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「日の丸」「君が代」は格好悪い

 私は実に幸運なことに幼稚園、小学校、中学校、高校、大学のいずれにおいても入学式や卒業式で「日の丸」への拝礼や「君が代」の斉唱を強要されることがなかった。
 私が中学生くらいまではまだ教職員組合に一定の力があり、「上」からの締め付けも今ほどではなかった。高校の時には地元の公立校のほとんどが「日の丸」を掲揚し、「君が代」を演奏するようになっていたが、私が通っていた学校では校長が教育委員会の圧力に抗して「日の丸」を式場に掲揚せず、「君が代」も演奏させなかった(校長はキリスト教徒だったらしい)。大学は私立で校旗や校歌の方を重んじ国旗や国歌を歯牙にもかけない校風だったし、社会人になってからも「日の丸」「君が代」と全く無縁である。
 そんな私からすると、重要な公的行事で「日の丸」が掲揚されたり、「君が代」を起立して斉唱する光景は非常に奇異に映り、まるで朝鮮のマスゲームで「金正日将軍万歳」と歌っているのと大差ないように感じる。1999年の国旗・国歌法施行後、「日の丸」「君が代」の強制はどんどん進んでいるが、一般の人々は本当に「日の丸」「君が代」に疑問を持っていないのだろうか。

 共同通信(2008/03/31 19:33)によると、東京都教育委員会は今年の公立校の卒業式で「君が代」斉唱時に起立しなかったなどの理由で、教員20人をそれぞれ停職・減給・戒告に処した。この中には5回目の処分となる南大沢学園養護学校の根津公子教諭も含まれる。根津さんは昨年に続き停職6か月という重い処分だが、懲戒免職も取り沙汰されていただけに、彼女への熱心な支援活動が都教委にプレッシャーを与えたと言えよう。
 ただ、こうした処分が毎回重なることで、生活を賭けてまで抵抗することができない人々との分断が進むのも事実で、根津さんの存在自体がいわば見せしめとして同調圧力の道具になるという一面は否定できない。多くの人々は「日の丸」「君が代」の来歴を学ぶ機会もなく、何だかよくわからないけどトラブルは面倒なのでとりあえず歌っておこう、という消極的な理由で「君が代」を歌っていると思われるが、この「何だかよくわからないけど」ということこそ「国家の奴隷」の第1歩であり、どんな理不尽な命令にも唯々諾々と従う前提となる。

 「日の丸」も「君が代」も古来存在したわけではない。日本の伝統どころか、むしろその歴史はかなり浅い。
 「日の丸」が国旗として法制化されたのは、1870年の郵船商船規則(太政官布告57号)と海軍御旗章国旗章並諸旗章(太政官布告651号)が初例で、しかも前者は寸法が縦横比7:10で旗面の丸が竿側に少し寄っていて、後者は寸法が縦横比2:3で旗面の丸が中央にあるという違いがあり、その後長らく両者が併存した。これが統一するのは何と1930年まで下り、文部次官の照会に対する内閣書記官長(現在の内閣官房長官に相当)の回答は前者の太政官布告57号を妥当とした。
 ところが、1999年の国旗・国歌法では太政官布告57号の廃止を明記し、寸法と赤丸の位置は651号の方を採用している。この事実が意味するところは、「日の丸」を明治以来一貫した国旗だと考えている向きには悪いが、「日の丸」はその基本デザインからして一定せず、非常にあやふやな代物だということである。この問題はほとんど取り上げられることはないが、特に赤丸の位置の相違はそれぞれ思想的根拠も異なり、本来簡単には決定できないはずである。

 一方、「君が代」は当初イギリス人の曲を用いていた。また1882年刊行の『小学唱歌集』の「君が代」はやはりイギリスの古い民謡が原曲で、これは1900年頃まで歌われていた。日本の国歌であるはずの「君が代」の出発点は外国人の作曲だったのである。
 現行の「君が代」は1880年に宮内省雅楽課の林広守が作曲した(とされる)ものだが、これも長い間、調性やテンポやブレスが一定していない。1891年文部省学務局長が通知した「祝祭日用歌詞及楽譜」ではハ調と定めていたが、その後も実際の歌唱では歌い手によってバラバラであった。「君が代」のスコアが最終的に確定するのは、これまた1936年まで下り、『文部省撰定 祝祭日儀式用唱歌』でようやく現行の楽譜になった。

 以上のように「日の丸」も「君が代」も本格的に国旗・国歌として確立するのは15年戦争期になってからで、日本の伝統でも何でもないのである。また歴史が浅いだけに両者とも侵略戦争と密接な関係にある。国際的には依然として「日の丸」はドイツ・ナチスの「鉤十字旗」と同類の専制イメージを持つ人も少なくない。
 実際、「日の丸」の赤丸は日本や天皇を象徴し、日本や天皇が世界の中心であるという思想を表しているとされる。「君が代」の歌詞はどう読んでも「天皇の支配の永続」を願っていると解釈するほかない。戦争と専制に彩られた「日の丸」「君が代」が民主国家のシンボルとして相応しいだろうか。

 「日の丸」「君が代」については戦後長らく、国旗・国歌を利用した民衆の奴隷化を目論むパワーエリートや頭の悪い右翼を除いて、「正直ダサい」というイメージが潜在していた。「日の丸」の白地に赤丸という単純なデザインはともかく、「君が代」のあの沈鬱なメロディはあまり受け入れられているとは言えなかった。
 ところが、今や「ダサい」と言うのも憚れる世の中になってしまった。権力による強制で若い世代ほど「日の丸」「君が代」に疑問を持たなくなっている。プロ野球やプロサッカーの試合の度に「君が代」は演奏されるが、最近はすっかり起立して斉唱しなければならない雰囲気が醸成されてしまっている。私は今でも「『君が代』なんてカッコ悪い歌なんか歌えねーよ」と放言しているが、顔をしかめられることが多くなった。

 「日の丸」「君が代」の強制は、中華人民共和国がチベットなどで五星紅旗を押し付けているのと全く同じだということに気づかなければならない。私は日本が多種多様な文化の共存する国であって欲しいからこそ、「日の丸」「君が代」を踏み絵のように使うことに抵抗する。

*本稿執筆にあたり、籠谷次郎「日の丸・君が代」(原武史、吉田裕編『岩波 天皇・皇室辞典』岩波書店、2005年)を参照した。ただし、文責が当ブログ管理人にあることは言うまでもない。

【関連リンク】
国旗及び国歌に関する法律-法令データ提供システム
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by mahounofuefuki | 2008-03-31 22:53

炭疽菌事件と「テロとの戦い」の虚実

 2001年の9・11同時多発テロ以降、アメリカは「テロとの戦い」を最も重要な国家目標とし、アフガニスタンやイラクへの侵攻もその一環として行ったわけだが、いずれも「外のテロリスト」を「内」に入れないためという論理でもって戦争を正当化した。つまりアメリカにおいて「テロ」は国外から侵入するものであるという前提に立っていたのである。
 実は9・11以後、アメリカ国内を最も震撼させたテロは、何と言っても炭疽菌事件である。炭疽菌入りの郵便物が政府機関や報道機関に送り付けられ、実際に死者も出た。このテロの怖さは、たとえば小包や封筒に実際には炭疽菌が入っていなくても、表面に「炭疽菌」と書かれているだけで対象を脅迫することが出来ることで、まさに「恐怖を与える」という本来の意味での「テロ」であった。
 この事件は結局真相がわからないままウヤムヤとなる一方、アメリカ政府は対外戦争に邁進するのだが、今日になって次のようなニュースが伝えられた。共同通信(2008/03/29 10:10)より(太字強調は引用者による)。
 米FOXテレビは28日、2001年の米中枢同時テロ後に米国で起きた炭疽菌事件で、米連邦捜査局(FBI)がメリーランド州フォートデトリックの陸軍感染症医学研究所で炭疽菌研究にかかわった科学者ら4人を容疑者と特定、捜査を進めていると報じた。
(中略)
 同テレビによると、FBIが捜査対象としているのは、炭疽菌研究ではトップレベルとされる研究者、微生物学者ら科学者3人を含む4人。現在、郵便物に残された筆跡を4人と照合する作業中で、事件でどのような役割を果たしたかについては明らかにされていない。容疑者は4人からさらに絞り込まれる可能性がある。
 現時点では詳細は不明だが、当時からアメリカ国内の炭疽菌を扱う公的機関から漏洩したのではないかという疑惑を指摘されていた。常識的に考えれば、外国のテロリストの仕業とするより、よほど説得的であり、今回の容疑はかなり濃厚だと言えよう。
 炭疽菌事件が如実に示すように、テロとはあくまでも犯罪であり、「テロとの戦い」とは犯罪予防の範疇に含まれる。「外」からのテロの侵入のリスクよりも、「内」からのテロの発生のリスクの方がはるかに高いのである。報道の通り炭疽菌事件に軍の機関が関与していたとなれば、まさに足元を掬われたと言わざるをえず、テロと戦っているはずの組織の中に「テロリスト」がいたということになる。アメリカ政府の「テロとの戦い」の内実は非常に杜撰であるとしか言いようがない。

 炭疽菌事件の行方はアメリカがこれまで行ってきた「テロとの戦い」の正当性に疑問を投げかけている。アメリカに追随を続ける日本にとってもこの問題は他人事ではない。

【関連リンク】
NBCテロ
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by mahounofuefuki | 2008-03-29 21:33

「大江・岩波裁判」1審判決~史実の勝利

 大江健三郎『沖縄ノート』(岩波書店、1970年)及び家永三郎『太平洋戦争』(岩波書店、1968年)の沖縄戦「集団自決」に関する記述が、沖縄戦下で座間味島の戦隊長だった梅沢裕氏と渡嘉敷島の戦隊長だった故・赤松嘉次氏の名誉を棄損したとして、梅沢氏本人と赤松氏の弟が大江氏と岩波書店に慰謝料支払いと出版差し止めを訴えていた訴訟(いわゆる「大江・岩波裁判」)で、大阪地裁は原告の請求を棄却する判決を下した。
 この訴訟はそもそも沖縄戦下での「集団自決」を軍が強制したという事実を隠蔽したい勢力が唆して起こしたと言っても過言ではなく、原告側の主張は史料の裏付けがない非学問的なもので、裁判官に先入観がない限り、今回の判決は当然の結果と言えよう。文部科学省は先の教科書検定で、この訴訟の原告側主張を根拠に教科書から「軍の強制」の記述を削除させたが、司法は検定の根拠を全面否定したのである。

 判決で重要な要点は次の通り。

①梅沢・赤松による「集団自決」命令説は、援護法の適用を受けるための捏造であるという原告側主張を、援護法の適用が意識される以前から、アメリカ軍の「慶良間列島作戦報告書」や沖縄タイムス社編『鉄の暴風』(朝日新聞、1950年)のような軍命令の証言を示す資料が存在したこと、原告側の証言が合理性を欠くことなどを理由に退けた。

②手榴弾が交付されたこと、住民らがスパイ容疑で処刑されたこと、日本軍が駐屯していなかった地域では「集団自決」が発生しなかったことなどを理由に、「集団自決」に日本軍が深く関与したことを認定し、座間味・渡嘉敷それぞれで梅沢・赤松を頂点とする上意下達の組織があり、彼らが「自決」に関与したことを「推認」した。「自決命令」それ自体の認定は回避した。

③「集団自決」に関する学説の状況、根拠となる文献の存在と信用性の判断、著者の取材状況などから、問題の記述には「合理的資料もしくは根拠がある」と評価し、家永・大江が軍の強制を「真実」であると信じる「相当な理由」があったことを認め、梅沢・赤松への名誉棄損は成立しないと断じた。大江の赤松(書中では匿名)批判についても「意見ないし論評の域を逸脱し」ていないとした。

 細部に関して慎重だが、それだけに理路整然とした内容で、現在の通説ともほぼ合致する。軍による住民の処刑、「集団自決」の強制を事実として認め、原告の根拠なき主張をすべて退けた以上、大江・岩波側の全面勝訴と言っていいだろう。史実を隠蔽しようとする動きに一定の掣肘を与えたと評価したい。
 原告は控訴するのが確実なので、訴訟はまだ続くだろうが、控訴審で今回の判決から後退することのないよう陰ながら応援したい。

 なお原告側主張の元となっている作家の曽野綾子氏の言説のお粗末さについては、最近文芸評論家の山崎行太郎氏が精力的に丁寧な批判を行っている。山崎氏は保守派と目されているが、「集団自決」の争点は価値判断の前提となる事実認識であり、それには右も左もなく、彼が曽野氏を批判するのは真っ当である。今さら当ブログごとき弱小ブログが紹介するのも気が引けるが、念のためリンクしておく。
 文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』

【関連リンク】
「大江・岩波裁判」大江氏側全面勝訴の判決-JanJan
大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会
大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会:全面勝訴 3・28大阪地裁判決内容
沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会|大江・岩波沖縄戦裁判 原告棄却 隊長関与推認できる!
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by mahounofuefuki | 2008-03-28 21:06

新学習指導要領「修正」の怪

 文部科学省が新しい学習指導要領(幼稚園、小学校、中学校)を告示した。今回は教育基本法改悪後初の改訂という点で注目されたが、先月発表された改訂案が告示直前に「修正」されるという前代未聞の事態となった。

 何と言っても問題なのは、総則の教育課程編成の一般方針に「伝統と文化を尊重し,それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛し」との文言が追加されたことである。総則に記載されたということは「国と郷土を愛する」ことを全教科で目標としなければならないことを意味する。
 そもそも道徳教育を全教科に渡って行うこと自体が「知識」「理解」を軽視し、科学的認識の獲得の妨げになっているのに、それに輪をかけて「愛国心」を強制することは、無理やり好きでも何でもない異性を愛せと言うようなもので、断然許容できない。

 もう1つ問題なのは、音楽科の指導計画の作成と内容の取扱いに「君が代」を「いずれの学年においても歌えるよう指導すること」と、単に「指導すること」としていた従来よりも指導性を強化したことである。「君が代」が歌えるかどうかが評価対象となる法的根拠を付与したことになる。
 本来、どんな歌も歌うか歌わないかは当人の自由である。それは「国歌」も例外ではない。その上、「万世一系」という虚構を前提とした天皇制の永続を願う「君が代」が、主権在民の国家の国歌として相応しいとは言い難い。「天皇の奴隷」になることを強要する歌を強制するのは反民主的である。

 中央教育審議会(中教審)の審議もなく、文部科学大臣の職権で事前に公表した改訂案を「修正」したことについて、各報道は自民党国家主義派の政治的介入を示唆している。
 「改訂案に対しては、自民党内から『改訂案が教育基本法の改正を反映していない』と早くから不満が上がっていた」(朝日新聞2008/03/28 06:15)、「与党部会とのやり取りなども加味して修正」(毎日新聞2008/03/28朝刊)、「愛国心を強調することで、そうした批判に配慮した」(「自民党中堅」の話、読売新聞2008/03/28 05:05)といった記述から、自民党の文教族をはじめとする議員たちの不当な圧力があったことを読み取れる。

 渡海紀三郎文部科学大臣は、学習指導要領告示にあたっての談話の中で「去る2月15日に案を公表し、30日間、広く国民の皆様からご意見をいただいた。それらを踏まえ必要な修正を行い、本日公示に至った」と、「国民の皆様からのご意見」を「修正」の理由に挙げているが、改訂案公表後に公募したパブリックコメントの全容は正確には不明である。
 国家主義教育団体「日本教育再生機構」がパブコメ用のテンプレートを作成し、右翼色の濃いコメントを送るよう呼びかけていたが、他方でweb上では民主的な方向への改訂を要求するコメントを呼びかける動きもあった。「国民の皆様のご意見」が多種多様であったことは間違いなく、その中から特定の組織の意見だけを取り上げるのは著しく公平性を欠くと言わざるを得ない。

 学習指導要領は戦後初期においては教育内容の「試案」という位置づけで、学校が教育内容を決定するにあたっての参考資料にすぎなかったが、現在は「告示」という法令であり法的拘束力を持つ。教育基本法が改悪されてしまった以上、これに抗する法的根拠は日本国憲法しかないのが現状で、学校教育の劣化を防ぐのは非常に困難である。改悪後、教基法は政治課題となっていないが、1947年教育基本法への復旧を目指す機運を少しでも高める必要があるだろう。

【関連リンク】
新しい学習指導要領-文部科学省
教育基本法-法令データ提供システム
教育基本法(廃)-法庫
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by mahounofuefuki | 2008-03-28 20:55

福田内閣のレームダック化を素直に喜べない理由

 福田康夫首相は今日緊急記者会見を行い、2009年度から道路特定財源を一般財源化する案を公表し、与野党協議機関の設置を呼び掛けたが、今や福田内閣は断崖絶壁に追い込まれたと言えよう。2008年度予算案は衆院の議決が優先されるため、明日にも成立するが、租税特別措置の方は期限切れが現実味を帯びてきた。何より福田内閣の支持率下落に歯止めがかからなくなっている。今月に入ってからの各報道機関の世論調査はどれも福田内閣がすでに「危険水域」に入ったことを示していた。
 今手元で確認できりデータは次の通り。
毎日新聞(2008/03/03朝刊) 支持30% 不支持51%
時事通信(2008/03/14 15:12) 支持30.0% 不支持47.7%
共同通信(2008/03/16 18:12) 支持33.4% 不支持50.6%
読売新聞(2008/03/17 23:48) 支持33.9% 不支持54.0%
日本経済新聞(2008/03/23 22:05) 支持31% 不支持54%
北海道新聞(2008/03/27 09:25) 支持22% 不支持59%
 おおよそ支持率が3割、不支持率が5割というところだろう(北海道新聞での支持率が極端に低いが、これは北海道限定で行った調査で、もともと北海道は民主党が強いという事情が影響していると思われる)。まだ3割も支持する人がいるのが不思議だが、それでも安倍内閣の末期とほぼ同水準まで低下しており、もはやレームダックになりつつあると言っても過言ではあるまい。

 自公政権にノーサンキューな側にとっては、これで「4月危機」だ、倒閣だ、解散だと喚きたいところだし、実際そういう声も出ているが、冷静に考えればそうは問屋が卸さない。倒閣したところで看板が掛け替えられるだけで自公政権の政策転換は望めない。衆院の解散は切に望むところだが、どうやっても現有議席を維持することができない自公政権が早期解散に打って出ることなどまずあり得ない。
 福田内閣の支持率が急落する一方で、野党各党の支持率はほとんど上昇していないことも問題で、単に福田内閣のみならず、政治全般への不信感が強まっているにすぎないというのが実情だ。しかも「大連立」構想は終始くすぶっており、主権者不在の政争が政治不信に拍車をかけている。
 内閣「不支持」の中身をよく吟味しなければならない。現在の福田内閣への不満は、「貧困と格差」がなかなか是正されないことへの「平等」サイドからの不満と、中国や朝鮮に対する強硬とは言えない姿勢への「保守」サイドからの不満と、規制緩和や「小さな政府」を断固として進めようとしないことへの「自由」サイドからの不満がいわば「雑居」している。仮に福田内閣が倒れても「保守」や「自由」に偏った新政権が出来るのでは元も子もない。

 すでに当ブログでも高まる「平等」「安定」志向~「勤労生活に関する調査」を読むで明らかにしたように、新自由主義による競争万能・成果主義の路線はもはやマジョリティではない。人々は疲れ果て、「終身雇用」「年功賃金」の時代への郷愁が高まっている。しかし、一方で政治意識においては依然として「公的なもの」への忌避感は強く、そこに新自由主義がつけ込む隙がある。
 特にこの国では依然として「強いリーダーシップ」への幻想が肥大化しているのが問題だ。毎日新聞の調査では「首相の指導力に期待できないから」が、時事通信の調査では「リーダーシップがない」がそれぞれ内閣不支持の理由の第2位になっている。政策の中身よりもイメージとしての「毅然とした姿勢」「強力な指導力」に期待する向きが相変わらず存在するのである。
 事実、北海道新聞(2008/03/27朝刊)の世論調査では「次の首相にふさわしい人は誰か」という問いに対し、小泉純一郎氏と麻生太郎氏が16%でトップに並び、小沢一郎氏が15%でこれに続く。一方で「平等」「安定」を望みながら、他方で小沢はともかく小泉や麻生を支持するのは矛盾以外の何物でもないのだが、なかなかそれを自覚できない人が多い。

 実は「毅然とした姿勢」や「強力なリーダーシップ」と「平和と平等」の結節点は1つだけ存在する。それは日本共産党である。日本国憲法第9条の堅持を掲げ、平等社会を目指す一方、下部機関が上部機関に拘束される民主集中制のもと、指導部による「強力なリーダーシップ」で概ね「毅然とした姿勢」をとっている。志位和夫氏の演説を聴いたことがある人ならば、彼のタレント性が小泉や麻生などの比ではないことが理解できるだろう。しかし、強固な「アカの壁」とマスメディアの黙殺が共産党の浸透を妨げている。この問題は本稿の主題から外れるので別の機会に考えたい。

 いずれにせよ、解散前に福田内閣倒閣の動きが強まることは、必ずしも良い結果となるわけではないことを指摘しておきたい。小泉再登板は限りなくゼロに近いと考えているが、新自由主義勢力の完全復帰の危険は依然として存在する。それを回避するためには、来年以降になるだろう衆院解散まで、地道に不満の声を上げ、「新自由主義ノー」の「空気」を持続することが何よりも必要である。
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by mahounofuefuki | 2008-03-27 22:12

JR岡山駅での突き落とし殺人事件について

 JR岡山駅で少年が列車待ちの人を線路に突き落して殺した事件。
 今や若者の犯罪に関する報道は大衆ののぞき見趣味を満たし、日常の鬱憤を晴らせる「公認の敵」を提供するための「娯楽」になっているのが現状であるが、私は被害者をダシにして「弱そうな加害者」(この国のチキン大衆たちは「強そうな加害者」には沈黙する。米兵とか、「ヤクザ」とか、自民党議員とか)をバッシングする趣味は全くないので、本来ならこんな事件はスルーするところである。
 しかし、この岡山の事件ではどうしても気になることがあるので発言せざるをえない。それは次の個所である(太字強調は引用者による、以下同じ)。
(前略) 成績はクラスで1、2番。「経理関係の資格を取りたい」と話していた。進学希望だったが、「大学に通うお金がない」と言っていったんあきらめたという。その際に成績が少し下がったものの、落ち込んだ様子はなかったという。年明けには担任が就職先の紹介を提案した。しかし、「自分で働いてお金を稼いで大学に行きたい」といって断ったという。(後略) (朝日新聞 2008/03/26 15:05)

(前略) 学校関係者によると、少年は大阪北部の府立高校を今春卒業したばかり。おとなしく真面目な性格で、放送部に所属し、高校3年間で欠席はわずか2日しかなく、高校から「精勤賞」をもらっていた。日ごろから問題行動はなく、2月29日に行われた卒業式に出席した際も特に変わったところはなかったという。成績もよく、大学への進学を希望していた。しかし、家庭の経済的な理由で断念し、「自分で仕事を探してお金をためてから、大学に進学したい」と前向きに話していたという。(後略) (毎日新聞 2008/03/26 15:00)
 要するに、成績優秀だったのに家庭が貧乏なため大学進学を断念したのである。真偽不明だが東京大学を志望していたという情報もある。「貧困と格差」の拡大により貧困層が学業を放棄させられたり、進学を断念させられる事例が近年増加しているが、岡山の少年もまさに「金持ち優遇」の新自由主義の犠牲者なのである。
 マスメディアは「殺せば刑務所に行ける」「誰でもよかった」という点を強調して犯行の卑劣さを印象付けようと躍起だが、これらは「刑務所に入りたくなるほど社会に疎外感を持っている」「殺す相手が誰でもよいほど社会全般を憎んでいる」という意味であり、貧しく恵まれない(しかし奴隷の身に甘んじるほどの諦念はない)若者が幸福に生きる権利を日本社会が閉ざしたことを読み取らねばならない。

 私がこの少年の表出されない悲鳴に対し敏感に反応するのは、自分が下層のブルーカラーの子として生まれ、しかしながら幾許の「努力」と「運」で「一流大学」に進むことができた幸福な過去を有しているからに他ならない。時と場所が違えば私は彼だったかもしれないが故に、とても他人ごととは思えないのだ。
 報道では彼が中学校時代にいじめに遭った経験があるとか、キレやすくて「殺してやる」と叫んだとか、彼の履歴から「犯罪者」になる必然性を探そうと躍起だが、そんな経験は誰にでもある。少なくとも私はいじめに遭ったこともあれば、キレて教室で暴れて備品を破壊したこともあるが、殺人を行ったことも行おうと思ったこともない。今後も決してないだろう。
 犯罪の原因は彼の履歴にはない。それは日本社会の仕組みの中にこそある。この国が教育費を全額国庫で負担するような福祉国家だったら、彼が今回のような凶行に及ぶことはなかったと断言できる。この事件の「真犯人」は、貧乏人が進学できないような不平等社会を作り上げた財界・政府・自民党・公明党などのハイエナたちであり、それらを支持した有権者である。

 罪なくして殺された被害者は本当にあわれだ。被害者は竹中平蔵や小泉純一郎や宮内義彦や奥田碩や御手洗冨士夫や八代尚宏らの罪を背負わされて死んだのだ。彼は地方公務員だったという。今は「かわいそうな人」として同情を集めているが、場面が異なれば大衆の「公務員バッシング」の餌食になっていたかもしれない。弱者が弱者を殺す。「四角いジャングル」。罪と罰。絶望。線路に突き落した者、線路に突き落された者。線路に突き落されるべき者。
 被害者の父親の言葉が胸に響く。
(前略)「はらわたが煮えくりかえる思い。孫たちは泣くばかりで、どう慰めていいのかわからない。このような事件は息子で最後にし、少年は罪を償って社会復帰したら、世の中のためになるような人になってほしい」と話した。(後略) (読売新聞 2008/03/26 16:04)
 事件直後で相当なショックがあるだろうに、少年に罪を償う機会を与えようというのである。「少年を死刑に」と叫ぶ方がよほど楽だろう。この言葉が少年に届いているだろうか。
 「真犯人」たちに問いたい。あなたがたは「世の中のためになるような人」かと。おそらく厚顔無恥な彼らは「世の中のために働いている」と答えるのだろう。彼らの「世の中」は六本木ヒルズの中なのだろうか。

 涙でディスプレイが曇って見える。怒りと悲しみで今宵は眠れそうにない。
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by mahounofuefuki | 2008-03-27 00:22

教科書の出典がウィキペディアでいいのか

 もう世も末である。増進堂の高校用英語教科書がウィキペディアから転載した地図を掲載し、教科書検定も通過したという。以下、毎日新聞2008/03/26朝刊より。
(前略) 検定申請したのは、大阪市の出版社「増進堂」。英語の長文に「死刑制度の世界地図」という図を付け「07年、ウィキペディア」と出典を記した。図では、死刑制度のある国や廃止した国などが色分けされている。
 検定意見を受け、出版社側は国境線を修正。文科省は「図の出典の明記を求め、不正確な個所には意見をつけている。特に(引用に)異論は出なかった」と説明している。
 ウィキペディアには、この図の基となる死刑制度の国別リストも掲載されているが「リストは不完全」などと書かれている。25日現在、ネット上の図は教科書転載の図とは異なり、韓国やラオスなどが「死刑のある国」から「事実上廃止された国」に変わった。
 編集部は「人権団体の資料と照らし合わせ、図は正しいと確認した。引用は問題ないと思うが、学校現場の反応を見て作り直すことも検討する」としている。(後略)
 私は執筆・編集の個人責任が不明瞭であるウィキペディアに一貫して反対の立場をとっている。とにかく細部に誤りが多く、典拠も示されないことが珍しくない。これが個人のホームページならば「個人的見解」で済むが、仮にも「事典」と名乗っている以上、何よりも客観的な正確さと学術的な専門性が必要なはずである。故に当ブログでは今日までウィキペディアを参照リンクとして挙げたことはなかった。
 今回の「死刑制度の世界地図」は一見すると正確なようだが、「書きかけの項目」と明記しているように、項目内容は不完全である。そんな代物を教科書に転載してしまうことに、教科書執筆者や編集者は疑問を持たないのだろうか。教科書に載ることで子どもたちがウィキペディアの「信憑性」を誤信してしまいかねない。

 なお以前日本史教科書の件でも繰り返し述べたが、文部科学省の教科書検定が記述内容の学問性を担保できないことは今回の一件でも明らかだろう。事実上の検閲で言論・表現の自由を侵し、子どもが学問に立脚した教育内容を学ぶ自由も侵している現行の教科書検定制度は廃止するべきである。行政の検定がなくなることで、むしろ教科書発行者の責任が明確になり、専門家の裁量も広がる。検定の唯一の正当性である「客観性の担保」がもはや崩壊している以上、検定廃止は必然である。

【関連記事】
教科書調査官の系譜~「さるのつぶやき」より

【関連リンク】
教科用図書検定規則(平成元年4月4日文部省令第20号)-文部科学省
教科書一覧|高校英語教科書|馬のマークの増進堂・受験研究社
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by mahounofuefuki | 2008-03-26 11:36

高まる「平等」「安定」志向~「勤労生活に関する調査」を読む

 労働政策研究・研修機構が「第5回勤労生活に関する調査」の結果を発表した。
 この調査は勤労生活に対する意識について、1999年から同一の調査法(訪問面接)と同一の質問項目で継続して行っていること、調査対象がすべての世代、就業形態(労働者だけでなく、経営者や自営業者なども含む)にわたっていることに特徴があり、ほぼ日本社会を構成する人々の縮図と言ってよい。今回の調査は2007年に行われた。
 詳細はweb上で公開された資料を参照していただきたいが(下記関連リンク参照)、私が注目するのは次の4点である。

「平等社会」への志向が高まった。
 今回の調査結果で何よりも注目すべきは、これからの日本が目指すべき社会についての問いで、初めて「貧富の差が少ない平等社会」がトップに躍り出て(43.2%)、「意欲や能力に応じ自由に競争できる社会」(31.1%)を抜いたことである。1999年から2004年までは一貫して「競争できる社会」がトップで4割を超えていただけに、この数年で人々が新自由主義イデオロギーに嫌気を持ち始めたことをはっきりと実証している。

「終身雇用」「年功賃金」への志向が高まった。
 日本型雇用慣行への問いでは、「終身雇用」への支持が初めて8割を超えた(86.1%)。「年功賃金」への支持も初めて7割を超え(71.7%)、旧来の年功序列賃金体系への郷愁が強いことを如実に示している。ここでも成果主義を重視するイデオロギーが完全否定されつつあることがわかる。
 また、キャリア形成に関する問いでも、1つの企業に長く勤めキャリアアップするルートへの支持が過去最高となり(49.0%)、「独立して仕事をするコース」への支持は過去最低となった(11.7%)。もはや誰もが起業できるという「夢」が単なる欺瞞にすぎないことに気づき始めていると言えよう。「夢追い」型から「安定・堅実」型への変化を読み取れる。

「自由になるカネ」と「自由になる時間」への欲求が高い。
 「終身雇用」「年功賃金」を志向する一方で、企業の福利厚生の充実よりも給与を増やして欲しいという見解は一貫して増え続けている(64.5%)。これはますます企業福祉への不信が高まっていることを示すが、おそらく国家の福祉への不信も高いだろう。「平等」「安定」を志向しつつも、公的な福祉給付への不信は依然として強く、それよりは給与を増やして欲しいと考える人々が多いようである。
 また、どのような時間を増やしたいかという問いでは、「趣味やレジャーなどの自由時間」「家庭生活に費やす時間」が多く、「ボランティアや町内会活動など社会活動」はかなり低い。ここでも「公的なもの」への忌避感は強く、自己の個人生活の充実を至上とする傾向が強いことが窺える。
 これらから導けるのは「自由になるカネ」「自由になる時間」への渇望である。北欧型福祉国家の大前提である「社会参加による高負担・高福祉」は現状では受け入れられる見込みが低いことがわかる。

職場の人間関係に苦労している。
 勤務先を選べるとしたら何を最も重視するかという問いでは、「職場の人間関係」がダントツで高く(31.7%)、「仕事と家庭生活の両立支援」(18.0%)、「賃金」(13.6%)よりも上位である。これは職場の人間関係に苦労している人々が多いことを示す。賃金や社会保障の問題とは異なり、職場の人間関係の悩みは正社員も非正社員も、あるいは管理職やもしかすると経営者も共通して抱えているとみられる以上、この問題はもっと社会問題として取り上げられてしかるべきである。

 今回の調査から改めて新自由主義による競争社会がもはや支持されていないことは明らかになった。人々の「安定」志向を簡単には止めることができないだろう。一方で、「公」への不信が強すぎて、福祉国家確立の前提条件も依然として存在しないことも読み取れる。大阪府知事選挙のように「公」への不信を前面に押し出した場合、実際の投票においては「安定」を志向しながら新自由主義を支持するという矛盾した行動をとる可能性が依然として強い。
 福祉国家を目指すにあたっては、いきなり「高負担・高福祉」を提示するのではなく、まず所得再分配により「自由になるカネ」へ、長時間労働の法的規制の強化により「自由になる時間」への欲求に応える必要があることを示唆している。消費税の社会保障目的税化などの議論では、新自由主義への対抗軸にならないことはここでも明らかだろう。

【関連リンク】
「第5回勤労生活に関する調査」結果*PDF
独立行政法人 労働政策研究・研修機構
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by mahounofuefuki | 2008-03-25 12:15

在宅勤務制度への期待と不安

 帝人が4月より社員の在宅勤務制度を導入するという。以下、共同通信(2008/03/22 16:43)より。
(前略) 仕事と家庭の調和(ワークライフバランス)の実現を目指し、女性が出産後も働き続けられ、男性も育児や介護がしやすい環境を整えるのが狙い。少子化で新規採用が難しくなっていることから、電機、自動車業界などで同制度を採り入れ、化学・繊維業界にも導入が広がってきた。
 在宅勤務制度は、持ち株会社の帝人のほか、合成繊維を手掛ける帝人ファイバー、医薬品事業の帝人ファーマなど国内グループ会社8社が導入する。条件は配偶者も働いていて小学6年生以下の子どもがいるか、妊娠中、介護を必要とする人を抱える社員で、自宅で仕事ができること。
 「少子化で新規採用が難しい」のなら既卒の非正規労働者を正規採用しろというツッコミは別として、企業が社員の育児や介護に配慮するのは良い傾向である。今後、高齢化がますます拡大し、老いた親の介護という問題が現役世代にのしかかる。一方、一昨日の当ブログでも指摘したように、出産率は女性の労働環境(出産・育児のための休業保障など)や男性の家事時間と密接に関係している。在宅勤務制度は労働と家庭生活を両立するための1つの処方箋として評価できる。

 ただし問題もある。在宅勤務では労働時間の制約がない。24時間いつでも仕事ができる。労働時間の裁量が広がれば、労働者は自由に好きな時間で働けるように錯覚しがちだが、出勤・退勤が定まらないということは、仕事量が多い場合、際限なく労働時間が拡大する可能性が高い。
 すでにIT化で職場以外でも仕事が可能になった結果、終業後も自宅に仕事を持ち帰るのが当たり前になってしまったという現実がある。「残業」という概念を消滅させるホワイトカラー・エグゼンプションと同様の危険性があり、労働時間の無限増大化に悪用される不安が拭えない。

 在宅勤務制度には期待と不安が交錯する。今後どう展開するのか長所と短所を見極める必要があるだろう。

【関連記事】
広がる「結婚・出産格差」~「21世紀成年者縦断調査」を読む
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by mahounofuefuki | 2008-03-23 13:03

志位和夫の「SGJ」の会議録がまだ出ていない件

 2月8日の衆院予算委員会で共産党の志位和夫委員長が行った派遣労働の待遇差別に関する質問は、ほとんどのマスメディアが黙殺したにもかかわらず、ネット言論で日常の政治的立場を超えて大きな話題となり、その気迫のこもった追及は「SGJ(スーパー・グッジョブ)」と絶賛された。
 その質疑の録画映像は「ユーチューブ」の日本共産党のチャンネルで今も観ることができるが、50分以上と長く、活字化された議事録が欲しいところである。

 ところが、衆議院のホームページで予算委の会議録を調べてみると、今日の時点で2月29日分までが掲載されているのに、この2月8日の会議録だけが未だに掲載されていない(要約速報版の「委員会ニュース」は出ている)。官報にも記載されていないようなので、会議録の原本がまだ完成していないと考えられる。
 国会法や衆議院規則では会議録の作成について何日以内というような時限を定めていない。個人的に国会関係者に問い合わせたところによれば、会議録の字句確定について議長(今回の場合は衆議院議長)ないし委員長(同じく予算委員長)の許可を要する場合があるという。この日の委員会での発言のどれかが今も確定していないのである。

 2月8日の予算委の議題は新年度予算案の審議で、質問者はすべて野党議員である。志位氏のほか、民主党の渡部恒三、長妻昭、原口一博、武正公一、笹木竜三、社民党の阿部知子、国民新党の亀井久興の各氏が質問に立っている。どの質問あるいは答弁の文言が確定していないのか私にはわからないが、よりにもよって歴史的とも言える志位氏の名質問の会議録の完成・公表が遅延しているのは残念である。
 私は根拠のない陰謀論を好まないが、何となく一般の人々の目から志位氏の名質問をできるだけ隠蔽しようとする政治力学が働いているのではないかと疑いたくなる。右傾色を好みがちなネット言論で共産党が絶賛を受けることなど稀であるだけに、危機感をもった資本サイドの「見えざる手」の介入を想定してしまう。

 現時点では情報不足なので、これ以上の言及を避けるが、今だに志位氏の「SGJ」の会議録が出ていないという事実は念頭に置いておいて欲しい。


《追記 2008/04/12》

 今日現在、いまだ会議録は出ていない。衆議院事務局に問い合わせても「未定」の一点張り。これはいよいよ怪しくなってきた。

【関連リンク】
YouTube - 2/8 派遣法改正し"労働者保護法"に 志位委員長が質問/衆院予算委員会(全編)
衆議院
衆議院規則
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by mahounofuefuki | 2008-03-22 18:26