2008年 11月 01日 ( 1 )

「貧困と格差」言説が内包する性差別を自覚できるか

 貧困の現状と今後の反貧困運動の方向性について、野宿者支援で知られる生田武志氏のインタビュー記事が出ていた。貧困の解消を目指すにあたっては「ジェンダー問題を中心にした『家族問題』に踏み込まないといけない」という内容である。

 人民新聞 [反貧困] これからの反貧困運動を提言
 http://www.jimmin.com/doc/1007.htm

 私自身もそうだが、現在貧困に直面している人々が語る最もポピュラーなストーリーは、「新卒→終身雇用ルート」から外されたせいで貧困を余儀なくされている、その原因は企業や行政が正規雇用を非正規雇用に置き換えたからだというものである。もちろんそれは事実なのだが、問題なのはそもそも「新卒→終身雇用ルート」なるものが普遍的であったのはあくまで男性だけで、女性の場合は「終身雇用」時代でも大半がそのルートから排除されていたという点である。

 生田氏は女性の貧困の根源を「男性正規労働者と専業主婦というモデル家族」を基準にした労働形態に求めているが、その労働形態は同時に男性の非典型労働者をも排除していて、いわば現在の男性非典型労働者は社会的に「女性」の立場に置かれているとも言える。そして「男性正規労働者と専業主婦というモデル」を規範化している男ほど、「女だったらこんなに苦労しないのに」「女だったら非正規労働者でも侮蔑的な視線を浴びないのに」「男なのに何でこんな目にあっているんだ」という性差別を内包した怒りを持ちがちである。

 やっかいなのは、例えば「正規雇用にしろ」という要求自体が「男性正規労働者と専業主婦というモデル」を付与してくれという意味を含んでいる可能性があることで、実際に税制や社会保障制度が依然として既成の家族モデルを前提とした制度設計を続けている以上、「まず」男性には生活できるだけの所得を保障しろという要求の方が社会的合意を調達しやすいのは間違いない。それでは女性の貧困が根本的に解決しないのは言うまでもない。

 さらにもっとやっかいなのは、それでは「男性正規労働者と専業主婦というモデル」を解体しろという方向性が良いのかというと、結局は正規雇用の待遇引き下げや労働法制・社会保障制度の解体を促す動きに利用される可能性があることだ。最近、「近代家族」への批判、ひいては近代国家の「国民」化装置への批判が、結果としてグローバリズムを促進して社会保障を破壊したという知識人の言説をよく見かけるが、主客と因果が転倒している議論ではないか?という疑問はあるものの、現実に最近の上野千鶴子氏が公益は「官」でも「民」でもない非営利の事業体が担うべきだと提唱し、事実上「行政の外部委託」=「官製ワーキングプア」を促進する役割を演じていることを考えると、少なくとも過去はともかく今後は「近代家族」解体論が「小さな政府」の政治的潮流と連結する危険性があるのは確かである。

 生田氏のインタビューでも言及されている湯浅誠氏の貧困理論に従うならば、貧困の是正には「溜め」の回復が必要であり、そうなると公的福祉や企業福祉や公教育の回復と同時に「家族」の復活も俎上に載ることとなる。もちろん生田氏は家族制度を「元に戻せばいい」わけでもなく、「新たなモデル」を作る必要性を指摘しているが、果たして本当に可能なのか、どのようなモデルにもかかわらず「家族」の排他的機能自体が「関係の貧困」を生んでいる側面もあり、難しい問題である。

 私は当面こうした問題を棚上げし、とにかく公的福祉を最大限充実し、「経済の貧困」を是正することが最優先であるというある意味「逃げた」立場をとっているが、少なくとも「反貧困」言説に内包される差別意識には自覚的でありたい。
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by mahounofuefuki | 2008-11-01 11:50