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「貧困と格差」言説が内包する性差別を自覚できるか

 貧困の現状と今後の反貧困運動の方向性について、野宿者支援で知られる生田武志氏のインタビュー記事が出ていた。貧困の解消を目指すにあたっては「ジェンダー問題を中心にした『家族問題』に踏み込まないといけない」という内容である。

 人民新聞 [反貧困] これからの反貧困運動を提言
 http://www.jimmin.com/doc/1007.htm

 私自身もそうだが、現在貧困に直面している人々が語る最もポピュラーなストーリーは、「新卒→終身雇用ルート」から外されたせいで貧困を余儀なくされている、その原因は企業や行政が正規雇用を非正規雇用に置き換えたからだというものである。もちろんそれは事実なのだが、問題なのはそもそも「新卒→終身雇用ルート」なるものが普遍的であったのはあくまで男性だけで、女性の場合は「終身雇用」時代でも大半がそのルートから排除されていたという点である。

 生田氏は女性の貧困の根源を「男性正規労働者と専業主婦というモデル家族」を基準にした労働形態に求めているが、その労働形態は同時に男性の非典型労働者をも排除していて、いわば現在の男性非典型労働者は社会的に「女性」の立場に置かれているとも言える。そして「男性正規労働者と専業主婦というモデル」を規範化している男ほど、「女だったらこんなに苦労しないのに」「女だったら非正規労働者でも侮蔑的な視線を浴びないのに」「男なのに何でこんな目にあっているんだ」という性差別を内包した怒りを持ちがちである。

 やっかいなのは、例えば「正規雇用にしろ」という要求自体が「男性正規労働者と専業主婦というモデル」を付与してくれという意味を含んでいる可能性があることで、実際に税制や社会保障制度が依然として既成の家族モデルを前提とした制度設計を続けている以上、「まず」男性には生活できるだけの所得を保障しろという要求の方が社会的合意を調達しやすいのは間違いない。それでは女性の貧困が根本的に解決しないのは言うまでもない。

 さらにもっとやっかいなのは、それでは「男性正規労働者と専業主婦というモデル」を解体しろという方向性が良いのかというと、結局は正規雇用の待遇引き下げや労働法制・社会保障制度の解体を促す動きに利用される可能性があることだ。最近、「近代家族」への批判、ひいては近代国家の「国民」化装置への批判が、結果としてグローバリズムを促進して社会保障を破壊したという知識人の言説をよく見かけるが、主客と因果が転倒している議論ではないか?という疑問はあるものの、現実に最近の上野千鶴子氏が公益は「官」でも「民」でもない非営利の事業体が担うべきだと提唱し、事実上「行政の外部委託」=「官製ワーキングプア」を促進する役割を演じていることを考えると、少なくとも過去はともかく今後は「近代家族」解体論が「小さな政府」の政治的潮流と連結する危険性があるのは確かである。

 生田氏のインタビューでも言及されている湯浅誠氏の貧困理論に従うならば、貧困の是正には「溜め」の回復が必要であり、そうなると公的福祉や企業福祉や公教育の回復と同時に「家族」の復活も俎上に載ることとなる。もちろん生田氏は家族制度を「元に戻せばいい」わけでもなく、「新たなモデル」を作る必要性を指摘しているが、果たして本当に可能なのか、どのようなモデルにもかかわらず「家族」の排他的機能自体が「関係の貧困」を生んでいる側面もあり、難しい問題である。

 私は当面こうした問題を棚上げし、とにかく公的福祉を最大限充実し、「経済の貧困」を是正することが最優先であるというある意味「逃げた」立場をとっているが、少なくとも「反貧困」言説に内包される差別意識には自覚的でありたい。
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by mahounofuefuki | 2008-11-01 11:50

「新党サムライ」というより「新党ヤクザ」

 平沼赳夫衆院議員の新党構想が話題になっている。
 私は「政界再編」には全く期待していないし、ましてや平沼氏のような歴史改竄主義者にして極端なレイシストを許容することもできないので(なにしろ皇室典範改正議論の時に「愛子さまが『青い目の外人』と恋に落ちて結婚し、その子が天皇になってもいいのか」と発言するような二重・三重の意味で無茶苦茶な差別主義者だ)、そんな新党などどうでもいいのだが、興味を引かれたのは新党の名前を「侍(サムライ)」にするというくだりである。

 この話で真っ先に思い出したのは氏家幹人氏の『サムライとヤクザ』(筑摩書房、2007年)という本である。中世から近代までの「武士道」の変遷を豊富な史料で跡付けた本だが、それによれば「武士道」の本質は自己の「男らしさ」を貫くことであり、近世初期までは「男伊達」「かぶき」などの表層に現れていたが、幕藩体制が文治主義へ転換していく中でそれらが「逸脱」として公儀の弾圧を受けるようになると、実際の武士=サムライにとって命を賭けても「男らしさ」を貫くことはむしろ御家を危うくするものとさえ捉えられるようになった。
 一方で、武士が失った戦闘的で刹那的な「男らしさ」は、大名や幕臣に雇われた駕籠かきなど町人階級の「荒くれもの」に受け継がれ(氏家氏はこれを「武威」の下請けと位置づけている)、さらには盗賊や博徒に広がっていく。近世も後期になるとむしろ武士の側が、そうした「荒くれもの」への「引け目」を感じるようになり(たとえば川路聖謨は盗賊の「男らしさ」を称賛していた)、それが近代以降の「武士道」の誤認と礼賛の前提となるという。この系譜が「男」であることを何よりも重んじる「任侠道」や「ヤクザ」へと連なる。

 平沼氏は「ブレない政治家」を永田町に送りたいと言ったそうだから(スポニチ2008/05/12)、彼の想定する「サムライ」は、紛争やもめ事を敬遠し「空気」を読むことを重視した現実の武士とは不適合である。むしろ彼が過剰なまでに信仰する「サムライ」像は「ヤクザ」の方に受け継がれているのである。
 そうとなれば、新党「サムライ」はいっそのこと新党「ヤクザ」と名乗るべきだろう。平沼氏や彼に近い政治家たちの女性差別、民族差別、戦争賛美などに彩られた言動は、下手な「ヤクザ」よりも暴力的で威圧的である。「サムライ」より「ヤクザ」の方がよほど彼らの目指す「男」の姿に近いと思うのだがどうだろう。

 とはいえ実際には今や「サムライ」も「ヤクザ」も、「ニンジャ」や「ゲイシャ」と同じように、欧米の「偏向した日本像」に消費されるキャラクターでしかないのも事実。「Samurai Party」と英訳された時、国際的にどういうまなざしを受けるかを考えれば、新党「侍」という党名の浅はかさは容易に浮き彫りになるだろう。

【関連リンク】
筑摩書房 サムライとヤクザ -「男」の来た道 / 氏家幹人 著
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480063816
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by mahounofuefuki | 2008-05-12 15:36

広がる「結婚・出産格差」~「21世紀成年者縦断調査」を読む

 厚生労働省が「第5回21世紀成年者縦断調査(国民の生活に関する継続調査)」の概要を発表した。
 この調査は「男女の結婚、出産、就業等の実態及び意識の経年変化の状況を継続的に観察する」ために、2002年10月末時点で20~34歳だった全国の男女を対象に、2002年以降毎年継続して行っているもので、同一の標本による動態調査なので信頼性が高い。「氷河期世代」の結婚・出産事情を究明する上で最も基本的なデータであり、少子化問題を考えるには欠かせない重要な調査と言えよう。

 調査の詳細は厚生労働省のホームページの当該資料(下記関連リンク参照)を参照されたいが、この調査結果から私が注目するのは次の4点である。

男性では正規雇用と非正規雇用の、あるいは中間層と貧困層の「結婚格差」が著しい。
 2002年の第1回調査時点で独身だった男性のうち、その後4年間で結婚した人の割合は、正規雇用では18.0%、非正規雇用では9.1%と2倍近く離れている。非正規雇用では家族生活を維持するだけの経済力がないために、正規雇用に比べて結婚がより困難になっていることを実証したと言えよう。
 また、2004年の第3回調査時点で独身だった男性のうち、その後2年間で結婚した人を所得階級別に見ると、年間所得500万円までは所得が高くなるほど結婚した人の割合も高い。これも低所得者の結婚が難しくなっていることを示している。一方で、年間所得500万円以上では300~500万円の層よりも結婚した人の割合が微減しているのは、富裕層の男性においては自発的な「独身貴族」が増えていることを示唆している。

女性の「結婚退職」が依然として多い。
 2005年の第4回調査から翌年の第5回(今回)調査までの1年間に結婚した有業の(仕事をもっている)女性のうち、31.7%が離職している。特に非正規雇用では37.7%にのぼる。3人に1人近くの割合で女性は「結婚退職」している
 また、第4回調査で「結婚を考えている相手や家族が退職することを望んだり、あるいは、会社に働き続けにくい雰囲気がある」と回答した女性のうち、実際に結婚を機に離職した人は55.9%にのぼる。依然として夫が妻の就労を嫌ったり、企業が既婚女性の雇用に消極的な場合が少なくないことを示唆している。

妻の就労と子どもの出産には全く関係性がない。むしろ女性の労働環境や家庭環境が出産に影響している。
 第4回調査までに結婚した女性のうち、第1回調査から第4回調査までの4年間に子どもを出産した人の割合は、正規雇用が37.3%、非正規雇用が19.3%、無職(専業主婦)が38.6%で、正規雇用の女性と専業主婦の女性とでは出産の有無の割合にほとんど差がない。女性が仕事に出て家庭にいないから少子化が進むという俗論がよく言われるが、それが全く根拠のない妄説であることを改めて実証したと言える。むしろ、正規雇用と非正規雇用の間に大きな差があることが問題であり、非正規雇用の女性が正規雇用の女性に比べて、出産や育児のために休業できにくいことが影響していると思われる。
 また、夫の休日における家事・育児時間と子どもの出産の割合が比例しているのも興味深い。4年間で子どもが出生した割合は、夫の家事・育児時間がゼロの場合が25.7%、1日8時間以上の場合が40.3%と相当な開きがある。この点でも性別役割分業がもはや少子化の解決に何ら役立たないことを証明している。

貧困層ほど子どもの出生率が高い。
 今回の調査である意味最も衝撃的な数字はこれで、夫婦の年間所得額が低いほど子どもの出生率が高い。今回調査までの3年間で第1子が出生した夫婦の割合は、夫婦の年間合計所得額が100万円未満で57.1%、100~200万円未満で52.9%、200~300万円未満で44.8%で、年間合計所得600万円までは所得が低いほど出生率が高い。
 ①と合わせて考えると、貧困層は結婚するのがそもそも難しいが、少数の結婚した夫婦もいわゆる「できちゃった婚」が多いと推定しうる。しかし、第2子の出生率も年間合計所得100~200万円未満の層が突出して多く、別の要因もあると考えざるを得ない。かつて高度成長前は貧困家庭ほど子どもが多い傾向があり、現在でも貧しい国ではそうした状況が存在するが、日本でも再び貧困カップルの「子沢山」が進行している可能性がある。さらなる調査と検討が必要だろう。

 以上の点から、この国では「結婚格差」「出産格差」が確実に拡大・進行していることが明らかになったと言える。男女とも正規・非正規雇用間の差別がそのまま結婚や出産の「格差」につながっている。非正規雇用問題は少子化問題としても考慮しなければなるまい。非正規雇用の正規化はこの点でも急務である。

 また「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業が「結婚格差」「出産格差」を促進していることも明らかだ。この意識と事実がある限り、女性を養えない男性はいつまでも結婚できず、仕事をしたい女性も結婚しにくい。結婚できても子どもを産むことはもっと難しい。「女性の社会進出が少子化を招いた」という俗説を打ち消すためにも、女性正社員と専業主婦の出産率はほぼ同じという事実を周知する必要があるだろう。

 一方で、貧困層の一部に「貧乏の子沢山」が進行している可能性があるのも問題だ。かつて自民党のある国会議員が、貧乏人は結婚もできず子どもも作れないので貧困は再生産されないと放言したことがあったが、貧困の再生産は現実に起きている。言うまでもないことだが、少子化問題を真に解決する気があるのならば、「貧乏人は子どもを産むな」ではなく、貧乏人を貧乏でなくする施策を行わねばならない。

 *本稿は少子化が問題であるという前提で立論したが、私が考える「少子化問題」とは、世間一般における「人口の減少は国家の衰退を招く」「少子化が進めば社会保障が崩壊する」という意味の国家戦略的問題ではなく、「結婚したいのに結婚できない」「子どもを産みたいのに産めない」といった「結婚する権利」「出産する権利」の侵害問題である。単なる人口問題ならば、移民の受け入れを増やし、公民権を持った住民として迎えれば、すぐにでも解決する。権利が十分に保障された結果(自発的にシングルライフや子どものいない生活を選び取った結果)としての「少子化」ならば問題だと考えていない。

【関連記事】
山田昌弘『少子社会日本』(岩波書店、2007年)- mahounofuefukiのメモ

【関連リンク】
厚生労働省:第5回21世紀成年者縦断調査(国民の生活に関する継続調査)結果の概要
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by mahounofuefuki | 2008-03-21 20:18

DV防止法「出前授業」をつぶした「凶悪な力」

 この国の保守的国家主義者が現在最も目の敵にしているものは2つあって、1つは日本の国家犯罪の史実を明らかにする歴史像・歴史認識、もう1つは近代社会特有の性別役割分業の前提となる「男らしさ」「女らしさ」の在り方を変えようとする動きである。

 前者に対する攻撃が戦後ずっと続いているのは周知の通りだが、近年激しい攻撃を受けているのが後者で、特にジェンダーフリーに対する誤認と憎悪に満ちた攻撃はヒステリックで暴力的な様相を呈している。一昨年、国分寺市が東京都からの委託事業の人権学習講座で東京大学大学院教授の上野千鶴子氏の講演を予定していたところ、都教育庁の圧力で委託事業そのものが中止になったのは記憶に新しい。都の判断の背後に家父長制擁護者たる石原慎太郎知事の影響力があるのは確かだが、こうした事態は全国各地に広がりつつあるようだ。
 以下、共同通信(2008/01/22 21:51)より(太字は引用者による)。
 茨城県つくば市の県立茎崎高校が、28日に予定していたドメスティックバイオレンス(DV)被害者を支援する特定非営利活動法人(NPO法人)による出前授業を中止していたことが22日、分かった。

 隣のつくばみらい市が別の団体代表によるDV講演会を、抗議が殺到したのを理由に中止したのを受けた決定。この代表の講演を予定する新潟県長岡市にも多数の抗議が寄せられ、影響が広がり始めている。識者から「DV防止法の根幹にかかわる事態」と危惧する声が出ている。
 
 茎崎高校によると、茨城県内のNPO法人が1年生約60人を対象に、若い世代で多発している「デートDV」についての知識を広め、予防するための講義を予定していた。
 
 松井泰寿教頭は「学校に抗議があったわけではないが、公的機関であるつくばみらい市の判断を重視し、生徒の混乱を避けるため中止した」と説明した。
 茎崎高校に招かれていたNPOについてはあいにく不明だが、つくばみらい市が講演を予定していた「別の団体」とは、共同通信加盟社配信記事によれば「東京フェミニストセラピィセンター」で、代表の平川和子氏の講演が「抗議の殺到」により中止となったという。
 「学校に抗議があったわけではない」のに中止した学校側の弱腰ぶりは問題だが、それだけつくばみらい市への「抗議」がすさまじかったと言える。右翼団体や地域の有力者の影もあったかもしれない。

 「東京フェミニストセラピィセンター」のホームページによれば、同団体は「1997年より暴力被害女性のための緊急一時避難所を開設し、長期展望にたった支援に取り組む」とあり、DV被害者のためのシェルターづくりや有料のカウンセリング活動を行っているようである。
 言うまでもないことだが、DVについては2001年に「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」(DV防止法)が施行され、国と地方自治体には配偶者による暴力を防止し、被害者を保護する責務を負わせている。行政が同法の趣旨にのっとり啓蒙活動や学習活動を行うのは当然のことであり、これを否定する所以はまったくない。

 なお引用記事にある通り、新潟県長岡市に対しても平川代表の講演への抗議活動が行われているようである。ネット上でリサーチしたところ、「DV防止法犠牲家族支援の会」という反フェミニズム団体が平川氏の講演に対する抗議を呼びかけていた(ホームページもあったが不愉快なのでリンクはしない。「家」制度への過剰な依存とフェミニズムに対する「被害妄想」に思わず失笑してしまった)。
 前記配信記事によると、今のところ講演の主催者である長岡市教育委員会は「粛々と行いたい」と抗議を意に介していないようだが、今後圧力が強まる可能性は否定できない。講演を決行するよう同市へ請願を行う必要があるかもしれない。

 いずれにせよこのような不当なバッシングを座視してはならない。この問題はDV防止法の危機のみならず、この国の言論の自由そのものが脅かされているとみなさねばならない。


《追記》

 ここまで書いたところ、多文化・多民族・多国籍社会で「人として」が、つくばみらい市の講演中止事件の詳細を明らかにした記事を上げておられた。
 多文化・多民族・多国籍社会で「人として」:つくばみらい市事件で考える、「威嚇」と行政
 どうも市役所への威嚇的な街宣活動があったようだ。なお講演の中止に抗議する電子署名活動が行われている。詳細は「多文化~」さんの記事を参照。


《追記 2008/01/24》

 トラックバックいただいたGazing at the Celestial Blue経由で、みどりの一期一会の関連エントリを読んだ。私は「出前授業」中止の件が報道されるまで、こんな凶悪な事態が進んでいたことをよく知らなかったので、恥ずかしい限りである。
 もしお読みでない方がいたら、ぜひお読みください。

【関連リンク】
配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律-内閣府男女共同参画局
東京フェミニストセラピィセンター
長岡市教育センター
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by mahounofuefuki | 2008-01-23 21:13

同性愛はいけないのか?

同性愛に反対していたアメリカの上院議員が、よりにもよって同性に対する猥褻行為を問われ、辞職に追い込まれた。
このニュースに対する私の感想は、「同性愛はいけないのか?」である。
アメリカでは、キリスト教保守派を中心に同性愛を認めない人々が依然多いが、それは余計なお世話というものだろう。人類の歴史上、古くからあったものだし、正直他人に迷惑を及ぼさない限り、別にどうでもよいではないか。

むしろ問題なのは、この議員が今まで自分を偽り、同性愛を批判していたことである。これは、内では愛人を囲いながら、外では「家族」やら「貞操」やらを説くのと同じことである。支持者に迎合して、ウソをつき続けたことの責任は問われるべきだ。何も無理にカンミングアウトせよと言うのではない。せめて同性愛に対し、肯定も否定もしない態度をとっていれば良かったのである。

ところで、問題の発覚は「おとり捜査」であった。つまり「罠にはめられた」のである。ことが議員だけに、なんとなく陰謀くささを感じるのは私だけだろうか。
日本でも政府に批判的な学者や、「改憲派」の主張を否定した内容の番組を制作したテレビディレクターや、アメリカと距離をとる官僚らが、「痴漢」容疑で逮捕された。これらも何となく「くさい」と思うのだが、真相はいかに!?
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by mahounofuefuki | 2007-09-02 12:55

スキャンダル暴露合戦?

参院選大勝のリバウンドか、民主党議員のスキャンダルが相次いで報道されている。
「政治とカネ」で守勢に立たされた自民党が、反撃に出たというところか。

大衆の眼目を集めるのにセックス・スキャンダルほど恰好の材料はない。そのダメージの大きさは、自民党の山崎拓衆院議員で実証済みだ。いわば「脇の甘い」人間を、知名度やイメージだけで擁立した民主党の失態は嗤うしかないが、同時にそんな政治の本質とは関係ない話題に踊らされる人々も滑稽だ。世の中にはもっと重大で、切実な問題が山ほどある。
(そういう私もこうして記事にしているのだから、他人を笑えない。)

この記事でも、横峯良郎議員の問題と姫井由美子議員の問題が並列されているが、よく考えると両者には決定的な違いがある。

横峯氏の場合、「賭けゴルフ」という明白な違法行為が疑われている。これは議員である以前に、社会人として問題であり、はっきりと真相を究明してもらいたい。

一方、姫井氏の場合、「不倫」自体は彼女の夫が告訴でもしない限り、別段公の問題ではない。私は個人的には、「不倫」も「浮気」も全然かまわないと思っている。「不倫」という言葉自体、「姦通」の代替用語であり、「姦通罪」は家父長制時代の過去の遺物だ。近代の「家」制度に縛られて、「不倫」を非難するのは、厳に慎みたい。

何よりも不快なのは、長期的には与野党間の(といっても自民党と民主党だけだが)スキャンダル暴露合戦の様相を呈していることだ。
戦前の政党政治が、政党間の汚職暴露合戦の末に崩壊し、軍部の台頭を許してしまった歴史を忘れてはならない。
あくまで次期国会では、政策で勝負してもらいたいものだ。
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by mahounofuefuki | 2007-08-30 21:32