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黒字だった公立病院が民間委託で赤字になった上に公費負担も激増

 「世間」一般のイメージとして「官」=非効率、「民」=効率というイメージが流布し、行政の「無駄遣い」削減には民営化や民間資本の活用が必要であるという言説が後を絶たないが、そうした一般的なイメージの再考を迫るニュースを東京新聞が報じている。

 東京新聞:民活病院 青息 コスト減のはずが・・・赤字(2008/11/12朝刊)*web魚拓
 http://s03.megalodon.jp/2008-1112-1017-44/www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008111202000079.html
 民間資本を活用して公共施設を建設、運営する「PFI方式」を導入した公共病院が、経営難や赤字に陥っている。(中略)

 医療センターは、黒字だった旧市民病院を移転新築する形で、大手ゼネコン・大林組が全額出資するSPCが建設し、2006年10月にオープンした。30年分の金利99億円などを含めた総整備費は244億円。

 市が医療業務を担い、SPCが保守管理や清掃、警備、病院給食などを受託している。30後に市が施設の無償譲渡を受ける契約で、市は直接経営と比べ68億円の節約になると試算していた。

 だが、「新築となって上がる」と見込んでいた病床利用率が横ばいにとどまったため、増えた減価償却費を収入で補えず、07年度に27億円の赤字を計上。一方、SPCに委託し、市が税金から支払う保守管理や清掃などの年間費用は、旧病院時代の6億6千万円から、15億4千万円に膨らんだ。(後略)

 要するに、黒字だった公立病院が、医療業務を除く施設管理等を民間委託したところ、かえって赤字になってしまい、さらに委託した業務への投入税金も倍以上になってしまったということである。この事例の場合、赤字そのものは病床利用率の見通しのミスに起因するようなので、民間委託のせいとは必ずしも言えないが、委託業務に投入する税金が完全公営時代の倍以上に膨れ上がったのは、間違いなく民間委託に起因する。事実は小説より奇なり。「官」よりも「民」にやらせた方がコスト増になったのである。

 記事を読む限り、今回の場合は病院施設の建設自体が大手ゼネコンへの利益誘導であり、受託した特別目的会社も当該ゼネコンの丸抱え、整備費は30年という長期の割賦払い、もちろん金利も税金で支払われる。これでは地方債を使った方がましじゃないのかとさえ思うのだが、民間委託がかえって自治体財政を圧迫しているという事例の存在は重い。大企業への利益誘導のために医療が食い物にされたと言っても過言ではないだろう。まさに「民による無駄遣い」である。

 同記事には同様の方式の他病院についても言及されているが、どこもうまくいってはいないようである。PFI=Private Finance Initiativeは、日本では「民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律」に基づいて実施され、特に小泉政権以降、さまざまな公共施設に用いられ、特に最近ではこの方式による半官半民の刑務所が話題になった。全部の例を調べていないので、もしかすると「成功例」があるのかもしれないが、少なくとも医療分野では完全に失敗しているのではないか。かえって官民癒着を招く危険性も増すだろう。

 市場原理をどこまでも信奉し、民営化を至上とみなす人々ならば、失敗したのは全部民営化しないからだとか、民間へのリスク転移が足りないからだとか言いそうだが、そんなことではあるまい。根本的に市場原理にそわない医療をビジネスとして捉える視点自体が、問題を引き起こしていると見るべきだ。誰もが安心して医療を受けられるようにするためには、きちんと税金ですべてを賄い、利権狙いの企業を排除することが必要だと思われる。

【関連リンク】
民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律 - 法令データ提供システム
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H11/H11HO117.html
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by mahounofuefuki | 2008-11-14 21:29

朝日新聞と橋下徹のダブルスタンダード

 大阪府知事の橋下徹氏が陸上自衛隊の記念行事の祝辞で、「人の悪口ばっかり言ってるような朝日新聞のような大人が増えると日本はダメになります」と述べたことが物議を醸している。光市母子殺害事件被告弁護団に対する懲戒扇動訴訟の一審判決にあたり、朝日新聞2008年10月3日付社説が橋下氏を批判したことへの「反論」だという。

 問題の社説は「弁護士は被告の利益や権利を守るのが仕事である。弁護団の方針が世間の常識にそぐわず、気に入らないからといって、懲戒請求をしようとあおるのは、弁護士のやることではない」「判決を真剣に受け止めるならば、控訴をしないだけでなく、弁護士の資格を返上してはどうか。謝罪が形ばかりのものとみられれば、知事としての資質にも疑問が投げかけられるだろう」という最近の朝日にしては珍しく真っ当な論説で、橋下氏の弁護士としての資質に疑義を呈した判決内容から敷衍すれば至極当然の批判である。これに対して、まさに「悪口」でしか反撃できないあたり、橋下氏の悪あがきが逆説的に露呈している。

 ところで、橋下氏は朝日を「悪口ばっかり言っている」と断定しているが、果たして実情はどうなのか。次の記事を紹介したい。
 大阪府茨木市の中心部から北に10キロほど行くと、巨大な橋梁が安威川沿いに何本も現れてくる。府が進める安威川ダムの予定地で、「新名神高速道路・高槻~神戸」の茨木北インターチェンジとつながる付替道路を水没地区に建設していたのだ。
〈中略〉
 もう1つの府営ダムである「槇尾川ダム」(和泉市)でも付替道路の工事が始まっていた。この川も「三面張りの堀に僅かな水が流れている程度。タクシーの運転手は「こんなところにダムを本当に作るのですか」と驚いた。
〈中略〉
 しかし知事直系の「改革PT」は6月にまとめた財政再建案で、府営の2ダムを「事業継続」としていた。「橋下知事はダム建設推進派」としか考えられないが、朝日新聞は「知事はダム見直し派」と印象づける記事を出した。「検証橋下徹③ まずい情報ほど公開」(7月30日の夕刊)は、こんな会話を紹介したのだ。

 「公開性を重視する橋下の姿勢には、前鳥取県知事の片山善博(現・慶應大学教授)の影響がある。6月25日、東京・三田の慶應大学に橋下の姿があった。(中略)2人はキャンパスを歩きながら、こんな言葉を交わした。
 片山『私、ダムをやめたんですよ』
 橋下『ぜひ、そのやり方を教えていただきたい』(以下略)」

 片山教授が知事時代に止めたのは「中部ダム」。県土木部は「護岸工事の147億円よりダム工事の140億円が安い」と事業を正当化していたが、知事は「嘘を言ったら情報公開条例で罰せられるぞ。試算をやり直せ」と迫った。〈中略〉当然、橋下知事も同じ話を聞いたはずだから、ダム中止の手法を記した面談記録を担当部に突きつけて再試算を命じたと思った。しかし、都市整備局河川室は予想外な答えをした。
 「片山前知事との面談記録は回ってきていませんし、知事から『鳥取県と同じように再試算をするように』といった指示はありません。単に個人的に会っただけではないですか。〈後略〉」 (横田一「橋下改革劇場の舞台裏 道路やダムにメスを入れない『改革派』」『世界』2008年10月号、p.p.95-96、太字強調は引用者による、一部改行、漢数字はアラビア数字に変換した)

 要するに、橋下氏が実際にはどうみても役に立たないダム事業を継続しているのに、朝日新聞は前鳥取県知事の片山善博氏との対話を誇張して、あたかも橋下氏がダム事業を見直しているかのような印象操作を行ったのである。「朝日は人の悪口ばかり」どころか「朝日は橋下の提灯持ち」と言われても仕方のない所業である。橋下氏にとっては残念ながら(?)、現実の朝日は橋下氏に対してある種のダブルスタンダードを用いている。

 もう1点、見過ごせない問題がある。橋下氏は「弁護士資格返上」の件について、「僕にも家族はあるし事務職員を抱えている。弁護士資格を返上したら従業員はどうなるのか」と語ったそうだが(朝日新聞2008/10/20 03:02)、まったく噴飯ものである。大阪の府立学校の非正規職員346人の解雇を決定したのは誰だったか? 医療費助成の切り下げを決定したのは誰だったか? 非正規職員にも医療費助成を受ける人々にも、橋下氏の家族や橋下事務所の従業員と同様に生活がある。「自分の身内」の困窮を想像できるのなら、「他人」の困窮も想像するべきで、それができない者には弁護士も知事も務める資格はない。

 とはいえ、今回も朝日を一方的に「サヨク」と決めつけ憎悪する右傾大衆には格好の「ネタ」で(私のような「左翼」からすると、朝日はせいぜい「中道」で経済的には「右」ですらあるのだが)、橋下氏の「釣り」行為はまたしても「成功」をおさめるだろう。学力テストの件といい、イモ掘りの件といい、大衆の「嫌悪感」を嗅ぎつけ「敵意」を煽る能力が天才的であることは認めざるをえない。何らかの奇策を用いることでしか橋下氏とその信奉者の暴走を止めることは難しいだろう。

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by mahounofuefuki | 2008-10-20 16:19

都知事と台東区長は五十歩百歩

 東京都の石原慎太郎知事が3日の記者会見で、大阪の個室ビデオ放火事件に関連して、「ネットカフェ難民」や山谷の簡易宿泊所に言及したトンデモ発言が波紋を広げている。

 問題の石原発言は次のようなものだ(毎日新聞2008/10/07朝刊、太字強調は引用者による、以下同じ)。
「山谷のドヤに行ってご覧なさいよ。200円、300円で泊まれる宿はいっぱいあるんだよ。そこに行かずにだな、何だか知らんけれでもファッションみたいな形でね、1500円っていうお金を払ってね、そこへ泊まって『おれは大変だ、大変だ』って言うのはね」
 要するに、ネットカフェや個室ビデオなどに寝泊まりしているのは好きでやっていることで、本当に生活困難ならば「200円、300円」の簡易宿泊を利用しているはずだ、と言っているのである。これに対し、6日付で「自立生活サポートセンターもやい」が石原氏に公開質問状を送付した。

 石原都知事に公開質問状「200円の宿があるなら紹介してください」- レイバーネット
 http://www.labornetjp.org/news/2008/1223258651860staff01

 質問の主旨は①本当に200円、300円で泊まれる宿がたくさんあるのか具体的事実を提示せよ、②事実誤認ならば発言を公式に撤回せよ、③事実誤認を改めて総合的・包括的な生活困窮者支援策を打ち出せ、の3点である。質問状では、石原氏の思い込みとは裏腹に、実際には「都内では山谷地域でも一泊1000円以下の簡易旅館は皆無に近く、1500円以下の宿泊先を見つけるのですら、困難な状況」と指摘しているが、いかに石原氏が貧困問題に無頓着であるか、図らずも証明したと言えよう。

 一方、今日になって東京都台東区の区長と区議会議長が、石原氏に発言の訂正と謝罪を要求した。共同通信(2008/10/07 18:17)より。
 個室ビデオ店放火殺人事件に関連して東京都の石原慎太郎知事が「山谷は200円、300円で泊まれる宿がいっぱいある」と発言したことに対し、山谷地区がある台東区の吉住弘区長と木下悦希区議会議長が7日、記者会見し「重大な事実誤認がありイメージが損なわれた」として、知事に発言の訂正と謝罪を求める抗議文をそれぞれ出したことを明らかにした。

 台東区によると、同区と荒川区にまたがる山谷地区には現在、約160軒の簡易宿泊所がある。中には1泊1000円以下の宿泊所もあるが、おおむね2000円程度だという。

 抗議文では「(山谷地区は)地元や関係者の努力により、外国人観光客やビジネス客の利用も増えている。発言により当該地域のイメージが著しく損なわれ、誠に遺憾」などとしている。

 吉住区長は「今は200円、300円という時代ではない。都のトップがそういう認識というのは非常に残念だ」と述べた。(後略)
 今日のテレビ報道などでは、「もやい」の抗議と台東区の抗議を同じようなものとして扱っていたが、両者に共通するのは「山谷には200円、300円の宿泊所などない」という事実認識だけで、問題の捉え方は180度異なる。台東区長らの抗議内容には重大な問題がある。

 台東区の抗議は、要するに「観光客やビジネス客も山谷の簡易宿泊所を利用しているのに、石原発言のせいで貧困労働者ばかりが集まっているようなイメージが高まり迷惑している」ということである。「200円で泊まれるような宿はない」というのは「もやい」の抗議と同じだが、台東区の方は「そんな貧乏くさいものが存在するように思われるのは困る」というニュアンスがある。ここには山谷の「対外的」イメージを気にする姿勢しかなく、労働者の排除の方向性すら読みとれる。行政としての貧困対策の必要性を全く軽視しているという点で、石原氏と台東区長らは五十歩百歩なのである。

 中央がさっぱり貧困問題に本腰を上げないなかで、地方自治体にやれることは限られているとはいえ、自治体のトップがこんなお粗末な認識では全くどうにもならない。石原氏は今日になって記者団の「ぶらさがり」で、バツが悪そうに発言を訂正していたようだが、これは「記者会見の場での公式の撤回」とは言えまい。同時に街の「イメージ」を理由に労働者を厄介者扱いする台東区長らにも、批判の矛先は向けられるべきだろう。

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by mahounofuefuki | 2008-10-07 21:57

「橋下劇場」の原点としての光市事件懲戒請求扇動

 橋下徹氏が光市母子殺害事件の被告弁護団に対する懲戒請求を扇動した問題で、同弁護団所属の弁護士らが橋下氏に損害賠償を請求していた訴訟の判決が広島地裁で下った。これまでの公判の経過から原告の勝利は間違いないと確信していたが、予想通り橋下氏の扇動と多数の懲戒請求の因果関係を認め、橋下氏に賠償命令を下す原告勝訴の判決だった。

 判決骨子は次の通り(毎日新聞2008/10/02 10:21)。
◆名誉棄損にあたるか
 懲戒請求を呼びかける発言は、原告の弁護士としての客観的評価を低下させる。
◆懲戒制度の趣旨
 弁護士は少数派の基本的人権を保護すべき使命も有する。多数から批判されたことをもって、懲戒されることがあってはならない。
◆発言と損害の因果関係
 発言と懲戒請求の因果関係は明らか。
◆損害の有無と程度
 懲戒請求で原告は相応の事務負担を必要とし、精神的被害を被った。いずれも弁護士として相応の知識・経験を有すべき被告の行為でもたらされた。

 懲戒請求の本来の趣旨を逸脱し、単にバッシングを楽しむために行われた、法的にも道義的にも根拠のない請求を断罪し、弁護士の正当な活動を保障した判決と言えよう。他者を扇動するだけして卑怯にも自身は請求を行わなかった橋下氏のみを被告とする訴訟なので、一般の懲戒請求者については言及されていないようだが、橋下氏の罪は同時に扇動に乗じて光市事件弁護団を誹謗中傷した者すべての罪でもあり、これら無法者の反省を強く促しているとみなすべきである。光市事件そのものの訴訟の方は「外野」の介入で著しく歪められたが、民事のこちらの方では正常な訴訟指揮が行われ、真っ当な判決が出たことに安堵している。

 思い返せば、この光市事件での懲戒請求扇動こそが、一介のタレント弁護士だった橋下氏を政界に押し上げたきっかけでもあった。それまでもタカ派・保守的言説をしばしば吐いていたが、彼の本質は「場の空気を読むお調子者」にすぎず、特に政治的な人間というわけではなかった。
 それが一連の光市事件をめぐる「騒動」を機に一躍「ネット右翼」層のヒーローとなり、彼の時にリベラルな側面もあったことは忘却され、彼自身も「『左』を忌避するポピュリズム」の時流に迎合した。光市事件がなければ、自民党が橋下氏を大阪府知事に擁立することもなかっただろうし、彼もわざわざタレントとしての高額な稼ぎを捨ててまで、激務で(タレント業に比べれば)薄給の知事など引き受けなかっただろう。
 持ち前のサービス精神から信奉者の期待に応えようとして政界に飛び込んだのか、懲戒請求扇動訴訟の結果を見越して弁護士業に見切りをつけて政界に「逃げた」のか、判断のわかれるところではあるが(どちらの要素もあるだろう)、いずれにせよ光市事件が契機であることは間違いない。

 素朴な敵愾心や嫉妬心を煽り、「安心して攻撃できる公認の敵」への憎悪をかき立てる橋下氏の扇動方法は、古来使い古されてきたものだが、オーソドックスなだけに強力で持続性もある。
 先の大阪府知事選では、大阪で長年続いた与野党と府庁と財界・圧力団体(創価学会・有力労組・解同など)の談合政治に対する鬱屈が地滑り的な橋下大勝につながったが、現実の橋下府政は財政再建を口実に弱者切り捨てを敢行し、面倒なことはすべて市町村に丸投げする一方、大型開発や既成の利権(その中には右傾大衆が憎悪する「同和利権」も)には手をつけず、関西財界と中央官庁のパペットになりつつある。
 それにもかかわらず、多くの人々は府政の実際には眼もくれず、ただ表面上のパフォーマンスに踊らされて、橋下氏が既得権益を解体していると勝手に「信仰」している。まずいことに一般の人々だけではなく、マスメディアも意図的に橋下府政を「改革」と持ち上げていて、例えば朝日新聞は実際の橋下氏が府営ダム事業推進の立場をとっているのに、あたかも「ダム見直し派」であるかのような報道をしていた(この問題は、横田一「橋下改革劇場の舞台裏」『世界』2008年10月号に詳しい)。教育委員会を「安心して攻撃できる公認の敵」に仕立てて人々の目をくらます橋下氏の戦術が功を奏し、氏に不都合な事実を大衆の目に入れないような力学が働いているのである。

 今回の判決も多くの人々が橋下氏を擁護し、裁判所を誹謗中傷するだろう。橋下氏当人は今回の判決に理解を示し、原告にも謝罪の意を示したように伝えられているが(それなのに控訴するのが意味不明だが)、信奉者にはそんなことはお構いなしである(余談だが中山成彬氏の暴言の時も、ほかでもない麻生首相が任命責任を認め陳謝しているのに、中山発言を擁護する輩が後を絶たなかった)。残念ながら橋下氏はすでに多くの人々にとって「何をやっても許されてしまう人」になってしまっている。今回の判決をもってしても「橋下信仰」は弱まるどころか、むしろ「敵」に対する憎悪が再び高まり強化されるだろうが、少なくとも公的には橋下氏の誤りは永遠に記録される。何よりも今後別の誰かが懲戒制度を悪用して同じような真似をすることが難しくなる。懲戒請求を司法権の独立を脅かすバッシングという名のテロの道具にしてはならない、という当たり前のことを改めて明示した点にこそ、この訴訟の最大の意義があるだろう。

【関連リンク】
光市事件懲戒請求扇動問題 弁護団広報ページ
http://wiki.livedoor.jp/keiben/d/FrontPage
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by mahounofuefuki | 2008-10-02 18:28

清掃職員が年収1100万円で悪いか!

 奈良市環境清美部の清掃職員の最高年収が1100万円に上っていたことを、今日のJ-CASTがやり玉に挙げている。

 J-CASTニュース:清掃職員が年収1100万円の「高給」 「給与体系に問題あり」と奈良市見直しへ
 http://www.j-cast.com/2008/09/19027292.html

 「この清掃職員の年収の内訳は、500万円の給料に加え、残業手当が234万円、特殊勤務手当て68万円、賞与223万円、通勤手当などもろもろの諸手当となっている」「この職員は工場勤務をしており、夜勤勤務や祝祭日でも出勤していた。給与体系という意味では、年功序列の加算体系に加え、管理職ではないため、時間外勤務手当て、365日祝祭日も働いていたものだから割り増しになった」

 ・・・ということが事実ならば、問題は「年収が高すぎる」ことではなく、「労働時間が異常に長い」ことにある。この報道はそもそもの問題の立て方が間違っていると言わざるをえない。公務員となるとすぐに「厚遇」がどうのと攻撃する輩が多いが、残業手当をはじめとする各種手当は労働者の当然の権利であって、公務員が「厚遇」なのではなく、民間の労働待遇がひどすぎると理解しなければならないことは、過去にも弊ブログで指摘してきた。

 以前、トヨタの取締役の平均報酬1億2200万円にもっと怒るべきというエントリで、公務員よりも民間の巨大企業の経営者の方がずっと不公平だと、やや挑発的に論じた時、「トヨタの役員は別世界なので庶民にはどうでもよい」「自分ができないような凄いことで稼ぐのは構わないが、自分でもできるようなことで稼いでいるのが許せん」というような批判コメントをしていたブログがあったが、今回のJ-CASTの場合も結局のところ「清掃職員のくせにもらいすぎだ」という認識が前提にある。

 私に言わせれば、多くの労働者や下請け企業を苦しめ、排気ガスを撒き散らすクルマを製造しているメーカーの経営者なんかより、清掃職員の方がずっと社会的に有用で立派な仕事をしていると思うのだが、そうは考えない人の方が多いらしい。今回の件は、恒例の公務員への嫉みと同時に、清掃業に対するあからさまな差別と侮蔑が背景にある。

 そこでこの記事のもう一つの狙いが問題となる。別件の「不適切な勤務が最初に発覚した男性職員は部落解放同盟奈良市支部協議会の副議長を務め、市側と何度も交渉していた」「清掃職場での就業には特殊な職場環境がある」。一方で「高給」職員は「給与システム以外の背景はない」と述べていながら、明らかに奈良市環境清美部が部落解放同盟の強い影響下にあることを示唆しているのである。ここから「部落特権」だとか何とか扇動しようという意図を読み取るのは容易だが、むしろ解同との関係で問題としなければならないのは、「なぜ清掃行政と解同の関係が深いのか」ということではないのか。

 その答えも、ある程度地域差別や職業差別の歴史を知っていれば容易に導ける。つまり清掃業務が長らく「ヨゴレ」仕事とみなされ、あたかも「ケガレ」の領域を担わされたかつての被差別身分と重なり、そこに差別と清掃行政が結びつく余地を残しているのである。最近はゴミ収集が機械化され、下水道整備が進んだのでそうでもないが、かつてはごみ処理や屎尿汲み取りはとかく人々の「ケガレ」観をかき立てた。解同のやり方に問題があるのは確かだが、同時に差別を前提として特定の業務を特定の集団に請け負わせるかのようなやり方で、事実上差別の温存に手を貸す行政や、大衆の差別意識も俎上にのせなければ公平性を欠くだろう。

 単に奴隷根性に支配された人々の嫉みを煽るだけのニュースでも、読みようによっては社会構造の歪みについて考えさせられるという好例であった。
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by mahounofuefuki | 2008-09-19 22:55

「教育委員会=関東軍」という「釣り」

 弊ブログでは大阪府知事選以降、あまり橋下徹に言及していないが、それはいくら批判しようと、批判自体が橋下のある種の「釣り」に乗せられた形になってしまい、実際「反橋下」の抵抗が強ければ強いほど橋下信者を結束させ、「敵」と闘う橋下のカリスマ性が強化されるという悪循環にはまってしまうからである。

 橋下のやり口は力量のない芸人みたいなもので、瞬発芸のようなエキセントリックな言動で衆目を集めては、大衆に潜在する「良識」や「弱さ」や「優しさ」に対するアンチ思考(過酷な環境にいる人ほど、そうした環境を変えようとする勇気のない臆病をごまかすために、「過酷でない」ものを攻撃する)を引き出し、そのエネルギーを政治力の源泉にしている。
 この方法は伊丹空港問題のように、大衆のアンチパワーが低いと失敗するが(「アンチ伊丹空港」なんて人はそんなにいない)、彼が常軌を逸するほど熱中する学校教育問題では、最近大分県の教員採用汚職がクローズアップされただけに、橋下が自らへの支持の調達に成功する危険性が高い。正直なところ、私にはこれを防ぐ手立ては思いつかない。

 橋下がテレビ番組で、全国学力調査の結果公表に反対する市町村教育委員会を「関東軍みたいになっている」と罵倒したというが(朝日新聞2008/09/15 01:53)、これとて都道府県教育委員会は市町村(教委ではない)に「指導」「助言」「援助」はできるが、市町村教委に「命令」はできない以上、天皇が司令官を任免し命令権限をもった関東軍とは全く次元が異なり、教委の独立性と関東軍の逸脱を同一視するのは法的におかしい、というツッコミは入れられる。

 しかし、橋下とて弁護士である以上、そんなことは百も承知の上で、「教委=関東軍」というレッテルを張って「釣り」行為をしているのである。これを右傾大衆が面白がって教委を「関東軍」と貶める「空気」が醸成されれば(毎日新聞を「侮日新聞」と貶めたように)、橋下の狙い通りである。「面白さ」の前には、冷静なツッコミは水を差す行為となる。

 橋下は少年期のトラウマから、とにかく学校を成績階級で分断することに執念を燃やしているだけなのだが、それにどれほどの人が気づいているか。先の知事選で、良識のある人々の声を聞かず橋下に投票した人々や選挙で投票権を行使しなかった人々が、暴君の暴政に傷めつけられるのは仕方のないことが(そんな目に遭ってもマジョリティがマゾヒストのごとく支持するのは石原慎太郎で実証ずみ)、そのとばっちりで正しい人々までも犠牲にさらされるのが忍びない。橋下当選は確かに「大阪滅亡のお知らせ」だった。

【関連リンク】
地方教育行政の組織及び運営に関する法律 - 法令データ提供システム
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S31/S31HO162.html
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by mahounofuefuki | 2008-09-15 12:07

若衆が村役人宅を封鎖して「休みを増やせ」と要求する風習

 盆休みも終わり、今日から通常営業だったという人が結構いると思う。有給休暇制度があまり機能していない(というより権利として確立していない)日本では、盆と正月と5月の大型連休に長期休暇が集中しがちで、せっかくの休暇も地獄のような帰省及びUターンラッシュに見舞われるか、どこかへ出かけても人ごみだらけで、全然休めないよ~という場合も多い。それ以前に長期休暇自体がなくて、盆の間も仕事でした、という人も増えていることだろう。日本の労働時間の長さと休暇の少なさは世界有数である。

 長野県南箕輪村田畑地区では、盆休みの終わりに若衆が村の有力者の邸宅をバリケードで封鎖して外に出られなくなるようにし、盆休みをもう1日延ばせと実力で要求する「盆正月」という風習が明治以来続いているそうだ。

 信濃毎日新聞(2008/08/18)によると、今年も8月16日深夜から17日早朝にかけて、有志の「伝統行事を守る会」の人々が区長宅や公民館などで行ったという。「区長宅の玄関前は母屋隣の物置から持ち出した小型耕運機や靴箱、一輪車などが積まれ、玄関から出入りするすき間もなかった。玄関前の地面には、石灰のような白い粉で『お正月』との文字が大きく書かれていた」。
 *中日新聞(2008/08/18 08:46)によると、もともとは「盆が終われば正月だ」という意味を込めて、最後に正月飾りを取り付けていたという。

 今年は17日が日曜なので、いずれにせよ公定休日なのだが、区長は律儀にも区内に「今日は休みにしてください」と周知したという。おそらくそういう対応も含めて定番化しているのだろうが、この種の「奇習」が現代も継続して行われていることに驚きを禁じ得ない。

 もともとは盆休みに遊び足りない若い衆が、強引に村役人へ要求を通したのが始まりだそうで(信濃毎日新聞の「信州歳時記」などより)、人によっては「悪ふざけ」に見えるかもしれないが、私はこういう痛快な「伝統」は好きである。これはある意味、休養権を要求して労働者が集団で決起したようなもので、まさに「リアル蟹工船」である。現在のインディーズ系の労働運動にも通じるところがある。

 南箕輪を含む長野県伊那地方は、日本近代史上、自生的な青年運動が活発だった地域として知られている。特に1920年代には農民青年による自主教育運動である「自由大学」運動や、社会主義青年運動が広がり、中央政府主導の青年団統制が強化されていた時期にあって、例外的に江戸以来の「若衆組」の伝統を引き継ぎつつ、「下から」のうねりが確固たる地盤をかちえていた。この「盆正月」はそうした過去の遺産の名残なのだろう。

 「伝統」というと専ら天皇制国家によって「上から」創出されたものばかりを「固有の伝統」とか「古来の伝統」とありがたがる傾向が強いが、むしろ田畑の「盆正月」のような「奇習」にこそ引き継ぐべき日本社会の「伝統」が息づいていると思う。現在でも「休みを増やせ!」「有給休暇を取らせろ!」と労働者が株主や経営者宅を包囲封鎖できたら面白いのに。

【関連リンク】
信州歳時記|夏 ~ 盆正月(信濃毎日新聞社)
http://www8.shinmai.co.jp/saijiki/data/08_002049.php
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by mahounofuefuki | 2008-08-18 17:43

5.6%の憂鬱 (追記あり)

 宮崎日日新聞(2008/08/13)が、今月初頭に行った東国原英夫知事に対する宮崎県民の意識調査の結果を報じている。東国原氏に対する支持率は前回調査より4.2ポイント低下したものの、依然として89.5%の高率。一方、不支持率は5.6%だった。

 興味深いのは支持理由で、最も多いのは「メディアで宮崎をPR」で36.7%、次に多いのは「県民を元気づけている」で29.4%だった。昨年の調査では「行財政改革などの政策」が支持理由のトップだったというから、県民の多くは「行財政改革」(それがよいかどうかは別として)が進んでいないことは認めているのである。
 それにもかかわらず高支持率なのは、要するに県民のマジョリティは知事に行政上の具体的な成果ではなく、何より「セールスマン」としての役割と「元気」の付与を求めているからで、東国原氏はそういった大衆の欲求に忠実に従っていると言えよう。

 支持者の愚かさを嘲笑うのは簡単である。しかし、ある意味、地方政治に何を期待しうるかという問題に即せば、実にリアルな判断であると言えるのは否定できない。現在の都道府県はどこも財政赤字に苦しみ、地方交付税交付金の削減や地方向けの公共事業の減少などで、著しく体力が落ちている。地方自治の財政的・経済的基盤の再建には国の支援が必要不可欠だが、国は地方切り捨てを続けている。このような状況下では誰が知事でもたいしたことができない。それならばせいぜい地域のセールスマンとなって、地元の産品の販路を拡大するのに寄与してもらった方が、できもしない「改革」などよりも現実的な「成果」を受け取れる。ポピュリズムは政治に対するシニシズムと表裏一体である。

 とはいえ「元気づけている」という具体性の欠けた、受け取り手の内面に関わる要素が重視されているのは、やはり問題があると言わざるをえない。面倒な事や不愉快な事や不都合な事を隠蔽してでも、耳に心地よい話だけを提供しろと求めているに等しいからだ。何となく景気のよいイメージさえあれば、あとはどうでもよいという思考停止が読み取れる。東国原氏と双璧を為すタレント知事である橋下徹氏に至っては、明らかに住民の多くに「不利益」をもたらしているのに、やはり高支持率をキープしている。彼も口先では「大阪を元気に」と繰り返していた。奴隷根性が骨まで沁みついている人々は、もはや表面的な「元気」さえもらえれば、自己にふりかかる「不利益」も霧散してしまうのだろう。

 ちなみに、よくポピュリズムにはポピュリズムで対抗せよという見解があるが、大衆が求めるものが「元気」である以上、それに迎合すれば東国原や橋下のような姿にならざるをえない。つまり東国原氏に対抗するために同じような人材を擁して勝ったとしても、その対抗馬は東国原氏と何ら変わらず、同じような行動しかとり得ない。それでは全く意味がないことは言うまでもない。

 今回の調査でわかったことは、少なくとも宮崎県でまともな人々の割合が5.6%だという厳然たる事実である。全国の割合も同じようなものだろう。学校のクラスで1人か2人。ある意味絶望的な数字だ。この5.6%が5.6%のままで「勝つ」方法をとるか、残りの9割以上が翻意するのをじっと待ち続けるか。おそらくそのどちらも必要なのだろう。最悪なのはこの5.6%すら同調圧力に屈して、マジョリティに宗旨替えしてしまう(させられてしまう)ことである。そんな最悪の事態もないとは言えないほど、この国の政治状況は袋小路にある。


《追記 2008/08/15》

 「Gazing at the Celestial Blue」より「大阪府民は400人よりはたくさんいる」というエントリのTBをいただいた。不覚にもそのエントリは今まで見落としていて、本エントリを書くときには全く念頭になかった。
 Gazing at the Celestial Blue 大阪府民は400人よりはたくさんいる
 http://azuryblue.blog72.fc2.com/blog-entry-497.html

 ご指摘のように、世論調査がどこの誰を対象に、どういう方法で行っているかを考慮しないで、結果だけをそのまま信じてしまうことは危険である。本エントリで触れた宮崎日日新聞の調査も詳細不明なので、そのままの数字を真に受けて「まともな人が5.6%しかいない」と勝手にシニカルに沈んでしまったのは、言いすぎであった。そもそも「まとも」という言い方自体にある種の差別意識が内包されている。本記事は8月13日時点での正直な感想なので撤回はしないが、現在は反省している。碧猫さまに感謝申し上げます。
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by mahounofuefuki | 2008-08-13 23:11

「道州制」はやっぱり危険

 自民党総務会が昨日、同党道州制推進本部の「第3次中間報告」を了承した。次期衆院選の政権公約にもなるという。都道府県をいくつかの「道州」に再編し、市町村を「基礎自治体」とする「道州制」については政府や財界も導入を目指しているが、ついに政権与党の政策の目玉にまで「出世」したようである。

 「道州制」に対しては、自民党政治に批判的な人々の中でも、地方自治の拡大による行政の民主化に期待して支持ないし高評価する向きがあるが、当ブログでは「道州制」は衣替えした新自由主義政策の継続であるという見方を以前にも提示してきた。今回の中間報告を読むと、改めてその危険性がわかる。

 問題の第1は、「道州制」が「小さな政府」を前提としていることである。報告は国の仕事を「国家戦略」と「危機管理」に限り、現在国が担っている業務を「道州」に、都道府県が担っている業務を「基礎自治体」にいわば「下げ渡す」ことを明記している。一応、財源の移譲も示してはいるが、そもそも国―地方を貫いたコストカットを大前提にしている以上、これまでの「無駄の削減」と同様、社会保障つぶしになる可能性が高い。国の業務のうち外交と軍事という「夜警」機能以外を事実上地方に「押し付ける」のが実情だろう。

 問題の第2は、自治体に「自己責任」を課し、「改革」の競争を行わせようとしていることである。課税自主権といえば聞こえがいいが、要するに財政基盤の相違によって自治体間の歳入歳出に落差が生じるということである。報告では各道州の経済力の「格差」を埋めるために、「知的・社会的インフラ整備」の必要性を指摘しているが、これは経済力の弱い地域の「開発」を意味し、「道州の自立」を名目にした大型開発の乱発すら予想される。実際問題として関東や関西のような大都市圏を含む道州とそうでない道州との「格差」はそうやすやすと埋められるとは思えず、結局は弱いところほど増税やコストカットで無理をしてでも「成果」を上げざるをえなくなるだろう。

 今後考えられる最悪のシナリオは、国政レベルでは「無駄をなくす」の掛け声で「道州制」を既成事実とし、他方地方レベルでは大阪府の橋下徹知事や宮崎県の東国原英夫知事のようなポピュリストが先頭に立って目くらましを行って、あたかも「道州制」にすれば社会不安から逃れられるような幻想を大衆に与えることである。また、報告でも道州に議院内閣制を持ち込むための憲法改正の可能性を提示しているように、9条改憲との「抱き合わせ」に利用される恐れもある。ある意味「道州制」は「構造改革」と「改憲」の結節点とも言えよう。

 すでに後期高齢者医療制度が自治体の広域連合を主体としたり、それと連動した「メタボ健診」で受診率が低かった場合に自治体へ財政的ペナルティを与えるなど、あたかも「道州制」を先取りしたような制度がすでに始まっている。新自由主義を拒否するのならば、「道州制」も拒否しなければならない。

【関連記事】
「道州制」は新自由主義の隠れ蓑
「国の財政は夕張より悪い」は欺瞞

【関連リンク】
道州制に関する第3次報告 – 自民党
http://www.jimin.jp/jimin/seisaku/2008/seisaku-021.html


《追記 2008/07/31》

 日本経団連の御手洗冨士夫会長が仙台での講演で、「道州制」は「究極の構造改革」と述べたという。これは文字通り受け取るべきだろう。「道州制」は「構造改革」と同じ「被害」をもたらすということである。
 日本経団連タイムス No.2915-05 道州制シンポジウムを仙台で開催
 http://www.keidanren.or.jp/japanese/journal/times/2008/0731/05.html
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by mahounofuefuki | 2008-07-30 19:51

夕張市が自衛隊の市街戦演習地を誘致

 北海道夕張市の商工会議所が、陸上自衛隊の市街地戦闘訓練用の演習地を誘致する準備を進めているという。北海道新聞(2008/05/24 06:34)によれば「山間部に分散する集落から候補地を選び、住民を市中心部に移転させた後、老朽化した元炭鉱住宅のアパートや民家を演習用に提供」する計画で、国からの周辺整備費交付や自衛隊員滞在による消費効果を見込んでいるという。

 周知の通り、夕張市は財政破綻により財政再建団体となり、厳しい債務返済を課せられているが、もはやカネになるものなら何でも誘致しようと形振り構わぬ姿勢を示していると言えよう。発想としては原発や刑務所の誘致工作と同じで、国の側からすれば住民にとってリスクの高い施設を交付金をエサに地元の方から進んで誘致するよう仕向けたに等しい。
 記事によれば地元関係者が4月に防衛省陸上幕僚監部を訪問して打診したというが、そもそも陸自が市街戦用の演習地を欲しているという情報を夕張に流したのは誰か。これは素人の思いつきでは出てこない。表向きは夕張側の、それも地元財界の要請だが、実際は防衛省・自衛隊側の発案ではないかという疑問が拭えない。

 ところでこの件で私が思ったのは、ある意味で貧困と戦争の関係性を如実に表しているということである。アメリカ軍が貧困層から兵士のリクルートを強化したり、市民権をエサに移民層の志願兵を促進しているように、現代の戦争は「貧困が軍隊を支える」状態にあるが、夕張の件も広い意味で「貧困自治体」の弱みが戦争準備と結びついている。
 貧困地域が増えれば、その分軍隊にとっては「使い勝手の良い基地・施設」を手に入れられるという関係は非常にいびつだ。戦争で儲かる人々にとっては、貧困が増えた方が望ましいということになる。

 もう1点。この問題は自衛隊にとっては、従来の演習地内の模擬市街地では満足できないところに、本物の住宅や道路でドンパチできますよという「嬉しい」申し出である。かつて現実に人が生活していた市街地で「実戦」さながらの訓練ができるというのは、自衛隊の「実戦」への「渇望」を高める。
 これは東映の特撮戦隊モノが採石場で「戦闘」しているような滑稽さと同時に、ある種のうすら寒さを感じる。すでに専守防衛を事実上脱ぎ去り、海外でアメリカ軍の下請け部隊として活動することを予定している自衛隊にとって、想定する市街戦はアジアやアフリカのどこかでのものだろう。あるいは日本国内の「敵」を制圧する治安出動。「テロとの戦い」を口実にその銃口は国内の平和主義にも向いている。演習が「本物」に近いほど、戦争のリアリティは高まる。

 夕張の財界はテーマパークの誘致のような気楽な感覚を持っているのかもしれないが、これは慎重を要する問題である。

【関連記事】
グリーンカード兵士から見える軍隊の変容~「国民軍」から「グローバル軍隊」へ
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by mahounofuefuki | 2008-05-24 21:53