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「差異」の識別と、可能性としての「愛のある批判」

 人間は強い興味や関心をもっているものに対しては、微妙な差異や些細な相違も識別するが、そうでないものに対しては十把ひとかけらで大きな概念として把握してしまい、その中の個体の違いを識別することができない。

 わかりやすく具体例を挙げると、鉄道マニアは同じ路線を走っている電車でも車体の違いを識別できるが、そうでない一般の人々は山手線と中央線の違いを車体のラインのカラーで区別はできても、車体の種類まではわからない。あるいは、ネコが好きな人々はどれがアビシニアンでどれがバーマンかといった種類の違いがわかるが、ネコに関心のない人々は種別がわからず、どれも同じ「ネコ」としか認識できない。またあるいは、アイドルグループ「AKB48」のメンバーをファンはきちんと誰が誰であるか識別できるが、そうでない人々にはその集団が「AKB48」であると認識できても、誰もが同じ顔に見えてしまい個別には識別できない。

 最もひどい例はナショナリストやレイシストで、彼らはおおむね敵視する対象を「○○人」とひとくくりで把握し、その中の個々人を独立した人格として認識しようとはしない。「○○人→卑怯だ」とか「○○人→犯罪者」と勝手に刷り込んでしまい、千差万別の人々を無理やり一つの鋳型にあてはめる。しかもこれが度を過ぎると、「卑怯だ→○○人」とか「犯罪者→○○人」と転倒してしまい、凶悪犯罪が起きるたびに「容疑者は在日系」というデマを流したりするような「イタい」輩になってしまう。

 逆に言えば、ある事象に対して強い関心や興味を持っている人は、何も知らない人には一見瑣末に思えるような差異でも、重大な問題をはらんでいると認識するのである。そしてその差異は実際に重大であることが少なくない。
 政界でも言論界でもネット言説でも、同一の、ないしは類似の志向を持つ者の間で「対立」や「内紛」が繰り返されるのは、それだけ批判対象に強い関心と場合によっては「愛着」を持っているからで(共産党離党者ほど激しい党批判を行うのがその典型例)、これがどうでもよい相手ならスルーするだけである。
 実際、最近私は「そいつは帽子だ!」でどうしても私が譲れない問題について批判を行い、結局溝を埋めることができなかったが、自分のブログのコメント欄をクローズしているほど記事の更新でいっぱいいっぱいの(よそでコメントする余裕がない)私が厳しい批判を行ったのは、彼のブログを更新されるごとに読み、相当な敬意を持っていたからで、これが端から自分とは合わない、ないしは関係ないと考えているブログならば平然と無視できただろう。ネット右翼に至っては私はいまだに個体識別すらできない。

 以上のように考察すれば、「愛」があればこその批判という図式が成り立つわけで、「愛」があるなら批判するな(あるいは「愛」があるから批判しない)という言説は論拠を欠く。「愛」が冷めてしまえばもはや進んで批判する気力もないが、その時は明白な決別(離別?)を意味する。つまり「愛のある批判」が成立する限り、それは決別してはいないとも言える。少なくとも私はそのように捉えている。
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by mahounofuefuki | 2008-05-31 13:26

日本政府はクラスター爆弾全面禁止へ転換しなければならない

 クラスター爆弾禁止条約の作成を目指す「オスロ・プロセス」の最終交渉として5月19日より行われていたダブリン会議は、一部の「最新型」を除く現存のクラスター爆弾すべての使用・製造・備蓄を即時に全面禁止する内容の条約案で合意に達した。
 当初プロセスの主唱国ノルウェーやアフリカ・中南米諸国などが提唱していた「例外なき即時全面禁止」よりは後退したが、日本が禁止除外を求めていた「改良型」の爆弾も禁止対象となり、ほとんどのクラスター爆弾を全面廃棄できる見通しとなった。投票による多数決も想定されていただけに、会議終盤で全面禁止の方向性で合意にこぎつけたのは僥倖である。

 昨年2月にノルウェー政府と各国のNGOの提唱で行われたオスロ会議以降、何度かの国際会議で議論が重ねられて包括的な禁止条約作成の道筋が具体化していたとはいえ、クラスター爆弾保有に固執してプロセスに参加しなかったアメリカ、中国、ロシアなどの牽制や、プロセスには参加しながらも例外範囲を広げようとする日本や英国などの思惑が交錯して、正直なところ抜け道の大きい条約案になるのではないかと危惧していたが、国際社会の大勢はこの非人道的な兵器の廃絶への道を着実に進んでいると言えよう。

 今回のオスロ・プロセスが1年余りという短期間で一定の成果を得たことは、小国や非政府組織が主導して人道支援や軍縮の具体的作業を進め、それに大国を巻き込んでいくという方法が、国際政治においてしっかりと確立したことを意味する。対人地雷禁止条約にこぎつけた「オタワ・プロセス」に続き、旧来の大国間のパワーポリティクスとは異なるプロセスの登場は、国際平和の実現の上で大きな前進である。
 また、今回のプロセスと従来の軍縮交渉などとの大きな違いは、単に非人道的兵器の禁止・制限にとどまらず、被害者への支援や爆弾で破壊された地域社会の復興に重点を置いていることで、単なる軍縮からより積極的な人権回復への道を進んでいるのである。

 ところで、日本の主権者として述べなければならないのは、一連のプロセスにおける日本政府の消極姿勢である。アメリカに従属する日本政府は終始クラスター爆弾の保有に固執、オスロ・プロセスの最初の共同宣言であるオスロ宣言にも、当時の安倍内閣は支持しなかった(不支持は日本を含め3カ国のみ)。その後も特定通常兵器使用禁止制限条約(CCW)の枠組みの方を重視し、もともとCCWがクラスター爆弾の禁止に踏み出さないことに業を煮やして開始されたオスロ・プロセスでは専ら妨害者の役割を演じた。
 年内の条約締結を目標とした今年2月のウェリントン宣言には署名したものの、今回のダブリン会議でも不発率が高く被害が大きい現有の「改良型」爆弾の禁止除外を主張し、同じ「部分禁止派」でも「最新型」以外の全面禁止に傾いた英仏独などとも溝が広がり、国際的に孤立していた(このあたりの事情は毎日新聞2008/05/20朝刊が詳しい)。

 日本は第2次世界大戦時、東京大空襲などでクラスター型の焼夷弾による甚大な被害を受けている。そして平和主義と戦力放棄を定めた日本国憲法第9条を有する。本来ならばむしろ日本こそが、今回のノルウェーのような役割を担わねばならない。
 ところが、日本政府や保守勢力は、「同盟国」アメリカがクラスターを保持しているために、共同作戦上支障をきたすという集団的自衛権行使を前提とした議論や、海岸線が長い日本ではクラスターは防衛上必要な兵器であるというような議論で、一貫してクラスター爆弾の禁止を否定してきた(例えば産経新聞2008/05/29「主張」がその典型)。憲法が禁じる集団的自衛権を前提とした議論などもってのほかだが、「海岸線が~」という議論も日本列島沿岸に「敵」が大挙上陸するという(ミサイルが撃ち込まれるという類の想定に比べても)非現実的な話で、単に意味もなく強力な兵器を保有して子どもじみた自己満足に浸りたいだけにすぎない。

 そもそもなぜクラスター爆弾禁止が提起されたかと言えば、この爆弾が1個の「親」爆弾の中から数百個の「子」爆弾が飛散するという代物であるために、攻撃対象が無差別な上、不発弾が多く、それが事実上の対人地雷と化してしまっているからである。クラスター禁止の議論が対人地雷禁止の延長線上で出てきたのも、自爆装置のある「最新型」を禁止除外するという妥協が容認されたのも、まず何より甚大な2次被害の非人道性の解決が求められたからにほかならない。
 ふだん「国際貢献」とか「人道復興」とか言っているわりには、日本政府はそれらの標語を専らアメリカへの戦争協力を偽装するために利用しているだけだが、本当の「国際貢献」や「人道復興」はオスロ・プロセスのようなものを指すはずである。

 アメリカ、中国、ロシアなど軍事大国を欠いた条約に実効性があるのかという疑問もあろうが、むしろ世界の圧倒的多数の国が禁止条約を締結することで、クラスターの不当性が国際的に認知され、それが条約を拒否する国にもクラスターの使用を抑制する力学を生み出すことを重視するべきである。現代の戦争にあたって国家は一応何らかの正当性を追求しようとする。「クラスターは使ってはいない兵器」という共通認識が確立すれば、名分を失うことを恐れ容易には使えなくなる。
 日本の場合、国境を接する周辺国がすべてプロセス未参加国であるならば、むしろこれらの国が条約締結に踏み切らざるをえない状況を作った方が、世界が「悪の兵器」と非難する兵器をしこたま抱えるよりも、中長期的な安全保障戦略上はるかに有利である。

 現在のところ福田内閣は条約案への態度を保留しているが、これまでの中途半端な消極姿勢を転換し、クラスター爆弾禁止条約締結に全面賛同するべきである。今回の孤立劇で日本が失った国際的信用を挽回するにはそれしかない。


《追記 2008/05/30》

 日本政府はクラスター爆弾禁止条約案へ同意する方針を固めたようである。共同通信(2008/05/30 09:55)によれば「福田首相の強い意向を受けた方針転換」で、いわゆる政治決断があったとみられる。
 相変わらずネット右翼たちは、この条約の意義を理解できずに、ヒステリックに条約案拒否を扇動したり(戦前のロンドン海軍軍縮条約反対運動や国際連盟脱退劇と同じ)、クラスター弾が「人道的兵器」だとか(そんな主張は大量保有国ですらしていない)、クラスター弾を禁止しても需要がある限りなくならないというような(実際は需要もなくするために供給を止めようとしている)、荒唐無稽な詭弁で醜態を曝しているが、そんな連中の言動が現実の政治に全く影響力がないことを図らずも実証したと言えよう(もうこんなのをいちいち相手にしたくはないが、目に余ったので言及した)。
 とはいえ、ぎりぎりに追い込まれてようやく方向転換する日本政府は実に情けない。真に「平和外交」を目指すならば、こうしたプロセスに積極的に関与していくことが今後必要である。

【関連リンク】
JCBL - 地雷廃絶日本キャンペーン
http://www.jcbl-ngo.org/index.html?ref=self
*クラスター爆弾やオスロ・プロセスについてコンパクトにまとまった記事があり、非常にわかりやすい。
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by mahounofuefuki | 2008-05-29 19:23

「無間地獄」と「死」の二者択一から逃れるために

 昨年の全国の自殺者数がまたしても3万人を超えるという。以下、共同通信(2008/05/27 17:31)より。
 全国で昨年1年間に自殺した人の数は3万人を超える見通しであることが27日、分かった。各都道府県警が調べた概数を共同通信が集計した。毎年6月ごろにまとまる警察庁の自殺者数統計は1998年以来3万人を上回っており、これで10年連続となることが確実になった。
 集計によると、昨年の自殺者数は約3万2000人。東京(約3000人)、大阪(約2000人)など、詳細な数字を明らかにしない都府県があるが、3万人を超えるのは確実とみられる。(後略)
 10年連続で毎年3万人以上という数字は尋常ではないと言わざるを得ない。これでは毎年戦争をやっているのと変わらない。実際は自殺の可能性があってももろもろの事情で「事故死」とされることもあるので、実数はもっと多いだろうと考えると暗澹たる気分に襲われる。

 先日、内閣府自殺対策推進室が発表した「自殺対策に関する意識調査」によれば、「自殺したいと思ったことがある」人々の割合は全体で19.1%と2割近い高率である。特に20代では24.6%、30代では27.8%とおおよそ4人に1人が自殺を考えたことがあるという。
 また、共同通信(2008/05/23 19:56)などによれば、労災認定された過労自殺の数は2年連続で過去最悪の状態が続いている。認定者の年代別比率では30代が37%、20代が25%と高く、ここでも20代、30代の自殺が多いことが窺える。
 もともと日本は自殺が多い国だが、特に1990年代後半以降、比較的若い世代の自殺が増加を続けているのは、明らかに競争原理の強化、成果主義の導入、雇用待遇差別など労働条件の悪化が影響している。労働者を「モノ」として扱う経済体制が多くの若者を自殺に追い込んでいるのは間違いない。特に過労自殺は企業による「殺人」であることは当ブログでも何度か指摘した。新自由主義が人間を殺しているとも言える。

 とはいえ現代の自殺増加の構造的原因が新自由主義による労働環境の悪化であるのは確かだとしても、本来は労働環境の悪さが必ず自殺に直結するわけではない。実際WHOの統計を見ると、福祉国家のスウェーデンやデンマークより新自由主義のアメリカやイギリスの方が自殺率はやや低い。旧ソ連・東欧諸国の自殺率が高いのは、社会主義の放棄による経済格差の拡大と社会保障の崩壊が影響していると推定できるが、あとは地域的偏差と経済構造との関係が見えない。
 要するに、同じような苦しい状況に追い込まれても「もう自殺しかない」と考える傾向が強い社会と、そうではない社会が存在し、それはおそらくそれぞれの社会の歴史的・文化的背景の相違があるのではないか。両者を隔てる根本的な相違が何かはわからないし、おそらくいくつもの要因が重なっているのだろうが、私見では自殺以外の道=「逃げ場」があるかどうかが鍵だと思っている。

 客観的な根拠はないが、日本を含む自殺率の高い国では、精神的ないしは経済的に追い込まれた時、「無間地獄」か「死」かの二者択一しかないように考えさせる思考様式があり、また実際にそうした思考様式を促進する社会構造があるのではないか。これがたとえば「逃避」や「亡命」という道があればおのずと様相は異なるような気がする。
 下川裕治『日本を降りる若者たち』(講談社、2007年)が、同調圧力が強くマッチョ化する日本社会に嫌気がさし、日本を「降り」て東南アジアに生活拠点を移した若者たちの姿を伝えているが、このよう「逃げ道」がもっと開かれることが自殺の抑制になるのではないか。

 「空気を読め」とか「日本人の誇りを持て」というような帰属意識を強要する社会風潮、あるいは「死んでお詫びする」とか「名誉の戦死」のような「死」そのものを特権化・美化する文化も、追い詰められた時に行き場を失わせ、自殺でしか自己の存在理由を守れないと考えさせる要因になっていると思う。この問題は一挙に解決できるような特効薬がなく、一筋縄ではいかない。
 とりあえず私から言えるのは「死ぬ前に、逃げようぜ」ということ。かつて某有名アニメで主人公が「逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ」と強迫的に自分を追い込んでいたが、実社会ではそれでは身がもたない。多くの人々が「逃げてもいいよ」と言える社会の方がずっと風通しが良いと思うのだが。

【関連リンク】
自殺対策に関する意識調査
http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/survey/report/index.html
図録▽自殺率の国際比較 - 社会実情データ図録
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2770.html
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by mahounofuefuki | 2008-05-27 21:03

A級戦犯を分祀しても「靖国問題」は解決しない

 東郷神社前宮司の松崎暉男氏が近著で、靖国神社が合祀したA級戦犯を東郷神社に分祀するよう提言するという。毎日新聞(2008/05/25 02:30)によれば、松橋氏は「靖国神社に代わる新たな国立追悼施設反対の立場で、神社本庁と一致している」が、「A級戦犯合祀が中国などの反発を招いた問題は、首相参拝が行われなくても解決しない」という立場だという。
 政府や保守勢力の一部にある、A級戦犯分祀によって「外交問題としての靖国問題」を解決し、靖国神社の公共性を確固たるものにしようという考えと同じとみられるが、この考えは「外国さえ黙らせれば靖国問題は解決」という立場であって、日本国内の歴史認識の問題、あるいは政教分離の問題としての「靖国問題」を無視しているという点で問題である。

 以前も書いたが、靖国問題の本質は、無数の戦没者の中から軍人・軍属だけを特権化し、しかもこれら戦死者・戦傷病死者が実際は国家の愚策によって死を強要されたのを、国家の繁栄のために死んでくれたと顕彰することで、日本国家の戦争責任を糊塗していることである。
 あえて極言すれば、国家指導者は本来「国家のせいで死なせてしまい申し訳ありません」と言わなければならないところを、「我々のために死んでくれてありがとう」と換骨奪胎してしまうのが靖国神社である。そこには戦争に対する反省も、民間人や外国人の戦争被害者への視点も、平和への祈願もない。
 A級戦犯を分祀すれば、韓国や中国をはじめ諸外国は「戦争指導者と民衆は違う」という立場から靖国参拝を問題としなくなり、「外交問題としての靖国問題」は確かに解決するかもしれない。しかし、日本の主権者にとっての靖国問題は何一つ解決しないどころか、かえって現在法的には一宗教法人にすぎない靖国神社を国家の戦争美化装置として復活させてしまう契機となりかねない。

 靖国神社が現実に果たしてきた戦争美化と兵士再生産の機能は、A級戦犯が合祀されていようといまいと何ら変わらない。いまいちど靖国問題を戦没者追悼の在り方の問題として捉え直す必要があるだろう。

【関連記事】
靖国神社とは何なのか
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by mahounofuefuki | 2008-05-25 12:34

夕張市が自衛隊の市街戦演習地を誘致

 北海道夕張市の商工会議所が、陸上自衛隊の市街地戦闘訓練用の演習地を誘致する準備を進めているという。北海道新聞(2008/05/24 06:34)によれば「山間部に分散する集落から候補地を選び、住民を市中心部に移転させた後、老朽化した元炭鉱住宅のアパートや民家を演習用に提供」する計画で、国からの周辺整備費交付や自衛隊員滞在による消費効果を見込んでいるという。

 周知の通り、夕張市は財政破綻により財政再建団体となり、厳しい債務返済を課せられているが、もはやカネになるものなら何でも誘致しようと形振り構わぬ姿勢を示していると言えよう。発想としては原発や刑務所の誘致工作と同じで、国の側からすれば住民にとってリスクの高い施設を交付金をエサに地元の方から進んで誘致するよう仕向けたに等しい。
 記事によれば地元関係者が4月に防衛省陸上幕僚監部を訪問して打診したというが、そもそも陸自が市街戦用の演習地を欲しているという情報を夕張に流したのは誰か。これは素人の思いつきでは出てこない。表向きは夕張側の、それも地元財界の要請だが、実際は防衛省・自衛隊側の発案ではないかという疑問が拭えない。

 ところでこの件で私が思ったのは、ある意味で貧困と戦争の関係性を如実に表しているということである。アメリカ軍が貧困層から兵士のリクルートを強化したり、市民権をエサに移民層の志願兵を促進しているように、現代の戦争は「貧困が軍隊を支える」状態にあるが、夕張の件も広い意味で「貧困自治体」の弱みが戦争準備と結びついている。
 貧困地域が増えれば、その分軍隊にとっては「使い勝手の良い基地・施設」を手に入れられるという関係は非常にいびつだ。戦争で儲かる人々にとっては、貧困が増えた方が望ましいということになる。

 もう1点。この問題は自衛隊にとっては、従来の演習地内の模擬市街地では満足できないところに、本物の住宅や道路でドンパチできますよという「嬉しい」申し出である。かつて現実に人が生活していた市街地で「実戦」さながらの訓練ができるというのは、自衛隊の「実戦」への「渇望」を高める。
 これは東映の特撮戦隊モノが採石場で「戦闘」しているような滑稽さと同時に、ある種のうすら寒さを感じる。すでに専守防衛を事実上脱ぎ去り、海外でアメリカ軍の下請け部隊として活動することを予定している自衛隊にとって、想定する市街戦はアジアやアフリカのどこかでのものだろう。あるいは日本国内の「敵」を制圧する治安出動。「テロとの戦い」を口実にその銃口は国内の平和主義にも向いている。演習が「本物」に近いほど、戦争のリアリティは高まる。

 夕張の財界はテーマパークの誘致のような気楽な感覚を持っているのかもしれないが、これは慎重を要する問題である。

【関連記事】
グリーンカード兵士から見える軍隊の変容~「国民軍」から「グローバル軍隊」へ
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by mahounofuefuki | 2008-05-24 21:53

「無駄遣いがある限り増税はだめ」では消費税増税論に対抗できない

 政府の社会保障国民会議が基礎年金と消費税の応益に関する試算を発表したことにより、にわかに消費税増税反対論が活性化しているようだが、相変わらず右を見ても左を見ても「官僚や政治家が無駄遣いをしているのに増税は言語道断」という類の声ばかりで、正直なところ同じ消費税増税反対派としては失望している。

 現在の増税議論の直接の引き金は、来年度から基礎年金の国庫負担率が3分の1から2分の1に引き上げられることであり、少なくとも4兆円ほどの財源がすぐにでも必要である。議員の数を減らせ、公務員の給与を減らせと騒いでいる人々は、議員や公務員を叩けば数兆円レベルのカネが出てくると本気で信じているのだろうか。
 貧乏な野党議員が活動するにはある程度の歳費は確保されなければならない。公務員の給与削減はすぐに民間の賃下げを誘発する上に、人件費削減は行政サービスの低下と公務員の非正規化を招く。「天下り法人」の問題は「天下り」であって、「法人」そのものは多くが国営でやるべき仕事であることは何度も当ブログで指摘した。毎年歳出削減を続けるとどうなるか、すでに私たちは小泉以来の社会保障費抑制政策で学習したのではなかったか。
 私も宇宙基本法のエントリで宇宙開発を「無駄遣い」と断じたし、軍事費のような「本当の無駄遣い」を削減する必要性は再三指摘したが、現在世情に流布している「官僚や政治家の無駄遣い」論は単なる思い込みと嫉みで、しかもそんなものを正したところで年金の財源には到底足りない。

 ふだん小泉純一郎や橋下徹の歳出削減政策に熱狂している連中が「官僚や政治家の無駄遣い」を叫ぶのはある意味で筋が通っているが、郵政など公営事業の民営化に反対し、少数政党の議席を確保するために議員定数の削減に反対し、公務員を含む労働者の生存権を重視しているような人々までが「無駄遣いがある限り増税はだめ」と言うのは矛盾である。
 だいたい「無駄遣いがある限り消費税の増税はだめ」ということは、「無駄遣いがなければ消費税の増税も仕方ない」という意味である。私に言わせれば、「無駄遣い」があろうとなかろうと、再分配効果のないまま消費税を増税することなど到底容認できない。消費税に「無駄遣い」を対置している限り、それは「構造改革」論者の主張と何ら変わりはない。歳出削減を否定し福祉国家を目指すなら、消費税増税に対置すべきはちまちました「無駄遣い」の削減などではなく、大胆な直接税(所得税・法人税・相続税)の増税である。

 最大18%の消費税増税を示した社会保障国民会議の試算を「インチキ」と非難する向きもあるが(主に基礎年金全額税方式論者から)、試算そのものは間違っていない。間違っているのは増税対象を消費税だけに限定していることで、「増税が必要である」という結論は正しい。
 現在、基礎年金の給付総額は約19兆円だが、急速な高齢化の進行により、今後給付総額は毎年増加していく。この数年、毎年のように社会的弱者対象の社会保障給付を狙い撃ちにして削減したり、後期高齢者医療制度のような無茶な制度を導入したりして、その都度財源を捻出してきたが、そんな方法が著しく不正義であることは言うまでもない。政府・与党内からも歳出削減はもう限界であるという声が出ているのは当然で、もはや「歳出削減か、増税か」という二者択一から「庶民増税か、金持ち増税か」という二者択一に移行すべきである。

 社会保障国民会議の議論は財務省や厚生労働省の誘導で保険料制度の維持を目指しているのは明らかだが(だから今回の試算に与野党の保険料廃止派が激高した)、すでに国民年金保険料の未納・滞納率が実質4割に達し、ワーキングプアの多くが年金制度からはじかれている現状を考えれば、現行の超逆進的な保険料制度をそのままにはできない。
 経団連あたりが目論んでいる基礎年金を全額消費税で賄う案は、単に企業の保険料負担を廃止するだけのとんでもない代物で、とても容認できないが、少なくとも国民年金保険料の定額制の廃止やさらなる国庫負担率の引き上げは検討しなければならない。また保険料制度を廃止し、全額税方式に移行する場合、企業負担分廃止の代償は当然企業への増税でなければ不合理である。

 繰り返しになるが「消費税増税か歳出削減か」という枠組みから脱すること、はっきりと直接税の増税を主張することが消費税増税反対派に求められる。もう消費税増税反対論を「構造改革」に利用されるのはごめんである。
 なお当面必要な4兆円は、たとえば法人税率を現行の30%から1990年度までの37.5%に引き戻せば確保できる(しんぶん赤旗2008/05/21)。ただ「無駄遣いを減らせ」ではなく、はっきりと「法人税を7.5%引き上げろ」という方がずっと説得力がある。そこを見誤ってはならない。

【関連記事】
消費税増税問題リンク集
消費税増税の不当性
私の財政論に誤解があるようなので改めて説明

【関連リンク】
社会保障国民会議
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/syakaihosyoukokuminkaigi/index.html
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by mahounofuefuki | 2008-05-23 21:45

マクドナルドの新報酬制度は手の込んだ賃下げ

 日本マクドナルドが昨日、管理職扱いで残業代を支払っていない直営店の店長などに8月から残業代を支払う新制度を発表したが、新聞の見出しがどこも「名ばかり管理職」への残業代支払いを強調していたので、てっきり「ただ働き」という違法状態の非を認めたのかと思いきや、今日報道の詳細を読んで驚愕した。
 店長などを管理職からはずし残業代を支払う一方で、職務給を廃止する(賃金総額はほぼ同じ)。過去の違法状態は認めず残業代の遡及支払いはなし。現職の直営店長が会社を提訴し、1月に東京地裁が残業代の支払いを命じたものの会社側が控訴した訴訟も継続。「残業ゼロ」を目指すとしながら実態に即した残業防止策はなし。
 これでは違法状態を解消して残業をなくすどころか、手の込んだ事実上の賃下げである。

 この問題は単に店長に残業代が支払われていないというだけでなく、定時内に仕事ができないと査定に響くために、多くの店長がタイムカードを改竄してまで時間外労働をせざるをえない状況に追い込まれている所に核心がある。
 マクドナルドの会長は記者会見で「業績を上げている店長ほど残業が少ない」(毎日新聞2008/05/21朝刊)とあたかも残業の原因が店長の無能であるかのように言い放ったそうだが、実際は表向き残業が少ないように見せかけている人が評価されているだけの話である。日本マクドナルドユニオンの書記長は次のように指摘している。「そのまま残業時間として報告すれば能力がないとされる。圧力の中で、正確な労働時間を申告できない人が多いのが実態だ」(毎日、同前)。
 今回の新制度がそのまま実施されれば、ますます表向きは定時で仕事を終えているようにみせかける「隠れ残業」が増える。「隠れ残業」には残業代が支払われない。そして職務給が廃止される分、賃金は下がる。「手の込んだ賃下げ」と言わざるをえない所以である。

 マクドナルドの今回の発表は、失墜した企業イメージを挽回することが目的で、何一つ反省していない。「改革」どころか「改悪」とすら言える。引き続き人間らしい働き方を求めてひたすら闘い続けるしかない。

【関連記事】
マクドナルド残業代不払い訴訟で勝訴判決
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by mahounofuefuki | 2008-05-21 20:47

米兵の婦女暴行の賠償金を肩代わりさせられる日本政府

 日米安保体制の歪みについては、最近もアメリカ兵の公務外の犯罪に対する一次裁判権(日米地位協定第14条及び第17条による)を放棄する密約を1953年に締結していたことが明らかになったように(東京新聞2008/05/18朝刊など)、もはや何でもありの無法状態であることが「常識」となっている。日米安全保障条約や日米地位協定の内容自体が不均衡で不正であるのに、それすらも厳密に守られていない事実を前にすると暗澹たる気分に襲われる。
 そんないびつな戦後日米関係史に新たな1ページを刻むニュースがある。朝日新聞(2008/05/19 20:13)より。
 防衛省は19日、02年に神奈川県横須賀市で米海軍兵から性的暴行を受けたオーストラリア人女性に対し、見舞金300万円を支払った。民事訴訟で賠償金を支払うよう命じられた米兵はすでに帰国。米側も支払いを拒んだため、日本政府が肩代わりをする異例の決着となった。

 同省によると、女性は02年4月に米兵から暴行されたとして、同年8月に東京地裁に民事訴訟を起こした。同地裁は04年11月、300万円の賠償を命じたが、被告米兵は裁判途中に除隊・帰国してしまった。

 日米地位協定では、米兵が公務外に起こした事件事故で賠償金が支払えない場合は米側が補償する仕組みだが、今回のケースは発生から2年以内とする米国法の請求期限を過ぎているとして、米側が支払いを拒否。このため防衛省は、日米地位協定で救済されない米軍被害の救済を定めた64年の閣議決定を適用し、見舞金の支給を決めたという。
 この事件が示すところは、アメリカ軍人は日本で婦女暴行をしても、事件から2年以上裁判を引き伸ばせば、日本政府が賠償金を肩代わりしてくれるということである。朝日の記事中にあるように、日米地位協定第18条により、駐留軍人の公務外の賠償案件についてはアメリカ政府に慰謝料支払義務があるが、これが全く遵守されていないことが今回改めて明らかになったのである。これを「逃げ得」と言わずして何と言えようか。
 あいにく私は1964年の閣議決定について知らないので、2004年の判決から3年半以上たった現在までにどういう経過で日本側が肩代わりするのに至ったのか、なぜ外務省ではなく防衛省が支払ったのか、判決の「賠償金」を「見舞金」で代償する法的根拠が何なのか、わからないことだらけだが、少なくともアメリカ政府が自国の国内法を盾に請求権を認めないのは著しく不当である。

 婦女暴行は親告罪で刑事上の捜査や訴訟そのものが被害者を鞭打つため、ただでさえ刑事事件になりにくい。しかも前述のように日本政府は一次裁判権を事実上放棄してしまっている。その上、民事訴訟でも賠償責任を問えないとあってはあまりにもやるせない。
 被害者が日本人ではないためか、あまり話題になっていないようだが、日本のアメリカへの従属ぶりがもはや極限にまで達している実例として見過ごすことはできない。

【関連記事】
ナショナリストが在日米軍に期待するもの
米軍の年間性犯罪2700件から見えるもの

【関連リンク】
日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定 – 外務省*PDF
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/sfa/pdfs/fulltext.pdf
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by mahounofuefuki | 2008-05-20 17:47

福田康夫に同情できるか

 福田康夫首相について、貧乏くじを引かされてかわいそうとか、自公政権は嫌いだが彼本人は実は好きだとか、なぜか同情的な声を時々耳にする。
 こうした見方は私には不可解である。なぜなら森・小泉両内閣で1289日間も内閣官房長官を務めたのは他でもない福田氏で、彼は「構造改革」路線を重要閣僚として推進した第一級の主犯の1人だからだ。小泉政権の政策は内閣官房長官交代前後で変化したわけではない。福田氏を「自分が関与していない政策で責められてかわいそう」という類の同情論は、彼の過去を完全に忘れているとしか思えない妄言である。

 こんな同情論が起きる理由は、小泉や安倍が人間的にあまりにもひどすぎたために、彼が相対的にまともに見えるという事情と、表面的には極端な保守主義や新自由主義と距離をとっているという事情のためである(あくまで表面的)。
 現在の福田内閣は、貧困拡大政策を中止しないことへの「平等」サイドからの批判と、より積極的な市場開放・規制緩和を進めて欲しい「自由」サイドからの不満と、韓国・中国に対する融和姿勢が気に入らない「保守」サイドからの反発が集中して支持率が低下しているのだが、この中で最も苛烈なのは実は「保守」サイドの反発である。その辺の事情が反「保守」の人々の福田同情論に影響しているとも考えられる。
 いずれにせよ、一見「中道」の位置をとっているように錯覚してしまうが、それは「保守」と「自由」の「中道」ではあっても(それも怪しいが)、「平等」と「自由」の「中道」では全くない。小泉内閣以来の「骨太の方針」に従って淡々と社会保障つぶしという「宿題」をこなしている事実だけははっきりしている。

 確かに私も以前、新自由主義の再強化を招く可能性があるゆえに、福田内閣のレームダック化を素直に喜べないと書いたことがあるし、今もその見方は変わっていないが、小泉・麻生と福田の相違はせいぜい「極右」と「右」の相違で、福田を「中道」とはとても言えない。政権の弱体化を「素直に喜べない」が「かわいそう」とは決して思わない
 もともと彼は内閣官房長官時代、いつも「フフン」という冷やかな薄ら笑いを浮かべて、何事にも冷淡な態度をとったことから、非常に冷たい人物と目されていた。私の見る限り彼は当時も今も変わっていない。変わったのは有権者の方である。

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by mahounofuefuki | 2008-05-19 20:05

私の財政論に誤解があるようなので改めて説明

 5月14日付国に「無駄遣い」を義務付ける宇宙基本法と16日付消費税増税の不当性について、一部で誤解があるようなので改めて説明。

 私の持論は何度も繰り返しているように「歳出削減でも消費税増税でもなく金持ち増税」で、消費税の増税については貧困と所得格差を拡大し、景気を悪化させるので全面反対だが、再分配効果を強化する直接税の増税には賛成している。
 要するに消費税の増税は不合理だが、国家財政の歳出を拡大するために、増税そのものは必要であるという立場で、基本的には「高負担・高福祉」「大きな政府」論者である。「増税か、歳出削減か」と問われたら「増税」と答えるが、庶民への増税ではなく、この20年さんざん甘やかされた富裕層への大増税を行えという意味である。究極のところ敗戦直後にやったような財産税の導入すら考慮すべきだとさえ考えている。そこのところを間違わないように。

 また歳出については、「思いやり予算」を含む軍事費(防衛費)や需要の少ない大型事業への支出のような「本当の無駄遣い」は削減するべきだが、政府が行うべき仕事にかかわる予算はきちんと確保するべきであると考えている。
 よく公務員の無駄を減らせとか、天下り法人を廃止しろとかいう声があるが、そうした発言は要注意である。人件費の削減は人員不足による行政サービスの低下や公務員の非正規化(ワーキングプア化)を招く。天下りにかかるカネなどは「本当の無駄遣い」に比べれば微々たるものにすぎない。「行政に無駄が多い」というプロパガンダが社会保障費削減や、本来行政が責任を持って行うべき業務の民営化に利用されたことを忘れてはならない。

 それから以前某ブログのコメント欄で指摘したことがあるが、特殊法人は大半が小泉政権の「構造改革」で独立行政法人などに移行し、現在残っているのは国民生活金融公庫や中小企業金融公庫などで、これらも今秋には統廃合されてしまう。これらの民営化は郵政民営化と同じで大銀行や外国資本を喜ばせるだけで、庶民や中小企業には何らメリットはない。
 また独立行政法人も、国立病院や公団住宅や奨学金をはじめ、本来は国営できちんとやるべき領域がほとんどである。昨年、よく調べもせずにただ天下りが多いという理由で独法を全部廃止しろと放言した左派系のジャーナリストを批判したことがある。行政のコストという点ではもはや「無駄」などないと思ったほうがよい。
 宇宙基本法案が危険なのは、宇宙開発という極めて軍事色が強く、しかも納税者への見返りが薄い分野への支出増加を義務付けていることで、これは「本当の無駄遣い」なので私は反対しているのである。

 少し前に国家財政に「埋蔵金」があるかどうか論争があったが、前述した軍事費のようなものを除けば、「埋蔵金」と言えるものはないというのが私の立場である。最近は「地方分権」とか「道州制」を口実にさらなる歳出削減路線が進行しつつあるが、主権者の側がただ「増税反対」とか「行政のコストカット」とか言っている限り、これらの策謀を破ることはできない。
 「もう歳出を減らすな、金持ちに増税しろ!」と言うのが唯一の正解である。

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by mahounofuefuki | 2008-05-17 22:41