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「トンデモ空幕長」爆発!

 沖縄戦「集団自決」訴訟の控訴審が大江健三郎氏・岩波書店側の勝訴に終わって安堵していたところに、とんでもないニュースが目に入ってびっくり仰天した。航空自衛隊の制服組トップである航空幕僚長の田母神俊雄氏が、懸賞論文で「侵略、植民地支配を正当化する歴史認識を示し、憲法にも異を唱えるような」主張を行い、しかもその論文が「最優秀賞」を受賞したという(共同通信2008/10/31 19:48)。

 問題の懸賞は「アパグループ」の第1回「真の近現代史観」懸賞論文で、確かに最優秀賞受賞者に田母神氏の名があり、「日本は侵略国家であったのか」と題する論文がPDFファイルで出ていた。

 アパグループ 第一回「真の近現代史観」懸賞論文募集
 http://www.apa.co.jp/book_report/index.html

 主催者がアパで、審査委員長が渡部昇一氏という時点で、この懸賞のねらいは明白だが、実際のところ田母神論文は中国出兵合法論、張作霖爆殺事件や日米戦争のコミンテルン陰謀説、植民地善政論、日本による有色人種解放論と「おなじみ」の歴史修正主義・陰謀論言説のオンパレードである。論文というわりには注もなく、文章量も少なく、論拠に提示しているのが黄文雄、櫻井よしこ、岩間弘、秦郁彦、渡部昇一各氏らの著作で、秦氏を除いて歴史研究者ですらないところが失笑もので、論文どころか大学のレポートでも不可になりそうな代物である。

 とは言え歴史学に対する無知と無礼はともかく、「自衛隊は領域の警備も出来ない、また攻撃的兵器の保有も禁止されている」と不満を述べて、集団的自衛権の行使を実質的に求めているとなるとさすがに笑えない。現行憲法遵守義務を有する国家公務員として、文民統制に服する制服自衛官として、決して許される発言ではない。

 田母神氏と言えば、今年4月に名古屋高裁が自衛隊イラク派遣差し止め訴訟で違憲判決を出した際、記者会見で「そんなの関係ねえ」と発言して物議を醸した人だが、ほかにも暴言や問題行動を引き起こしている。

 昨年5月のクラスター爆弾禁止プロセスのリマ会議に関し、「不発弾による(日本人の)被害も出るが占領される被害の方が何万倍も大きい」と発言し、各国の参加者から厳しい批判を浴びた(毎日新聞2007/05/26 11:18)。軍事行動を優先するためには自国民の犠牲も厭わないという姿勢は、戦前の軍国主義と何ら変わらない。

 今年1月30日には航空自衛隊熊谷基地での講話で、複数の国立大学総長経験者らを「脳みそが左半分にしかない人たち」と誹謗したという(田母神空幕長がまたまた暴言か - 『自衛隊員が死んでいく』暫定ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/jieijieitaitai/16673030.htmlによる)。そういう自分が「脳みそが右半分にしかない」と言われることを想定できないのだろうか。

 最近公表された昨年の政治資金報告書によれば、田母神氏を含む現職幹部自衛官7人が元自衛官の佐藤正久参院議員に政治献金を行っていたことも明らかになっている(MyNewsJapan 田母神空幕長ら自衛隊トップ7人に政治献金疑惑 自衛隊法違反か http://www.mynewsjapan.com/reports/924)。その法的・道義的正当性に疑念がもたれる。

 かの「そんなの関係ねえ」発言の時点ですでに更迭ものだったが、その後も悪びれずにこれだけ問題行動を繰り返しているのを放置しておいては、いくらなんでも政府の涸券にかかわるのではないか。自衛隊の要職者がこんな体たらくなのは、議会政治においても、国際関係においても有害でしかない。麻生太郎首相の首相就任後の姿勢とも齟齬をきたしている以上、今度ばかりは今までの問題行動をひっくるめて更迭するべきであろう。

 当の田母神氏は今春、東京大学の「五月祭」に招かれて講演した際に「将来リーダーとなる東大の学生の皆さんは高い志を持って燃えて欲しい。上が燃えないと組織は不燃物集積所になる」と述べたというが(産経新聞2008/05/24 16:42)、航空自衛隊を「不燃物集積所」どころか「火ダルマ」にしたくなければ、勝手に炎上している幕僚長にはご退場願うべきである。


《追記》

 ・・・という文を書いていたら、「dj19の日記」によると本当に更迭されたそうだ。当然の政治判断だろう。

 田母神俊雄・航空幕僚長「我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である」→即クビw – dj19の日記
 http://d.hatena.ne.jp/dj19/20081031/p2


《追記》

 リマ会議「で」という記述を、リマ会議「に関し」に訂正した。田母神氏は会議で発言したのではなく、記者会見で発言したのが、会議参加者の間で問題になった。推敲不足をおわびする。
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by mahounofuefuki | 2008-10-31 22:14

貧乏人による追加経済対策寸評

総額2兆円の定額給付
 貧乏人に必要なのは何よりも現金なので、減税よりは給付の方がましだが、一回限りでは「景気対策」としては無意味。富裕層にとってははした金で、これでカネが回るわけではない。中間層は貯蓄に回して金融資本を援助するだけ。貧困層にとっては借金の返済の足しには少なすぎ。カネをばらまいた所で解散・総選挙という魂胆も見え透いている。

雇用保険料の引き下げ
 前々から「骨太の方針」で予告されている雇用保険の国庫負担廃止の露払い。今回は「埋蔵金」で引き下げ分を穴埋めするとしても、その後は失業保険給付が削減されるのは必定。必要なのは保険料引き下げではなく、国庫負担の増額なのに。これから失業者がますます増えるのは確実な情勢だが、またひとつセーフティネットが滅ぶようです。

非正規労働者を正規化する企業への奨励金
 そんなはした金で正規雇用のイスを増やす企業なんてあるのか? こうしている間にも派遣社員の解雇が続出しているが、そういう現在進行形の問題への対策はない。企業に丸投げしないで、政府が公務員を増やして「氷河期世代」の貧乏人を優先採用すべし。

住宅ローン減税
 住宅を買える幸せな人々より、今日寝床のない人のためにカネを出してほしい。とりあえず保証人がいない人や敷金を払えない人のための信用保証を政府が責任をもって行うべし。公営住宅の拡充も必要。

金融機能強化法の復活
 健康保険料を滞納すると保険証を取り上げられ、年金保険料を滞納すると将来の年金給付はなくなる。それに引き換え銀行への予防的公的資金注入は、いわば保険料を支払っていないのに給付がもらえるようなもの。貧乏人にはさんざん「自己責任」=「自力救済」を強要しながら、銀行にはこのサービスぶり! せめて「注入」ではなく返済期限のある「貸出」にするのが本来の市場のあり方なのでは?

証券優遇税制の延長
 この期に及んで金持ち優遇策! 前に歳出削減路線の帰結としての「タンス預金」30兆円で言及したように、いくら優遇しても「将来の不安」が大きいほど投資には回らないのは実証済み。もう金持ちたちのギャンブルのツケを貧乏人が支払うのはたくさんだ。

高速道路料金引き下げ
 土日に限り1000円という発想の貧しさ。流通経済における輸送コストの軽減なら平日の方こそ重点的にやらないと駄目でしょう。いずれにせよ高速で遠出できるような身分ではない私にはどうでもよい施策だが。

3年後の消費税引き上げ
 これで「景気対策」のすべてを台無しにしてしまった自爆政策。引き上げ時期を明言した首相は麻生氏が初めてだが、ついにこの問題で不退転の決意を表明したというわけだ。弊ブログでは昨年来何度もしつこく指摘したが、消費税増税は貧困拡大の愚策であり、必要なのは富の再分配を強化するための直接税(所得税・法人税・相続税)の増税である。


 麻生内閣の追加経済対策を端的に評するならば「貧困対策には程遠く、景気対策ですらない、どさくさまぎれの金持ち救済政策」というところだろう。これでは貧困は拡大こそすれ、是正することはないし、そもそも麻生政権の視野には富裕層と巨大企業しか入っていないことが明示されたとも言える。政治における貧乏人の発言力を高めない限り(貧乏人の代弁者たりうる政党・議員を増やさない限り)、いつまでもこんな状態が繰り返されるだろう。

【関連記事】
消費税増税問題リンク集
非正規公務員の「ワーキングプア」化~貧困対策としての正規公務員増員政策の必要性


《追記 2008/10/30》

 「はてなブックマーク」で「税金の半分はトップ5%の富裕層が賄っていて、それを使って金持ちを救うのだから、そもそも貧乏人が俺たちにもっと寄越せと言うのは筋違い」というアホみたいなコメントがついていたが、その主張は「富裕層しか税を支払っていない」か、今回の対策の財源が「富裕層の支払った税だけ」でないと成立しないので全く論外である。そもそも貧困は自然発生ではなく、金持ちの経済活動自体が貧困を生んでいる以上、「被害者」たる貧乏人は「加害者」から補償を得る権利がある。「嫌なら金持ちに頭使ってのしあがれ」というに至っては、経済対策の話とは全く関係がなく(仮に私個人が金持ちになったところで景気が良くなるのか?貧困は是正されるのか?)、「頭使った」くらいで貧乏人の子弟が金持ちになれる社会だと本気で信じているとすれば、よほどおめでたいやつだ。お前こそそんなセリフはせめて本当に金持ちになってから吐けよ。
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by mahounofuefuki | 2008-10-30 21:11

「官僚主犯説」が財界の政治介入を促進する

 ずいぶん前から「政治改革」議論となると「官僚支配」の打破ということが叫ばれ、現在の「政権交代」論でも官僚の政策決定過程からの排除や民間人の登用を求めるオピニオンは多い。「世間」における公務員バッシングと併せて、あたかも官僚制さえ潰せば全てうまくいくというわけだが、果たして本当にそうなのか?

 この「官僚バッシング」について、法政大学教授の杉田敦氏が今月の『世界』で次のように指摘していた。私には至極納得できる内容だ。
 いまおっしゃったこととも関係してくるのですが、日本では従来は官僚が政策立案の中心になって、よくも悪くも官僚がやってきた。これに対して、とくにいわゆる90年代からの政治改革等の議論では、官僚支配から政治家中心へということが叫ばれ、選挙制度改革とか、内閣機能の強化が行われ、政治家、なかでも総理大臣に権力を集中させることは正しくて、官僚と言う、選挙で選ばれたわけではない人たちに政策機能をもたせるのはおかしいという話になった。これ自体は、もちろんそういう側面はあるし、官僚が独走するようなことはたしかによくない。
 ただ、官僚を独走させないためには、政治家がそれだけの政策機能を高めていく、あるいは政党中心で政策立案していく、そういうシステムをつくることが必要なのに、そちらはほとんど進まないで、官僚批判ばかりやっていたわけです。
 とくにこの数年は、官僚とか公務員を叩くことが主要な政治的なテーマになってしまっている。もちろん腐敗した官僚は叩かなければいけないし、必要な批判はしなければいけないのですが、ポジティブなかたちで、では、官僚中心でないならばどうするのか、それにはやはり政党とか政治家とかそれを支える市民の意識も含めて、大きく変わらなければいけない。それにもかかわらず、たんに官僚を批判すればいいという非常に瑣末な議論に陥ってしまっている。 (杉田敦の発言より、石田英敬・杉田敦「『政治』をどう建て直すか――メディアポリティクスの果てに」『世界』2008年11月号、p.132、太字強調は引用者による)

 実際、薬害を放置した厚生官僚とか、汚染米転売を黙認した農林官僚などはっきりと個人責任を問うべき例も少なくないのだが、問題はただバッシングを繰り返してはそれだけで自己満足に終始し、結局官僚制に代わる政策立案機能を全く確立できていないのが実情だろう。高級官僚を排除して、国会議員が直接行政の執行を指揮すると言っても、現実問題として全部合わせて数百人しかいない与党議員が中央行政すべてを仕切れるはずもなく、それを支える政党のブレーン機能はどの党も不十分である。

 杉田発言に付け加えるならば、「官僚バッシング」の帰結が、無能な議員による「政治主導」「官邸主導」と財界による政策決定過程への介入でしかないという現実を見過ごしてはならないことだ。前者に関しては安倍内閣がその典型で、公務員制度「改革」に熱心な一方で、「チーム安倍」なる無能なボンボン集団が政治をかき回したことは記憶に新しい。後者に関しては特に中曾根内閣の「行革」以来、財界人が政府の審議会や有識者会議などを通して直接政治に介入するようになり、また現場レベルでは大銀行や大企業のシンクタンクとの人事交流や「天上がり」も増大した。その最悪例が小泉内閣時代の経済財政諮問会議であったことはもはや誰も否定しえないだろう。

 近代日本国家の基軸は確かに官僚制であり、諸外国と比較して官僚の無責任は際立ってはいる。とはいえ現状では政財官三者の権力バランスの中で極端に官だけが弱まるのは、結果として他の二者を強化するだけで決して民衆の利益にはならない。特に「官」から「民」へという美名の実態は財界の政治介入である。官僚嫌いの人々は「官僚主犯説」をとりがちだが、私は「財界主犯説」で、一方で政治献金を通して大政党をコントロールし、他方で行政機構と直接人的関係を結ぶことで、巨大資本は自らの利益に沿った政策を行わせていると考えている。本当に必要なのは財界を政治から切り離すことである。

 最近の金融危機への対応や不況に伴う財政政策の転換、さらには衆院選の先送りに至るまで、政府はいずれも財界の希望に忠実に従っている。企業献金にどっぷりつかっている自民党ならば当然だが、民主党も相変わらず官僚制の解体を公約に掲げ、景気対策や金融救済では財界の歓心を買うことを与党と競っている。だいたい小沢一郎氏のブレーンは財界人ばかりである。民主党は財界を政治から切り離すどころか、官僚たたきに乗じて財界の政治介入を促進しそうである。

 財界批判なき官僚批判は危険であることを改めて強調しておきたい。
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by mahounofuefuki | 2008-10-28 20:01

橋下徹における「組合嫌い」と「体罰好き」の相克

 橋下徹という人は次から次へとエキセントリックな行動を繰り返しては衆目を集め、そのたびに自らを「世間の敵」や「空気の読めないやつ」と戦う「フツー目線」の代弁者を気取って人気を獲得しているのだが、またしても彼にとって格好の舞台があったようである。以下、読売新聞(2008/10/27 00:33)より。
 大阪府の橋下徹知事と府教育委員らが教育行政について一般参加者と意見を交わす「大阪の教育を考える府民討論会」が26日、堺市の府立大学で開かれた。

 訪れた教職員の一部から再三ヤジを飛ばされて興奮した知事が「こういう教員が現場で暴れている」「(日教組批判などで国土交通相を辞任した)中山成彬前大臣の発言はまさに正しい。これが教育現場の本質」と述べる一幕があった。

 また、子どもの指導方法についても言及した知事は、「ちょっとしかって、頭をゴッツンしようものなら、やれ体罰と叫んでくる。これでは先生は教育が出来ない。口で言ってわからないものは、手を出さないとしょうがない」と、体罰容認とも受け取れる持論を展開した。

 橋下氏の主張に従えば、要するに組合教師はダメで、体罰を行う教師はよいということになる。

 私は小学生の時に日教組の教師に体罰を受けたことがあるんだけど。

 ・・・と不快な記憶が蘇るが、「毅然と」体罰を行う教師が組合員の場合も多々あるわけで、その場合橋下氏はどう応えるのだろうか。「組合嫌い」を重んじて体罰を批判するのか、「体罰好き」を重んじて組合を支持するのか、聞いてみたいところだ。

 世間的には教職員組合=左翼=民主的=「子ども」中心と誤解されているが、元来左翼の教育論は「教師の指導性」と「子どもの平等」を何よりも重視する。子どもは学校教育を受けない状態では悪しき資本主義社会のイデオロギーの影響下にあり、それを正しく矯正するのが教師の役目というわけである。実際、私が大学で教職課程をとっていた時、講師で来ていた全教(日教組の連合加盟に伴い分裂した組合、共産党系の人が多い)所属の教師は、基礎的知識はすべての子どもに教え込まなければならないと力説していた。また、教職員組合で熱心に活動していた教師がしばしば生徒を懲罰として殴っていた例も見ている。ある意味「教師の指導性」重視の当然の帰結である。

 一方、これに対して文部科学省は1980年代頃から「教師の指導性」を軽視するようになり、「子どもの平等」を否定した「新しい学力観」が幅を利かせていた時期には、教師を子どもの「指導者」ではなく「支援者」と位置づけていた。よく「ゆとり教育」と俗称された時代の学校教育の特徴は、学習内容の削減もさることながら、何よりも子どもの「個性」や「意欲」を重視し、教師は子どもの本来の属性を引き出すのが仕事であるとされたことにある。極端な話、子どもが問題を起こしても、それは「個性」であって矯正されるべきでないとなってしまったのである。そして、当然の結果として教師の地位は低下した。教職員組合は当初から教師の指導性を奪う「改革」に抵抗していたのは言うまでもない。

 以上のような経過を知っていれば、橋下氏やその背後に控える「世間」が求める、問題のある子どもを時には力でもって押さえつけ、「モンスターペアレント」の介入も跳ね返すような「強い教師」像は、実は左翼系の教職員組合のもので、文部科学省やその背後にいる中山成彬氏ら「文教族」こそが「組合つぶし」を通して教師を弱体化させたことは自明なのである。橋下氏がいかに思い込みだけで矛盾した行動をとっているか明らかだろう。

 正直なところ学校教育に関しては橋下氏に限らず「外野」が口を出し過ぎなのが現状である(素人ばかり集めた安倍内閣の教育再生会議がその典型)。政府も教師の立場を弱める政策ばかり続けている。そうではなく、医療の世界で医師免許のない者が医療行為を行えないように、教育の世界でも教師や教育学者の専門性と独立性を回復し、教育内容や教育方法については専門家に委ねることが、学校教育再建の唯一の道だと思う。

【関連記事】
教育再生会議最終報告について
教育の「平等」をめぐる齟齬~和田中の夜間特別授業
「日本のがん」中山成彬が勝手に「ぶっ壊れる」
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by mahounofuefuki | 2008-10-27 20:22

福祉国家の「あり方」と「道筋」をめぐる問題

 サブプライム問題に端を発した金融危機により、世界的に新自由主義の凋落が決定的になっているが、問題は世界恐慌以来とも言われる大型不況のために、結局はまたしても貧困層ほどダメージを受けそうなことで、それを最小限に抑えるためには早急な富の再分配と社会保障の再構築が必要である。

 貧困を解決するために、以前から私は福祉国家路線への転換を求めてきたが、新自由主義が終焉を迎えつつある以上、今後の焦点は福祉国家の「あり方」と「道筋」をめぐる問題に移らねばなるまい。その場合、忘れてはならないのは、過去の欧州の福祉国家路線がなぜ破綻し市場原理主義に敗れたのかという点で、福祉国家そのものに内在する構造的弱点を克服しない限り、ポスト新自由主義時代に福祉国家を蘇らせることは難しく、同じ失敗を繰り返すことになりかねない。

 福祉国家の構造的弱点と破綻の経過については、西川潤氏の次の指摘が非常にわかりやすい。
(前略) 従来、福祉は国家が担当していた。つまり、国内の貧富の格差、破産、失業など不平等が増大し、社会不安や社会紛争が起こるのを避けるために、政府が公共政策を通じて福祉政策をとってきたのである。しかし、グローバリゼーション時代になって、政府のこの役割が破綻することになる。「福祉国家の破産」である。これには二重の要因がある。
 一つは1973年の石油ショックに始まる南北関係の修正である。
 福祉国家はもともと南北の国際分業体制の上に利益を獲得してきた先進国が、その利益に基づいて構築したのだが、石油ショックに始まる原燃料価格の修正、一次産品国の分配要求の高まりによって、南から北への余剰移転を用いて先進国の福祉をまかなうことが難しくなった。
 第二は、福祉国家の高齢化である。所得が高まり、人びとが長命化すると子どもをせっせとつくって子孫を維持する必要も少なくなる。高齢化と少子化はセットなのだが、少なくなる子どもが増大する高齢者を支えることはだんだん難しくなる。これに福祉国家を支える官僚機構が肥大して行政コストもかかる一方となってきた。
 こうして1980年代に「小さい政府」の必要性が叫ばれるようになり、福祉サービスも民営化されてきた。だが民家企業は営利目当てで運営しているので、福祉サービスはお金のある人でなければ受けられない事態になる。(後略) (西川潤『データブック貧困』岩波書店、2008年、p.43)

 第二の点の方は公民権の取得を前提とした移民の増加で人口減には対応できるし、高齢人口はピークを過ぎれば減っていくので何とかなる問題だが、第一の指摘は決定的な弱点を突いている。つまり、20世紀の西欧・北欧型福祉国家は国際的な南北格差の存在を前提とし、「南」から「北」への富の転移(「南」からすれば収奪と言うべきだろうが)があってはじめて成立したということである。現在も国際的な分業体制自体は継続し、むしろ強化されている面もあるが、かつての「南」側から新興工業国が次々と出現している中で、従来のままの構造の福祉国家がそのまま復活することは難しいし、するべきでない。この点をどうするのか。

 もう一つ。福祉国家へのプロセスの問題がある。以前も消費税のエントリで言及したことがあるはずだが、福祉国家の「高負担・高福祉」は理論上は国家のすべての構成員が負担に耐えられるだけの所得を有していることが必要となる。そのためにはまず徹底した所得再分配を通して平等状態を形成することが必要だが、一方で富を手放したくない既得の支配層にとっては、負担に耐えられない弱者を切り捨てて、国家内で「高負担・高福祉」層と「低負担・低福祉」層を分断した方が手っ取り早いことになる。

 かつて北欧諸国で福祉国家草創期に障害者や少数民族などマイノリティに断種を施し、人為的に「均質な国民」を形成しようとしたことがあるが、同様に現状の貧乏人を排除して「現時点で税を負担できる人々」だけで「福祉国家」を形成する可能性なきにしもあらずである。今後は単に福祉国家の可否ではなく、福祉国家への道筋を巡る階級間対立が顕在化し、雇用待遇差別問題のように、中間層と貧困層の対立が煽られて、結局富裕層が漁夫の利を得るような危険もありえよう。

 もはや福祉国家に転換すべきかどうかという議論の段階は終わり、今後はどうすれば福祉国家を実現し維持しうるのかという問題が重要となろう。私は「素人」の分をわきまえずに「対案」を出さないと無責任だと言うような恥知らずではないので、ここでは批判と問題提起にとどめ、後は専門家の議論を待ちたいところである。

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by mahounofuefuki | 2008-10-26 16:56

天皇在位20年記念「祝日」と「嫌な予感」

 現天皇の「即位の礼」から20年目にあたる2009年11月12日を臨時の祝日とする法案が準備されているという。今月16日に設立された超党派の「天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟」が議員立法を目指しており、すでに自民党は22日に内閣部会が法案を了承、民主党や公明党も近く党内手続きを済ませるという(時事通信・内外教育研究会2008/10/22 10:24など)。議連には共産党と社民党を除く全会派が参加しており、早期成立は確実だろう。

 1970年代以降、これまで天皇在位の節目ごとに政府は天皇の在位記念行事を行ってきた。1976年の昭和天皇在位50年、1986年の同60年、1999年の現天皇在位10年のいずれも記念式典が開催されている。同時に財界人を中心とする民間の「奉祝委員会」が祝賀行事を行うのも慣例化しており、特に1999年の時は芸能人を招聘した皇居前広場での式典が話題になったのを記憶している人も多いだろう(原武史「在位記念式典」『岩波 天皇・皇室辞典』岩波書店、2005年より)。今回もすでに日本経団連の御手洗冨士会長を名誉会長、日本商工会議所の岡村正会頭を会長とする「奉祝委員会」が設立されており、在位記念行事の事業計画も決定している(産経新聞2008/06/05 19:51など)。

 故に即位20年の祝賀行事が行われること自体は「予定調和」で不思議でも何でもないが、当日が臨時の祝日となるのは今回が初めてである。過去の記念行事は、こう言っては何だが、興味のない人は完全スルー可能で、平日の場合はわざわざ仕事を休んでまで参加するのはよほどのモノ好きだけだったが、祝日となると否応なく「天皇の存在」を意識せざるをえなくなる。新自由主義改革を通した貧富の差の拡大により日本社会の亀裂・分断が深まっている現状を「見せかけの国民統合」で糊塗し、天皇制を軸としたナショナリズムを再興することで「国民意識」を強化しようという政府と財界の意図は明らかだが、逆に言えば従来には無かった「休日」という「エサ」を与えないと大衆の祝賀ムードを調達できそうもないのが現実だとも言えよう。

 昨今の天皇制を巡る議論の特色は、かつての左右の対立軸が崩れ、左翼サイドが日本国憲法擁護の戦略的要請から象徴天皇制の現状維持を容認する一方、右翼サイドは皇室典範改正問題で分裂状況を示し、さらに皇位継承者たる男子を出生できなかった皇太子夫妻に対するバッシングを行うという「ねじれ」現象が起きている。皇位継承予定者の先細りとともに、本来の支持基盤の不安定化は天皇制を危機状況に陥れているとさえ言えよう。ただしその一方で、政治的には「日の丸」「君が代」の強制が進み、天皇制の可否を議論する自由は公的領域で完全に失われているのも事実である。今後経済危機が深刻化すれば、来年は祝賀どころではなくなり、在位記念の「茶番」自体が天皇制に対する鬱屈を噴出させることもありえよう。天皇制のタブーが強まるか、それとも自由な議論への転換点となるか一大焦点となるかもしれない。

 ところで「嫌な予感」がするのは、天皇在位20年記念で臨時祝日だけでなく、もしかすると「恩赦」が行われるのではないか?ということだ。在位記念での恩赦は前例がないはずだが、次期衆院選で厳しい戦いが予想される中で、選挙違反者を減刑するために実施されるのではないかと危惧している。近年の恩赦は死刑が無期懲役に減刑されるようなことはほとんどなく、大半が執行猶予期間の短縮や公民権の復権などである。あらかじめ恩赦を想定すれば、運動員や関係者に違法行為をさせやすくなるだろう。自民党も民主党も公明党もこの点では利害が一致する。いささか陰謀論めいた憶測ではあるが、あながち杞憂とも言えまい(政令による恩赦は内閣の専権事項なので実施時期の可否を法で規制できない)。そんな裏取引が行われていないことを祈るばかりだ。
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by mahounofuefuki | 2008-10-23 22:56

インド洋の給油支援と朝鮮への重油支援~ちぐはぐな日本外交

 インド洋での海上自衛隊の給油支援活動を延長するテロ特措法改正案が衆議院を通過した。報道によれば、参議院では2日間の委員会審議で採決し、今月30日にも衆院再議決により成立するという。河村建夫内閣官房長官が「今回は民主党の理解、戦術もあった」と指摘したように(共同通信2008/10/21 17:25)、民主党が昨年とは打って変わって事実上抵抗を放棄したことで、給油延長は確実になってしまった。

 言うまでもなく海自の給油活動はアフガニスタンにおけるアメリカ軍などの軍事行動の兵站支援であるが、現行の憲法解釈との整合性や日本の外交・安全保障上の必要性において重大な疑念があり、本来国会で徹底的に審議しなければならない問題である。インド洋派遣以来、海自の不祥事が多発していることとの関係も追及しなければならない。しかし、今国会では自民・公明・民主各党の「阿吽の呼吸」により極めて不十分な結果になりそうである。

 早期解散のためには仕方ない、民主党政権になればすぐに活動は中止になるだろう、などという考えは甘すぎる。小沢一郎氏はまるで所信表明のようだった今国会の代表質問でも「日米同盟」の堅持を声高に強調しており、今回の措置も「民主党政権」が日米軍事一体化路線を変更する意思がないことを内外に示して、財界やアメリカ側に「安心」を与える目的があったと見るのが自然である。万に一つ給油を中止しても、今度はアフガン本土への自衛隊派遣や恒久的な自衛隊派遣を可能にする新法制定という代替政策を採るだろう(*)。民主党への政権交代を期待する人々には日米安保体制の強化に批判的な人も少なくないはずだが、本当にそれでよいのだろうか?

 *ちなみに20日の衆院テロ対策特別委員会で民主党政調会長の直嶋正行氏は、国連憲章第42条の場合であれば海外での武力行使は可能とする見解を示し、「そういう方針にもとづいて政権を担当させていただければ、作業に着手するということになる」「状況によって憲法解釈を変えることはある」と明言した(しんぶん赤旗2008/10/21)。いよいよ馬脚を現したと言えよう。

 安全保障問題ではもう1つ注意を要するニュースがある。日本政府は朝鮮に対するエネルギー支援をオーストラリア、ニュージーランドなどに肩代わりしてもらう方向で外交調整しているという。「これまでにオーストラリア、ニュージーランドが1000万ドル(約10億円)ずつ、合わせて重油3万トン余りに相当する資金提供を伝えてきた。英国などとも調整中で、それでも足りなければ米国と韓国も拠出を検討する」(共同通信2008/10/21 18:35)という。

 もともとこの重油支援はアメリカ政府が要請していたもので、これを蹴ったのは皮肉にもアメリカ追従が「宿命」ではなく、日本政府にやる気さえあれば独自の外交政策を行いうることを証明しているが、それはさておき、一方で日本の安全保障上喫緊の脅威とはとても言えないアフガンでの「テロとの戦い」には、「米国の、米国の油による、米国のための無料ガソリンスタンド」というまるで封建時代に家来が殿様に提供した「軍役」のようなサービスを行い、他方で目の前の脅威である朝鮮の「核」を廃棄させるためのプロセスに必要なエネルギー支援では、諸外国に「肩代わり」させるというのは発想が逆転している。

 単純にパワーポリティクスの観点に立っても、6カ国協議に参加していない国々が重油支援に加わることで、朝鮮問題に対する発言権を強めることになり、しかも日本がこれら諸国に「借り」を作ることは決して得策ではないはずだ。日本政府は相変わらず拉致問題を理由に「圧力」という名の「何もしない」路線を続けているが、アメリカ政府の「テロ支援国家」指定解除の件を持ち出すまでもなく、とっくに拉致問題は現実の国際政治においては日朝2カ国間限定の問題であり、もはや拉致問題を核問題に連動させても無力である。しかも「肩代わり」によって朝鮮は結局予定通りの重油を受け取る。キム・ジョンイル政権は重油を受けるにあたって日本に「借り」を作らずにすみ、拉致問題でカードを切る必要が減退するのである。

 インド洋での給油支援と朝鮮への重油支援という2つの「油」に関する日本政府のちぐはぐなリアクションが示しているのは、外交のリアリズムの欠如である。この体質は政権交代程度ではとても治らないだろう。

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進む自公民談合・協力体制~インド洋給油活動延長を黙認する民主党
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by mahounofuefuki | 2008-10-22 00:30

よみがえる「世直し一揆」

 19日に東京・新宿の明治公園で「反貧困ネットワーク」主催の「反貧困 世直しイッキ!大集会」が行われた。以前、弊ブログでweb記事をまとめた「青年大集会」もそうだったが、地方在住の私はこの手の催しには参加できず、しかも今回はまだ動画も観ていないので、集会の内容については言及しようがない。ただ「氷河期世代」で先の見えない貧乏人の1人として、とにかく貧困の解消に社会を上げて取り組んで欲しいという思いは共有しているだけに、こうした動きをどんどん広げなければと思っている。

 ところで、私が注目したいのは「世直しイッキ」という名称である。ついに現代の貧困は、その撲滅のための運動に前近代の言葉を用いざるをえないところまで来てしまったことを深刻に捉えざるをえない。「世直し」とは主に江戸時代に「救済」「解放」を求める民衆意識を表現する言葉として登場した。「イッキ」=「一揆」とは中世・近世における人的結合や団結行動を指す。そして「世直し一揆」とは幕末期、開国に伴う経済危機に際して百姓らが生存を賭けて闘った幕藩権力との闘争である。いずれも近代社会では「過去の言葉」であり、特に第二次大戦後は限りなく「死語」に近かったとさえ言えよう(小田実の「世直し」論とかはあったが)。

 そんな「世直し一揆」が現代に蘇ったのは、現代の貧困状況に際して「我々の苦境をリアルに表現している文学は何か」と探した時、『蟹工船』まで遡らねばならなかったのと同様に、「我々の貧困に対する怒りと変革への要求を表現する運動形態は何か」と考えた時、近代的な市民運動や政治運動ではいまいちマッチせず、江戸時代の「世直し」まで遡らなければならなかったということを意味する。

 「反貧困ネットワーク」代表の宇都宮健児氏は「税金の軽減などを求め農民が決起した秩父困民党を模し、たすきにはちまき姿」で「むしろ旗にペンキで『反貧困』と書いてアピール」していたという(しんぶん赤旗2008/10/20)。秩父困民党は、通説では自由民権運動の最もラディカルな形態と評されているが、実際は近代化を前提とした国民国家形成を目指した自由民権運動とは一線を画しており、むしろ近世の百姓一揆の終末形態であったとする学説の方を私は支持している。「反貧困」のプロトタイプを「前近代最後の闘争」たる秩父困民党に求めたのは、逆説的に自由民権以降、特に「戦後民主主義」の言説や身体表現では「反貧困」を社会に訴えるのに十分ではないことを象徴しているのではないか。

 今回の「世直しイッキ」には「垣根を越えて、つながろう」というサブタイトルが付いていた。なるほど近代的な労働争議や市民運動が常に党派間対立や裏切りや妥協を孕み、何よりも時代が進み経済的に豊かになるにつれて民衆のナマの生活要求から、より洗練された政治行動へと昇華することで「プロ市民」化したことと比べると、地域の貧農や日雇い層や雑業層など社会の周縁に押し込められた人々が広範に結集した前近代末期の一揆こそ、まさしく「垣根を越えて、つながった」闘争と言えるだろう。幕末・維新期の一揆には博徒とかヤクザのようなアウトサイダーが参加した例も少なくないほどカオスな状況だった(秩父困民党の代表者も博徒だった)。そしてその要求は「悪税をやめろ」「借金を帳消しにしろ」「「米よこせ」というような生活に即した具体的なものだった。

 もちろん「反貧困」運動自体は客観的には戦後の社会運動の系譜上に位置するし、当時と現代とではその背負っている歴史が異なる以上、そのまま「世直し一揆」を移植することなどできない(何より勝利例は信達一揆などわずかである)。とはいえ少なくとも言説において蘇生した「世直し一揆」は、既成の各種の社会運動が必ずしも現代の貧困に対応できていない状況を照射するとともに、今後貧困解消を目指すための方法論と方向性を指し示しているのではないかと思う。歴史に学ぶとはそういうことである。

【関連リンク】
写真速報:反貧困イッキ!大集会に2000人 - レイバーネット
http://www.labornetjp.org/news/2008/1019shasin/
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by mahounofuefuki | 2008-10-21 00:14

朝日新聞と橋下徹のダブルスタンダード

 大阪府知事の橋下徹氏が陸上自衛隊の記念行事の祝辞で、「人の悪口ばっかり言ってるような朝日新聞のような大人が増えると日本はダメになります」と述べたことが物議を醸している。光市母子殺害事件被告弁護団に対する懲戒扇動訴訟の一審判決にあたり、朝日新聞2008年10月3日付社説が橋下氏を批判したことへの「反論」だという。

 問題の社説は「弁護士は被告の利益や権利を守るのが仕事である。弁護団の方針が世間の常識にそぐわず、気に入らないからといって、懲戒請求をしようとあおるのは、弁護士のやることではない」「判決を真剣に受け止めるならば、控訴をしないだけでなく、弁護士の資格を返上してはどうか。謝罪が形ばかりのものとみられれば、知事としての資質にも疑問が投げかけられるだろう」という最近の朝日にしては珍しく真っ当な論説で、橋下氏の弁護士としての資質に疑義を呈した判決内容から敷衍すれば至極当然の批判である。これに対して、まさに「悪口」でしか反撃できないあたり、橋下氏の悪あがきが逆説的に露呈している。

 ところで、橋下氏は朝日を「悪口ばっかり言っている」と断定しているが、果たして実情はどうなのか。次の記事を紹介したい。
 大阪府茨木市の中心部から北に10キロほど行くと、巨大な橋梁が安威川沿いに何本も現れてくる。府が進める安威川ダムの予定地で、「新名神高速道路・高槻~神戸」の茨木北インターチェンジとつながる付替道路を水没地区に建設していたのだ。
〈中略〉
 もう1つの府営ダムである「槇尾川ダム」(和泉市)でも付替道路の工事が始まっていた。この川も「三面張りの堀に僅かな水が流れている程度。タクシーの運転手は「こんなところにダムを本当に作るのですか」と驚いた。
〈中略〉
 しかし知事直系の「改革PT」は6月にまとめた財政再建案で、府営の2ダムを「事業継続」としていた。「橋下知事はダム建設推進派」としか考えられないが、朝日新聞は「知事はダム見直し派」と印象づける記事を出した。「検証橋下徹③ まずい情報ほど公開」(7月30日の夕刊)は、こんな会話を紹介したのだ。

 「公開性を重視する橋下の姿勢には、前鳥取県知事の片山善博(現・慶應大学教授)の影響がある。6月25日、東京・三田の慶應大学に橋下の姿があった。(中略)2人はキャンパスを歩きながら、こんな言葉を交わした。
 片山『私、ダムをやめたんですよ』
 橋下『ぜひ、そのやり方を教えていただきたい』(以下略)」

 片山教授が知事時代に止めたのは「中部ダム」。県土木部は「護岸工事の147億円よりダム工事の140億円が安い」と事業を正当化していたが、知事は「嘘を言ったら情報公開条例で罰せられるぞ。試算をやり直せ」と迫った。〈中略〉当然、橋下知事も同じ話を聞いたはずだから、ダム中止の手法を記した面談記録を担当部に突きつけて再試算を命じたと思った。しかし、都市整備局河川室は予想外な答えをした。
 「片山前知事との面談記録は回ってきていませんし、知事から『鳥取県と同じように再試算をするように』といった指示はありません。単に個人的に会っただけではないですか。〈後略〉」 (横田一「橋下改革劇場の舞台裏 道路やダムにメスを入れない『改革派』」『世界』2008年10月号、p.p.95-96、太字強調は引用者による、一部改行、漢数字はアラビア数字に変換した)

 要するに、橋下氏が実際にはどうみても役に立たないダム事業を継続しているのに、朝日新聞は前鳥取県知事の片山善博氏との対話を誇張して、あたかも橋下氏がダム事業を見直しているかのような印象操作を行ったのである。「朝日は人の悪口ばかり」どころか「朝日は橋下の提灯持ち」と言われても仕方のない所業である。橋下氏にとっては残念ながら(?)、現実の朝日は橋下氏に対してある種のダブルスタンダードを用いている。

 もう1点、見過ごせない問題がある。橋下氏は「弁護士資格返上」の件について、「僕にも家族はあるし事務職員を抱えている。弁護士資格を返上したら従業員はどうなるのか」と語ったそうだが(朝日新聞2008/10/20 03:02)、まったく噴飯ものである。大阪の府立学校の非正規職員346人の解雇を決定したのは誰だったか? 医療費助成の切り下げを決定したのは誰だったか? 非正規職員にも医療費助成を受ける人々にも、橋下氏の家族や橋下事務所の従業員と同様に生活がある。「自分の身内」の困窮を想像できるのなら、「他人」の困窮も想像するべきで、それができない者には弁護士も知事も務める資格はない。

 とはいえ、今回も朝日を一方的に「サヨク」と決めつけ憎悪する右傾大衆には格好の「ネタ」で(私のような「左翼」からすると、朝日はせいぜい「中道」で経済的には「右」ですらあるのだが)、橋下氏の「釣り」行為はまたしても「成功」をおさめるだろう。学力テストの件といい、イモ掘りの件といい、大衆の「嫌悪感」を嗅ぎつけ「敵意」を煽る能力が天才的であることは認めざるをえない。何らかの奇策を用いることでしか橋下氏とその信奉者の暴走を止めることは難しいだろう。

【関連記事】
「橋下劇場」の原点としての光市事件懲戒請求扇動
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by mahounofuefuki | 2008-10-20 16:19

北海道ローカルの問題ではないアイヌ民族問題

 6月に国会が採択した「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を機に政府が設置した「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」が、今月13日から15日まで北海道を視察した。今回特に注目すべきは、札幌や白老(しらおい)で北海道ウタリ協会所属のアイヌと直接の意見交換を行ったことである。これまでの政府のアイヌ政策は肝心のアイヌ民族の意思を反映することなく行われただけに、これは画期的なことであろう。

 同懇談会は非公開原則で、今回の意見交換も事後の記者会見で概要が明らかにされたにすぎないので詳細は不明だが、札幌での意見交換ではアイヌ側から、樺太アイヌの「強制移住への謝罪と補償」の要求が出たり、「もっと多くのアイヌ民族が高等教育を受けられるようにしなければ、社会的、経済的格差はなくならない」「アイヌ民族の女性の声も、もっと聞いてほしい」などの声があったという(北海道新聞2008/10/14 07:07)。「アイヌ民族であることを周囲に隠して生活し、出身地や身体的特徴でアイヌ民族であることが分かって、差別を受ける人も多い」という話もあった(読売新聞2008/10/15)。白老では「もっと早くアイヌ民族を先住民族と認めてほしかった」「学校でアイヌ民族について学ぶ機会がない。民族意識を自覚できるような教育が必要だ」といった意見があった(毎日新聞2008/10/14 23:04)。

 電子版には上がっていないが、北海道新聞2008年10月14日付朝刊によれば、あるアイヌの出席者は「さまざまな思いが入り交じり」、途中で一時「あふれる涙に退席する」こともあったという。また、どこも報道していないようだが、北海道ウタリ協会の札幌支部長が「アイヌの有識者って何。懇談会のメンバーにアイヌのことを分かっている人も確かにいるが、全員とは言えない。先住民族の定義を云々するなら、有識者の定義も示してほしい」と有識者懇談会の人選への不信を示したという(*)。長年にわたる差別と排除、これまでの政府の姿勢、懇談会には明らかに不適当な門外漢(あえて誰とは言わないが)が含まれていることを考慮すれば、こうした不安や不信は当然であろう。
 *アイヌ有識者懇が道内初視察 - 毎日北海道北の実年のひとり言
  http://blogs.yahoo.co.jp/sinrin81024/44952887.htmlより。

 実際、北海道訪問最終日に同懇談会の佐藤幸治座長は記者会見で、全国に散在するアイヌの遺骨の返還や伝統儀式などの国有林利用については「短期的に解決できる」と示したが、生活支援の具体的な立法措置に関しては「具体的にどういう法律をつくるかは任務ではない」と消極的姿勢を示している(北海道新聞2008年10月16日付朝刊、太字強調は引用者による)。2006年に北海道庁が行った調査では大学進学率で2.2倍、生活保護率で2.5倍の格差がアイヌと住民全体の間にあり、これらの是正は必要不可欠のはずだが、依然として政府サイドはアイヌ政策を「文化振興」の枠にとどめているのである。

 もっと深刻なのは、現在可視化されているのが専ら北海道のアイヌに限られていることである。2006年の調査で北海道のアイヌ人口は23,782人とされているが、北海道外のアイヌについては人口調査もほとんど行われていない。東京都が1988年(20年前!)に調査を行ったのが最後で、当時約2,700人となっている。しかも注意しなければならないのは、これらはあくまで自らアイヌ民族としての帰属意識をもち、少なくとも調査に対して自らがアイヌであると名乗ることのできる人々の数だという点である。内心ではアイヌとしてのアイデンティティを有していても、差別や偏見を恐れて全く公にしていない場合や、アイヌとして生まれながらもアイヌであることを自己否定せざるをえなかった人々は統計には含まれない。

 以前、私は大学の先輩筋に当たる文化人類学者から、アイヌの人口が最も多いのは実は北海道ではなく東京都の可能性があるという推論を聞いたことがある。侵略的な同化政策のために北海道外へ移らざるをえなかったアイヌが相当数にのぼるという。こうした北海道外のアイヌの多くは可視化されていない。可視化されていないから生活状況や貧困・格差の存否も不明である。政府はこれまで専らアイヌを北海道「固有」の問題としてとらえているが、本当に先住民族としての権利の擁護を目指すのならば、日本全国に視野を広げなければならない。

 「単一民族」幻想や「万世一系」幻想を前提とする(それは同時に他民族に対する好戦的優越意識につながる)近代「日本人」のナショナル・アイデンティティを相対化し、「多民族国家としての日本」という現実を受け入れるためにも、先住民族アイヌとの共存確立は絶対に必要である。そのためには日本の住民の誰もが、ローカルな問題ではなくナショナルな問題としてアイヌ民族問題をとらえる視座を持つ必要がある。

【関連リンク】
私たちについて/アイヌの生活実態 - 北海道ウタリ協会
http://www.ainu-assn.or.jp/about03.html

アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会 - 首相官邸
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainu/index.html
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by mahounofuefuki | 2008-10-16 21:09