メキシコシティ空港に住む日本人ホームレスへのまなざし

 今日の日本テレビ系列のテレビニュースが、メキシコシティ国際空港内で3か月寝泊まりしている日本人男性について報じているのをたまたま観た。ホームレスに対する「まなざし」や貧困者の社会関係について考えさせられたので、紹介したい。

 空港で3か月生活する日本人男性、メキシコ – 日テレNEWS24(2008/11/25 15:21)*web魚拓
 http://s04.megalodon.jp/2008-1125-2059-19/www.news24.jp/123794.html
(前略) 東京都出身のフリーター・野原弘司さん(41)は、観光目的でメキシコを訪れた。最初はホテル暮らしをしていたが、所持金が少なくなってきたため、空港で寝泊まりしているうちに3か月が経過した。

 珍しい日本人がいるということで、地元メディアがこぞって取り上げ、記念撮影やサインを求める人がひっきりなしに訪れている。野原さんは「(有名になって)びっくりしました。目的はね、外国で大成したいと。大物になりたいってのが目的ですね」と話す。

 空港にいた人たちは、「クールだね!」「何をやっているのかなって思ったんです。日本人ってこんなことやるとは思わないでしょ」などと話す。ファストフード店が無料で食事を毎日差し入れし、空港警察も見てみぬふりをするなど、野原さんを温かく見守っているようだ。

 野原さんはメキシコ人に優しくしてもらった恩に感謝し、「今後はブラジルなど南米に行ってみたい」などと話している。(後略)

 空港で生活している男というとスティーブン・スピルバーグの映画「ターミナル」みたいだが(といっても私は映画をあまり観ないので詳細はよく知らない)、日本の排除型社会に慣れてしまった眼で見るとメキシコの人々の「温かさ」が新鮮である。事実上、空港を根城にするホームレスを「クール」と形容し、食事を差し入れる人がいて、警察も黙認する。引用記事では言及されていないが、私が観た地上波のニュースによれば、空港の利用客らの間で彼は「友達」と呼ばれているという。空港での長期滞在を禁止する規則はないのでそのままにしているという空港当局者の談話も伝えていた。

 当然次のようなことを考える。日本の成田空港で、髭が伸び放題、髪もボサボサの外国人が同じように生活できるだろうか、と。あいにく日本の空港の法制について全く知らないので、法的にどうなのかはわからないが、間違いなく何らかの方法で逮捕→強制送還となるだろう。仮に空港内での長期滞在が可能になったとしても、日本人は「友達」とは決して思わず、「よそ者」「不審者」とみなして近づくことすらしないだろう。日本では「外国人」で「ホームレス」というのは二重の排除対象となる。

 事実、前記引用記事には続きがある。「日本大使館は『ビザも持っており、不法滞在ではないが、健康も心配だ。今後も空港暮らしをやめるよう説得を続ける』とコメントしている」。現地の当局も住民も利用客も容認しているのに(人気ぶりからするとむしろ「歓迎」している?)、我が「祖国」は空港から出ていくよう勧告しているのである。「健康も心配だ」なんて言っているが、ふだん保険料滞納で国民健康保険証を取り上げている国家がよく言えたものだ。旅行中に武装勢力に拉致された日本人を「自己責任」と称して見殺しにしたのはどこの国だったか?  今回も「自己責任」を貫かないのか? 日本政府が心配しているのは「当人の健康」ではなく、自意識上の「国家の体面」であろう。

 地上波のニュースではこの件について、コメンテーターやキャスターが「勤勉で実直な日本人のイメージが崩れる」「早く出て行って欲しい」などなど口々に批判していた。全くげんなりである。空港の彼は現地で人気者なのだから「日本人のイメージ」はむしろ良くなっているのではないか。よく排除を正当化する際に「迷惑だから」という理由づけが使われるが、今回の例は異邦の地のことで日本の住民の誰の「迷惑」にもなっていなければ、現地でも当局すら「迷惑」とは考えていない以上、日本にいる者が「出て行って欲しい」などと言う権利はない。伝えられる現地の温かさと、伝える側の冷たさの対比は、そのまま彼我の「貧困者へのまなざし」の落差である。

 さて彼は現地で人気者とは言え、もともとは「観光目的」での入国だそうだから、観光ビザの期限が来れば出ていかなければならない。本人の希望通り南米に行ければそれに越したことはないが、寒風の吹く日本へ帰国することになるかもしれない。日本ではまともな雇用のイスを減らしておいて、イスからあぶれた者を徹底的に差別し排撃する。「41歳フリーター」を「友達」として受け入れる素地はこの国にあるだろうか。・・・・やるせない。
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# by mahounofuefuki | 2008-11-25 21:18

「政治ブログ」雑感

 弊ブログはよく「政治ブログ」と呼ばれるのだが、もともとは気になるニュースについて考えたことを書くという、よくありがちな体裁で始めたもので、当初は別に社会問題や政治問題に限定していなかったし、特にこれという意図もなく続けているので、書いている本人は「政治ブログ」という自覚はない。とはいえ過去のエントリを読み返すと、なるほどこれは「政治ブログ」と言われても仕方ないなと認めざるをえないのも確かで、かと言って今さら方向性を変えることもできず、だらだらと続けているのが実情である。

 実を言うと自分でブログを始めるまでは、他人のブログをあまり読んでいなくて、始めてから必要に応じてアンテナを広げたり、トラックバックのやりとりを繰り返しているうちに、いつのまにか「左派」とか「市民派」とか「リベラル」(「左翼」と「リベラル」は本来相対するので一緒にされるのは変な話だが)とか称される一群の片隅に辿り着いていたのであって、いわば受け身の形で「政治ブログ」界隈に生息していると自分では思っている。その過程で尊敬すべきいくつかの優秀なブログに出会うこともできたが、一方でブログを続けるにつれて、「左派」「リベラル」系ブログシーンに違和感を覚えることも増えてきた。

 その違和感はおおむね3つある。第1は、「小さな政府」「大きな政府」をめぐる認識の相違で、反自民を称しながら新自由主義者ばりの歳出削減政策に与する者が少なくないことである。福祉国家とか社会民主主義を志向しながら財政出動に否定的というのは、ヨーロッパでは考えられない。最近も欧州社会党(PES)が雇用創出のための公共投資増加を提言していたのと対照的である。

 第2は、民主党に対する姿勢である。反自公を標榜するブログの大半が民主党への政権交代を程度の差こそあれ支持しているが、現在の民主党は主に官業切り捨てを中心とする歳出削減による財源捻出という「構造改革」路線を踏襲し、他方で再分配効果を弱める消費税増税を容認、さらに安全保障政策においては集団的自衛権の行使に積極的で、自衛隊の恒久派遣法も自民党以上に推進しているという、決して見過ごすことのできない問題を抱えている。しかも、この1年余りだけでも最低賃金法、労働契約法、公務員制度改革、宇宙基本法など政府案に抵抗すべき課題で自公と歩調を合わせており、事実上「自公民」協力体制になっている。本当にそれでよいのか?という疑問が拭えない。

 第3に、いわゆる陰謀論が浸透していることである。何かと「ユダヤ資本が・・・」とか「フリーメーソンが・・・」とか言い出したり、地球温暖化はデマだとか、9・11は自作自演だとか、疑似科学的思考が相当はびこっている。これらはわかりやすい例でさすがに少数派だろうが、ほかにも例えば「年次改革要望書」をあたかも「黙示録」のように扱っている例は少なくない。確かに「要望書」は問題なのだが、影響力という点ではむしろ日本経団連とかの財界団体が普段出している意見書類の方がよほど重要なのではないかということである。「裏」ばかりに気を取られて「表」の重要物件をスルーするのは、陰謀論的思考への嗜好に起因する。また過度の被害妄想も見受けられる。この問題については、過去の弊ブログでも時に根拠薄弱な推論を提示したことがあるので自己批判を含むが、正直なところちょっと度が過ぎてやしないか?と思うことが多々ある。

 ほかにも私は当事者ではないが「わけわかめ」なことを見ることは多く、実はしばらく前から嫌気がさして、過去にトラックバックをもらった所を含む「政治ブログ」を巡回先から大幅に外し、研究者や専門家、あるいは私とは考えが異なるがきちんとした論を展開しているところをむしろ読むようにしている。今までも独立独歩で書きたいことを遠慮せず書いてきたつもりだが、もう少し党派的言説や「政治ブログ」的言説にとらわれず、マイペースで書きたいと思う。このところブログを連日書くのが肉体的に辛くなっているので(もっと本も読みたいし)、更新頻度もペースダウンして気ままに書こうとも思う。

 なんかまた敵を増やしそうな文章になってしまった・・・。
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# by mahounofuefuki | 2008-11-24 00:06

いいかげん「キャラの立つ指導者」に期待してはならない

 麻生太郎首相の失態が続いている。「給付金」の迷走、国会答弁等での相次ぐ漢字読み間違い、これまでの政府の医師数抑制政策を無視して医師不足を医師側に転嫁した上に中傷した放言、PTAの親たちを前に当の親を侮蔑した発言、道路特定財源の地方交付税化をめぐる二転三転。元々首相就任前から無責任な「思いつき」と失言・妄言・暴言の類が多いことで知られていたのだから、今さら驚くことではない。すでに就任直後に、集団的自衛権行使を容認する発言をしたり、国会の所信表明演説で「臣」を自称するアナクロニズムを発露していたくらいで、失態が今になって際立つようになったのは、単にこれまで麻生批判を抑えていたマスメディアの「風向き」が変わったからにすぎない。

 今週発売の『週刊新潮』『週刊文春』がともに麻生首相を嘲笑する見出しをトップに持ってきたのは象徴的である。保守系週刊誌でさえ麻生氏を見限ったということである。やはり右傾色の濃いJ-CASTも今日麻生氏を「満身創痍」と突き放す記事を配信した(*)。元来自民党内の支持基盤の弱い麻生首相にとって、頼みの綱は大衆の「人気」と保守的ナショナリズムであったが、前者は「自爆」としか言いようがない失態の連続で名実ともに色あせ、後者は政権維持のためには戦争責任に関する「村山談話」を継承し、「トンデモ空幕長」田母神俊雄氏を更迭し、国籍法改正の既定路線を許容するほかなく、それが結果として的外れな「期待」を麻生氏に寄せていた右翼層の鬱屈を高めている。麻生内閣は早くも「末期症状」の気配すら漂っている。
 *J-CASTニュース:「読み間違え」「軌道修正」「失言」 麻生首相の「満身創痍状態」
  http://www.j-cast.com/2008/11/21030808.html

 明らかに首相として不適格だった麻生氏がその座に就けたのは、自民党にとって「選挙の顔」になるというただ1点のためであった。つまり麻生氏の自己演出が大衆の求めるリーダー像にマッチしていたと(少なくとも自民党内では)考えられたのである。実際福田内閣の時分においては、世論調査では麻生氏は小泉純一郎氏と並んで人気は高かった。その理由も「実行力」「指導力」が期待できそうというもので、「果断で改革に邁進し、大衆が嫌悪感を抱くものと闘う指導者」像が仮託されていたのである。そして、輿望を担って首班の座についたが、麻生氏は大衆の期待には全く応えることができなかった。

 ここで問題になるのは、そもそもこの国のマジョリティが望む「果断で改革に邁進し、大衆が嫌悪感を抱くものと闘う指導者」というものが、実は当の大衆にとって利益をもたらさないという事実である。

 人々は小泉純一郎氏に腐敗した既得権益の解体に果断に取り組むことを求めた。しかし、その結末は「庶民の既得権益」の破壊であり、もともと十分ではない社会保障を崩壊させ、大企業と富裕層への利益供与を増しただけだった。次に人々は安倍晋三氏に果敢な指導力を期待した。なるほど安倍内閣は憲法改定のための国民投票法や改定教育基本法を暴力的に強行した。それはある意味大衆が望んだ「抵抗勢力と闘う実行力」の発露ではあったが、それは大衆の生活に何ら寄与するものではなかった。しかも、当の安倍氏は「坊ちゃん」の馬脚を現し、自己を「強い指導者」として偽ることに心身が持たず、壊れてしまった。もうキャラクターに惑わされるのに懲りたと思いきや、今度もまた麻生太郎氏に「何かを壊してくれる実行力」を求めた。その間、一向に大衆の生活は良くならず、むしろ苦しくなる一方である。

 いいかげん学習しなければならない。話す内容や過去の政策・政治行動を無視して、単に表層的に「面白い」「かっこいい」というイメージで指導者を選ぶととんだしっぺ返しを食らうことを。口のうまさや見た目の威勢の良さは一般の人々には何ら利益をもたらさないことを。「強い指導者」がスケープゴートとして用意した「イヤなやつ」をいくら攻撃しても、自分が救われることはないことを。「麻生」という偶像は倒れたが、懲りずにまたしても似たような「目立つキャラ」に期待しても、必ず裏切られる。キャラではなく、話の中身と具体的行動から「自分の生活上の利害を代弁しうる者」を模索することが何よりも有権者に必要なことである。

 以前言及したように、麻生内閣は失政が続いても延命する力学が働いている。しかし、それも次の衆院選までで、今後政権が迷走を続ければ、自民党は形振り構わずまたしても首をすげ替えることもありえよう。奇しくも今日、その伏線が報道されている。

 東国原知事:国政転身の条件は「初当選、初入閣」・・・講演で(毎日新聞2008/11/21 19:40)*web魚拓
 http://s04.megalodon.jp/2008-1121-2246-14/mainichi.jp/select/today/news/20081122k0000m010051000c.html

 「なるからには閣僚か、トップ(首相)です」と野心を包み隠さないタレント知事。総選挙が延びるほど彼の衆院選出馬、首班候補擁立の可能性は高くなるだろう。非議員で党首となり、衆院当選1回で首相になった細川護煕という先例もある(そう言えば細川氏も知事だった)。この国の大衆はまた同じ失敗を繰り返すのか。いいかげん懲りて、じっくり政策を見極める目を持てるか。長らくふざけた状態が続く日本の憲政の正常化の試金石は、キャラクターを売りにする政治家を拒絶できるかどうかにかかっている
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# by mahounofuefuki | 2008-11-21 23:11

相続税強化見送りの怪

 自民党税制調査会が来年度税制改正での相続税強化を見送る方針を決めたという。

 相続税:課税強化見送り 景気悪化に配慮(毎日新聞2008/11/20 02:30)*web魚拓
 http://s04.megalodon.jp/2008-1120-2048-47/mainichi.jp/select/seiji/news/20081120k0000m010137000c.html
「しかし、秋以降、景気が一段と悪化。麻生政権が『景気最優先』を掲げていることを踏まえ、自民党税調は『相続税も当面、(税収を上下させない)税制中立でいくしかない』(幹部)との判断を固めた」

 貧富の差を本当に縮小するためには、所得の再分配のみならず、資産の再分配が必要なのは言うまでもない。いわゆる「結果の平等」を考慮せず、「機会の平等」を重視する立場であっても(いやむしろそういう立場こそ)、「競争」のスタートラインを等しくするために、相続税は強化しなければ辻褄が合わない。現在最大の社会問題である貧困の再生産の是正策として、相続税の増税は避けて通れないはずだ。

 ところが自民党は「景気対策」のために相続税の課税ベース拡大を行わないという。全く不可解な理由づけである。なぜ相続税を据え置くことが景気対策なのか。景気が悪いから企業への課税を弱める、というならまだ理解できるが(ただし実際は金融危機だ減益だと騒いでいても、大企業に関しては依然として内部留保を相当抱えているので、応能原則により法人税や保険料の企業負担分を減らす必要は全くないが)、死亡した個人の資産継承への課税を弱めても、相続後の「二世」が有効な経済活動を行うかどうか全く不確定である以上、景気を左右するようなことにはなりえない。

 本当のところは一連の金融危機で金融資産が目減りした富裕層の単なるエゴであって、どさくさに紛れて「景気対策」という名目でごり押ししているのだろう。雇用の保護規制緩和、公共投資・公務員の削減、法人税減税、教育・医療の民間委託推進など市場原理主義的政策を要求したOECDの「対日経済審査報告書」でさえ、「死亡件数の4%しか課税されない相続税を強化する」ことを求めていたことを想起すれば、今回の自民党の判断の特異性が浮かび上がる。

 税制をめぐっては専ら再分配効果のない消費税の増税ばかりが議論され、相変わらず直接税は蚊帳の外に置かれている。所得の捕捉が難しいというような技術問題は、再分配機能の強化と言う正当な大目的を否定する根拠にはならない。特に相続税は「金持ちの子は何もしなくても金持ち」という不条理を修正するために絶対に強化しなければならない。残念ながら自民党のみならず野党も含め、ほとんどまともに議論されていないが、理論上は相続額2000万円以上に100%の相続税を課すと国の歳入を全て賄えるという試算(*)すらある以上、政治課題に載せるべきである。

 *消費税論議を吹き飛ばす、相続税改正の大きなパワー/SAFETY JAPAN [森永卓郎氏]
  http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/122/
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# by mahounofuefuki | 2008-11-20 20:53

「あいつらなら殺して構わない」という「空気」と「いつか来た道」

 厚生省(厚生労働省)の元事務次官らに対する殺傷事件の件。今日の新聞はどれも浦和の事件と中野の事件を同一犯による連続犯行と推定して、元厚生官僚を狙った「連続テロ」と報じているが、そもそも本当に「テロ」なのか、目的が何なのか現時点では何とも言えず、ましてや現在進行の犯罪となれば普段以上に警察発表に対するリテラシーが求められるところであり、発言を慎むべきかもしれない。しかし、どうしても述べておきたいことがある。

 犯人が何者で何を目的にしているのかは不明だが、厚生官僚とその家族が標的されたのは、一連の年金不安や相次ぐ不正に乗じたマスメディアによる「厚労省バッシング」が、厚生官僚を「攻撃してもよい公認の敵」に仕立てたことが影響しているのではないか、ということである。もちろん厚生省の年金制度設計や社会保険庁の不正は問題であり、ほかにも薬害問題や後期高齢者医療制度や生活保護抑圧などなど数えきれないほど矛盾を抱えていて、これをマスメディアが批判的に取り上げるのは当然で、むしろ私は批判を推奨しているくらいである。しかし、マスメディア、特に決定的な影響力のあるテレビのワイドショーや「政治バラエティ」番組はひたすら不安を煽り、官僚に人格的攻撃を浴びせるだけで、ただ大衆の鬱憤のはけ口を提供していたにすぎなかった。

 政治構造や制度に対する冷静な分析を無視して、単に「天下り官僚」を排除せよとか、「官から民へ」とか、公務員への嫉みを煽る言説が、キャリア官僚に対し「あいつらなら殺して構わない」と考えさせる「空気」を社会に醸成させているのではないか。以前、日朝首脳会談を実現させたと言われる外務省高官に対するテロがあった時に、東京都知事の石原慎太郎氏が「やられて当然」と言わんばかりにテロを擁護したが、あの時と同じ「論理」を高級官僚、特に厚生省に対し適用する者がいても不思議ではない。

 もう1点。前述のように実際のところは政治的テロなのかどうかは不明だが、「元高官の暗殺」という事態はどうしても1930年代に相次いだ右翼によるテロを彷彿とさせる。最近の「田母神問題」が戦前の軍部の政治介入と思想的偏向を彷彿とさせたことと併せて、嫌でも「いつか来た道」を意識せざるをえなくなる。過剰に過去の例を引き合いに出して社会不安を高めるのはかえって危険であるが、当時以来の世界恐慌が囁かれる中で、今後貧困と不安の拡大に対する鬱屈がますます暴力的に噴出する恐れはなきにしもあらずである。それが誤った方向で発揮されるのを危惧する。

 いまだよくわからない事件についてこれ以上語るのは控えたい。私は根がネガティヴなので、必要以上に事件に意味を与えてしまうのだが、少なくともバッシングが人々の悪意を高めていることは改めて強調しておきたい。
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# by mahounofuefuki | 2008-11-19 17:23