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文部科学省の教科書検定「改善」案について

 昨年の今頃は、文部科学省が高校用日本史教科書の検定で、沖縄戦の「集団自決」における軍の強制を隠蔽する修正を行ったことが大問題となっていた。検定意見の撤回を求める声は残念ながら届かず、記述の回復も一部しか実現できなかったが、一連の過程で教科書検定制度が孕む諸問題が多くの人々に可視化された意義はあった。

 この「集団自決」問題を機に、文部科学省は検定過程の見直しを検討していたが、昨日の教科用図書検定調査審議会(検定審)の作業部会で「改善」案が決定したようである。その概要が報道されている。

 時事通信出版局|最新の教育ニュース:教科書検定、議事公開へ=検定調査審議会(2008/12/04 20:10)*web魚拓
 http://s01.megalodon.jp/2008-1205-2005-57/book.jiji.com/kyouin/cgi-bin/edu.cgi?20081204-6
「事後公開するとしたのは▽教科別の部会や小委員会の決定事項、審議内容を記載した議事概要▽部会、小委ごとの所属委員名▽出版社に通知する検定意見書の原案として教科書調査官が作成する調査意見書-など。
 検定過程で専門性の高い記述や学説が分かれる部分について判断する場合には、部会、小委が追加で専門委員を任命したり、外部から意見を求めたりできるようにし、審査自体の運用改善も図る」

 一応「改善」と評価できるのは、検定終了後とはいえ、従来全く非公開だった教科書調査官による調査意見書の公表を明示したことであろう。検定申請された教科書に対する文部科学省の意見は、表向きは検定審が決定することになっているが、審議会は形骸化しており、常勤の教科書調査官の意見が事実上左右している。検定過程を第三者が検証するためにも、その公開は絶対に必要であった。また、昨年の訂正申請の際に実施した外部の専門家からの意見聴取を制度化するのも、実施基準に疑問は残るが一定の評価はできよう。

 しかし、それ以外の「改善」案はあまり意味があるとは言い難い。こう言っては何だが、議事の公開が検定中だろうと検定後だろうと、検定審自体が調査官の意見書を追認するだけで形骸化したままでは、何度でも昨年のような不当検定が起こり得る。審議会委員や教科書調査官の詳細な人事情報公開も、従来から「わかる人にはわかる」状態で、肝心の人選・採用の透明化・公正化の具体案を欠いているのは問題である。

 さらに、「改悪」を疑わざるをえない話も報じられている。

 沖縄タイムス:検定透明化 程遠く/教科書審査改善案/途中の情報規制は強化(2008/12/05朝刊)*web魚拓
 http://s04.megalodon.jp/2008-1205-2007-01/www.okinawatimes.co.jp/news/2008-12-05-M_1-031-1_001.html
「検定の途中で審査内容が申請者以外に漏れた場合、審議停止できる」
「文科省幹部は『どういう経緯であれ、情報が出たら何らかの措置を取らないといけない。静かな環境ではなくなるわけだから』と今回の見直し作業で、情報規制が重点の一つだったことを認めた」

 「情報規制」「審議停止」というのは物騒な話である。昨年の訂正申請の時に、一部の教科書執筆者や意見聴取を受けた専門家が、検定に関する情報を一般に公開したようなことを予防するための策としか思えない。これは主権者の「知る権利」を侵害し、検定の「密室化」を促進するものと言えよう。「審議停止」は申請教科書が検定を通過できないことを意味するから、いわば教科書会社に対するペナルティであり、文部科学省の統制強化策以外のなにものでもない。

 教科書検定制度の大義名分は教科書記述の学問的合理性と客観性の担保にあったが、昨年の事件はそれが機能していないことを白日の下に曝した。私見では政府機関による教科書検定制度は廃止し、教科書発行者の責任を明確にした上で、教科書の採択の段階で何らかの方法により専門家や教員が関与できるようにするよう改めるべきだと考える。家永教科書訴訟が終結して以来、すっかり検定制度の改廃自体は問題になっていないが、関係者には改めて検定制度の廃止を検討して欲しい。

【関連記事】
教科書改竄の「黒幕」
教科書調査官の系譜~「さるのつぶやき」より

【関連リンク】
教科書検定の手続等 - 文部科学省
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/gaiyou/04060901/005.htm#z02
高等学校日本史教科書に関する訂正申請について(沖縄戦関係) - 文部科学省
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/08011106.htm
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by mahounofuefuki | 2008-12-05 20:23

田母神問題で明かされた自衛隊の歴史修正主義教育

 今日の参議院外交防衛委員会で、前航空幕僚長の田母神俊雄氏に対する参考人質疑が行われた。テレビ中継がなかったため、国会のインターネット中継にアクセスが殺到し視聴しにくい状況になったほど、人々の関心は高かったようである。「懸賞論文」問題の表面化以来、事実上田母神氏の作文を擁護する報道を繰り返してきた産経新聞が早速速記録を出しているが、同社の電子版はページ分割が多くて読みにくいうえ、いつ消えるともしれないので、同内容が転載された別サイトをリンクする。

 15年戦争資料@wiki - 産経【田母神氏招致・詳報】(1)(2)
 http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1578.html
 15年戦争資料@wiki - 産経【田母神氏招致・詳報】(3)(4)
 http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1583.html
 15年戦争資料@wiki - 産経【田母神氏招致・詳報】(5)(6)
 http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1584.html
 15年戦争資料@wiki - 産経【田母神氏招致・詳報】(7)(8)
 http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1585.html
 15年戦争資料@wiki - 産経【田母神氏招致・詳報】(9)(10)(11)
 http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1586.html

 改めて整理すると、田母神「論文」の一次的な問題は、①空幕長という要職にある者が、通常の歴史学では全く顧みられることのない根拠薄弱な妄説を盲信し、内容・形式ともに「論文」というには稚拙で粗末な作文を応募したこと、②憲法遵守義務があり、文民統制に服さねばならない自衛官でありながら、「論文」を通して憲法を否定する言動を行うという政治活動を行ったこと、③田母神氏の肝いりで航空自衛隊が組織的に特定の懸賞論文に応募したこと、の3点に集約される。さらに「論文」の重要な背景として、田母神氏と懸賞論文の主催者「アパ・グループ」との度を超えた癒着や、田母神氏の主導により自衛隊内で歴史修正主義・陰謀論に基づいた歴史教育を行っていることも問題である。

 現在、政府やマスメディアが問題としているのは、田母神作文の提示した歴史認識が「政府見解」「村山談話」に反するというもので、今回の質疑でもその線で追及が行われたが、はっきり言ってあの作文は政府見解がどうのというレベルですらなく、むしろその基礎学力の低さを強調するべきだろう。大学の卒業論文どころかレポート課題でもあの内容では不可である。田母神氏は「最優秀賞」の受賞が発表されると、自ら問題の作文を防衛省内や担当記者たちに配っていたというから重症である。欲を言えば、国会質疑では田母神氏が空自の制服トップに値する「能力」がなかったことをもっと厳しく追及して欲しかったところである。

 今回の質疑で私が最も注目したのは、共産党の井上哲士議員が取り上げた、田母神氏が統合幕僚学校校長在任中に陸海空すべての幹部教育の体系を改定して、歴史修正主義に基づく「歴史観・国家観」の講義を行わせたという件である(井上氏の当該質疑は前記「詳報」の9・10)。講師は防衛大学校でも防衛研究所でもなく「主として外部から」呼ぶことになっており、その講師は大正大学教授の福地惇氏だという。福地氏の講義案はweb上に出ているが、認識において田母神作文とも共通するところが多い(さすがにもっと巧妙で「論拠」もはるかに多いが)。

 15年戦争@wiki - 統合幕僚学校・高級幹部課程講義案
 http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1541.html

 福地氏と言えば東京大学国史学科の出身で、昨年沖縄戦の「集団自決」に関する教科書検定問題時に弊ブログでも問題にした、保守的歴史学者で東京大学名誉教授の伊藤隆氏の門下である。伊藤門下でも政治的に最右翼として知られ、1998年に伊藤氏の推薦で文部省主任教科書調査官に任官するも、雑誌上で当時の教科書検定基準を批判したために、わずか半年余りで更迭された。伊藤氏と同様「新しい歴史教科書をつくる会」に加わり、内紛により師の伊藤氏が脱会した後もとどまり、現在は副会長を務めている。明治政治史で業績のある人だが、それだけに専攻外の日中戦争で通説に反する根拠薄弱な「コミンテルン陰謀論」や「南京大虐殺否定論」といった妄説を唱えているのは、専攻の業績も吹っ飛んでしまうほど歴史学者としての知性と品性を疑わせしめる。もはや歴史学者と言うべきではないだろう。

 このようなふざけた講義が統合幕僚学校で行われていたということは、「田母神流」が空自にとどまらず、全自衛隊の幹部教育に貫徹していた可能性があり、問題はもはや田母神氏個人の域を超えて、自衛隊が一体どんな歴史教育を行っているのか、今後も徹底的に洗い出して正常化する必要があるだろう。田母神問題が大きくなることで、日本社会に潜在する歴史修正主義への「渇望」を呼び覚まし、かえってそうした言説が力をもつリスクはあるが、むしろ田母神氏が「自爆」を続けるこの機に膿を出してしまうべきである。

【関連記事】
教科書改竄の「黒幕」
教科書調査官の系譜~「さるのつぶやき」より
「トンデモ空幕長」爆発!
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by mahounofuefuki | 2008-11-11 22:58

「トンデモ空幕長」爆発!

 沖縄戦「集団自決」訴訟の控訴審が大江健三郎氏・岩波書店側の勝訴に終わって安堵していたところに、とんでもないニュースが目に入ってびっくり仰天した。航空自衛隊の制服組トップである航空幕僚長の田母神俊雄氏が、懸賞論文で「侵略、植民地支配を正当化する歴史認識を示し、憲法にも異を唱えるような」主張を行い、しかもその論文が「最優秀賞」を受賞したという(共同通信2008/10/31 19:48)。

 問題の懸賞は「アパグループ」の第1回「真の近現代史観」懸賞論文で、確かに最優秀賞受賞者に田母神氏の名があり、「日本は侵略国家であったのか」と題する論文がPDFファイルで出ていた。

 アパグループ 第一回「真の近現代史観」懸賞論文募集
 http://www.apa.co.jp/book_report/index.html

 主催者がアパで、審査委員長が渡部昇一氏という時点で、この懸賞のねらいは明白だが、実際のところ田母神論文は中国出兵合法論、張作霖爆殺事件や日米戦争のコミンテルン陰謀説、植民地善政論、日本による有色人種解放論と「おなじみ」の歴史修正主義・陰謀論言説のオンパレードである。論文というわりには注もなく、文章量も少なく、論拠に提示しているのが黄文雄、櫻井よしこ、岩間弘、秦郁彦、渡部昇一各氏らの著作で、秦氏を除いて歴史研究者ですらないところが失笑もので、論文どころか大学のレポートでも不可になりそうな代物である。

 とは言え歴史学に対する無知と無礼はともかく、「自衛隊は領域の警備も出来ない、また攻撃的兵器の保有も禁止されている」と不満を述べて、集団的自衛権の行使を実質的に求めているとなるとさすがに笑えない。現行憲法遵守義務を有する国家公務員として、文民統制に服する制服自衛官として、決して許される発言ではない。

 田母神氏と言えば、今年4月に名古屋高裁が自衛隊イラク派遣差し止め訴訟で違憲判決を出した際、記者会見で「そんなの関係ねえ」と発言して物議を醸した人だが、ほかにも暴言や問題行動を引き起こしている。

 昨年5月のクラスター爆弾禁止プロセスのリマ会議に関し、「不発弾による(日本人の)被害も出るが占領される被害の方が何万倍も大きい」と発言し、各国の参加者から厳しい批判を浴びた(毎日新聞2007/05/26 11:18)。軍事行動を優先するためには自国民の犠牲も厭わないという姿勢は、戦前の軍国主義と何ら変わらない。

 今年1月30日には航空自衛隊熊谷基地での講話で、複数の国立大学総長経験者らを「脳みそが左半分にしかない人たち」と誹謗したという(田母神空幕長がまたまた暴言か - 『自衛隊員が死んでいく』暫定ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/jieijieitaitai/16673030.htmlによる)。そういう自分が「脳みそが右半分にしかない」と言われることを想定できないのだろうか。

 最近公表された昨年の政治資金報告書によれば、田母神氏を含む現職幹部自衛官7人が元自衛官の佐藤正久参院議員に政治献金を行っていたことも明らかになっている(MyNewsJapan 田母神空幕長ら自衛隊トップ7人に政治献金疑惑 自衛隊法違反か http://www.mynewsjapan.com/reports/924)。その法的・道義的正当性に疑念がもたれる。

 かの「そんなの関係ねえ」発言の時点ですでに更迭ものだったが、その後も悪びれずにこれだけ問題行動を繰り返しているのを放置しておいては、いくらなんでも政府の涸券にかかわるのではないか。自衛隊の要職者がこんな体たらくなのは、議会政治においても、国際関係においても有害でしかない。麻生太郎首相の首相就任後の姿勢とも齟齬をきたしている以上、今度ばかりは今までの問題行動をひっくるめて更迭するべきであろう。

 当の田母神氏は今春、東京大学の「五月祭」に招かれて講演した際に「将来リーダーとなる東大の学生の皆さんは高い志を持って燃えて欲しい。上が燃えないと組織は不燃物集積所になる」と述べたというが(産経新聞2008/05/24 16:42)、航空自衛隊を「不燃物集積所」どころか「火ダルマ」にしたくなければ、勝手に炎上している幕僚長にはご退場願うべきである。


《追記》

 ・・・という文を書いていたら、「dj19の日記」によると本当に更迭されたそうだ。当然の政治判断だろう。

 田母神俊雄・航空幕僚長「我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である」→即クビw – dj19の日記
 http://d.hatena.ne.jp/dj19/20081031/p2


《追記》

 リマ会議「で」という記述を、リマ会議「に関し」に訂正した。田母神氏は会議で発言したのではなく、記者会見で発言したのが、会議参加者の間で問題になった。推敲不足をおわびする。
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by mahounofuefuki | 2008-10-31 22:14

よみがえる「世直し一揆」

 19日に東京・新宿の明治公園で「反貧困ネットワーク」主催の「反貧困 世直しイッキ!大集会」が行われた。以前、弊ブログでweb記事をまとめた「青年大集会」もそうだったが、地方在住の私はこの手の催しには参加できず、しかも今回はまだ動画も観ていないので、集会の内容については言及しようがない。ただ「氷河期世代」で先の見えない貧乏人の1人として、とにかく貧困の解消に社会を上げて取り組んで欲しいという思いは共有しているだけに、こうした動きをどんどん広げなければと思っている。

 ところで、私が注目したいのは「世直しイッキ」という名称である。ついに現代の貧困は、その撲滅のための運動に前近代の言葉を用いざるをえないところまで来てしまったことを深刻に捉えざるをえない。「世直し」とは主に江戸時代に「救済」「解放」を求める民衆意識を表現する言葉として登場した。「イッキ」=「一揆」とは中世・近世における人的結合や団結行動を指す。そして「世直し一揆」とは幕末期、開国に伴う経済危機に際して百姓らが生存を賭けて闘った幕藩権力との闘争である。いずれも近代社会では「過去の言葉」であり、特に第二次大戦後は限りなく「死語」に近かったとさえ言えよう(小田実の「世直し」論とかはあったが)。

 そんな「世直し一揆」が現代に蘇ったのは、現代の貧困状況に際して「我々の苦境をリアルに表現している文学は何か」と探した時、『蟹工船』まで遡らねばならなかったのと同様に、「我々の貧困に対する怒りと変革への要求を表現する運動形態は何か」と考えた時、近代的な市民運動や政治運動ではいまいちマッチせず、江戸時代の「世直し」まで遡らなければならなかったということを意味する。

 「反貧困ネットワーク」代表の宇都宮健児氏は「税金の軽減などを求め農民が決起した秩父困民党を模し、たすきにはちまき姿」で「むしろ旗にペンキで『反貧困』と書いてアピール」していたという(しんぶん赤旗2008/10/20)。秩父困民党は、通説では自由民権運動の最もラディカルな形態と評されているが、実際は近代化を前提とした国民国家形成を目指した自由民権運動とは一線を画しており、むしろ近世の百姓一揆の終末形態であったとする学説の方を私は支持している。「反貧困」のプロトタイプを「前近代最後の闘争」たる秩父困民党に求めたのは、逆説的に自由民権以降、特に「戦後民主主義」の言説や身体表現では「反貧困」を社会に訴えるのに十分ではないことを象徴しているのではないか。

 今回の「世直しイッキ」には「垣根を越えて、つながろう」というサブタイトルが付いていた。なるほど近代的な労働争議や市民運動が常に党派間対立や裏切りや妥協を孕み、何よりも時代が進み経済的に豊かになるにつれて民衆のナマの生活要求から、より洗練された政治行動へと昇華することで「プロ市民」化したことと比べると、地域の貧農や日雇い層や雑業層など社会の周縁に押し込められた人々が広範に結集した前近代末期の一揆こそ、まさしく「垣根を越えて、つながった」闘争と言えるだろう。幕末・維新期の一揆には博徒とかヤクザのようなアウトサイダーが参加した例も少なくないほどカオスな状況だった(秩父困民党の代表者も博徒だった)。そしてその要求は「悪税をやめろ」「借金を帳消しにしろ」「「米よこせ」というような生活に即した具体的なものだった。

 もちろん「反貧困」運動自体は客観的には戦後の社会運動の系譜上に位置するし、当時と現代とではその背負っている歴史が異なる以上、そのまま「世直し一揆」を移植することなどできない(何より勝利例は信達一揆などわずかである)。とはいえ少なくとも言説において蘇生した「世直し一揆」は、既成の各種の社会運動が必ずしも現代の貧困に対応できていない状況を照射するとともに、今後貧困解消を目指すための方法論と方向性を指し示しているのではないかと思う。歴史に学ぶとはそういうことである。

【関連リンク】
写真速報:反貧困イッキ!大集会に2000人 - レイバーネット
http://www.labornetjp.org/news/2008/1019shasin/
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by mahounofuefuki | 2008-10-21 00:14

昔の防衛官僚は新聞記者に機密を意図的にリークしていた

 読売新聞が2005年に中国の潜水艦事故について報道した件に関し、防衛機密を漏洩したとして、昨日防衛省情報本部の一等空佐が懲戒免職に処せられた。以下、共同通信(2008/10/02 22:22)より。
 南シナ海での中国潜水艦の事故をめぐる「防衛秘密」が防衛省から読売新聞記者に漏えいしたとされる事件で、同省は2日、自衛隊法(防衛秘密漏えい)違反容疑で書類送検された元情報本部課長の北住英樹1等空佐(50)=同本部総務部付=を、同日付で懲戒免職処分にしたと発表した。

 記者への情報提供を「漏えい」として、自衛官が懲戒免職となるのは初めて。書類送検を受けて捜査している東京地検が刑事処分を決める前に、同省が極めて厳しい処分に踏み切る異例の展開となった。背景には情報保全強化の流れがあり、取材を受ける公務員が萎縮(いしゅく)するなど「知る権利」「報道の自由」の制約につながる懸念がある。
(中略)
警務隊の調べなどでは、北住1佐は2005年5月30日、中国海軍の潜水艦が南シナ海で潜航中に起こした火災とみられる事故に絡み、防衛相が「特に秘匿が必要」として指定する防衛秘密に該当する潜水艦の動向に関する情報を記者に漏らした疑いが持たれている。(後略)

 この問題に対しては、自衛隊の警務隊が記事の取材源を特定するために捜査を行ったことの妥当性や、そもそも中国の潜水艦の動向が隠さなければならないほどの機密なのかという疑問や、外国の軍事関係者とかへの情報提供ならいざ知らず、新聞記者に対するリークで懲戒免職というのは過去にあまり例がないことや(外務省では有名な日米密約に絡む機密漏洩事件があったが)、アメリカ政府・軍からの圧力の疑いがあることなどなど、多くの疑念がある。

 実はこのニュースを聞いた時、個人的に真っ先に思い出したのは、ある日本近現代史料の研究会における次のやりとりだった。以下、その報告書中の速記録より(太字強調は引用者による)。
(前略) しかし、当時その記事を書いた社会部の記者も原子力なんてさっぱり分からんわけです。それで、伊藤先生はご存じだと思いますが、防衛庁関係で非常に敏腕な堂場肇という記者がおりました。再軍備関係のドキュメントをたくさん書いていますが、これもやっぱり波長が合ったんでしょうね、防衛庁の幹部の某氏から機密に属する資料をいくつも入手して、堂場文書という、これはいまどこに入っていますかね?(後略) (科学研究費成果報告書「近現代日本の政策史料収集と情報公開調査を踏まえた政策史研究の再構築」より松崎昭一の発言、2004年7月9日)


(前略)
有馬 一つだけ。さっき、海原さんはやっぱり堂場氏に渡していたんだという話がありましたが、つまり相当量の文書史料を持っていると。防衛担当記者がそれだけ集められるという、常に海原さんから貰っていただけではないと思うんですけれども。

佐道 ではないと思います。

有馬 そこら辺は、何かわかるんですか。

伊藤 オーラルをやっているとわかりますけれども、新聞記者との関係でいろいろ話があって、机の上に置いといて「まあ、見て」ということはよくありますと。ある種、リークですね。それをコピーして持って行くかどうかはわかりませんけど、そ こまではっきり言っちゃったらまずいだろうから。

佐道 そうですね。とくに昭和 30 年代とか 40 年代は、だいぶオープンだったみたいです。出入り自由みたいな形で、しょっちゅう課長、局長のところに行ってみたいな。海原さんという人は、かなり腕力があった人というのは、逆にいうといろんな手段を使って自分のやりたいようにやっていた人ですから、おそらく使える政治家を使うし、新聞記者だって。

有馬 新聞記者も使う。

佐道 ええ。それには、「ちょっと、こんな文書があるんだよ」みたいなところでやったんじゃないかと思うんですよね。(後略) (同前より、有馬学、佐道明広、伊藤隆の発言、2004年3月15日)

 引用文中に出てくる堂場肇という人は、奇しくも今回問題になっている読売新聞の防衛担当記者だった人で、在職中数々のスクープを挙げたことで知られている。同じく引用文中の海原とは、防衛官僚の実力者だった海原治で、堂場は海原を含む防衛庁幹部からのリークで記事を書いていたという。特ダネの欲しい新聞記者と、新聞を利用して情報操作や内外の駆け引きの材料にしようとする防衛官僚とのギブアンドテイクが推定しうるが、彼らの現役時代にはもちろんこうした事情は一般には明かされず、リークした官僚も新聞記者も処罰されはしなかった。
*余談だが、この堂場肇が遺した機密文書の複写などを含む文書類は、その後大学の研究機関に移り、政治史研究に用いられている。先日、法務省が過去に流出し国会図書館が買い取った文書の閲覧禁止を要求したことの不当性は、この先例と比べても明らかである。

 つまり昔は防衛庁・自衛隊にあっても、他の省庁同様「消息筋によれば」という取材源を秘匿した形で、機密に属する情報が報じられていたのである。杓子定規に過剰なまでに秘密主義が採られ、高級官僚が情報を独占し、それ以外の人間が一切検証できない状態と比べた時、どちらが社会の在り方として「健全」であるか。安全保障や防衛機密の在り方については、いろいろ議論の分かれるところだろうが、正直なところ今回の「漏洩」が安全保障上、格別の危機をもたらしたとは思えず、むしろ一種の「見せしめ」ではないかという疑問が拭えない。

 どうにもキナ臭い世の中になってしまった・・・。

【関連リンク】
科学研究費成果報告書「近現代日本の政策史料収集と情報公開調査を踏まえた政策史研究の再構築」(平成15・16年度) 5.松崎昭一*PDF
http://kins.jp/pdf/54matsuzaki.pdf
科学研究費成果報告書「近現代日本の政策史料収集と情報公開調査を踏まえた政策史研究の再構築」(平成15・16年度) 5.佐道明弘*PDF
http://kins.jp/pdf/64samichi.pdf
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by mahounofuefuki | 2008-10-03 23:04

若衆が村役人宅を封鎖して「休みを増やせ」と要求する風習

 盆休みも終わり、今日から通常営業だったという人が結構いると思う。有給休暇制度があまり機能していない(というより権利として確立していない)日本では、盆と正月と5月の大型連休に長期休暇が集中しがちで、せっかくの休暇も地獄のような帰省及びUターンラッシュに見舞われるか、どこかへ出かけても人ごみだらけで、全然休めないよ~という場合も多い。それ以前に長期休暇自体がなくて、盆の間も仕事でした、という人も増えていることだろう。日本の労働時間の長さと休暇の少なさは世界有数である。

 長野県南箕輪村田畑地区では、盆休みの終わりに若衆が村の有力者の邸宅をバリケードで封鎖して外に出られなくなるようにし、盆休みをもう1日延ばせと実力で要求する「盆正月」という風習が明治以来続いているそうだ。

 信濃毎日新聞(2008/08/18)によると、今年も8月16日深夜から17日早朝にかけて、有志の「伝統行事を守る会」の人々が区長宅や公民館などで行ったという。「区長宅の玄関前は母屋隣の物置から持ち出した小型耕運機や靴箱、一輪車などが積まれ、玄関から出入りするすき間もなかった。玄関前の地面には、石灰のような白い粉で『お正月』との文字が大きく書かれていた」。
 *中日新聞(2008/08/18 08:46)によると、もともとは「盆が終われば正月だ」という意味を込めて、最後に正月飾りを取り付けていたという。

 今年は17日が日曜なので、いずれにせよ公定休日なのだが、区長は律儀にも区内に「今日は休みにしてください」と周知したという。おそらくそういう対応も含めて定番化しているのだろうが、この種の「奇習」が現代も継続して行われていることに驚きを禁じ得ない。

 もともとは盆休みに遊び足りない若い衆が、強引に村役人へ要求を通したのが始まりだそうで(信濃毎日新聞の「信州歳時記」などより)、人によっては「悪ふざけ」に見えるかもしれないが、私はこういう痛快な「伝統」は好きである。これはある意味、休養権を要求して労働者が集団で決起したようなもので、まさに「リアル蟹工船」である。現在のインディーズ系の労働運動にも通じるところがある。

 南箕輪を含む長野県伊那地方は、日本近代史上、自生的な青年運動が活発だった地域として知られている。特に1920年代には農民青年による自主教育運動である「自由大学」運動や、社会主義青年運動が広がり、中央政府主導の青年団統制が強化されていた時期にあって、例外的に江戸以来の「若衆組」の伝統を引き継ぎつつ、「下から」のうねりが確固たる地盤をかちえていた。この「盆正月」はそうした過去の遺産の名残なのだろう。

 「伝統」というと専ら天皇制国家によって「上から」創出されたものばかりを「固有の伝統」とか「古来の伝統」とありがたがる傾向が強いが、むしろ田畑の「盆正月」のような「奇習」にこそ引き継ぐべき日本社会の「伝統」が息づいていると思う。現在でも「休みを増やせ!」「有給休暇を取らせろ!」と労働者が株主や経営者宅を包囲封鎖できたら面白いのに。

【関連リンク】
信州歳時記|夏 ~ 盆正月(信濃毎日新聞社)
http://www8.shinmai.co.jp/saijiki/data/08_002049.php
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by mahounofuefuki | 2008-08-18 17:43

「追悼の場」と「自己顕示の場」

 昨日のエントリで、8月15日に靖国神社を参拝する人々の相当数が死者の追悼よりも、靖国を参拝するという行為を通して自分が「日本人」であるという帰属意識を確認することに意味を見出しているのではないか、ということを指摘したが、昨日の靖国神社の様子を映した動画を見てその思いをより強くした。

 YouTube - 平成20年8月15日 靖国神社
 http://jp.youtube.com/watch?v=JHZyrt0ph94
 まず「普通の」情景。0:30あたりで、「○○議員の○○先生」と延々と紹介しているのに失笑。靖国は選挙の票集めの道具なのが実態なのだ。途中でどう見ても「珍走団」にしか見えない人たちが・・・。最後の方で「パンダに国民の税金を使うなどもってのほかです」とかアジっていたのにも笑った。パンダなんかよりもっと重大なことがあるだろう。

 YouTube – 2008/8/15 靖国神社にて
 http://jp.youtube.com/watch?v=MGIdFGgIOlY
 YouTube – ドキュメント靖国神社01
 http://jp.youtube.com/watch?v=GsSCOtvyBoc
 まるで同窓会のノリで軍歌を熱唱するじいさんたち。上の動画では軍歌熱唱の輪の中になぜか若い女性が1人。

 YouTube - ドキュメント靖国神社02
 http://jp.youtube.com/watch?v=vFM0nEYQSXI&feature=related
 YouTube - ドキュメント靖国神社03
 http://jp.youtube.com/watch?v=3yn_LPFzDD0&feature=related
 YouTube - ドキュメント靖国神社04
 http://jp.youtube.com/watch?v=3msLcZvFRIM&feature=related
 軍装コスプレの皆さん。「軍隊ごっこ」にしか見えない。聴くに堪えない下手なラッパに涙目。こういう人たちに私はナルシズムしか感じないのだが・・・。

 YouTube - ドキュメント靖国神社05
 http://jp.youtube.com/watch?v=TqKIXQLToS8&feature=related
 「お約束」の機動隊と右翼街宣の対峙。街宣の諸兄は自分たちのやっていることが死者をかえって冒涜しているという自覚がないのだろうか。

 リアル中国へ帰れ中国へ!:WHAT’S NEW PUSSYCAT!?
 http://pussycat.blog.so-net.ne.jp/2008-08-15-23
 やはりあったトラブル。仲裁に入った人を中国人と決めつける。リアリティのない「他者の消えた楽園」を望む滑稽さ。

 戦争再生産装置としての靖国神社における戦没者追悼の在り方はますます歪みを見せている。追悼の場というよりも自己顕示の場とする人々。「軍隊ごっこ」を見ると、もともと日本の宗教の中では歴史の浅い靖国神社はある意味カルト化しているのでは?とさえ感じる。戦争への批判も反省もない好戦的ナショナリストに荒らされる場としての靖国。こんなものに公的性格を与えようとする気がしれない。

 ちなみに産経新聞(2008/08/15 21:07)によれば、靖国の参拝者は一昨年が25万8000人、昨年が16万5000人、今年が15万2000人と減少を続けているらしい。靖国神社はだんだん見放されつつある。

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by mahounofuefuki | 2008-08-16 13:00

「8月15日」

 今日8月15日は敗戦記念日である。内外の戦没者を追悼し、不戦を誓い、平和実現を祈願する、というのが模範的な行為なのだが、親世代でさえ戦争体験がなく、親族に戦没者がいないこともあって、個人的には「特別な1日」という実感はどんどん薄れていることを告白しなければならない。「8月15日」をめぐるさまざまな綻びを近年感じるようになったこともその一因である。

 今日の視点から歴史を顧みるならば、本来政治史的な意味での「敗戦」のメモリアルとなる日は、日本政府がポツダム宣言の受諾を最終的に決定した8月14日か、降伏文書に調印した9月2日なのだが、戦争体験者の実感に即せば、やはり「終戦の詔書」が公表された8月15日は特別な意味を持つのだろうから、それを軽視するつもりはない(旧植民地でもこの日は「解放の日」である)。この日に改めて「不戦」を誓うことの社会的な意味も認識している。しかし、「8月15日」が次第に儀式化・形式化する中で、形ばかりの「戦没者追悼」や口先だけの「平和の祈願」に距離感を覚えるのを否定できないのである。

 「8月15日」に対する違和感は、政府主催の戦没者追悼式をはじめ「正午」に黙祷を行う慣習に最も現れる。なぜ正午なのか。昭和天皇の「玉音放送」に重ね合わせていることは承知しているが、この「正午の黙祷」という行為が昭和天皇の「聖断」に特権的意味を付与し、「敗戦」を「終戦」と読み替えた欺瞞を公認しているように思える。そこからは天皇制の戦争責任を問う契機は生じない。
 戦没者の追悼に際しても、相変わらず戦没者の死に「平和のための礎になった」式の意味を与えようとする向きが強い。実際には戦争での死に意味などない。戦没者は国家によって犬死させられたという厳然たる事実を受け入れない限り、本当の意味で戦争を克服したことにはならない。国家の「せいで」死んだ人々を、国家の「ために」死んだと読み替え、あまつさえその死を「顕彰」する「靖国史観」などもってのほかである。

 その靖国神社では今年も多数の人々が参拝に訪れている。web上で実際に靖国に行ってきた人の報告記などを読む限りでは、8月15日の靖国はますます「祝祭空間」化が進み、のぼりを掲げた右翼集団や軍装のコスプレイヤーが目立つ。「静謐な追悼の場」を汚すような街宣も例年通り。本当に戦死者を心から追悼している人がどれほどいるのか。戦争体験のない世代や戦死者と直接のつながりのない者にとって、靖国を参拝することは追悼というより、「日本人」であることを確かめる象徴的儀式となっているのが実情なのではないか。一種のナルシズムである。
 福田康夫首相は賢明にも靖国参拝を行わなかったが、何人かの閣僚は参拝した。特にかつて集団強姦を「元気があっていい」と放言した太田誠一農水大臣が、戦争美化装置たる靖国に、それも8月15日に参拝するグロテスク。旧軍の性犯罪も「元気があっていい」と言っているようで非常に不快だ。戦没者追悼式で福田首相は過去の首相と同様、アジアへの加害責任に言及した上で「不戦の誓いを新たにする」と表明したが、いかに国家の最高首脳が公式にはそう言っても、一方で閣僚を含む多くの国会議員の矛盾する行動を放置している限り、国際社会はもとより、日本国内の良識ある人々にもその不戦の意思に疑念が生じざるをえない。

 一方、「平和の祈願」の在り方にも疑問がある。「戦後63年」という時、その「戦後」は「平和」であったという認識が前提にあるが、以前沖縄の慰霊の日に当ブログで言及したように、その「平和」の内実が厳しく問われるべきなのではないか。
 日米安保体制のもと、米軍基地や自衛隊基地のある所では必ずしも「平和」を享受できたと言えない。より大きな話としては、「戦後の平和」なるものがあまりに美化・特権化された結果、その間の社会の矛盾が忘却されている。「平和を守ろう」という掛声が、特に我々「氷河期世代」の社会的弱者にむなしく響くのは、その「平和」の恩恵を受けていないという「実感」が根強く存在するからである。

 「戦後の平和」が「虚妄」であった、とまでは言わない。少なくともこうしてささやかなブログを書く自由はまだある以上、「不正義の平和」だとか「戦争の方がまし」などとは全く思わないが、他方で毎年3万人以上が自殺に追い込まれ、貧困が拡大し続けるような状況を、とてもではないが「平和」とは言えない。むしろポスト冷戦下での「新たな戦争」なのではないかとさえ考えている。
 「既成の平和」を守るというスタンスをとる限り、現在「平和」に生活しえない人々には「平和」を守る意味を見出すことはできない。現実に世界が「核」の支配下にあり、世界各地で武力紛争が続き、また日本国家がさまざまな形態でアメリカの戦争に加担していることも含めて、「平和」が「未完の課題」であることを決して忘れてはならない。

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by mahounofuefuki | 2008-08-15 17:42

米兵裁判権放棄に関する法務省文書の閲覧禁止について

 日本政府が1953年に、在日米軍の将兵による刑事事件に対する裁判権を放棄する密約をアメリカ政府と結んでいた、という報道を覚えているだろうか。
 同年締結の日米行政協定第17条は、米兵の「公務中」の犯罪はアメリカ側が、「公務外」の犯罪は日本側が1次裁判権を有すると定めていたが、実際の運用にあたっては「公務外」の場合でも衆目の集まる「重要」な事件を除き、日本政府は裁判権を行使していなかったことがアメリカの公文書公開で明らかになった件である(なお安保改定に際し、日米行政協定は日米地位協定に変わったが、裁判権条項は同じ17条に残っている)。
 今年5月に共同通信(2008/05/17 19:15)は次のように報じていた(太字引用は引用者による、以下同じ)。
 日本に駐留する米兵らの事件をめぐり、日米両国政府が1953年に「重要な案件以外、日本側は裁判権を放棄する」との密約に合意し、日本側がその後約5年間に起きた事件の97%の第1次裁判権を放棄していたことが、17日までに機密解除された複数の米側公文書で分かった。
 一連の米側公文書は58年から66年にかけて作成され、米国立公文書館で見つかった。
 このうち58年10月2日のダレス国務長官の在日米大使館あて秘密公電などによると、「日米安全保障条約改定に応じるに際し、日本側から裁判権放棄について意思表示を取り付けるべきだ」と秘密合意を公的にするよう提案した。
 これを受け、2日後にマッカーサー大使が岸首相と会談。大使は「53年の秘密議事録を明らかにせずに慣行として日本は裁判権を放棄してきたし将来も同様だと表明してほしい」と要請したが首相は応じなかった。
 また57年6月に国務省が作成した文書によると、53年以降、日本が1次裁判権を持つ約1万3000件の事件のうち97%の裁判権を放棄。実際に裁判が行われたのは約400件だけだった。
 安保改定に際してアメリカ側は「密約」を公にするよう要求したが、当時の岸信介首相は拒否、つまりあくまで内外に秘密にし続ける意思を示したという内容で、ここからその後も「密約」は効力を持ち続けていたことが容易に推定できよう。

 この件は他の「密約」と同様、アメリカの情報公開で明らかになったもので、文書管理と情報公開の遅れる日本側の関係文書はこの時点では一般には明らかにはなっていなかったが、先日、この裁判権放棄の「密約」の存在証明を補強する法務省の内部資料が明らかになった。
 以下、共同通信(2008/08/04 13:43)より。
 日本に駐留する米兵の事件をめぐり、1953年に法務省刑事局が「実質的に重要と認められる事件のみ裁判権を行使する」との通達を全国の地検など関係当局に送付、事実上、裁判権を放棄するよう指示していたことが、同省などが作成した複数の内部資料で分かった。
 法務省は地検に「慎重な配慮」を要請し、事件の処分を決める際は批判を受ける恐れのある裁判権不行使ではなく、起訴猶予とするよう命じていたことも判明。地検の問い合わせには日米地位協定に基づき、日本が第1次裁判権を行使できない「公務中の事件」の定義を広く解釈するよう回答していた。
 日本側の裁判権放棄については日米両政府による53年の秘密合意が明らかになっているが、合意を受けた具体的対応が分かったのは初。現在も米兵の交通事故など多くの事件が起訴されておらず、通達の効力は維持されているとみられる。
 内部資料は、法務省刑事局と警察庁刑事局が54年から72年にかけて作成した「外国軍隊等に対する刑事裁判権関係」などの実務資料。日米関係研究者の新原昭治氏や共同通信が入手した。
 しんぶん赤旗(2008/08/05)によれば、問題の通達は法務省刑事局長が1953年10月7日付で全国の検事長・検事正に宛てたもので、1972年3月に同局が作成した「合衆国軍隊構成員等に対する刑事裁判権関係実務資料」(マル秘指定)に収録されていたという。つまり、少なくとも1972年の時点でも「密約」は有効だったことがわかる。

 ところが、今日になって次のようなニュースが明らかになった。
 以下、しんぶん赤旗(2008/08/11)より(引用にあたり漢数字をアラビア数字に変換した)。
 日本に駐留する米兵の犯罪に関する日米間の密約を裏付ける法務省資料が、これまで国立国会図書館で閲覧可能でしたが、政府の圧力で6月下旬から閲覧禁止になったことが10日までに明らかになりました。
 利用禁止になったのは、1972年3月に法務省刑事局が作成した「合衆国軍隊構成員等に対する刑事裁判権関係実務資料」です。
 今年5月下旬、国会図書館に政府から、「(同資料を)非公開とする旨の発行者の公的な決定」が通知されました。同図書館は6月5日に関係部局長で構成される委員会で対応を協議し、「現時点では発行者の公的な決定と異なる判断を下す理由を見いだせなかった」として、同月23日に閲覧禁止を決定。同図書館のインターネット資料検索システム(NDL―OPAC)からも削除しました。
(中略)
 法務省資料には、米兵の犯罪に対して、第1次裁判権(日本側が優先的に裁判を行う権利)の大部分を放棄するよう指示した1953年の通達など、政府が存在を公に認めていない米兵に対する特権的事項が収録されています。同資料は「マル秘」指定になっていますが、古書店で販売されていたものを国会図書館が入手し、1990年3月に蔵書として登録しました。
 法務省資料の「発行元」である同省刑事局は本紙に対して、「本件についてコメントできない」としています。(後略)
 まず、5月の報道では不明だったマル秘資料の入手経路が明らかになった。1990年3月より以前に法務省(あるいは警察庁)もしくはその関係者から問題の資料が古書店に流出し、それを国立国会図書館が入手し、蔵書として登録したことがわかる。新原昭治氏らは国会図書館で正規の手続きを踏んで当該資料の複写を入手したのは間違いない。

 一方、新たな謎もある。アメリカ側文書の存在が報じられたのは5月17日。政府が国会図書館に非公開通知を行ったのは「5月下旬」。閲覧禁止が6月23日。政府の動きがいかにも早い。18年間も放置されていたのだから、政府が法務省資料の流出を知ったのは5月17日以降だろうが、どうやって国会図書館の資料の存在に気づいたのか。新原氏と共同通信の動きを知った上で、すぐさま隠匿工作を指示したと考えられるが、その具体的経過がよくわからない。

 一連の流れから、私が注意するのは次の2点である。

 第1に、政府がすぐさま閲覧禁止措置にしたように、この日米地位協定違反の「密約」は政府にとって何としても日本の主権者の目から隠したいもので、そして現在も効力を持っているということである。実際、現在も米兵の事件は相当数が不起訴となっている。問題の刑事局長通達が指示しているように、不起訴によって事実上裁判権を放棄する方法が一般的に行われているのは間違いのないところだろう。

 第2に、「廃棄された公文書」の扱いである。今回の場合、文書を所持していた関係者から流れたか(たとえば関係者本人の死後、遺族が保有文書を売りに出すことは多い)、法務省(あるいは警察庁)自体が現用でなくなって廃棄したのが古書市場に出たのかのどちらかだろうが、いったん廃棄ないし売却された文書を、いかに発行者とはいえ「閲覧禁止」を要求することが果たして正当なのかどうか。以前、ある歴史研究者が防衛省防衛研究所の所蔵資料で論文を書いたら、それが旧軍にとって不都合な内容だったために、その資料が閲覧停止になったという話を聞いたことがあるが、今回の場合、すでに法務省の手を離れた文書なのだから、より悪質である。

 現在公文書問題については、この問題をライフワークとする福田康夫首相の肝いりで、担当の国務大臣が置かれ、「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」が設置され、現行では事実上各省庁の恣意に任されている文書管理と情報公開の改革が検討されている。ここで想定されている中心課題は公文書の管理と公開の一元化で、省庁から文書館への移管を確実にする方策が重視されているが、今回の法務省の場合のようなケースはどうなのか。福田首相は今回の件を黙って見過ごすようでは、言行不一致の誹りを免れない。
 日米関係の「闇」の深さに戦慄を覚えると同時に、日本国家の文書管理の不透明さに改めて驚きを禁じ得ない「事件」である。

【関連リンク】
日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定 – 外務省*PDF
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/sfa/pdfs/fulltext.pdf
国立国会図書館
http://www.ndl.go.jp/
公文書管理の在り方等に関する有識者会議 - 内閣官房
http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/koubun/index.html


《追記》

 本稿執筆後、「情報流通促進計画」が別のソースを用いて、法務省文書閲覧禁止の件についてのエントリを上げておられるのを確認した。

 てえへんだ、てえへんだ・・・国会図書館が裁判権放棄を裏付ける文書を急きょ閲覧禁止に! - 情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)
 http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/39e42e5f941390a2fe28e0ca6fb7a1dd

 なお、ヤメ蚊氏の記事では、国立国会図書館の資料制限措置の内規が問題になっているが、そもそも国立国会図書館法が第21条で「両議院、委員会及び議員並びに行政及び司法の各部門からの要求を妨げない限り」とその活動に制限が加えられており、法律自体に問題があると言うべきだろう。

 国立国会図書館法 - 法令データ提供システム
 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO005.html
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by mahounofuefuki | 2008-08-11 21:42

潜在する「原爆肯定論」と戦争体験の「伝え方」

 今日は長崎原爆忌だが、私が注目していたのは、昨年原爆投下を「しょうがない」と発言した久間章生衆院議員(当時は防衛大臣)の動向だった。朝日新聞(2008/08/09 13:21)によれば、久間氏は昨年欠席した長崎平和祈念式典に今年は参列したものの、相変わらず「原爆投下を肯定するつもりで言ってない」と弁明し、発言そのものを撤回しなかったという。久間氏は被爆者団体による政府への要望の場にも同席したが、長崎原爆被災者協議会の事務局長は「直接久間氏に抗議したいが、今回は被爆者の思いを政府に伝える場なので自粛する」と話しているという。地元長崎選出の国会議員としての「威力」が久間氏への批判を弱らせ、問題を霧散させようとしているのではないかという疑念を抱かざるをえない。

 ところで、久間氏の発言趣旨とは微妙に異なるが、「原爆のおかげで戦争が“早期終結”し、軍部から解放された」という見方を私は実際に何人かの戦争体験者から聞いている。これは原爆が「本土決戦」を回避し、天皇制国家を解体させる直接的契機になったという意味で、原爆投下が日本本土侵攻で想定される兵員の犠牲を救ったというアメリカの原爆正当化論とも通じるが、こうした「実感」は戦争体験者に少なからずあると思われる。

 この件については、そもそも日本政府の降伏決定に原爆がどの程度影響を与えたのか依然不明だし、ソ連の侵攻が「終戦」の決定打だったという説もあり、政治史的には根拠薄弱なのだが、何よりもどこかに「正しい目的のためには大量虐殺は仕方ない」という政治主義や、戦争犠牲者の「死」に無理に「われわれのために犠牲になった」という身勝手な「意味」の付与が読み取れて(実際は原爆の犠牲者は誰かのために「目的」をもって犠牲になったわけではない)、非常に危険なものを感じる。特に後者は戦争犯罪を行った政治主体の責任を免罪している点で、「国のせいで死んだ」戦没者を「国のために死んだ」とすり替える「靖国史観」と共通する。

 よく戦争体験が風化することへの警告や、戦争の実情を理解する必要性は指摘されるが、実際の体験者の「戦争体験」に含まれる「実感」が、結果として戦争に対する認識を歪める可能性があることは、これまであまり重視されてこなかった(久間氏の発言もいわば彼なりの「戦争体験」談である)。現在伝えられる「戦争体験」も実はほとんどが「敗戦体験」で、戦争の語りが「8月」に集中しがちな原因もそこにある。言うまでもなく「15年戦争」の全過程においては日本軍による「加害体験」も多数あり、「被害体験」も敗戦間際固有のものではない。それぞれ個別の戦争体験から今日的意義を読み取るには、やはり当時の人々が置かれていた社会状況や政治構造を学ぶことが必要であるし、場合によってはそこから戦争犯罪を正当化するような「体験」を批判しなければならないだろう。

 実際に私の周辺であった話だが、中国戦線に出征した元兵士が、新兵の時に上官命令で中国人捕虜を銃剣で殺したという体験を話したところ、ある子どもが「○○○(中国人の蔑称)を殺せるなんて羨ましいな」という感想を漏らしたことがあった。インターネットで排他主義や歴史修正主義の言説に容易に触れられるようになってしまった現代の悪弊が如実に表れているが(捕虜虐殺の事実を認めているだけ、「捏造」とか喚く改竄派よりはましなのかもしれんのが悲しいところだが)、そういう時代にあっては単に「体験」を伝えるだけでは限界があるのも確かだ。戦争体験の「伝え方」に工夫が必要になっていると言えよう。

 残念ながら文部科学省の教科書検定や一部マスメディアの反学問的な歴史改竄の動きや「受験体制」の弊害のせいで、歴史教育が歴史学から乖離しているのが現実である。歴史学界では実証的にとうてい通用しないような「否定説」(たとえば南京大虐殺)や「陰謀論」(たとえば真珠湾攻撃)が、世上では横行しているのも周知の通りである。そうした現状では、戦争体験の「伝え方」を云々する段階にはないとも言えるが(むしろ歴史教育の場では、当時書かれた文書=1次史料に触れさせる方が重要である)、一方で、「体験」ならではの「深み」と「厚さ」は決して軽んずるべきでもない。現実問題として戦争体験者の数が減り続ける中で、平和形成への力となるような「伝え方」を考えねばなるまい。
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by mahounofuefuki | 2008-08-09 22:23