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学歴と結婚と階級社会

 私は子どもの頃から「世界は不自由で不平等で不条理である」という意識を持っていたが、そんなひねくれ者になった原因の1つは、子どもの学力が親の「資力」と「教育意欲」と「文化的素養」に左右され、往々にして学歴は親子間で再生産されるという事実を経験的に知っていたことだった。
 私の周りの成績の良い児童は誰もが大学出の裕福なホワイトカラー(具体的には医師、弁護士、宝石商、建築士、教師などだった)の子であり、低学歴で経済的に零細なブルーカラーの子どもで成績が良かったのは私くらいだった。故に、勉強は誰でも努力すればできるようになるという教師の言葉を私は蔑んでいた(実際私は「運」が良かっただけで、「努力」だけでは進学できなかった)。貧乏人の子どもはたいてい下品で、頭も悪かった。そして裕福な連中は言葉にできない「何か」があった。小学生の時にはすでに人間の能力は育った環境によって決定されるという「真理」に到達していた。
 それだけに大学時代にピエール・ブルデューの「文化的再生産」論を知り、長年疑問だった裕福な連中だけが持っていた「何か」の答えがわかった時は泣くほど感動したし、戦後教育の「平等神話」を実証的に否定した苅谷剛彦氏の研究が出た時は、自分の直感の正しさがようやく証明されて安堵したものだ。「自己責任」論を全く支持できなかったのも、幼少時からの経験が生きていたからである。

 唐突にこんな話を書いたのは、次のようなニュースを目にしたからである。
 母親が高学歴の男性、結婚相手の学歴も高い傾向=米調査|世界のこぼれ話|Reuters
 http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-31685320080508
 アメリカの大学が20-30代男性のうち収入の高い層を対象に調査したところ、母親が大卒だと大卒の女性と結婚する傾向が、母親が大学院卒だとやはり大学院卒の女性と結婚する傾向が高いことがわかったという。
 記事では男は結婚相手を選ぶにあたって、自分の母親と同じ学歴水準の女性を選ぶということに力点を置いているが、この調査はむしろ高学歴の親の子どもは高収入の職に就く可能性が高く、それだけでなく高学歴の配偶者を得る傾向が高いという事実を示していることが重要である。

 つまり「結婚」というものが階級の固定化を促進しているということである。これは本田透氏あたりが主張している「恋愛資本主義」とも関係するが、結婚は自由であればあるほど市場原理が働き、付加価値の多い配偶者を得ようとする。収入が多い、顔がいい、コミュニケーション能力が高い、といった要素が多いほど「結婚市場」で有利になる。問題なのはそうした付加価値は親子間で再生産されることである。
 容姿は遺伝なので言うまでもないが、経済力や学歴も親子間で「世襲」され、なおかつ付加価値の高い配偶者と結婚し、その間に生まれる子どもは両親から恵まれた付加価値を受け継いで、またしても高いステータスを得る、ということが繰り返されることで、階級は実質的には「身分」へと変貌する。本来、身分社会を解体する機能を持っていた「恋愛結婚」が市場原理というスパイスが加わることで、むしろ「身分」を復活させているのである。

 ロイターの記事はアメリカの例だが、日本も同様の事態が進行しているはずである。階級社会を流動化させるためには、階級間の結婚が増えることが望ましいが、現実はそうなっていない。現代の「貧困と格差」を考える上で、経済的な所得格差や待遇差別だけでなく、結婚を通した階級の強化という問題を見落とすことはできまい。
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by mahounofuefuki | 2008-05-08 22:07

新学習指導要領「修正」の怪

 文部科学省が新しい学習指導要領(幼稚園、小学校、中学校)を告示した。今回は教育基本法改悪後初の改訂という点で注目されたが、先月発表された改訂案が告示直前に「修正」されるという前代未聞の事態となった。

 何と言っても問題なのは、総則の教育課程編成の一般方針に「伝統と文化を尊重し,それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛し」との文言が追加されたことである。総則に記載されたということは「国と郷土を愛する」ことを全教科で目標としなければならないことを意味する。
 そもそも道徳教育を全教科に渡って行うこと自体が「知識」「理解」を軽視し、科学的認識の獲得の妨げになっているのに、それに輪をかけて「愛国心」を強制することは、無理やり好きでも何でもない異性を愛せと言うようなもので、断然許容できない。

 もう1つ問題なのは、音楽科の指導計画の作成と内容の取扱いに「君が代」を「いずれの学年においても歌えるよう指導すること」と、単に「指導すること」としていた従来よりも指導性を強化したことである。「君が代」が歌えるかどうかが評価対象となる法的根拠を付与したことになる。
 本来、どんな歌も歌うか歌わないかは当人の自由である。それは「国歌」も例外ではない。その上、「万世一系」という虚構を前提とした天皇制の永続を願う「君が代」が、主権在民の国家の国歌として相応しいとは言い難い。「天皇の奴隷」になることを強要する歌を強制するのは反民主的である。

 中央教育審議会(中教審)の審議もなく、文部科学大臣の職権で事前に公表した改訂案を「修正」したことについて、各報道は自民党国家主義派の政治的介入を示唆している。
 「改訂案に対しては、自民党内から『改訂案が教育基本法の改正を反映していない』と早くから不満が上がっていた」(朝日新聞2008/03/28 06:15)、「与党部会とのやり取りなども加味して修正」(毎日新聞2008/03/28朝刊)、「愛国心を強調することで、そうした批判に配慮した」(「自民党中堅」の話、読売新聞2008/03/28 05:05)といった記述から、自民党の文教族をはじめとする議員たちの不当な圧力があったことを読み取れる。

 渡海紀三郎文部科学大臣は、学習指導要領告示にあたっての談話の中で「去る2月15日に案を公表し、30日間、広く国民の皆様からご意見をいただいた。それらを踏まえ必要な修正を行い、本日公示に至った」と、「国民の皆様からのご意見」を「修正」の理由に挙げているが、改訂案公表後に公募したパブリックコメントの全容は正確には不明である。
 国家主義教育団体「日本教育再生機構」がパブコメ用のテンプレートを作成し、右翼色の濃いコメントを送るよう呼びかけていたが、他方でweb上では民主的な方向への改訂を要求するコメントを呼びかける動きもあった。「国民の皆様のご意見」が多種多様であったことは間違いなく、その中から特定の組織の意見だけを取り上げるのは著しく公平性を欠くと言わざるを得ない。

 学習指導要領は戦後初期においては教育内容の「試案」という位置づけで、学校が教育内容を決定するにあたっての参考資料にすぎなかったが、現在は「告示」という法令であり法的拘束力を持つ。教育基本法が改悪されてしまった以上、これに抗する法的根拠は日本国憲法しかないのが現状で、学校教育の劣化を防ぐのは非常に困難である。改悪後、教基法は政治課題となっていないが、1947年教育基本法への復旧を目指す機運を少しでも高める必要があるだろう。

【関連リンク】
新しい学習指導要領-文部科学省
教育基本法-法令データ提供システム
教育基本法(廃)-法庫
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by mahounofuefuki | 2008-03-28 20:55

教科書の出典がウィキペディアでいいのか

 もう世も末である。増進堂の高校用英語教科書がウィキペディアから転載した地図を掲載し、教科書検定も通過したという。以下、毎日新聞2008/03/26朝刊より。
(前略) 検定申請したのは、大阪市の出版社「増進堂」。英語の長文に「死刑制度の世界地図」という図を付け「07年、ウィキペディア」と出典を記した。図では、死刑制度のある国や廃止した国などが色分けされている。
 検定意見を受け、出版社側は国境線を修正。文科省は「図の出典の明記を求め、不正確な個所には意見をつけている。特に(引用に)異論は出なかった」と説明している。
 ウィキペディアには、この図の基となる死刑制度の国別リストも掲載されているが「リストは不完全」などと書かれている。25日現在、ネット上の図は教科書転載の図とは異なり、韓国やラオスなどが「死刑のある国」から「事実上廃止された国」に変わった。
 編集部は「人権団体の資料と照らし合わせ、図は正しいと確認した。引用は問題ないと思うが、学校現場の反応を見て作り直すことも検討する」としている。(後略)
 私は執筆・編集の個人責任が不明瞭であるウィキペディアに一貫して反対の立場をとっている。とにかく細部に誤りが多く、典拠も示されないことが珍しくない。これが個人のホームページならば「個人的見解」で済むが、仮にも「事典」と名乗っている以上、何よりも客観的な正確さと学術的な専門性が必要なはずである。故に当ブログでは今日までウィキペディアを参照リンクとして挙げたことはなかった。
 今回の「死刑制度の世界地図」は一見すると正確なようだが、「書きかけの項目」と明記しているように、項目内容は不完全である。そんな代物を教科書に転載してしまうことに、教科書執筆者や編集者は疑問を持たないのだろうか。教科書に載ることで子どもたちがウィキペディアの「信憑性」を誤信してしまいかねない。

 なお以前日本史教科書の件でも繰り返し述べたが、文部科学省の教科書検定が記述内容の学問性を担保できないことは今回の一件でも明らかだろう。事実上の検閲で言論・表現の自由を侵し、子どもが学問に立脚した教育内容を学ぶ自由も侵している現行の教科書検定制度は廃止するべきである。行政の検定がなくなることで、むしろ教科書発行者の責任が明確になり、専門家の裁量も広がる。検定の唯一の正当性である「客観性の担保」がもはや崩壊している以上、検定廃止は必然である。

【関連記事】
教科書調査官の系譜~「さるのつぶやき」より

【関連リンク】
教科用図書検定規則(平成元年4月4日文部省令第20号)-文部科学省
教科書一覧|高校英語教科書|馬のマークの増進堂・受験研究社
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by mahounofuefuki | 2008-03-26 11:36

教育再生会議最終報告について

 教育再生会議が最終報告を首相に提出した。同会議設立の主唱者である安倍晋三前首相が退場したことで、その地位はすでに低下し、マスメディアも「尻すぼみ」とみなしているが、そう断定するのは早計であろう。福田康夫首相は教育再生会議の後継機関を今月中にも発足させることを表明しており(共同通信 2008/01/31 22:00)、この最終報告は今後も終始議論のたたき台になる恐れがある。

 全文を読み始めてまず笑ってしまったのは、冒頭で唐突に「生活者重視」というフレーズが登場することで、これは言うまでもなく福田首相の施政方針に沿ったものだが、図らずも報告の政治性を証明してしまった。もし安倍政権が続いていたら、間違いなく「美しい国」というフレーズを強調していたはずだ
 続けて「今、直ちに教育を抜本的に改革しなければ、日本はこの厳しい国際競争から取り残される恐れがあります」という日本の支配階級の本音が述べられている。教育を経済に従属させることが一連の「教育改革」の真の目標であり、堂々と包み隠さず明記したのは、潔ささえ感じた。
 とはいえ提言の内容そのものは、長らく保守勢力が一貫して主張してきたもので、目新しさは全くない。「徳育」の充実、「ゆとり教育」の見直し、子どもの選別、「悪平等」の排除、「校長を中心としたマネジメント体制」、小中一貫校、「飛び級」と、国家主義・新自由主義に立った主張ばかりである。

 教育再生会議はそのメンバーに教育学者や現場の教員をほとんど含まず、いわば「素人」の井戸端会議であったことはしばしば指摘されてきた。そのことも含めて、近年の教育政策の特徴は「教育の専門家」を排除ないしは弱体化することに主眼が置かれている。教員免許更新制の導入や「民間人」校長の起用は、明らかに教員の裁量権を弱め、「素人」が恒常的に学校教育の主導権を握ることを目指したと言ってよい。
 今回の最終報告でも「直ちに実施に取りかかるべき事項」の筆頭に「教員免許更新制、教員評価、指導力不足認定、分限の厳格化、メリハリある教員給与」を挙げ、教員に対する国家統制の強化と競争原理の導入による差別的労務管理を重視している。一方で「社会人等の大量採用」を掲げ、財界人が直接教育現場に乗り込めるような体制づくりを推進している。

 教育再生会議は「国際競争力」の耐えられる「学力」が低下しているという危機意識を前提にしているが、そもそも「学力低下」の原因は文部科学省が教育内容における到達目標を軽視し、学習者の選別を図ったからにほかならない。
 1989年の学習指導要領で指導要録(学校の学籍と指導の記録原簿)に観点別評価が導入され、「知識」や「理解」よりも、「関心」や「態度」や「意欲」を重く評価するようになったのが始まりで、当時「新しい学力観」と喧伝された。「何を理解したか」よりも「やる気」を重視し、すべての学習者に基礎学力を習得させることが軽視された。
 大学時代、私はこの「新しい学力観」を信奉する教師から話を聞いたことがあるが、彼はすべての子どもが同じ到達目標を目指すのではなく、それぞれの「個性」に合わせて、「できる子」にはそれに合わせて高い目標を与え、「できない子」にはそれに見合った低い目標を設定することで、誰もが「意欲」をもてるのが「新しい学力観」だと説明していた。見事なまでの選別・差別主義である。
 この思想の結果、「学ぶ意欲」や「真剣な態度」さえあれば理解の度合いが低くても評価されることになってしまい、総体として学力は低下したのである。
 *本稿では「学力」と無造作に語っているが、そもそも「学力」とは何かというのは長い論争があり、今も定説はない。私も「素人」なのでその辺は突っ込まないが、ここでは取りあえず社会生活に必要な知識や教養と捉えている。

 つまり学力を向上させたかったら、この「新しい学力観」以降の評価制度をやめ、基礎的知識の習得に重点を置き、全員がマスターすべき到達目標を設定するべきなのだが、教育再生会議の方向性はむしろそれまでの文部科学省と同じで、子どもの選別をより重視し、また「徳育」の振興という形で「態度」「意欲」に重きを置いている。これではむしろ「学力低下」に加担しているようなものだ。
 結局、「学力低下」云々というのは、教員や教育学者など教育の専門家にその責任を転嫁して彼らを教育政策決定過程から排除するための口実で、実際は少数のエリートを早期に選抜して彼らには英才教育を施し、残りの「その他大勢」には「徳育」を通して奴隷根性を叩き込み、社会の矛盾を構造的把握する能力が身に付くのを防ぐシステムを作るために持ち出されたのだろう。再生会議は「全員の学力」には関心がなく、「一部のエリートの学力」しか問題にしていないのである。

 ちなみに再生会議の最終報告に先立つ1月24日には、日本経団連が文部科学大臣と懇談会を行っているが、そこでの経団連側の要求は再生会議と方向性が全く同一で、「教育再生会議の提案を教育振興基本計画に反映」するように念を押している。経団連のレポートと再生会議の報告を読み比べれば、「教育改革」の「真の主役」が誰だったか自ずと見えてくるだろう。

【関連リンク】
教育再生会議の最終報告全文-東奥日報
日本経団連タイムス No.2891-02 渡海文科相との懇談会を開催
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by mahounofuefuki | 2008-02-01 12:30

暴力的威嚇に屈するということ~日教組教研集会会場問題

 つくばみらい市が右翼勢力の暴力的威嚇によりDV防止の講演会を中止した事件を、以前当ブログでも取り上げたが、この国では今や大きな声で脅かせば、行政も住民も唯々諾々と従ってしまい、全く無抵抗になってしまう風潮が広がっている。つくばみらいと同じ講演者による長岡市での講演会は予定通り混乱もなく行われたが、これとて妨害勢力が街宣に繰り出していればどうなっていたかわからない。
 日本教職員組合(日教組)が2月2~4日に予定している教育研究全国集会の全体集会会場としてグランドプリンスホテル新高輪と契約を結んでいたにもかかわらず、ホテル側が一方的に契約解除した問題は、東京高裁が日教組の訴えを容れ、ホテル側の抗告を棄却したことで決着するかと思いきや、ホテル側は裁判所の決定を無視し、会場貸与拒否の姿勢を貫いている。
 以下、読売新聞(2008/01/31 14:46)より(太字は引用者による)。
(前略) 2月2~4日に都内で開催される教研集会のうち、2日の全体集会が予定されているのは、国内最大級の宴会場で2000人以上を収容できる同ホテルの「飛天」。日教組は、ホテル側と昨年5月に本契約を結び、7月には、会場費の半額にあたる1155万円を支払っていた
 ところが同11月になって、ホテル側が契約の解除を通告。これに対し、日教組が同年12月、東京地裁に契約解除の無効を求める仮処分を申請したことから、会場問題は法廷闘争に持ち込まれ、東京高裁は今月30日、日教組の会場使用を認め、ホテル側の抗告を棄却した。この中で、東京高裁は「(ホテル側が)日教組や警察当局と十分に打ち合わせをすることで混乱は防止出来る」と指摘している。
(中略)
 全国各地で毎年開催される教研集会を巡っては、会場周辺で、右翼団体が街宣活動を行うため、警察による厳重な警備体制が敷かれている。ホテル側の説明によると、今回突如、契約解除を通告したのは、「周辺に迷惑がかかると判断した」ため。契約後に前回の開催地の大分県別府市に社員を派遣するなどして調査した結果、100台以上の街宣車が出ることや警備、道路封鎖、検問などで1000人以上の警察官が出動することが判明したという。
 教研集会を巡っては、会場側が使用を拒否したことにより、過去にも4回、裁判に持ち込まれ、いずれも日教組の主張が認められて全体集会は開催されている。しかし、同ホテル側は、あくまで会場を貸さない方針で、「日教組の方々が来ても、お帰りいただくしかない」(広報担当者)と話している。
 「迷惑がかかる」のは日教組のせいではなく、あくまでも右翼勢力のせいである。街宣への不安があるのならば、まずは警察当局へ厳重取り締まりを要請したり、街宣を予告している団体に対し抗議したりするのが筋であり、日教組の方に会場を貸さないというのは全くアンフェアだ(プリンスホテルの場合、政財界との深い関係を考えれば、契約解除の影には日教組を攻撃している政治家の圧力があるのでは?と勘ぐりたくなるが)。
 ホテルにとって会場費を支払った日教組は「客」ではないのか。ホテルが守ろうとする「他の客や周辺住民など」(時事通信2008/01/31 17:09)になぜ日教組は入っていないのか。プリンスホテルの行いは、まるで「いじめ」を「未然に」防ぐために、あらかじめ「いじめられそうな者」を共同体から排除しようとしているに等しい。

 問題の根は深い。具体的な威嚇に対する人々の恐怖に加えて、右翼勢力の日教組攻撃のプロパガンダによって、あたかも学校教育の崩壊の責任を日教組に転嫁する「空気」もあるからだ。
 何よりこの国では「弱そうな加害者」には徹底したバッシングで過剰なまでに「被害者」に共鳴するが、「加害者」が「右翼」や「暴力団」となると途端に沈黙する人々があまりにも多い。匿名のネット言説は本来そうした威嚇を批判できるにもかかわらず、実態はむしろ加害行為に加担している。
 こうした暴力が横行し、人々が沈黙を続けることで、結局暴力者は増長し、ますます暴力に怯える社会になっていくことを私たちは自覚しなければならない。

【関連リンク】
日本教職員組合ホームページ
グランドプリンスホテル新高輪
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by mahounofuefuki | 2008-01-31 22:01

教育の「平等」をめぐる齟齬~和田中の夜間特別授業

 東京都杉並区立和田中学校が、「民間人」校長の肝いりで、成績上位者のみを対象に大手進学塾の講師による夜間特別授業を始めた問題。
 この特別授業については多くの教育学者や教師らが批判しているように、成績上位者のみを対象とすることで生徒を「できる子」と「できない子」に分断していること、特定の塾の営利活動に与していること、学校教育の多様な目的を「難関高校の受験合格」に矮小化していることなどなど非常に多くの問題がある。
 結論から言えば「教育の商業化・市場化」を推進するものであり、すべての子どもの学習権を保障する義務教育の理念にも反する暴挙である。しかし、この問題の難しいところは単にその暴挙を批判するだけでは、当事者たる中学生やその保護者の「潜在的要求」との齟齬を生み、学校教育からの離反を招くだけであることだ。

 実際、今回の特別授業を批判しているのは専ら教育の専門家だけで、肝心の子どもや保護者は一様に歓迎ないし黙認している。
 「成績上位」の子どもや保護者の多くが何よりも「よい高校・大学」へ入学する(させる)ことを目標としており、彼らの主観に立てば「薄謝」で進学塾の講義を受けられるのは「恩恵」以外の何物でもない。
 一方、特別授業を受けられない「できない子」は受験競争から疎外されているため、そもそも学習意欲がなく、わざわざカネを払ってまで夜間補習を受けようとは思わない。故に「授業を受けられない」というフラストレーションは生まれず、むしろこうした差別を先天的に「できが違う」と考えて容認する。学習意欲の「格差」が家庭の経済力の「格差」と密接に関係しているというのは、東京大学大学院教授の苅谷剛彦氏が実証したところだが、その観点に従えば貧しい家の子どもには学習意欲がないので、「学びたい意欲はあるのにカネがなくて学べない」という子どもはほとんどいないことになる。
 つまり、「できる子」も「できない子」も今回のような選別・差別的な補習に不満をもつことはなく、むしろ批判者(専門家)は「できる子」からは「上」へ上がる機会を奪う者としか映らず、「できない子」からは何を怒っているのかさっぱり理解できない存在にしか映らないのである。

 しかも、東京の場合、すでに公立中学校に通っている時点で「負け組」であるという厳然たる事実がある。私が東京の大学に通っていた頃、家庭教師の面接で中学・高校の学歴の「不足」(地方出身の私は中学・高校とも公立だった)を言われ唖然とさせられたことがあるが(いくら大学が「一流」でも中学受験経験者でないとダメだそうだ)、それほど東京の子どもの進学ルートは複線化しており、その複線を所与の条件とするしかない人々には、むしろ今回のような試みは「教育機会の均等」に寄与するものとさえ考えられるのである。
 これは経済格差問題についても言えるが、「平等」をどう捉えるかということについて、この国には合意がないことに起因する。すべての人々が基礎教育を受けられる状態(すべての人々が最低限の生活を保障されている状態)を「平等」とみる人々と、誰もが「階層の上昇」機会がある状態を「平等」とみる人々とに分裂している。教育の専門家は前者であり、多くの子どもや保護者は後者だろう。

 この対立は生存権や義務教育を考えるにあたって見過ごせない問題であるが、私自身の中で詰め切れていないので、今回は詳述できない。私自身は「結果の平等」を伴わない「機会の均等」は無意味と考えているが、それを説得的に語る言葉をもっていない。今後も教育の「平等」の問題は考えていきたい。
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by mahounofuefuki | 2008-01-27 18:31

教科書調査官の系譜~「さるのつぶやき」より

 今年度発行の高校用日本史教科書の検定で、沖縄戦での住民「集団自決」に対する「軍の強制」の記述を文部科学省が改変させた問題は、周知の通り、昨年末の教科用図書検定調査審議会が「軍の関与」の記述の復活は認めたものの、「軍の強制」の記述を結局認めずに、教科書が発行される結果に終わった。
 その後も沖縄の人々を中心にあくまでも審議会の検定意見撤回を求める動きが続いているが、一方で自民党沖縄県連が沖縄県民大会実行委員会の解散を提起するなど、昨年中は曲がりなりにも超党派でまとまっていた運動は綻びが出てきている。正直、保守派の離反は当初から予想していたので驚きはないが、こうした分断が教科書問題を結局うやむやにしてしまうと思うと非常に憂鬱である。

 ところで、教科書検定において決定的な役割を果たしているのが文部科学省の常勤職員である教科書調査官であることは、昨年の当ブログで何度も指摘してきたが、1月20日付の「しんぶん赤旗 日曜版」が戦後の教科書調査官の人事変遷について報じている。「赤旗」の日曜版は電子版には載らないが、さるのつぶやきさんが当該記事転載している。
 さるのつぶやき:教科書調査官、縁故採用の系譜━平泉澄→村尾次郎→時野谷滋→(伊藤隆→)照沼康孝・村瀬信一(・福地惇)
 詳細はぜひ「さるのつぶやき」さんの記事(過去の「赤旗」の教科書関連の記事を紹介したエントリもリンクされている)を読んでもらいたいが、教科書調査官の系譜をたどると戦前「皇国史観」を主唱した平泉澄に行き着くところに、戦後一貫した人事の偏向は明らかである。問題は「調査官は文科省専任職員=国家公務員なのに採用試験がなく、選考基準を文科省は明らかにしていません」というところで、そんな不透明な選考で任命された人物が教科書内容の決定権を事実上握っているのは「民主主義国家」にあるまじき事態である。

 教科書調査官については、昨年当ブログの記事のコピペがあちこちに出回ってしまったが、子どもと教科書全国ネット21事務局長の俵義文氏が、戦後の検定制度の歴史も踏まえてより正確なレポートを公表しているので、リンクしておく。
 俵のホームページより
  教科書調査官とは何か*PDF
  社会科主任教科書調査官はなぜ解任されたか*PDF
 また、現在の教科書調査官と教科用図書検定調査審議会委員については、昨年10月24日の衆議院文部科学委員会で共産党の石井郁子氏が質疑を行っている。
 第168回国会 文部科学委員会 第2号
 教科書調査官の人選の公正化と透明化については、社会科教科書執筆者懇談会が昨年末の声明で要求している。
 沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会|訂正申請の結果についての社会科教科書執筆者懇談会の声明

【関連記事】
教科書改竄の「黒幕」
教科書検定の徹底検証を
沖縄戦の「集団自決」に関する教科書検定問題の資料
教科書検定に関する石井郁子議員の質問
文部科学省はまだ「軍の強制」を弱めようとしている~「集団自決」教科書検定は訂正再申請へ
文部科学省は「軍の強制」否定に固執した~「集団自決」検定問題は終局へ
文部科学省はやはり「軍の強制」を認めなかった~「追いこまれた」と「強いられた」の差
教科用図書検定調査審議会が聴取した「専門家」の意見について

【関連リンク】(2008/01/22追記)
高等学校日本史教科書に関する訂正申請について(沖縄戦関係)-文部科学省
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by mahounofuefuki | 2008-01-21 16:51

「ひきこもりセーフティネット」は「引きこもり予備軍」への「監視活動」か

 この国の労働政策や教育政策の特徴として、何か問題があると、現在進行形で問題をかかえる人々を放置し、専ら次の世代を対象とした「対策」に集中してしまうということがある。
 たとえば「学力低下」問題。最近、中央教育審議会は「ゆとり教育」を見直し授業時間を増加する答申を行ったが、これから学齢期を迎える子どもはそれでいいとして、十分な学力を得られないまますでに社会に放たれた人々はどうなるのか。「ゆとり教育」は失敗でしたと断じた以上、その失敗した政策のもとで「生産」された「学力の低い」大人に対して、何一つケアがないというのはあまりにも無責任ではないか。
 雇用問題でも我々「氷河期世代」へは今も何ら実効的な措置が行われていない。学卒期にたまたま就職難であったために、非正規雇用でスタートした人々はずっと社会の底辺で淀み続けることを余儀なくされている。ところが労働政策は専らこれから就職する若者への対策ばかりで、「氷河期世代」は放置されたままだ。安倍政権は偽善的とはいえ、まだ「再チャレンジ」を唱えて、問題の所在だけは認識していたが、福田政権になってからはそれすらなくなった。

 毎日新聞(2008/01/19 12:26)によれば、東京都は来年度から「引きこもり」とその保護者を支援する「ひきこもりセーフティネット」事業を始めるという。「予防に特化した支援」ということで、ここでも現在「ひきこもり」を余儀なくされている人々への自立・社会復帰支援はなく、専ら「将来ひきこもりになりそうな」若者への「支援」である。
 しかもその「支援」内容はとても「支援」とは言えないような危険な代物なのである。以下、同記事より。
(前略) 都は区市町村に教育・福祉や、NPO(非営利組織)のスタッフらで構成する連絡協議会を設置。中学や高校から、退学したり不登校の生徒に関する情報提供を受け、支援が必要なケースでは積極的に保護者への相談に乗り出したり本人に訪問面談する。地域の特性も加えた独自の対策案を各自治体から募り、効果が高いと判断した3カ所をモデル事業に指定する。
 また、引きこもり予防のため、家族を支援する「対策マニュアル」も初めて作成する。保健所、NPO、都立校など約720機関と約50人の経験者を対象にした07年度のアンケートや面談による調査結果を活用し、予防に役立てる。都は08年度予算に「若年者自立支援経費」として2億円を計上する。(後略)
 つまり中途退学者や不登校の子どもを「引きこもり予備軍」とみなして、彼らの所在に関する情報収集を行い、「積極的に」彼らを訪問するというのである。これは「支援」というより、むしろ「引きこもり予備軍」に対する「監視」と言うべきである。

 そもそも東京都の発想は根本から間違っている。「引きこもり」=「中途退学者」「不登校」という前提が偏見と思い込みにすぎない。実際の「引きこもり」は年齢も学歴も多様で、その原因も一様ではない。ただはっきりしているのは日本社会での「生きにくさ」を感じていることで、それは人間性をはく奪するような弱肉強食化した社会構造に起因する。その大前提を無視して、まるで「引きこもり」を「犯罪者」扱いして、監視対象とするのはまったく賛成できない。
 「引きこもり」支援に従事するNPOとの連携を重視しているようだが、NPOといってもピンからキリまである。「引きこもり」を「落後者」「できそこない」と烙印を押して、ただ厳しく鍛えればいい、というような乱暴な軍隊式の方法を好む団体もある。しかも、東京都のトップである石原慎太郎知事がまさにそういう考えの持ち主であり、この「ひきこもりセーフティネット」を社会政策ではなく、治安政策という位置づけを与えるのではないかと危惧せざるをえない。

 「未来の問題」の「予防」ばかりに気をとられ、「現在の問題」の「解決」を軽視する風潮は座視しがたい。特に「引きこもり」問題の場合、むしろ人間らしい働き方を許さない労働環境や、競争と選別を中心とする教育環境にこそ切り込まない限り、決して解決への道筋はつけられないであろう。それが結果として「予防」にもつながると思うのだが。
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by mahounofuefuki | 2008-01-20 11:35

教科用図書検定調査審議会が聴取した「専門家」の意見について

 教科用図書検定調査審議会日本史小委員会が訂正申請に際して聴取した専門家9人のうち、8人の氏名と意見の要旨が公表された(北海道新聞2007/12/27朝刊)。新聞に記載された要旨から次のように整理できる。

 「集団自決」を日本軍の「強制」とする立場を明確にしているのは、沖縄県史編集委員の大城将保氏と関東学院大学教授の林博史氏。大城氏は「『敵の捕虜になる前に潔く自決せよ』という軍命令は沖縄全域に徹底されていた」と「軍命」の存在にも言及し、林氏は「沖縄戦での『集団自決』が、日本軍の強制と誘導で起きたことは沖縄戦研究の共通認識」と軍による「強制と誘導」を強調している。

 「強制」と明言してはいないが、軍の存在と「集団自決」の因果関係を認める立場をとるのは、山梨学院大学教授の我部政男氏、琉球大学教授の高良倉吉氏、沖縄学研究所所長の外間守善氏。我部氏は「沖縄戦末期にいわゆる『集団自決』が事実として起こった。その背景に『軍官民一体化』の論理が存在していたことは明確だ」とし、「軍命令」は「軍官民一体化」の論理の範囲に入ると指摘している。高良氏は「目前の住民の生死より作戦遂行を至上とした軍の論理があり、軍民雑居状態を放置した。慶良間諸島での集団自決も、軍の結果責任は明らかで、軍側の論理の関与を否定できる根拠はない」と軍の「関与」を強調している。外間氏は「沖縄県民十余万人を犠牲とした、集団自決を含む責任は日本国にある」「沖縄における軍の存在は脅威だった」と軍の「脅威」を強調している。

 「強制」を狭くとらえ、軍と「集団自決」の因果関係を否定しているのは、現代史家の秦郁彦氏、防衛省防衛研究所戦史部客員研究員の原剛氏。秦氏は「渡嘉敷島を中心に考察するが、集団自決の軍命説は成立しない。自決の「強制」は物理的に不可能に近い」「攻撃用手榴弾の交付と集団自決に因果関係はない」と軍命を全面否定し、軍の「関与」も否定している。原氏は「沖縄戦では戒厳令は宣告されず、軍に住民への命令権限はなかった。関係者の証言によると、渡嘉敷・座間味両島の集団自決は軍の強制と誘導によるものとはいえない」と大江・岩波訴訟の原告側証言のみを根拠として「強制と誘導」を否定し、さらに住民は「自ら死を選び自己の尊厳を守ったのだ」と「自決」を美化さえしている。

 軍の関与の度合いについてはっきりしないのが帝京大学講師の山室建徳氏で、ただ「先祖伝来の地に住む沖縄県民の多くは『集団自決』の道をとらなかった。一部の軍が住民に自決を強要したとだけ記述するのは、事実としても適切ではない」と「集団自決」が県民の少数派であることを強調し(これは前述の秦氏も渡嘉敷の「自決者は全島民の3割に及ばず」と強調していた)、軍の「強制」「関与」とも少なくとも教科書に記載することには反対している。

 専門家といっても実際は沖縄戦の研究業績のない研究者が含まれている。高良氏は中世・近世史の研究者で琉球王国の専門家である。秦氏は軍事史の研究者ではあるが、一般には沖縄戦の研究者とは目されていない。山室氏は政治史の研究者で、歴史修正主義グループに参画する東京大学名誉教授の伊藤隆氏の門下である。
 文部科学省は訂正申請に際して専門家に意見聴取する前から、軍の「関与」は認めるものの、軍の「強制」はあくまで認めないという方針を固め、「関与」説が多数ないし「中立」になるよう恣意的な人選をしたと考えられる。
 *ただし意見書の全文を読んでいないので、当ブログの整理・分類が不正確な可能性はある。

 なお長らく非公表だった教科用図書検定調査審議会の日本史小委員会の委員も8人中7人が公表された。九州大学大学院教授の有馬學氏、國學院大學教授の上山和雄氏、筑波大学副学長の波多野澄雄氏、駿河台大学教授の広瀬順晧氏、國學院大學名誉教授の二木謙一氏、学習院女子大学教授の松尾美恵子氏、国立歴史民俗博物館教授の吉岡真之氏である。
 このうちすでに当ブログで指摘した有馬、上山、波多野、広瀬各氏が近代史専攻である。

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by mahounofuefuki | 2007-12-27 12:03

文部科学省はやはり「軍の強制」を認めなかった~「追いこまれた」と「強いられた」の差

 沖縄戦における住民の「集団自決」をめぐる高校用日本史教科書の検定に関し、教科用図書検定調査審議会が教科書会社側の訂正申請を受理し、文部科学大臣に報告した。
 共同通信(2007/12/26 15:25)や朝日新聞(2007/12/26 15:06)は「軍の強制」の記述が「事実上」認められたと報じたが、これに対して沖縄タイムスや琉球新報は号外を出し「軍の強制」が認められなかったと報じ、時事通信(2007/12/26 17:33)も「軍による『強制』『強要』などの表現は認めなかった」としている。検定結果に対する反応がメディアによって全く異なるので混乱している人も多いだろう。
 今回の訂正結果を含む各教科書の記述の変遷は沖縄タイムスの電子号外2面が詳しいので、それぞれ自身の眼で参照してほしい。
 沖縄タイムス 号外 教科書検定による「集団自決」記述の変遷*PDF

 結論から言うと、文部科学省は結局「軍の強制」を認めなかった
 日本軍に「自決」を「強いられた」「強制された」といった記述を認めず、日本軍の「関与」によって「自決」に「追いこまれた」「追いやられた」といった記述に変えさせた。春の検定意見では日本軍の「関与」すら一切認めなかったのに比べれば、少しはましになったと言えるが、文部科学省側は「軍の強制」という記述には頑なに抵抗した。
 教科書執筆者の尽力で、日本軍という主語が復活し、特に実教出版は「強制的な状況」という記述を通したが、それでも「強いられた」ではなく「追い込まれた」という以上、軍が「自決」せざるをえない状況は作ったが、あくまでも「自決」そのものの契機は住民にあるという解釈が可能になる。文部科学省は、軍が「自決」を強いたという通説をどこまでも否定しようとしているのである。

 沖縄戦研究の第一人者である関東学院大学教授の林博史氏は「研究者としても、これまでの研究成果を反映していないどころか否定した検定で、受け入れられない」と今回の訂正を批判している。沖縄の人々もこれでは容認できないだろう。
 また、教科書検定過程に加えて、今回の訂正申請過程も不透明なことが多い。表向きは教科書会社の訂正申請を審議会が受理したという建前になっているが、事前の相次ぐ報道の通り、訂正申請の内容に教科書調査官が深く介入したことは間違いない。昨年来の検定の全過程を徹底的に検証する必要があるだろう。

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by mahounofuefuki | 2007-12-26 20:20