タグ:国会 ( 45 ) タグの人気記事

進む自公民談合・協力体制~インド洋給油活動延長を黙認する民主党

 昨年の今頃、国会における政局の焦点は、インド洋での海上自衛隊の給油支援活動を継続するためのテロ特措法の帰趨であった。結果は、野党が多数を占める参議院が否決したため、政府・与党は衆議院で3分の2の多数による再可決を強行し、給油活動は1年延長された。その現行法は1年時限なので、活動を継続するには再び国会で法改正しなければならない。今年もまたテロ特措法改正案を巡る攻防が臨時国会で繰り広げられるはずだった。

 ところがである。昨日の新聞各紙は、民主党が同法案の審議の短縮と早期の採決を容認し、会期内での衆院再可決が可能となったため、今国会での成立が確実になったと報じた。「民主党側は8日、改正案の委員会審議に10日に入り、同日中の採決にも応じる考えを自民党側に伝えた」(朝日新聞2008/10/08 15:08)、「民主党としては、麻生首相が成立への意欲を示す同改正案を早々と成立させることで衆院解散を促し、次期衆院選での争点となることを回避する狙いがある」(読売新聞2008/10/08 14:35)。

 要するに民主党は早く解散して欲しいので、テロ特措法改正案には形だけの反対しか行わず、早期の成立を黙認するということである。昨年は一応抵抗の姿勢を示し、対案すら提出している問題なのに(その対案には問題があるが)、今回は政局を優先して抵抗を事実上放棄するというのは公党としてどうなのか。補正予算も大した審議もせずにあっさりと賛成したが、これでは「解散してほしくば、政府・与党案に協力しろ」と迫られ、次々と妥協を繰り返しているようである。

 しかも早期解散を求める一方で「次期衆院選での争点となることを回避する狙い」とは片腹痛い。麻生政権がテロ特措法を総選挙で争点化するのならば、堂々と受けて立てばよい。アメリカ発の金融危機で対米一辺倒の外交路線の見直しが現実的課題となり、外国軍への「無料ガソリンスタンド」など行う経済的余裕が消えているという現況にあって、この問題の争点化が特段与党に有利に働くわけでもない。選挙戦略としても理解不能である。

 今回の民主党の姿勢は、結局のところインド洋給油問題を軽視し、本気で抵抗する気が最初からなく、せいぜい政局の道具として反対しているにすぎないことを実証したと言えよう。麻生首相が就任直後、真っ先に給油継続を国際公約するほど、政府・自民党はアメリカへの「忠誠」の証を示すことに躍起となっているが、民主党も政権獲得が現実味を帯びてくるにつれて、自民・公明両党と同様、ますます日米安保体制の強化という支配層主流の既定路線を邁進している。「政権交代」で自民党政治が終わると信じている人々の思いとは裏腹に、民主党の顔はすでに財界とアメリカに向いているのだ。

 ある意味今国会は、これまでも(たとえば労働契約法や宇宙基本法で)顕在化していた自公民談合・協力体制が完成しつつあると言える。どうせ解散になるから、と楽観している間に、次々と悪法の「駆け込み可決」が行われることが心配だ。すでに福田前首相が退陣表明した直後、大勢が新内閣発足直後の解散を予想する中で、弊ブログでは即時解散が望ましいが、実際には自公政権は「衆院3分の2」を簡単には手放さない、解散は先送りされると指摘したが、当時の私の予測が現実になっている。いかに野党が与党に「塩」を送ったところで、解散は首相の胸先三寸次第であり、民主党の行いは「エサ」に釣られた単なる一方的屈伏でしかない。

 こうも躊躇なく自公政権と協調できるのは、改めて総選挙後の民主党の動向に疑念を生むことにもなろう。選挙結果がどうなろうとも、参院の現況や経済情勢も考慮すると、表向きは激しい対立を装いつつ、要所では助け合う自民・公明と民主の「あ・うん」の呼吸は長らく続きそうである。

【関連リンク】
テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法 - 法令データ提供システム
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H20/H20HO001.html
テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法の一部を改正する法律案 - 衆議院
http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g17005004.htm
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-10-09 21:10

「寂聴の作品」という先入観があれば「ケータイ小説」も「小説」に見えるように、小沢演説も(以下略)

 弊ブログのこれまでの「カラー」に従えば、今日は麻生新内閣について書くべきなのだろうし、読者もそれを期待しているかもしれないが、あまりにもひどすぎて、今回は正直なところ書くことがない。新内閣は「タカ派・小物・世襲」の三拍子で、一部のウヨク層以外にはどう見ても受けそうもなく、本当にこの陣容で総選挙をやるつもりなのか?と疑わざるをえない。私は以前から簡単には衆院の3分の2を手放さない、解散は先送りされると言ってきたが、本当にその可能性が出てきたような気がする。

 そんなわけで全然関係ないが気になったニュースを。毎日新聞(2008/09/24 17:32)より(太字強調は引用者による)。
 文化勲章受章作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが、86歳にしてケータイ小説に初挑戦、ケータイ小説サイトで名前を隠して書き上げたと24日、発表した。「ぱーぷる」のペンネームで、女子高生ユーリのいちずな恋を描いた「あしたの虹」。10代、20代の女性たちが等身大の物語を書き、女子中高生が読者の中心というケータイ小説に、大物作家が切り込んで、大きな注目を浴びそうだ。
 「あしたの虹」は携帯電話で読むケータイ小説サイト「野いちご」で5月に掲載スタート。今月10日に完結した。横書き、短い簡潔な文章、若者言葉など、今までの瀬戸内文学とはまるで異質の作品になっている。(後略)

 「名前を隠して」というところがすごい。普通ある程度売れると、作家のネームバリュー自体が作品の評価に影響するが、名前を伏せてしまえば、その辺に転がっている新人やアマチュアと同じ土俵で読者の評価眼に供することになる。名前を伏せても勝負できるという自信がなければできないし、それも「ケータイ小説」という真っ当な文学者からは白眼視されているような畑違いの(つまり従来の文芸とは評価のものさしが異なる)フィールドに挑戦する気概には頭が下がる。

 もちろん匿名だったということは、失敗したら逃げることも可能だったということでもあるが(ただし初めから原稿料が出ていたならそうもいかないのでやはり勇気がある)、結局、本になったということはある程度納得のいくものが書けたということだろう。

 さて問題は匿名でケータイに連載されていた時、どの程度反響があったのか?ということである。当該ケータイサイトを見ると、PV数が多いわけでもなく、特に注目されていたというわけでもなさそうだ。作者が瀬戸内氏だと気づいた人も皆無だったと思われる。10日ほど前の日付の読者レヴューも読んだが、ごく平凡でありがちな感想だった。

 実際、ぱっと読んだ限りでは、正直なところ格別優れているという感じは受けない。「いかにも」な内容で、公表前だったら瀬戸内作品と言われても信じなかっただろう。そして、ここからが重要なのだが、それにもかかわらず「瀬戸内が」という先入観があるので、これといって何でもないような「ケータイ小説」でも、「やはりプロットが素人ではないな」とか「文法が間違っていないな」とか「本当の若い人の言葉ではないな」と思わされてしまうのである(正確にはそこに「プロらしさ」や「年寄りらしさ」を探そうとしてしまう)。

 最近、これと同じような現象を目撃している。民主党大会での小沢一郎代表の演説に対する民主党系ブロガーの反応である。私は前のエントリでも述べたように、あの演説全文を精読した時、「自分ら『氷河期世代』の『負け組』は視野に入っていないのだな」という疎外感を味わったが、多くの支持者は私の率直な感想とは裏腹に小沢演説を絶賛している。社会民主主義的だという評価さえある。しかし、これら支持者の反応は、「民主党が自公政権の政策を否定してくれる」「小沢は我らの味方だ」という先入観があって、政治家によくありがちな単なる抽象的内容であるにもかかわらず、すべて善意に解釈し、まるで「良かった探し」のように、都合のいいように解釈しているとしか思えないのである。

 これは断言できるが、同じような内容の演説を自民党や公明党の人がしても、彼らは絶対に評価しないだろう。自民党や公明党にあんな演説ができるわけない? いやいや政治家というものは、その気になれば嘘八百並べてでも有権者の心をつかもうと形振り構わずリップサービスをする。実際、麻生首相は今日の記者会見で「雇用の安定の確立」なんて口にしているが、本気でやる気があるとは誰も信じまい。小沢演説も先入観を極力取り除いて聞けば、実はこれまでと同様たいして具体性はない。

 表面的な言葉だけで物事を判断することはやはり慎まなければならないのだろう。たとえば私も、今年の『労働経済白書』を過大評価しすぎたと最近反省している。昨年の白書との違いを過剰に高く評価しすぎた。「何を言ったか」ではなく「何をやったか」をしっかりと把握しなければならない。

 結局、話がそれて政治オチになってしまった・・・(苦笑)。

【関連リンク】
あしたの虹 - ケータイ小説野いちご
http://no-ichigo.jp/read/book/book_id/89873?noichigo=r56gd3a171pbu5ft8t74pmb3sc976gcm
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-09-24 22:53

自民党も民主党も「貧困と格差」おいてけぼり

 福田康夫首相が退陣を表明した直後には、自民党は総裁選を「劇場化」して盛り上げ、その余勢で衆院を解散し総選挙を有利に運ぶだろう、というのが大方の見方だった。これに対し弊ブログでは、即効性のあるリーダー候補が枯渇していること、わかりやすい「既得権益の解体」というエサを用意できないことを根拠に、「劇場化」はうまくいかないだろうと分析した(福田内閣退陣と今後の政局に関する私見参照)。

 結果は周知の通り、自民党総裁選は麻生太郎氏圧勝という、しらけた「出来レース」となって盛り上がらず、メディアを使った小細工もほとんど焼け石に水だった。自民党の戦略の失敗には、「汚染米」転売問題の表面化やリーマン・ブラザーズ破綻にはじまる金融危機という総裁選どころではない一大事が影響してはいるが、これらはいずれも市場化・民営化を至上とする新自由主義路線の行き詰まりを示す出来事であり、もはや従来の政策路線の矛盾は小手先の「劇場」で覆い隠すことができないほど拡大していると言える。

 総裁選では当初3つの財政路線が提示されたが、一見対立するこれらは「いかにして巨大企業と富裕層の税負担を減らすか」という目的において共通し、「貧困と格差」に喘ぐ日本社会の処方箋とはなりえないものばかりだった。歳出削減による均衡財政を優先する「上げ潮」路線は、「官の既得権益」解体を称しながら、その実「庶民の既得権益」を解体し、その分で大企業・富裕層向けの減税を行う。消費税増税による社会保障財源捻出を目指す「財政タカ派」路線は、逆進税である消費税を社会保障に回す分、累進課税の直接税をこれまた大企業・富裕層のために減税する。そして赤字国債増発を辞さない「財政出動」路線は、要は金持ちからの借金で金持ち向けの「景気対策」を行い、そのツケを庶民に支払わせる。まさに巨大企業の代弁者としての役割を自民党は忠実に果たしているのである。

 このように政策論争としても、芸能的パフォーマンスとしても、自民党総裁選はお粗末な結果に終わったが、一方、この自民党に対峙している(ことになっている)民主党は、昨日の党大会で小沢一郎氏を代表に三選し、次期衆院選後の政権構想を明らかにした。自民党総裁選中、まるで自民党の宣伝機関に成り下がっていたNHKが、「偏向報道」批判に備えたアリバイづくりのために小沢氏の演説をテレビ中継したことで、むしろ民主党の方がある種「劇場化」の様相を呈した。

 弊ブログは再三にわたり、民主党が政府の社会維持機能を弱める「小さな政府」路線から決別していないこと、貧困解消政策に消極的なことを批判してきたが、ここでも小沢氏に全く反省の色はなく、「氷河期世代」の貧乏人としては完全な「おいてけぼり」感をくらわされた。財政については相変わらず「無駄遣いをなくす」の一点張り。同じように「無駄遣い」と言いながら庶民のための公的給付を減らし続けた小泉政権を思い出す。独立行政法人の整理などまるで新自由主義者ばりの主張で、市場化・民営化路線以外の何ものでもない。重点政策として、高速道路無料化、農業者個別所得補償、子ども手当の3点を挙げたが、いずれも中間層向けの「目先のエサ」的施策で、貧困層の生活水準を引き上げる効果は薄く、この党の立脚する階層がどこにあるか如実に示している。先の参院選で公約した最低賃金の引き上げはどこへ行ったのか過労や雇用待遇差別は?

 この期に及んでも、自民党も民主党も「貧困と格差」には本気で取り組む意思がないことは明らかだ。税制の累進強化による所得再分配と生活サポートのための公的領域拡大を封印し、労働環境の不条理をなくすための具体策を提示できないうちは、全く話にならない。改めて「貧困と格差」解消を目指す人々が採るべき政治行動が何であるかを再確認した。
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-09-22 13:00

私の過去の選挙遍歴

 政界やマスメディアではすっかり早期の衆院解散の流れになっていて、実際には解散は先送りになるだろうとみている私の当ては今のところ分が悪いようである。もともと早く解散して欲しいと思っているので、私の予測など外れても一向に構わないのだが、解散権は首相にある以上、依然として一寸先は闇であり、臨時国会冒頭解散とか11月投開票とか自民党支持率急上昇といった報道を鵜呑みにするのも問題だろう。

 ところでこの機に、これまでの私の各種選挙における投票行動の遍歴を紹介したい。個人的な投票行動を他人に明かすなどもってのほかという批判もあるだろうが(その辺は匿名言論ということでご容赦を)、これまでの弊ブログの主張から読者は、私が全く戦略性も考えず、負け戦ばかり続けていると思われているかもしれないので、この際はっきりさせたいと思った次第である。選挙戦が本格化したらこういったことは書きにくくなるので、今のうちに書いておきたい。

 選挙権を得てからまだ10年ほどなので、それほど多くの選挙を経験しているわけではない。なお一応これまで国政・地方問わず全ての選挙で投票権を行使している。一度などは転居後すぐに国政選挙があって、旧住所の選挙区で投票しなければならなかったのだが、その時は新住所の選管まで出向いて、そこから旧住所の選管への郵送による不在者投票を行ったくらいである。とはいえ選挙に熱意があったわけではなく、1票でどうかなるとは今も全く思っていないし、そもそも議会制民主主義というシステムを信奉してもいないのだが、使える権利は行使しないともったいないという貧乏性が、毎回投票所まで足を運ばせる動因だったりする。

 衆院・参院の比例代表、参院選挙区、都道府県議会、市町村議会の選挙では、これまで全て日本共産党及びその公認・推薦候補に投票している。「やっぱり」という声が聞こえてきそうだが(笑)、この10年共産党との心理的距離は必ずしも一定だったわけではない。共産党支持なんて公言しようものなら進学や就職や人間関係で不利になるのは決まり切っており、完全に隠していた時期もある。実際、直接・間接ともに共産党そのものとは無関係であり、常に違和感を持ちながら支持していたのも事実である(だからいつも「期間限定」の支持と言っている)。なお勝率は市町村議会が全勝、後は五分五分というところ。

 問題は残りの衆院小選挙区、都道府県知事、市町村長であるが、これら「当選者1人」の選挙ではその時々の候補の組み合わせによって、臨機応変の行動をとってきた。誤解している人もいるかもしれないが、私はいつも共産党ばかりに投票していたわけではない。

 まず都道府県・市町村の首長選。自民・民主など各党「相乗り」対共産系の場合は問答無用で共産系候補に投票してきた。また「相乗り」対保守系無所属の場合も何度かあったが、「相乗り」が圧倒的に強くてどうにもならなかった時は、無効票を投じた。「相乗り」と保守系無所属が接戦だった時は、その保守系無所属候補の公約のある1点が高く評価できたので、あえて投票したことがある(そして当選しその公約は守られた)。自民・公明、民主・社民、共産の三つ巴の場合も何度か経験しているが、民主系が高級官僚出身で自民系候補とどっちもどっちだった時は、捨て票になるのがわかっていて共産系に投票した。民主系が個人的にも見知っていた護憲派弁護士だった時は、迷わず民主系に投票した(が敗れた)。

 そして当面の課題であろう衆院小選挙区。自民党のタカ派と民主党の旧社会党系と共産系の三つ巴だった時は、民主党による「落選戦略」(本当に当時地元の連合系労組がそう言っていた)に乗って、民主党候補に投票し、自民党のタカ派有力者を落選させるのに協力したことがある。ただし、同じ三つ巴で、それも民主党の候補は旧社会党系だったにもかかわらず、自民党候補が下馬評から弱く、しかもその民主党候補が特に支持できるような人でもなかった時は、共産系に捨て票を投じた。また、民主党の候補が「新しい歴史教科書をつくる会」と関係しているような輩だった選挙区に住んでいたこともあって、その時は無効票を投じている。ちなみに、これまで私が経験した衆院選すべてで、私の居住選挙区(複数)では民主党が全勝している(!)。

 このように、場合によっては民主党の候補に投票することもあったのである。一応は「戦略的」な選挙行動をとっているのである。その決め手はやはり候補間の「立ち位置」にある。次期総選挙で私が「民主党への政権交代」を期待せず、とりあえず共産党の議席を躍進させる必要があると唱えているのも、要はいかにして新自由主義路線を廃棄させ、貧困解消政策を引き出させるか、という問題意識から「戦略的」に導き出された結果である。今日も民主党の一部議員が国会議員削減を公約に入れるとかほざいていたみたいだが、そういう「小さな政府」路線を続ける限り、仮に民主党が政権を獲得しても「自民党より悪くなる可能性」は常在するだろう。保守政治に本当に対抗できる勢力を育成することが、主権者意識の高い有権者に求められている。
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-09-08 23:13

福田内閣退陣と今後の政局に関する私見

 福田首相の突然の辞意表明は多くの人々にとって青天の霹靂だったようで、いわゆる政治ブログ界隈でもこの時期に退陣する意図や今後の政局の動向について、見事なまでに百家争鳴である。例のごとく私はアンテナが狭いので、その全貌はつかめないが、いくつか論点を整理して、当面の私論を述べておきたい。

 まず福田氏がこのタイミングで退陣を決意したことをどう見るかという点。これに関しては大方が政権運営に自信を喪失した末の無責任な「投げ出し」とみなし、当ブログもそういう見方を示したが、一方で民主党の代表選を埋没させるために、あえてこの時期に退陣表明したという穿った見方や、そもそも先の国会で参院が内閣問責決議を行っている以上、退陣は当然で「投げ出し」ではないとする見方もある。

 民主党云々の件については、私は今回の退陣劇とは関係ないとみている。それというのももともと民主党の代表選には関係者や支持者以外、誰もたいした関心を払っておらず、別に与党側が特別な「花火」を打ち上げずとも、少なくともメディアに大きく取り上げられるようなことはなかっただろうからである。小沢一郎氏の無投票再選ではなく、複数の候補による選挙が行われていても、よほど耳目を集めるような珍事(たとえば姫井由美子氏が出馬するとか)がない限り、無風だっただろう。現在の民主党はあくまで「自民党でない」ということ以外に存在意義がなく、支持者たちにも「誰それを首相に」という積極的な熱意が欠けていることも影響している。

 内閣問責決議の件は私には考え及ばず、なるほど一理あると思うが、しかし、先の問責決議は福田首相への問責というより、自公政権への問責であった以上、単に首がすげ替わる「退陣」では問責に応えたとは言えないとも思う。そもそも問責から相当時間がたっている以上、今回の政変を問責に結びつけ、退陣は当然とするのは無理があると思われる。その立場ならむしろ問責された時点で総辞職か衆院解散を行わなかったことが責められるべきであろう。

 次に衆院の解散時期について。当ブログは昨年から早期解散を主張し、前のエントリでも「即刻」解散すべしと指摘したが、一方で即時解散には否定的な見解も少なくないようである。たとえば今日の「赤旗」は臨時国会での徹底審議を経た上で、主権者の審判を仰ぐべきであると主張し、今月末の臨時国会召集前及び冒頭での解散に反対している。また民主党からは新内閣発足の「御祝儀」相場が生きたままでの早期解散に不安の声が出ていると報道されている。

 臨時国会で国政の争点を主権者に提示した上で総選挙を行うというのは確かに正論ではある。本来ならその方が憲政の常道なのだろうが、私は現実的にはあまり意味がないとも考える。仮に臨時国会の会期中に解散となれば、その時点で成立していない法案はすべて廃案となる。廃案込みで十分な審議ができるとはとうてい思えない。また臨時国会終了後の解散ならば、またしても自公政権の悪法を通してしまうことになりかねない。とにかく衆院で自民・公明両党が再議決可能な3分の2の絶対多数を握っている状態を潰さないことには、抜本的な政策転換は全く望めないと私は考えており、一日でも早く総選挙を行いたいというのが本音である。

 またメディアによる自民党総裁選報道を通して新内閣の支持率が上がり、その余勢をもって解散した場合、総選挙で自民党が有利になるのではないかという問題については、確かに今日も竹中平蔵氏が自民党への支持回復のために「総裁選をドラマティックに盛り上げよ」と入れ知恵していたが、私はそれほど心配していない。その根拠は第一に、自民党に即効的な人気のあるリーダー候補が枯渇していること、第二に、大衆の支持を調達するのに不可欠な明瞭なパフォーマンスをすぐには用意できないことである。

 第一の点については、現在総裁最有力候補と目されている麻生太郎氏にしろ、出馬が囁かれる小池百合子氏にしろ、普遍的な人気を獲得するにはいかにも弱い。麻生氏の場合、「威勢が良くて何か変革してくれそう」という大衆の要求する指導者像に「相対的に」近いから人気があることになっているにすぎず、いわば消去法の結果での支持であるとみている。小池氏の場合、そもそも自民党の中核支持層は「女性首相」を支持するほど成熟していない。もちろんかつて「ほかよりよさそうだから」という消極的理由で支持されていたにすぎない小泉純一郎氏が、「郵政解散」を機に大化けしたような前例はあるが、今回の場合次に述べる第二の点からそれも難しい。

 その第二の点については、自民党が短期間で人気を回復させるためには、自公政権に対する不満や「誰がやっても同じ」というシニシズムを「新政権への期待感」が凌駕する必要があるが、現行の政治的枠組みを前提とする限り、もはや多くの人々に期待をもたせるようなパフォーマンスの材料は存在しない。たとえば「国会議員の数を半分に」とか「公務員給与を一律2割削減」とかぶちあげれば(そんな政策は私はもちろん願い下げだが)、一挙に大衆の支持を調達できるだろうが、現在の自民党ではそれをすぐに党全体の公約にできるほどの政治力学はない。特に新総裁が選挙に向けて「挙党体制」をとろうとすればするほど、既得権益の維持に意を払う必要が生じ、思い切った「改革」はできない。小泉のような芸当はあくまで彼が「すでに首相だった」からできたことで、政権発足当初には困難であろう。

 故に自民党総裁選直後に総選挙が行われても、決して与党に有利にはならない、少なくとも現有議席を大幅に減らすのは確実である以上、私は早期解散を求める次第なのだが、逆に言えば、新内閣はおそらくすぐには衆院を解散できない。私は前のエントリで解散を極限まで引き延ばすとまで言ったが、それは言い過ぎだとしても、与党に有利な材料が出てくるまで(たとえば民主党が「メール」問題の時のようなボロを出すなど)何とかして「衆院3分の2」を手放そうとしないのではないか、というのが当ブログの見立てである。

 正直、こんな政局については、弱小ブログがどうこう言ったところでどうなるものでもなく、主権者としてはひたすら政治に対し「~してほしい」「~をよこせ」と要求するしかない以上、今回の政変についてはもう語りようがないし、語る気もない。実のところ一番心配なのは、この1カ月政局にばかり目を奪われている間に、いろいろな社会問題が見過ごされることであり、その観点からも今後の自民党総裁選やそれに関連する政局の動きはできるだけスルーしつつ、「シラケ」ムードを醸成するのが賢明だろう

【関連記事】
福田内閣退陣~再び政権「投げ出し」の暴挙
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-09-03 21:28

「改革」という病~「改革クラブ」結成に寄せて

 民主党の渡辺秀央、大江康弘両氏が離党し、無所属の荒井広幸、松下新平両氏とともに新党「改革クラブ」を結成した件。

 新党の発足メンバーがいずれも参院議員であるというのは、自民党によるあまりにも露骨な切り崩しであることを如実に示しているが、民主党という政党は「政権交代」以外の求心力はなく、与党のエサにひかれるか、何らかの弱みを握られれば、容易に「渡り鳥」となる議員は少なくない。次期国会を前にまたしても民主党の腰の弱さを露呈したといえよう。

 民主党信者の中には、従来から「造反」を繰り返し右傾色の濃い渡辺、大江両氏がいなくなることで、かえってせいせいしたという楽観的な見方もあるようだが、実際は不満分子の「受け皿」ができたことで、今後党内の疑心暗鬼は深まり、ちょっとしたことで内紛が発生するリスクは増したと考えるべきである。また、参院の議事運営にあたって民主党は議席が減少した分、過半数を維持するためには他の野党との共同行動がより必要になるはずだが、他方で特に共産党や社民党に左右されるのを嫌って、むしろ自民・公明両党との事前協議を重視する傾向も強まるだろう。

 なお今回の新党劇で制度上問題となるのは、渡辺、大江両氏が比例代表選出の議員だという点である。やはり自民党から比例代表で当選し、郵政民営化問題以降「流浪」を続けている荒井氏もそうだが、比例代表は個人ではなく政党の得票である以上、離党するのならば本来議員を辞職するのが筋である。過去にも政党の離合集散が激しかった時分に少なからず見られたが、これは何らかの方法で規制する必要があるのではないか。

 ところで、私が注意したいのは、新党の党名が「改革クラブ」と「改革」を名乗っている点である。小泉流「構造改革」が民衆に不幸しかもたらさなかったにもかかわらず、いまだに「改革」という言葉にはある種の魔力があるようで、依然としてプラスの意味で使われる。今回の「改革クラブ」の中核メンバーは政治的には「古い保守」に分類するべき人々にもかかわらず、彼らをもってしても「改革」を名乗らずを得ないところに、この国を覆う「改革」病の深刻さが現れている。

 「改革」という言葉そのものは明治期までさかのぼるが、近年に限っても「行政改革」やら「医療制度改革」やら「特殊法人改革」やら「司法制度改革」やら何かというと「改革」のオンパレードである。これで本当に社会が良くなるのならば結構だが、現実にはむしろ悪くなる一方である。それは近年の「改革」は専ら市場化・民営化の方向一辺倒だったからであり、もはや政治用語としての「改革」は新自由主義のイデオロギーを体現しているとさえ言えよう。

 「改革」と類似する用語としては、「変革」「革新」「革命」などが考えられるが、「改革」よりもラディカルなイメージを含有し、表層的な中庸を好む大衆は歴史的経緯からこれらの用語にマイナスのイメージも抱えている。「改革」もこれだけ裏切られ続ければ、もうノーサンキューといい加減見切りをつけてしかるべきだが、今も「改革」を提示すれば何となく「現状よりはましだろう」という根拠のない期待感が醸成される。

 以前、当ブログでは、「改革」よりも「新法」よりも、目の前にある「悪法」を廃止する「復旧」こそが必要だと主張したことがある。「構造改革」のせいで生活が破壊される一方なのだから、それを「復旧」するのは決して後退ではないという趣旨だが、今もその考えに変わりはない。この国では一度決まってしまうと、それを所与の条件として受け入れてしまい、「元に戻す」ことを諦めてしまいがちであるが、「復旧」を現実に行うことで「一度決まったことは覆らない」という意識を変え、「一度決まっても諦めない」主権者を形成する契機ともなる。教育基本法や労働者派遣法や個人情報保護法などなど「元に戻す」べき法令は山ほどある。

 どう見ても「改革」からは縁遠い人々が「改革クラブ」を名乗る滑稽さから、「改革」という言葉の空虚さにそろそろ気づかなくてはならない。表層的な「改革」「守旧」という言葉に惑わされることなく、何が自己の属する階級の利益を反映しているのか、その中身を見抜く力を身につけない限り、いつまでたっても身勝手な権力者にいいように振り回されるだけである。

【関連記事】
「改革」よりも「新法」よりも「悪法廃止」が先だ


《追記》

 当初、新党への参加が伝えられていた姫井由美子参院議員は、結局民主党への離党を撤回したという。本稿の主旨には影響しないが、文中姫井氏に言及した部分は削除・訂正した。
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-08-29 12:21

日弁連の裁判員制度の緊急声明と「民主党への政権交代」論が似ている件

 裁判員制度に対しては、最近ついに共産党と社民党が実施延期を要請し、民主党からも制度を見直すべきだという声が出ている。国会で裁判員制度法案が成立した時は全会一致だったことを考えると隔世の感があるが、多くの人々が制度に不安を持っている以上、これらの動きは当然とも言える。

 しかし、日弁連はこのほど改めて裁判員制度を予定通り来春より実施するべきであるという緊急声明を発した。
 日弁連 - 裁判員制度施行時期に関する緊急声明
 http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/080820.html

 「人質司法や調書裁判という刑事裁判の根本的な欠陥はそのままです。これを変えるためには、市民のみなさまに裁判に関与していただき、無罪推定の大原則の下、『見て聞いて分かる』法廷で判断していただくことが不可欠です」
 「市民のみなさまにはご負担をおかけしますが、是非とも裁判員制度に参加していただき、みなさまの健全な社会常識を司法の場に生かしていただきたいのです」

 この自信にいったいどんな根拠があるのか? 以前も述べたが、私が裁判員制度に危惧を抱くのは、まさにその「市民」の「健全な社会常識」に全く信を置けないからにほかならない。制度導入により「捜査も自白よりも物的証拠や科学的な捜査を重視する方向に」なると声明は主張するが、それは裁判員が「物的証拠や科学的な捜査を重視」するという前提がなければ成立しない。

 そもそも誰が見ても分かるような物的証拠があれば、裁判官だろうと裁判員だろうとその裁判結果に大差はない。問題は検察が物的証拠を隠蔽している場合、及び物的証拠が乏しい場合であって、今回の制度では前者については改善の保障はなく、後者についてはそれこそ慎重な検討が必要なのに、新制度によって「裁判員の負担を軽減するために」公判の期間が短縮され、性急な結論が出る危険性がある。

 声明は検察審査会を例示して、「市民」の抵抗感は実際に実施されれば緩和されると述べているが、「不起訴になった人を改めて起訴する」=「有罪になる可能性に道を開く」検察審査会と、「無罪になる可能性に道を開く」はずの裁判員制度とでは質的に異なる。この国では依然として「正義感」とは「敵」に「懲罰」「苦役」を与える方向で発揮される。被害者参加制度と合わせて考えると、裁判員制度導入がむしろ冤罪を増やすのではないか。

 日弁連声明の最大の問題は「裁判員制度を延期して今の刑事裁判を継続するのではなく、この制度を実施の上、欠点があれば、実施状況を見ながら改善していくという方法で進めるべきである」(太字強調は引用者による)という箇所である。要するに裁判員制度にはいろいろ欠陥はあるが、とりあえず実施して、それから問題を処方すればよい、と主張しているのである。

 これと似た論法を私は知っている。「政権交代を延期して自民党政権を継続するのではなく、とりあえず民主党に政権交代させて、民主党政権の様子を見て、問題があれば改善を求める」というありがちな「民主党への政権交代」論と瓜二つ! 両者に共通するのは「現行の欠陥の上にさらなる欠陥が増える可能性」を無視していることである(*)。

 「民主党政権」の話は今回の本題ではないので脇に置くが、裁判員制度の場合、「現行と同じ」どころか「現行より悪くなる」可能性がずっと深刻である。前述のように私には現行制度に比べて良くなるとはとうてい思えない。こうした疑問は私だけのものではないだろう。日弁連の主張はそうした疑問や不安には答えずに、「黙ってついて来い」と言っているように聞こえる。

 共産・社民両党の申し入れは「中止」ではなく「延期」である。少なくとも現在想定される数々の欠陥を、制度実施前に見直す時間を「延期」によって増やすことは、日弁連が望む司法改革とも矛盾しないはずだ。報道や漏れ伝わるところによれば、弁護士の間でも裁判員制度に対する不安は増えているようでもあるし、この際日弁連からも裁判員制度の施行延期に賛同の意を示して欲しい。


 *こう言うとまた「お前は自民党政権の継続を狙うスパイだ」とか言い出す人が出そうだが(笑)、私が抵抗しているのはあくまでも「政策転換なき政権交代」であって、「福祉国家への政策転換を伴う政権交代」はむしろ歓迎するところである。また「政策なき政権交代」についても「期待できない(正確には民主党政権では私は救済されない)」と考えているにすぎず、むしろ「民主党に問題があっても批判するな」という言論封殺や共産党を潰せという「反共主義」に対して怒っているのである。そこを見誤らないように。

【関連記事】
裁判員制度に対する私の本音
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-08-21 23:31

「議員特権」は問題ではない、「特権に見合った議員」を有権者が選ばないことこそ問題だ

 いつからか国会議員と言えば、利権まみれでダーティーで金持ちで胡散臭いというイメージが普遍化してしまっている。

 確かに最近も自民党幹事長の麻生太郎氏が、政治資金から年間3500万円も高級料亭などでの飲食に拠出していたことが報じられたように(しんぶん赤旗2008/08/14)、主に自民党を中心にそうしたイメージ通りの議員が相当な割合を占めているのは事実である。どうせたいした仕事もせず、大企業からの莫大な政治献金で肥えた議員なんかに、国税から歳費を支出することに反発を覚える人々が多いだろう。

 こうしたことを前提に、財政再建議論の中で国会にかかる経費を削減しようとする主張は根強いものがある。昨日の東京新聞(2008/08/13)「私説・論説室から」に掲載された「『永田町埋蔵金』もぜひ」と題する田畑豊氏の署名記事も、国会議員の文書通信交通滞在費の廃止を訴えている。
(前略) 福田政権は行政支出総点検会議を発足させるなど、「ムダ・ゼロ」を旗印にしている。何ら異論はない。ただ財宝のありかは霞が関だけではあるまい。
 ぜひ永田町埋蔵金も発掘してほしい。当然“土地勘”はあるはずだ。何がムダで、何がムダでないかの。
 まずは議員個人に毎月百万円支給される文書通信交通滞在費をやめたらどうか。実際は使途制限がない「つかみ金」(閣僚経験者)なのだから。廃止すれば、単純計算で年間約八十七億円が浮く。
 議員歳費や政党助成金のカットなども検討課題になろう。何より高給に見合った仕事をしているか-。これに答えられない議員こそムダのらく印を押されても仕方がない。
 国会議員の文書通信交通滞在費については、しばしば「第2の歳費」とか「使途不明金」としてやり玉に上がってきた。今年に入ってから新党大地の鈴木宗男衆院議員が、この文書通信交通滞在費の使用目的や使途報告義務の免除の理由などについて質問主意書を提出しており、これに対して政府は、使用目的は「公の書類を発送し及び公の性質を有する通信をなす等のため」、報告義務免除の理由は「承知していない」と答弁している。政府もわからないことに「怪しさ」を感じるのが一般的だろう。

 しかし、本来の国会の在り方や、国会と内閣の関係を考慮すれば、文書通信交通滞在費は必要不可欠なものである。

 まず、国会議員は行政官や司法官と同様、公務員なのだから、その職務にかかわる文書郵送や連絡にかかる経費は当然公費から支出されるべきである。これを私費に負担させるということは、たとえば官庁Aから官庁Bへの通達なり照会なりを個々の公務員が自腹で行うようなものである。民間企業で言えば、会社の電話代を社員に支払わせるようなものである。歳費とは別建てなのは、給料とは別の所要経費であるからにほかならない。

 次に、なぜ使途を報告する必要がないのかというと、議員の立法調査活動の独立性を担保するためである。本来、議員は歳費や立法事務費など公費のみでその活動をまかなうべきで、その場合、あまり細かく用途を決めてしまえば、それは活動の制約となる。政府が議員の活動に介入したり、あるいは政府に不都合な調査などが妨害される危険性が高まる。
 実際は議員への公費支出が高いのではなく、現実の議員の多くが公費以外の政治資金を外部から得ていることが問題なのである。特に企業・団体の政治献金は、本来「全国民」の代表者たる国会議員の地位を歪めており、これの廃止はすぐにでも行いたい課題である。

 「交通」については、すでに国会議員には列車やバスや航空機などの利用特権がある以上、二重取りではないかという疑念が生じるが、これは単に言葉上の問題で「文書通信交通滞在費」から「交通」の文字を削れば問題ではない(その分減額する可能性は認める)。いずれにせよ、本来議員が政府・行政から独立して、本気で国政の問題を調査・研究しようとすれば、当然カネがかかる。カネが不正に使われるリスクよりも、議員が資金難からたとえば政府が隠している問題を暴けないリスクの方を私は重視する。

 結局のところ、文書通信交通滞在費に限らず、議員特権があることが問題なのではなく、その特権に見合った仕事をする、真に主権者のために働く議員が選ばれていないことが問題なのである。議員が金持ちなのではなく、金持ちを議員に選ぶ有権者こそ問題なのである。前記東京新聞のコラムは、「高給に見合った仕事」をしているかと議員を批判するが、むしろ「高給に見合った仕事」をする議員を選んでいるのか有権者こそ責められるべきだろう。
 「無駄ゼロ」の掛け声で、議員の経済的基盤が弱体化させられ、貧乏な野党議員の活動が阻害されることを私は特に恐れる。議員定数の削減も議員特権の廃止も、結局は大企業の提灯持ちのような金満議員を喜ばせ、真に民衆に奉仕しうる議員の立場を弱くするという現実を忘れてはならない。

【関連記事】
「ムダ・ゼロ政府」構想は行政の責任放棄

【関連リンク】
国会議員の歳費、旅費及び手当等に関する法律 - 法令データ提供システム
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO080.html
国会議員に渡される文書通信交通滞在費のあり方に関する質問主意書
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a169019.htm
衆議院議員鈴木宗男君提出国会議員に渡される文書通信交通滞在費のあり方に関する質問に対する答弁書
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b169019.htm
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-08-14 22:44

「1票の格差」を是正し、「世襲議員」を減らすには比例代表制しかない

 私が「何はともあれ(政策転換がなくても)政権交代」という考え方に抵抗感を抱く要因の1つに、1990年代の政権交代が結果として小選挙区制の導入につながった苦い記憶がある。リクルート事件以降の「政治改革」議論の核心は政界の金権体質の綱紀粛正であり、そのためには企業・団体の政治献金を全面禁止することが必要だったのに、細川連立政権はこれを衆議院の選挙制度改革にすり替え、現行の小選挙区比例代表並立制を導入した。当時まだ10代の少年だった私は、小選挙区制の方が選挙にカネがかからず、安定した保革二大政党制の道が開けるのではないかと漠然と考えていたが、その考えが全く間違いであったことは今や誰の目にも明らかである。

 今日の視点から振り返れば、小選挙区制こそが自民党の政権復帰と延命を可能とし(自民党はこの間得票率では過半数に至っていないのに)、社会党の解体を促進し、公明党が自民党と一蓮托生の関係となることを手伝ったと言えよう。それだけにもはや誰とは言わないが、当時「世界標準」の二大政党制を目指すと称して小選挙区制を推進した人々が、今また「政権交代を!」と叫んでも私は心を動かされないのである。特に現在の民主党の中枢を占める人々―小沢一郎、菅直人、鳩山由紀夫各氏ら―は、いずれも細川政権で小選挙区制導入を推進した「前科」がある。社民党は後に当時の判断の誤りを認めたが、小沢氏らは今も小選挙区制にしがみついている。

 共同通信が今年3月現在の国政選挙における「1票の格差」の試算を公表した。それによれば衆院小選挙区の「格差」は最大で2.277倍で、昨年より0.063ポイント拡大したという。参院選挙区の「格差」は最大で4.868倍で、これも昨年より0.065ポイント拡大したという(共同通信 2008/07/31 17:35)。依然として2倍以上の「格差」があり、法の下の平等に反すると言わなければならない。「1票の格差」は中選挙区制時代からあったが、小選挙区制下でも問題が全く解決していないことは明らかである。

 公職選挙法は毎年のように頻繁に改正を繰り返しているが、結局のところ制度自体に欠陥がある以上、小手先の修正ではいつまでたっても公平な選挙は実現しない。先の「郵政選挙」のように与党が半数に満たない得票率で議席配分では絶対安定多数を獲得するような詐欺のまがいのことを繰り返してはならない。民意ができるだけ反映するような選挙制度は議会政治の成熟のための必要条件である。

 あるべき選挙制度をめぐっては、中選挙区制(1選挙区より複数人選出)の復活やドイツのような小選挙区比例代表併用制(比例代表による議席配分に選挙区当選者を割り振る)の導入や、面白いところでは最近TBをいただいた「平和への結集ブログ」による中選挙区比例代表併用制という提案もあるが、私は衆院に関しては全国をいくつかのブロックに分けた拘束式比例代表制がベターだと考えている。比例代表制の利点は何より死票が少なく、民意を比較的正確に反映することにあるが、やはり選挙制度においてはこれが何よりも重要だからである。

 比例代表制に対しては「人」を選べないという批判があるが、日本の現況を考慮すればむしろそれも利点であると思われる。それというのも現在の日本ではいわゆる「世襲議員」が大きな割合を占めているが、これは各選挙区の議員を頂点とする利権構造を継続・維持するために、「地元」が世襲を要求しているのが一因である。選挙区から議員を切り離し、議員を一地域の利害代表から「国民」すべての代表とするには、選挙区制を廃止するのが最も手っ取り早い。仮に政党が「世襲」候補を比例名簿に入れるとしても、「七光」だけで上位になることは難しいだろうから、落選リスクは上昇する。なお堺屋太一氏が最近指摘しているように、「世襲」は中選挙区制時代の1980年代から急増しており(堺屋太一「二代目の研究」『現代』2008年8月号)、中選挙区制の復活では「世襲」を防ぐことは難しい。

 比例代表制のもう1つの利点は、議員が選挙対策から解放され、議会の仕事に集中できることである。人ではなく政党を選ぶ制度だから、選挙運動の中心は現在の個人後援会から政党に移る。優秀でも選挙区制ではとても当選できないような地味な人でも議員にすることも可能になる。国会審議に出ないで地元の選挙工作ばかりやっているような議員は消えるだろう。

 無所属の立候補ができないという問題はあるが、それは政党の人数条件を設けず、候補1人でも政党を作れるようにすれば憲法上の問題はクリアできる。小党乱立になる可能性はあるが、民意の反映という原則が何よりも重要である以上、些細なことである(実際は資金力の関係でいくつかの勢力に収斂される)。過半数形成は選挙ごとに政党間で政策協定を結び連立すればよい。欧州では普遍的なことである。ポピュリズム的にタレントばかり集めた政党が出てくる危険性はあるが、その危険は現行制度でも同じだし、何度か選挙行えば自ずと政治能力のない政党は淘汰されるだろう。

 現状ではそもそも選挙制度改革を行える客観的情勢にはほど遠く、小選挙区制で「勝利」した多数党が自ら小選挙区制を廃棄することは難しいので、ここで書いたことは単なる「個人的希望」の域を出ないが、少なくとも比例代表枠の拡大は「1票の格差」の是正のためにも必要であることは強調したい。具体的方策は全く手詰まりだが、長期的視野に立てば検討を重ねることは決して無駄にはならないだろう。

【関連リンク】
公職選挙法 - 法令データ提供システム
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO100.html
平和への結集ブログ 中選挙区比例代表併用制を提案する
http://kaze.fm/wordpress/?p=164
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-07-31 22:34

共産党の民主党批判について

 前のエントリでも触れたが、先週末に口腔外科系の持病が悪化して以来、痛みもさることながら、やたら副作用の強い内服薬を服用させられたりして、肉体的に辛い日々が続いている。そのせいでブログの更新もままならず(きちんとしたエントリを上げる余裕がない)、しかもそういう時に限って粘着質な批判が来てその対応に追われてしまい、何もかも不如意な状態である。

 そんな中、いつもご贔屓をいただいている「BLOG BLUES」「+++PPFV BLOG+++」「大脇道場」から相次いで共産党の民主党批判に関するエントリのTBをいただいた。このうち「大脇道場」は前二者の記事を受けて「私にも『何か言え』ということだろうか」と述べておられたが、実は私も全く同じ感想を持った(笑)。民主党問題については、以前「民主党の新自由主義への親和性に目を瞑る者は財界とアメリカの走狗」という記事で言いたいことを言って主観的にはすっきりしたのだが、よそのコメント欄でこの記事が誤読されていたので、追加説明が必要とは考えていた。今回はその好機なのだが、前述のようにあいにく健康がそれを許してくれない。

 今回は1点だけ、この話題が再浮上したきっかけであろう、先日行われた共産党の第6回中央委員会総会における志位和夫委員長の幹部会報告について。マスメディアの報道は民主党批判の部分だけを強調し、「BLOG BLUES」も「共産VS民主ではない、共産VS自民なのだ」と志位報告を批判していたが、「赤旗」に出た報告骨子によれば、まず「自公政権に正面から対決するとともに、政治の中身の変革を大いに語ろう」とあり、それに続いて「民主党の政治的立場への批判も日本改革の方針を太く語ることと一体で」とあり、両者間には微妙な違い(共産党の「文法」ではこういう微妙さが意外と重要である)があって、あくまでも本筋は「共産VS自公」という方向を目指すと読み取れる。むしろそれをマスメディアが曲解したことの意味を考えるべきだろう。

 ちなみに次期衆院選に対する私の見解は、前々から言っているように、新自由主義路線転換へのプレッシャーを自民・民主・公明各党や財界・官界(ついでにアメリカ政府)に与えるために共産党を躍進させることが必要である、ということに尽きる。合法的に支配層を動揺させるにはそれが最も確実な方法である。この主張のために「自民党の走狗」呼ばわりされる言われはない。

【関連記事】
民主党の新自由主義への親和性に目を瞑る者は財界とアメリカの走狗

【関連リンク】
日本共産党第6回中央委員会総会開く/響きあう 情勢と綱領路線/「政治の中身の変革」語ろう/総選挙で勝てる強大な党を/志位委員長が幹部会報告 – しんぶん赤旗
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-07-12/2008071201_01_0.html
BLOG BLUES:共産VS民主ではない、共産VS自民なのだ
http://blogblues.exblog.jp/7310111
+++PPFV BLOG+++:自民党と民主党の対抗軸は「政権交代」
http://ppfvblog.seesaa.net/article/103017337.html
大脇道場NO.527「共産VS民主ではない、共産VS自民なのだ」・・・世間的にそうなってないからこそ!
http://toyugenki2.blog107.fc2.com/blog-entry-583.html
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-07-17 18:51