優勢にある日本の特殊性を強調しました。松村教授は「731部隊と日本軍の細菌戦」について発表し、中国人犠牲者の訴訟が次々と敗訴となっている状況を述べました。尾山弁護士は、「日本における歴史修正主義の一つの要因」という題で、バブル崩壊以後の日本人の自信喪失がその一つの原因であるという見解を発表しました。
(中略)
この会議の通知は在仏日本大使館と在パリ日本のメディアすべてに送りましたが、大使館からは不参加(たぶん)、メディアで取材に来たのは「しんぶん赤旗」と、パリの日本語・仏語ミニコミ新聞オヴニーだけでした。オヴニーでは11月1日に南京虐殺の特集を組むため、笠原教授にインタビューしました。この新聞は日本でも購入できます。
(中略)
なお、この企画はまったくのボランティア活動として行われたため、じゅうぶんな宣伝ができなかったのが残念ですが、オヴニーには情報の予告を載せてもらえました。この予告をみて電話をしてきた人の中に、「なんでわざわざ外国にまで来て日本を悪く言うのか? 南京虐殺はまだ議論の最中だ」と言う修正主義の女性がいたので、「それでは専門家の発表をきいて、質問してください」と答えましたが、いやがらせをしにくる人はいませんでした。

私自身もいろいろ考えさせられることの多い企画でしたが、笠原・松村教授に「若い世代で研究を引き継いでいる人がいるか」と聞いたところ、「こういう研究では仕事の口がないから、ほとんどいない」という答えが返ってきて、ショックを受けました。彼らの学生の中にも、小林よしのりのマンガを読んで理論武装をしている若者がいて(東大の高橋哲哉教授もそう言っていました)、その人たちの半分を説得するのがやっとという状況だそうです。マスメディアの恐るべき力と怠慢、大学のネオリベラル経営化といった状況が、修正主義者にますます都合のいい世の中をつくっているのでしょう。笠原教授が「歴史学者や知識人はもっと勇気をもたなくてはいけない」と言っていたのが印象的でした。
ここで重要視したいのは、政財界やマスメディアで歴史修正主義(私は歴史改竄主義と呼びたいが)が優勢になっているという、笠原十九司氏の指摘である。
政財界(と官界)ではある意味、敗戦以来、タテマエとしての平和主義とホンネとしての戦争讃美ないしは戦争へのシニシズムを使い分けてきたので、歴史修正主義がずっと主流だったとさえ言えるのだが、近年の大きな変化はマスメディアである。

もともと戦争体験者がたくさんいた1980年代くらいまでは、日本における戦争の「語り」は「空襲」や「原爆」や「疎開」といった被害体験が主流で、加害体験は多くの日本人に忘却され、軽視されていた(沖縄戦でも日本軍による住民殺害や「自決」強制の事実を黙殺し、やたらと「ひめゆり」部隊が「美談」として語られた)。
その空気を反映して、新聞やテレビも銃後の生活の悲惨さを強調する特集はよく組まれたが、戦場で日本軍が何をしたかという観点はすっぽりと抜け落ちていた(例外は朝日新聞で「中国の旅」などを連載した本多勝一氏くらい)。歴史学界でも、南京大虐殺だけは早稲田大学教授だった故・洞富雄氏らの尽力で研究が先行していたが、戦争犯罪の全体像は史料の制約もあって十分に明らかになっていなかった。

それが変化するのは1990年代に入ってからで、アジア諸国から、それまで開発独裁下で沈黙を強いられてきた被害者が直接声を上げたことで、否応なく「日本の加害」に向き合わなくてはならなくなったからである。また、戦争体験者が少数派になったことで、逆に加害の事実を追及しやすくなったということも否めない。
その頃になると、中央大学教授の吉見義明氏の「従軍慰安婦」に関する研究をはじめ、日本軍の戦争犯罪の実証的な研究がようやく増え始め、司法でも1997年、第3次家永教科書訴訟の最高裁判決が、細菌戦の記述などを削除させた教科書検定を違法と認めるなど、風向きは変わりつつあった。

しかし、一方で同じころ、当時東京大学教授だった藤岡信勝氏(1980年代までは左翼系の教育学者として有名だった)が「自由主義史観」なる歴史改竄主義を立ち上げ、それ以前から南京大虐殺否定などの策動を繰り返していた旧来の右翼勢力をも結集し、「新しい歴史教科書をつくる会」を設立した。特に漫画家の小林よしのり氏が参加した影響は大きく、上記引用文でも指摘されているように、若い世代に「小林の方がホントの歴史」とみなす風潮が広がってしまった。
そうした歴史修正主義の「再興」により、変わりかけた風向きは逆風になり、21世紀になると長期構造不況と「構造改革(改悪)」による貧困と格差の拡大により、「日本人」であるだけで自信がもてるナショナリズムに身を委ねてしまう人々が増えた。

マスメディアもそんな状況を反映して、すっかり歴史修正主義に無抵抗になってしまった。NHKの番組改編問題はその典型例である。
もともと産経新聞は歴史修正主義の主導者であったし、他の大手新聞や放送局も終始及び腰であったが、最近はヒステリックなナショナリズムに恐れをなして、ますます戦争の加害の事実を伝えることを怠るようになってしまった。その結果、最新の研究成果も知らず、いまだに「南京大虐殺は虚構」だの「従軍慰安婦はいない」だの、歴史学ではとっくに決着している議論を延々と繰り返しているのは、もはや滑稽としか言いようがない。
さらに悪いことには、この頃は「加害」のみならず、「被害」すら語られなくなってしまった。戦争の「語り」がどんどん抽象化し、それだけ戦争を美化しやすくなっている。

もうひとつ問題なのは、若い研究者が育っていないという指摘である。
そもそもこのシンポジウムに出席した笠原、松村両氏とも専門の歴史学者ではあるが、元来日本近代史の専攻ではなかった。笠原氏は中国の民衆運動、松村氏はイギリス経済史の研究者だった。日本近代史の研究者でも、前記の吉見氏や関東学院大学教授の林博史氏や一橋大学教授の吉田裕氏らが戦争犯罪の研究を行っているが、学界全体からみれば絶対的に数が少ない(最近も林氏が某専門誌で歴史学界が「戦争の加害」に冷淡だと批判していた)。研究者の不足は長く続いている構造的問題なのである。
ましてや若手は研究職が就職難で、しかも成果主義の導入で論文を量産しなければならない。時間がかかる上、「お上」から睨まれ、時には右翼のテロにより生命の危険にさらされる戦争犯罪研究などは、完全に敬遠されているのが実状である。このままでは本当に戦争の史実が闇に葬られてしまうことになりかねない。

まだまだ言い足りないことが山ほどあるが、今回はこの辺にしておく。
歴史修正主義や教科書検定の問題については、今後も折をみてブログで触れていくつもりである。

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教科書改竄の「黒幕」
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沖縄戦の「集団自決」に関する教科書検定問題の資料
靖国神社とは何なのか
教科書検定に関する石井郁子議員の質問

【関連リンク】
パリで南京虐殺70周年国際シンポジウム(飛幡祐規)-レイバーネット
13日の水曜日 自爆史観関係、見つけた情報をメモ(071031版)
村野瀬玲奈の秘書課広報室 南京虐殺70周年国際シンポジウム・パリ会議(レイバーネット、「13日の水曜日」などから)
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by mahounofuefuki | 2007-11-01 17:58

教科書検定に関する石井郁子議員の質問

24日の衆議院文部科学委員会で、日本共産党の石井郁子議員が、文部科学省の教科書調査官や教科用図書検定調査審議会委員の人事の不透明について質問した。
“靖国史観”教科書の人脈 検定に強い影響力 石井氏質問 (しんぶん赤旗 2007/10/25)
以前、私は当ブログで、教科書調査官4人中2人が、「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書を監修した伊藤隆氏の門弟であり、審議会の委員にも「伊藤一門」の学者がいることを指摘したが、石井氏の質問はその事実を踏まえたものである。
従来、もっぱら教科書調査官の村瀬信一氏のみがクローズアップされていたが、実際はもっと多くの「伊藤一門」の学者が検定に関与していることが国会で明らかになって、この件の火付け役としては感無量である。
これを機に、教科書検定過程の徹底検証が進むことを期待したい。

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沖縄戦の「集団自決」に関する教科書検定問題の資料

【関連リンク】
KINS近代日本史料研究会「科学研究費成果報告書」
伊藤隆氏が代表を務め、文部科学省の科学研究費を受けている研究プロジェクト。中核メンバーは「伊藤一門」で、教科用図書検定調査審議会委員の有馬学氏、広瀬順晧氏や、教科書調査官の村瀬信一氏が参加している(ただし、村瀬氏は教科書調査官就任後は不参加)。伊藤氏の学界における影響力と、検定関係者とのつながりがわかる。
このプロジェクト自体は、散逸している史料の発掘・公開を目指す正当な研究で、関係者には伊藤氏の歴史観とは明らかに異なる人も多いので、誤解のないように。
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by mahounofuefuki | 2007-10-25 12:16

靖国神社とは何なのか

《2007/10/23 改稿》
《2008/04/12 一部削除、改行》

 靖国神社は17日から20日まで、恒例の秋季例大祭を行った。
 18日の「当日祭」には全国から靖国関係者・支持者が参集し、天皇の「勅使」も例年どおりやって来た。そんな「当日祭」の日に、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」所属の議員67人が靖国神社を参拝した。
 当ブログではこれまで靖国問題について書いたことがなかったが、この機会に靖国神社の何が問題なのか私なりに整理し、私の靖国問題に対する立場を明示したい。

 現在、靖国問題と言えば、もっぱら「首相の公式参拝」の可否をめぐる議論になっている。
 戦争を直接体験し、身近に戦没者が大勢いた高齢者は、靖国問題をあくまで戦没者追悼のあり方をめぐる議論として捉えている場合が多いが、戦後生まれの人々の多くは、靖国問題を対外関係、特に韓国・中国との関係の文脈で語りたがる傾向が強い。
 その結果、「首相の参拝」に賛成する側は、韓国や中国に言われて参拝をやめるのは内政干渉だからという理由で参拝を支持し、反対する側は、韓国や中国との関係を良好にするためという理由で参拝を支持しない。

 しかし、靖国問題を外交問題として捉えると、逆説的な問題に突き当たる。
 つまり、もし韓国や中国が靖国参拝に何も言わなくなれば、対外関係を理由に参拝を支持した人々は、別に参拝を支持する理由はなくなる(正確には参拝して韓国や中国の人々が嫌がる姿を見て「日本人」としての自尊心を確認する楽しみが消える)。一方、参拝に反対する人々は、参拝しても韓国や中国との関係が悪化しなければ、参拝に反対する根拠を失う。
 要するに靖国問題を外交問題として考える限り、靖国神社の本質とは何なのか、あるいは日本に住む個々人にとって靖国神社とは何なのか、まったく見えてこないのである。
 やはり靖国問題はあくまでも戦没者追悼の問題として、ひいては戦争の歴史に対する認識の問題として捉えるべきなのである。

 対外関係というファクターを取り除き、「一般の日本人」にとって靖国神社とは何なのかを考察すると、4つの要点にまとめることができる。

 第1に、靖国神社は「天皇のために戦争で死んだ人々」を「顕彰」する施設である
 靖国神社は原則として日本軍の軍人・軍属の戦死者・戦傷病死者を祀る神社である。外国人(日本軍の軍人・軍属だった旧植民地出身者を除く)や民間人は祀られていない。その基準は「天皇のために戦ったかどうか」である。たとえば戊辰戦争の場合、政府軍の戦没者は靖国神社の祭神になっているが、旧幕府軍の戦没者は今も含まれていない。あるいは軍人でも、たとえば敵前逃亡など軍法に違反して処分された人は含まれない。
 そして靖国神社の特色は、合祀した祭神を「天皇のために死んだ忠臣」として誉め称えるところにある。「天皇を護るためによくぞ死んでくれた」「天皇のために死んでくれてありがとう」という立場なのである。間違っても、国家が彼らを犬死させたという認識はない。

 第2に、靖国神社は日本の戦争をすべて「正しい戦争」と認識している
 靖国神社の戦争観は、究極のところ「天皇の名で行われた行為」は絶対に正しい、天皇の命令は無謬であるということを前提にしている。
 たとえば日露戦争を正当化するステロタイプな論理は、「朝鮮半島をロシアが領有すれば日本の安全保障が危うくなるから開戦せざるをえなかった」とか、「当時の韓国(大韓帝国)は自力で独立を維持する力がなかったから日本が近代化してやった」といったものである。靖国神社もそうした論理を支持してはいるが、それらの論理はあくまで「補強材料」にすぎず、究極的には戦争を正当化する論理がまったく無くても、「天皇に間違いはない」という価値観であらゆる言説を超越してしまうのである。
 靖国の立場に立てば「天皇をいただく特別な国」である日本の戦争は侵略戦争でありえず、日本が何をやっても正当化してしまうのである。

 第3に、靖国神社は神道の宗教施設である
 靖国神社は現在、宗教法人である。大日本帝国下では、国家神道はすべての宗教を超越した「国家の祭祀」であったが、戦後の神社神道はたくさんある宗教の中の1つにすぎない。戦前の靖国神社は特に軍が管理し、軍人が宮司を務める軍事施設という性格を有していたが、現在は単なる宗教団体である。
 占領期に、靖国神社を非宗教化することで「国家の戦没者追悼施設」として存続する動きがあったが、靖国側は「国営施設」であることよりも「宗教施設」であることを選んだ。つまり、靖国神社は国家の保護を失ってでも、宗教性を維持することに固執したのである。
 ただし、一法人になったはずの靖国神社だが、実態は戦後も政府がさまざまな便宜を図っている。1956年に厚生省は引揚援護局長名で「靖国神社合祀事務に対する協力について」という通牒を発し、戦没者の身上事項の調査や遺族への合祀通知を国の負担で行うことを指示しており、以来現在まで続いている (赤澤史朗 『靖国神社』 岩波書店、2005年)。政府の靖国神社への協力行為は、軍人恩給事務とリンクしており、依然として靖国神社が実質的には国家の影響下にあることを示している。

 第4に、靖国神社は戦没者ではない戦犯を「昭和殉難者」として合祀している
 第1の要点として靖国神社は戦死者・戦傷病死者だけを祀っていると述べたが、例外は東京裁判をはじめとする戦犯裁判の戦犯たちである。特に東京裁判のA級戦犯は「昭和殉難者」として、1978年に合祀された。言うまでもなく、戦犯は刑死者や獄死者であって戦死者ではない。それにもかかわらず戦犯の死を「戦死」と扱うのは、靖国神社が東京裁判を不当なものと認識し、裁判の結果としての処刑を、戦場での「敵」による殺害と同等に考えているからである。
 日本政府は、サンフランシスコ講和条約で東京裁判の判決を受諾している。正確には判決を受諾することが講和の条件だったのだが、いずれにせよ日本政府は公式には東京裁判の正当性を否定していない。しかし、一方で東京裁判を「勝者の裁き」とし、日本の戦争犯罪を否定して正当化する言説が、終始日本政府を構成するエリートたちから発せられている。いわばホンネとタテマエの使い分けが、戦犯を「殉難者」として美化する力学を形成しているのである。

 以上の4点を踏まえて、靖国問題について私見を述べると、次の通りである。

 第1に、さまざまな戦没者の中で、軍人・軍属の戦死者だけを特権化し、民間人の戦没者を軽視するのは、戦没者の中に差別を持ち込む行為であり、極めていびつである。しかも国家の不当な政策の責任を無視して、戦死を顕彰するなど、死者への冒涜でしかない。国家が言うべき言葉は「死んでくれてありがとう」ではなく、「くだらない国策のために死なせてしまって申しわけありません」である

 第2に、日本の戦争に限らず、あらゆる戦争はすべて害悪である。民衆にとって、侵略戦争だろうと自衛戦争だろうと、戦争は戦争である。ましてや近代の日本の戦争は、すべて他国の領土に侵攻した侵略戦争である。その一点だけで戦争の不当性の証明は十分である。

 第3に、憲法は政教分離を定めており、国家が特定の宗教を保護してはならない。政府が特定の宗教のために国費を支出することは、信教の自由を侵害している。自分が信仰していない宗教に税金が使われるのを許すことはできない

 第4に、東京裁判は「勝者の裁き」で正当性に疑念があるが、それが事実としての戦争犯罪を否定するものではない。裁判が不当だから戦争犯罪もないことにはならない。A級戦犯の多くは日本の主権者の立場からも戦争犯罪人であり、東京裁判の本当の不当性は、戦争犯罪の追及が極めて不十分で、多くの戦犯に列すべき犯罪者を野に放ったことである

 要するに、靖国神社は普遍的な戦没者追悼施設には絶対になりえない
 A級戦犯を分祀しようが、首相が参拝を中止しようが、韓国や中国が靖国参拝に何も言わなくなろうが、日本の主権者として靖国神社の現在のあり方を決して認めることはできない。
 靖国問題の解決には、すべての戦没者を追悼して平和を祈願する無宗教の公共施設の建設が必要である。同時に政府は靖国神社への協力・支援を一切中止しなければならない。宗教法人法を厳密に適用し、宗教団体としての活動を逸脱する場合には厳重な処罰が必要であることは言うまでもない。

【関連リンク】
JanJan 靖国参拝問題リンク集
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by mahounofuefuki | 2007-10-19 21:21

教科書検定の徹底検証を

高校用日本史教科書の検定で、沖縄戦の「集団自決」に関する記述が軍の関与を隠蔽する内容に改竄された問題は、教科書出版社が記述の「訂正申請」を行い、教科用図書検定調査審議会が再審査する方向で決着するようだ。
沖縄の人々の行動が世論を動かし、ついに政府の野望を打ち砕いたわけだが、これで一件落着ではない。

この問題に対する最近の閣僚の発言をよく読んでみよう(文言は朝日新聞による)。

「沖縄の皆さんの気持ちを何らかの方法で受け止め、修正できるかどうか、関係者の工夫と努力と知恵がありうる」(10月1日 町村信孝内閣官房長官)
「(検定に)政治的介入があってはいけない。しかし、沖縄県民の気持ちを考えると、両方ともものすごく重い」(10月1日 渡海紀三朗文部科学大臣)

いずれも「沖縄県民の気持ち」への配慮を前面に押し出しているが、検定そのものの間違いには触れていない。これでは、まるで「検定意見は間違っていないが、沖縄県民がうるさいので仕方なく直す」とでも言っているようなものだ。
問題は「気持ち」ではなく、検定結果が「事実」かどうかである。政府が本音ではまったく反省していないことは明白だろう。

沖縄戦に関する最近の研究状況は「沖縄戦の事実を歪める教科書検定の撤回を求める歴史研究者・教育者のアピール」(歴史学研究会)が端的に示しているので、一部引用しておく。

沖縄戦における「集団自決」の悲劇は、沖縄県民にとって忘れることのできないものであり、そのため、この悲劇がなぜ、どのようにしておこったのかについては、体験者の証言をはじめさまざまな角度からの調査研究が進められてきた。その結果、住民が戦闘にまきこまれるなか、日本軍の「軍官民共生共死」という基本方針のもと、敵の捕虜になることの禁止が徹底され、軍が手榴弾を配付し、あるときは役場職員を介して自決指示を出したなどの事実が明らかになった。それにより、軍が直接住民にその場で自決命令を発したか否かにかかわりなく、「集団自決」がまさに日本軍に強制・誘導されたものであったことが明確になったのである。日本軍が存在しなかったところでは「集団自決」がおきていないこともそのことを証明している。

軍による「集団自決」強制を否定したい人々は、「玉砕しろ」という軍命令の公文書が残っていないことをもって、「軍の強制」を否定しているが、それは問題の矮小化である。激烈な地上戦のさなかで文書など残りようもないことを悪用しているのだ。しかも「玉砕を命令していない」という軍人の証言は採用するくせに、圧倒的多数の住民の証言は無視する。

沖縄戦に限らず、問題を狭くとらえ、一部を否定することで、全部を否定しようとするのが歴史修正主義の常とう手段である。
1937-38年の南京戦及び占領下における大量虐殺事件(南京大虐殺)では、出征軍人の日記や部隊の陣中日誌などから虐殺を否定できなくなると、捕虜の処刑は「虐殺」でないなどと言い出したり、南京市の人口を低く見積もったり、「数の問題」にすり替えようとした。日本軍専用性的強制施設=「慰安所」問題では、公文書により軍の命令で設置されていた事実を否定できなくなると、「慰安婦」を強制連行したかどうかに論点をすり替え、しかも「強制」の定義を「無理やり縄で縛って連行する」ような「狭義の強制」に狭めようとした。一方で、朝鮮の「拉致問題」では、騙されて渡航した事例も「拉致」としているのだから、矛盾もはなはだしい。

歴史学界の通説が「軍の強制」を認めているにもかかわらず、なぜ今回のような検定が行われたか、徹底した検証が必要だ。
以前にも指摘したように、教科用図書検定調査審議会の委員・臨時委員や文部科学省の教科書調査官の人選には疑念がある。また検定意見原案を文部科学省初等中等教育局長が決裁していたことも問題だ。これは検定への「政治的介入」にほかならない。国会で調査し、場合によっては関係者を参考人招致することも必要だろう。
特に教科書調査官が文部科学省の職員である現行制度の是非は問わなければならない。その人選の透明化も必要だ。
この問題を単なる「軍の強制」の記述の復活で終わらせてはならない。
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by mahounofuefuki | 2007-10-03 13:19

教科書改竄の「黒幕」

文部科学省が2008年度の高校用日本史教科書の検定で、沖縄戦における軍による住民の「集団自決」強制の史実を改竄したことに抗議する沖縄県民大会が、昨日宜野湾で開催された。参加人数は約11万人。知事や県議会を含む超党派による行動で、まさに沖縄全県の人々のこの問題に対する怒りが今や沸点に達していることを示していよう。
私もこの検定結果に怒りを感じていた1人として、沖縄県民の思いに全面的に共感している。

今回の教科書検定の不可解さは、同じような記述が前回の検定を通過しているのに、今回は修正されたことにある。
文部科学省の「高等学校歴史教科書に関する検定結果(平成18年度)」によると、沖縄戦に関し、日本軍による「集団自決」の強制や住民殺害を示す記述はいずれも「沖縄戦の実態について誤解するおそれ」があるという検定意見が付されている。たとえば「日本軍によって壕を追い出され、あるいは集団自決に追い込まれた住民もあった」という記述が「そのなかには日本軍に壕から追い出されたり、自決した住民もいた」と修正されている。
軍の関与を少しでも隠蔽しようという意図が明確だ。

教科書検定制度は、教科書発行者(出版社)が申請した教科書を、まず常勤の教科書調査官が「調査」し、それをもとに教科用図書検定調査審議会が「審査」し、合否を決定する。その際、教科書の内容に「修正」が必要であると判断した場合、審議会は教科書発行者に検定意見を通知する。この通知に従って発行者は内容を修正し、再度審議会が審査して合否を決定して、文部科学大臣に答申する(教科書検定の手続)。検定意見に従わなければ合格できないから、この意見は絶対なのである。

問題はこの教科用図書検定調査審議会は有名無実化し、検定の実務を担う教科書調査官が決定的な役割を果たしていることにある。
検定 審議実態なし/小委、文科省意見を追認 (沖縄タイムス)
今回も審議会の日本史小委員会は、沖縄戦に関し特に議論することなく、調査官の検定意見原案を素通りさせたことが明らかになっている。しかもこの小委員会自体が2006年10月30日と11月13日の2回しか開かれていない。
官僚主導 黙る「素人」 (沖縄タイムス)
審議会が単なる「事後追認機関」と化していることがわかるだろう。要するに史実改竄の主役は教科書調査官なのである。

それでは、この教科書調査官とはいったいどんな人なのか。
この件について共産党の赤嶺政賢衆院議員が、7月3日に提出した質問主意書で調査官の氏名公開を政府に求めた。
沖縄戦の強制集団死(「集団自決」)をめぐる文部科学省の検定意見に関する質問主意書
これに対し、政府は7月10日付の答弁書で、日本史担当の調査官が高橋秀樹、照沼康孝、三谷芳幸、村瀬信一の4氏であることを明らかにした。
衆議院議員赤嶺政賢君提出沖縄戦の強制集団死(「集団自決」)をめぐる文部科学省の検定意見に関する質問に対する答弁書

CiNiiReaDによれば、このうち、高橋秀樹氏は『中世の家と性』などの著作がある日本中世史の研究者、三谷芳幸氏は「令制官田の構造と展開」などの論文がある日本古代史の研究者である。専攻からしてこの2人はおそらく近・現代史の調査に関係していない。
問題は残る2人である。照沼康孝氏は「宇垣陸相と軍制改革案」「鈴木荘六参謀総長後任を繞って」などの論文がある。また村瀬信一氏は『帝国議会改革論』などの著作がある。いずれも日本近代史の研究者である。
この2人のどちらか、あるいは両者が沖縄戦史実改竄の「犯人」とみていい。

ところで、この照沼、村瀬両氏からある人物が浮かび上がってくる。両者とも東京大学大学院人文科学研究科の国史専攻の出身である。彼らの「師匠」が、現在政策研究大学院大学教授の伊藤隆氏である。
多少でも日本近代史をかじったことのある人で、伊藤隆氏の名を知らない人はいないだろう。1971年に東京大学文学部助教授に就任、81年には教授となり、93年に停年退官するまで、20年間も東大国史科の近代史専攻の教員として君臨し、多くの業績をあげ、後進を育てた「大御所」である。特に史料発掘の功績は大きく、政治家・官僚・軍人の日記や書簡をいくつも紹介、翻刻した。現在、昭和天皇研究に欠かせない『牧野伸顕日記』や陸軍研究の第1級史料である『上原勇作関係文書』など伊藤氏が中心となって発掘した歴史資料は数えきれない。その門下からは現在第1線で活躍する研究者が何人も輩出しており、「伊藤一門」というべき一大学閥を形成している。照沼、村瀬両氏もその伊藤門下である。

この伊藤氏は、東大史学の伝統である官学アカデミズム流の「実証主義」の系譜をひく研究者である。「実証主義」とは何よりも徹底して史料に基づいて事実を明らかにすることを重視するが、残存する史料はどうしてもエリートに偏り、民衆の史料は残りにくい。しかも政治史偏重になりがちである。
この「実証主義」固有の弱点に加えて、伊藤氏の場合、若い時から猛烈なナショナリストであり、学術概念としての「ファシズム」「大正デモクラシー」を否定し、左右を問わず「革新」を嫌い、「現状維持」を好んできた。
その保守的体質から、自民党タカ派(たとえば中曽根康弘氏)と結びつき、一貫して国家の側からの近代史像を打ちたててきた。
軍事史を得意としながら、日本軍の戦争犯罪の研究をまったく無視し、ついには「実証主義者」であるはずが、実証的研究よりも「国家の都合」を重視する「新しい歴史教科書をつくる会」に参加するまでになった。

「新しい歴史教科書をつくる会」と教科書検定の関係については、4月25日の衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会で、民主党の川内博史議員が、教科書調査官の村瀬信一氏が「つくる会」教科書の監修者である伊藤氏と師弟関係にあることを追及している。
166回国会 教育再生に関する特別委員会 平成19年4月25日
しかし、既に述べたように、伊藤門下なのは村瀬氏だけではなく、照沼氏もそうである。ついでに言えば、有名無実化している教科用図書検定調査審議会の委員・臨時委員にも、駿河台大学教授の広瀬順晧氏や九州大学大学院教授の有馬学氏といった「伊藤一門」の研究者が顔をそろえている。
ここから想定できるのは、伊藤氏が教科用図書検定審議会委員や教科書調査官の推薦を行っているのではないかという疑惑である。少なくとも文部科学省が伊藤氏に人選の相談をしている可能性は高い。そうでなければ日本史担当の教科書調査官の半数が同一門流出身というのは異常である。
「伊藤一門」のすべてが「つくる会」を支持していたわけではないが、学界における師弟関係は絶対的なものがある。彼らが伊藤氏を批判することなどありえない。要するに「つくる会」があろうとなかろうと、伊藤氏の影響力がある限り、今回のような検定がいつでも起こりうるのである。

周知の通り「つくる会」は血みどろの内部抗争を繰り返し、今年ついに分裂した。
伊藤氏は既に分裂前の昨年3月に「つくる会」の理事を辞任しており(つくる会の体質を正す会)、現在は八木秀次氏らの「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」に参加している(産経新聞)。これまで「つくる会」の教科書を発行してきた扶桑社は、新組織の方に鞍替えした。今後は「つくる会」とこの新組織が競合し、共倒れになる可能性が強いが、伊藤隆と「伊藤一門」という存在がある限り、教科書検定の歪みは正されることはないだろう。

今一度、かつての家永教科書訴訟の原点に立ち返って、教科書検定制度の廃止を検討するべきではないか。

なお、沖縄戦の史実を学びたい人には、次の2冊を推薦する。
林博史 『沖縄戦と民衆』 大月書店、2001年
藤原彰 『沖縄戦 国土が戦場になったとき 新装版』 青木書店、2001年

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by mahounofuefuki | 2007-09-30 16:09

福田内閣発足

幕末の1860年、日米修好通商条約批准のため、徳川幕府はアメリカへ使節を送った。
いわゆる「万延元年遣米使節」である。
使節団の面々はアメリカの軍艦に乗艦して渡米したが、幕府はこれにオランダから購入した軍艦「咸臨丸」を随行させ、勝海舟ら日本人に操船させた。史上初の日本人の手による太平洋横断であった。
この咸臨丸に、若き日の福澤諭吉がいた。福澤はアメリカで、まず市民の大歓迎に驚き、次いで初めて見る馬車に驚き、そしてレディファーストの習慣に驚き、まるで「勝手のわからぬ家に」上がったばかりの新婚の「花嫁」のような心境を味わった。
そんな「驚き」の1つに、次のような出来事があった。

ところで私がふと胸に浮かんである人に聞いてみたのは外でない、今ワシントンの子孫はどうなっているかと尋ねたところが、その人の言うに、ワシントンの子孫には女があるはずだ、今どうしているか知らないが、何でも誰かの内室になっている様子だといかにも冷淡な答で、何とも思っておらぬ。これは不思議だ。もちろん私もアメリカは共和国、大統領は4年交代ということは百も承知のことながら、ワシントンの子孫といえば大変な者に違いないと思うたのは、こっちの脳中には、源頼朝、徳川家康というような考えがあって、ソレから割出して聞いたところが、今の通りの答に驚いて、これは不思議と思うたことは今でもよく覚えている。 (福澤諭吉『福翁自伝』岩波文庫、p.117より、一部漢字を仮名に改めた)

初代大統領ワシントンの子孫といえども、特別な社会的地位にいるわけではないという事実は、家柄を重視する封建社会への不満をもっていた福澤にはよほど新鮮に映ったようだ。
周知の通り、福澤は維新後、実力主義・能力主義による「立身出世」を奨励していく。欧米=世襲の否定という捉え方は、その後も長く日本人を縛っていくことになる。

実は、当時の福澤は知るよしもなかったが、第2代大統領ジョン・アダムズの息子ジョン・クインシー・アダムズは第6代大統領になっている。アメリカは独立後の早い時期に父子で大統領という例があったのである。
ちなみに、さらにその息子のチャールズ・アダムズは外交官、そのまた息子のヘンリー・ブルックス・アダムズは高名な歴史学者でハーバード大学の教師になっている。アダムズ家はアメリカ屈指の名門となっていた。
アメリカでは現代でもケネディ家やブッシュ家の例を挙げるまでもなく、家柄が大きくものを言う。
福澤の思いはまったくの「幻想」だったのである。

むしろ近代の日本の方こそ世襲が力をもたなかった。
伊藤博文から寺内正毅までの歴代首相はすべて爵位持ちの華族であったが、いずれも本人の「功績」による受爵で、「親の七光」は1人もいない(西園寺公望は旧公卿の出だが、彼の親は維新後むしろ失脚していた)。
明治憲法下の首相のうち、親も高官であったのは、皇族の東久邇宮稔彦を別とすれば、近衛文麿(父は貴族院議長の近衛篤麿)と東條英機(父は陸軍大将の東條英教)くらいである。
日本国憲法下では、鳩山一郎(父は衆議院議長の鳩山和夫)が例外で、1980年代までは、「家柄」よりも学歴や官歴の方が重要だった。

ところが1990年代になると様相が変わってくる。
その始まりは1991年に首相となった宮澤喜一(父は衆議院議員の宮澤裕)である。
宮澤退陣後、政権は自民党単独から連立へ変貌したが、以後の歴代首相は社会党出身の村山富市を除いて、すべて親も政治家だった「2世」や「3世」の議員である。
そして安倍晋三(祖父は岸信介)に至り、ついに「首相の孫」が首相となった。
さらにその安倍後継を争ったのは、やはり「首相の孫」の麻生太郎(祖父は吉田茂)と「首相の子」の福田康夫(父は福田赳夫)であった。

今日、福田康夫氏が第91代内閣総理大臣に指名された。憲政史上初の父子2代の首相就任である。
以上の経過からすれば、このことが近代日本の「美点」を失わせ、もはや特定の血縁グループからしか首相になれない時代へ向かわせる異常事態であることがわかるだろう。
現代日本は身分社会へと逆戻りしているように思える。

福田氏に対する疑念はそんな出自だけではない。
福田氏は小泉内閣の内閣官房長官在任中、アメリカのベーカー駐日大使(当時)と異常なほど頻繁に会い、アメリカ政府の小泉政権へのメッセンジャー役であった。小泉政権がアメリカ追従であったことは言うまでもない。さらに福田政権ではアメリカ共和党の傀儡政権になる危険性すらあるだろう。

一方、新内閣の陣容は、前政権の教育改悪を主導した山谷えり子氏や、拉致被害者支援にかこつけた右翼グループ言いなりの中山恭子氏ら首相補佐官を留任させ、防衛大臣には「軍事オタク」の石破茂氏を起用するなど、安倍政権と変わらないタカ派ぶりを示している。
また、竹中平蔵氏を継いで市場原理主義政策を推し進める太田弘子経済財政相も再任された。自民党3役には大蔵省出身の均衡財政論者の伊吹文明氏や消費税増税論者の谷垣禎一氏が起用されている。
これでは、歳出削減による社会福祉の切り捨てを続ける一方、消費税増税で庶民の負担を増やし、巨大企業に対する減税は拡大するという、今以上に最悪の財政政策を目指す可能性すらある。

福田政権は今後、年金不安を利用して、年金の財源にするという口実で、消費税増税を打ち出してくるだろう。基礎年金の税負担方式を公約にする民主党との連携の材料となるかもしれない。決して年金不安を煽る情報操作に惑わされないよう、注意しなければならない。
あくまでも、福田内閣は衆院解散までの「選挙管理内閣」でなければならない。
野党はどこまでも解散・総選挙の要求を貫いてほしい。
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by mahounofuefuki | 2007-09-25 22:10

陵墓の全面公開を望む

宮内庁が考古学会・歴史学会に対して、伏見桃山陵(明治天皇陵)と五社神古墳(「神功皇后」陵)の立ち入り調査を許可するという。
諸学会は約30年前から、何度も陵墓の公開を求めていたが、政府・宮内庁は皇室祭祀を理由になかなか認めてこなかった。今回相当な制約付きではあるが、立ち入りを認めたことは非常に画期的である。

皇室のさまざまな慣習については、まるで古来一貫した「伝統」であると誤解している人が多いが、現在行われている皇室祭祀のほとんどが、明治維新後に整備されたものであり、常に時代とともに変化してきた。

陵墓はその最たるものであり、江戸時代中期に、幕府が朝廷との協調のために、陵墓復興作業を行うまで、古代の陵墓は多くが野ざらしであり、墳丘の上に村がある例すらあった。
陵墓の本格的復興は、天皇の権威が浮上し、「万世一系」イデオロギーが台頭する幕末になってからで、特に1862年からの「文久の修陵」はその後の陵墓治定の基礎となった。
しかし、さしたる根拠もなく、記紀や「延喜式」などの文献や地方の伝承をもとに、短期間で強引に決めていったため、多くの陵墓が実際とは異なる結果となった。

例えば、「継体天皇陵」は太田茶臼山古墳ということになっているが、歴史学・考古学の通説では今城塚古墳の方だとみられている。あるいは「欽明天皇陵」は、檜隈坂合陵ではなく、見瀬丸山古墳の方が有力である。
また、相当する陵墓が見つからない場合は、捏造も行われた。
そもそも、今回の「神功皇后」も含めて、古代の「天皇」や「皇族」の中には実在しないことがはっきりしている者も多く、実在しない者に墓などあるはずもない。

このように現在、宮内庁が指定している陵墓は実にデタラメなのだが、「万世一系」の虚構を守るために一向に修正しようとはしなかった。
専門家の調査を拒んできたのも、宮内庁のウソが大衆に知られることを恐れていたからにほかならない。
陵墓はあくまで文化財である。皇室の私的所有物ではない(現に国有財産である)。公費をもって維持している以上、主権者に公開するのが当然の責務である。
今回の限定的公開が、陵墓の全面公開の端緒となるよう切に願う次第である。
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by mahounofuefuki | 2007-09-20 16:29

関東大震災から84年

9月1日は「防災の日」である。
米軍まで参加した軍事訓練さながらの防災訓練は、戦時動員の予行演習か?との疑問がつきまとうが、それはひとまず置いておく。

「防災の日」の由来は、1923年9月1日の関東大震災である。
10万人前後の人々が死亡し、日本に経済的打撃を与えた未曾有の大災害は、同時に忌まわしい事件を引き起こした。
朝鮮人・中国人虐殺事件である。特に朝鮮人の虐殺犠牲者は約6000人にのぼる。

当時、朝鮮半島は日本の植民地であり、朝鮮人は「日本国民」であったが、差別と蔑視にさらされていた。地震が起きると、警察・地方官庁などの官憲や新聞、そして一般の民衆は、朝鮮人が「蜂起」したとか、「放火」したとか、「井戸に毒をまいた」などの流言を発したり、信じたりし、特に自警団をはじめとする一般住民が、進んで朝鮮人を殺害した。地域によっては、軍隊が(地震翌日の戒厳令により強大な権限があった)加担したことも近年明らかにされている。日常的な差別の裏返しとしての恐怖が、人々を凶行に駆ったのである。

虐殺事件について、日本政府はこの84年間、調査も補償も謝罪も行っていない。
歴史学界も長らく、朝鮮人虐殺事件を、日本人社会運動家が官憲に謀殺された亀戸事件や甘粕事件と並列し、相対化していた。虐殺事件と亀戸・甘粕事件では、まったく次元が異なるという批判は、30年以上も前に、一橋大学教授だった姜徳相さんが名著『関東大震災』(中央公論社、1975年)で行っているにもかかわらず。一般の民衆が手を下した(朝鮮人を「保護」した警察署を住民が襲撃した所さえあった)という事実から目を逸らしていたのである。中国人虐殺に至っては、近年までまったく無視されていた。

この虐殺事件を反省せず、うやむやにしてしまえば、再び似たような事態を引き起こす危険がある。特に近年、排外主義世論が高まっており、韓国・朝鮮人や中国人に対する侮蔑意識は、戦後最高潮に達している。しかも、そうした世論を煽動している人間が、首相や東京都知事になってしまっている。今、外国籍の人々が多い関東や関西で、大規模災害が起きた時、大丈夫と言えるだろうか。

「9月1日」の意味をしっかり吟味し、ヒステリックな行動に走らないよう自省したい。
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by mahounofuefuki | 2007-09-01 22:09