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いいかげん「キャラの立つ指導者」に期待してはならない

 麻生太郎首相の失態が続いている。「給付金」の迷走、国会答弁等での相次ぐ漢字読み間違い、これまでの政府の医師数抑制政策を無視して医師不足を医師側に転嫁した上に中傷した放言、PTAの親たちを前に当の親を侮蔑した発言、道路特定財源の地方交付税化をめぐる二転三転。元々首相就任前から無責任な「思いつき」と失言・妄言・暴言の類が多いことで知られていたのだから、今さら驚くことではない。すでに就任直後に、集団的自衛権行使を容認する発言をしたり、国会の所信表明演説で「臣」を自称するアナクロニズムを発露していたくらいで、失態が今になって際立つようになったのは、単にこれまで麻生批判を抑えていたマスメディアの「風向き」が変わったからにすぎない。

 今週発売の『週刊新潮』『週刊文春』がともに麻生首相を嘲笑する見出しをトップに持ってきたのは象徴的である。保守系週刊誌でさえ麻生氏を見限ったということである。やはり右傾色の濃いJ-CASTも今日麻生氏を「満身創痍」と突き放す記事を配信した(*)。元来自民党内の支持基盤の弱い麻生首相にとって、頼みの綱は大衆の「人気」と保守的ナショナリズムであったが、前者は「自爆」としか言いようがない失態の連続で名実ともに色あせ、後者は政権維持のためには戦争責任に関する「村山談話」を継承し、「トンデモ空幕長」田母神俊雄氏を更迭し、国籍法改正の既定路線を許容するほかなく、それが結果として的外れな「期待」を麻生氏に寄せていた右翼層の鬱屈を高めている。麻生内閣は早くも「末期症状」の気配すら漂っている。
 *J-CASTニュース:「読み間違え」「軌道修正」「失言」 麻生首相の「満身創痍状態」
  http://www.j-cast.com/2008/11/21030808.html

 明らかに首相として不適格だった麻生氏がその座に就けたのは、自民党にとって「選挙の顔」になるというただ1点のためであった。つまり麻生氏の自己演出が大衆の求めるリーダー像にマッチしていたと(少なくとも自民党内では)考えられたのである。実際福田内閣の時分においては、世論調査では麻生氏は小泉純一郎氏と並んで人気は高かった。その理由も「実行力」「指導力」が期待できそうというもので、「果断で改革に邁進し、大衆が嫌悪感を抱くものと闘う指導者」像が仮託されていたのである。そして、輿望を担って首班の座についたが、麻生氏は大衆の期待には全く応えることができなかった。

 ここで問題になるのは、そもそもこの国のマジョリティが望む「果断で改革に邁進し、大衆が嫌悪感を抱くものと闘う指導者」というものが、実は当の大衆にとって利益をもたらさないという事実である。

 人々は小泉純一郎氏に腐敗した既得権益の解体に果断に取り組むことを求めた。しかし、その結末は「庶民の既得権益」の破壊であり、もともと十分ではない社会保障を崩壊させ、大企業と富裕層への利益供与を増しただけだった。次に人々は安倍晋三氏に果敢な指導力を期待した。なるほど安倍内閣は憲法改定のための国民投票法や改定教育基本法を暴力的に強行した。それはある意味大衆が望んだ「抵抗勢力と闘う実行力」の発露ではあったが、それは大衆の生活に何ら寄与するものではなかった。しかも、当の安倍氏は「坊ちゃん」の馬脚を現し、自己を「強い指導者」として偽ることに心身が持たず、壊れてしまった。もうキャラクターに惑わされるのに懲りたと思いきや、今度もまた麻生太郎氏に「何かを壊してくれる実行力」を求めた。その間、一向に大衆の生活は良くならず、むしろ苦しくなる一方である。

 いいかげん学習しなければならない。話す内容や過去の政策・政治行動を無視して、単に表層的に「面白い」「かっこいい」というイメージで指導者を選ぶととんだしっぺ返しを食らうことを。口のうまさや見た目の威勢の良さは一般の人々には何ら利益をもたらさないことを。「強い指導者」がスケープゴートとして用意した「イヤなやつ」をいくら攻撃しても、自分が救われることはないことを。「麻生」という偶像は倒れたが、懲りずにまたしても似たような「目立つキャラ」に期待しても、必ず裏切られる。キャラではなく、話の中身と具体的行動から「自分の生活上の利害を代弁しうる者」を模索することが何よりも有権者に必要なことである。

 以前言及したように、麻生内閣は失政が続いても延命する力学が働いている。しかし、それも次の衆院選までで、今後政権が迷走を続ければ、自民党は形振り構わずまたしても首をすげ替えることもありえよう。奇しくも今日、その伏線が報道されている。

 東国原知事:国政転身の条件は「初当選、初入閣」・・・講演で(毎日新聞2008/11/21 19:40)*web魚拓
 http://s04.megalodon.jp/2008-1121-2246-14/mainichi.jp/select/today/news/20081122k0000m010051000c.html

 「なるからには閣僚か、トップ(首相)です」と野心を包み隠さないタレント知事。総選挙が延びるほど彼の衆院選出馬、首班候補擁立の可能性は高くなるだろう。非議員で党首となり、衆院当選1回で首相になった細川護煕という先例もある(そう言えば細川氏も知事だった)。この国の大衆はまた同じ失敗を繰り返すのか。いいかげん懲りて、じっくり政策を見極める目を持てるか。長らくふざけた状態が続く日本の憲政の正常化の試金石は、キャラクターを売りにする政治家を拒絶できるかどうかにかかっている
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by mahounofuefuki | 2008-11-21 23:11

「あいつらなら殺して構わない」という「空気」と「いつか来た道」

 厚生省(厚生労働省)の元事務次官らに対する殺傷事件の件。今日の新聞はどれも浦和の事件と中野の事件を同一犯による連続犯行と推定して、元厚生官僚を狙った「連続テロ」と報じているが、そもそも本当に「テロ」なのか、目的が何なのか現時点では何とも言えず、ましてや現在進行の犯罪となれば普段以上に警察発表に対するリテラシーが求められるところであり、発言を慎むべきかもしれない。しかし、どうしても述べておきたいことがある。

 犯人が何者で何を目的にしているのかは不明だが、厚生官僚とその家族が標的されたのは、一連の年金不安や相次ぐ不正に乗じたマスメディアによる「厚労省バッシング」が、厚生官僚を「攻撃してもよい公認の敵」に仕立てたことが影響しているのではないか、ということである。もちろん厚生省の年金制度設計や社会保険庁の不正は問題であり、ほかにも薬害問題や後期高齢者医療制度や生活保護抑圧などなど数えきれないほど矛盾を抱えていて、これをマスメディアが批判的に取り上げるのは当然で、むしろ私は批判を推奨しているくらいである。しかし、マスメディア、特に決定的な影響力のあるテレビのワイドショーや「政治バラエティ」番組はひたすら不安を煽り、官僚に人格的攻撃を浴びせるだけで、ただ大衆の鬱憤のはけ口を提供していたにすぎなかった。

 政治構造や制度に対する冷静な分析を無視して、単に「天下り官僚」を排除せよとか、「官から民へ」とか、公務員への嫉みを煽る言説が、キャリア官僚に対し「あいつらなら殺して構わない」と考えさせる「空気」を社会に醸成させているのではないか。以前、日朝首脳会談を実現させたと言われる外務省高官に対するテロがあった時に、東京都知事の石原慎太郎氏が「やられて当然」と言わんばかりにテロを擁護したが、あの時と同じ「論理」を高級官僚、特に厚生省に対し適用する者がいても不思議ではない。

 もう1点。前述のように実際のところは政治的テロなのかどうかは不明だが、「元高官の暗殺」という事態はどうしても1930年代に相次いだ右翼によるテロを彷彿とさせる。最近の「田母神問題」が戦前の軍部の政治介入と思想的偏向を彷彿とさせたことと併せて、嫌でも「いつか来た道」を意識せざるをえなくなる。過剰に過去の例を引き合いに出して社会不安を高めるのはかえって危険であるが、当時以来の世界恐慌が囁かれる中で、今後貧困と不安の拡大に対する鬱屈がますます暴力的に噴出する恐れはなきにしもあらずである。それが誤った方向で発揮されるのを危惧する。

 いまだよくわからない事件についてこれ以上語るのは控えたい。私は根がネガティヴなので、必要以上に事件に意味を与えてしまうのだが、少なくともバッシングが人々の悪意を高めていることは改めて強調しておきたい。
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by mahounofuefuki | 2008-11-19 17:23

期待が大きいほど裏切られた時の反動が怖い

 アメリカ大統領選挙は民主党のバラク・オバマ候補の当選で終わったが、これほど全世界からその勝利を歓迎されたアメリカ大統領は今まで例がないだろう。その原因は何と言ってもジョージ・ブッシュ現大統領のあまりのひどさにあるが、単に「ブッシュよりまし」というだけでなく、1人の人間として余人をもって代えがたい「魅力」があることも確かで、民族的マイノリティであるという属性や卓越した演説能力といった表層だけではない、言葉では言い表せない「何か」を感じる。

 とはいえ選挙運動におけるポピュリズム的な動員手法は、かつてのファシズムを彷彿とさせるものであったし、分断されたアメリカの国民統合の回復を強調する姿勢は、一歩間違えれば排他的なナショナリズムに通じる。金融危機に際しても「ウォール街よりも市民を救済せよ」という声に反して、金融資本救済の政治的合意形成に動いた。伝えられるところでは共和党からも入閣があるようで、いわば「挙国一致」政権を指向しているとも考えられる。危惧すべき点も少なくないのである。

 私が何よりも不安なのは、アメリカ内外のオバマ氏への「期待」があまりにも過剰なことにある。貧困の解決、景気の回復、泥沼化したイラク戦争やアフガニスタン戦争の処理、現政権が消極的な温暖化対策などなど、人々はオバマ政権に、というよりオバマその人に多くのものを期待している。しかし、アメリカに限らないが、複雑化した現代の政治構造の下では単にトップや政権が交代したところで、根本的な変革は容易なことではない。ましてや新政権が「挙国一致」を志向するならば、既存の利害関係に気を配らねばならない。保守二大政党制のため議会に「左翼」が存在しないアメリカでは、真に民衆の利害を政治に媒介する回路がない以上、オバマ政権も従来の政治の枠から出ることはないのではないか。

 人は初めから期待していないものには見返りを求めない。逆に期待が大きいほど見返りへの要求も高くなる。オバマ氏がこれらの期待に応えられなかった時、期待が大きい分「裏切られた」という思いは人一倍強くなる。その反動が不安である。オバマ氏の演説を聴きながら涙まで流している人を観るたびに、私の不安はますます募る。裏切られた時の反動がどのような形で噴出するか。それが世界を危険な道に誘うものである可能性は考慮しなければならない。

 日米関係に関しては、すでに一方的にオバマ氏へ期待(あるいは反発)していた向きの思いとは裏腹に、先の麻生首相との電話会談で「日米同盟」の堅持・強化を約束した。オバマ政権が公約通りアフガニスタンでの「テロとの戦い」を増強する場合、日本の自衛隊派遣への圧力が強まることもあろう。そもそも共和党も民主党も一貫して日米安保体制を強化する方向性を持続してきた。安保条約の実質的な改定だった「周辺事態」に対する新ガイドラインの制定はクリントン民主党政権下で行われた。軍事的にも経済的にも新政権が「内向き」志向を強めれば、「同盟国」に対する負担を強く求めていくこともありえよう。

 現代アメリカの宿命的な病とも言える「戦争と貧困」について言えば、一度の政権交代程度で是正できるほど甘くはないと思っている。故に私はオバマ政権に対し特に期待はない。一方的に自らの願望をオバマという一人格に投影するようなことは慎まねばならない。
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by mahounofuefuki | 2008-11-08 15:29

朝日新聞と橋下徹のダブルスタンダード

 大阪府知事の橋下徹氏が陸上自衛隊の記念行事の祝辞で、「人の悪口ばっかり言ってるような朝日新聞のような大人が増えると日本はダメになります」と述べたことが物議を醸している。光市母子殺害事件被告弁護団に対する懲戒扇動訴訟の一審判決にあたり、朝日新聞2008年10月3日付社説が橋下氏を批判したことへの「反論」だという。

 問題の社説は「弁護士は被告の利益や権利を守るのが仕事である。弁護団の方針が世間の常識にそぐわず、気に入らないからといって、懲戒請求をしようとあおるのは、弁護士のやることではない」「判決を真剣に受け止めるならば、控訴をしないだけでなく、弁護士の資格を返上してはどうか。謝罪が形ばかりのものとみられれば、知事としての資質にも疑問が投げかけられるだろう」という最近の朝日にしては珍しく真っ当な論説で、橋下氏の弁護士としての資質に疑義を呈した判決内容から敷衍すれば至極当然の批判である。これに対して、まさに「悪口」でしか反撃できないあたり、橋下氏の悪あがきが逆説的に露呈している。

 ところで、橋下氏は朝日を「悪口ばっかり言っている」と断定しているが、果たして実情はどうなのか。次の記事を紹介したい。
 大阪府茨木市の中心部から北に10キロほど行くと、巨大な橋梁が安威川沿いに何本も現れてくる。府が進める安威川ダムの予定地で、「新名神高速道路・高槻~神戸」の茨木北インターチェンジとつながる付替道路を水没地区に建設していたのだ。
〈中略〉
 もう1つの府営ダムである「槇尾川ダム」(和泉市)でも付替道路の工事が始まっていた。この川も「三面張りの堀に僅かな水が流れている程度。タクシーの運転手は「こんなところにダムを本当に作るのですか」と驚いた。
〈中略〉
 しかし知事直系の「改革PT」は6月にまとめた財政再建案で、府営の2ダムを「事業継続」としていた。「橋下知事はダム建設推進派」としか考えられないが、朝日新聞は「知事はダム見直し派」と印象づける記事を出した。「検証橋下徹③ まずい情報ほど公開」(7月30日の夕刊)は、こんな会話を紹介したのだ。

 「公開性を重視する橋下の姿勢には、前鳥取県知事の片山善博(現・慶應大学教授)の影響がある。6月25日、東京・三田の慶應大学に橋下の姿があった。(中略)2人はキャンパスを歩きながら、こんな言葉を交わした。
 片山『私、ダムをやめたんですよ』
 橋下『ぜひ、そのやり方を教えていただきたい』(以下略)」

 片山教授が知事時代に止めたのは「中部ダム」。県土木部は「護岸工事の147億円よりダム工事の140億円が安い」と事業を正当化していたが、知事は「嘘を言ったら情報公開条例で罰せられるぞ。試算をやり直せ」と迫った。〈中略〉当然、橋下知事も同じ話を聞いたはずだから、ダム中止の手法を記した面談記録を担当部に突きつけて再試算を命じたと思った。しかし、都市整備局河川室は予想外な答えをした。
 「片山前知事との面談記録は回ってきていませんし、知事から『鳥取県と同じように再試算をするように』といった指示はありません。単に個人的に会っただけではないですか。〈後略〉」 (横田一「橋下改革劇場の舞台裏 道路やダムにメスを入れない『改革派』」『世界』2008年10月号、p.p.95-96、太字強調は引用者による、一部改行、漢数字はアラビア数字に変換した)

 要するに、橋下氏が実際にはどうみても役に立たないダム事業を継続しているのに、朝日新聞は前鳥取県知事の片山善博氏との対話を誇張して、あたかも橋下氏がダム事業を見直しているかのような印象操作を行ったのである。「朝日は人の悪口ばかり」どころか「朝日は橋下の提灯持ち」と言われても仕方のない所業である。橋下氏にとっては残念ながら(?)、現実の朝日は橋下氏に対してある種のダブルスタンダードを用いている。

 もう1点、見過ごせない問題がある。橋下氏は「弁護士資格返上」の件について、「僕にも家族はあるし事務職員を抱えている。弁護士資格を返上したら従業員はどうなるのか」と語ったそうだが(朝日新聞2008/10/20 03:02)、まったく噴飯ものである。大阪の府立学校の非正規職員346人の解雇を決定したのは誰だったか? 医療費助成の切り下げを決定したのは誰だったか? 非正規職員にも医療費助成を受ける人々にも、橋下氏の家族や橋下事務所の従業員と同様に生活がある。「自分の身内」の困窮を想像できるのなら、「他人」の困窮も想像するべきで、それができない者には弁護士も知事も務める資格はない。

 とはいえ、今回も朝日を一方的に「サヨク」と決めつけ憎悪する右傾大衆には格好の「ネタ」で(私のような「左翼」からすると、朝日はせいぜい「中道」で経済的には「右」ですらあるのだが)、橋下氏の「釣り」行為はまたしても「成功」をおさめるだろう。学力テストの件といい、イモ掘りの件といい、大衆の「嫌悪感」を嗅ぎつけ「敵意」を煽る能力が天才的であることは認めざるをえない。何らかの奇策を用いることでしか橋下氏とその信奉者の暴走を止めることは難しいだろう。

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「橋下劇場」の原点としての光市事件懲戒請求扇動
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by mahounofuefuki | 2008-10-20 16:19

大衆の「願望」が政治家の「虚像」を形成するという問題

 麻生太郎首相が先日の国会答弁で戦争責任に関する「村山談話」の継承を明言したことで、「ネット右翼」層に「麻生に裏切られた」という声が上がっているそうである。

 J-CAST:首相の「村山談話継承」発言 ネット麻生ファンに失望感噴出
 http://www.j-cast.com/2008/10/03028027.html

 そもそも麻生氏はこれまで靖国神社の非宗教化やA級戦犯分祀を支持したり、外務大臣時代には「北方領土面積折半」論を唱えるなど、とうてい「ネトウヨ」が望むような政治家ではなく、国際関係の現状維持を前提とする「旧来の保守」である以上、安倍政権でさえ維持した「村山談話」を否定することなどできるはずもない。この種の人々がいかに表層のイメージに流されやすいかを如実に示していよう。

 麻生氏については、以前「失言」が許されてしまう人というエントリで、田中眞紀子氏や小泉純一郎氏や橋下徹氏のような真のポピュリストではなく、半ば自己演出によるキャラづくりの結果、「人気者」という虚像が形成されていると指摘したことがある。

 たとえば彼の愛称「ローゼン閣下」は、漫画『ローゼンメイデン』を空港で読んでいたところを目撃されたという「都市伝説」めいた逸話がきっかけになっているが、当時本人が「たまたま」読んだと明言しているにもかかわらず、勝手に「オタクの味方」に仕立てられたものである。ちなみに私は彼が『ローゼン~』を「少女漫画にしては重厚だ」と評していたのを聞いて、あれって少女漫画か?と疑問を持つと同時に、「少女漫画」=「軽薄」という前提に反発を覚えていた。「こいつは少女漫画をまともに読んだことがないな」とも思った。つまり麻生氏は真の漫画読みではない。

 *この機会に言っておくが、「ローゼン閣下」とか「ローゼン麻生」と見聞きするたびに、麻生の顔をしたゴスロリ風衣装を纏った人形が「麻生家の下僕になれ」と言っている絵が浮かび、いつも不快な思いをしている。

 いずれにせよ麻生氏が自己演出し、大衆が勝手に思い込んでいた虚像は、首相となってからどんどん崩れつつあると言えよう。自民党内での支持基盤の小さい彼には政権運営のフリーハンドはなく、一方首相という責任ある立場では「失言」にも慎重にならざるをえず、それがかえって右傾大衆の支持を失うという結果になっている。

 また、国会答弁も今のところほとんどが官僚の作文の棒読みで、威勢の良さはすっかり鳴りを潜めている。集団的自衛権の行使を容認するという重大な憲法違反発言こそあったが、基本的には福田内閣の新自由主義「漸進」路線を継承している。麻生内閣は従来の自公政権の枠内で、忠実に政財官癒着体制を継続しているのである。

 麻生氏をめぐるネット上の茶番は、政治家を判断するにあたって、人格的イメージや口先だけの表層の虚像に惑わされることなく、実際にどんな政策を行い、どんな政治行動をとっているのか、事実に基づいて検証する必要があることを示している。これは何も与党だけに当てはまるのではない。野党に対しても勝手な思い込みによる虚像を仕立てるのは慎むべきである(特に小沢信者に注意を促したい)。
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by mahounofuefuki | 2008-10-05 21:59

「橋下劇場」の原点としての光市事件懲戒請求扇動

 橋下徹氏が光市母子殺害事件の被告弁護団に対する懲戒請求を扇動した問題で、同弁護団所属の弁護士らが橋下氏に損害賠償を請求していた訴訟の判決が広島地裁で下った。これまでの公判の経過から原告の勝利は間違いないと確信していたが、予想通り橋下氏の扇動と多数の懲戒請求の因果関係を認め、橋下氏に賠償命令を下す原告勝訴の判決だった。

 判決骨子は次の通り(毎日新聞2008/10/02 10:21)。
◆名誉棄損にあたるか
 懲戒請求を呼びかける発言は、原告の弁護士としての客観的評価を低下させる。
◆懲戒制度の趣旨
 弁護士は少数派の基本的人権を保護すべき使命も有する。多数から批判されたことをもって、懲戒されることがあってはならない。
◆発言と損害の因果関係
 発言と懲戒請求の因果関係は明らか。
◆損害の有無と程度
 懲戒請求で原告は相応の事務負担を必要とし、精神的被害を被った。いずれも弁護士として相応の知識・経験を有すべき被告の行為でもたらされた。

 懲戒請求の本来の趣旨を逸脱し、単にバッシングを楽しむために行われた、法的にも道義的にも根拠のない請求を断罪し、弁護士の正当な活動を保障した判決と言えよう。他者を扇動するだけして卑怯にも自身は請求を行わなかった橋下氏のみを被告とする訴訟なので、一般の懲戒請求者については言及されていないようだが、橋下氏の罪は同時に扇動に乗じて光市事件弁護団を誹謗中傷した者すべての罪でもあり、これら無法者の反省を強く促しているとみなすべきである。光市事件そのものの訴訟の方は「外野」の介入で著しく歪められたが、民事のこちらの方では正常な訴訟指揮が行われ、真っ当な判決が出たことに安堵している。

 思い返せば、この光市事件での懲戒請求扇動こそが、一介のタレント弁護士だった橋下氏を政界に押し上げたきっかけでもあった。それまでもタカ派・保守的言説をしばしば吐いていたが、彼の本質は「場の空気を読むお調子者」にすぎず、特に政治的な人間というわけではなかった。
 それが一連の光市事件をめぐる「騒動」を機に一躍「ネット右翼」層のヒーローとなり、彼の時にリベラルな側面もあったことは忘却され、彼自身も「『左』を忌避するポピュリズム」の時流に迎合した。光市事件がなければ、自民党が橋下氏を大阪府知事に擁立することもなかっただろうし、彼もわざわざタレントとしての高額な稼ぎを捨ててまで、激務で(タレント業に比べれば)薄給の知事など引き受けなかっただろう。
 持ち前のサービス精神から信奉者の期待に応えようとして政界に飛び込んだのか、懲戒請求扇動訴訟の結果を見越して弁護士業に見切りをつけて政界に「逃げた」のか、判断のわかれるところではあるが(どちらの要素もあるだろう)、いずれにせよ光市事件が契機であることは間違いない。

 素朴な敵愾心や嫉妬心を煽り、「安心して攻撃できる公認の敵」への憎悪をかき立てる橋下氏の扇動方法は、古来使い古されてきたものだが、オーソドックスなだけに強力で持続性もある。
 先の大阪府知事選では、大阪で長年続いた与野党と府庁と財界・圧力団体(創価学会・有力労組・解同など)の談合政治に対する鬱屈が地滑り的な橋下大勝につながったが、現実の橋下府政は財政再建を口実に弱者切り捨てを敢行し、面倒なことはすべて市町村に丸投げする一方、大型開発や既成の利権(その中には右傾大衆が憎悪する「同和利権」も)には手をつけず、関西財界と中央官庁のパペットになりつつある。
 それにもかかわらず、多くの人々は府政の実際には眼もくれず、ただ表面上のパフォーマンスに踊らされて、橋下氏が既得権益を解体していると勝手に「信仰」している。まずいことに一般の人々だけではなく、マスメディアも意図的に橋下府政を「改革」と持ち上げていて、例えば朝日新聞は実際の橋下氏が府営ダム事業推進の立場をとっているのに、あたかも「ダム見直し派」であるかのような報道をしていた(この問題は、横田一「橋下改革劇場の舞台裏」『世界』2008年10月号に詳しい)。教育委員会を「安心して攻撃できる公認の敵」に仕立てて人々の目をくらます橋下氏の戦術が功を奏し、氏に不都合な事実を大衆の目に入れないような力学が働いているのである。

 今回の判決も多くの人々が橋下氏を擁護し、裁判所を誹謗中傷するだろう。橋下氏当人は今回の判決に理解を示し、原告にも謝罪の意を示したように伝えられているが(それなのに控訴するのが意味不明だが)、信奉者にはそんなことはお構いなしである(余談だが中山成彬氏の暴言の時も、ほかでもない麻生首相が任命責任を認め陳謝しているのに、中山発言を擁護する輩が後を絶たなかった)。残念ながら橋下氏はすでに多くの人々にとって「何をやっても許されてしまう人」になってしまっている。今回の判決をもってしても「橋下信仰」は弱まるどころか、むしろ「敵」に対する憎悪が再び高まり強化されるだろうが、少なくとも公的には橋下氏の誤りは永遠に記録される。何よりも今後別の誰かが懲戒制度を悪用して同じような真似をすることが難しくなる。懲戒請求を司法権の独立を脅かすバッシングという名のテロの道具にしてはならない、という当たり前のことを改めて明示した点にこそ、この訴訟の最大の意義があるだろう。

【関連リンク】
光市事件懲戒請求扇動問題 弁護団広報ページ
http://wiki.livedoor.jp/keiben/d/FrontPage
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by mahounofuefuki | 2008-10-02 18:28

「中山騒動」と「劇場」型政治

 政治が「劇場」化する必要条件は何か、ということを今年の大阪府知事選以来考えているのだが、今のところ①衆目を集めるエキセントリックなキャラクター、②大衆の敵意を喚起する「既得権益」、③筋書きのない展開へのライヴ感覚の3点に集約しうるのではないかと仮定している。「郵政選挙」や「橋下劇場」はこれらすべてを備えていた。一方、先の自民党総裁選は「出来レース」になったために③が決定的に欠如していたことが「劇場」化失敗の最大の要因であろう。

 昨日国土交通大臣を辞任に追い込まれた中山成彬氏をめぐる「騒動」は、自民党内では「失策」と受け取られ、「いい迷惑」という「空気」が大勢を占め、報道が伝える一般の世論の声も「ネット右翼」のヒステリックな中山擁護の論調とは裏腹に、中山発言への不快感と批判がほとんどである。中山氏は少なくとも27日の宮崎での日教組に対する中傷は、世論の喚起を狙った「確信犯」だったと自認し、いわばこの問題の「劇場」化を図っていたことを認めたが(橋下徹知事を引き合いに出したにもそのための戦術だろう)、現時点では「劇場」化そのものは「失敗」に終わったと言えるだろう。

 「中山劇場」が不発だったのは、先の3条件のうち①と③が不足していたからだと推定しうる。①に関しては、中山氏の発言自体はエキセントリックであったが、中山氏本人はラ・サール→東大→大蔵省という絵に描いたような「古いタイプのエリート」で、キャラクターとしてはむしろ「元高級官僚」という「大衆の敵」になりうる素質をもっているほどである。③に関しては、問題表面化直後から「地位にしがみつくつもりはない」という趣旨の発言をして、既定の「更迭」路線を自ら追認しており、「辞任による決着」は目に見えていた。

 逆に言えば、これが大衆受けするキャラクターの持ち主であったり、あくまで辞任しないとゴネて、「罷免されるか否か」という「ドラマ」が成立していたなら、「劇場」化していた可能性は十分にあっただろう。また当初から日教組だけを標的にしていたならば、異なる展開になっていたことも考えられる。民族問題と成田問題は政府や自民党の公式の立場と矛盾するが故に、支持者からも疑問がもたれたわけでだが、日教組への敵視は自民党・保守層の共有認識である。大衆世論にあっても公務員バッシングや学校不信の煽りもあって日教組への敵意は根強い。ちょっとした歯車のかみ合わせの違いで、日教組バッシング→解散・総選挙の一大争点化という展開になっていたかもしれない。

 現実問題として、「劇場」としては不発であったとは言え「中山騒動」がさまざまな問題を隠蔽する役割を果たしたことも否定できない。麻生太郎首相による国連総会でのインド洋給油継続公約や集団的自衛権行使を容認する発言は、「中山騒動」のせいで吹き飛んでしまった。「汚染米」転売問題や厚生年金記録改ざん問題も相対的に弱まってしまった。「敵失」がないと何もできない民主党は「中山問題」で内閣を追及すると息巻いているが、あまりこの問題に囚われて重要な社会問題が置き去りにあれるのはおもしろくない。

 麻生内閣は発足当初から「末期症状」にあるのは確かだが、「末期」ならではの道化的なパフォーマンスに気をとられて、肝心な問題が見過ごされることのないよう注意しなければなるまい。「劇場」化の罠はどこにでも転がっていることも念頭に置かねばなるまい。以上、自戒をこめて。

【関連記事】
「日本のがん」中山成彬が勝手に「ぶっ壊れる」
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by mahounofuefuki | 2008-09-29 12:42

「教育委員会=関東軍」という「釣り」

 弊ブログでは大阪府知事選以降、あまり橋下徹に言及していないが、それはいくら批判しようと、批判自体が橋下のある種の「釣り」に乗せられた形になってしまい、実際「反橋下」の抵抗が強ければ強いほど橋下信者を結束させ、「敵」と闘う橋下のカリスマ性が強化されるという悪循環にはまってしまうからである。

 橋下のやり口は力量のない芸人みたいなもので、瞬発芸のようなエキセントリックな言動で衆目を集めては、大衆に潜在する「良識」や「弱さ」や「優しさ」に対するアンチ思考(過酷な環境にいる人ほど、そうした環境を変えようとする勇気のない臆病をごまかすために、「過酷でない」ものを攻撃する)を引き出し、そのエネルギーを政治力の源泉にしている。
 この方法は伊丹空港問題のように、大衆のアンチパワーが低いと失敗するが(「アンチ伊丹空港」なんて人はそんなにいない)、彼が常軌を逸するほど熱中する学校教育問題では、最近大分県の教員採用汚職がクローズアップされただけに、橋下が自らへの支持の調達に成功する危険性が高い。正直なところ、私にはこれを防ぐ手立ては思いつかない。

 橋下がテレビ番組で、全国学力調査の結果公表に反対する市町村教育委員会を「関東軍みたいになっている」と罵倒したというが(朝日新聞2008/09/15 01:53)、これとて都道府県教育委員会は市町村(教委ではない)に「指導」「助言」「援助」はできるが、市町村教委に「命令」はできない以上、天皇が司令官を任免し命令権限をもった関東軍とは全く次元が異なり、教委の独立性と関東軍の逸脱を同一視するのは法的におかしい、というツッコミは入れられる。

 しかし、橋下とて弁護士である以上、そんなことは百も承知の上で、「教委=関東軍」というレッテルを張って「釣り」行為をしているのである。これを右傾大衆が面白がって教委を「関東軍」と貶める「空気」が醸成されれば(毎日新聞を「侮日新聞」と貶めたように)、橋下の狙い通りである。「面白さ」の前には、冷静なツッコミは水を差す行為となる。

 橋下は少年期のトラウマから、とにかく学校を成績階級で分断することに執念を燃やしているだけなのだが、それにどれほどの人が気づいているか。先の知事選で、良識のある人々の声を聞かず橋下に投票した人々や選挙で投票権を行使しなかった人々が、暴君の暴政に傷めつけられるのは仕方のないことが(そんな目に遭ってもマジョリティがマゾヒストのごとく支持するのは石原慎太郎で実証ずみ)、そのとばっちりで正しい人々までも犠牲にさらされるのが忍びない。橋下当選は確かに「大阪滅亡のお知らせ」だった。

【関連リンク】
地方教育行政の組織及び運営に関する法律 - 法令データ提供システム
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S31/S31HO162.html
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by mahounofuefuki | 2008-09-15 12:07

5.6%の憂鬱 (追記あり)

 宮崎日日新聞(2008/08/13)が、今月初頭に行った東国原英夫知事に対する宮崎県民の意識調査の結果を報じている。東国原氏に対する支持率は前回調査より4.2ポイント低下したものの、依然として89.5%の高率。一方、不支持率は5.6%だった。

 興味深いのは支持理由で、最も多いのは「メディアで宮崎をPR」で36.7%、次に多いのは「県民を元気づけている」で29.4%だった。昨年の調査では「行財政改革などの政策」が支持理由のトップだったというから、県民の多くは「行財政改革」(それがよいかどうかは別として)が進んでいないことは認めているのである。
 それにもかかわらず高支持率なのは、要するに県民のマジョリティは知事に行政上の具体的な成果ではなく、何より「セールスマン」としての役割と「元気」の付与を求めているからで、東国原氏はそういった大衆の欲求に忠実に従っていると言えよう。

 支持者の愚かさを嘲笑うのは簡単である。しかし、ある意味、地方政治に何を期待しうるかという問題に即せば、実にリアルな判断であると言えるのは否定できない。現在の都道府県はどこも財政赤字に苦しみ、地方交付税交付金の削減や地方向けの公共事業の減少などで、著しく体力が落ちている。地方自治の財政的・経済的基盤の再建には国の支援が必要不可欠だが、国は地方切り捨てを続けている。このような状況下では誰が知事でもたいしたことができない。それならばせいぜい地域のセールスマンとなって、地元の産品の販路を拡大するのに寄与してもらった方が、できもしない「改革」などよりも現実的な「成果」を受け取れる。ポピュリズムは政治に対するシニシズムと表裏一体である。

 とはいえ「元気づけている」という具体性の欠けた、受け取り手の内面に関わる要素が重視されているのは、やはり問題があると言わざるをえない。面倒な事や不愉快な事や不都合な事を隠蔽してでも、耳に心地よい話だけを提供しろと求めているに等しいからだ。何となく景気のよいイメージさえあれば、あとはどうでもよいという思考停止が読み取れる。東国原氏と双璧を為すタレント知事である橋下徹氏に至っては、明らかに住民の多くに「不利益」をもたらしているのに、やはり高支持率をキープしている。彼も口先では「大阪を元気に」と繰り返していた。奴隷根性が骨まで沁みついている人々は、もはや表面的な「元気」さえもらえれば、自己にふりかかる「不利益」も霧散してしまうのだろう。

 ちなみに、よくポピュリズムにはポピュリズムで対抗せよという見解があるが、大衆が求めるものが「元気」である以上、それに迎合すれば東国原や橋下のような姿にならざるをえない。つまり東国原氏に対抗するために同じような人材を擁して勝ったとしても、その対抗馬は東国原氏と何ら変わらず、同じような行動しかとり得ない。それでは全く意味がないことは言うまでもない。

 今回の調査でわかったことは、少なくとも宮崎県でまともな人々の割合が5.6%だという厳然たる事実である。全国の割合も同じようなものだろう。学校のクラスで1人か2人。ある意味絶望的な数字だ。この5.6%が5.6%のままで「勝つ」方法をとるか、残りの9割以上が翻意するのをじっと待ち続けるか。おそらくそのどちらも必要なのだろう。最悪なのはこの5.6%すら同調圧力に屈して、マジョリティに宗旨替えしてしまう(させられてしまう)ことである。そんな最悪の事態もないとは言えないほど、この国の政治状況は袋小路にある。


《追記 2008/08/15》

 「Gazing at the Celestial Blue」より「大阪府民は400人よりはたくさんいる」というエントリのTBをいただいた。不覚にもそのエントリは今まで見落としていて、本エントリを書くときには全く念頭になかった。
 Gazing at the Celestial Blue 大阪府民は400人よりはたくさんいる
 http://azuryblue.blog72.fc2.com/blog-entry-497.html

 ご指摘のように、世論調査がどこの誰を対象に、どういう方法で行っているかを考慮しないで、結果だけをそのまま信じてしまうことは危険である。本エントリで触れた宮崎日日新聞の調査も詳細不明なので、そのままの数字を真に受けて「まともな人が5.6%しかいない」と勝手にシニカルに沈んでしまったのは、言いすぎであった。そもそも「まとも」という言い方自体にある種の差別意識が内包されている。本記事は8月13日時点での正直な感想なので撤回はしないが、現在は反省している。碧猫さまに感謝申し上げます。
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by mahounofuefuki | 2008-08-13 23:11

「失言」が許されてしまう人

 自民党幹事長の麻生太郎氏が、民主党の政権交代論や国会戦術を揶揄し、ナチスの政権獲得過程を引き合いに出した「失言」の件。

 福田改造内閣発足にあたって弊ブログでは「新自由主義『漸進』路線を明示した福田改造内閣」というエントリをあげたが、実はその時意識的に触れなかった問題があって、それが「麻生太郎」の件であった。
 自民党が現在持っている「手駒」の中で相対的に最も「人気」が高い麻生氏を党幹事長に起用することで、「次の首相」は麻生氏という「期待感」を大衆に付与し、次期総選挙を何とか有利にしようとするねらいは明白だが(総選挙に「麻生総裁」で臨む可能性もある)、その流れに従えば麻生氏を「話題にする」こと自体が自民党の目論み通りになるので、基本的に天邪鬼な私はあえてスルーしたのである。しかし、早くも嫌でも話題にせざるをえない問題を起こしてくれた。自己嫌悪を抱きながら本稿を書いている。

 麻生氏はかつての田中眞紀子氏や小泉純一郎氏や橋下徹氏のような真の意味でのポピュリストではないので、黙っていれば平凡な世襲の保守政治家の1人にすぎないが、「漫画好き」とか「べらんめえ調」といったキャラクターを本人や周囲が仕立てていくことで「人気者」という虚像が形成されていく構図になっている。
 「失言癖」もそんな彼を「その他大勢」から引き立てる役割を果たしており、その失言の矛先が「世間の空気」に向かわない限り、麻生氏の「国民目線」のキャラクターはますます強化され、知名度も上がる。彼の「失言癖」は対外的には命取りになりかねないが、国内向けとしては決して不利になることはないのだ。

 しかも古来大衆扇動の要諦は、体制に順応した人々が不安や不満の責任を転嫁したがっている「醜悪で悪意に満ちた敵」を徹底的に攻撃することにある(皮肉にもそれに最も「成功」した例がナチスのアドルフ・ヒトラー)。小泉氏は大衆の公務員への嫉妬感情に乗じて「郵便局」を、橋下氏は大衆の少年犯罪への復讐感情に乗じて「光市事件弁護団」を「敵」に仕立てることで、「敵と闘うヒーロー」になりえた。麻生氏の場合、朝鮮半島の植民地支配に対する歴史修正主義発言が韓国・朝鮮人への差別意識を潜在させている人々に認知され、かえって知名度を上げた過去がある。麻生信奉者が「失言」に乗じて「民主党=ナチス」というネガティヴキャンペーンを仕掛けることさえ不可能ではない。

 残念ながらこの国のマジョリティーは、小泉氏や橋下氏やあるいは石原慎太郎氏といった攻撃的指導者の「失言」を「失言」とはとらえず、大衆と「同じ目線」の「本音」と捉える。麻生氏が「何を言っても、何をやっても許される」彼らの列に加われることができるかどうかはまだ何とも言えないが、麻生氏は今後もこうした「失言」を繰り返すことで、「左」を忌避する人々に喝采を浴び(実際の民主党は「左」ではなく「リベラル」という規定すら怪しいのだが)、その「空気」が大衆社会のメインストリームになる可能性さえあるだろう。

 当ブログではこれまで民主党に厳しいことを言ってきたし、これからもその見方は変わらないが、それ以上に私はポピュリズムが嫌いなので、麻生氏をめぐる現状ははっきり言って面白くはない。
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by mahounofuefuki | 2008-08-05 20:04