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非正規公務員の「ワーキングプア」化~貧困対策としての正規公務員増員政策の必要性

 弊ブログでは再三再四にわたり、「官の無駄遣い」というプロパガンダが行政機構の民営化・市場化を促進させ、結果として公的な社会維持機能を弱め、「貧困と格差」の拡大に加担していることを厳しく批判してきた。残念ながら肝心の左翼系の人々ですら「小さな政府」信仰が強く、私のような主張はほとんど軽視されているが、改めて行政のコストカットが何をもたらしたかを明示するニュースがある。

 共同通信(2008/09/29 21:00)より。
 自治労が29日発表した地方自治体職員の勤務実態調査で、臨時雇いや非常勤などの非正規職員が全体の27・8%を占めることが分かった。非正規職員の少なくとも67%は「年収200万円以下の官製ワーキングプア(働く貧困層)に該当する」とみられる。
 (中略)
 調査は、全自治体に6月1日現在の非正規職員数や待遇などについて質問。全体の53・1%に当たる23都府県と963市区町村から回答を得た。
 その結果、回答を得た自治体の職員107万1496人のうち、29万7571人が非正規職員だった。自治労は未回答の自治体を含めれば、「非正規職員は全自治体で50万人を超える」と推定している。
 非正規職員の収入に関しては「賃金の約65%は日給・時給型で、その70%超は時給(換算で)1000円未満。残りの月給型も約58%は16万円に届かない」といい、自治労は全体の67%が年収200万円以下と分析している。

 たとえば学校教員で臨時採用の比率が増大したり、職業紹介を担うハローワークで社労士資格を持った専門家でも短期契約の非正規職員だったり、従来は正規雇用が当たり前だった領域で非正規雇用への置き換えが進んでいるという話はよく聞くが、約28%というのは驚きである(国家公務員も同じようなものだろう)。民間の非正規比率はすでに3割を超えているが、多くの人々の思い込みとは裏腹に確実に「官民格差」は縮小(それも悪い方に)しているのである。

 雇用待遇差別問題に関しては、弊ブログは非正規雇用を正規雇用に転換させるよう方向付けることが必要だと指摘し続けているが、そう言いつつも企業が本質的に市場原理に基づく存在である以上、たとえ法的に義務づけても簡単には進まないという現実も認識している。それ故に民間企業の正規雇用が減少した分を、行政が正規雇用を増やすことでフォローするような政策が必要だと考えている。私がいつも公務員バッシングに反発し、行政コストの削減に抵抗し、過剰な「官」批判を強く非難するのも、ひとえに「ワーキングプア」問題、なかんずく「年長フリーター」問題は「未熟練労働者を公務員として優先採用する」くらいの行政の強力な支援なしには決して解決しないからである。

 最近、月刊誌『世界』で労働問題の専門家らが「若年雇用促進法」を提案し、特に「氷河期世代」の既卒求職者の採用を一定の割合で企業に義務付けるというアイデアを提示しているが、これは企業のみならず、むしろ政府や自治体にこそ率先して行わせるべき施策である。現実問題として再び景気が後退し、企業がまたしても雇用コストの削減に向かう中で、行政が公務員を増やすことで労働市場を広げることが必要である。「貧困と格差」に本当に向き合うのならば、増税してでも正規の公務員を増加させなければならない

 公務員の非正規化・貧困化の現況はそうした方向に完全に逆行する。しかも、非正規化が進んでいるのは、教育や福祉や医療といった領域が中心で、その点でも昨今の社会保障弱体化の流れと軌を一にしている。逆に言えば福祉国家路線に転換するには、まさに教育や福祉や医療といった分野で人員を増やさねばならない。この国では一方で福祉国家を訴えながら、同じ口で公務員の削減を唱える矛盾した行動を採る人が後を絶たないが、行政サービスを充実させたかったら、それに見合った人員が必要なのは本来子どもでもわかることだ。

 今回の調査対象はあくまでも法的な身分上の公務員に限られているが、最近の行政は公務員の非正規化とともに、民間企業やNPOなど外部への業務委託も増えており、身分上は公務員ではなくても実際には公的業務を担っている例も少なくない。こうした問題も含めて、改めて公務員の地位問題を思い込みや感情論を排除して冷静に検討する必要があるだろう。

【関連記事】
ハローワークさらに削減へ~公務員減らしは行政サービスを悪化させるだけ
「やりがい」さえあれば労働条件が劣悪でもよいのか?

【関連リンク】
地方公務員法 - 法庫
http://www.houko.com/00/01/S25/261.HTM
巻頭特集 増える非正規労働者 [座談会] 公立保育職場の臨時・非常勤職員の現状 - 自治労通信2008年9・10月号
http://www.jichiro.gr.jp/tsuushin/732/732_01.html
*地方公務員法第22条が労働者派遣法と同じ問題を抱えていることがわかる。
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by mahounofuefuki | 2008-09-30 21:47

「中山騒動」と「劇場」型政治

 政治が「劇場」化する必要条件は何か、ということを今年の大阪府知事選以来考えているのだが、今のところ①衆目を集めるエキセントリックなキャラクター、②大衆の敵意を喚起する「既得権益」、③筋書きのない展開へのライヴ感覚の3点に集約しうるのではないかと仮定している。「郵政選挙」や「橋下劇場」はこれらすべてを備えていた。一方、先の自民党総裁選は「出来レース」になったために③が決定的に欠如していたことが「劇場」化失敗の最大の要因であろう。

 昨日国土交通大臣を辞任に追い込まれた中山成彬氏をめぐる「騒動」は、自民党内では「失策」と受け取られ、「いい迷惑」という「空気」が大勢を占め、報道が伝える一般の世論の声も「ネット右翼」のヒステリックな中山擁護の論調とは裏腹に、中山発言への不快感と批判がほとんどである。中山氏は少なくとも27日の宮崎での日教組に対する中傷は、世論の喚起を狙った「確信犯」だったと自認し、いわばこの問題の「劇場」化を図っていたことを認めたが(橋下徹知事を引き合いに出したにもそのための戦術だろう)、現時点では「劇場」化そのものは「失敗」に終わったと言えるだろう。

 「中山劇場」が不発だったのは、先の3条件のうち①と③が不足していたからだと推定しうる。①に関しては、中山氏の発言自体はエキセントリックであったが、中山氏本人はラ・サール→東大→大蔵省という絵に描いたような「古いタイプのエリート」で、キャラクターとしてはむしろ「元高級官僚」という「大衆の敵」になりうる素質をもっているほどである。③に関しては、問題表面化直後から「地位にしがみつくつもりはない」という趣旨の発言をして、既定の「更迭」路線を自ら追認しており、「辞任による決着」は目に見えていた。

 逆に言えば、これが大衆受けするキャラクターの持ち主であったり、あくまで辞任しないとゴネて、「罷免されるか否か」という「ドラマ」が成立していたなら、「劇場」化していた可能性は十分にあっただろう。また当初から日教組だけを標的にしていたならば、異なる展開になっていたことも考えられる。民族問題と成田問題は政府や自民党の公式の立場と矛盾するが故に、支持者からも疑問がもたれたわけでだが、日教組への敵視は自民党・保守層の共有認識である。大衆世論にあっても公務員バッシングや学校不信の煽りもあって日教組への敵意は根強い。ちょっとした歯車のかみ合わせの違いで、日教組バッシング→解散・総選挙の一大争点化という展開になっていたかもしれない。

 現実問題として、「劇場」としては不発であったとは言え「中山騒動」がさまざまな問題を隠蔽する役割を果たしたことも否定できない。麻生太郎首相による国連総会でのインド洋給油継続公約や集団的自衛権行使を容認する発言は、「中山騒動」のせいで吹き飛んでしまった。「汚染米」転売問題や厚生年金記録改ざん問題も相対的に弱まってしまった。「敵失」がないと何もできない民主党は「中山問題」で内閣を追及すると息巻いているが、あまりこの問題に囚われて重要な社会問題が置き去りにあれるのはおもしろくない。

 麻生内閣は発足当初から「末期症状」にあるのは確かだが、「末期」ならではの道化的なパフォーマンスに気をとられて、肝心な問題が見過ごされることのないよう注意しなければなるまい。「劇場」化の罠はどこにでも転がっていることも念頭に置かねばなるまい。以上、自戒をこめて。

【関連記事】
「日本のがん」中山成彬が勝手に「ぶっ壊れる」
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by mahounofuefuki | 2008-09-29 12:42

「日本のがん」中山成彬が勝手に「ぶっ壊れる」

 就任以来、無知と思い込みによる恥知らずな暴言を繰り返していた中山成彬国土交通大臣が辞任するようだ。第一報が産経新聞とフジテレビというのが「いかにも」で、要するに中山氏と産経系メディアとの日常からの親交(癒着?)を如実に示していると言えよう。こんな輩を任命した麻生首相の責任は極めて重大である。

 この問題については、発言内容が虚偽のオンパレードであること、いかに彼の「本音」とはいえ、新内閣発足直後にわざわざ挑発的言辞を弄する政治センスの欠如に、あきれてものも言えなかった。詳細な分析はできれば後日改めて行いたいが、当面指摘しておきたいのは、彼が最後まで撤回しなかった日教組への中傷は、そのまま文教族の有力議員で元文部科学大臣である中山氏に跳ね返ってくる、ということである。

 中山氏は「学力の低下」の原因を何の根拠もなく日教組に転嫁しているが、実際には「学力の低下」が言われるようになったきっかけは、1989年の文部省学習指導要領で指導要録(学校の学籍と指導の記録原簿)に観点別評価が導入され、「知識」や「理解」よりも、「関心」や「態度」や「意欲」を重く評価するようになったのが始まりで、これを「新しい学力観」と称して推進したのは文部省の方であって、教職員組合は反対していたのである。つまり「学力の低下」なるものに「主犯」がいるとすれば、それは文部省とそれを支持した自民党文教族であり(保守派の彼らは「新学力観」を通して「できる子」と「できない子」を選別することを狙っていた)、中山氏もその1人であった。

 中山氏は日教組を「教育のがん」と言い放ったが、私に言わせれば、中山氏のような右翼政治家こそ「日本のがん」である。これまでも数々の歴史改竄発言で知性の欠如を曝け出し、今また意識的かどうかは別として日教組を「安心して攻撃できる悪」として大衆に供し、ポピュリズムを扇動した罪は万死に値する。今回の件で私が警戒したのは、中山氏が居座り「ウヨホイホイ」の役割を演じて、総選挙を前に「『左』を忌避するポピュリズム」を強化することであったが、辞任に追い込まれたことで、辛うじて日本社会にわずかに残る良識の力が発揮されたと言えよう。

 「日教組をぶっ壊す」と言っていた「日本のがん」が勝手に一人で「ぶっ壊れた」。こんな輩を議員に選出している宮崎1区の有権者は徹底して反省するべきである。
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by mahounofuefuki | 2008-09-27 22:50

小泉純一郎引退に思うこと

 元首相の小泉純一郎氏が次期衆院選に立候補せず、引退する意思を表明したという。

 実は第一報を聞いた時、頭によぎったのは、子息のタレント小泉孝太郎氏を神奈川11区の後継に据え、次期総選挙の「目玉」として「劇場」のキャラクターに仕立てる作戦の布石なのではないか?と疑ったのだが、時事通信(2008/09/25 19:15)によると、後継者は子息は子息でも二男の小泉進次郎氏だそうなので、私の疑念は単なる思い過ごしだったようだ(とはいえ4代続けて世襲とは本当にこの国の選挙区制は腐りきっている)。

 今のところネット上の反応を見る限りでは、小泉政権が推進してきた「構造改革」路線が破たんし、先の自民党総裁選では小泉氏が支持した小池百合子氏は思ったほど集票できず、もはや自民党内にも居場所がなくなり「逃亡」した、というような見方が多いようである。キャラクターとしての人気は依然高いとされる小泉氏だが、総裁選で存在感を全く示せなかったように、もはや貧困・格差・不況に喘ぐ日本社会において、彼の政策と手法が受け入れられる余地がなくなりつつあるのは確かだろう。小泉氏の「退場」は、ある意味自公政権が推進した新自由主義「急進」路線の終焉を象徴している。

 とはいえ、まさに小泉政権によって生活の安定と希望を奪われた者としては、このまま「逃げ得」を許すこともできない。小泉政権の悪行の数々の総括は必要だし、小泉氏に対する政治責任の追及の場も必要である。議員も引退してオペラ三昧なんて悠々自適を許容する気には全くなれない。引きずり出して地獄の劫火で苦しめてやりたいというのが本音である。
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by mahounofuefuki | 2008-09-25 20:39

「寂聴の作品」という先入観があれば「ケータイ小説」も「小説」に見えるように、小沢演説も(以下略)

 弊ブログのこれまでの「カラー」に従えば、今日は麻生新内閣について書くべきなのだろうし、読者もそれを期待しているかもしれないが、あまりにもひどすぎて、今回は正直なところ書くことがない。新内閣は「タカ派・小物・世襲」の三拍子で、一部のウヨク層以外にはどう見ても受けそうもなく、本当にこの陣容で総選挙をやるつもりなのか?と疑わざるをえない。私は以前から簡単には衆院の3分の2を手放さない、解散は先送りされると言ってきたが、本当にその可能性が出てきたような気がする。

 そんなわけで全然関係ないが気になったニュースを。毎日新聞(2008/09/24 17:32)より(太字強調は引用者による)。
 文化勲章受章作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが、86歳にしてケータイ小説に初挑戦、ケータイ小説サイトで名前を隠して書き上げたと24日、発表した。「ぱーぷる」のペンネームで、女子高生ユーリのいちずな恋を描いた「あしたの虹」。10代、20代の女性たちが等身大の物語を書き、女子中高生が読者の中心というケータイ小説に、大物作家が切り込んで、大きな注目を浴びそうだ。
 「あしたの虹」は携帯電話で読むケータイ小説サイト「野いちご」で5月に掲載スタート。今月10日に完結した。横書き、短い簡潔な文章、若者言葉など、今までの瀬戸内文学とはまるで異質の作品になっている。(後略)

 「名前を隠して」というところがすごい。普通ある程度売れると、作家のネームバリュー自体が作品の評価に影響するが、名前を伏せてしまえば、その辺に転がっている新人やアマチュアと同じ土俵で読者の評価眼に供することになる。名前を伏せても勝負できるという自信がなければできないし、それも「ケータイ小説」という真っ当な文学者からは白眼視されているような畑違いの(つまり従来の文芸とは評価のものさしが異なる)フィールドに挑戦する気概には頭が下がる。

 もちろん匿名だったということは、失敗したら逃げることも可能だったということでもあるが(ただし初めから原稿料が出ていたならそうもいかないのでやはり勇気がある)、結局、本になったということはある程度納得のいくものが書けたということだろう。

 さて問題は匿名でケータイに連載されていた時、どの程度反響があったのか?ということである。当該ケータイサイトを見ると、PV数が多いわけでもなく、特に注目されていたというわけでもなさそうだ。作者が瀬戸内氏だと気づいた人も皆無だったと思われる。10日ほど前の日付の読者レヴューも読んだが、ごく平凡でありがちな感想だった。

 実際、ぱっと読んだ限りでは、正直なところ格別優れているという感じは受けない。「いかにも」な内容で、公表前だったら瀬戸内作品と言われても信じなかっただろう。そして、ここからが重要なのだが、それにもかかわらず「瀬戸内が」という先入観があるので、これといって何でもないような「ケータイ小説」でも、「やはりプロットが素人ではないな」とか「文法が間違っていないな」とか「本当の若い人の言葉ではないな」と思わされてしまうのである(正確にはそこに「プロらしさ」や「年寄りらしさ」を探そうとしてしまう)。

 最近、これと同じような現象を目撃している。民主党大会での小沢一郎代表の演説に対する民主党系ブロガーの反応である。私は前のエントリでも述べたように、あの演説全文を精読した時、「自分ら『氷河期世代』の『負け組』は視野に入っていないのだな」という疎外感を味わったが、多くの支持者は私の率直な感想とは裏腹に小沢演説を絶賛している。社会民主主義的だという評価さえある。しかし、これら支持者の反応は、「民主党が自公政権の政策を否定してくれる」「小沢は我らの味方だ」という先入観があって、政治家によくありがちな単なる抽象的内容であるにもかかわらず、すべて善意に解釈し、まるで「良かった探し」のように、都合のいいように解釈しているとしか思えないのである。

 これは断言できるが、同じような内容の演説を自民党や公明党の人がしても、彼らは絶対に評価しないだろう。自民党や公明党にあんな演説ができるわけない? いやいや政治家というものは、その気になれば嘘八百並べてでも有権者の心をつかもうと形振り構わずリップサービスをする。実際、麻生首相は今日の記者会見で「雇用の安定の確立」なんて口にしているが、本気でやる気があるとは誰も信じまい。小沢演説も先入観を極力取り除いて聞けば、実はこれまでと同様たいして具体性はない。

 表面的な言葉だけで物事を判断することはやはり慎まなければならないのだろう。たとえば私も、今年の『労働経済白書』を過大評価しすぎたと最近反省している。昨年の白書との違いを過剰に高く評価しすぎた。「何を言ったか」ではなく「何をやったか」をしっかりと把握しなければならない。

 結局、話がそれて政治オチになってしまった・・・(苦笑)。

【関連リンク】
あしたの虹 - ケータイ小説野いちご
http://no-ichigo.jp/read/book/book_id/89873?noichigo=r56gd3a171pbu5ft8t74pmb3sc976gcm
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by mahounofuefuki | 2008-09-24 22:53

自民党も民主党も「貧困と格差」おいてけぼり

 福田康夫首相が退陣を表明した直後には、自民党は総裁選を「劇場化」して盛り上げ、その余勢で衆院を解散し総選挙を有利に運ぶだろう、というのが大方の見方だった。これに対し弊ブログでは、即効性のあるリーダー候補が枯渇していること、わかりやすい「既得権益の解体」というエサを用意できないことを根拠に、「劇場化」はうまくいかないだろうと分析した(福田内閣退陣と今後の政局に関する私見参照)。

 結果は周知の通り、自民党総裁選は麻生太郎氏圧勝という、しらけた「出来レース」となって盛り上がらず、メディアを使った小細工もほとんど焼け石に水だった。自民党の戦略の失敗には、「汚染米」転売問題の表面化やリーマン・ブラザーズ破綻にはじまる金融危機という総裁選どころではない一大事が影響してはいるが、これらはいずれも市場化・民営化を至上とする新自由主義路線の行き詰まりを示す出来事であり、もはや従来の政策路線の矛盾は小手先の「劇場」で覆い隠すことができないほど拡大していると言える。

 総裁選では当初3つの財政路線が提示されたが、一見対立するこれらは「いかにして巨大企業と富裕層の税負担を減らすか」という目的において共通し、「貧困と格差」に喘ぐ日本社会の処方箋とはなりえないものばかりだった。歳出削減による均衡財政を優先する「上げ潮」路線は、「官の既得権益」解体を称しながら、その実「庶民の既得権益」を解体し、その分で大企業・富裕層向けの減税を行う。消費税増税による社会保障財源捻出を目指す「財政タカ派」路線は、逆進税である消費税を社会保障に回す分、累進課税の直接税をこれまた大企業・富裕層のために減税する。そして赤字国債増発を辞さない「財政出動」路線は、要は金持ちからの借金で金持ち向けの「景気対策」を行い、そのツケを庶民に支払わせる。まさに巨大企業の代弁者としての役割を自民党は忠実に果たしているのである。

 このように政策論争としても、芸能的パフォーマンスとしても、自民党総裁選はお粗末な結果に終わったが、一方、この自民党に対峙している(ことになっている)民主党は、昨日の党大会で小沢一郎氏を代表に三選し、次期衆院選後の政権構想を明らかにした。自民党総裁選中、まるで自民党の宣伝機関に成り下がっていたNHKが、「偏向報道」批判に備えたアリバイづくりのために小沢氏の演説をテレビ中継したことで、むしろ民主党の方がある種「劇場化」の様相を呈した。

 弊ブログは再三にわたり、民主党が政府の社会維持機能を弱める「小さな政府」路線から決別していないこと、貧困解消政策に消極的なことを批判してきたが、ここでも小沢氏に全く反省の色はなく、「氷河期世代」の貧乏人としては完全な「おいてけぼり」感をくらわされた。財政については相変わらず「無駄遣いをなくす」の一点張り。同じように「無駄遣い」と言いながら庶民のための公的給付を減らし続けた小泉政権を思い出す。独立行政法人の整理などまるで新自由主義者ばりの主張で、市場化・民営化路線以外の何ものでもない。重点政策として、高速道路無料化、農業者個別所得補償、子ども手当の3点を挙げたが、いずれも中間層向けの「目先のエサ」的施策で、貧困層の生活水準を引き上げる効果は薄く、この党の立脚する階層がどこにあるか如実に示している。先の参院選で公約した最低賃金の引き上げはどこへ行ったのか過労や雇用待遇差別は?

 この期に及んでも、自民党も民主党も「貧困と格差」には本気で取り組む意思がないことは明らかだ。税制の累進強化による所得再分配と生活サポートのための公的領域拡大を封印し、労働環境の不条理をなくすための具体策を提示できないうちは、全く話にならない。改めて「貧困と格差」解消を目指す人々が採るべき政治行動が何であるかを再確認した。
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by mahounofuefuki | 2008-09-22 13:00

後期高齢者医療制度「見直し」をネタに厚労大臣留任を狙う舛添要一

 舛添要一厚生労働大臣が後期高齢者医療制度の見直しを表明しているという。
 朝日新聞(2008/09/20 12:20)より(太字強調は引用者による、以下同じ)。
(前略) 見直しにあたっては(1)75歳以上という年齢で分けない(2)保険料の天引きを強制しない(3)負担について世代間の反目を助長する仕組みにしない、との原則を掲げた。最低1年議論し、それまでは現行制度を維持する。舛添氏は「(現制度の)廃止とは一言も言っていない」とも語った。
(中略)
 番組で舛添氏は自民党総裁選での勝利が確実視される麻生幹事長と事前に相談していたことも明らかにし、「こういう形で見直すことについて麻生幹事長もまったく同じ考え方。首相になれば、所信表明演説でこれをおっしゃると思う」と述べた。ただ、番組に同席した公明党幹部からも「聞いてない」との発言が出るなど、与党内での調整はこれからで、不透明な側面は残っている。

 舛添氏の狙いは明らかだ。「麻生幹事長と事前に相談」「麻生幹事長もまったく同じ考え方」「所信表明演説で」。要するに次期首班が確実な麻生太郎氏に「後期高齢者医療制度の抜本的見直し」を手土産にすり寄り、新内閣でも厚労大臣の椅子に居座るつもりなのである。麻生氏としては新内閣発足にあたっての「目玉」として、不人気の後期高齢者医療制度の見直しを前面に押し出す。それを提案した舛添氏は厚労大臣に再任される。自分の大臣の椅子が目的で、医療制度の見直しはそのための手段にすぎない。

 だいたい多くの有権者が求めているのは、小手先の「見直し」ではなく「廃止」である。それを「廃止とは一言も言っていない」とわざわざ断っているあたり、本気で後期高齢者医療制度を改める気などないことは明らかだ。読売新聞(2008/09/20 03:08)によれば、舛添氏は昨夜記者団に「長期的には、医療と介護保険制度を一元化し、財源には消費税を充てる」と述べたという。年金も消費税、医療も消費税、介護も消費税! 消費税は打ち出の小づちか!? ここでも舛添氏の発言はいつものように思いつきの域を出ていないことがわかる。

 これは総選挙までの目くらましにすぎない。次期総選挙でははっきりと後期高齢者医療制度の改廃自体を争点にしなければならない。
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by mahounofuefuki | 2008-09-20 17:53

清掃職員が年収1100万円で悪いか!

 奈良市環境清美部の清掃職員の最高年収が1100万円に上っていたことを、今日のJ-CASTがやり玉に挙げている。

 J-CASTニュース:清掃職員が年収1100万円の「高給」 「給与体系に問題あり」と奈良市見直しへ
 http://www.j-cast.com/2008/09/19027292.html

 「この清掃職員の年収の内訳は、500万円の給料に加え、残業手当が234万円、特殊勤務手当て68万円、賞与223万円、通勤手当などもろもろの諸手当となっている」「この職員は工場勤務をしており、夜勤勤務や祝祭日でも出勤していた。給与体系という意味では、年功序列の加算体系に加え、管理職ではないため、時間外勤務手当て、365日祝祭日も働いていたものだから割り増しになった」

 ・・・ということが事実ならば、問題は「年収が高すぎる」ことではなく、「労働時間が異常に長い」ことにある。この報道はそもそもの問題の立て方が間違っていると言わざるをえない。公務員となるとすぐに「厚遇」がどうのと攻撃する輩が多いが、残業手当をはじめとする各種手当は労働者の当然の権利であって、公務員が「厚遇」なのではなく、民間の労働待遇がひどすぎると理解しなければならないことは、過去にも弊ブログで指摘してきた。

 以前、トヨタの取締役の平均報酬1億2200万円にもっと怒るべきというエントリで、公務員よりも民間の巨大企業の経営者の方がずっと不公平だと、やや挑発的に論じた時、「トヨタの役員は別世界なので庶民にはどうでもよい」「自分ができないような凄いことで稼ぐのは構わないが、自分でもできるようなことで稼いでいるのが許せん」というような批判コメントをしていたブログがあったが、今回のJ-CASTの場合も結局のところ「清掃職員のくせにもらいすぎだ」という認識が前提にある。

 私に言わせれば、多くの労働者や下請け企業を苦しめ、排気ガスを撒き散らすクルマを製造しているメーカーの経営者なんかより、清掃職員の方がずっと社会的に有用で立派な仕事をしていると思うのだが、そうは考えない人の方が多いらしい。今回の件は、恒例の公務員への嫉みと同時に、清掃業に対するあからさまな差別と侮蔑が背景にある。

 そこでこの記事のもう一つの狙いが問題となる。別件の「不適切な勤務が最初に発覚した男性職員は部落解放同盟奈良市支部協議会の副議長を務め、市側と何度も交渉していた」「清掃職場での就業には特殊な職場環境がある」。一方で「高給」職員は「給与システム以外の背景はない」と述べていながら、明らかに奈良市環境清美部が部落解放同盟の強い影響下にあることを示唆しているのである。ここから「部落特権」だとか何とか扇動しようという意図を読み取るのは容易だが、むしろ解同との関係で問題としなければならないのは、「なぜ清掃行政と解同の関係が深いのか」ということではないのか。

 その答えも、ある程度地域差別や職業差別の歴史を知っていれば容易に導ける。つまり清掃業務が長らく「ヨゴレ」仕事とみなされ、あたかも「ケガレ」の領域を担わされたかつての被差別身分と重なり、そこに差別と清掃行政が結びつく余地を残しているのである。最近はゴミ収集が機械化され、下水道整備が進んだのでそうでもないが、かつてはごみ処理や屎尿汲み取りはとかく人々の「ケガレ」観をかき立てた。解同のやり方に問題があるのは確かだが、同時に差別を前提として特定の業務を特定の集団に請け負わせるかのようなやり方で、事実上差別の温存に手を貸す行政や、大衆の差別意識も俎上にのせなければ公平性を欠くだろう。

 単に奴隷根性に支配された人々の嫉みを煽るだけのニュースでも、読みようによっては社会構造の歪みについて考えさせられるという好例であった。
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by mahounofuefuki | 2008-09-19 22:55

厚生年金記録改竄における企業の責任~もう「年金一律救済」しかない

 この国の政治シーンではしばらく前から、年金制度のずさんな実態が表面化しては、年金への不信が増大し、その都度社会保険庁が叩かれるも、抜本的な改良が行われないままうやむやになり、またしばらくすると新たな問題が浮上するというサイクルを繰り返しているが、またしてもとんでもない不祥事が表面化している。

 今日の参院厚生労働委員会の閉会中審査で、舛添要一厚生労働大臣は厚生年金の標準報酬月額改竄に社会保険庁の組織的関与があったことを認めた。以下、朝日新聞(2008/09/18 13:08)より。
(前略) 舛添厚労相によると、年金記録の訂正申し立てを審査する「年金記録確認第三者委員会」が改ざんを認めたケースなど88件を分析。標準報酬の大幅引き下げや、半年以上さかのぼって引き下げる処理など3条件に9割が該当したという。改ざんの可能性が高いこれらの不自然な処理について厚労相は「組織的関与があったと推量する」と述べた。

 さらに、厚生年金のコンピューター上の記録約1億5千万件を対象に、3条件に該当するケースを抽出した結果、6万9千件見つかった。いずれも改ざんの可能性が高いと見られる。年金の受給年齢である65歳以上の記録が約2万人分あり、本人への確認作業を、来年早々に開始する方針も明らかにした。

 これまでの社保庁の調査では、「第三者委員会」などで標準報酬月額の改ざんが認められた17件のうち、社保事務所職員の関与が確認できたのは1件だけ。社保庁は「組織的な関与は確認できなかった」と説明していた。 (後略)

 どの報道も「社会保険庁の不正」というところに力点を置いていて、確かに社会保険庁のやったことはずさんかつ悪質ではあるが、この問題の本質は企業が従業員と折半する厚生年金保険料を滞納していたことにある以上、単に社会保険庁を悪者にして済む話ではない。要は企業が保険料を出し渋りしたり、従業員の報酬を実際より低くごまかしていたのを、保険料収納率引き上げのノルマがかかっている社会保険庁がつじつまを合わせていたわけで、この問題の背景には企業の社会的責任の欠如がある。「社会保険庁が」「官僚が」と言う前に、まずは滞納したり、数字をごまかしたりしていた企業こそ責められなければならない。

 大臣は「本人への確認作業を、来年早々に開始する」などと答弁しているが、これまでの「消えた年金」同様、またしても確認作業に膨大な時間とコストがかかるわけで、ただでさえ社会保険庁は解体されて「日本年金機構」なる意味不明な法人に衣替えを強制されることが決まっている中で、本当にそんな作業ができるのか疑問である。そうしている間にも年金への不信は高まり、さらに新たな問題が発生しないとも限らない(今まではその繰り返しだった)。

 年金記録問題については、以前も指摘したが、もはや大量の年金記録を回復するコストをかけるよりも、この際現役時代の年金負担額に関わらず、すべての人々に一定の年金給付を保障する「年金一律救済」を真剣に検討するべきではないか。現行の年金制度は「自助」を基本としており、だからこそ厚生年金の場合、生涯の勤労年間における標準報酬月額を算出するのだが、「一律救済」ならばそんな複雑な計算も不要である。年金制度のパラダイムを「自助」から「共助」へ転換するしか、年金制度の「安心」を取り戻すことはできないのではないか。その場合、保険料制度の改廃や生活保護制度との関係など、新たに検討すべき課題が生じるが、年金記録の確認作業をエンドレスに続けるよりはよほどましであろう。

 政治課題としての年金は専ら財源問題に絞られ、それも消費税増税の口実に利用されているが、多くの人々が年金の持続可能性に不安をもっている以上、今一度、日本に住むすべての人々を包摂し、誰もが人間らしい老後を送れる年金制度の再構築が必要である。そして、財源については、消費税に限定するのではなく、諸外国に比べて少なすぎる企業負担や富裕層の税負担を増やすことをきちんと検討するべきであろう。

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「年金一律救済」論と年金改革私論
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by mahounofuefuki | 2008-09-18 22:13

厚労省の労働者派遣法改正案はやはり「抱き合わせ」だった

 労働者派遣法の改正作業を巡って、弊ブログでは以前から、「日雇派遣」では規制強化を行う一方で、直接雇用申込義務の廃止や派遣期間の規制緩和などを盛り込む「抱き合わせ」の「改正」を警戒するべきであると指摘してきたが、今月12日の労働政策審議会(労政審)労働力需給部会に厚生労働省が提示した報告書案は、まさに恐れていた通り規制強化と規制緩和の「抱き合わせ」の内容であった。

 報告書案は厚労省のホームページに昨日アップされていたが、読んでびっくり。先日の一般向けの報道では「日雇派遣」許容業種が18に限定されたことばかりが強調されていたが、実際にはそれすらも完全に骨抜きが可能な内容であり、さらにどさくさに紛れてとんでもない規制緩和策が盛り込まれているのである。

 労働力需給制度部会 報告(案)*PDF
 http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/09/dl/s0912-3a.pdf

 「日雇派遣」に関しては、1999年の派遣全面解禁以前から派遣が認められていた26業種よりも狭い18業種に限定するとなっているが、そんな表向きの制限条項を事実上無効にする一文が盛り込まれている(太字強調は引用者による)。
 「日雇派遣が常態であり、かつ、労働者の保護に問題ない業務等について、政令によりポジティブリスト化して認める」・・・「これ以外の業務については専門性があり労働者の保護に問題のない業務のリスト化など、適宜リストの見直しを行う
 政令!? 「日雇派遣」が可能な業種を法律ではなく政令で定めるというのである。これではいくら法律で規制しても、政府が「専門性があり労働者保護に問題ない」と判断すれば(その基準は不明瞭)、法改正なしにいくらでもリストに業種を追加できる。これは当初言われていた「日雇派遣」原則禁止方針を事実上骨抜きにするものである。

 これだけではない。もっと重大な規制緩和案が提示されている。常用型派遣の直接雇用申込義務を廃止するというのである。
 「期間の定めのない雇用契約の派遣労働者について、労働者派遣法第40条の5(雇用契約申込義務)の適用対象から除外することが適当である」
 周知の通り、現行法では派遣3年で派遣先に直接雇用申込義務が課せられており、それ故に主に製造業を中心に「2009年問題」(偽装請負から派遣に切り替えた労働者の多くが来年3年の期限を迎える)が起きているが、この問題で厚労省は財界言いなりの案を出してきたのである。

 先の国会で政府は派遣が一時的・臨時的な雇用形態であると改めて答弁していたが、報告書案のこの条項は、常用型派遣の正規雇用化を否定し、派遣の常用雇用代替機能を容認しているのである。これでは派遣は永久に派遣のままで決して直接雇用にはなりえず、そもそも労働者派遣法改正議論のきっかけとなった「ワーキングプア」を放置するに等しい。

 すでに「2009年問題」に対しては、厚労省指針の「クーリング期間」規定を悪用し、派遣期間3年になると取りあえず直接雇用に切り替えるが、3か月で再び派遣に戻すという脱法的なやり方で乗り切ろうとする企業が続出している。今こそはっきりと実効力のある直接雇用化を法的に義務づける必要があるのに、厚労省は労働者に背を向け、派遣法の制度的根幹を改悪しようとしているのである。

 常用雇用の代替機能の強化という点では次の条項も見逃せない。
 「期間の定めのない雇用契約の派遣労働者について、特定を目的とする行為を可能とする」
 要するに常用型派遣に関して派遣先の「事前面接」を解禁するというのである。これも以前から企業側が要求していた規制緩和策で、実際にはすでにさまざまな「抜け道」の方法で行われているが、こうした違法状態を既成事実として追認していると言えよう。特定の労働者を採用するのならば、当然それは直接雇用でなければならない。派遣はあくまで派遣先と派遣会社との間の契約であるにもかかわらず、派遣先が契約関係のない労働者の選別を行うなど矛盾以外のなにものでもない。

 報告書案には規制強化の条項もあるが、そんなものは吹き飛んでしまうほどの、とんでもない改悪案である。経営者側(特に派遣会社)はこれでも不満でいろいろと注文をつけているようだが、こんな内容では労働側としても葬り去るしかない。次の臨時国会が解散になれば、派遣法改正は先送りなるが、いずれにせよこんな「改正」を許してはならない。
 改めて先の国会で野党の改正案がまとまらなかったことが悔やまれる。労政審では経営者サイドの委員が入るので、どうしても折衷案になってしまう。やはり国会が主導して派遣労働者の地位を強化し、保護する法改正が必要である。日和見の態度をとった民主党には改めて猛省を促したい。

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労働者派遣法改正問題リンク集
派遣労働見直しへのバックラッシュと「抱き合わせ」改正への警戒
厚労省「今後の労働者派遣制度の在り方に関する研究会」報告書は不十分

【関連リンク】
厚生労働省:第120回労働政策審議会職業安定分科会労働力需給制度部会資料
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/09/s0912-3.html
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by mahounofuefuki | 2008-09-17 00:05