<   2008年 04月 ( 27 )   > この月の画像一覧

お知らせ

 当ブログも記事数260に達し、最近自分でも「あの記事はいつ書いたか?」とか「あの記事のタイトルは何だったか?」とか、要するに過去の記事の詳細を思い出せなくなることが多くなってきた。当ブログの現行のカテゴリ分類では大雑把すぎて、ほとんど用を足しておらず、記事が探しにくいのも問題である。また、古い記事の中には著作権の扱いが怪しかったり、リンク先がデッドになっていたりしているのも気になっていた。

 一方、最近は中途半端に慣れてしまい、短い時間で一気呵成に書いてしまうために、推敲不十分で簡単なミスをしてしまうことも、しばしば起こるようになっている(メールでご丁寧にご教示くださる方々には感謝しています)。コメントをとっていない分、記事をできるだけ毎日更新しなければという「焦り」がなかったと言えばウソになる。その分「正確さ」が犠牲になっているとも言える。

 そこで今週はちょうど大型連休ということで(と言っても私は暦通りなのだが)、この機会にブログの「整理」を行いたい。とりあえず、記事のカテゴリをもっと細かく分け、できればタグの整理も行う。デッドリンクをはずし、問題が著しいエントリは削除する。過去の記事で明らかな誤りは訂正する。

 そんなわけで、明日から大型連休中はおそらくブログを更新しません。休みます(リアルな生活の方ではメーデーとか憲法関係のイベントもあるし)。ブログの「整理」は公開したまま徐々に行うので、「整理中」は特にカテゴリやタグが変になるでしょうが、ご容赦ください。なおトラックバックは平常通り受け付けます。
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-04-28 21:22

自衛隊が「創設100周年」!?

 今日の「しんぶん赤旗」電子版に「陸自、銃携え街行進/『創設100周年記念』帝国陸軍を継承」と題する記事があって目にとまった。三重県津市にある陸上自衛隊久居駐屯地の「駐屯地創設100周年記念行事」の一環として、昨日(4月26日)駐屯部隊のパレードが行われたという。

 自衛隊の前身の前身である警察予備隊が占領軍の命令で創設されたのが1950年だから、今年は58周年のはずなのに、なぜ100周年?と思ったら、旧帝国陸軍の久居駐屯地の開設が1908年で、それから起算して100年だというからふざけた話だ。
 言うまでもないが、帝国陸軍と自衛隊はその設置の法的根拠は全く異なる。しかも敗戦による旧軍解体後、駐屯地は数年間とはいえ大蔵省が管轄し、制度上は断絶している。それを連続して100周年と称するのは厚顔無恥にもほどがある。
 今まではどうだったのか簡単に調べてみると、久居駐屯地の開設記念行事は毎年行われているが、昨年までは警察予備隊発足から起算していて、昨年は「57周年」となっていた。それが今年唐突に「100周年」と銘打って、40年ぶりに市中でのパレードを大々的に行ったのである。自衛隊の存在感と戦前と戦後の連続性を強調することで、「戦後的」価値観を否定する政治的パフォーマンスと言えよう。

 「赤旗」によれば、駐屯地司令で第33普通科連隊長の甲斐芳樹一等陸佐は、地元新聞に「創設百周年を迎えて」と題した一文を寄稿し、戦前久居に駐屯していた旧陸軍歩兵第33連隊を「日露戦争、支那事変に参戦し数々の戦果をあげ精強部隊として名をとどろかせた」「輝かしい歴史と伝統を後世に継承したい」と述べたという。
 危うくスルーしそうになったが、歩兵第33連隊といえば、日中戦争時に上海攻略戦や南京攻略戦に参戦した部隊である。笠原十九司『南京事件』(岩波書店、1997年)によれば、同連隊の「南京付近戦闘詳報」は1937年12月13日、揚子江上を逃げ惑う戦意を失った敗残兵に対し「前衛および速射砲を江岸に展開し、江上の敵を猛射すること二時間、殲滅せし敵二千を下らざるものと判断す」と記している。
 無抵抗の敗残兵(実際は非戦闘員の難民を大量に含む)の一方的殺害のどこが「輝かしい歴史」なのか。そんな「伝統」を現在の自衛隊が引き継ぐなど言語道断だ。

 このニュースは「赤旗」以外では地元三重の報道だけで、全国向けには全く報道されていないようである。しかし、現在の自衛隊幹部の歴史意識を知る上で重要な事件である。帝国陸海軍の復活という時代錯誤を明確に批判する必要があるだろう。


《追記 2008/04/28》

 昨年は「57周年」となっていたと書きましたが、昨年は「開設55周年」と称していたという情報提供がありました。「57周年」というのは私の検索ミスだったようです。
 本文の「昨年までは警察予備隊発足から起算していて」を撤回し、「昨年は『57周年』となっていた」を「昨年は『55周年』となっていた」に訂正します。申し訳ありません。
 いずれにせよ昨年までは旧陸軍時代を加算していなかったことに変わりはなく、今年になって「100周年」と言いだしたのは唐突であることは確かです。

【関連リンク】
陸上自衛隊久居駐屯地創設100周年記念行事
陸自、銃携え街行進/『創設100周年記念』帝国陸軍を継承-しんぶん赤旗
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-04-27 12:40

偽装請負内部告発による解雇は無効

 松下電器産業の子会社「松下プラズマディスプレイ」の請負労働者が、偽装請負を内部告発後に解雇され、解雇無効と賠償を求めていた訴訟の控訴審で、大阪高裁は就労先の雇用責任を認める判決を下した。以下、朝日新聞(2008/04/25)より。
(前略) 判決によると、吉岡さんは04年1月から、松下PDPの茨木工場で「請負会社の社員」という形で働いていたが、翌05年5月、「実際は松下側社員の指揮命令のもとで働いており、実態は直接雇用だ」と大阪労働局に偽装請負を内部告発した。同8月、松下PDPに期間工として直接雇用されたものの、06年1月末、期間満了を理由に職を失った。期間工だった間、吉岡さんは他の社員と接触できない単純作業に従事させられた。
 判決はまず、請負会社の社員だった吉岡さんらの労働実態について「松下側の従業員の指揮命令を受けていた」などと認定。吉岡さんを雇っていた請負会社と松下側が結んだ業務委託契約は「脱法的な労働者供給契約」であり、職業安定法や労働基準法に違反して無効だと判断した。
 そのうえで、労働契約は当事者間の「黙示の合意」でも成立すると指摘。吉岡さんの場合、04年1月以降、「期間2カ月」「更新あり」「時給1350円」などの条件で松下側に労働力を提供し、松下側と使用従属関係にあったとして、双方の間には「黙示の労働契約の成立が認められる」と認定した。この結果、吉岡さんはこの工場で働き始めた当初から直接雇用の関係にあったと結論づけた。
 松下側が06年2月以降の契約更新を拒否したことについても「解雇権の乱用」で無効と判断した。
 さらに、吉岡さんが期間工として直接雇用された05年8月以降、配置転換で単独の作業部屋に隔離されたことについて、「松下側が内部告発などへの報復という不当な動機や目的から命じた」と認定した。(後略)
 松下プラズマの偽装請負問題については専門のブログがあり、この訴訟の経過についても詳しい(文末の「関連リンク」参照)。

 今回の判決の画期性は、就労先と請負会社の業務委託契約を「偽装請負」として違法で無効であると断じたのみならず、労働契約が「黙示の合意」でも成立するとし、契約が無効であっても実際に働かせていた就労先の雇用責任を認めたことだろう。表向きは「請負」でも実態としては直接雇用であった事実を認め、就労先の責任を法的に認定したことは重要である。
 そして何よりも、不正を告発したばかりに不当な扱いを受けた人が勝利を得たというのが素晴らしい。この国では「正義が負ける」のが常態化しているため、よほど勇気がなければ職場で不当な扱いを受けても「我慢する」か「辞める」場合がほとんどで、「闘う」という選択肢をとる人は極めて少ない。会社側からの報復だけでなく、「闘う」勇気のない奴隷に甘んじている同僚たちからのバッシングもあっただろう。
 黙って泣き寝入りしていても事態は動かない。味方は内部にいなくても外部には必ずいる。今回の原告もキャノンの偽装請負の告発者らと「偽装請負を内部告発する非正規ネット」を立ち上げ、他の労働運動や政党の支援があればこそ闘いを継続できた。声を上げないことにはどうしようもないことを改めて学んだ。
 今回の判決が労働者派遣法改正の追い風となることを期待したい。

【関連リンク】
松下プラズマディスプレイ社 偽装請負事件
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-04-26 21:11

東京都の「ネットカフェ難民」支援

 東京都が運営する「ネットカフェ難民」相談センター「TOKYOチャレンジネット」が今日から本格始動した。行政の対策と言えばこれまで生活保護くらいしかなく、それも窓口での「水際作戦」や「辞退」強制などにより十分な機能を果たしていなかったが、ようやく行政がこの問題へ本格的に取り組み始めたと評価できよう。
 共同通信(2008/04/25 10:26)によれば、東京都内での生活時間が半年以上ある成人を対象に、住宅資金40万円まで、生活資金20万円までの貸付を行うという。「日雇派遣」のような不安定かつ低賃金の雇用で、預貯金もできず、家賃を滞納したり、住居の契約更新時にカネを払えなかったりして、住むところを追われるという例が後をたたない中、今回の事業の成否は日本の貧困の行方を左右するとさえ考えている。

 ところでマイコミジャーナルの記事に「TOKYOチャレンジネット」の所長の「ネットカフェ難民に甘いのではないかという声があるのも承知しているが」という言葉が載っているが、一昨年ごろからマスメディアがずいぶんと実態を告発する報道をしているにもかかわらず、いまだに「自己責任」論を盾に「甘い」と非難する人がいることに驚かされた。
 この点については昨年ブログで次のように述べたことがある。
 「ネットカフェ難民」に対しては、「もてる者」たちから、労働意欲が低い、能力が低いといった批判があるが、こうした批判は社会の厳しい現状に対する無知をさらけだしているようなものだ。
 現在の日本では、経済的に自立でき、人間らしい社会生活を営める仕事は限られている。どうしても「狭き門」からあぶれる人々がいるのだ。資産がなく、家賃を払えるだけの収入がなく、住居を追われた人々にとって、ネットカフェしか雨露をしのげる場はないのである。

 「努力が足りない」という非難もあるが、はじめから資産やコネをもっている人と、そうでない人との差は「努力」では埋められないほど大きい。まれに「成り上がる」人がいても、競争社会は「イス取りゲーム」である以上、その分、別の誰かがイスを失っているのである。
 労働意欲を失くすのも、意欲がもてるような労働環境にないからだ。労働者が長時間労働と低賃金で喘ぐ一方、巨大企業家は政府の優遇政策によって、ますます儲けを増やし、それを下で支えている労働者に還元しないのでは、意欲など持てない人々が続出するのも当然だ。特に非正規雇用ではキャリアアップも昇給もない場合が多く、失業に怯えながら明日なき今日を奴隷のように生きている。意欲など持てないよう仕向けておきながら、意欲を持てと言うのは矛盾している。
 「TOKYOチャレンジネット」は、「チャレンジ」という名の通り「努力主義」を前提にしていること、支援対象を「日本国籍」に限定していること(永住外国人を含まない)、住居も仕事もない人を想定していないことなど問題もある。ネットカフェに「宿泊」する日銭もなくて、ホームレスになってしまう人ももはや珍しくも何ともない現在、「仕事はあるが住居がない」という人に支援を限定する理由はないはずだ。
 同時に地方レベルの対症療法のみならず、貧窮者を食い物にする「貧困ビジネス」自体にメスを入れない限り、常に「転落」のリスクは続く。これで終わりではなく、あくまでも貧困対策の始まりにすぎないことを我々は自覚しなければならないだろう。

【関連記事】
「ネットカフェ難民」排除の動き

【関連リンク】
日雇い派遣ネットカフェ暮らしの味方TOKYOチャレンジネット
ネットカフェ難民救済センター、初日は電話相談が殺到 - 「甘い」の声も|ネット|マイコミジャーナル
ネットカフェ難民の生活を東京都が支援 - OhmyNews
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-04-25 20:40

自民党の防衛省「改革」提言は危険すぎる

 昨年来、防衛省・自衛隊を巡っては、インド洋での海自補給艦の給油量虚偽報告や航海日誌破棄、アメリカ軍への軍需利権に関する汚職、イージス艦が漁船に衝突した事件など不祥事が相次ぎ、「改革」を求める声が各方面から上がった。
 これらはいわば政治化した「表」の不祥事であるが、一方で情報保全隊による市民監視活動、自衛官の自殺増加、自衛隊内部でのパワハラ・セクハラの発覚など、マスメディアがあまり報じない「裏」の不祥事も深刻で、本来「専守防衛」を旨とした自衛隊が、日米軍事一体化の「進展」によって海外で戦争のできる軍隊へと変貌を遂げつつある状況の矛盾が噴出している。

 こうした中で「表」の不祥事に対しては、政府に「防衛省改革会議」が設置されたが、それとは別に防衛省・自衛隊の「改革」案を検討していた自民党の防衛省改革小委員会が、今日「改革」の提言を公表した。
 提言・防衛省改革(4/24)-自民党
 冒頭で「不祥事などの事案」の「再発防止への取り組み」と称しているので、一連の不祥事を受けた予防策や改善策と思いきや、さにあらず、これがなんと専ら「制服組」の権限強化を中心とした自衛隊「強化」論なのである。

 まず「防衛省改革」のためには「憲法改正」を「早急に実現することが重要である」と強弁しているのに驚かされる。一連の不祥事が憲法9条のせいで発生したとでも考えない限り、この論法は成立しない。普通に考えれば現行憲法と汚職や衝突事件に直接の因果関係はない。それとも憲法を変えれば問題を隠蔽しやすくなるという意味なのだろうか。そんな「改革」など「改革」ではないのは言うまでもない。

 「制服組」の権限強化の具体策は、①「制服」を含む防衛省・自衛隊出身者の首相秘書官任用や首相を補佐する自衛官の副官設置、②防衛省内部部局に「制服組」を入れる、③統合幕僚長の権限強化と統合司令部の設置、④自衛官の国会出席・報告のルール設定などである。
 これらを貫くのは、「制服組」が独自に国家意思決定過程に関与できるシステムへの欲求である。①は常時首相の傍に制服の幹部自衛官が控えることを、②は防衛省の政策全般に「制服組」が関与できるようになることを、③は「制服」トップの統合幕僚長が直接に陸・海・空各自衛隊を統括指揮できるようになることを、それぞれ意味する。現在は文民が担っている領域への「侵食」を図っているのである。
 ④についてはご丁寧にも、国会で自衛官への「責任追及をする」ことのないようなルールづくりを提起している。これは国会で他の官僚に対するように自衛官を批判することを封じるもので、自衛官を特権化するものである。政府委員や参考人とは別種の資格で国会に出席させようとでもいうのだろうか。

 今回の提言を読むと、これを作成した小委員会は「統帥権の独立」の復活を目指しているのではないかという疑念が拭えない。「統帥権」とは大日本帝国下の慣行で、軍隊の「統帥」は天皇が独占する大権で、天皇を輔弼する責任をもつ国務大臣ですら関与できないというシステムである(「制服」のトップは内閣とは別に独自に天皇に直接進言できた)。この慣行が軍隊の政治化と暴走を招き、泥沼の戦争へと国家を引きずり込んだことはよく知られている通りである。
 現在は天皇の統帥大権はないが、首相と「制服」の間に文民が入らず、常時直接報告・進言できるルートの設定は、「素人」の首相が軍事情報を独占する「制服」に囲まれて「制服」の言いなりに動く可能性を想定せざるをえない。文民統制を弱め、「軍事」の暴走を可能にする非常に危険な動きである。

 この提言は他にも自衛隊の階級呼称を旧軍隊に戻すことや(それを「国民も親しみのある階級呼称」と言及しているのが失笑ものだが)、下士官クラスへの叙勲を要求するなど、同じ要求を文民の公務員がしたら袋叩きに遭いそうなずうずうしい内容も含まれる。「改革」の名を借りた「おねだり」でしかない。
 「裏」の不祥事については、わずかに「自殺者の増大などへの対応のためのメンタルヘルス」に言及するのみ。心身屈強なはずの自衛官の自殺が増大しているのは、裁判所も認めた「戦闘地域」での過酷な任務や日米軍事一体化の影響による非人間的な訓練の強化が原因と考えられるが、そうした構造的原因には一言も触れていない。

 改めて自民党には防衛省・自衛隊の「改革」を任せることなどできないことを露呈したと言えよう。相次ぐ不祥事の実態の究明もせずに、自衛官の権限強化を要求するなどあまりにも虫のよすぎる話である。

【関連記事】
陸自情報保全隊の監視活動をめぐって
「防衛省改革会議」に「改革」はできない
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-04-24 23:42

消費者行政強化への一抹の不安

 福田内閣はもともと前政権が参院選での惨敗を経て突然退陣した後を受けて、急きょ登板した「敗戦処理」政権で、それ故に小泉・安倍時代のツケを支払うのに手一杯なのだが、その中で福田康夫首相は自らの独自色を専ら「消費者行政一元化」に見出しているようである。
 今日開かれた消費者行政推進会議で、首相は各省庁の消費者行政部門を統合した「消費者庁」を来年度に新設する意思を正式に表明した。読売新聞(2008/04/23 11:34)によれば「業者に対する立ち入り調査や是正勧告の権限を持たせ、他省庁への勧告も可能とする」ようにし、地方の消費者行政に対する「交付金などによる支援策」を検討するという。各省庁の機構改革という官僚の既得権益との「闘い」を演出することで、レームダックからの再起を図っていると言えよう。

 一方、民主党はこの「消費者庁」案への対案として、「消費者保護官」を新設する法案を準備している。
 毎日新聞(2008/04/23 02:30)によれば、「消費者保護官」は「人選は政府が国会に提案する同意人事方式ではなく、首相指名選挙と同様に国会が議決し、天皇が認証する方式。任期は6年で再任はしない」「各省庁に資料提供や強制調査権限の行使などを要請でき、省庁側が応じない場合などは勧告権限も与える」「消費者の利益侵害を続ける業者に行為の停止を直接勧告する権限も持たせる」という。強力なオンブズマンを想定しているようである。

 どちらも本決まりではないので詳細な論評を避けるが、政府案も民主党案も少なくとも、小泉時代の「民間にできることは民間へ」と言いつつ、ただ一方的に行政の役割を放棄し続けた路線とは一線を画している点は評価したい。昨年来の相次ぐ偽装表示問題がきっかけではあるが、何でも規制緩和というバカの一つ覚えの思考から、市場にはルールとジャッジが不可欠であるというまともな思考への転換である。

 とは言え一抹の不安があるのも事実である。与野党が「消費者保護」を競い合うために、それが行き過ぎて「消費者主権」にまで進んでしまうことを危惧している。
 モノを「作る」側、「売る」側、「買う」側がそれぞれ対等な関係こそ望ましいのだが、これが極端に「買う」側=消費者に傾くと、結局は生産者や労働者は無理なコストダウンを求められる恐れがある。消費者=善、事業者=悪というわけではない。1990年代に主に「リベラル」系の識者が「消費者主権」論を主唱したことがあったが、これが新自由主義流のコストカット至上主義に道を開いた過去を忘れてはなるまい。

 読売の前掲記事によれば、悪質商法の取り締まり強化のための新法も検討するというが、行政機構の制度をいじくるより、むしろこちらの方が優先課題のような気がする。こうした問題は権力闘争の具にすることなく、超党派で実効性のある法制化を目指して欲しい。
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-04-23 21:07

再評価すべき「出島の感覚」

 全然知らなかったが、ピーター・マンデルソンというEUの通商担当委員が来日中で、何でもイギリス系投資ファンドの電源開発株買い増し申請に日本政府が中止を勧告した件について、江戸時代の鎖国下の「出島の感覚」が残っていると批判したという。
 以下、共同通信(2008/04/22 11:28)より。
(前略) 同委員は日本への外国直接投資額がほかの先進国と比べて圧倒的に少ないことなどを指摘し、「日本はグローバル経済の優等生なのに、自国経済となるとグローバル化を恐れている」などと疑問を呈した。
 その上で、江戸時代に長崎の出島でオランダを相手に限定的な貿易をしていた感覚から脱しきれないなどと述べ、外国投資家らに鎖国的な「文化や伝統」を批判した。(後略)
 この発言はイギリスの経済紙フィナンシャル・タイムズによるインタビューで為されたということなので、同紙の記事を調べてみると、確かに“Dejima mindset”が取り除かれていないと語っている。本筋とは関係ないがヨーロッパの政治家が「出島」を知っていたことにまずは驚いた。

 このマンデルソンという人について検索すると、イギリス労働党出身でブレア前政権では閣僚も務めている。詳細は不明だが、主に中国に対して自由貿易主義の立場から厳しい批判を繰り返しているようで、典型的な市場開放論者のようだ。
 このインタビューでもフィナンシャル・タイムズの記者が“a combative speech”と形容するほど激しい調子で、日本市場の「閉鎖性」を批判している。その中には航空機市場を国策の介入でボーイングが独占していることへの批判など傾聴に値する点もあるが、その多くは限りなくイチャモンに近い。

 実を言うと私はこの「出島の感覚」をもっと再評価するべきだと考えている。江戸時代の鎖国は外国との一切の関係を断絶したものではなく、幕府が貿易を独占管理したシステムで、相当な収益を上げていたことが最近の研究では明らかになっている。いわば究極の保護貿易である。
 この20年ほどの間に「自由貿易=善」というドグマが世界的に成立してしまい、市場開放ばかりが追及されたが、それが単なる弱肉強食で貧富の差を拡大し、それぞれの地域の産業を衰退させたのは周知の通りである。日本では食糧自給率も大幅に低下してしまった。

 いまいちど「必要なものは輸入するが、そうでないものは輸入しない」という鎖国=管理貿易の発想を見直すべきではないか。新自由主義に対する対抗政策を構築する上で、鎖国政策は大いに参照になるだろう(もちろん鎖国そのものの実施は現代世界では不可能だが)。マンデルソン発言は逆説的に「出島」の存在に気づかせてくれる。
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-04-22 18:19

さあ「憎悪タイム」がまた始まりましたよ

 周知の通り、光市母子殺害事件の差し戻し控訴審判決が下った。
 この件については今さら新たに述べることもないので、過去の記事を加除訂正の上で再掲する。

大衆の「狂気」より
 殺人事件があまたある中で、光市母子殺害事件は異様な展開をたどった。
 まず、事件そのものが口にするのもおぞましいものであったこと。
被害者女性の夫が極めて攻撃的で堂々と復讐を宣言したこと(記者会見で、被告を死刑にできなければ自分が殺す、とまで言っていた)。
 マスコミが事件を興味本位で偏向した報道をしたこと。その結果、多くの大衆が被害者の夫に過剰なほど共鳴し、被告の死刑を求める世論が高まったこと。
 さらに、大衆の攻撃は被告にとどまらず被告の弁護団や死刑反対論者にまで及び、ついには新聞社に弁護団への脅迫状が送られる事態になったこと。
 このようにまさに「狂気」の連続である。

 実は私も事件当初は、なんてひどい事件だと憤りを感じていた1人であった。
 しかし、マスメディアや大衆世論の過剰なまでの凶暴性に、犯人とされる被告の「狂気」とは別種の「狂気」を感じるようになり、今は被害者の夫にまったく共感できなくなった。しかも、こともあろうに最高裁判所が大衆の攻撃に恐れをなしてか、無期懲役の控訴審判決を差し戻してしまった。裁判が報道や世論に左右されることなどあってはならないのに。

 私は一連の群衆心理に、排外主義と同じものを感じる。
 つまり、弱そうな「公認の敵」、いくら攻撃しても反撃されることはなく、権力も認めている「敵」を攻撃することで、絶対的優越感を得るという点で、両者は共通するのである。もし犯人が「少年」でなく「暴力団員」だったら、ここまで世論は高まっただろうか? メディアは報道しただろうか?
 否である。この国の大衆が「少年犯罪」となると、大人の犯罪以上に激昂するのは、自己より絶対的下位にあるべき「少年」が自己の存在を脅かしていると感じるからだ。あえて断言してもよいが、「少年法はいらない」「少年を死刑」にと叫んでいる人ほど、街中で未成年が不法行為をしていても注意のひとつもできず、内心で苦々しく思っているだけの臆病者だ。自分の弱さを誤魔化すために、「少年犯罪」をだしに使っているにすぎない。

 ましてや弁護士を攻撃するなどもってのほかだ。もし冤罪で逮捕・起訴された時、実際に助けてくれるのは誰か。今や大衆の憎悪を一身に浴びる「人権派」弁護士である。自分は逮捕されることがない、などといくら自信をもっていても、無実の罪で検挙される例はあとをたたない。最高検察庁でさえ冤罪防止機能が不十分であると認めたほどである。
 はっきり言ってしまえば、光市事件の被告が死刑になろうとそうでなかろうと、被害者ではない私たちの生活に影響はまったくない。厳罰にして見せしめにすれば犯罪はなくなると本気で信じているとすれば、ずいぶんお目出度い話だ。この事件に直接関係のない人間が拘る理由は何もない。


無題より
 実のところ私は光市事件の訴訟そのものにはさしたる関心がない。たくさんある殺人事件のなかで光市事件だけに関心を寄せる理由はないからだ。
 私が気になるのは、多くの人々が光市事件に大きな関心を寄せ、特に被害者の夫に過剰なまでに共感して、被告やその弁護団をバッシングしている「現象」である。被告や弁護団をバッシングしている人々は「義憤」にかられてというより、実際のところは「安心して攻撃できる"絶対悪"」を求めているとしか私には思えないのだ。

 繰り返しになるが、この事件の被告が「元少年」ではなく「暴力団員」だったらここまで世論は高まっただろうか? 実際、関西で大学院生が暴力団員に虐殺された事件に世論は沈黙した。光市事件の場合、被害者の夫がより戦闘的であることを差し引いても、ここまで人々が関心を寄せるのは、「犯人」が「少年」だったという点が大きい。
 つまり、自分より「絶対的下位」にいるべき「少年」の「横暴」に普段何もできないのを誤魔化し、他者(この場合は、被害者の夫)が自己の「代わりに」攻撃してくれることに喝采を送っているのだ。


橋下発言はツッコミどころ満載より
 以前も書いたが、私は光市母子殺害事件の訴訟そのものにはもはや関心がない。たくさんある殺人事件の中でこの事件に特別な興味を抱く理由が私にはない。極端な話、被告が死刑になろうとそうでなかろうとも私の生活には関係ない。彼が処刑されてもされなくても、私には何のメリットもない(関係者以外のほかの人々にもあるとは思えないが)。コンコルド広場にて国王や王妃をギロチンで斬首する光景に熱狂したパリ市民のようなグロテスクな趣味も持ち合わせていない。
 しかし、光市事件に異様に熱狂し、拘置所ですでに自由を奪われている被告や、自らの職務に忠実な弁護士をバッシングする人々の動きには関心をもたざるをえない。それは、この騒動が司法権の独立や訴訟の公平な進行を損ねているからで、1度でもこんな前例ができると、今後の刑事訴訟全体に悪影響を及ぼすことを危惧している。

 仮に将来、誰かが(私やあなたかも)無実の罪で逮捕・起訴された時、検察側の誘導でバッシングが行われ、被害者が無実の人を犯人と思い込み、弁護人の活動が阻害され、罪をなすりつけられるのを心配している。日本はただでさえ冤罪が多い。特に「痴漢」の冤罪は後をたたない。「それでも僕はやっていない」なんて映画が売れるくらいだ。
 光市事件は冤罪ではない。しかし、味をしめた検察が被害者を利用する可能性は否めない。それに何よりも、世論の関心度によって量刑が左右されることなどあってはならない。世論の関心の高い事件は刑が重いとなると、そうでない事案との不公平性が問題になる。それゆえ、光市事件そのものは私の関知するところではないが、バッシング現象の方は私の(そして多くの人々の)利害にかかわるのである。だから、面倒でも発言せざるをえないのだ。


今枝仁弁護士の解任についてより
 私から言えるのは、今枝氏は世論を気にしすぎた、ということだけである。
 最高裁の弁論欠席について釈明が必要であるとか、法医学的見地に偏りすぎであるといった今枝氏の主張は、要するにマスコミ報道による世論の誤解を解こうという意図から発していると思われる。
 しかし、私に言わせれば、そんな努力はまったく無駄である。この国では権力やマスメディアが「公認の敵」として認定した者には、どんな些細なことでも攻撃する。中途半端な小細工は火に油を注ぐようなものである。
 むしろ「世間」なるものに余計な「弁明」などせず、毅然と堂々と行動した方がいい。人々は光市事件に憤っているように見えて、その実「安心して攻撃できる絶対悪」をいじめることを楽しんでいるだけなので、余計な「弁明」はかえって弱みになり、いじめの対象となる。


(以下は今日の書き下ろし)
 最高裁が大衆の「リンチ」に屈して控訴審に差し戻した時は、私の頭の中でレオンカヴァルロの歌劇「道化師」の“No, pagliaccio non son”が鳴り響いていたが、今はフォーレのレクイエムの清澄な調べが聞こえる。もちろん鎮魂の対象は被告ではなく、道化芝居にもならない「光市まつり」に熱狂する人々である。
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-04-22 12:11

「ムダ・ゼロ政府」構想は行政の責任放棄

 この国では小泉政権で痛い目を見たはずなのに、相変わらず「小さな政府」「民営化万能」信仰が根強く、行政の「ムダ」をなくするという掛声には右も左も賛成する。
 すでにOECD加盟国中で公務員数が最低水準なのに、まだ公務員を減らそうとする。郵政民営化にはあれだけ反対した人々も、独立行政法人や公益法人の統廃合や民営化にはまるで新自由主義者と同じように賛成する。昨年の独法整理の時、その不当性を指摘した左翼ブロガーが私以外に何人いたか。国立病院も奨学金も公団住宅も消費生活相談も独法なのに。

 そんな「空気」を利用して、経済財政諮問会議は今年もさらなる「行革」という名の生活行政切り捨てを進めている。先週には「国民本位の『ムダ・ゼロ』政府を目指して」なるプログラムを提示している。副題は「民間経営ベストプラクティスの政府への導入」といういかにも新自由主義好みの「民尊官卑」の内容だ。利潤を生みだすことを目的とする企業経営を、利潤など発生しない住民の福利厚生を担う行政に導入するということは矛盾している。
 今日の毎日新聞の社説が不十分ながら、この「ムダ・ゼロ政府」構想の問題性を突いている。以下、毎日新聞2008/04/21朝刊社説より(太字強調は引用者による)。
(前略) 日本の政府は、国、地方を問わず、無駄が多過ぎるといわれてきた。そこで、中曽根康弘政権以来の行革では小さな政府の実現を目指してきた。その動きが加速したのが小泉純一郎政権時だった。「民間でできることは民間に」との掛け声で、行政サービスの民間開放や民営化が推進された。
(中略)
 ただ、政府は小さければ小さいほど望ましいという新自由主義に基づいた改革一本やりでは、適正な水準の公共サービスの確保や不公正や不平等のない供給に支障が生じることは明らかになっている。仕事の見直しでは、行政がやるべき業務を明確にし、国民に示さなければならない。行政が担ってきた各種サービスの中には民間が担当した場合、質の低下や供給の不公正が生まれかねないものも少なくない。コスト意識だけでは割り切れないのが公共サービスなのである。
 市場メカニズムを使った方が、質、量の両面で水準を維持でき、効率も高められる分野では、行政が責任を持ちつつ民間参入を進めていけばいい。ただ、市場化テストなどではその基準が必ずしも明確とはいえない。これまでは、ある程度サービスが低下しても行政の効率化を達成できればいいという発想が優勢だった。コスト削減第一ということだ。
 国民の安心を高めることは福田政権も掲げている。国民は国、地方いずれにもサービスの維持や向上を求めている。そのすべてに応えることは不可能だが、行政に固有の仕事は必ずやる。それが政府の信認を高めることにつながる。そうした仕事は無駄なのではない。必要なのだ。
 中曾根内閣が行った医師数抑制と国民健康保険への国庫負担削減が回り巡って、現在の医師不足や国保財政の悪化を招いたように、一度行政規模を縮小すると数十年は回復できない取り返しのつかない事態になるのである。
 我々はつい嫉みから「天下り」や「退職金」のようなわかりやすい攻撃対象に目を奪われがちで、行政の「市場化」「民営化」が住民生活にダメージを与えることをなかなか自覚できない。在日米軍への「思いやり予算」のような「本当の無駄」に比べれば、天下り官僚の退職金などたかだかしれている。「小さな無駄」に目を奪われて、「大きな給付」を失っては元も子もない。

 税金を国家に支払っている以上、主権者たる我々には国家から給付をうける権利がある。「小さな政府」とは税金だけとられて給付はもらえないというシステムである。税金も減らして給付も減らせばいいという人もいるだろうが、それは完全弱肉強食の無法なジャングルでいいという意味である。それでもいいという人は私の「敵」であって「さよなら」である。
 十分な教育、十分な医療、十分な福祉を受けたかったら、「小さな政府」を支持してはならない。「財政再建」「行政改革」「地方分権」という美名はだいたい公的な社会保障機能の切り捨てだと考えた方がよい。

【関連記事】
独立行政法人には必要な業務がたくさんある
「道州制」は新自由主義の隠れ蓑

【関連リンク】
平成20年会議結果 第8回会議 配布資料:内閣府 経済財政諮問会議
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-04-21 21:08

日本共産党の支持急増について

 当ブログはしばしば共産党系とか共産党寄りとか紹介されるのだが、本当の共産党員やシンパが既得権益への反発と大衆の「本音」~大阪府知事選挙の結果JR岡山駅での突き落とし殺人事件についてのような記事を書くはずもなく、私の場合は「貧困と差別」解消の最も手っ取り早い手段が共産党の伸長であると考えて、「期間限定」で選挙や請願やその他日々の活動を通して支持しているにすぎない。
 これまで特に書いたことはなかったが、たとえば日本資本主義や近代天皇制の性格規定では、未だに「講座派」の理論そのままの共産党の公式見解を実証史学の立場から全面否定しているくらいだし、だいたいマルクスやエンゲルスの著作などほとんど読んでいない。逆に言えば、そんな私のような者が共産党に頼らざるをえないほど、現在の日本社会は希望のない劣悪な状況なのである。

 共同通信(2008/04/19 16:31)によれば、共産党の入党者数が拡大し、支持率も上昇しているという。昨年11月から今年2月までの入党者数が3000人以上ということだが、こんなに増えたのは本当に久しぶりではないか。
 注目は政党支持率で、今月初めの調査では30代男性で11.0%、20代女性で9.4%にも上るという。「氷河期世代」の10人に1人が共産党に期待を寄せているのである。

 共同の記事も指摘しているように、雇用待遇差別への取り組みが共産党支持拡大の動因であろう。
 昨年の参院選で「生活第一」と公約した民主党が早々に最低賃金法改正と労働契約法で有権者を裏切り、本気で貧困問題を解決する意思がないことを露呈する一方、共産党は国会で雇用差別や貧困の解消策を提起し続け、そのクライマックスとも言える2月8日の衆院予算委員会における志位和夫委員長の歴史的質疑がマスメディアの黙殺や他党の妨害(今もこの日の会議録だけが出ていない)にもかかわらず、比較的若い世代を中心に大絶賛された。

 私は以前「左」になるハードルと「左」の活路で、「特に最近は若い世代を中心に、あまりにも理不尽な労働条件や非正規雇用の増大による将来への不安から、巨大企業の搾取や競争万能主義への不満が確実に高まっている。仮に所得再分配による福祉国家の実現に公約を絞れば、そうした不満を抱えた層をかなり取り込めるはず」と述べ、「政策の優先順位の策定と、有権者に全政策の支持を要求しない姿勢」「表に出す公約の絞り込みと集約化」を提言したが、最近の共産党支持の拡大はこの提言の正しさを実証したと言えよう。

 共産党支持が拡大すると、「民主党による政権交代」信者は「野党票の分散」とか「反共攻撃の誘発」とか言い出すが、現在の日本に必要なのは単に首がすげ替わる「政権交代」ではなく、明確な「政策転換」であり、共産党の伸長がプレッシャーとなって自民党や民主党が新自由主義路線を放棄するようになれば、それに越したことはない。すでに共産党は次期衆院選で小選挙区の立候補を大幅に削減する方針を決定しており、現実問題として民主党とのすみ分けが十分に可能になっている。
 とはいえ今後警戒しなければならないのは、共産党が存在感を増すことで、自民・民主両党が「反共産」で提携し、露骨な弾圧に打って出ることである。京都市長選挙が端的に示したように土壇場になると民主党も社民党も「反共」で自民党や公明党と手を組む。この国は右翼のテロは当局公認だが、共産党はビラ配りすら違法扱いである。すでに「合法的」弾圧が始まっている以上、予断を許さない。市田忠義書記局長の「そんなに甘くはない」(共同通信、前掲)という言葉はそのことも含んでいると思われる。

 いずれにせよ貧困問題・雇用待遇差別問題は解決に待ったなしの状況にある。国会に共産党が占める割合が大きければ大きいほど問題解決が進むということをはっきり指摘しておきたい。

【関連記事】
「アカの壁」を越えるために
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-04-20 13:05