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天皇在位20年記念「祝日」と「嫌な予感」

 現天皇の「即位の礼」から20年目にあたる2009年11月12日を臨時の祝日とする法案が準備されているという。今月16日に設立された超党派の「天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟」が議員立法を目指しており、すでに自民党は22日に内閣部会が法案を了承、民主党や公明党も近く党内手続きを済ませるという(時事通信・内外教育研究会2008/10/22 10:24など)。議連には共産党と社民党を除く全会派が参加しており、早期成立は確実だろう。

 1970年代以降、これまで天皇在位の節目ごとに政府は天皇の在位記念行事を行ってきた。1976年の昭和天皇在位50年、1986年の同60年、1999年の現天皇在位10年のいずれも記念式典が開催されている。同時に財界人を中心とする民間の「奉祝委員会」が祝賀行事を行うのも慣例化しており、特に1999年の時は芸能人を招聘した皇居前広場での式典が話題になったのを記憶している人も多いだろう(原武史「在位記念式典」『岩波 天皇・皇室辞典』岩波書店、2005年より)。今回もすでに日本経団連の御手洗冨士会長を名誉会長、日本商工会議所の岡村正会頭を会長とする「奉祝委員会」が設立されており、在位記念行事の事業計画も決定している(産経新聞2008/06/05 19:51など)。

 故に即位20年の祝賀行事が行われること自体は「予定調和」で不思議でも何でもないが、当日が臨時の祝日となるのは今回が初めてである。過去の記念行事は、こう言っては何だが、興味のない人は完全スルー可能で、平日の場合はわざわざ仕事を休んでまで参加するのはよほどのモノ好きだけだったが、祝日となると否応なく「天皇の存在」を意識せざるをえなくなる。新自由主義改革を通した貧富の差の拡大により日本社会の亀裂・分断が深まっている現状を「見せかけの国民統合」で糊塗し、天皇制を軸としたナショナリズムを再興することで「国民意識」を強化しようという政府と財界の意図は明らかだが、逆に言えば従来には無かった「休日」という「エサ」を与えないと大衆の祝賀ムードを調達できそうもないのが現実だとも言えよう。

 昨今の天皇制を巡る議論の特色は、かつての左右の対立軸が崩れ、左翼サイドが日本国憲法擁護の戦略的要請から象徴天皇制の現状維持を容認する一方、右翼サイドは皇室典範改正問題で分裂状況を示し、さらに皇位継承者たる男子を出生できなかった皇太子夫妻に対するバッシングを行うという「ねじれ」現象が起きている。皇位継承予定者の先細りとともに、本来の支持基盤の不安定化は天皇制を危機状況に陥れているとさえ言えよう。ただしその一方で、政治的には「日の丸」「君が代」の強制が進み、天皇制の可否を議論する自由は公的領域で完全に失われているのも事実である。今後経済危機が深刻化すれば、来年は祝賀どころではなくなり、在位記念の「茶番」自体が天皇制に対する鬱屈を噴出させることもありえよう。天皇制のタブーが強まるか、それとも自由な議論への転換点となるか一大焦点となるかもしれない。

 ところで「嫌な予感」がするのは、天皇在位20年記念で臨時祝日だけでなく、もしかすると「恩赦」が行われるのではないか?ということだ。在位記念での恩赦は前例がないはずだが、次期衆院選で厳しい戦いが予想される中で、選挙違反者を減刑するために実施されるのではないかと危惧している。近年の恩赦は死刑が無期懲役に減刑されるようなことはほとんどなく、大半が執行猶予期間の短縮や公民権の復権などである。あらかじめ恩赦を想定すれば、運動員や関係者に違法行為をさせやすくなるだろう。自民党も民主党も公明党もこの点では利害が一致する。いささか陰謀論めいた憶測ではあるが、あながち杞憂とも言えまい(政令による恩赦は内閣の専権事項なので実施時期の可否を法で規制できない)。そんな裏取引が行われていないことを祈るばかりだ。
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by mahounofuefuki | 2008-10-23 22:56

天皇と皇太子の疎隔の深層

 宮内庁の羽毛田信吾長官が2月13日の記者会見で、皇太子徳仁親王一家が天皇・皇后を訪問する回数が少ないことに苦言を呈する発言をして以来、皇室をめぐってさまざまな憶測が囁かれ波紋を呼んでいる。羽毛田氏の発言は、表向きは敬宮愛子内親王を皇居に連れて来ないということを問題にしていて、皇太子も2月23日の誕生日前の記者会見で「家族のプライベートな事柄」と述べているように、一般常識から言えば「孫を祖父母に会わせない」というどうでもよいことである。
 その「どうでもよいこと」をなぜあえて宮内庁長官が公にしたのか。2004年に皇太子が雅子妃の「人格を否定する動き」が宮中にあったという暴露を行って以来、天皇と皇太子の間にある種の「疎隔」があるのではないかという疑いがあるが、その原因は「家族のプライベート」にとどまらないのではないか。羽毛田氏の皇太子「批判」については、いわゆる「千代田」(皇居・宮内庁)と「赤坂」(東宮職)の縄張り争いを指摘する向きもあるが、私にはもっと深刻な問題が横たわっているように思う。

 この問題を考えるヒントとして、今月発売された『論座』3月号に掲載された明治学院大学教授の原武史氏の論文「21世紀の象徴天皇制と宮中祭祀」を紹介したい。皇室における宮中祭祀の位置と現天皇の祭祀への熱意を明らかにしている。
(前略) 現天皇は、宮中祭祀に非常に熱心である。宮中祭祀とは、皇居内の宮中三殿(賢所、皇霊殿、神殿)で行われる祭祀のことで、天皇が出るべき祭祀は、1年間に30回前後もある。
 昭和天皇の場合は、侍従長となる入江相政の判断により、60年代後半から徐々に掌典長による代拝を増やしていったが、現天皇は古希を過ぎても、一向に代拝させる気配がない。
(中略)
 宮中祭祀はいまも、1908年に制定され、47年に廃止された皇室祭祀令におおむねのっとって行われている。それによれば、祭祀には大祭と小祭がある。前者は女性皇族が出席できない新嘗祭を除いて、皇后や皇太子妃も出席が義務づけられるが、後者は天皇と皇太子だけが出席すればよいことになっている。
 だが実際には、新嘗祭を除く大祭はもちろん、一部の小祭にすら、天皇と皇后がともに出席している。天皇が前立腺がん手術に伴い静養していた2003年1月から5月にかけては、皇后がずっと出席した。ちなみに皇太子妃は、03年9月を最後に出ていない。(後略)
 宮中祭祀というのは、無知な右翼ナショナリストが信じているような古来続いたものではなく、明治維新後に創出されたものである。戦前「臣民」に強制された国家神道の中核は皇室による宮中祭祀だった。敗戦後、占領軍のいわゆる「神道指令」により国家神道が解体され、日本国憲法施行後は政教分離原則により、宮中祭祀は皇室の私的行事となった。
 しかし、原論文も指摘しているように、今も宮中祭祀は戦前の皇室祭祀令に準拠して行われ、「建国記念の日」=「紀元節」、「春分の日」=「春季皇霊祭」、「秋分の日」=「秋季皇霊祭」、「勤労感謝の日」=「新嘗祭」、「天皇誕生日」=「天長節」というように、いまだ宮中祭祀に起源をもつ祝日が多く現存している。天皇の行動は憲法に制約される以上、政教分離原則を厳密に適用すれば、限りなく憲法違反の疑いが濃厚な状態にあると言える。

 天皇が宮中祭祀に熱心なのは、戦前の天皇制が抑圧装置として民衆に君臨し、また建前においても実質においても天皇が「大元帥」として軍国主義に加担した過去を反省し、天皇の役割を「国民」の平穏を祈ることに求めているためと考えられる。政教分離への無自覚は別として、天皇は再三にわたり日本国憲法の遵守を明言し、機会をみて近年のタカ派傾向を批判もしてきた。天皇制の存続のためには「平和への祈り」が不可欠と考えている節がある。
 しかし、皇太子の方には祭祀への熱意はない。1950年代生まれの彼にしてみれば、旧態依然の祭祀は不合理に映っているのかもしれない。ましてや外国生活が長かった皇太子妃はなおさらだろう。宮中正殿に上がるたびに潔斎を要求されるような慣習にはついていけないはずだ。雅子妃の「適応障害」とは宮中祭祀に「適応」できないというのが原因ではないかとさえ私は思っている。

 羽毛田発言の背後には天皇の宮中祭祀継承への不安があるのではないか。表向きは愛子内親王をダシに使ってはいるが、実際は直接皇太子に自らが信じる宮中祭祀の重要性を説き、次代にも「祈る天皇」像を継承させたいのではないか。
 最近、天皇が骨粗鬆症に罹患している可能性が公表され、祭祀への出席も見直すことも明らかになった。皇后も近年病気がちであり、いよいよ宮中祭祀を皇太子が担わなければならなくなる。天皇は自らの健康に不安があるからこそ焦りがあり、それが異例の宮内庁長官の皇太子「批判」につながったというのは穿ち過ぎだろうか。

 われわれ主権者としては、宮中祭祀が憲法の政教分離に違反しているのではないか、国税を費やして行うに値するものなのかという点こそ問題の本質と考えねばならない。マスメディアののぞき見趣味的な報道では見えない、皇室の「宗教性」を問題とする視覚が今後必要だろう。
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by mahounofuefuki | 2008-02-29 13:04

「建国記念の日」について

 今日2月11日は「建国記念の日」である。
 なぜこの日が祝日なのか、どういう起源をもっているのか、どういう過程で祝日になったのか、今やほとんどの人々が何も知らずに、単なる休日としか理解していないだろう。かく言う私もこれが戦前の「紀元節」を復活させたものということは知っているが、そもそも「紀元節」がいつどのように制定されたか、大学の講義で学習したはずなのに、すっかり忘れてしまったので、この機会に手元にある資料で調べてみた。

 「紀元節」の歴史はそう古くはない。他の祝祭日と同様、明治維新後に制定されたものである。
 宮中行事の「神仏分離」により、1871年10月29日に四時祭典定則が制定され、その中で記紀(「古事記」「日本書紀」)神話において初代天皇として創作された「神武天皇」を記念する日として、3月11日が「神武天皇祭」と定められたが、この時点ではまだ「紀元節」はなかった。

 次いで1872年11月15日に政府は太政官布告で、「神武天皇」の「即位」(「日本書紀」が記す「辛酉春正月庚申朔」)を紀元とする「皇紀」を定め、翌年の太陽暦施行に合わせて、旧暦(天保暦)の1月1日に相当する1月29日を「神武天皇」の「即位」記念の祝日とした。1873年3月の布告で、1月29日の祝日は「紀元節」と名付けられた。
 しかし、同年10月に太政官が布告した「年中祭日祝日等の休暇日」では「紀元節」は2月11日に変更されていた(「神武天皇祭」は4月3日に変更)。2月11日になったのは「神武天皇」在位当時の中国の暦を用いて算出した結果とされたが、暦の調査を担当した太政官地誌課長の塚本明毅は後に『三正綜覧』(1880年)の中で、孝元天皇紀9年(前206年)以前は対照する暦がなかったことを認めており、「2月11日」には全く根拠がなかった。
 政府は「紀元節」を重視し、大日本帝国憲法(明治憲法)も1889年2月11日の「紀元節」に発布した。その後1891年「小学校祝日大祭日儀式規程」の制定により、「紀元節」をはじめとする天皇関係の祝祭日には、小学校で「御真影」(天皇・皇后の肖像)への「拝礼」、「教育勅語」の「奉読」、唱歌の合唱などの儀式を行うよう定められ、次第に社会へ定着していった。

 「紀元節」は第2次世界大戦後、1948年の「国民の祝日に関する法律」(祝日法)の制定により廃止されたが、右翼・保守勢力はその復活を終始望み、1957年以降、2月11日を「建国記念の日」とする祝日法改正案が何度か議員立法で国会に上程された。これは成立しなかったが、1966年、内閣提出の改正法案が野党の反対を押し切って成立してしまった。祝日法では通常「国民の祝日」の日付を明記するが、「建国記念の日」は「政令で定める日」と記され、法は日付を決めていない。政府がそんな異例の離れ業を使うほど、当時「紀元節」復活への良心的抵抗が激しかったのである。
 結局、政府お手盛りの「建国記念日審議会」の答申に従い、「建国記念の日となる日を定める政令」が発せられ、翌1967年より2月11日が祝日「建国記念の日」となったのである。

 以上の経過を見ればわかるように、「建国記念の日」及び前身の「紀元節」には何ら歴史的根拠がなく、近代国家が国家統合の手段とするために、古代の「神話」を曲解して「神武天皇」の「即位」日を捏造したのである。最近はこうした事実を語ること自体を「イデオロギー」的と敬遠する向きが強いが、むしろこんな反科学的な祝日を容認することこそ特定の「イデオロギー」に毒されていることをあえて強調したい。

*本稿を書くにあたり、村上重良『国家神道』(岩波書店、1970年)、朝尾直弘ほか編『角川新版日本史辞典』(角川書店、1996年)、高木博志「祝祭日」(原武史、吉田裕編『岩波 天皇・皇室辞典』岩波書店、2005年)等を参照した。ただし文責は言うまでもなく当ブログ管理人にある。

【関連リンク】
国民の祝日に関する法律-法庫
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by mahounofuefuki | 2008-02-11 17:54

寛仁親王は「不良」だった!?

三笠宮家の寛仁親王のインタヴューがアメリカの新聞「ニューヨークタイムズ」に掲載された。
A Font of Commentary Amid Japan’s Taciturn Royals (New York Times 2007/10/20)
寛仁親王は、若い頃には皇族からの離脱を望む発言をしたり、最近は自らのアルコール中毒をカミングアウトしたり、皇位継承の男系維持のために「側室制度」復活を堂々と主張するなど、何かと物議を醸してきた皇室の「トリックスター」であるが、今回も日本のメディアではありえない、あけすけな告白となっている。

すでに報道されているように、皇族は「ストレスの塊 (one big ball of stress)」と発言したり、相変わらず皇位の男系(父系)継承の維持を訴えたり、信子妃(麻生太郎の妹)との不仲を示唆するなど、言いたい放題である。
また、皇太子が雅子妃の「人格やキャリアを否定する動き」を非難した発言をした際には、皇太子へ詳しい説明を求める手紙を出したが、通り一遍の御礼の返書しかもらえなかったというエピソードは、日本国内のメディアでは絶対に引き出せないだろう。

特に聞き捨てならないのは次の一節である。

Compared with the other royals, the prince said with a smile, he was a “delinquent” youth who got into skirmishes with students at a nearby school run by North Koreans.
彼は学習院時代、朝鮮学校の生徒と喧嘩するような「不良」だったというのである。
誇張してはいるのだろうが、それにしても民族・血統差別の源泉である天皇家のプリンスが、被差別民族である朝鮮系の人々と直接対峙していたというのは象徴的である。日本の新聞報道ではこの部分をスルーしているが、はっきりと伝えて欲しいものだ。

ほかにも、自分の身体には初代天皇「神武天皇」と同じY染色体がある(歴史学で「神武天皇」の実在はとっくに否定されているのだが)とか、血液型がB型だから新しいもの好きであるとか、トンデモ発言が目白押しである。

皇族の仕事は「朝起きて、朝食をとり、昼食をとり、夕食をとり、寝る」ことを365日繰り返すだけだという彼に、毎日失業の不安に怯え、ノルマを課せられ、上司に罵倒され、残業代も出ずに長時間労働を強いられる庶民の辛さなど決してわかるまい。
皇族のストレスなど、貧困や過労のストレスに比べればものの数ではない。
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by mahounofuefuki | 2007-10-22 14:41

陵墓の全面公開を望む

宮内庁が考古学会・歴史学会に対して、伏見桃山陵(明治天皇陵)と五社神古墳(「神功皇后」陵)の立ち入り調査を許可するという。
諸学会は約30年前から、何度も陵墓の公開を求めていたが、政府・宮内庁は皇室祭祀を理由になかなか認めてこなかった。今回相当な制約付きではあるが、立ち入りを認めたことは非常に画期的である。

皇室のさまざまな慣習については、まるで古来一貫した「伝統」であると誤解している人が多いが、現在行われている皇室祭祀のほとんどが、明治維新後に整備されたものであり、常に時代とともに変化してきた。

陵墓はその最たるものであり、江戸時代中期に、幕府が朝廷との協調のために、陵墓復興作業を行うまで、古代の陵墓は多くが野ざらしであり、墳丘の上に村がある例すらあった。
陵墓の本格的復興は、天皇の権威が浮上し、「万世一系」イデオロギーが台頭する幕末になってからで、特に1862年からの「文久の修陵」はその後の陵墓治定の基礎となった。
しかし、さしたる根拠もなく、記紀や「延喜式」などの文献や地方の伝承をもとに、短期間で強引に決めていったため、多くの陵墓が実際とは異なる結果となった。

例えば、「継体天皇陵」は太田茶臼山古墳ということになっているが、歴史学・考古学の通説では今城塚古墳の方だとみられている。あるいは「欽明天皇陵」は、檜隈坂合陵ではなく、見瀬丸山古墳の方が有力である。
また、相当する陵墓が見つからない場合は、捏造も行われた。
そもそも、今回の「神功皇后」も含めて、古代の「天皇」や「皇族」の中には実在しないことがはっきりしている者も多く、実在しない者に墓などあるはずもない。

このように現在、宮内庁が指定している陵墓は実にデタラメなのだが、「万世一系」の虚構を守るために一向に修正しようとはしなかった。
専門家の調査を拒んできたのも、宮内庁のウソが大衆に知られることを恐れていたからにほかならない。
陵墓はあくまで文化財である。皇室の私的所有物ではない(現に国有財産である)。公費をもって維持している以上、主権者に公開するのが当然の責務である。
今回の限定的公開が、陵墓の全面公開の端緒となるよう切に願う次第である。
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by mahounofuefuki | 2007-09-20 16:29

メディアが映す皇室の姿

秋篠宮家の悠仁親王が、6日、満1歳の誕生日を迎えた。
日本では依然として皇室に対するタブーが続いており、言論の自由はまったくない。ゆえにメディアの皇室報道は翼賛一色なのだが、それでも最近の報道はある種の傾向がある。
悠仁親王の誕生以来、秋篠宮夫妻のメディアへの露出が増え、その評価もウナギ登りであるのに対し、皇太子一家に関する報道は、雅子妃の病気についてがもっぱらで、それ以外も「皇太子の孤立」やら愛子内親王の「教育問題」やら、なんとなく「暗い」話が多い。雅子妃に対する内外からのバッシングも続いている。

メディアが伝える2人の妃の姿は対照的である。
皇室典範改定による「万世一系」の危機を救い、公務と育児を両立する秋篠宮妃。
男子も産めず、病気で公務も滞りがちな皇太子妃。
こういうステロタイプが、最近の報道では確立しつつあるような気がする。
まさに俗な言い方をすれば、秋篠宮=「勝ち組」、皇太子=「負け組」という姿である。

国会で絶対安定多数を得て盤石だった小泉政権をして、皇室典範の改定に頓挫した以上、当面は典範改定の動きはなく、今後もしばらく現行法が継続するだろう。このまま行けば、将来皇位は皇太子から秋篠宮家に移る。
その時までには、単なるゴシップや「男か女か」という本質からずれた話ではなく、天皇と主権在民原則、あるいは立憲主義との関係はどうあるべきなのか、天皇制・皇室制度の賛否を含めて、真剣な議論ができる環境をつくりたいものだ。
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by mahounofuefuki | 2007-09-07 08:24