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一院制は独裁への道

 当ブログの5月3日付エントリで私は、憲法9条に対する支持が高まっているという事実を前提に、「『反9条派』に学習能力があれば、今後「改憲」を目指すに当たっては9条以外の大衆受けする『改正案』との抱き合わせを行うだろう」と述べたが、その抱き合わせの最も有力な候補は「二院制の廃止」ではないかと考えている。

 昨年の参院選での与党大敗の結果、衆参のいわゆる「ねじれ」が恒常化し、安定政権を望む支配層のいらだちが参議院廃止や衆議院優越の強化(再議決要件の緩和)を求める議論につながっている。今年の憲法記念日にあたり、読売・日経・産経各新聞の社説がいずれも二院制の見直しに言及したのは注目に値する。産経に至っては「第二院は何の役に立つのか。第一院と一致するなら無用、異なれば有害」というシエイエスの言葉(本当に彼の言葉なのか私はよく知らないが)まで引用して、参院廃止論を示唆した。

 そもそも二院制には主に2つの目的がある。第一に審議を慎重に繰り返すことで、誤った立法を防ぐこと、第二に選挙の機会を増やし、常に民意を反映しやすくすることである。

 第一の点は、国会の会期制(会期内に成立しない法案は廃案になる)と合わせて、法律案が簡単に成立しないよう、十分な審議を確保するためのシステムという意味合いがある。衆参両院とも与党が多数を占める場合、一見無意味のように見えるかもしれないが、少なくとも野党側が質疑を行う機会が増えることに意味がある。政府・与党が好き勝手に法案を出すのを制約する意義もある。一院制であれば、会期ぎりぎりで次々と強行採決して終わりということになりかねない。

 第二の点は、衆院が4年任期、参院が6年任期で3年ごとに半数改選という制度のために、おおよそ1~2年に1度は国政選挙が行われることに意味がある。これが衆院しかなければ、4年間も与党にフリーハンドを与えることになる。あるいは任期を2年に短縮すれば選挙は頻繁に行われるが、任期が短いと議員の選挙負担が増え、本来の活動に支障が出る。任期をそのままで半数改選にしても、今度は直近の総選挙の多数派が政権をとれなくなる可能性が出る。それは議院内閣制と矛盾する。

 このように二院制は議会制民主主義を機能させるために必要な制度なのだが、一方でこの国では政治不信が強く、国会議員を「国民の代表」ではなく「不当な特権者」と捉える傾向が常態化しているという問題がある。「小さな政府」信仰のせいもあって、議員特権を廃止するとか議員定数を減らすというような案にすぐ飛びついてしまう。「参院無用論」を「国の無駄遣いを減らす」という目的で提示すれば、大半の有権者が賛成してしまう可能性がある。

 しかし、立法機能を担う議会のための支出を「無駄遣い」とみなすのは、官僚制による専制を容認するのと同義である。実際は議員に特権があるのが問題なのではなく、特権に見合った活動をする議員を選出しないこと(正確には選出できないような社会構造)が問題なのである。あるいは衆参の「ねじれ」が問題なのではなく、現内閣が直近の民意を無視して衆院を解散しないのが問題なのである。そこを見誤ってはならない。

 あえて断言すれば、一院制は独裁を招く。与党(もちろん自民党とは限らない)のさらなるやりたい放題が嫌だったら、二院制議会を維持しなければならない。反憲法勢力の先手を打って、二院制の意義と一院制の危険性をアピールする必要があるだろう。

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憲法は主権者にとって「守る」ものではなく「使う」ものである

【関連リンク】
国会法 - 法庫
http://www.houko.com/00/01/S22/079.HTM
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by mahounofuefuki | 2008-05-11 15:01

憲法は主権者にとって「守る」ものではなく「使う」ものである

 日本国憲法の「改正」を目標とした安倍内閣がこれ以上ないほど惨めな姿で退場して以来、現憲法に対する反動はある程度鈍り、各新聞社の世論調査でも「改憲」支持は減少傾向にある。
 読売新聞の調査では1992年以来久々に「護憲」が「改憲」を上回った(読売新聞2008/04/08 01:08)。日本経済新聞の調査では依然として「改憲」が「護憲」を上回っているが、昨年の調査より「護憲」支持は8ポイントも上昇している(日本経済新聞2008/05/02 22:12)。反憲法勢力の「自爆」が響いていると考えられるが、他方で「9条の会」のような地道な護憲運動が実を結びつつあるのを否定することはできまい。

 政界の「改憲」の議論は専ら第9条の平和主義・戦力放棄条項に絞られているが、世論の「改憲」論はむしろ「9条以外」を重視する傾向がある。朝日新聞の世論調査では「改憲必要」が56%にも達するが、そのうち9条「護憲」支持は54%である(朝日新聞2008/05/02 21:33)。「改憲」派の半数以上が9条に関しては「護憲」ということになる。一口に「改憲」と言っても「9条改正」を意味しないことに注意しなければならない。
 今後の憲法をめぐる政治力学上の焦点は、この「9条護憲(現状維持)の改憲」派の動向がカギを握っていると言える。安倍政権は「美しい国」という旧態依然のナショナリズムに訴え、正面から9条解体を目指したが失敗した。「反9条」派に学習能力があれば、今後「改憲」を目指すに当たっては9条以外の大衆受けする「改正案」との抱き合わせを行うだろう。「護憲」派が「外側」に支持を拡大するためには、この「9条以外改憲」の「空気」を取り込んでいかなくてはならない。

 「護憲」と「9条護憲(現状維持)の改憲」とを分つものは何だろうか。私見ではそれは「憲法に守られている実感」の有無ではないかと考えている。
 憲法とは本来主権者たる「国民」に対する国家権力の行使を制約する最高法規であり、あらゆる法は憲法の枠内にあるはずなのだが、日本では反憲法勢力が長らく政権中枢を占めているために、憲法に背馳する法も少なくない(鎌田慧氏がかつて『反憲法法令集』なんて本を出したくらいだ)。故に憲法が「国民」の各種の権利を保障していても、実効力が伴っていないことも珍しくない。
 いわば「憲法番外地」があちこちにあるために、現実に憲法の恩恵を受けていない人々は「憲法を守れ」と言われても、憲法を「守る」ことにメリットを見出すことはできないのである。現行憲法の下では自分の権利が守られていない、だから権利が守られるような憲法を欲するというのはむしろ自然なことですらある。

 こうした状況を打開するには、「憲法を守る」から「憲法を使う」への転換が必要である。
 未だに「改憲」派はもちろん、「護憲」派にも誤解している人がいるが、憲法は「国民」の倫理規範でも理想の書でもない。イングランドのマグナ・カルタに始まる立憲主義の本義に従えば、憲法は被治者が「守る」ものではなく、統治者こそが「守る」ものである。被治者にとって憲法は「守る」ものではなく、統治者の権力の行使を制限するために「使う」武器なのである。
 特に現在の雇用待遇差別や貧困の解消を訴える上で、憲法第25条の生存権条項は最大の拠り所となろう。個人が安心して生活するために、理不尽な扱いから逃れるために憲法を「利用する」という観点が必要である。9条についても平和的生存権を軸に、「自国軍の軍事行動に巻き込まれない」ために憲法を道具とする視点を前面に押し出すべきである。

 「憲法を守れ」と叫ぶべき対象はあくまで政権であって、一般の人々ではない。そこを見誤り憲法を神棚に飾っているだけでは、憲法に対する反動を防ぐのは難しいだろう。いくら憲法に細かく権利を書き込んでもそれを実際に使うことなしには画餅でしかない。いかにうまく憲法を「使う」かが問われている。

【関連リンク】
日本国憲法 - 法庫 http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM
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by mahounofuefuki | 2008-05-03 20:20

自民党の防衛省「改革」提言は危険すぎる

 昨年来、防衛省・自衛隊を巡っては、インド洋での海自補給艦の給油量虚偽報告や航海日誌破棄、アメリカ軍への軍需利権に関する汚職、イージス艦が漁船に衝突した事件など不祥事が相次ぎ、「改革」を求める声が各方面から上がった。
 これらはいわば政治化した「表」の不祥事であるが、一方で情報保全隊による市民監視活動、自衛官の自殺増加、自衛隊内部でのパワハラ・セクハラの発覚など、マスメディアがあまり報じない「裏」の不祥事も深刻で、本来「専守防衛」を旨とした自衛隊が、日米軍事一体化の「進展」によって海外で戦争のできる軍隊へと変貌を遂げつつある状況の矛盾が噴出している。

 こうした中で「表」の不祥事に対しては、政府に「防衛省改革会議」が設置されたが、それとは別に防衛省・自衛隊の「改革」案を検討していた自民党の防衛省改革小委員会が、今日「改革」の提言を公表した。
 提言・防衛省改革(4/24)-自民党
 冒頭で「不祥事などの事案」の「再発防止への取り組み」と称しているので、一連の不祥事を受けた予防策や改善策と思いきや、さにあらず、これがなんと専ら「制服組」の権限強化を中心とした自衛隊「強化」論なのである。

 まず「防衛省改革」のためには「憲法改正」を「早急に実現することが重要である」と強弁しているのに驚かされる。一連の不祥事が憲法9条のせいで発生したとでも考えない限り、この論法は成立しない。普通に考えれば現行憲法と汚職や衝突事件に直接の因果関係はない。それとも憲法を変えれば問題を隠蔽しやすくなるという意味なのだろうか。そんな「改革」など「改革」ではないのは言うまでもない。

 「制服組」の権限強化の具体策は、①「制服」を含む防衛省・自衛隊出身者の首相秘書官任用や首相を補佐する自衛官の副官設置、②防衛省内部部局に「制服組」を入れる、③統合幕僚長の権限強化と統合司令部の設置、④自衛官の国会出席・報告のルール設定などである。
 これらを貫くのは、「制服組」が独自に国家意思決定過程に関与できるシステムへの欲求である。①は常時首相の傍に制服の幹部自衛官が控えることを、②は防衛省の政策全般に「制服組」が関与できるようになることを、③は「制服」トップの統合幕僚長が直接に陸・海・空各自衛隊を統括指揮できるようになることを、それぞれ意味する。現在は文民が担っている領域への「侵食」を図っているのである。
 ④についてはご丁寧にも、国会で自衛官への「責任追及をする」ことのないようなルールづくりを提起している。これは国会で他の官僚に対するように自衛官を批判することを封じるもので、自衛官を特権化するものである。政府委員や参考人とは別種の資格で国会に出席させようとでもいうのだろうか。

 今回の提言を読むと、これを作成した小委員会は「統帥権の独立」の復活を目指しているのではないかという疑念が拭えない。「統帥権」とは大日本帝国下の慣行で、軍隊の「統帥」は天皇が独占する大権で、天皇を輔弼する責任をもつ国務大臣ですら関与できないというシステムである(「制服」のトップは内閣とは別に独自に天皇に直接進言できた)。この慣行が軍隊の政治化と暴走を招き、泥沼の戦争へと国家を引きずり込んだことはよく知られている通りである。
 現在は天皇の統帥大権はないが、首相と「制服」の間に文民が入らず、常時直接報告・進言できるルートの設定は、「素人」の首相が軍事情報を独占する「制服」に囲まれて「制服」の言いなりに動く可能性を想定せざるをえない。文民統制を弱め、「軍事」の暴走を可能にする非常に危険な動きである。

 この提言は他にも自衛隊の階級呼称を旧軍隊に戻すことや(それを「国民も親しみのある階級呼称」と言及しているのが失笑ものだが)、下士官クラスへの叙勲を要求するなど、同じ要求を文民の公務員がしたら袋叩きに遭いそうなずうずうしい内容も含まれる。「改革」の名を借りた「おねだり」でしかない。
 「裏」の不祥事については、わずかに「自殺者の増大などへの対応のためのメンタルヘルス」に言及するのみ。心身屈強なはずの自衛官の自殺が増大しているのは、裁判所も認めた「戦闘地域」での過酷な任務や日米軍事一体化の影響による非人間的な訓練の強化が原因と考えられるが、そうした構造的原因には一言も触れていない。

 改めて自民党には防衛省・自衛隊の「改革」を任せることなどできないことを露呈したと言えよう。相次ぐ不祥事の実態の究明もせずに、自衛官の権限強化を要求するなどあまりにも虫のよすぎる話である。

【関連記事】
陸自情報保全隊の監視活動をめぐって
「防衛省改革会議」に「改革」はできない
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by mahounofuefuki | 2008-04-24 23:42

国は「勝訴」なので上告できず違憲判決確定へ~自衛隊イラク派遣差し止め訴訟

 自衛隊イラク派遣差し止め訴訟で、名古屋高裁はイラクの現状をイラク特措法が定める「戦闘地域」と判断し、派遣中の航空自衛隊の活動には武力行使を含み憲法第9条に違反するとの控訴審判決を下した。

 この国の司法はもうかなり前から、日米安保体制や自衛隊の問題について、憲法判断を回避するのが定石となっていただけに、正直なところ驚いている。上級審になるほど政府寄りなのも常識であるだけに、一審でもなかった違憲判断を控訴審が行ったのは(原告や他の賛同者には悪いが)想定外だった。もちろんこの想定外は喜ばしい。
 9条に対する違憲を認めた判決は、1973年の長沼ナイキ訴訟一審判決(いわゆる「福島判決」)以来だそうだから、画期的・歴史的判決と言ってよいだろう。青山邦夫裁判長の勇気と気骨に敬意を表したい。

 この訴訟は、①自衛隊派遣の差し止め、②イラク特措法の違憲確認、③平和的生存権・人格権侵害の慰謝料支払いを求めたもので、今回の判決は一審同様そのいずれも認めずに控訴を棄却しており、訴訟そのものは原告の敗訴である。しかし、皮肉にも国は勝訴したが故に上告できず、原告が上告しなければ今回の判決は確定する
 読売新聞(2008/04/17 14:24)によれば、判決はイラクについて「多国籍軍と武装勢力との間で、国際的な武力紛争が行われている」と指摘し、空自の輸送活動のうち「少なくとも多国籍軍の武装兵員を戦闘地域であるバグダッドに空輸する活動は、武力行使を行ったとの評価を受けざるを得ない」(太字強調は引用者による)と判断したという。「戦闘地域」での活動を禁じたイラク特措法に違反し、戦争のための武力行使を禁じた憲法にも違反すると認定したのである。
 政府は再三、自衛隊のイラク派遣の合憲・合法根拠を派遣地域が「戦闘地域」ではないことに置いていたが、裁判所は「戦闘地域」であるとみなしたのである。イラクの現状認識において国家機構の一部である司法機関が、政府の説明と異なる見方を示した意味は重い。また米軍などの兵員を戦地に輸送する活動を「武力行使」と認定したことは、日米安保体制のなし崩し的強化に警笛を鳴らし、改めて憲法が禁じる「武力行使」の厳密な定義づけの必要性を指摘したと言えよう。

 今回の判決が出たことで、反憲法勢力は現憲法下で自衛隊の「武力行使」を「合法化」する限界を痛感し、憲法9条改定への野望を改めて高めることだろう。アメリカからの改憲圧力もますます強まることが予想される。
 自衛隊の在り方については護憲派内でも廃止論から専守防衛論までさまざまだが、当面は海外での武力行使禁止米軍との一体化見直しの2点に絞って、9条擁護の論陣を張る必要がある。今回の判決の憲法判断を十二分に生かすべきだろう。

【関連リンク】
自衛隊イラク派兵差し止め訴訟の会/トップページ
イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法-法令データ提供システム
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by mahounofuefuki | 2008-04-17 20:14

憲法第99条違反

マスゾエといいナカタニといい、国会議員としての品性を疑う暴言が多い昨今だが、今度は自民党の中山太郎衆院議員がトンデモ発言である。
以下、毎日新聞(2007/10/17 18:17)より。

 中山太郎元外相は17日、国会内で講演し、野党の反対で衆参両院の憲法審査会が開かれない状態について「法律(国民投票法)通りに施行するのが立法府の役割だが違法行為が行われている」と野党の対応を批判した。
 同審査会は国民投票法に基づき8月の臨時国会で衆参両院に設置されたが、野党の反対で委員定数や議事手続きなどを定める「憲法審査会規程」が制定されず、開けない状態が続いている。
中山氏は長らく自民党の憲法調査会長を務め、改憲論をリードしている人物である。
彼は、安倍政権が強行採決して成立させた憲法改定のための国民投票法により、国会に設置された憲法審査会が、現在開かれていない状況を「違法行為」だと言うのである。

この発言に対して、私は次のように返答する。
国民投票法と憲法審査会は日本国憲法第99条違反である

憲法第99条は次の通り。

天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護し尊重する義務を負う。
国会議員である中山氏は当然、この条項に従い憲法を擁護し、尊重する義務がある。しかし、実際は擁護も尊重もせず、憲法の改定を主張している。
国民投票法は十分な審議もなく、安倍政権が強行採決によって成立させた違憲立法である。それに基づいて設定された憲法審査会も存在自体が違憲である。野党が開会を阻止するのはむしろ当然の行動である。
しかも、先の参院選では安倍政権の「改憲路線」が否定されたのである。
憲法審査会を開くどころか、国民投票法の廃止こそ必要なのだ。

国会議員がこうも憲法をないがしろにし、憲法が権力の行使を制限するためのものであることを無視しているのは、立憲主義と主権在民の否定である。
中山発言を決して許すことはできない。
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by mahounofuefuki | 2007-10-17 21:51