「金融サミット」はそんなにダメだったのか?

 G20による「金融サミット」は16日に首脳宣言を採択したが、今朝の新聞各紙やweb上の専門家筋の議論を読むとあまり評価されていないようで、「具体策なし」「成果なし」「問題先送り」という批判も多い。しかし私は、はて今回の宣言がそれほど期待外れだったか? むしろ世界的な市場放任路線の終焉を完全に決定づけたこと自体に意味があるのではないか? と考えるのだがどうだろう。

 そもそもずいぶん前から首脳レベルの国際会議では具体策は話し合われないのが通例で、実務レベルで合意した内容を追認することで何よりも国際協調を優先してきたのは、今回に限ったことではない。突然首脳会議の場で「想定外」の提案が出てきても場を混乱させるだけだろう。その点で「具体策なし」というマスコミの評価は厳しすぎるし、その批判はあらゆる首脳会議に向けられるのではなければ公平性を欠く。

 今回の宣言は、「即効的な内需刺激の財政政策」を各国に求め、「すべての金融市場、商品、参加者が適切に規制」されることを原則として明らかにした。特に国際的な金融権力の最も重要な要素と目される格付け会社へ「強力な監督を実施」すると明記したのは、非常に意味のあることだ。国際社会が市場万能と緊縮財政を至上とするこれまでの政策基調から、市場への規制・監視強化と財政出動を容認する方向へはっきりと舵を切ったのである。それだけでも歴史的な転換ではないのか。

 会議では、ドル基軸通貨体制の変革すら射程に入れる欧州勢や、もはやその存在を軽視できなくなった「新興国」の発言力が高まる一方、アメリカ政府の威信低下は覆うべくもなかった。日本政府は依然としてアメリカの主導権を前提として行動したために、会議では全くと言っていいほど存在感はなかった。IMFへ10兆円もの資金を提供したのも、国際的には例の如く「便利な財布」扱いされている疑念なきにしもあらずである。麻生首相は自画自賛しているが、むしろ今回のサミットの結果は日本政府の対米追従路線に対し、完全な政策転換を迫ったとさえ言えよう。少なくとも今後の日本の経済政策を制約するのは間違いない。

 元経済企画庁長官の宮崎勇氏は最近次のように述べている。
 私は財政政策も金融政策も、過去10年以上、日本では機能してこなかったと思うのです。財政というのは、本来、景気調整の役割もあるし、社会資本の充実という役割もあるし、最も重要な役割として所得の再分配機能があります。この3つがほとんど機能しなかった。それに引っ張られて、金融政策のほうもまったく動けずに、低金利政策をずっと続けていたわけでしょう。 (宮崎勇「必要なのは内需拡大とセーフティネット」『世界』2008年12月号、p.89)

 今回の首脳宣言は、そのような政府が何もしない、財政政策や金融政策が機能しない状況を否定したと言える。今後は反対に景気調整や社会資本の充実や所得再分配を強化するための政策が必要だということになる。「内需拡大」には国内市場の立て直しが急務であり、その点でも雇用待遇差別や低賃金は抜本的に是正されなければならない。

【関連リンク】
金融サミット首脳宣言の要旨 – 47NEWS(共同通信2008/11/16 15:50)
http://www.47news.jp/CN/200811/CN2008111601000240.html
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# by mahounofuefuki | 2008-11-17 20:59

失業保険漏れ1000万人でも国庫負担廃止とはこれいかに?

 読売新聞電子版の「ジョブサーチ」に、奇しくも同じ日付で雇用保険に関するニュースが並んでいた。ある意味、日本の社会保障崩壊の実情を戯画化しているようである。

 失業給付国庫負担ゼロに(読売新聞2008/11/14)*web魚拓
 http://s04.megalodon.jp/2008-1115-2051-18/job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_08111401.cfm
 「2009年度予算案で、雇用保険の失業給付金に対する国庫負担を初めてゼロとする方向」

 雇用保険漏れ1006万人の恐れ(読売新聞2008/11/14)*web魚拓
 http://s02.megalodon.jp/2008-1115-2050-26/job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_08111402.cfm
 「雇用保険の適用対象者にもかかわらず、申請していない恐れのある労働者が最大1006万人に上る」

 前者によれば「景気の回復局面で給付額が減った」ことで、失業給付の積立金に余裕ができたため、国庫負担を止めるということになっているが、実際はそうではないだろう。小泉政権以来、政府の「骨太の方針」は毎年の社会保障費自然増分を2200億円ずつ削減することを義務づけているが、2009年度予算では雇用保険の国庫負担廃止をもって削減枠に充てることはあらかじめ決まっていた雇用保険の国庫負担全廃へ~社会保障費削減路線を続ける福田内閣参照)。そもそも雇用保険の国庫負担廃止方針は、すでに2006年の行政改革推進法で予告されていたことであり、「景気の回復」云々というのは後付けにすぎない。

 しかも、その失業給付額の減少も、後者の記事が伝えるように、非正規労働者を中心に1000万人以上が雇用保険から排除されている可能性があるとすると、失業しても捕捉されずに給付を受けることができていない人々が相当いることになる。給付を受けるべき失業者を排除しておいて、保険財政に余裕があるというのは全くの欺瞞である。こうやってまたしても政府の社会保障支出は減らされ、「貧困と格差」は拡大していくのである。

 社会保障費の「2200億円」削減枠をめぐっては、自民党の中からさえも「厚生族」を中心に廃止を訴える声があるが、何だかんだ言って政府は依然として継続している。ある意味「2200億円」枠は「小さな政府」の象徴であり、この改廃が政策転換の目安の1つとなろう。
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# by mahounofuefuki | 2008-11-15 21:03

黒字だった公立病院が民間委託で赤字になった上に公費負担も激増

 「世間」一般のイメージとして「官」=非効率、「民」=効率というイメージが流布し、行政の「無駄遣い」削減には民営化や民間資本の活用が必要であるという言説が後を絶たないが、そうした一般的なイメージの再考を迫るニュースを東京新聞が報じている。

 東京新聞:民活病院 青息 コスト減のはずが・・・赤字(2008/11/12朝刊)*web魚拓
 http://s03.megalodon.jp/2008-1112-1017-44/www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008111202000079.html
 民間資本を活用して公共施設を建設、運営する「PFI方式」を導入した公共病院が、経営難や赤字に陥っている。(中略)

 医療センターは、黒字だった旧市民病院を移転新築する形で、大手ゼネコン・大林組が全額出資するSPCが建設し、2006年10月にオープンした。30年分の金利99億円などを含めた総整備費は244億円。

 市が医療業務を担い、SPCが保守管理や清掃、警備、病院給食などを受託している。30後に市が施設の無償譲渡を受ける契約で、市は直接経営と比べ68億円の節約になると試算していた。

 だが、「新築となって上がる」と見込んでいた病床利用率が横ばいにとどまったため、増えた減価償却費を収入で補えず、07年度に27億円の赤字を計上。一方、SPCに委託し、市が税金から支払う保守管理や清掃などの年間費用は、旧病院時代の6億6千万円から、15億4千万円に膨らんだ。(後略)

 要するに、黒字だった公立病院が、医療業務を除く施設管理等を民間委託したところ、かえって赤字になってしまい、さらに委託した業務への投入税金も倍以上になってしまったということである。この事例の場合、赤字そのものは病床利用率の見通しのミスに起因するようなので、民間委託のせいとは必ずしも言えないが、委託業務に投入する税金が完全公営時代の倍以上に膨れ上がったのは、間違いなく民間委託に起因する。事実は小説より奇なり。「官」よりも「民」にやらせた方がコスト増になったのである。

 記事を読む限り、今回の場合は病院施設の建設自体が大手ゼネコンへの利益誘導であり、受託した特別目的会社も当該ゼネコンの丸抱え、整備費は30年という長期の割賦払い、もちろん金利も税金で支払われる。これでは地方債を使った方がましじゃないのかとさえ思うのだが、民間委託がかえって自治体財政を圧迫しているという事例の存在は重い。大企業への利益誘導のために医療が食い物にされたと言っても過言ではないだろう。まさに「民による無駄遣い」である。

 同記事には同様の方式の他病院についても言及されているが、どこもうまくいってはいないようである。PFI=Private Finance Initiativeは、日本では「民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律」に基づいて実施され、特に小泉政権以降、さまざまな公共施設に用いられ、特に最近ではこの方式による半官半民の刑務所が話題になった。全部の例を調べていないので、もしかすると「成功例」があるのかもしれないが、少なくとも医療分野では完全に失敗しているのではないか。かえって官民癒着を招く危険性も増すだろう。

 市場原理をどこまでも信奉し、民営化を至上とみなす人々ならば、失敗したのは全部民営化しないからだとか、民間へのリスク転移が足りないからだとか言いそうだが、そんなことではあるまい。根本的に市場原理にそわない医療をビジネスとして捉える視点自体が、問題を引き起こしていると見るべきだ。誰もが安心して医療を受けられるようにするためには、きちんと税金ですべてを賄い、利権狙いの企業を排除することが必要だと思われる。

【関連リンク】
民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律 - 法令データ提供システム
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H11/H11HO117.html
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# by mahounofuefuki | 2008-11-14 21:29

「羞恥や不安を与えるまなざし」をめぐって

 買い物中の女性の臀部をカメラ付き携帯電話で撮影した男が、迷惑防止条例違反に問われていた裁判で、最高裁は被告の上告を棄却し、有罪判決が確定するという。共同通信(2008/11/13 12:38)より。
(前略) 被告側は「条例で禁じられる『みだらな言動』の内容が不明確」と主張したが、藤田宙靖裁判長は「社会通念上、性的道義観念に反する下品でみだらな言動と解釈できる。ズボンの上からの撮影でも被害者が気付けば恥ずかしがり、不安を覚える行為で、条例違反は明白だ」と指摘した。(後略)

 なお5人の裁判中、1人は「のぞき見」などとは「全く質的に異なる」、撮られた写真は「卑猥」な印象はないと判断して、無罪判決を求める少数意見を出したという(朝日新聞2008/11/13 11:10)。

 この訴訟ではズボン姿でも撮影が「みだらな言動」「卑猥な動作」なのかどうかが争点だったわけだが、それ以前に、見ず知らずの人を背後から無断で「約5分間、約40メートルにわたり付け狙い」(共同、同前)撮影するという時点で、被写体が着衣だったか、スカートだったか、あるいは身体のどこを映したのかにかかわらず、すでに被写対象の人格を損ねる行為とみなさざるをえず、条令が定める「みだらな言動」だったかどうかは別として、道義的に問題のある行為だったことは確かだ。法的な合理性の是非は留保したいが、心情的には「そりゃまずいだろう」というところである。

 ところで今回の判決は、報道を読む限りでは「被害者が気付けば恥ずかしがり、不安を覚える行為」だから有罪だという論理展開のようだが、これに従えば、たとえば「監視カメラ」はどうなるのだろう。時と場合によっては街中・建造物中あちこちに散在する「監視カメラ」も同様の問題を抱えているのではないか。

 今回の事件は、撮る側の「まなざし」や「動作」に対し、撮られる側が羞恥と不安を感じたことが問題なので、それ自体は「まなざし」を発しない「監視カメラ」には今回の判例は適用できないのかもしれない。しかし、そのカメラが誰かに遠隔操作されていたり、撮影後に誰かが映像をチェックして偶然「卑猥」とみなせる映像があるなどで、いわば被写対象には可視化されない「性的なまなざし」があった場合はどうなるか。判決は「被害者が気付けば」と断っているので、要は被写対象が気付かなければ問題にはならないとも読み取れる。しかし、それが倫理的によいのか?と頭を抱えざるをえない。

 問題は「表現の自由」やプライバシーの保護と関係しているだけに非常にデリケートであり、こうすべきだ!という明快な結論は私には全然出せないが、今回の最高裁判決は期せずして氾濫する「監視カメラ」の危険性について考える材料を提供しているのではないか。

 もう1点。今回の件が有罪となると、よく新聞やテレビのニュースで恣意的に「若い女性」や「肌の露出の多い女性」ばかり撮っているのはどうなるのだろう。海水浴の報道では必ずと言っていいほど映るのは若い水着姿の女性である。台風の時にはこれまた必ずと言っていいほど短めのスカートを必死に抑える若い女性(たいていは女子中高生)が映る。最近もたまたま某私立大学の学生が大麻所持で逮捕されたというテレビニュースを見ていたら、資料映像としてミニスカート姿の女子学生が歩く様子を脚部だけ十数秒にわたって映していたのに出くわした。これらにエロティシズムを感じるのは、言うまでもなく既存の「男らしさ」に拘束された私の視線に起因するが、撮影者やその種の写真・映像を使用した関係者も同様の視線を持っていることは間違いない。これらが無断撮影で、かつ被写対象が羞恥や不安を覚えたなら、やはり有罪になるのではないだろうか。

 小さなニュースだが、いろいろな問題を考える素材になると言えよう。
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# by mahounofuefuki | 2008-11-13 22:47

失政が続くほど政権が延命するという問題

 麻生内閣が経済対策として打ち出した定額給付金をめぐる右往左往が話題である。すでに多くの人々が指摘しているように、一時的な給付では景気刺激策としても救貧策としても効果に乏しく、消費税増税への地ならしを兼ねた選挙向けパフォーマンスであることはもはや疑いない。今日の報道では、給付にあたって立法措置を採らず、所得制限を含め市町村に委ねるということだが、そもそも給付の具体的方法(銀行振込?窓口申請?)や交付形式(市町村ごとに補正予算を組むのか?)がいまだはっきりしておらず、本当にやれるのかさえ不透明である。

 今回の給付金に対しては、当初よりかつて小渕内閣が実施した「地域振興券」になぞらえる見方があったが、市町村「丸投げ」となると、むしろ竹下内閣の「ふるさと創生」の1億円バラマキを思い出す。これはもはや経済政策ではない。いずれにせよ、このような混乱ぶりでは実際の給付時期は延びるかもしれない。選挙対策である以上、給付時期が延びれば、それだけ総選挙も先送りされることになる。

 どうも最近の麻生首相を見ていると、総選挙をどうにかして先送りすることを何よりも優先し、すべてそれに合わせて行動しているような気がしてならない。今国会冒頭の解散に失敗して以降、常に政治的スケジュールを埋め、あえて選挙に不利な消費税増税をことあるごとに強調し、あたかも選挙で自民党に不利な状況を作ることで、与党内の早期解散要求を封じているかのようである。もともと「選挙の顔」を期待されて首班に擁立された以上、麻生氏が政権の延命を図るためにはその選挙を先送りするほかない。

 わざと混乱させているということはないだろうが、経済対策の実施方法をめぐるゴタゴタが長引けば長引くほど、政権に対する世論の信用が低下するリスクを負う一方で、選挙先送りの「口実」ができて、結果として政権そのものは延命する。麻生氏にとっては総選挙後も首相のイスに座れるという成算がない限り(自公で衆院「3分の2」を維持するか、議席数で「自公」>「民公」となり自民党主導で民主党を連立に加える状況になるか、のどちらか)、解散には踏み切れない。そしてその成算はいまだない。となれば少しでも長く首相でいたかったら、ひたすら選挙を先送りするしかないのである。失政が政権を生きながらえさせるというのは皮肉である。

 失政のツケを払わされることを考えれば、主権者にとってはハタ迷惑でしかないが、残念ながらこれが現実である。与党が衆院で3分の2以上ではなく単なる過半数だったら、昨年の参院選直後の時点でとっくに解散になっていたことを考えると、いかにあの「郵政選挙」が呪うべきものだったか、今こそ痛感させられる。
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# by mahounofuefuki | 2008-11-12 21:45