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「1票の格差」を是正し、「世襲議員」を減らすには比例代表制しかない

 私が「何はともあれ(政策転換がなくても)政権交代」という考え方に抵抗感を抱く要因の1つに、1990年代の政権交代が結果として小選挙区制の導入につながった苦い記憶がある。リクルート事件以降の「政治改革」議論の核心は政界の金権体質の綱紀粛正であり、そのためには企業・団体の政治献金を全面禁止することが必要だったのに、細川連立政権はこれを衆議院の選挙制度改革にすり替え、現行の小選挙区比例代表並立制を導入した。当時まだ10代の少年だった私は、小選挙区制の方が選挙にカネがかからず、安定した保革二大政党制の道が開けるのではないかと漠然と考えていたが、その考えが全く間違いであったことは今や誰の目にも明らかである。

 今日の視点から振り返れば、小選挙区制こそが自民党の政権復帰と延命を可能とし(自民党はこの間得票率では過半数に至っていないのに)、社会党の解体を促進し、公明党が自民党と一蓮托生の関係となることを手伝ったと言えよう。それだけにもはや誰とは言わないが、当時「世界標準」の二大政党制を目指すと称して小選挙区制を推進した人々が、今また「政権交代を!」と叫んでも私は心を動かされないのである。特に現在の民主党の中枢を占める人々―小沢一郎、菅直人、鳩山由紀夫各氏ら―は、いずれも細川政権で小選挙区制導入を推進した「前科」がある。社民党は後に当時の判断の誤りを認めたが、小沢氏らは今も小選挙区制にしがみついている。

 共同通信が今年3月現在の国政選挙における「1票の格差」の試算を公表した。それによれば衆院小選挙区の「格差」は最大で2.277倍で、昨年より0.063ポイント拡大したという。参院選挙区の「格差」は最大で4.868倍で、これも昨年より0.065ポイント拡大したという(共同通信 2008/07/31 17:35)。依然として2倍以上の「格差」があり、法の下の平等に反すると言わなければならない。「1票の格差」は中選挙区制時代からあったが、小選挙区制下でも問題が全く解決していないことは明らかである。

 公職選挙法は毎年のように頻繁に改正を繰り返しているが、結局のところ制度自体に欠陥がある以上、小手先の修正ではいつまでたっても公平な選挙は実現しない。先の「郵政選挙」のように与党が半数に満たない得票率で議席配分では絶対安定多数を獲得するような詐欺のまがいのことを繰り返してはならない。民意ができるだけ反映するような選挙制度は議会政治の成熟のための必要条件である。

 あるべき選挙制度をめぐっては、中選挙区制(1選挙区より複数人選出)の復活やドイツのような小選挙区比例代表併用制(比例代表による議席配分に選挙区当選者を割り振る)の導入や、面白いところでは最近TBをいただいた「平和への結集ブログ」による中選挙区比例代表併用制という提案もあるが、私は衆院に関しては全国をいくつかのブロックに分けた拘束式比例代表制がベターだと考えている。比例代表制の利点は何より死票が少なく、民意を比較的正確に反映することにあるが、やはり選挙制度においてはこれが何よりも重要だからである。

 比例代表制に対しては「人」を選べないという批判があるが、日本の現況を考慮すればむしろそれも利点であると思われる。それというのも現在の日本ではいわゆる「世襲議員」が大きな割合を占めているが、これは各選挙区の議員を頂点とする利権構造を継続・維持するために、「地元」が世襲を要求しているのが一因である。選挙区から議員を切り離し、議員を一地域の利害代表から「国民」すべての代表とするには、選挙区制を廃止するのが最も手っ取り早い。仮に政党が「世襲」候補を比例名簿に入れるとしても、「七光」だけで上位になることは難しいだろうから、落選リスクは上昇する。なお堺屋太一氏が最近指摘しているように、「世襲」は中選挙区制時代の1980年代から急増しており(堺屋太一「二代目の研究」『現代』2008年8月号)、中選挙区制の復活では「世襲」を防ぐことは難しい。

 比例代表制のもう1つの利点は、議員が選挙対策から解放され、議会の仕事に集中できることである。人ではなく政党を選ぶ制度だから、選挙運動の中心は現在の個人後援会から政党に移る。優秀でも選挙区制ではとても当選できないような地味な人でも議員にすることも可能になる。国会審議に出ないで地元の選挙工作ばかりやっているような議員は消えるだろう。

 無所属の立候補ができないという問題はあるが、それは政党の人数条件を設けず、候補1人でも政党を作れるようにすれば憲法上の問題はクリアできる。小党乱立になる可能性はあるが、民意の反映という原則が何よりも重要である以上、些細なことである(実際は資金力の関係でいくつかの勢力に収斂される)。過半数形成は選挙ごとに政党間で政策協定を結び連立すればよい。欧州では普遍的なことである。ポピュリズム的にタレントばかり集めた政党が出てくる危険性はあるが、その危険は現行制度でも同じだし、何度か選挙行えば自ずと政治能力のない政党は淘汰されるだろう。

 現状ではそもそも選挙制度改革を行える客観的情勢にはほど遠く、小選挙区制で「勝利」した多数党が自ら小選挙区制を廃棄することは難しいので、ここで書いたことは単なる「個人的希望」の域を出ないが、少なくとも比例代表枠の拡大は「1票の格差」の是正のためにも必要であることは強調したい。具体的方策は全く手詰まりだが、長期的視野に立てば検討を重ねることは決して無駄にはならないだろう。

【関連リンク】
公職選挙法 - 法令データ提供システム
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO100.html
平和への結集ブログ 中選挙区比例代表併用制を提案する
http://kaze.fm/wordpress/?p=164
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by mahounofuefuki | 2008-07-31 22:34

「道州制」はやっぱり危険

 自民党総務会が昨日、同党道州制推進本部の「第3次中間報告」を了承した。次期衆院選の政権公約にもなるという。都道府県をいくつかの「道州」に再編し、市町村を「基礎自治体」とする「道州制」については政府や財界も導入を目指しているが、ついに政権与党の政策の目玉にまで「出世」したようである。

 「道州制」に対しては、自民党政治に批判的な人々の中でも、地方自治の拡大による行政の民主化に期待して支持ないし高評価する向きがあるが、当ブログでは「道州制」は衣替えした新自由主義政策の継続であるという見方を以前にも提示してきた。今回の中間報告を読むと、改めてその危険性がわかる。

 問題の第1は、「道州制」が「小さな政府」を前提としていることである。報告は国の仕事を「国家戦略」と「危機管理」に限り、現在国が担っている業務を「道州」に、都道府県が担っている業務を「基礎自治体」にいわば「下げ渡す」ことを明記している。一応、財源の移譲も示してはいるが、そもそも国―地方を貫いたコストカットを大前提にしている以上、これまでの「無駄の削減」と同様、社会保障つぶしになる可能性が高い。国の業務のうち外交と軍事という「夜警」機能以外を事実上地方に「押し付ける」のが実情だろう。

 問題の第2は、自治体に「自己責任」を課し、「改革」の競争を行わせようとしていることである。課税自主権といえば聞こえがいいが、要するに財政基盤の相違によって自治体間の歳入歳出に落差が生じるということである。報告では各道州の経済力の「格差」を埋めるために、「知的・社会的インフラ整備」の必要性を指摘しているが、これは経済力の弱い地域の「開発」を意味し、「道州の自立」を名目にした大型開発の乱発すら予想される。実際問題として関東や関西のような大都市圏を含む道州とそうでない道州との「格差」はそうやすやすと埋められるとは思えず、結局は弱いところほど増税やコストカットで無理をしてでも「成果」を上げざるをえなくなるだろう。

 今後考えられる最悪のシナリオは、国政レベルでは「無駄をなくす」の掛け声で「道州制」を既成事実とし、他方地方レベルでは大阪府の橋下徹知事や宮崎県の東国原英夫知事のようなポピュリストが先頭に立って目くらましを行って、あたかも「道州制」にすれば社会不安から逃れられるような幻想を大衆に与えることである。また、報告でも道州に議院内閣制を持ち込むための憲法改正の可能性を提示しているように、9条改憲との「抱き合わせ」に利用される恐れもある。ある意味「道州制」は「構造改革」と「改憲」の結節点とも言えよう。

 すでに後期高齢者医療制度が自治体の広域連合を主体としたり、それと連動した「メタボ健診」で受診率が低かった場合に自治体へ財政的ペナルティを与えるなど、あたかも「道州制」を先取りしたような制度がすでに始まっている。新自由主義を拒否するのならば、「道州制」も拒否しなければならない。

【関連記事】
「道州制」は新自由主義の隠れ蓑
「国の財政は夕張より悪い」は欺瞞

【関連リンク】
道州制に関する第3次報告 – 自民党
http://www.jimin.jp/jimin/seisaku/2008/seisaku-021.html


《追記 2008/07/31》

 日本経団連の御手洗冨士夫会長が仙台での講演で、「道州制」は「究極の構造改革」と述べたという。これは文字通り受け取るべきだろう。「道州制」は「構造改革」と同じ「被害」をもたらすということである。
 日本経団連タイムス No.2915-05 道州制シンポジウムを仙台で開催
 http://www.keidanren.or.jp/japanese/journal/times/2008/0731/05.html
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by mahounofuefuki | 2008-07-30 19:51

厚労省「今後の労働者派遣制度の在り方に関する研究会」報告書は不十分

 労働者派遣法の見直しを検討していた厚生労働省職業安定局の「今後の労働者派遣制度の在り方に関する研究会」が報告書案を答申した(厚労省のHPにはまだ出ていない)。すでに厚労省や与党は「日雇派遣」の原則禁止の方針を示しており、問題は研究会がプラスアルファをどのくらい盛り込むのかという点にあったが、各報道を読む限りでは既定方針の追認に終始しており失望の感はぬぐえない。

 毎日新聞(2008/07/28 21:42)によれば、報告書の要点は①30日以内の短期派遣の原則禁止、②労働局が派遣先に直接雇用を勧告する制度の新設、③企業グループ内の「専ら派遣」割合の制限(8割以下)、④マージン率の公開義務づけなどである。研究会ではマージン率の法的規制や派遣先の「みなし雇用」なども検討されたが、今回の報告書では盛り込まれず、登録型派遣の禁止も派遣対象業務の制限も見送られた。厚労省は今年に入ってから従来の規制緩和一辺倒の労働法制解体路線からの政策転換を図っているが、現状では全く不十分であると言わざるを得ない。

 今回の報告書に対しては、「派遣ユニオン」が早速声明を出して派遣規制の不足を批判している。TBいただいた「エム・クルー ユニオン」のブログに記載されているので参照いただきたい。
 声明 在り方研報告・日雇い派遣規制等に関する派遣ユニオンの見解 - エム・クルー ユニオン
 http://blog.goo.ne.jp/m_crew_union/e/d0e07266d34f44a0e5ef48ba90cd176a

 産経新聞(2008/07/28 21:06)によれば、「日雇派遣」についても禁止の例外となる業種の選定を労働政策審議会の今後の審議に委ねたというから、今回の報告書の内容ですら骨抜きされる可能性は依然として残っている。毎日新聞(2008/07/28 23:00)も指摘しているが、以前から当ブログが指摘しているように、労働者派遣法改正をめぐっては与党対野党ではなく、「自公・民主」対「共産・社民・国民新」という対立軸になっており、圧倒的多数の前者の動向によっては規制緩和との「抱き合わせ」の危険もある。決して楽観できる状況にはない。

 あくまでもピンハネという「中間搾取」の撤廃を目指すという観点から労働者派遣法の抜本的改正、特に不安定な登録型派遣の禁止、事実上企業のリストラ策となっている「専ら派遣」の禁止、派遣会社のマージン率の上限規制、派遣先による違法行為の場合の「みなし雇用」などは喫緊の課題である。今後舞台は労政審、さらに国会に移るがはっきりと声を上げていく必要がある。


《追記 2008/07/30》

 厚労省「今後の労働者派遣制度の在り方に関する研究会」の報告書がホームページに上がっていたのでリンクする。
 厚生労働省:「今後の労働者派遣制度の在り方に関する研究会報告書」について
 http://www.mhlw.go.jp/houdou/2008/07/h0728-1.html

【関連記事】
労働者派遣法改正問題リンク集
派遣労働見直しへのバックラッシュと「抱き合わせ」改正への警戒
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by mahounofuefuki | 2008-07-29 07:45

『めぞん一刻』は「格差恋愛」ではない

 今朝、新聞のテレビ番組欄に目を通していたら、次の一文が視野に入った。
「めぞん一刻~お金はないが愛はある!貧乏な就職浪人生と美しい管理人さんとの笑って泣ける“格差恋愛”!!」
 『めぞん一刻』は高橋留美子氏の1980年代の漫画で、「一刻館」という老朽アパートを舞台に、住人のさえない学生(当初は大学浪人)五代裕作と、美貌の管理人(20歳そこそこで「未亡人」になってしまったという設定)音無響子とのぎこちない恋愛を軸にしたラブコメディである。これまで何度かアニメ化や実写化がなされてきたが、今回はどうやら作品後半の実写ドラマ化らしい。作中の裕作は就職戦線で脱落し、大学卒業後「フリーター」を続けるので、そのあたりを指して番組欄の担当者はこのような惹句を書いたのだろうが、私には納得できない。なぜなら少なくとも原作は「お金はないが愛はある」という内容でもなければ、響子と裕作の恋愛は「格差恋愛」でもないからだ。

 作中、裕作と響子の恋は四角関係、五角関係が絡まり、それぞれの優柔不断のせいもあって、なかなか進展しないが、作品終盤最大の「障害」は裕作が「フリーター」で、定職に就いていないことにあった。一応はアパートの管理人という職にある響子が無職の裕作を食わせるという展開にはならない。裕作は保育士資格(当時の公式名称は男でも「保母」だった)を取り、(結果として)過去のコネで保育所に就職を決めてから響子にプロポーズする。響子はストーリーの序盤から経済面にシビアなところを見せている。作品を客観的に分析すれば「お金はないが愛はある」と言えるほど夢想的ではない。

 「格差恋愛」という「評価」は、そんな「負け組」だった裕作と「美貌」のヒロインである響子との立場の「格差」を前提にしているが、実は響子はその「美貌」以外には特に何のとりえもなく、「貧困リスク」さえ抱えている。実際、響子は母親に「あんたみたいに未亡人で若くもなくて、学歴も技術もないわがままな子をもらってくれる男なんて、これから先鐘や太鼓で捜したって、金輪際未来永劫現れない」とまで言われていたように、前夫とは高校卒業後すぐに結婚したために学歴も社会経験もなく、しかもサラリーマンの1人娘なので将来の「親の介護」というリスクを抱えている。漫画の終盤では20代後半にさしかかり、唯一の「利点」であった「顔面偏差値」も怪しくなっている。「一刻館」はいつまで存続できるかどうかわからないほど老朽化しており、大家である前夫の父親(かなり老齢)の死後の生活は極めて不透明である。「格差」と言えるほど裕作に対して優位に立っているわけではないのだ。

 ところで、現在の視点で『めぞん一刻』を読み返すと、雇用問題や「貧困」をめぐる環境の変化が読み取れる。作中で裕作が大学を卒業したのは1985年(この漫画の時間軸設定は雑誌連載時とほぼ一致する)だが、この年の雇用者の非正規率は16.4%で、昨年の33.7%のおおよそ半分である(『労働経済白書』2008年版)。現在新卒で正規雇用に就けないということは珍しくも何ともないにもかかわらず、非正規労働者に対する「差別のまなざし」は依然として厳しいが、当時は量的に今よりもはるかに少数派だったから今以上にみじめで肩身の狭い思いを強いられていたはずである。実際、作中の裕作はアルバイト時代にみじめな姿を響子に見られたくないと悩んでいる。その点で『めぞん一刻』は今日の雇用における「尊厳」社会の貧窮者への「差別のまなざし」の問題を先取りしている。

 一方で裕作は「人とのつながり」には恵まれている。彼の実家は新潟の定食屋だが、店は姉婿が継ぐことになっているため、地元に帰ることができない。しかし、彼の祖母は時々上京するなど常に裕作を気にかけていて、響子との結婚が決まった時も自らの預金を結婚費用として裕作に貸したりしている。裕作は大学時代に教育実習先を「一刻館」の大家に紹介してもらったり、就職先やアルバイト先を大学時代の先輩や友人に紹介してもらったり、変人ぞろいの住人には何だかんだ言って愚痴や悩みを聞いてもらっている。何より女性にもてている。つまり、彼は浪人時代も含めて孤独であったことがない。作中の裕作はホームレスになるかどうかというような瀬戸際までは行っていないが、仮にそうなっても何とかなるのではないかという感じがする。湯浅誠氏の貧困論に従えば「溜め」があるのである。この点は現在の貧窮者との決定的な差である。

 そして最大の問題は、作中の裕作は貧しく不安定な非正規労働者から経済的に自立しうる社会人になり得たが、現在は一度貧困に陥るとそこから抜け出すことが困難であるということだ。裕作は保育士になったが、現在この職業は専門職にもかかわらず、保育所の民営化や外部委託など規制緩和政策のせいで派遣のような間接雇用やアルバイトのような有期雇用が増加し、低賃金(特に派遣はピンハネがすさまじい)で不安定かつ過酷な仕事になっている。介護業界もそうだが、本来公営事業として公費を投入して経営すべき福祉・教育分野に市場原理を導入した結果、これらの分野の労働者は不当に低く扱われるようになった。保育士で食べていけた『めぞん一刻』の時代と現在の相違は、この20年間の労働者の地位低下を象徴している。

 現代は一見、五代裕作のような男性は大勢いて、音無響子のような女性はほとんどいないように見えるかもしれないが(今回の番組欄を書いた人はそう考えて「格差恋愛」と指摘したのだろう)、本当のところは、自分を食わせてくれる都合のよい男をただ待っているだけの音無響子の方こそ大勢いて、貧困から抜け出してまともな仕事にありつき結婚もできた五代裕作の方こそ天然記念物並みの少数なのではないか。『めぞん一刻』は今日ではいろいろと読み替えが必要なようである。
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by mahounofuefuki | 2008-07-26 18:18

貧困のために学費を減免されている公立高校生は22万4000人

 本来、新自由主義という思想の中核は「自己決定の結果としての自己責任」「公平性と透明性を前提とする競争」にあるのだが、日本では支配層によって都合よく切り貼りされた結果、専ら「自己決定に帰せられないことこそ自己責任」「不公平で不透明な競争」という始末で、単なる無法社会を形成してしまった。競争というもの自体が人々を疲弊させ、排除と差別を生みだすのに、さらに輪をかけて「はじめから勝者が決まっているレース」を強要されているのである。

 その最たるものが学校教育で、仮に「努力」と「実力」を重視するのならば、競争の前提として誰もが同じスタートラインに立てるような制度的保障が必要なのに、実際はむしろ各人の家庭の経済力やハビトゥスに左右され、「失敗するリスク」の大きいものほど不利で、貧困の再生産に寄与している。この貧困は単なる経済的な貧しさにとどまらず、対人コミュニケーションや社会性といった領域にまで広がりを見せていることは、秋葉原や八王子の殺傷事件が象徴的に示している通りである。

 NHKの調査によれば、家計の貧窮などを理由に公立高校の授業料を減免された生徒の数が、一昨年は全国で約22万4000人、生徒全体の9.4%に達し、減免の多い学校ほど高校中退が多いことも明らかになったという。以下、NHKニュース(2008/07/23 18:20)より(太字強調は引用者による。一部改行した)。
(前略) NHKは、家計が厳しいことなどを理由に、都道府県が公立高校の授業料を免除したり減額したりしている減免措置について調べました。平成18年度に減免措置を受けた生徒は全国で生徒全体の9.4%、22万4千人で、10年前の2倍に増えて、家計が厳しい家庭が急増していることがわかりました。
 さらに、減免措置を受けた生徒の割合が全国平均とほぼ同じ埼玉県で、減免措置と高校中退の関係を調べたところ、減免措置を受けた生徒が10%未満の高校は中退した生徒の割合が3%でしたが、10%以上20%未満の高校は18%、20%以上の高校は31%に上りました。中には入学した生徒の半数近くが卒業していない高校もあって、家計が厳しい生徒が多い高校ほど高校中退が深刻な問題になっていることがわかりました。(後略)
 現在の日本社会では高校は「出てあたりまえ」と考えられており、高校中退者は就職できる職種も限定される。仮に学歴を不問にするよう規制しても、教育を受けていないこと自体が職業能力の低さにつながり、教育を受けた人と同じ土俵に立たされるのはどうしても不利になる。何よりも「家庭の経済力」という本人にはどうしようもない生得的条件のせいで、教育を受ける権利を阻害されているのは明白な人権侵害である。

 家計の貧富と中退者の増減との関係性からは、家が貧しい→家庭教育力の貧弱→教室でみじめな思い(排除やいじめ)→学習意欲・登校意欲の低下→学力低下・社会的逸脱→偏差値秩序における没落→「底辺校」の劣悪化→中退→「表」社会からの排除、というサイクルが想定しうる。学校教育からの排除は社会的逸脱に結びつきやすく、それが貧困リスクを高める。表向きは「やる気の欠如」や「素行の不良」で片づけられることも、突き詰めれば貧しさに行き着くことが多い。すべて「自力救済」に任せていては、ますます社会の歪みは広がっていくだろう。

 学校教育については累進税の教育税を新設してでも全額無償にするべきだというのが私の持論である。「貧困と差別」を解消するためには教育の不平等は決して座視できる問題ではない。

【関連記事】
教育の「平等」をめぐる齟齬~和田中の夜間特別授業
学歴と結婚と階級社会
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by mahounofuefuki | 2008-07-25 07:02

「反撃の書」としての2008年版「労働経済白書」

 厚生労働省が2008年の『労働経済白書』を公表し閣議に提出した。既に報道されているように、特に雇用についてこれまでの「構造改革」路線を事実上否定し、非正規雇用の正規雇用化や成果主義・業績主義賃金の見直しを提言するなど、最近の風向きの変化を反映する内容となっている。

 まだ全文を精査していないが、おおよそ眼を通したところでは、次の諸点に注意を引かれた(ページ数は「白書」本文版による)。

○ 全労働者に占める正規雇用の割合が低下を続ける一方、非正規雇用の割合が2007年度には33.7%にまで拡大し、特に派遣社員の構成比は2002年の0.8%から2007年の2.4%へ3倍も広がっている(p.26)。
○ 正社員を希望しながらやむなく非正社員として働く労働者の数が増加を続け、非正社員の8割以上が正社員を希望している(p.29)。
労働分配率は中小企業では上昇傾向が続いているが、資本金10億円以上の巨大企業では低下を続け、2006年度は53.3%にまで下落した(p.45)。一方、巨大企業の経常利益率は上昇を続け、配当率は2006年度こそ前年を下回ったが、依然として29.3%の高水準にある(p.46)。
○ 年間の総実労働時間は長期的には減少傾向にあるが、2000年代以降は所定外労働時間が増加し、労働時間短縮の動きは停滞している(p.52)。
○ 仕事に対する満足度は「収入」「やりがい」「安定」「休暇」いずれも、微小な増減はあるものの長期的に低落傾向が続いている(p.81)。
○ 日本の若年者の職場に対する不満は欧米諸国に比べて高く、他方で転職への意欲は低く、長期勤続を希望する傾向が高い(p.98)。
○ 日本では諸外国に比べて性別役割分業を支持する割合が突出して高い(p.102)。
○ 経営者の半数以上が依然としてパートや派遣等の非正規雇用の比率を拡大することを求めている(p.151)。
○ 卸売・小売・サービス業では有期雇用の増加や企業経営上の都合による雇用調整の結果、離職率が2000年代以降上昇を続けている(p.170)。
○ 経営者・労働者とも成果主義・業績主義による賃金決定方式を評価する傾向が高い(p.190)。ただし、賃金決定における年功要素の比重低下の結果、50歳代以上の比較的高齢層で賃金水準が低下している(p.192)。
○ 日本では経済成長の成果が労働者に波及しておらず、雇用・所得とも増加率が欧米諸国よりも低い(p.225)。
○ 産業別の労働分配率では特に製造業で低下が著しく、高度成長終焉後では最低水準にある。製造業は雇用数も景気回復過程にもかかわらず上がっていない(p.227)。
○ 大企業が短期的な利益率の向上を最優先し、配当金増加による株価上昇や内部留保拡大を重視した結果、中小企業が犠牲となっている(p.245)。

 今回の白書からも、日本の労働環境が欧米諸国に比べて相当劣悪な状況にあること、今回の景気回復が労働者には全くと言っていいほど恩恵をもたらさなかったこと、過労や雇用待遇差別が深刻であることなどが読み取れる。労働者の職場に対する不満も高い。

 注目すべきは、厚労省が安定的な正規雇用の拡大の必要性を明言したことにある(太字強調は引用者による、以下同じ)。
(前略)企業が今まで、正規従業員の雇用機会を絞り込んできたため、パートタイマーや派遣労働者などでは、正規の従業員として働きたいと望む人が増えている。経済の持続的な成長のもとで、正規従業員の雇用機会を拡大させていくとともに、滞留傾向がみられる年長フリーターの正規雇用化の取組を推進していくことが重要である。また、こうした就業促進の取組を、雇用の安定へと着実につなげていくため、正規従業員への就職促進と連動させて定着指導を強化し、継続性をもった安定的な雇用機会の拡大に取り組んでいくことが求められる。さらに、人々の多様な就業希望にも柔軟に応えながら、就業形態間で均衡のとれた処遇を着実に推進し、誰もが安心して働くことができる労働環境を整備していかなくてはならない。(後略) (p.p.258-259)
 単に正規雇用の機会を拡大すると言うならば、解雇規制を緩和することで「イスの奪い合い」を激化させて労働者を消耗させる可能性が想定されるが、「継続性をもった安定的な雇用機会」と断っている以上、離職率を抑制しつつ「正社員のイス」を増やす必要性を示したと言えよう。一方で、「就業形態間での均衡待遇」とは、正規・非正規間の同一労働・同一賃金の確立と読み取れるが、「均等」とは表記していないのでこの点は注意が必要である。

 本文中では特に製造業における雇用数の伸び率の低さ(及びそれに伴う労働時間の増加)と、正規雇用の減少を批判しているが、これは製造業への派遣労働の拡大を容認した2004年の労働者派遣法改定の誤りを事実上認めたと言える。昨年来の厚労省の路線転換と軌を一にしており、派遣労働制限への流れの一環であると評価すべきだろう。

 また、多くの企業で導入された成果主義・業績主義賃金が労働者間の意欲格差を生み、結果として労働生産性を低下させたことを批判していることも重要である。
(前略)企業は、業績・成果主義的な賃金制度を導入し、労働者一人ひとりに応じた賃金決定を行うことによって、仕事への意欲を高める人事方針をとってきたが、そのことは必ずしも成功していない。業績・成果主義的賃金制度の導入に伴い、特に、大卒ホワイトカラーにおいて、40 歳台から50 歳台の賃金格差が拡大しているが、自らの賃金や処遇に納得できないまま、意欲を失い、ただ無為に勤続期間だけが延びていくという労働者も少なくないのである。このような状況では、せっかくの企業における職務の経験も本人の職業能力開発につながらない。(後略) (p.255)
 成果主義・業績主義自体を否定してはいないが、競争原理の弊害を指摘し、「格差」の是正と人事評価の公平性・透明性の確立も要求しており、これまでの路線とは一線を画している。成果主義・業績主義が事実上労務コスト削減策に過ぎない実態も認めており、「競争万能」からの決別が読み取れる。

 総じて今回の『労働経済白書』は、経済財政諮問会議や財務省に対する厚労省の「反撃の書」と言ってよいのではないか。厚労省としてはこの機に労働政策の主導権を取り返し、「省益」の確保を確実にしただけにすぎないかもしれないし、表向きの言葉と実際の労働行政の酷薄さとのギャップは決して座視しえないが、少なくとも規制緩和一辺倒の「労働者いじめ」を繰り返した新自由主義路線から、人間らしい労働を制度的に保障する体制への転換に期待が持てる内容であることは確かだ。非正規雇用から正規雇用への転換を目指す側にとっても「反撃の書」となり得るだろう。

【関連記事】
広がる「結婚・出産格差」~「21世紀成年者縦断調査」を読む
高まる「平等」「安定」志向~「勤労生活に関する調査」を読む
労働者派遣法改正問題リンク集
日雇派遣禁止方針と秋葉原事件に因果関係はない

【関連リンク】
厚生労働省:平成20年版労働経済の分析(本文版)*いわゆる「労働経済白書」
http://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/roudou/08/index.html
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by mahounofuefuki | 2008-07-23 20:49

「内乱を冀(ねが)う心を外に移して国を興すの遠略」という問題

 1873年のいわゆる「征韓論政変(明治六年の政変)」の直接的契機となった朝鮮国遣使問題に際して、「征韓」派の西郷隆盛は太政大臣の三条実美に対し、「征韓」論争が「内乱を冀(ねが)う心を外に移して国を興すの遠略」であると説明したという(西郷隆盛書簡、板垣退助宛、1873年8月17日付)。当時、明治維新の相次ぐ変革により既得の特権を失った士族層の不満は爆発寸前にあり、他方暴政に対する民衆の一揆も続発していた。西郷の「意図」については諸説あるが、少なくとも日本国内の社会不安や政府への反発を抑制するために、その矛先を朝鮮国へ向けようとしていたことは確かだろう。

 近代国民国家の本質は、自然状態では何者でもない人々に「国民」という属性を与えて囲い込むことにあるが、囲い込んだロープの「内側」の矛盾が拡大した場合、為政者はその矛盾を隠蔽するために、ロープの「内」と「外」の矛盾をフレームアップするのが常套手段である。この原則には専制政治も民主政治も資本主義も社会主義も関係ない。「囲い込まれている安心」や「囲みの外に出る(出される)不安」を「国民」に刷り込むことができれば「統治」としては「成功」である(これに「囲いを広げる野心」まで植え付けることができれば「大成功」となる)。「内乱を冀う心を外に移して国を興すの遠略」は国家が国家である限り有効な戦略なのだ。

 文部科学省が新学習指導要領の解説書に「竹島」の領有権を明記した問題の背後にも西郷と同じ「遠略」が浮かび上がる。同省の銭谷真美事務次官は今月14日の記者会見で、今回の改訂で初めて「竹島」問題を記述した理由として、「我が国と郷土を愛する態度を養う」と規定した改定教育基本法の成立を挙げ(朝日新聞2008/07/14/21:09など)、「竹島」問題と「愛国心」との関係を堂々と認めた。竹島=トクト(独島)は現在韓国の実効統治下にある。現実にロープの「外」にある領域を「内」に入れるには、当然「外」との軋轢が生じる。第2次大戦後一貫して日韓間の係争が続いている問題でわざわざ挑発ともとれる行動をとるのは、改めて「内」の矛盾から「国民」の眼を逸らす材料を増やそうとしているのではないか。領土問題は人々に「囲い」の存在を再確認させるには最適である。

 「拉致問題」ピーク時や「イラク人質バッシング」当時に比べて、社会一般のナショナリズム傾向は低下している。しかし、それは単に「ネタ」としての消費期限が切れただけで、むしろ国家権力の側が「国民」の「囲みから出される不安」を煽るためには、これまでの「ネタ」とはレベルの異なる「具体的な緊張」が必要になっているとも言える。不平等税制の拡大、労働環境の悪化、高齢者医療制度の失敗、物価の高騰と現在の日本の政治は行き詰まりを見せており、「囲い込まれている安心」はもはや多くの人々に共有されていない。作家の辺見庸氏(余談だが彼は既成の知識人では珍しく「氷河期世代」の苦しみを共有して同伴しようと努力している)が言うようにこの国が「新しい内戦」下にあるのならば、権力にとってはまさに「内乱を冀う心を外に移」す必要がある。「不安」の責任を転嫁する対象の需要が生じる。

 今月16日に自民党の伊吹文明幹事長が講演で、次期衆院選について「勝とうと思うと一種の目くらましをやらないとしょうがない」と発言したことが物議を醸したが(北海道新聞2008/07/19 10:26)、彼の言うような自民か民主かといった政局レベルの話とは異なる、もっと大きな意味での「目くらまし」をこの国の支配層が望む客観的状況が成立しつつあるのではないか。支配層の権益を維持しつつ(つまり民衆には分け前を増やさず)、それでいて「囲い込まれている実感」をなくした人々に再び「囲い込まれている安心」を与えるため、ロープの「外」に「不安の原因」を作り出すという古典的だが効果の大きい方法。それが具体的に何なのかはここで自信をもって言えないが、そういう危険が具現化する情勢にあるということは念頭に置いておいた方がいい。
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by mahounofuefuki | 2008-07-21 22:29

共産党の民主党批判について

 前のエントリでも触れたが、先週末に口腔外科系の持病が悪化して以来、痛みもさることながら、やたら副作用の強い内服薬を服用させられたりして、肉体的に辛い日々が続いている。そのせいでブログの更新もままならず(きちんとしたエントリを上げる余裕がない)、しかもそういう時に限って粘着質な批判が来てその対応に追われてしまい、何もかも不如意な状態である。

 そんな中、いつもご贔屓をいただいている「BLOG BLUES」「+++PPFV BLOG+++」「大脇道場」から相次いで共産党の民主党批判に関するエントリのTBをいただいた。このうち「大脇道場」は前二者の記事を受けて「私にも『何か言え』ということだろうか」と述べておられたが、実は私も全く同じ感想を持った(笑)。民主党問題については、以前「民主党の新自由主義への親和性に目を瞑る者は財界とアメリカの走狗」という記事で言いたいことを言って主観的にはすっきりしたのだが、よそのコメント欄でこの記事が誤読されていたので、追加説明が必要とは考えていた。今回はその好機なのだが、前述のようにあいにく健康がそれを許してくれない。

 今回は1点だけ、この話題が再浮上したきっかけであろう、先日行われた共産党の第6回中央委員会総会における志位和夫委員長の幹部会報告について。マスメディアの報道は民主党批判の部分だけを強調し、「BLOG BLUES」も「共産VS民主ではない、共産VS自民なのだ」と志位報告を批判していたが、「赤旗」に出た報告骨子によれば、まず「自公政権に正面から対決するとともに、政治の中身の変革を大いに語ろう」とあり、それに続いて「民主党の政治的立場への批判も日本改革の方針を太く語ることと一体で」とあり、両者間には微妙な違い(共産党の「文法」ではこういう微妙さが意外と重要である)があって、あくまでも本筋は「共産VS自公」という方向を目指すと読み取れる。むしろそれをマスメディアが曲解したことの意味を考えるべきだろう。

 ちなみに次期衆院選に対する私の見解は、前々から言っているように、新自由主義路線転換へのプレッシャーを自民・民主・公明各党や財界・官界(ついでにアメリカ政府)に与えるために共産党を躍進させることが必要である、ということに尽きる。合法的に支配層を動揺させるにはそれが最も確実な方法である。この主張のために「自民党の走狗」呼ばわりされる言われはない。

【関連記事】
民主党の新自由主義への親和性に目を瞑る者は財界とアメリカの走狗

【関連リンク】
日本共産党第6回中央委員会総会開く/響きあう 情勢と綱領路線/「政治の中身の変革」語ろう/総選挙で勝てる強大な党を/志位委員長が幹部会報告 – しんぶん赤旗
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-07-12/2008071201_01_0.html
BLOG BLUES:共産VS民主ではない、共産VS自民なのだ
http://blogblues.exblog.jp/7310111
+++PPFV BLOG+++:自民党と民主党の対抗軸は「政権交代」
http://ppfvblog.seesaa.net/article/103017337.html
大脇道場NO.527「共産VS民主ではない、共産VS自民なのだ」・・・世間的にそうなってないからこそ!
http://toyugenki2.blog107.fc2.com/blog-entry-583.html
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by mahounofuefuki | 2008-07-17 18:51

雇用の流動化で非正規労働者は救われるか

 2月に弊ブログで「『非正社員が正社員になりたかったら、正社員の解雇自由化に賛成しろ』という悪魔の囁き」というエントリを挙げたが、これに対して「異論-はにはに-Observation」というブログから反論のトラックバックをいただいた(なぜか記事本文では名指しを回避し、リンクもされていないが、サイドバーに明記しているように引用・転載・リンクはフリーにしているので、余計な配慮は無用である)。
 非正社員の「本当の敵」は正社員だ!|異論-はにはに-Observation
 http://iron.blog75.fc2.com/blog-entry-214.html

 このブログの他のエントリをいくつか斜め読みしたが、このブログ主と私との間には基本的な社会認識や倫理観において深い溝があり、議論を繰り返しても平行線のままなのは確実なので、捨て置いてもよいのだが(「共通の土台」のない相手との議論は不毛だと私は考えている)、正規雇用の解雇規制緩和をめぐる問題は改めて述べたかったので、この機会に再反論を通して当方の見解を整理したい。

 「異論~」氏の批判の要点をまとめると次のようになる。
①弊ブログの主張は「正社員」の立場からの物言いであって、「国全体」を良くしようとするのなら、個人の既得の地位に固執してはならないのではないか。
②全労働者の均等待遇のためには、正社員の待遇を引き下げるべきで、「全労働者の奴隷化」ですら労働者間の利害統一のためには容認できるのではないか。
③解雇規制を緩和して雇用市場を流動化した方が、労働者の企業への帰属性が弱まり、むしろ経営の労務管理に対する自由が拡大して、過労や成果競争を緩和できるのではないか。
④経営者側には労働者間を分断する必然性はなく、むしろ正社員層が非正社員層への差別を求めているのではないか。
 以上の批判はいずれも弊ブログの主張の根幹にかかわる論点であり、ほぼ全面否定と言ってよいだろう。結論から言えば「異論~」氏の主張はあまりにも無邪気で、雇用待遇差別問題に対する無知と問題解決への見通しの甘さを曝け出しており、とうてい受容できる内容ではない。

 まず①について。弊ブログは一貫して非正規雇用者の立場から待遇差別を批判するというスタンスをとっており、それゆえに御用組合に堕した正社員労組の姿勢を厳しく批判したり、正社員層の非正社員層に対する「差別のまなざし」を問題にしてきた。氏は勝手に私を「恵まれた正社員」に仕立てているが、実際のところ私は正社員ではない。さらに「国全体」を良くしようという意思は私には全くない。あくまで労働者階級の利益追求が最優先であり、「公共の福祉」のために弱者を犠牲にするような思考は私の最も唾棄するところである。氏はそうした思考を「政治運動」と切り捨てるのだが、「政治運動」の何が悪いのか。労働者の利益追求は「政治運動」だから駄目で、資本家の利益追求は「国益」だから良いとでも言うのだろうか。往々にして「国全体の利益」なるものは権力者に利益にすぎない。この批判は論外である。

 次に②について。正規・非正規雇用間の待遇差別は「格差」も問題だが、何よりも非正規労働者が置かれた状況の非人間性に最大の問題がある。有期雇用・間接雇用であるが故に、低賃金の上に失業リスクが高く、既存の社会保障システム(医療保険・雇用保険・年金)から排除されているというのは、生存権が脅かされていると言っても過言ではない。故にいかに正規雇用の待遇引き下げによって「格差」が解消されても、そこでは生存権の侵害という根本は何も解決されていない。
 氏は正社員の待遇を落としてでも非正社員の待遇引き上げを実現し、その上で改めて全労働者で総体的な待遇改善を要求すべきと述べているが、あまりにも非現実的な話である。正社員の待遇引き下げが非正社員の待遇引き上げに直結するわけではない。正社員の待遇を引き下げても非正社員の待遇が引き上がる保障は全くない。労組主導でワークシェアを行うにしても、日本の労組組織率は著しく低く、特に中小企業ではそんな構想は絶望的である。さらに正社員の引き下げにあわせて、それを口実に(正社員でさえ我慢しているのだからとか言って)非正社員の引き下げも行われる可能性さえある。

 ③については、解雇規制を弱めればそれだけ失業リスクが上がる以上、是が非でも会社に残ろうとして無理をしてでも働くので、労働時間は増える一方となる。1人当たりの労働時間が増えれば労働者数は減り、結局「正社員のイス」を減らすことになるので、非正社員が正社員になる機会は減ることになる。氏は雇用が流動化すれば労働者はより好待遇の企業に移ることができると言うが、実際は多くの業種で勤続年数が評価されるので、転職自体がリスクとなる。何よりも辞めた後、次の仕事が見つかるまでの生活はどうするのか。
 だいたい氏も認めるように雇用流動化で「正社員のイス」をゲットできるのは「一定のスキル」をもつ人であり、長年非正社員の地位に押し込められてスキルを獲得できなかった人は雇用が流動化しても這い上がることなどできない。雇用市場の流動化はむしろ「格差」の固定化に寄与すると言えよう。

 *なおあえて氏に有利な情報を提供するが、デンマークでは解雇が原則自由で、雇用市場は流動化されていて、氏の言うようなメリットが実際にある。ただし、それが可能なのは充実したセーフティネットと強力な労働運動が存在するからである。日本で解雇規制緩和を主張する人はなぜかおしなべてセーフティネットや労組の弱体化に加担している。もし「雇用待遇差別解消のための雇用の流動化」を主張するのならば、失業給付の大幅拡充やそれを可能にする「高負担・高福祉」の「大きな政府」を提唱しなければならない。単に雇用の流動化を唱えるのは、実際には待遇差別の解消など考えていないからである。

 ④については、財界の政策基調に対してあまりにも無知である。1990年代以降、財界は一貫して基幹的業務を少数精鋭の正社員に担わせ、それ以外は不安定な非正規雇用に転換する方針を貫いてきた。全体としてのコストカットと同時に労働者間を競わせ、正社員層には「被差別階層」を設定することで「ガス抜き」とし、非正社員層には経営者に向かうべき敵意を正社員層に振り向けることで、資本家は高みの見物ができるのである。解雇規制自由化は財界が近年推進してきた労働法制解体(労働環境を労使間の個別契約だけですべて決定できるようにし、労働三法を骨抜きにする企み)の一環で、あたかも正社員の解雇が自由になれば非正社員が正社員になれるような幻想を与えることで、非正社員層の支持を調達したいだけにすぎない。

 以上、論点に沿って再反論したが、最後にほかでもない財界サイドの人物の「本音トーク」を紹介しよう。日本経団連参与の高橋秀夫氏の発言である。
 年長フリーターにとって道はたやすくない。新卒採用が全体的に改善したとはいっても、企業を個別にみれば厳しい目で選考している。企業は正社員の採用には慎重だ。そこへ氷河期世代だったからといって、30歳までフリーターとして過ごしてしまい、技術のない人がきても採用はされない。(『エコノミスト』2008年5月20日号)
 要するに「正社員のイス」を増やしたくないのである。非正社員のキャリアなど全く評価していないのである。雇用の流動化が非正社員の正社員化に何ら寄与しないことをこの発言ははっきりと証明している。

 雇用待遇差別は解雇規制の緩和では解決するどころか、余計差別が強化されるだろう。企業任せでは決して解決することはない。そうであるならば法的規制によって非正規雇用を減らし、直接雇用・無期雇用の原則を確立して、法の力で企業に「正社員のイス」を増やすよう強要するしかない。労働者派遣法の抜本的改正がその端緒であることは弊ブログが常々指摘している通りである。

 *なお本当は正規・非正規間の差別についてもっとシビアな現実に即した話や、両者の連帯を可能にするための方法論について述べたかったが(当然そこでは正社員層に対するやや厳しい批判が含まれる)、反論だけで紙幅を費やしてしまったのでそれは別の機会に譲る。実は先日来、持病になっている外科的な症状が悪化して(具体的なことは個人情報なので書けないが)、病院へ定期的に通院しなければならなくなった。そんなわけで「別の機会」はいつになるかわからないし、ブログの更新頻度も落ちると思うがご容赦いただきたい。


《追記 2008/07/16》

 当該ブログがさらに反論のエントリを上げていたが、解雇規制の話を転職の話にすり替えるなど、本人も自認しているように「とりとめのない」内容で、その詭弁のオンパレードに失笑してしまった。そもそもの土台が違うので建設的な議論ができるはずもなく、私はもう相手にしない(向こうも「推敲する気力」がないそうだし)。互いに歩み寄る気がない以上、あとは読者の判断に委ねればそれでよいと思う。


《追記 2008/07/17》

 「相手にしない」と言ったのにご丁寧にもTBを送られてきたので一応追記する(推敲前の記事のTBは削除した。同一エントリなので)。ツッコミどころが多いので逐条批判を行いたいところだが、時間的余裕がないので要点のみでご了承いただきたい。

 辻広氏も「異論~」氏も「解雇規制の緩和」を前提とした「雇用の流動化」を主張していたからこそ、私ははじめからそこを批判しているのに、そこへ雇用が流動化されれば転職できるから問題はないという話を持ち出したのはほかでもない「異論~」氏であって、それを勝手に「雇用を流動化しない」=「転職しない」と決めつける姿勢が全く理解できない。私は一貫して「解雇規制の緩和を前提にした流動化」を問題にしているので、「雇用の流動化」=「解雇の自由化」と解釈しているのである。

 氏は自分の詭弁を認識していないようなので1つ教えると、「『現状はこうである!』これを無条件で是認してしまっては改善など出来ません」と言いながら、「法の力で企業に強要さえすれば『日本の労働者を全て正社員に出来る』と言う事でなければなりません。こんな法律を作っても『非正社員』なる労働者は確かに存在しなくなったけど、労働者の半数は貧困層のままなんて事になりかねません」と、まさに「希望者全員が(正社員の―引用注)イスに座れない」現状を無条件で是認しているのである。私は最初から雇用待遇差別の解消には、間接雇用・有期雇用を厳しく法的に規制し、特殊な例外を除いてすべて直接雇用・無期雇用にすべしと言っているのに、氏はよほどこの提案が気に入らないようで「アイデア合戦をしましょう」などと言って別の対案を出せと要求するのだが、少なくとも正社員になれば社会保障の企業負担が生じるので、貧困の一端は解消される契機になる以上「貧困層のまま」ということはない。

 氏の「全く違う意見の方が学ぶ所は多い」という点は正論だし、実際元エントリで辻広氏への批判を書いたことがきっかけとなって、それまで食わず嫌いしていたビジネス誌を読むようになり、得るものが大きかったという経験をしている。しかし、失礼ながら他のエントリから判断する限り、氏の言論姿勢そのものに疑問を感じるので、水かけ論になるだろうと判断して「相手にしない」と議論の打ち切りを表明した次第である。この判断には私が一目置くブログ「非国民通信」の次のエントリの影響を受けている。
 見苦しい - 非国民通信
 http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/8c04c7cb5399a3031e75fc1d86836e00

 他人のハンドルネームにケチをつけたり、他人の批判を「罵倒」呼ばわりするくせに「その社会では某国のように『共通の土台』を有しない人を粛清するのですか」といった誹謗をするような人と議論をする意味を見出すことはできない。現在内服薬の副作用で体調が不良なこともあって以後はTBが来ても相手にできない。「異論~」はずいぶん検索八分に遭っているそうなので、誹謗中傷もほどほどに、どうぞご自愛を。

【関連記事】
「非正社員が正社員になりたかったら、正社員の解雇自由化に賛成しろ」という悪魔の囁き
再度答える。「正社員の解雇自由化」は社会の崩壊を招く。
「正社員のイス」をめぐって
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by mahounofuefuki | 2008-07-15 03:20

2月8日の志位質問の会議録がようやく出た

 2月8日の衆議院予算委員会において、共産党の志位和夫委員長が派遣労働の実態を告発し、労働者派遣法の全面見直しを求めた質疑は、多くのマスメディアの黙殺にもかかわらず、ネットの動画投稿サイトなどで話題となり、政府が派遣労働の規制緩和路線を見直す契機の1つとなったが、なぜかこの日の会議録は長らく作成されていなかった。それだけ政府・与党にとって痛いところを突いた歴史的質疑だったのだが、今日衆院のホームページを確認したらようやく会議録が公開されていた。現在の非正規雇用差別の問題が集約されており、改めて読み直して決して損はない。

 衆議院のホームページで「会議録」→「予算委員会」→「第169回(常会)」→「第5号」と進むと、2月8日の予算委の会議録が読める。ぜひ参照を。

 衆議院ホームページ
 http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index.htm

 共産党に限らず国会議員がいつもこういう仕事をしてくれれば政治不信も少しは解消するのだが・・・。

【関連リンク】
YouTube - 2/8 派遣法改正し"労働者保護法"に 志位委員長が質問/衆院予算委員会(全編)
http://jp.youtube.com/watch?v=6I_NTfz3RNs&feature=user
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by mahounofuefuki | 2008-07-12 20:42