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「無保険の子どもが大阪府だけで約2000人」という衝撃

 大阪社会保障推進協議会がこのほど大阪府内で国民健康保険証を取り上げられた世帯の子どもの数を調査した。以下、毎日新聞2008/06/28大阪夕刊より(太字強調は引用者による)。
 国民健康保険(国保)の保険料を滞納したため、保険給付を差し止められ、医療費の全額自己負担が必要になった世帯の子ども(中学生以下)が、大阪府内17市町で3月末現在、628人に上ることが民間団体の調べで分かった。大阪市、堺市など6市は「データがない」としている。給付が差し止められている世帯数は府全体で約3万世帯あり、この団体は、大阪市などを含む府全体では子ども約2000人が「無保険」に陥っていると推計する。
(中略)
 民間団体の大阪社会保障推進協議会(大阪社保協)が府内43市町村に質問状を送り、回答を集計した。17市町が「いる」とし、20市町村が「いない」と回答した。大阪、堺、寝屋川、守口、茨木、柏原の6市は「データがない」などとして回答しなかったが、大阪市も、差し止め対象に子どものいる世帯があることは認めており、大阪社保協は府全体で約2000人と推計した。(後略)
 現行の国民健康保険では保険料を1年以上滞納すると、市町村は保険証を回収し、代わりに「被保険者資格証明書」を交付することができる。この資格証明書で受診すると医療費の窓口支払は全額自己負担になってしまう。昨年、厚生労働省が公表した調査によれば、2006年6月現在でこの資格証明書の発行を受けた世帯は、全国で35万1270世帯にものぼる。彼らはいわば「国民皆保険制度」の枠組みから排除された存在であるが、当然その中には子どももいるわけで、今回の調査はその実数を(地域限定ではあるが)初めて推計したものである。

 全額自己負担では風邪の受診でも莫大なカネが必要になる。当然、医療の受診を控えようとする。全国保険医団体連合会の調査では、2006年の資格証明書被交付者の受診率は一般の被保険者に比べて51分の1だという。ただでさえ低所得で保険料を払えないのが、さらに保険証を取り上げられ、高額な医療費を請求されるというのは、理不尽以外のなにものでもないが、特に子どもの医療を受ける権利が侵害されているのは非常に問題である。大阪府だけで約2000人ということは、全国では数万人にのぼるのは間違いない。

 国保については支払能力がない場合、分割納付や支払猶予の制度があるが、国保財政の悪化によりなかなか認められない。毎日新聞の前記記事によれば、昨年度の東大阪市の場合、40代夫婦と子ども2人の年間所得200万円の世帯で年間の保険料は約45万円だという。これはもはや「超重税」というレベルである。国保はもともと会社員や公務員などの給与所得者ではない、いわば収入の不安定な人々の保険であるが、それにもかかわらず1980年代以降、国庫負担率の削減が続いている。この国の社会保障制度がいかに強者に手厚く、弱者に冷たいかを最もよく示していると言えよう

 仮に親の怠慢で無保険になったとしても、子どもは親を選択できない以上、子どもには罪はない。自己が決定していないことに自己責任は決して及ぶべきではない。一方、憲法や児童福祉法に従うならば、行政は子どもが健やかに育つための施策を行う責任を有する。まず厚労省は全国で無保険の子どもがどれだけいるか正確な調査を行い、すべての子どもが医療を受けられるようにしなければならない。

【関連リンク】
大阪社会保障推進協議会
http://www2.ocn.ne.jp/~syahokyo/index.html
08年2月19日 国保資格証者の受診率低下-全国保険医団体連合会
http://hodanren.doc-net.or.jp/news/tyousa/080219kokuho/080219kokuho.html
国保証取り上げ35万世帯/「滞納」480万世帯に/貧困・格差拡大で最多更新/厚労省調査-しんぶん赤旗
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-02-23/2007022301_01_0.html


《追記 2008/08/19》

 しんぶん赤旗(2008/08/18)によれば、大阪府内で無保険状態にある子ども(乳幼児と小中学生)の数は1728人と判明したという。
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by mahounofuefuki | 2008-06-29 12:47

最近の日朝関係について~「拉致問題」解決の糸口

 今月の当ブログの「検索ワード」第1位は「蟹工船ブーム」だが、第2位は実は「斎木昭隆」だったりする。「斎木昭隆を6カ国協議の代表に送る愚」を書いたのは1月で、当時私は斎木氏が極右勢力の過剰な期待を背負わされて日朝交渉で身動きが取れないだろうと心配していた。

 実際は日本外交の「疎外」は私の想像をはるかに超えていて、もはや誰が実務責任者であるか、さらには誰が政権を担当しているかといったレベルでどうこうできる段階はすでに終焉していたことは、最近のアメリカ政府の「日本はずし」と言える動きが示す通りである。現在の日本外交はアメリカ一辺倒であるため、アメリカに梯子をはずされると全くのお手上げである。

 朝鮮をめぐる情勢については昨秋「袋小路の『対話と圧力』」というエントリで基本的な主張を述べた(前提となる情勢分析は今も通用するのでぜひ参照を)。当時、すでにアメリカ政府は核開発問題に一定の目途が立てば「テロ支援国家」指定を解除する方針を決定していた。また「拉致問題」については日朝2カ国間の問題であるとして、「拉致被害者家族会」や「拉致被害者を救う会」に対して「切り捨て」も通告していた(「アメリカに切り捨てられた『拉致家族』」参照)。今になって「家族会」あたりから「拉致が置き去りになる」と反発の声が聞こえるが、すでにリアルな国際政治の世界ではとっくの昔に置き去りにされているのである。いかにアメリカ政府の高官が表向きは「拉致問題を忘れない」とか言っても所詮はリップサービスにすぎない。

 すでに当ブログでは、世界最大の核保有国であるアメリカは、自国主導の世界秩序を揺るがさなければ、限定的な核拡散を容認していると指摘した(「山崎拓のトンデモ発言」参照)。だからこそ日本政府は「拉致」を理由にした対話拒否路線に拘泥せず、核問題に積極的にコミットし、アメリカ任せにしてはならないとも述べたのだが、残念ながら福田政権下でも強硬一辺倒の方向を完全廃棄するには至らず、その間に米朝間で着々と「成果」の積み上げが行われた。これで本当に朝鮮の非核化が実現できるのならば、それはそれでいいのだが、現状では依然として不透明である。

 日本外交のこうした失策を招いた最大の原因は、「家族会」や「救う会」のような極右勢力の暴走である。ひたすら「圧力」を言い続け、現実的な外交交渉を妨害ばかりしてきた。こういっては何だが、本当に「家族」を取り戻したかったら、土下座するなり身代金を払うなり形振り構わない姿勢をとるのが「親心」というものだろうが、「家族会」はすっかりヤクザまがいの連中に取り込まれ、ナショナリズムの道具としていいように使われてきた。

 あえて言ってしまうが「救う会」の指導層は「拉致問題」の解決など望んでいない。左翼からの転向組が主導する彼らは「拉致」のおかげで陽のあたるところへ出られた。解決してしまえば飯の種がなくなる。「拉致議連」に集うタカ派(厳密には「ナイーブなタカ派」)議員たちも同様である。昨年無残に消え去ったかに見えた安倍晋三氏は、再び「拉致」で存在感をアピールしようと目論んでいる。無能な彼にはそれしかないからだ。山崎拓氏との論戦パフォーマンスもその一環である。今や「拉致」は対外強硬派に骨の髄までしゃぶられていると言っても過言ではない。

 世論における影響力はかつてほどなくなったが、それでも「家族会」に対するタブーは今もメディアでは継続している。はっきりと「拉致家族」に対して極右とは手を切れ、あんな連中と組んでいる限り国際的信用も得られず、問題は悪化するばかりだと言い聞かせる必要があるのだが、これは口で言うほど容易くはない。

 唯一の希望の糸口は「家族会」には入っていない、あるいは距離を取るようになった「拉致家族」の存在である。政府認定拉致被害者のうち、北海道出身のI氏の家族は問題発覚から一貫して用心深い行動を取り(被害者の身を案じてしばらくは名前も伏せていた)、「家族会」にもはじめから入らなかった。I氏の実姉は2002年当時、地方紙に手記を寄せているが、日本の植民地支配下の強制連行や強制労働にも言及し、「拉致」を日朝間の不幸な歴史の中に位置づける視座をもっていた。「家族会」が「経済制裁」を大合唱していた時も、I氏の実兄は強硬外交に疑問を呈する趣旨の発言をしていた。

 もう1人。かつて「家族会」事務局長としてメディアにも多く露出していたH氏は、この数年「圧力」路線への批判を強め(以前ある講演で、制裁を叫んでいるだけでは単なる「反政府組織」であると「家族会」「救う会」を批判していた)、ついには親朝路線で知られる論壇誌『世界』にまで登場した。2002~03年当時、「拉致家族」の最強硬派として鳴らした彼が、今や日本政府が「過去の清算」を長らく怠ったことが「拉致」問題の一因であると示唆するまでに変貌した。彼の変化は「拉致家族」も極右勢力と離れれば、冷静な思考を取り戻すことができるという生きた見本だろう。

 「拉致問題」解決の糸口は、「拉致家族」と極右勢力の分離にあるが、この2者の例は決してそれが不可能ではないことを示している。マスメディアは勇気をもって「救う会」に対する明確な批判を行うべきである。

 米朝関係がどう転ぶにせよ、日本政府に必要なのは国交正常化交渉を通して拉致問題の解決を図るという、日朝ピョンヤン宣言当時の方針に復旧することである。幸い日朝国交正常化を目指す超党派議連も発足した。事実上「何もしない」路線と化した一国強硬路線を廃棄して、「行動対行動」の原則に立った対話路線へと舵を切ることを切に願う。
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by mahounofuefuki | 2008-06-28 14:44

社会保障切り捨て路線の是非と生存権裁判

 生活保護給付の老齢加算母子加算の廃止・減額は憲法第25条の生存権保障規定に反するとして、受給者らが自治体を訴えていた「生存権裁判」のうち、東京地裁の老齢加算廃止違憲訴訟の判決が下った。結果は残念ながら原告の請求棄却であった。

 この訴訟は単に生活保護受給者の問題ではなく、「構造改革」路線のもとで強力に進められている社会保障切り捨て政策そのものを問う意味を含んでいたが、今回の判決は厚生労働大臣の裁量権を広く認め、事実上切り捨てを追認したと言えよう。おそらく控訴するだろうし、まだほかの各地の訴訟もあるが、当面は政府の社会保障費抑制路線を後押しする効果を与えよう。以前、当ブログでは「この訴訟の帰趨は今後の社会保障政策全般に影響するだろう」と述べただけに本当に残念だ。

 今年の経済財政諮問会議の「骨太の方針」も、相変わらず社会保障費の自然増分の2200億円削減を継続し、歳出削減を「最大限」続けるという内容になる見通しだし、「上げ潮」派の巻き返しで政府・与党内の歳出抑制批判の声も抑えられ、またしてもしばらくは生活に直結した公的給付が削られたり、負担が増えたりする状況が続くだろう。

 庶民への負担増となる消費税増税は先送りされたものの、「無駄遣い」削減とたばこ税増税では再分配効果はなく「庶民いじめ」に変わりない。以前も指摘したが、現在の政界における「無駄」とは、軍事費や需要の低い大型開発のような「本当の無駄」ではなく、専ら人件費と社会保障費を指す。人件費といっても高級官僚の給与が減るわけではない。だいたいが福祉や医療や教育などの民生分野で下の職員が有期雇用や民間委託に置き換えられるのがオチだ。行政能力を落とし、不安定雇用を増加させるだけである。いいかげん騙されるのはやめて欲しいが、相変わらず「居酒屋タクシー」のような目くらましで、またしても世論は歳出削減路線に流れてしまう。

 社会保障の切り捨てと非正規雇用の増大が「官製貧困」の原因である以上、これらをやめることが急務であるにもかかわらず、裁判所までが自民・公明政権の悪政を追認してしまった。改めて日本の司法権の存在意義を問い直す必要があるだろう。


《追記》

 原告団・原告弁護団が東京地裁判決について声明を発している。
 東京生存権裁判の判決について*PDF
 http://www.news-pj.net/siryou/pdf/2008/tokyoseizonkensaibangenkokudan-20080626.pdf

 「本日言い渡された本判決は、第1に、生活保護基準以下の生活を強いられている国民(とりわけ高齢者)が存在する事実に対して、この貧困を解決するのではなく、この貧困状態に合わせて生活保護基準を切り下げ、格差と貧困を拡大する政府の不当な政策を是認したものであり、第2に、老齢加算が果たしてきた重要な役割を何ら理解することなく、老齢加算が廃止されることで高齢保護受給者の生存権を侵害している実態から目を背け、行政の違憲・違法な措置を追認した不当なものである」という批判は正鵠を得ている。

【関連記事】
生活保護と生存権
「無駄遣いがある限り増税はだめ」では消費税増税論に対抗できない

【関連リンク】
全国生活と健康を守る会連合会【生存権裁判】
http://www.zenseiren.net/seizonken/seizonken.html
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by mahounofuefuki | 2008-06-26 17:35

グッドウィル廃業と雇用待遇差別の根深さ

 派遣大手グッドウィルが厚生労働省より事業許可取り消し処分を受けるのが確実になり、ついに廃業に追い込まれた。事業停止処分を受けて以来、急速にシェアを失い、つぶれるのは時間の問題ではあったが、最後の最後まで経営側の身勝手に振り回され、労働者には苦しみしか与えられなかったと言えよう。

 グッドウィルユニオンが次のような声明を出している(太字強調は引用者による)。
(前略) 違法派遣や賃金不払など違法行為を繰り返してきたグッドウィルに対して派遣事業許可取り消し等の厳しい処分が出されるのは当然のことである。
 しかし、1995年以降、違法派遣を繰り返しながら拡大してきたグッドウィルを放置したばかりか、1999年の派遣法改正によりグッドウィルが行う事業を合法化して急成長に拍車をかけた国の責任は極めて大きい。
 もっと早くこのような違法派遣を取り締まっていれば、グッドウィルで働く労働者が数千人、数万人規模まで膨れ上がることはなかったし、許可取り消しによって大量の失業者を生み出すようなこともなかった。
 また、グッドウィルで働く日雇い派遣労働者が日雇い雇用保険に加入していれば、失業しても当面は「あぶれ手当」の受給により当面の生活を凌ぐことができたはずだが、厚生労働省は、グッドウィルが日雇い雇用保険に全く加入させていない状態を承知しながら、それさえも放置した
 許可取り消しまたは廃業により、雇用を失い、生活の道を立たれる労働者の救済が何よりも優先されなければならない。 (後略)
 廃業の直接的影響は言うまでもなく派遣労働者の失業である。しかし、日雇派遣については昨年雇用保険が適用されるように制度改正されたにもかかわらず、会社側が加入していなかったため、何の給付も受けられない。事業停止の時も遡及加入を求める動きがあったが、厚生労働省は何の実効的な対策をとらなかった。セーフティネットが貧弱どころか、皆無なのである。

 ところで、グッドウィルは廃業に際して、正社員もすべて解雇するようだが、その正社員の労組「人材サービスゼネラルユニオン(JSGU)」と上部組織のゼンセン同盟が昨日経営側を非難する会見を開いている(毎日新聞2008/06/25 22:22など)。一方的な退職通知に怒りを顕わにしていたそうだが、正直あまり同情はない。

 なぜならこの御用労組はこれまでさんざん会社側の手先として働き、労働者派遣法改正の骨抜きを民主党に働きかけたのも彼らだからだ(ゼンセン同盟は周知の通り旧民社党→民主党の支持母体である)。我々の世代の一般的な通念である「正社員が非正社員を搾取している」という見方を私はとらないが(あくまでも搾取者は資本家である)、経営側に同調して非正規雇用に対する待遇差別に加担している御用労組を免責することはできない。

 今回の件で改めて正規・非正規雇用間の差別の根深さを再確認した。もはや労働者派遣法を抜本的改正して直接・無期雇用原則を確立する以外に一連の問題の解決はない。厚労省はすでに日雇派遣禁止方針を決めているが、それだけでは全く不十分である(むしろ失業が増大する可能性すらある)。国会は1999年の派遣法全面改悪時、共産党以外の政党が賛成した罪を今償うべきである。秋葉原事件に続いて派遣労働の劣悪さが世上の注目を浴びている今こそ正念場かもしれない。

【関連記事】
労働者派遣法改正問題リンク集

【関連リンク】
グッドウィル許可取り消し・廃業方針に関する声明|グッドウィルユニオン
http://ameblo.jp/goodwillunion/entry-10109914801.html
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by mahounofuefuki | 2008-06-26 00:18

トヨタの取締役の平均報酬1憶2200万円にもっと怒るべき

 この国のマジョリティーは、公務員の「厚遇」にはほんのわずかなものでも目くじらを立て、民間の劣悪な労働条件を「官」にも押し付けようとする。本来は公務員を叩くのではなく、「自分らも公務員並みにしろ」と「引き上げ」を要求すべきところを、とかく自己の「引き上げ」よりも他者の「引き下げ」を求めたがる。「他者の不幸」にしか「救済」を見出せないのが現在の日本社会の特徴だが、どうせなら少しは「官」の不公平だけでなく、「民」の不公平にも目を向けるべきではないか。

 トヨタ自動車が今日株主総会を開き、役員報酬を決定したという。以下、東京新聞2008/06/24夕刊より(太字強調は引用者による。漢数字をアラビア数字に転換した)。
 トヨタ自動車は24日午前、愛知県豊田市の本社で株主総会を開き、2008年3月期の取締役29人と監査役7人に対する役員報酬や賞与などの総額を、前期比約17%増の39億2000万円とすることを決めた。
 取締役の人数を増やしたことや08年3月期決算の純利益が過去最高となったことを反映させており、取締役の平均では、年間1人当たり約5%増の1億2200万円となる。(後略)
 役員報酬の総額が昨年よりも17%も引き上がり、取締役1人当たりでは平均1億2200万円。「天下り官僚」の退職金には血眼になる人々はなぜこれには黙っているのだろうか。

 税金でまかなう官僚の給与と一緒にするなと言う人もいるだろう。しかし、私に言わせればトヨタの空前の収益は多くの労働者の犠牲の上に立っており、本来労働者に配分されるべきカネを収奪しているにすぎない。税金はまだ公的給付という見返りがあるが、こちらはただ労働力を搾取され、過労を強いられ、賃上げも抑制されている。役員たちは巨額の報酬を得てウハウハだが、その陰で何人もの社員が過労死や病気に追い込まれたり、下請けや孫請けの企業が上から求められるコストカット要求に苦しめられ、さらに底辺では非正規雇用に押し込められた無数の人々が死屍累々と横たわっているのである。そういえば「秋葉原」の彼もトヨタ系企業に派遣で働いていた。

 藤田宏「大企業の労働分配率は52.3%」(『経済』2008年4月号)が、「法人企業統計」を用いて資本金10億円以上の企業の労働分配率(人件費÷付加価値費)を算出しているが、今世紀に入ってからは次のように推移している。
2001年 62.9%
2002年 60.0%
2003年 58.1%
2004年 55.3%
2005年 53.8%
2006年 52.3%
 一目瞭然。6年間で10%以上も低下している。一般に労働分配率を算出する際、役員給与も人件費に含むが、藤田論文では役員給与は付加価値扱いで、より経営の実態に即している。役員報酬の増加と労働者の給与の低下という事実は明白である。

 ちなみに余談だが、今日英会話学校「NOVA」の猿橋望元社長が、社員の福利厚生のための積立金を横領していた容疑で逮捕されたが、なぜかこういう「ずるい経営者」はバッシングの対象とはならない。以前、彼の趣味の悪い社長室について当ブログで批判したことがあったが、当時「あれが男の夢」というようなことを書いていたブログがあった記憶がある。不当な官僚には憎悪をむき出しにするが、不当な経営者は依然として「憧れの的」というわけである。いくら憧れても、なれるはずもないのに。

 「構造改革」の罪の1つは企業経営者のエゴを公認してしまったことにある。労働者には苦しみだけ与えて、自分らだけで富を独り占めする彼らを決して許すことはできない。

【関連記事】
民間給与実態統計調査
法人申告所得過去最高でも消費税上げますか?
NOVA前社長と「俗物」の境地
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by mahounofuefuki | 2008-06-24 21:05

「戦争のおかげで日本は民主化された」論と「新しい戦争のカタチ」

 以前、知人から次のような話を聞いた。

 ある中学校の社会科の授業のことである。テーマは第2次世界大戦。教師は戦争の経過を説明し、戦場の非人間的な状況や銃後の苦しい生活について熱く語っていた。ある生徒が挙手して発言する。「戦争があったおかげで、日本国憲法の平和主義も民主主義も実現できたのではないか」「戦争がなければ大日本帝国による専制が続いていたのではないか」と。教師が他の生徒にもこの問題を問うてみると、圧倒的多数の生徒がこれに同調した。この教師は戦前の国家体制と戦争、さらには「戦後民主主義」との関係性についてうまく説明できず、子どもたちを納得させることはできなかったという。

 1990年前後のことだから、まだ「自由主義史観」も、小林よしのりの「戦争論」もない頃の話である。「平和主義」や「民主主義」に価値を置いているだけ相当ましで、今なら歴史修正主義派のプロパガンダで「理論武装」した生徒が、必ずしも歴史学を専攻してはいない知識不十分な教師をやりこめていることだろう。

 戦争のおかげで天皇制国家が倒れた、あるいは民主国家になったという認識は、現在の日本が平和主義・民主主義であり、それは占領軍によってもたらされたという捉え方を前提にしている。実は敗戦と占領が日本にデモクラシーをもたらしたという見方は戦勝国、特にアメリカの一般的な歴史認識で、日本の諸都市に対する無差別爆撃や広島・長崎への原爆投下などの非人道的軍事行動を正当化する論理につながる。よく歴史修正主義派が戦後日本の歴史認識を連合国の戦時プロパガンダに影響されているとかみつくが、前述の「戦争のおかげで~」とか「戦争がなければ~」という見方は、ある意味連合国側が付与した認識と言えなくもない。

 しかし、歴史学の大勢はこうした見方をとらない。私見では戦争と戦後体制の関係に対する認識は次の2つに大別しうる。1つは、「戦後民主主義」の源流は戦前・戦中の日本社会に胚胎していたという見方。もう1つは、そもそも戦後日本は民主主義でも平和主義でもないという見方である。前者は主に、自由民権運動や大正デモクラシーと「戦後民主主義」とのつながりを重視する考え方や、戦時下の総力戦体制の諸政策に「戦後改革」の先駆性を認める考え方などである。後者は占領改革が占領改革であるが故の不徹底を重視し、日米安保体制や長期保守政権の歪みを問題視する。両者は必ずしも矛盾しない。戦前からのデモクラシーの胎動が、「占領」という歪みを経ることで、戦後も不完全燃焼に終わったと解釈しうるからである。

 こんな話を突然したのは、今日が沖縄の「慰霊の日」(沖縄戦の戦没者を追悼する)だからである。はじめに紹介した中学生の疑問に対する答えは実は沖縄にある。戦争のために沖縄は戦後もアメリカの占領下におかれ、今なおアメリカ軍基地が密集している。「戦争のおかげで日本は軍部から解放された」などと沖縄では口が裂けても言えない。沖縄は今も軍事支配下にあるも同然だからである。戦争そのものにおいても沖縄は凄惨な地上戦を強いられ、軍による住民への虐殺や「死の強制」が相次いだ。沖縄の視座に立つとき、戦後日本の「平和」は全くのまやかしにすぎないことが見えてくる。

 「平和を守ろう」とか、逆に「平和が我々を苦しめる」と言う時、いずれも「現在の日本は平和である」という認識を共有している。しかし、沖縄に限らず日本の現況は「平和」と言えるのか。昨年、「希望は戦争しかない」とある社会的弱者は叫んだが(その叫びの前提となる「気分」は「氷河期世代」として共感できるが)、実はすでにわれわれはグローバル社会の「新しい戦争」の渦中にいるのではないか? 核時代となり第2次大戦型の総力戦が過去の遺物となった現在、戦争と平和を隔てるラインは限りなく透明である。いま多くの人々が苛まれている「過労」や「貧困」や「差別」を「新しい戦争のカタチ」としてひと括りにするべきなのではないか。

 日本社会を取り巻く「漠然とした不安」も、平和に倦んでいるというより、すでにこの国が戦争状態にあると理解するべきではないか。多くの日本の住民が直面している矛盾は「新しい戦争」として総括できるという仮説を提起したい。
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by mahounofuefuki | 2008-06-23 17:33

民主党の新自由主義への親和性に目を瞑る者は財界とアメリカの走狗

 左翼系のネット言説で以前から疑問がありすぎて仕方ないのは、自公政権を倒すためには民主党を支持しようという類のオピニオンである。そういう言説はたいてい「民主党に問題があるのは百も承知だが・・・」というような枕詞を付すのだが、そう言いながら「民主党の問題」を批判すると「自民党を利する気か!」と怒鳴り出すので手がつけられない。こういう手合いは民主党が自民党よりましだとか、民主党が社会民主主義的だとか、全く事実に反することを平気で言いだす。

 昨年の参院選で民主党が大勝したのは、自公政権の進めた新自由主義路線に対する反発が噴出したためであるのは言うまでもない。確かに参院選当時の民主党は最低賃金の大幅引き上げや農家に対する所得補償制度など、「小さな政府」を否定する公約を掲げた。これは一応「福祉国家的性格」(渡辺治「新自由主義構造改革と改憲のゆくえ」『世界』2008年7月号、p.92)と分類して構わないだろう(正確には西欧・北欧の福祉国家路線とはズレがあるのだが、ここでは煩雑になるので問題にしない)。

 しかし、その後の「ねじれ国会」で民主党が歩んだ道は参院選の有権者の期待を裏切るものだった。昨年臨時国会における最低賃金法改正労働契約法、通常国会における公務員制度改革宇宙基本法での与野党談合は、「肝心な問題ほど腰が引ける」民主党の性格を如実に示したと言えよう。労働者派遣法改正問題での動揺もしかり。

 さらに消費税引き上げを否定しているのは結構だが、相変わらず代替財源は「無駄遣い」の削減の一点張り。当ブログでは再三指摘したが、「無駄遣い」の削減とは歳出削減のことで、これこそ新自由主義路線の要諦である。歳出の「配分」を変える必要はあるが、「総額」を減らす必要は全くない。法人税の引き上げという対案を提示した共産党と比較すれば、民主党のだめさ加減ははっきりする。

 このように言うと判を押したように「だから民主党に我々の声を届けて、民主党を福祉国家路線に引き寄せよう」と主張するのだが、なぜ「声を届ける」のが民主党に限定されるのか。それならば現在の与党に働きかけた方がよほどてっとり早いではないか。自公なら話を聞かないが民主党なら話を聞くなどという保障はどこにあるのか。実際、共産党以外の全会派が賛成した電子投票法案が土壇場で廃案になったのは、よりにもよって自民党の新自由主義派の急先鋒である世耕弘成参院議員が比例代表の名簿順の問題を出したためで、民主党は何の役にも立たなかった。

 だいたい民主党を「福祉国家路線に引き寄せたい」から、私などは民主党の「小さな政府」的な政策を批判するのである。結局のところ民主党系ブロガーは「政権交代までは黙って我慢しろ」と言っているにすぎない。民主党批判が自民党を利するというのなら、こちらもあえて言おう。民主党のだめな部分に目を瞑って、小沢一郎を盲信することが新自由主義を利すると。私は単に首がすげ替わる政権交代ではなく、「小さな政府」から「大きな政府」への政策転換を何より望んでいる。民主党が「小さな政府」路線を続けるのに加担するものこそ、財界とアメリカの走狗である

【関連記事】
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by mahounofuefuki | 2008-06-23 11:51

本当に暗殺したかったらネットに「予告」などしない

 大阪府の橋下徹知事の「暗殺予告」をネット上で書き込んだ容疑で東京の会社員が逮捕された件。

 近代日本においては幕末の「桜田門外の変」(井伊直弼の暗殺)以来、政治指導者に対する暗殺が非常に多く、近年も長崎市長の伊藤一長氏が射殺された事件が記憶に新しいが、「成功した」暗殺というのは、総じて日本社会を危険な道に導こうとする輩によるものばかりである。いや正確には暗殺によって危険な道への抑制が失われたというべきか。

 明治維新期の横井小楠、広沢真臣、大久保利通、森有礼らの暗殺犯はいずれも復古的・国粋的立場であって、「近代化推進派による暗殺」は皆無だった。原敬や山本宣治や浜口雄幸を暗殺したのも狂信的ナショナリストだった。戦後の暗殺・暗殺未遂事件もすべて「右翼」系統の仕業である。「左翼」系統のテロは一般に「階級」や「組織」を対象とするため、個人をねらった「暗殺」という手法は本来とられない。そもそも暗殺というもの自体が日本では極めて右翼的な現象なのである。

 それ故に王道(?)に反した「左」による暗殺計画は「成功」したためしがない。「大逆事件」として知られる明治天皇暗殺計画はあまりにも稚拙な上に、何よりよく知られているように幸徳秋水ら被告のほとんどが冤罪であった。「虎ノ門事件」として知られる昭和天皇(事件当時は皇太子)狙撃未遂事件も「失敗」だった。戦後は極左過激派が警察関係者個人を狙った殺傷テロを起こしたことがあるが、政治家個人の殺害に「成功」したことがない。

 容疑者は「府の財政再建案に反感を持っていた」(毎日新聞2008/06/22 20:10)と言っているようだが、それだけではどのような政治的立場なのかわからない。ただし、本当に暗殺を「成功」させたかったらネットに「予告」などしない。「橋下を暗殺できたらいいな」という妄想が肥大化したというところだろう。もし実際に暗殺を実行するための「具体的な準備」を行っていないのならば、単なるいたずらで起訴するに値しない。橋下氏は知事になる前にもネットで脅迫されたことがあったが、結局何もなかった。

 今回のような事件で大衆の耳目を集めれば集めるほどポピュリストには有利に働く。橋下氏は「被害者」を演じることで、敵対する勢力を「悪役」に仕立て、無知な人々のルサンチマンを「悪役」に振り向けるのが得意な御仁である。暗殺対象ともなればますます彼の思うつぼだろう。それだけにこのような幼稚ないたずらは非常に残念である。
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by mahounofuefuki | 2008-06-22 22:45

世論の矛盾~「空気」に惑わされるな

 常々思うのだが、この国の大衆世論というのは一貫性を欠いている。

 社会保障費の抑制を継続すべきかと問われれば、大半の人々がノーと答えるが、他方で「無駄遣い」を減らせという叫びには同調し、社会保障費の削減を許容してきた。それでいて「本当の無駄遣い」である軍事費に対してはダンマリを決め込む。支配層にとっての「無駄」とは「社会保障」のことだといいかげん気づかないのか(金持ちの立場からすれば「なんで俺が稼いだ富を貧民どもに回さなければならないのだ!社会保障は無駄だ!」となる。労働者を搾取したり消費者を騙しても「俺の稼ぎ」なのが欺瞞だが)。政治用語としての「無駄遣いを減らす」とは、「庶民の生活維持のための支出を減らす」という意味である。

 あるいは次の例。社会保障の充実や福祉国家の実現を目指す人々でも、「特殊法人を全廃しろ!」と叫ぶ場合が多い。小泉政権の「改革」でほとんどの特殊法人が独立行政法人に代わり、多くは「非公務員型」で「市場化テスト」にさらされているが、残った国民生活金融公庫や中小企業金融公庫なども近く日本政策金融公庫に統廃合される。まさに大衆のご期待通りになったのだが、統廃合の最初の直接の影響が何だか知っているのだろうか。

 それは国民生活金融公庫の教育ローン貸し出しの所得上限切り下げである。今回の統廃合により教育ローン利用の資格制限が強化されるのである。奨学金事業の方も「無駄遣い」の名の下に縮小させられつつある中で、ますます家計の教育費負担は増大するだろう。独法も廃止しろと呼号していた左翼ジャーナリストが以前いたが、それは「奨学金を廃止しろ」と同義だとわかっているのだろうか。

 「無駄遣い」をなくせ、公務員を減らせ、天下りをつぶせと普段叫んでいるくせに、これが捕鯨問題となると一転して典型的な天下り公益法人である日本鯨類研究所を擁護して、「捕鯨利権」を暴こうとしたグリーンピースをバッシングする。検察が「喧嘩両成敗」にしたならばともかく、グリーンピースの方だけを逮捕し、西濃運輸の横領容疑の方は不問というのは、あまりにも露骨な政治的判断である。サミットを前に国際的な反グローバル化運動を牽制しようとしているのが見え透く。

 あるいは、秋葉原事件の場合。私の予想以上に容疑者への同調ないし同情意見が多い。それは彼が「派遣社員」という弱者で、理不尽な雇用待遇を受けていたことに、同じような境遇の人々が支持を与えているからだが、それならばなぜやはり社会的弱者が引き起こした光市母子殺害事件ではあれほど犯人がバッシングされたのか。見方によっては光市事件は、虐待を受け深い「心の傷」を負ってまともな職につけない「負け組」による、一流大学を出て大手企業のエリート正社員となり家庭にも恵まれた「勝ち組」への復讐劇である。殺害対象が無差別だった「秋葉原」よりも、「光市」の方がよほど階級闘争的である。「光市」と「秋葉原」の落差が私には不可解だ。

 こうした矛盾の原因は一貫した思想や倫理ではなく、その時々の「空気」が価値判断の基準になってしまっているからだろうが、こんなことを繰り返していては結局のところ自分の首を絞めることになる。国家や巨大企業やマスメディアが流布する「イメージ」を冷静に受け流す術を誰もが身に付ける必要がある。
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by mahounofuefuki | 2008-06-21 15:59

ブロガーが自己に課すべき5カ条

 これまでブログをやってきて、いろいろ試行錯誤してきたし、また他のブログの試行錯誤もわずかながら観察してきたが、結局のところブログ(特にオピニオン系のブログ)を書くにあたって必要なのは、次の5点に集約しうるのではないかと思っている。
1 嘘をつかない。
2 知ったかぶりをしない。
3 誤りは素直に認める。
4 誰にも遠慮しない。
5 無理をしない。
 いわば「ブロガーが自己に課すべき5カ条」というところである。一見当たり前のことかもしれないが、これが結構できていないものである。

 若干説明を加えると、第1の点は、言いたくないことは言う必要がないが、たとえば実際は結婚しているのに独身を装ったり、本当は貧乏人なのに「セレブ」を気取ったりするような「嘘」をついてはならないということ。第2、第3の点は字句の通り。第4の点は、友達だからといって本心を偽って迎合したりすることや、「タブー」を極度に敬遠することはよくないということ。第5の点は、仕事や私生活や健康を犠牲にしてまでブログをやることはないということである。

 かく言う私は2とか4があやしいので、改めて自戒したい。これらをきちんとできれば、トラブルも減るかも!?
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by mahounofuefuki | 2008-06-19 20:54