2008年 03月 27日 ( 2 )

福田内閣のレームダック化を素直に喜べない理由

 福田康夫首相は今日緊急記者会見を行い、2009年度から道路特定財源を一般財源化する案を公表し、与野党協議機関の設置を呼び掛けたが、今や福田内閣は断崖絶壁に追い込まれたと言えよう。2008年度予算案は衆院の議決が優先されるため、明日にも成立するが、租税特別措置の方は期限切れが現実味を帯びてきた。何より福田内閣の支持率下落に歯止めがかからなくなっている。今月に入ってからの各報道機関の世論調査はどれも福田内閣がすでに「危険水域」に入ったことを示していた。
 今手元で確認できりデータは次の通り。
毎日新聞(2008/03/03朝刊) 支持30% 不支持51%
時事通信(2008/03/14 15:12) 支持30.0% 不支持47.7%
共同通信(2008/03/16 18:12) 支持33.4% 不支持50.6%
読売新聞(2008/03/17 23:48) 支持33.9% 不支持54.0%
日本経済新聞(2008/03/23 22:05) 支持31% 不支持54%
北海道新聞(2008/03/27 09:25) 支持22% 不支持59%
 おおよそ支持率が3割、不支持率が5割というところだろう(北海道新聞での支持率が極端に低いが、これは北海道限定で行った調査で、もともと北海道は民主党が強いという事情が影響していると思われる)。まだ3割も支持する人がいるのが不思議だが、それでも安倍内閣の末期とほぼ同水準まで低下しており、もはやレームダックになりつつあると言っても過言ではあるまい。

 自公政権にノーサンキューな側にとっては、これで「4月危機」だ、倒閣だ、解散だと喚きたいところだし、実際そういう声も出ているが、冷静に考えればそうは問屋が卸さない。倒閣したところで看板が掛け替えられるだけで自公政権の政策転換は望めない。衆院の解散は切に望むところだが、どうやっても現有議席を維持することができない自公政権が早期解散に打って出ることなどまずあり得ない。
 福田内閣の支持率が急落する一方で、野党各党の支持率はほとんど上昇していないことも問題で、単に福田内閣のみならず、政治全般への不信感が強まっているにすぎないというのが実情だ。しかも「大連立」構想は終始くすぶっており、主権者不在の政争が政治不信に拍車をかけている。
 内閣「不支持」の中身をよく吟味しなければならない。現在の福田内閣への不満は、「貧困と格差」がなかなか是正されないことへの「平等」サイドからの不満と、中国や朝鮮に対する強硬とは言えない姿勢への「保守」サイドからの不満と、規制緩和や「小さな政府」を断固として進めようとしないことへの「自由」サイドからの不満がいわば「雑居」している。仮に福田内閣が倒れても「保守」や「自由」に偏った新政権が出来るのでは元も子もない。

 すでに当ブログでも高まる「平等」「安定」志向~「勤労生活に関する調査」を読むで明らかにしたように、新自由主義による競争万能・成果主義の路線はもはやマジョリティではない。人々は疲れ果て、「終身雇用」「年功賃金」の時代への郷愁が高まっている。しかし、一方で政治意識においては依然として「公的なもの」への忌避感は強く、そこに新自由主義がつけ込む隙がある。
 特にこの国では依然として「強いリーダーシップ」への幻想が肥大化しているのが問題だ。毎日新聞の調査では「首相の指導力に期待できないから」が、時事通信の調査では「リーダーシップがない」がそれぞれ内閣不支持の理由の第2位になっている。政策の中身よりもイメージとしての「毅然とした姿勢」「強力な指導力」に期待する向きが相変わらず存在するのである。
 事実、北海道新聞(2008/03/27朝刊)の世論調査では「次の首相にふさわしい人は誰か」という問いに対し、小泉純一郎氏と麻生太郎氏が16%でトップに並び、小沢一郎氏が15%でこれに続く。一方で「平等」「安定」を望みながら、他方で小沢はともかく小泉や麻生を支持するのは矛盾以外の何物でもないのだが、なかなかそれを自覚できない人が多い。

 実は「毅然とした姿勢」や「強力なリーダーシップ」と「平和と平等」の結節点は1つだけ存在する。それは日本共産党である。日本国憲法第9条の堅持を掲げ、平等社会を目指す一方、下部機関が上部機関に拘束される民主集中制のもと、指導部による「強力なリーダーシップ」で概ね「毅然とした姿勢」をとっている。志位和夫氏の演説を聴いたことがある人ならば、彼のタレント性が小泉や麻生などの比ではないことが理解できるだろう。しかし、強固な「アカの壁」とマスメディアの黙殺が共産党の浸透を妨げている。この問題は本稿の主題から外れるので別の機会に考えたい。

 いずれにせよ、解散前に福田内閣倒閣の動きが強まることは、必ずしも良い結果となるわけではないことを指摘しておきたい。小泉再登板は限りなくゼロに近いと考えているが、新自由主義勢力の完全復帰の危険は依然として存在する。それを回避するためには、来年以降になるだろう衆院解散まで、地道に不満の声を上げ、「新自由主義ノー」の「空気」を持続することが何よりも必要である。
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by mahounofuefuki | 2008-03-27 22:12

JR岡山駅での突き落とし殺人事件について

 JR岡山駅で少年が列車待ちの人を線路に突き落して殺した事件。
 今や若者の犯罪に関する報道は大衆ののぞき見趣味を満たし、日常の鬱憤を晴らせる「公認の敵」を提供するための「娯楽」になっているのが現状であるが、私は被害者をダシにして「弱そうな加害者」(この国のチキン大衆たちは「強そうな加害者」には沈黙する。米兵とか、「ヤクザ」とか、自民党議員とか)をバッシングする趣味は全くないので、本来ならこんな事件はスルーするところである。
 しかし、この岡山の事件ではどうしても気になることがあるので発言せざるをえない。それは次の個所である(太字強調は引用者による、以下同じ)。
(前略) 成績はクラスで1、2番。「経理関係の資格を取りたい」と話していた。進学希望だったが、「大学に通うお金がない」と言っていったんあきらめたという。その際に成績が少し下がったものの、落ち込んだ様子はなかったという。年明けには担任が就職先の紹介を提案した。しかし、「自分で働いてお金を稼いで大学に行きたい」といって断ったという。(後略) (朝日新聞 2008/03/26 15:05)

(前略) 学校関係者によると、少年は大阪北部の府立高校を今春卒業したばかり。おとなしく真面目な性格で、放送部に所属し、高校3年間で欠席はわずか2日しかなく、高校から「精勤賞」をもらっていた。日ごろから問題行動はなく、2月29日に行われた卒業式に出席した際も特に変わったところはなかったという。成績もよく、大学への進学を希望していた。しかし、家庭の経済的な理由で断念し、「自分で仕事を探してお金をためてから、大学に進学したい」と前向きに話していたという。(後略) (毎日新聞 2008/03/26 15:00)
 要するに、成績優秀だったのに家庭が貧乏なため大学進学を断念したのである。真偽不明だが東京大学を志望していたという情報もある。「貧困と格差」の拡大により貧困層が学業を放棄させられたり、進学を断念させられる事例が近年増加しているが、岡山の少年もまさに「金持ち優遇」の新自由主義の犠牲者なのである。
 マスメディアは「殺せば刑務所に行ける」「誰でもよかった」という点を強調して犯行の卑劣さを印象付けようと躍起だが、これらは「刑務所に入りたくなるほど社会に疎外感を持っている」「殺す相手が誰でもよいほど社会全般を憎んでいる」という意味であり、貧しく恵まれない(しかし奴隷の身に甘んじるほどの諦念はない)若者が幸福に生きる権利を日本社会が閉ざしたことを読み取らねばならない。

 私がこの少年の表出されない悲鳴に対し敏感に反応するのは、自分が下層のブルーカラーの子として生まれ、しかしながら幾許の「努力」と「運」で「一流大学」に進むことができた幸福な過去を有しているからに他ならない。時と場所が違えば私は彼だったかもしれないが故に、とても他人ごととは思えないのだ。
 報道では彼が中学校時代にいじめに遭った経験があるとか、キレやすくて「殺してやる」と叫んだとか、彼の履歴から「犯罪者」になる必然性を探そうと躍起だが、そんな経験は誰にでもある。少なくとも私はいじめに遭ったこともあれば、キレて教室で暴れて備品を破壊したこともあるが、殺人を行ったことも行おうと思ったこともない。今後も決してないだろう。
 犯罪の原因は彼の履歴にはない。それは日本社会の仕組みの中にこそある。この国が教育費を全額国庫で負担するような福祉国家だったら、彼が今回のような凶行に及ぶことはなかったと断言できる。この事件の「真犯人」は、貧乏人が進学できないような不平等社会を作り上げた財界・政府・自民党・公明党などのハイエナたちであり、それらを支持した有権者である。

 罪なくして殺された被害者は本当にあわれだ。被害者は竹中平蔵や小泉純一郎や宮内義彦や奥田碩や御手洗冨士夫や八代尚宏らの罪を背負わされて死んだのだ。彼は地方公務員だったという。今は「かわいそうな人」として同情を集めているが、場面が異なれば大衆の「公務員バッシング」の餌食になっていたかもしれない。弱者が弱者を殺す。「四角いジャングル」。罪と罰。絶望。線路に突き落した者、線路に突き落された者。線路に突き落されるべき者。
 被害者の父親の言葉が胸に響く。
(前略)「はらわたが煮えくりかえる思い。孫たちは泣くばかりで、どう慰めていいのかわからない。このような事件は息子で最後にし、少年は罪を償って社会復帰したら、世の中のためになるような人になってほしい」と話した。(後略) (読売新聞 2008/03/26 16:04)
 事件直後で相当なショックがあるだろうに、少年に罪を償う機会を与えようというのである。「少年を死刑に」と叫ぶ方がよほど楽だろう。この言葉が少年に届いているだろうか。
 「真犯人」たちに問いたい。あなたがたは「世の中のためになるような人」かと。おそらく厚顔無恥な彼らは「世の中のために働いている」と答えるのだろう。彼らの「世の中」は六本木ヒルズの中なのだろうか。

 涙でディスプレイが曇って見える。怒りと悲しみで今宵は眠れそうにない。
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by mahounofuefuki | 2008-03-27 00:22