<   2008年 08月 ( 24 )   > この月の画像一覧

「伊藤和也さんの死を無駄にするな」という言説の危うさ

 アフガニスタンでペシャワール会の伊藤和也氏が武装勢力に拉致・殺害された事件については、この数日何か書かねば、と思いつつも筆が進まず、今日までブログでは全く触れなかった。当ブログはこれまでアフガニスタン情勢については、昨年起きたタリバンによる韓国人人質事件くらいしか書いてこなかったし、アフガンの実情についても報道されていること以上のことは露知らないので、たいしたことは書けないという引け目も影響しているが、それ以上に何を書いても彼の「死」を利用することになるのではないか、という疑念が晴れないからである。

 実際、アンテナの狭い私が見た限りでも、「伊藤さんの死を無駄にするな」「伊藤さんの遺志を継ごう」という類の言説が相当溢れているが、今まで何らかの形でアフガン支援に関わっていた人ならともかく、特に具体的な活動をしていない人までがひどくナイーヴな反応を見せていることに、正直「危うさ」を感じている。どんなに正しい目的であっても、人の死に後から過剰な意味を付与し、人の死の上に乗って何事かを為そうとすることに、私は生理的な嫌悪感を覚える。

 しばしば国家が軍事行動を正当化するにあたり、当該行動地域での「邦人」の死を利用することがある。例えばかつて日本軍は中国に出兵するにあたり、中国在留の日本人の殺害事件を喧伝して利用したことがあった。そこではまさに「死者のために」行動するという論理が働いている。「伊藤さんの死を無駄にしないために」アフガンの復興支援を続けなければならない、あるいは自衛隊の派兵を阻止しなければならない、あるいはアメリカなどによる軍事攻撃をやめさせなければならない、というような言説は、実は「死者のために」行動するという点で、先の軍事行動の正当化の論理と共通する。

 アフガンの復興支援も、自衛隊の派兵阻止も、アメリカなどの戦争中止も、本来誰の死にも関わらず、それぞれ固有の論理によって主張されるべきである。自衛隊の派遣問題を例にとれば、「伊藤さんが自衛隊の派兵を望んでいなかった」から、あるいは「伊藤さんの死に報いるために」反対するのではなく、あくまで憲法が禁じる海外での武力行使に道を開くから反対するのである。この問題に「死者の遺志」を持ち出す危険は、今後「自衛隊の海外派兵を望む死者」が現れる場合を考えれば容易に理解できるだろう。

 ペシャワール会の代表の中村哲氏は情勢の悪化を警戒していながら撤退が遅れたことを悔いていると伝えられている。当事者たちのそんな思いを考えれば、「伊藤さんの遺志を継いで」無政府状態のアフガンに出向く人が現れるのは、やはり安易であるし、「死を無駄にしない」ようにするために、「意味のある死」を強調するあまり、まるで殉教者か靖国の祭神のように扱うのは、「意味のある死」を求める者が「死」を志願する傾向さえ生みかねない。忘れてはならないのは、犯罪の結果の「死」そのものは、事故や病気による「死」と同様、それ自体には意味はないということである。意味があるのはあくまでも「生」である。伊藤氏の「生」に十分すぎるほどの意味があったことは、無関係の観衆が言うまでもなく、彼とともに暮らしたアフガンの住民が証明している。

 考えてみれば、毎日アフガンでは大勢の人々が不本意な死を遂げている。アフガン人が何人死んでも、それが日本では問題とはならない。1人の日本人が死んで初めてアフガンの現実に向き合うというのはおかしな話である。そういう意味でも、伊藤氏の死をもって今後のアフガン復興支援のあり方やインド洋での給油継続問題を議論することに躊躇せざるをえない。少なくとも私は日本政府の戦争協力をやめさせるにあたり、伊藤氏の死をだしにする気はない。
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by mahounofuefuki | 2008-08-30 22:33

「改革」という病~「改革クラブ」結成に寄せて

 民主党の渡辺秀央、大江康弘両氏が離党し、無所属の荒井広幸、松下新平両氏とともに新党「改革クラブ」を結成した件。

 新党の発足メンバーがいずれも参院議員であるというのは、自民党によるあまりにも露骨な切り崩しであることを如実に示しているが、民主党という政党は「政権交代」以外の求心力はなく、与党のエサにひかれるか、何らかの弱みを握られれば、容易に「渡り鳥」となる議員は少なくない。次期国会を前にまたしても民主党の腰の弱さを露呈したといえよう。

 民主党信者の中には、従来から「造反」を繰り返し右傾色の濃い渡辺、大江両氏がいなくなることで、かえってせいせいしたという楽観的な見方もあるようだが、実際は不満分子の「受け皿」ができたことで、今後党内の疑心暗鬼は深まり、ちょっとしたことで内紛が発生するリスクは増したと考えるべきである。また、参院の議事運営にあたって民主党は議席が減少した分、過半数を維持するためには他の野党との共同行動がより必要になるはずだが、他方で特に共産党や社民党に左右されるのを嫌って、むしろ自民・公明両党との事前協議を重視する傾向も強まるだろう。

 なお今回の新党劇で制度上問題となるのは、渡辺、大江両氏が比例代表選出の議員だという点である。やはり自民党から比例代表で当選し、郵政民営化問題以降「流浪」を続けている荒井氏もそうだが、比例代表は個人ではなく政党の得票である以上、離党するのならば本来議員を辞職するのが筋である。過去にも政党の離合集散が激しかった時分に少なからず見られたが、これは何らかの方法で規制する必要があるのではないか。

 ところで、私が注意したいのは、新党の党名が「改革クラブ」と「改革」を名乗っている点である。小泉流「構造改革」が民衆に不幸しかもたらさなかったにもかかわらず、いまだに「改革」という言葉にはある種の魔力があるようで、依然としてプラスの意味で使われる。今回の「改革クラブ」の中核メンバーは政治的には「古い保守」に分類するべき人々にもかかわらず、彼らをもってしても「改革」を名乗らずを得ないところに、この国を覆う「改革」病の深刻さが現れている。

 「改革」という言葉そのものは明治期までさかのぼるが、近年に限っても「行政改革」やら「医療制度改革」やら「特殊法人改革」やら「司法制度改革」やら何かというと「改革」のオンパレードである。これで本当に社会が良くなるのならば結構だが、現実にはむしろ悪くなる一方である。それは近年の「改革」は専ら市場化・民営化の方向一辺倒だったからであり、もはや政治用語としての「改革」は新自由主義のイデオロギーを体現しているとさえ言えよう。

 「改革」と類似する用語としては、「変革」「革新」「革命」などが考えられるが、「改革」よりもラディカルなイメージを含有し、表層的な中庸を好む大衆は歴史的経緯からこれらの用語にマイナスのイメージも抱えている。「改革」もこれだけ裏切られ続ければ、もうノーサンキューといい加減見切りをつけてしかるべきだが、今も「改革」を提示すれば何となく「現状よりはましだろう」という根拠のない期待感が醸成される。

 以前、当ブログでは、「改革」よりも「新法」よりも、目の前にある「悪法」を廃止する「復旧」こそが必要だと主張したことがある。「構造改革」のせいで生活が破壊される一方なのだから、それを「復旧」するのは決して後退ではないという趣旨だが、今もその考えに変わりはない。この国では一度決まってしまうと、それを所与の条件として受け入れてしまい、「元に戻す」ことを諦めてしまいがちであるが、「復旧」を現実に行うことで「一度決まったことは覆らない」という意識を変え、「一度決まっても諦めない」主権者を形成する契機ともなる。教育基本法や労働者派遣法や個人情報保護法などなど「元に戻す」べき法令は山ほどある。

 どう見ても「改革」からは縁遠い人々が「改革クラブ」を名乗る滑稽さから、「改革」という言葉の空虚さにそろそろ気づかなくてはならない。表層的な「改革」「守旧」という言葉に惑わされることなく、何が自己の属する階級の利益を反映しているのか、その中身を見抜く力を身につけない限り、いつまでたっても身勝手な権力者にいいように振り回されるだけである。

【関連記事】
「改革」よりも「新法」よりも「悪法廃止」が先だ


《追記》

 当初、新党への参加が伝えられていた姫井由美子参院議員は、結局民主党への離党を撤回したという。本稿の主旨には影響しないが、文中姫井氏に言及した部分は削除・訂正した。
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by mahounofuefuki | 2008-08-29 12:21

八代尚宏の日雇派遣禁止反対論に反駁する

 引用(「」内の文)はすべて、八代尚宏「経済を見る眼」(『週刊東洋経済』2008年8月16・23合併号)より。逐次批判する(赤字の文)。

 「日雇い派遣には労働安全上の問題が多いというが、そうでない職場も多い。危険な業務についてのみ禁止ではなく、専門業務以外は原則禁止することは、現在従事している労働者の利益を損なうだけである。」
 →日雇派遣の問題は「労働安全上の問題」だけではない。何よりも中間搾取による低賃金と短期契約に伴う生活の不安定が問題なのである。故に「労働安全上の問題」のない職場はそのままでよいということにはならない。

 「日雇い派遣を不安定な働き方として禁止しても、正社員の仕事が増えるわけではない。代わりに日雇いへの職業紹介と給与処理代行業務との組み合わせになるだけであり、労働者に何の利益があるのだろうか。」
 →「日雇いへの職業紹介と給与処理代行業務との組み合わせ」を法的に規制すれば済むことである。現行制度のままで労働者に何の利益があるというのか。

 「規制強化論者は、普通の日雇いになれば派遣会社のマージン分だけ賃金が上がるという。しかし、逆に派遣先の企業はなぜ直接雇用して高いマージン分を節約しないのか。それは短期雇用では、自ら募集や面接・賃金支払いをするコストのほうが高いと考えているためで、派遣禁止で賃金が上がることは期待できない。」
 →派遣先が直接雇用しないようになったのは、労働者派遣法が改悪を重ねて派遣労働が原則自由になったからであり、そもそも法が派遣労働を厳しく規制していれば、「自ら募集や面接・賃金支払いをするコスト」をいやでもかけざるを得ない。また「賃金が上がることは期待できない」という言は、次の事実が否定している。
(前略) 日雇い派遣労働者だった男性は(32)は廃業発表のニュースを苦々しい思いで見た。
 4年前に就職しようと上京したが、「ついずるずると」日雇い派遣で暮らしてきた。今年1月、グッドウィルの事業停止を機に、派遣先の企業のアルバイトになった。日雇い派遣の時は日給7250円。雇用先は人材を確保したいからと、グッドウィルに払っていた派遣料金1万2千円を男性に支払うことにした。
 その結果、手取りは月18万円から30万円に。給与明細を見るたびに思う。「こんなにグッドウィルに取られていたのか。アホらしい」。(後略) (朝日新聞2008/07/11朝刊、太字引用は引用者による)
 「日雇派遣」が直接雇用のアルバイトになるだけで、これだけ賃金が違うのである。「日雇派遣」を禁止しても求人がなくなるわけではない。

 「むしろ短期間の直接雇用では、雇用主が頻繁に変わることの不利益のほうが大きい。現に6カ月未満の派遣契約者の内、4分の1が有給休暇を得ている。これは派遣先がたびたび変わっても、雇用主が同じであれば義務づけられるためで、雇用保険や社会保険にも入り易くなる。」
 →「4分の1が有給休暇を得ている」ということは「4分の3は有給休暇を得ていない」ということである。少数例をもって多数例を無視するのはどうか。「雇用保険や社会保険にも入り易くなる」とのたまうが、実際はこれら保険に加入していない派遣会社が山ほどある実態をどう説明するのか。

 「厚生労働省等の調査によっても、派遣労働者の大部分は、拘束性の強い正社員の働き方と比べて、職種や働き場所を選べ、残業も少ない派遣の働き方を積極的に求めている。また、派遣会社の社員が加入する人材サービスゼネラルユニオンの調査でも、現に日雇い派遣に従事している人たちの内、都合のつくときだけ働ける仕組みに満足している者が多数である。残りの人にとっても、選拓肢が狭まり得になるわけではない。」
 →『2008年版労働経済白書』本文図表基礎資料によれば、短期派遣労働者に「今後希望する雇用形態」を問うたところ、「現在のままでよい」と回答した割合は45.7%で半数に満たない。それもここでいう「短期派遣労働者」には、学生や主婦のような日雇派遣のみで生計を立てているわけではない人も含む。これでは「大部分」とはとうてい言えない。

 「派遣に関しては経営側が自由化を、組合側が規制を求める『労使対立』の問題と考えられているが、肝心の派遣労働者の組合は『派遣は諸悪の根源ではない』と禁止に反対している。派遣問題の核心は正社員と非正社員との間の『労労対立』にある。」
 →「派遣ユニオン」や「ガテン系連帯」や各派遣会社のユニオンの多くが日雇派遣禁止はもちろん、短期派遣や登録型派遣の禁止を主張している。御用労組の主張のみをもって「派遣労働者の組合は・・・禁止に反対している」という言はあまりにも独善的である。派遣問題の核心は、資本家が労働者を人間ではなく、まるで部品のように扱っていることの是非である。「労労対立」を仕組んでいるのは資本サイドにほかならない。

 八代氏の立論は「日雇派遣」禁止以外は現行制度を継続することを前提としている。逆に言えば、派遣労働規制にあたっては「日雇派遣」禁止だけでは全くもって不十分であり、あくまで直接雇用・無期雇用の原則を法的に担保し、なおかつ実効性を伴った厳しい規制強化が必要であることをかえって如実に示している。

【関連記事】
労働者派遣法改正問題リンク集
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by mahounofuefuki | 2008-08-26 23:06

奨学金の返済延滞2200億円くらい国庫で負担しろ

 国の奨学金返済の延滞額が増え続けているという。
 共同通信(2008/08/23 16:28)より(太字強調は引用者による)。
 国の奨学金の返済延滞が増えている。返済が3カ月以上止まっている延滞額の合計は2007年度末で、2253億円(元金残高ベース)と前年度末に比べて179億円増加、全体の7・0%を占める。
 返済できない理由として低所得や無職・失業を挙げる人が多く、卒業後に安定した職業が見つからないなど若者の雇用環境の悪化が背景にある。ただ、国の税金で穴埋めを強いられる可能性があることから、財務省は事業主体の日本学生支援機構に回収を急ぐよう求めている。(後略)
 全労働者の3分の1以上が不安定な非正規雇用であることを考えれば、奨学金返済の延滞が増えるのは当然である。現行の奨学金制度の返済の仕組みは、毎月連続で支払うのが基本で、新卒→終身雇用を前提としており、途中で職を失ったり、月によって所得が不定だったりすると、途端に延滞してしまう。「貧困と格差」の拡大の象徴的事例である。

 私もそうだが、「氷河期世代」の比較的貧しい階層の出身者にとってとかくやりきれないのは、奨学金を借りながら高校や大学に何とか通い、そこそこの成績で出たにもかかわらず、就職戦線でこぼれ落ちて正規雇用に就けなかったり、運よく正規雇用に就けても過労や低所得や劣悪な待遇に耐えられずドロップアウトしたり、務めていた企業が倒産したりして、結局は「ワーキングプア」になっていたということが普遍的な人生になっていることである。この層はただでさえ不安定・低収入なのに、国民健康保険やら国民年金やら住民税やら各種の公共料金はきっちり定額で支払わなければならない。その上に奨学金の返済など無理な話である。

 ただでさえ奨学金を受けなければならないほど、経済的に苦しい学生時代を送らされたあげく、さらに社会人になってもその返済で苦しめられることに不条理を覚える。安定雇用が「狭き門」の時代にあっては、奨学金を受けるような階層であること自体が、就職に不利に働く。子どもの頃には塾や予備校に通って教育水準の高い学校に入り、血縁・地縁をはじめとする諸々のコネと世渡りのノウハウに恵まれた金持ちたちと同じ土俵で勝負などさせられては、貧乏人に勝ち目はない。前借金としての奨学金を得ても、まともな仕事に就ける保障がない以上、あえて誤解を恐れず言えば、現代の奨学金(返済のいらない給付奨学金を除いて)は一種の「貧困ビジネス」と化している。

 政府は法的措置を含め、回収に躍起になっているようだが、延滞者の多くがカネを支払えないような経済状況にあるのは、これまでの国の貧困拡大政策に起因する以上、返済を免除し、国庫で負担するべきである。「たったの」2253億円である。ちょうど同程度のアメリカ軍への「思いやり予算」をやめれば賄えますよ。

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学歴と結婚と階級社会
貧困のために学費を減免されている公立高校生は22万4000人
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by mahounofuefuki | 2008-08-25 22:34

歳出削減路線の帰結としての「タンス預金」30兆円

 今日のいくつかの新聞が、いわゆる「タンス預金」が30兆円にも上るという日本銀行の推計を報じている。日銀のホームページを見ると、昨日付けの「日銀レビュー」に「銀行券・流動性預金の高止まりについて」と題するレポートが載っており、これがソースのようである(なお報道では「日銀」が主語になっているが、当のレポートによればあくまでも執筆者個人の意見で、必ずしも日銀の公式見解ではないそうだ)。

 日銀レビュー 銀行券・流動性預金の高止まりについて
 http://www.boj.or.jp/type/ronbun/rev/rev08j09.htm

 このレポートの主題は、1990年代以降定期預金から普通預金・当座預金や現金に資金がシフトし、高止まりを続けている要因を明らかにすることで、従来は金融システムへの不安や低金利政策やペイオフの影響が指摘されていたが、この数年これらの要因が解消・減退しているにもかかわらず、「過去の関係への回帰は見受けられない」のは、「タンス預金」のような形で家計に現金が滞留していることが影響していると結論づけている。特に高齢層に顕著だという。

 この推計は複数のアプローチをとっていて、それぞれ数字に幅があるのだが、「タンス預金」など非取引需要の銀行券・流動性預金(普通預金や当座預金)は、1995年当時にはおおむね約1~5兆円だったのが、2007年には約30兆円に上っている。また、2004年の1万円札改札後も、旧札が依然として約14兆円も日銀に回収されず滞留しているという。少なくともこの14兆円は文字通り「タンス」に眠っているのは間違いないところだろう。

 一般的な感覚としては、バブル崩壊後、一貫して家計は苦しく、個別の預貯金は減り続けているように思えるし、実際3人に1人が預金ゼロであるという話もあるほどなので、家計の現金保有額や流動性預金が増加を続けているという数字は意外な気もするが、それだけある所にはあるということだろう。借金によって相殺されることを考慮しても、依然として家計が有する貯蓄は大きいことは確かだろう。

 この推計が示すのは、相次ぐ金融緩和や低金利政策を続けたにもかかわらず、相当数の金持ちや資産持ちたちが資金を株式などへの投資に回さず、手元にため込んでいるということである。特に高齢層でそれが顕著なのは、それだけリスクに敏感であると同時に、漠然とした「将来への不安」が大きく影響しているのではないか。社会保障を中心とする歳出削減路線の結果、公的給付への不信感が高まり、とにかく手元に現金を置いておこうとする力学が働き、結局投資意欲が減退しているのである。

 これこそ新自由主義政策の破綻を示しているのではないか。一方でリスクのある投資を促し、富裕層への減税を行いながら、他方で歳出削減を続け、公的給付を減らす。その結果が資金の流動化どころか、文字通りの「タンス預金」の蓄積では市場経済としては完全な失敗である。「小さな政府」を強化すればするほど、社会不安が増大し、カネが回らなくなるという厳然たる事実がここにある。

 高齢者の「タンス預金」を引き出させようとするなら、医療や福祉や老齢年金への「安心」が必須である。「市場の活性化」という観点からも、実は十分な社会保障の確立が必要であることを示していよう。
 (「タンス預金」どころか、今日明日の生活も不透明なこちらの本音としては、富裕税でも設けて強制的に再分配しろ!と言いたいところだが・・・。今回は自重する。)
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by mahounofuefuki | 2008-08-23 16:12

日弁連の裁判員制度の緊急声明と「民主党への政権交代」論が似ている件

 裁判員制度に対しては、最近ついに共産党と社民党が実施延期を要請し、民主党からも制度を見直すべきだという声が出ている。国会で裁判員制度法案が成立した時は全会一致だったことを考えると隔世の感があるが、多くの人々が制度に不安を持っている以上、これらの動きは当然とも言える。

 しかし、日弁連はこのほど改めて裁判員制度を予定通り来春より実施するべきであるという緊急声明を発した。
 日弁連 - 裁判員制度施行時期に関する緊急声明
 http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/080820.html

 「人質司法や調書裁判という刑事裁判の根本的な欠陥はそのままです。これを変えるためには、市民のみなさまに裁判に関与していただき、無罪推定の大原則の下、『見て聞いて分かる』法廷で判断していただくことが不可欠です」
 「市民のみなさまにはご負担をおかけしますが、是非とも裁判員制度に参加していただき、みなさまの健全な社会常識を司法の場に生かしていただきたいのです」

 この自信にいったいどんな根拠があるのか? 以前も述べたが、私が裁判員制度に危惧を抱くのは、まさにその「市民」の「健全な社会常識」に全く信を置けないからにほかならない。制度導入により「捜査も自白よりも物的証拠や科学的な捜査を重視する方向に」なると声明は主張するが、それは裁判員が「物的証拠や科学的な捜査を重視」するという前提がなければ成立しない。

 そもそも誰が見ても分かるような物的証拠があれば、裁判官だろうと裁判員だろうとその裁判結果に大差はない。問題は検察が物的証拠を隠蔽している場合、及び物的証拠が乏しい場合であって、今回の制度では前者については改善の保障はなく、後者についてはそれこそ慎重な検討が必要なのに、新制度によって「裁判員の負担を軽減するために」公判の期間が短縮され、性急な結論が出る危険性がある。

 声明は検察審査会を例示して、「市民」の抵抗感は実際に実施されれば緩和されると述べているが、「不起訴になった人を改めて起訴する」=「有罪になる可能性に道を開く」検察審査会と、「無罪になる可能性に道を開く」はずの裁判員制度とでは質的に異なる。この国では依然として「正義感」とは「敵」に「懲罰」「苦役」を与える方向で発揮される。被害者参加制度と合わせて考えると、裁判員制度導入がむしろ冤罪を増やすのではないか。

 日弁連声明の最大の問題は「裁判員制度を延期して今の刑事裁判を継続するのではなく、この制度を実施の上、欠点があれば、実施状況を見ながら改善していくという方法で進めるべきである」(太字強調は引用者による)という箇所である。要するに裁判員制度にはいろいろ欠陥はあるが、とりあえず実施して、それから問題を処方すればよい、と主張しているのである。

 これと似た論法を私は知っている。「政権交代を延期して自民党政権を継続するのではなく、とりあえず民主党に政権交代させて、民主党政権の様子を見て、問題があれば改善を求める」というありがちな「民主党への政権交代」論と瓜二つ! 両者に共通するのは「現行の欠陥の上にさらなる欠陥が増える可能性」を無視していることである(*)。

 「民主党政権」の話は今回の本題ではないので脇に置くが、裁判員制度の場合、「現行と同じ」どころか「現行より悪くなる」可能性がずっと深刻である。前述のように私には現行制度に比べて良くなるとはとうてい思えない。こうした疑問は私だけのものではないだろう。日弁連の主張はそうした疑問や不安には答えずに、「黙ってついて来い」と言っているように聞こえる。

 共産・社民両党の申し入れは「中止」ではなく「延期」である。少なくとも現在想定される数々の欠陥を、制度実施前に見直す時間を「延期」によって増やすことは、日弁連が望む司法改革とも矛盾しないはずだ。報道や漏れ伝わるところによれば、弁護士の間でも裁判員制度に対する不安は増えているようでもあるし、この際日弁連からも裁判員制度の施行延期に賛同の意を示して欲しい。


 *こう言うとまた「お前は自民党政権の継続を狙うスパイだ」とか言い出す人が出そうだが(笑)、私が抵抗しているのはあくまでも「政策転換なき政権交代」であって、「福祉国家への政策転換を伴う政権交代」はむしろ歓迎するところである。また「政策なき政権交代」についても「期待できない(正確には民主党政権では私は救済されない)」と考えているにすぎず、むしろ「民主党に問題があっても批判するな」という言論封殺や共産党を潰せという「反共主義」に対して怒っているのである。そこを見誤らないように。

【関連記事】
裁判員制度に対する私の本音
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by mahounofuefuki | 2008-08-21 23:31

エキサイトブログがようやくYouTube貼り付け可能に

 「エキサイトブログ向上委員会」によると、エキサイトブログで今日からYouTubeの動画を貼り付けることが可能になったという。

 他社に比べていまさらという感は拭えないし、重くなるのは嫌なので(私がエキサイトブログを使っているほぼ唯一の利点は機能が少ない分、軽いことに尽きる)、当ブログではあまり埋め込むことはないと思うが、何かの機会に使うかもしれないので、一応試験的に適当な動画を入れてみる。



 ちなみに動画は、ギドン・クレーメルのヴァイオリンによる、バッハのシャコンヌの前半部分。現役のヴァイオリニストでは、彼が最高だと思っている。
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by mahounofuefuki | 2008-08-20 23:04

「造反有理」

 東京で27歳の男が派遣会社「インテリジェンス」に「殺害予告」のメールを送ったとされる件。賢明な読者なら当ブログの過去ログから私の言いたいことは容易に推測できるだろうから、多くは語るまい。

 「『日雇い』禁止に反対しているようだがてめぇじゃ絶対働かないシステムだろ?一度そこまで行った人がどうやって立ち直って飯食っていくんだ?」(毎日新聞2008/08/19 13:24)までだったら喝采ものだったのに。あと派遣会社だけでなく、派遣先の企業にも言及していたら良かったのだが。

 いずれにせよ、本当に特定の標的を狙う気があったら「予告」などしないのもまた事実。

【関連記事】
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by mahounofuefuki | 2008-08-19 17:59

若衆が村役人宅を封鎖して「休みを増やせ」と要求する風習

 盆休みも終わり、今日から通常営業だったという人が結構いると思う。有給休暇制度があまり機能していない(というより権利として確立していない)日本では、盆と正月と5月の大型連休に長期休暇が集中しがちで、せっかくの休暇も地獄のような帰省及びUターンラッシュに見舞われるか、どこかへ出かけても人ごみだらけで、全然休めないよ~という場合も多い。それ以前に長期休暇自体がなくて、盆の間も仕事でした、という人も増えていることだろう。日本の労働時間の長さと休暇の少なさは世界有数である。

 長野県南箕輪村田畑地区では、盆休みの終わりに若衆が村の有力者の邸宅をバリケードで封鎖して外に出られなくなるようにし、盆休みをもう1日延ばせと実力で要求する「盆正月」という風習が明治以来続いているそうだ。

 信濃毎日新聞(2008/08/18)によると、今年も8月16日深夜から17日早朝にかけて、有志の「伝統行事を守る会」の人々が区長宅や公民館などで行ったという。「区長宅の玄関前は母屋隣の物置から持ち出した小型耕運機や靴箱、一輪車などが積まれ、玄関から出入りするすき間もなかった。玄関前の地面には、石灰のような白い粉で『お正月』との文字が大きく書かれていた」。
 *中日新聞(2008/08/18 08:46)によると、もともとは「盆が終われば正月だ」という意味を込めて、最後に正月飾りを取り付けていたという。

 今年は17日が日曜なので、いずれにせよ公定休日なのだが、区長は律儀にも区内に「今日は休みにしてください」と周知したという。おそらくそういう対応も含めて定番化しているのだろうが、この種の「奇習」が現代も継続して行われていることに驚きを禁じ得ない。

 もともとは盆休みに遊び足りない若い衆が、強引に村役人へ要求を通したのが始まりだそうで(信濃毎日新聞の「信州歳時記」などより)、人によっては「悪ふざけ」に見えるかもしれないが、私はこういう痛快な「伝統」は好きである。これはある意味、休養権を要求して労働者が集団で決起したようなもので、まさに「リアル蟹工船」である。現在のインディーズ系の労働運動にも通じるところがある。

 南箕輪を含む長野県伊那地方は、日本近代史上、自生的な青年運動が活発だった地域として知られている。特に1920年代には農民青年による自主教育運動である「自由大学」運動や、社会主義青年運動が広がり、中央政府主導の青年団統制が強化されていた時期にあって、例外的に江戸以来の「若衆組」の伝統を引き継ぎつつ、「下から」のうねりが確固たる地盤をかちえていた。この「盆正月」はそうした過去の遺産の名残なのだろう。

 「伝統」というと専ら天皇制国家によって「上から」創出されたものばかりを「固有の伝統」とか「古来の伝統」とありがたがる傾向が強いが、むしろ田畑の「盆正月」のような「奇習」にこそ引き継ぐべき日本社会の「伝統」が息づいていると思う。現在でも「休みを増やせ!」「有給休暇を取らせろ!」と労働者が株主や経営者宅を包囲封鎖できたら面白いのに。

【関連リンク】
信州歳時記|夏 ~ 盆正月(信濃毎日新聞社)
http://www8.shinmai.co.jp/saijiki/data/08_002049.php
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by mahounofuefuki | 2008-08-18 17:43

教員採用の面接官に財界人を使うな

 相次ぐ不正が明らかになった大分県の教員採用試験だが、こんなニュースが目に入った。
 毎日新聞(2008/08/15夕刊)より。
 大分県の教員採用試験(小中高)で、長年にわたり面接官を出していた大分経済同友会(代表幹事・高橋靖周大分銀行会長ら、会員240人)が、今年は協力を見合わせることが分かった。採点結果が合否判定にどう生かされているかなど県教委から十分な説明がなく、会員の間に以前から不信感が募っており、汚職事件で決定的となったという。
 県教委は05年以降、民間面接官派遣を同友会だけに頼っていた。(後略)
 教員採用試験の面接官に民間企業経営者!? 長年!? 恥ずかしながら今まで全く知らなかった。てっきり教員と教育委員会の人間だけで面接していると思っていた。

 文部科学省のホームページに、昨年各地の教育委員会が実施した2008年度教員採用試験の概要が出ているが、確かにそこに「民間人」面接官のことも記載されていた。
 平成20年度公立学校教員採用選考試験の実施方法について(概要)- 文部科学省
 http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/20/01/07121305.htm

 採用試験を実施した全64の都道府県及び指定都市の教委のうち、42の教委で民間企業から面接官を入れている。いつから行われているのか不明だが、こんなところで財界が教員人事に直接関与していたことに驚かされる。

 「外部」の「民間人」を面接官に起用すること自体は別に悪いとは思わない。不正を抑制するためにも、ある程度「外」の人間を入れる必要はあろう。しかし、それがなぜ企業経営者なのか。大分県の場合、2005年以降は地元の財界団体に依存していたそうだから、少なくともこの数年は財界人以外の民間人は起用されていなかったことになる。もちろんその中には教育に詳しく熱心な人もいたかもしれないが、本来利益の追求を至上命題とする企業経営とそうではない教育とは水と油である。企業のものさしでは優秀な人材が、教員として優秀であるとは限らない。

 たとえば、これが経営者ではなく、同じ企業でも労働組合の幹部が面接官に起用されることを想像してみよう。誰もが「おかしい」と思い「偏った選考」を危惧するだろう。あるいは、逆に教員が企業の採用面接者に起用されることを想像してみよう。誰もが「教員なんかに企業がわかるのか」と疑問を抱くだろう。財界人が教員採用の面接官を務めるのも同じようなものである。ところが、「民=善」「官=悪」という思い込みのせいもあって、財界人だけはスルーされる。

 そもそも「民間人」を入れていたのに、一連の不正を防ぐことはできなかった。むしろ捜査の手が伸びていないだけで、財界人が面接官になるルートが財界と教委の「口利きルート」になっていたのでは?と邪推さえしてしまう。そういえば某県では地元新聞社の経営者に教員採用の口利き疑惑が持ち上がった。汚職体質は官も民も変わらない。

 結局のところ「民間人面接官」も、この数十年続いている教育への市場原理導入の策動と、それを容易にするために教育の専門家(教員や教育学者など)の地位を貶めようとする政策の一環ととらえるべきだろう。

 私は昨今の教育問題なるものは、「素人」があまりにも教育政策に口出ししすぎることに起因すると考えていて、今一度「教育の専門性」を見直し、専門家が力を発揮できる環境を作ることが必要だとみている。その観点に立てば、今回の大分県の場合、いっそのこと民間企業からの面接官任用をやめてしまうべきだ。前記文部科学省の集計によれば、「民間人」でも臨床心理士やスクールカウンセラーを面接官に起用した教委が23ある。こうした教育に隣接する分野の実務者の任用枠を増やす方が、より「現場」に即した教員採用に寄与すると思う。

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by mahounofuefuki | 2008-08-17 12:06